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第88回 植村直己・帯広野外学校 開校30周年記念
サバイバルキャンプ 2015年の記録  
★植村直己・帯広野外学校は、1985年8月に冒険家・植村直己さんの夢だった「野外学校」を実現しようと開校し、今年で30周年を迎えました。
 今回のサバイバルキャンプはこれを記念し、従来のサバイバルキャンプで行っている「サバイバル生活」ではなく、野外学校基地からおよそ40㎞先の芽室岳登山口まで装備類一式をリヤカーに積んで移動し、さらに芽室岳に登山し、同じルートを基地へ戻るという「大キャラバン」のプログラムを実行しました。
 参加者は鳥取県や埼玉県、道内から集った男女7名。メンバーの明るさと元気さに救われながら、往復80㎞のキャラバン+芽室岳登山を無事にやり遂げることができました。
  
★参加メンバー
廣江 泰(鳥取県米子市 中1)/廣江悠仁(鳥取県米子市 中1)/廣江 準(鳥取県米子市 小6)/大島 脩(帯広市 小6)/酒井元気(白糠町 小5)
二宮 翠(埼玉県越谷市 小6)/二宮 結(埼玉県越谷市 小6)
★スタッフ
小貫耕喜(校長)/矢満田啓明(総指揮)/高柳昌央(登山リーダー)/山本義明/酒井伸吾/佐柄啓二/諌山華奈/佐柄千鶴/渡邊桃子/伊藤萌林
(アシスタント・スタッフ)
サポート隊:北沢 実/梶美恵子/宮谷恵美子
    
         
         
1日目(8月6日)   基地で基礎学習と準備など  
◆10時30分に開校式、いよいよサバイバルキャンプの始まりだ!開校式では校長のあいさつや参加者・スタッフの自己紹介など。今回の班編成は男子5名で1グループ、女子の参加は2名だったため、スタッフの諌山・佐柄(千)が2班専従。伊藤萌林はスタッフ補助兼写真係の体制とした。
 オリエンテーションでは、個人装備リストに沿って、不足している装備のチェックなどを行い、昼となった。午後は、翌日からのキャラバンの準備。スベア・コッフェル・飯ごうなどの炊事用具やテント類が班ごとに貸し出され、内容を確認。さらにキャラバン中の食料品が支給された。主食として米5食分、レトルト飯、スパゲティ乾麺、インスタントラーメンなど計10食分は必須。副食としてレトルトパウチのサバ味噌・サンマ醤油など、フリーズドライのみそ汁類、レトルト丼の具・パスタの具など、行動食としてカステラ、ソーセージ、ゼリー類などから必要なものをチョイスして各自(班)で携行した。これらの食料は多少の過不足はあったものの、ほぼキャラバン中に消費された。
 その後、テントの設営・撤収の練習、炊事用具の説明などがあり、そのままスベア(灯油コンロ)を使って飯ごうで夕食用のメシを炊いた。期間中、飯ごうでの炊飯は8回あったが、1度として失敗することなく、上手にたけたことには感心させられた。
 夕食後は、校長から植村さんの冒険行などの解説、スタッフからはキャラバン中の注意や携帯トイレの使い方のレクチャーがあり、その後ごえもん風呂で汗を流して就寝となった(22時)。
   

開校式

共同装備の点検
 
食糧の分配

スベアの使い方

夜のミーティング
 2日目(8月7日)  キャラバン初日!めざすは21㎞先のCamp1    
◆朝のつどいは6時から。テントを撤収し、朝食の準備にとりかかった。メニューは「ぶた丼」、飯ごうでメシを炊き、フライパンで豚肉をタレを絡めて焼いたら出来上がり。この時に携行用のきゅうりの塩もみと夕食の野菜炒めの下ごしらえを合わせて済ませた。
 キャラバンに向けて忘れ物の最終確認を終え、装備をリヤカーに積んで出発の準備を整えた。なお、今回使用したリヤカーは、市販品に持ち手と荷台を改良した”優れもの”。出発前の記念写真を撮り、
9時30分、C1に向けてスタートを切った。原則としてキャラバン中は50分進んで10分の休憩、この10分間は靴と靴下を脱いで足を乾かすことでマメの防止に努めた。
 慣れないリヤカーに戸惑いながらも歩を進めたが、昼食予定の上美生到着は13時過ぎ。11キロを4時間弱かかったことになる。昼食は購入したパンで済ませトイレタイムののちリスタート。長い上り坂、交代のタイミング、休憩後のスタートまでのタイムロスなどもあり、行動打ち切り時刻の17時をC1のおよそ1キロ手前で迎えてしまった。ここからは車でC1(清水町上旭YMCAキャンプ場)入り・・残念!
 C1着後はテント設営をし、夕食(飯ごうメシ、ウインナー入り野菜炒め、みそ汁)でやっと一息。この夜のミーティングではこの日の反省と翌日のスケジュールなどが話し合われた。
    

