私の2輪車遍歴
その1

 補助輪解除

5〜6歳の頃か?補助輪を外し自立する。            

ちょうどその頃、今は亡きおじさんのバイクのタンクの上に乗せられ
あまりにも強烈な爆音と風圧、異次元な加速感に学帽はブッ飛び  
涙はチョチョ切れ鼻水は耳にまで繋がり、            
それはそれは恐ろしい快感とも恐怖ともつかぬ体験をしたのだが、 
その記憶は未だ頭の中にショッキング劇場として脳裏に焼き付く。 

小学校の頃は主に友人Kと自転車でうろつく。          
あるときは本別まで泊まりでツーリングに行ったこともあった。  
その道中、道行く旅のライダー達にピースサインを投げかけては、 
いつの日か自分もバイクで自由に走り回るんだと心に誓う。    

中学に入った頃、当時180円だったMrバイク誌(一番安かった)
を隅から隅まで読みあさっては、Z400LTDのカッコ良さに痺れ
Z400FXのDOHC4発に驚喜し、今思うと生沢徹のまるで  
ウルトラマンのようなツナギの柄に憧れ、堀ひろこがビックバイクに
跨る姿に少年は心ときめかせたモノだった。           

ある時、親父がバイクを買う。                 
堀田家始まって以来の税金を払う乗り物だ。           
最初はカブを予定していたのだが、長男の一声でR&Pに決まる。 
このバイクが後のバイク観を大きく変えてしまう・・・      

HONDA R&P
驚異のパワーと重量感




確か中学入りたての頃か、家の前の僅か5〜6メートル程の短い  
場所でひたすら発進の猛練習をした。アクセルを煽りクラッチを  
恐る恐る繋いではエンストそしてまたエンストの繰り返し。     
勢いよくクラッチを繋げば今度は派手にウイリーそして転倒。   
時には手元を離れ勝手に暴走。                 
自転車しか乗った事のないこの頃の自分にとって         
R&Pの驚異的なパワーと重量感には、それまでに経験した事の無い
驚きと感動があり、発進とエンストせずに止まる事に悪戦苦闘したもんだ。

免許を取り、当時最先端のRG50ガンマを買うが、冬は軽4輪の 
スパイクを履かせ、友人でイカレたバンド仲間のY&その兄と共に 
真冬の大雪の中や夜の吹雪の中も吹き溜まりを乗り越え、     
時には真冬の然別湖に攻めに行き、コーナー毎に雪の壁に激突!  
雪路では無敵のR&Pのミラーには激しい雪しぶきと共に消えてゆく
Yブラザーズの無茶な走りに腹がよじれる程笑い転げたものだ。  

激走モンキー&若きし日のY




1982年 この当時、原付はノーヘルOKの時代。       
(R&Pで注意された事があったが違反ではなかった)      
角刈りレイバンで下はジャージのノーヘル50cc2ストアメリカンという
現在では考えられないような眉間にシワを寄せたイカした野郎が  
街の商店街に溶け込んでいたナイスな80年代。         

この頃アルバイト少年だった自分は、既にローン地獄に陥っていた。
小学〜中学にかけてギターやアンプのローンを払い、 
高校に入りギターからバイクへとローンを払い続け、  
現在も家のローンを払い続ける日々を送っている。



SUZUKI RG50Γ

GPレーサーRGΓ直系マシン!(笑)


地元の自転車屋にMBX50を注文するが、雑誌を見てRG50Γが
発売されたことを知り急遽学校からTELを入れガンマに変更。
最先端メカ満載!ANDF、フルフローターサス、6速ミッション
そしてGPレーサーRGΓ譲りの角形断面アルミ風フレーム。
そう、アルミ風だったのだ!
しばらくの間アルミと信じて疑わなかった・・・
まぁ、あの当時アルミで出していたら
今のドリーム50の比じゃないだろう。
そう言えば、カタログにはF・ウンチーニが写ってたっけ。
そしてある人は、ガンマじゃなくガンマンと呼んでくれた。



この当時ハイパワー競争の真っ只中で、遂にメーカーの自主規制が始まる。
しかしお粗末なモノでコネクター1個外せばメーターを振り切るという
実にユーザーに対し良心的な規制だった。



つづく