■原告側意見書(岡山大学法学部 岡田雅夫教授)■
意見書/岡田雅夫(岡山大学法学部教授)
「公法上の任用」とは何か
1 被告は、本件採用についてこれを「公法上の任用」であるとし、したがって、解雇権濫用の法理は本件に適用がないと主張する。これは、伝統的行政法学が主張した公法・私法二元論に立脚するもので、学界において今日克服済みの解釈であり失当というべきである。その理由を以下に述べる。
2 かつてわが国行政法学は、行政法を「国内法で公法としての性質を有するもの」と定義してきた。そして公務員の勤務関係については、特別権力関係理論によってこれを公法上の関係として理解し、原則としてこの関係には民法の適用を否定してきた。
しかしながら今日、公法と私法を峻別する考え方は、多くの判例(代表的なものとして、最判昭和三五年三月三一日民集一四巻四号六六三頁)によって否定され、公法・私法の区別の相対化は、広く行政法学の受け入れるところとなっている。その考えによれば、行政法とは、「行政に特有の法」をいうものとされ、その解釈理論は、個別実定法に基づいて導かれるべきものとされる。
たとえば、典型的な権力行政作用と考えられ、民法の適用がないものと解されていた租税滞納処分による不動産の得喪に、民法一七七条の適用を認めた判決において、最高裁(最判昭和三一年四月二四日民集一○巻四号四一七頁)は次のように判示した。
「……滞納者の財産を差し押さえた国の地位は、あたかも、民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類するものであり、租税債権がたまたま公法上のものであることは、この関係において、国が一般私法上の債権者より不利益の取扱いを受ける理由となるものではない。それ故、滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用がある。」
3 公務員の勤務関係は、いかなる性質のものとして理解されるだろうか。
前述したようにかつて公務員の勤務関係は、特別権力関係論によって公法関係に属するものとして説明された。それはその出発点において、実定法の根拠を欠く解釈=ドグマとして展開された。けだし、明治憲法下において公務員法制は、官制大権──行政組織の編成権は天皇の固有の権限だとする理論──の一環として、法律事項ではなく、天皇=行政権の権限に属するとされていた(大日本帝国憲法一○条)からである。
その要点は、公務員の勤務関係を、天皇の任命によって成立する公法関係とし、「無定量不確定の勤務義務」に服する法関係として(室井力『特別権力関係論』三八四頁)、これを民間の労働契約関係とは異質のものとして構成したところにある。そのような理解の下で、公務員は任命権者の自由な裁量による支配を受けたほか、公法・私法の峻別論によって、民法、労働法の基本原則の適用を除外されてきたのである。
戦後日本国憲法のもとで、特別権力関係論は時代遅れの理論として克服されるに至った(室井・前掲書)。公務員の勤務関係についていえば、「公務員も自己の労働力の処分権を相手方に継続して委ね、かつ相手方の指揮の下で従属的労働に服し、相手方がこれに対して給与その他の報酬を支払うのであり、さらに、公務員になるかならないかは本人の自由であり、両当事者の意思の一致なしには公務員関係は成立し得ない」という意味において、私的労働契約となんら異なるところはないのである(室井・前掲書三八一貫)。
そうはいっても公務員は、国民「全体の奉仕者」であり、「公務」に従事する者であることから、法律によって、民間の労働者とは異なるさまざまな公的制限を受けている。そのため、公務員法制そのものは、包括的に公法上の制度だとする理解が依然として根強く残っており、これに対して私法上の法原則が一般的に排除されるという誤った解釈がなお一部に残っている。被告側の次の主張は、まさにそのような誤った理解に立脚するものである。
「……本件採用は公法上の任用であり、予定雇用期間満了後は当然に退職するものであることから、私法上の雇用契約であるとか、期限の定めのない公法上の任用であると解する余地はなく、解雇権濫用法理が類推適用されるとか、司法上の雇用契約において解除ないし雇止めが許される場合と同等の社会通念上の相当性を擁すると解される旨の原告の主張はその前提において失当である。」
このような理解は、かつての公法・私法峻別論の見地に立つもので、法の解釈を誤るものである。次にその理由を述べることにしたい。
4 まず指摘する必要があるのは、公法・私法二元論は、学界においても判例においてもすでに克服された理論だということである。