出発前の記念写真 
 
キャラバン隊
 
休憩は靴・靴下を脱いで

C1到着

夕食
 3日目(8月8日) キャラバン2日目 17㎞先の芽室岳登山口(C2)へ    
◆6時に起床!朝のつどい・体操ののち朝食の準備。この日はパンとソーセージ炒めかごはん(梅干し・レトルトパウチがおかず)があり、どちらかを食べて、どちらかを昼食用とする。テキパキと食事・片づけを済ませ、リヤカーに装備を積む。このあと地図でルートを確認し、9時にC1を出発した。ここまでの段取りは前日の反省が生かされ、たいへんスムーズ!
 この日のキャラバンは17㌔。昼休みまではおよそ1時間に4キロのハイペースで進んだ。13時30分には難関の林道(オフロード)へ突入。途中でヒグマの糞を見つけ、匂いを嗅いだり解体したり。ちなみに糞の中味のほとんどはフキだった。
 想定したタイムより早い午後3時にC2到着!疲労の色は隠せないが、時間より早く着いたことに一同満足げな表情を見せていた。いつも通りテントを設営し、夕食の準備に入る。メニューは飯ごうメシ、レトルトパウチのおかず、みそ汁。河原からフキを採ってきて調理する余裕も…。食後は山小屋で翌日のスケジュール確認と今日の反省などのミーティングを行い、各自テントで就寝。
    
     
     
  4日目(8月9日) 芽室岳(1754m)登山の日    
◆今回のキャンプは絶えず雨雲の動きが心配だったが、ここまではほとんど降られず。この日は予報にも☂マークなし!絶好の登山日和となった。
 この日は6時30分頃には出発するために、5時起床としていた。全員、時間通り起床!朝のつどいのあとは朝食準備。メニューはレトルト飯+レトルト牛丼、マグヌードルとこの朝補給されたバナナ。多少食べすぎかとも思われたが、食欲の旺盛さは元気の証拠! 登山時の行動食(この日支給)のパン・大福・リンゴ1/2・ヨーカン・スポーツドリンクなど)と着がえ。タオル、水筒などをアタックザックに詰めて出発を待った。ただし、雨の心配はないものの途中のヤブが濡れているため、カッパを着ての登山となった。C2出発は6時50分。
 休憩を適度にとりながら、1班(男子班)を先頭に2班(女子班)が続いた。出発後30分ほどで待ち構えていた”濡れたササやぶ”を抜けるのに2時間ほどかかり、体力を消耗。その後は順調に進み、ほぼ想定通り
1班は4時間、2班も10分遅れで頂上に達することができた。なお、1班の脩くんは、足の故障でもう一歩のところでスタッフとともに登頂を断念した。
 およそ1時間、頂上からの眺めを楽しみ、食事も終えたのち下山開始。1班の下りはおよそ2時間というスピード違反!女子も3時間弱で下山を無事完了した。それにしても、ここまで40キロのキャラバンをしてきたにもかかわらず、メンバーの気力・体力・脚力には脱帽・・。下山後は大きなスイカが待っていた!脩くんはスタッフ2名に付き添われ、自力で16時過ぎにC2に到着した。彼の頑張りにも脱帽!
 早く下山を終えたメンバーは、夕食のおかずを豊かにするため渓流釣りに挑戦した。数匹の釣果(オショロコマとカジカ)があり、から揚げにして食した。
 暗くなりかけたころ、山小屋でミーティングを行い、5時から釣り、6時45分に朝のつどい、9時30分に移動を開始し、15時30分にC1到着というスケジュールとなった。 
    
     
     
 5日目(8月10日)  ふたたびキャラバン… 17㎞先のC1まで   
◆前日の予定通り早朝から釣りに挑戦!6時過ぎには釣果を携えたメンバーが三々五々戻ってきた。朝のつどいのあとは朝食タイム。この日はスパゲティを茹でレトルトの具を絡ませたものとスープ、バナナ(当日補給)と釣った魚のから揚げ。なぜかスパゲティを焦がした班が…。8時30分には朝食を終え撤収の開始、テントをたたむのも、リヤカーに装備を積み込むのも手慣れたものだ。C2のゴミ拾いを入念に行い、予定通り9時30分に出発。3時間後にはこの日の行程の半分、円山牧場管理事務所に到着した(時速3キロペース)。ここで牧場内に落ちていたエゾシカの角をいただき、家へのお土産となった。12時50分にはC1を目指してスタート。現在地や今後のルート確認をしながら、15時15分にはC1に到着することができた。着後は、この日から合流したスタッフ桃子の誕生祝を兼ねて冷えたメロンで乾杯?(しかし当人はメロンは苦手…)
 夕食は「焼肉定食}。飯ごうでメシを炊き、この日補給された食材を炒めて食べた。暗くなってからはC1の敷地内の池で発生したホタルの乱舞に見とれた。
    
     
 6日目(8月11日) キャラバン最終日! 野外学校基地を目指して!    
◆いつも通りの起床、朝食はラーメン(チャーシュー・メンマ・煮たまごは当日補給)とバナナ。ここで大事件!ラーメンは器に入れてお湯をかける想定で「チキンラーメン」を用意していたのだが、各班とも鍋の中で煮込んでしまった!結果は感想文にある通り…。
 撤収も順調に進み、空いた時間でロープワークを覚える余裕も。8時25分、ここのキャンプ場を管理している池田さんご夫妻に挨拶をして、最終目的地へいざ出発!
 出発後まもなく2班のリヤカーのタイヤに異変が発生、急遽荷物を車に積み替え、しばらくは空のリヤカーを曳いての移動となった。出発3時間後、昼食ポイントの上美生に到着。配られたパンでの昼食となった(多少アクシデントあり)。ここでは北海道新聞の記者から取材があった。
 12時20分出発!野外学校まで11キロを残すのみ。ほとんど雨にも当たらず、
15時20分、ついに野外学校基地へ全員無事に到着した!(この日はキャラバンのルート上だけ雨雲がかかっていなかった。少し外れると、そこはどこもかしこも土砂降りでした。奇跡!!)。
 テント設営ののち、5日ぶりのごえもん風呂で汗と垢をながし、こざっぱり。あとはタワーの下で「ジンギスカン+焼きそば+フリードリンク」のお疲れさん会。スタッフ・メンバー15名でジンギスカン8㎏、焼きそば15食、もやし12袋、玉ねぎ10個ほどが胃袋に収まった。
    
     
         
 7日目(8月12日) 最終日は、野外学校恒例の”大あと片付け”大会…   
◆もう歩かなくてもいい!そんな朝を迎えた。でも、やることは同じ。朝のつどい・体操のあとは朝食作り。この日のメニューは「和定食」。すっかり上達した飯ごうメシと焼き魚、卵(卵焼きか目玉焼きを作っていた)、インスタントではないみそ汁を作り、海苔・納豆などを随意に作って食した。
 食事のあとはあと片付け。野外学校から借りたものは、借りた時以上にキレイにして返すのが鉄則。コッフェル・飯ごう・スベアなどをみがきあげた。さらに焼肉に使った鉄板、ごえもん風呂まできれいにした。あとは感想文を書いて、昼食(ホットドッグと牛乳)を食べ、13時からの閉校式に臨んだ。
 式では校長からメンバー一人ひとりに修了証書が渡され、校長先生のお話し、メンバー各自から感想発表、スタッフからも感想やねぎらいの言葉があった。
 13時30分、最後の記念写真を写し、今回のサバイバルキャンプは無事にすべてのプログラムを終了することができた。
 参加てくれたメンバーのみなさんの頑張り、参加を許していただいた保護者の方、野外学校を支えてくれたたくさんの方々に厚く感謝申しあげます。
    
     
         
         
 参加者の感想文   

廣江 泰(鳥取県米子市 中1)