今日、行政法は公法だとする理解をとる学説は皆無に近いといってよく、ある行政上の法関係を、包括的に私法=民事法の及ばない関係として理解する学説は存しない。もちろん行政法が「行政に固有の法」である限り、すべての行政上の法関係に私法が適用されるわけではない。わが国行政法学の通説によれば、いわゆる権力的行政作用(道路交通行政のような警察作用)に属する法関係については、信義則や権利濫用の禁止(民法一条項三項)のような法の一般原則に関わる規定のようなものを除き、原則として私法の適用はないと解されている。しかしながら、いわゆる非権力的行政作用(たとえば、公共施設行政や、社会福祉行政のごとし)に属する法関係については、前者とは異なり原則として私法の適用があると解されている。ここでは行政の事業も、「私人がその事業を経営し、財産を管理する関係と類似する」(田中二郎『新版行政法上巻全訂第二版』八二頁)のであって、この法関係を行政法関係だとするのは、「それが公共の利益と密接に結びついた関係」(同上八二頁)だからであって、したがって、「特別の定めがなく、法全体の構造からみて特別の取り扱いをすべき趣旨が明らかにされえない限り、同様の関係は同様に取り扱うのが当然であるから、私法規定が適用又は類推適用されるといってよい」(同上八二頁)。
公務員の勤務関係が非権力的行政作用に属する。したがってこの関係に原則として私法の適用があるのはいうまでもない。問題は、公務員の勤務関係に関する特別の定めたる公務員法が、公務員法制にいかなる公法的特徴を与え、いかなる範囲で私法の適用を排除しているかである。次にその点に関して検討しよう。
5 国家公務員の勤務関係は、国家に労働力を提供し、その反対給付として給与を受けることを内容とする労働契約関係である。そのかぎりで、私法上の雇用契約と本質を同じくする。
ただ、公務員は、全体の奉仕者であり(憲法一五条二項)、またその従事する労働が、公務労働であることから、国家公務員法によって種々の公法的制約が加えられている。その内容は、憲法及び国家公務員法等によって定められている(室井・前掲書三九○頁参照)。そのいちいちについてここで言及する必要はないであろう。本件に関わる公務員の任免手続に限って、公務員法の定める特別規定をみておこう。
まず任用については、原則として競争試験により(法三六条)、任命という形式で行われる(法五五条、五六条)。任命という法形式はいわゆる行政処分と解されるため、任命によって成立する公務員の勤務関係は公法上のものであり、私法上のそれとは性質を異にするものとの理角牢があった。しかし今日それは、いわゆる形式的行政行為とされ、任命をめぐって紛争が生じたときの訴訟形式、すなわち取消訴訟を指定するという意味を持つに過ぎず、それによって成立する公務員の勤務関係を、全体として公法上のものとするわけでないことは学界の通説である。
少し敷衍しよう。公務員の勤務関係は、雇用者たる国・地方公共団体と被用者たる市民との間の労働契約関係である。ただし法は、前述のごとく、公務員の採用を公正ならしめるため、誰をどのようにして採用するかについて法定し、これを任命権者の判断にゆだねることにした。任命権者によるこの判断が形式的行政行為なのである。この判断によって被用者となるべき者が特定される。その後、この任命された者と国・地方公共団体との間で、私法上の労働契約が締結されることになる。このように、被用者を決定する過程は、雇用者が行政主体である──したがってその採用過程は公正でなくてはならない──ことから、いわば公法的な規律の下に置かれているが、そのことによって勤務関係そのものが、直ちに公法的な性質を帯びるわけではない。その限りで、公務員の勤務関係は民間の労働者のそれとなんら異なるものではないのである。
職を退く場合も同様である。但し、定年による退職については、格別の法行為は介在しない。これに対して自主的な退職の場合は、法令上は特別の定めがないが、学説上、退職願の受理という法形式(これも形式的行政行為である)がとられるものと解されている。分限、懲戒による退職については、法は明示的にこれを取消訴訟の対象にすることを定めている(法九二条の二)。いうまでもなく形式的行政行為である。これも任命の場合と同様、公務員の懲戒・分限処分の公正さを保持するためにとられた手続に他ならない。
以上のような取扱いは、公務員の特性に着目するものであり、それが常勤であるか非常勤であるかには関係しない。
以上みてきたように、現行国家公務員法が定める公務員の任免に関する特別の規定は、紛争が生じた場合の訴訟形式(民間のそれが当事者訴訟であるのに対して、公務員の場合は取消訴訟で争う)についてのみであり、どのような場合に退職が認められるかという、実体法上のものは存しない。つまり、公務員の勤務関係から解雇権濫用法理の適用を排除する特別の定めは存しないということである。
蛇足を加えるならば、仮に解雇権濫用法理が私法上のものであるとしても、それは民法一条三項の権利濫用の禁止という、法の一般原則に由来するものである。周知のように伝統的学説に理解にたっても、法の一般原則に関する定めは、公法・私法二元論を越えて公法関係にも適用されるというのが通説的理解である。そうだとすれば、公法・私法二元論を前提にしても、解雇権濫用法理が、公務員の勤務関係にも適用されるものであることは明らかである。
6 以上論じてきたところから明らかなように、本件採用が公法上の任用であることを理由に、本件解雇に解雇権濫用法理の適用がないとする被告の主張は、法令の解釈を誤るもので失当である。