 ぼくは、野外学校に一年前の夏に来たことがありましたが、今年は三十周年ということで、リヤカーで芽室岳の登山口まで行くという特別イベントということで、去年とはやることがまるで違うので、楽しみという気持ちと同時に不安な気持ちも少々ありました。
 初日に一班の班長だと言われ、しっかりこの班をまとめることができるだろうかという不安で、来る前よりも緊張し不安も大きくなりました。
 また、今回はスベアが去年とは違い、マッチでつけるようになっていたので、火をつけるのに時間がかかったり、個々で活動するのではなくみんなで活動するなど、去年とはまるで違って大変でした。
 二日目の移動のときは、自分たちの準備が遅くて20㎞歩くところを19㎞しか歩けず、とてもくやしかったです。
 でも三日目にはだいぶぼくたちのペースも早くなったりして、なんとか登山口につくことができました。登山口へ行くとちゅうのじゃり道は、ほとんど上り坂でどんどん体力をうばわれてきて、登山口につくころには、もうへとへとでした。
 四日目は登山で芽室岳に登りました。ササがぬれていたのでカッパを着ました。カッパの中はとてもむれて暑くて、自分の体力をどんどんうばっていきました。でも、頂上の上の風景はとてもきれいで、つかれを忘れさせてくれました。下りは楽だろうとなめていたら、ササの葉があたってものすごく痛かったです。
 五日目はC1にもどりました。僕は内心、もう歩きたくない、なぜこんなに歩かなければならないのかと思っていました。でも帰りは下り坂が多く、とてもスムーズにいけました。
 六日目は、朝食からチキンラーメンで、7食もゆがいてしまったので、たべるのがとても苦痛で、ぼくはもうチキンラーメンを一生食べないと、そう心にちかいました。移動のときチキンラーメンのせいで胃もたれをおこしてとても気持ち悪かったです。でも、行きでは歩けなかった20㎞を歩けました。その夜のジンギスカンはとてもおいしかったです。
 ぼくは、この野外学校で家にこもっていてはできない事ができました。それは仲間といっしょになにかにチャレンジしてその感動をわかちあえることです。ぼくは本当に野外学校に来てよかったと思いました。

 

『一週間の野外生活で学んだこと』

廣江 悠仁(鳥取県米子市 中1)

 「チームワーク」これは、ぼくがこの一週間いちばん大切にしてきた事です。今回のサバイバルキャンプでは、三十周年という事で、特別で、それは、芽室岳の登山に挑戦するというものでした。37㎞先の芽室岳に行き、登山をして、帰ってくるというのが目標でした。
 ぼくが、サバイバルキャンプへ来ようと思ったのは、去年、泰が行って、おもしろかったと言ってさそってくれたので、行ってみようかな思ったからです。正直けっこう迷いました。まず思ったのは、どんな事をするのだろうか、ということです。自分でもこなせるメニューなのだろうか、ちゃんと最後までやりきれるだろうか、とか、勝手に想像していました。あと、一週間過ごす仲間とうまくやっていけるかな、ということです。一週間もいればさすがに仲良くはなると思うけど、やっぱり不安だなーとか思っていました。
 そして、一日目。帯広駅から送ってもらって植村直己・帯広野外学校に着きました。着いた時の気持ちは、すこし重く、きんぱくしたふんいきでした。みんなもそうだったと思います。あいさつをしている時なんかは、MAXだったと思います。でも、荷物の整理が終わった時には、もう話していて「よかったなー」と思いました。今考えると早いもんだなーと思います。
 二日目、いよいよスタートするとリヤカーをひく人でもめたり、ニガテな人をうまくフォローできなかったりと、中継キャンプ地まであと一キロというところで終わってしまいました。その日の反省をうまくできたので、三日目はうまくいきました。うまくコミュニケーションがとれるようになってきて、やっぱり友達といるといいなーと思ってくるようになりました。そして、最初は不安でちぢこまっていたけど、いつしか、ちょっとまとめることができるようになってきました。今回で自分の成長はそこだと思います。
 そして、登山の日はたいへんでした。あまりしゃべらずだったので、きつく、苦しいものでしたが、と中からしゃべりながら進んだので、とても楽しくできました。楽しいとこんなに時間が短く感じるのだなーと思いました。下山の時、頂上まで登れなかった脩がくやしそうにしていて、反省の時もしっかり言っていたので、えらいなーと感じました。
 帰り、リヤカーをひいている時に、もめることもあったけど、きつい時は、自分から声をかけて、かわったり、手やひもでサポートしているのを見て、自分もがんばれました。
 この野外学校で学んだ「チームワーク」をいかして、学校生活を楽しくしていきたいと思います。そして、スタッフのみなさんから学んだ事も、スタッフのみなさんにも、そして、今これをかいているのにも感謝して、日々を過ごしていきます。

 『野外生活で学んだこと』

廣江 準(鳥取県米子市 小6)

自分は、昨年兄がこの野外学校に行って楽しかったと言って帰って来たので、この野外学校に来ることにしました。来る前のイメージは、昨年の兄の写真を見ていたので、だいたいあっていました。兄からは魚をつったり自分たちでご飯をたいたりしたときいてとても楽しみでした。でもそんなに甘くはありませんでした。初日からスベアに火をつけるのに時間がかかったり、マッチを一日でひと箱消費してしまいました。でも一緒に行動する一班の人たちは、面白くて優しくて、なにより楽しかったです。そして二日目からは片道37㎞を二日間かけて歩き、芽室岳の登山口まで行き、次の日芽室岳に登り、また二日かけてベースキャンプまで戻るというハードスケジュールでとても大変でした。
 リヤカーをひく順番や休けい時間が守れなかったりして、一日目の20㎞はあと1㎞残して歩ききれませんでした。でも初日できなかったマッチで火をつけることができるようになりました。三日目は17㎞のきょりを予定よりも早く目的地まで着くことができました。四日目の登山も、ほとんどの人が登りきることができ、無事に下山できました。五・六日目は両方とも二~三日目より早く目的地へ着けるようになりました。
 そして、ぼくがこの一週間の生活で学んだことは、無理なことを無理なままで終わらせず、考え方をかえてみるということです。この一週間だめかなと思っていたことが、考え方や視点をかえてみると、すぐにできてしまうということがたくさんありました。そして、仲間と協力する大切さということも学びました。テントの設営だって、リヤカーをひくときだって、これは一人でやったらもっと時間もかかるし、へたしたらできないんじゃないかという場面がたくさんありました。そのほかにも学んだことはたくさんあります。でも、この二つは実感した回数が多かったのでこの二つにしました。そして、来る前と終わった今のちがいは、しっかり考えてプランを立てることができるようになりました。来る前はノープランで分からないことがあると、なにも考えずすぐスタッフの人に質問していました。でも今は、しっかりプランを立て、分からないことがあったらできるかぎり考えて、それでも分からない時だけ質問するようになりました。
 この学校で学んだ技術や知識をほかのことにも使っていきたいです。

 

『野外学校サバイバルキャンプの感想』

大島 脩(北海道帯広市 小6)

 野外学校に来る前は、とっても古い建物なんだろうなと考えていた。来てみたらとてもキレイでおどろきました。芽室岳まで歩いて行って、最初の方はとてもきつかったけど、最ごの方ではリヤカーもせっきょくてきにひけたと思います。この一週間で、仲間と協力をすることがどれだけたいせつかがわかった一週間でした。
 植村直己・帯広野外学校サバイバルキャンプに来て、来る前と終わった今では、仲間と協力することや、リヤカーににもつをたくさんつみ、おうじゅく80キロを歩き、と中では芽室岳にのぼり、山の頂上まではいけなかったけど、頂上とひょうこうさが100メートルぐらいのところでおいしい空気を吸うことができた。それはおれない心という言葉のおかげでした。
 おれない心という言葉は、東京から来てくださったスタッフさんが言った言葉でした。その言葉で、登山をする体力がじわじわとわいてきました。登山のと中で足をくじいたけど、おれない心という言葉を思い出して、ガマンをしていたら、どんどん足のいたみがましてきて、スタッフに言ったら、なんで早く言わなかったのだとおこられました。いたみがどんどんひどくなり、歩くのもつらくなりました。
 1時間に1回、10分の休憩のときに足のマッサージをしました。マッサージのおかげで、だいぶらくになっていきました。どんどん上に行くにつれて、きゅうな坂道が増えてきて、1時間に1回のマッサージじゃたりなくなってきました。と中に雲海が見える所に止まりました。そこでひといきつくと、足がだいぶらくになった。でもそれから30分ぐらい歩くと、足がまたつかれてきました。頂上がだんだん見えてきたところぐらいで、こかんがいたくなりました。
 こかんがいたくなったので、10分ぐらいたったら言おうとしたら、23分もたっていないのにいたみがとてもひどくなり歩けなくなりました。歩けなくなったので、近くの木のかげで一息つきました。そこから頂上まで上がろうとしましたが、頂上まであと30分くらいのところでダウンしてしまいました。
 とても楽しい一週間でした。

 

1週間をおえて』

酒井 元気(北海道白糠町 小5)

 ぼくは、この植村直己・帯広野外学校サバイバルキャンプには初めてなんですけど、ぼくといっしょの1班の初じゃない人が3人いて、1度来たことのある人が1人です。
 その3人の中の2人は、1人の方の兄弟ということです。その1人が鳥取県の中1の廣江泰、同じく中1のいとこの廣江悠仁、廣江泰の兄弟の廣江準です。ちょっとおくれましたが、1班のたんとうのなまえは矢満田啓明です。そして、その3人の中の1人が帯広の大島脩です。いまのは自分の班のしょうかいでした。
 1日目、スベアでマッチをいっぱいつかってしまった。
 2日目、マッチ箱2箱つかいました~「やばい」
 3日目、なにもおこらなかった。4日目、登山をしてつかれた。5日目、なし。6日目、ラーメンがかなりたいへんだった。7日目、作文を書くのがたいへんだった。

 一番楽しかったのは、登山です。一番たいへんだったのはラーメンです。
 次、野外学校でやりたいのは、ひもしばりとつりです。

 

『一週間で変わったこと』

二宮 翠(埼玉県越谷市 小6)

 私は、ここに来る前「毎日自分たちで、ごはんになるものを採ったりするのかなー。」って考えていたけど、初日に、レトルトのものが配られて少し安心しました。それに、二班の人たちは、先生もおもしろくて、約四十キロ歩いても、つかれがふっ飛んじゃって、つかれたかんじがしませんでした。あと、持ち物で、運動ぐつと登山ぐつみたいな感じで書いてあって、「山に登るんだなー、どんな山だろう。」って考えていたら、芽室岳は登山道がとてもせまくて「こんなせまい道あるんだー!」って何げに感心しながらも、びっくりしました。
 一番考えていたのは、「この野外学校は、どんな所にあるんだ?」「どんな造りなんだろー?」って考えたら、とてもわくわくして、色々な事を考えていました。行ってみるととても「ザッ野外学校」みたいな所で、造りもログハウスで「うわぁー、すごい!」と思いました。
 このサバイバルキャンプは、私が思っていたよりも、きつくはなかったです。それに、はんごうでごはんをたいたり、テントでねたりは、ふだん全然しないから、初めは、ねぶくろであまりねれなかったり、体が痛くなったりして、なれなかったけど、一週間たったら、ねぶくろでもねれるようになったし、一番うれしかったのは、テントを立てる時間が十一分から八分にちぢんだ事です。
 一週間のサバイバルキャンプが終わって、自分が変わったところは、みんなで協力して何かをやる、自分で仕事を見つけて進んでする。このことが自分の中で最も変わったところだと私は思います。

 

『サバイバルキャンプ』

二宮 結(埼玉県越谷市 小6)

 私は、ここに来る前は、四十キロはどの位のきょりなのかということや、ご飯はなにでたくのかななど、色々なことを考えていました。四十キロという長い道をふだん歩かないからつかれたけど、四十キロの道を歩き終えたら、四十キロ、歩き終えたんだという達成感がありました。テント立てなど、タイムを測ったりして楽しかったし、最初のタイムが十一分ぐらいだったのに、六日目に測ってみたら八分ぐらいで、三分も早くなったことにビックリしました。
 私は、この一週間で、スベアの使い方、テントの立て方、ご飯のたき方など色んなことが得られたと思うし、なによりも、このサバイバルキャンプが楽しかったです。
 自分の中で変わったことは、折れない心ができたのかなと思います。私は、すぐに心が折れてしまうけど、このサバイバルキャンプで、折れない心ができたと思います。また、きかいがあれば、この野外学校に来たいと思います。