人は、特に苦労もせずにあたりまえのように歩いているようですが、宇宙船が
飛ぶ時代なのに、最近やっと2足歩行ができるロボットが開発されたばかりであ
ることを思うと、歩行することがいかに複雑で大変なことかが解ります。歩行障
害のある患者さんは痛切にそのことを感じられていることでしょう。
歩行障害に悩んでおられる方、また、歩行障害にならないよう心配している方に
少しでも役立てばと思い、歩行障害についてほんの少しだけですが述べてみました。
歩行するためにはどんな機能が関係しているの
歩行するためには
身体の位置を正確に認識して、下肢を歩行するために正確に動か
ことを適格に命令する機能
大脳皮質
(大脳の一番表面にある部分で、感覚系と運動系、そしてこれら
を統合する部分=歩行中枢)
命令の刺激を筋肉まで伝達する機能
大脳
脊髄
末梢神経
運動をスムースに行えるようにする機能
錐体外路系といわれる脳の深いところにある部分
歩行中や立っている時にうまくバランスをとる機能
小脳系
関節や身体の位置を知る感覚の経路
身体を動かすための機能
筋肉、骨、関節
その他(見る機能(眼)、平衡感覚機能(内耳)
歩くためにはたくさんの機能が必要です。これですべてというわけではありません。
少なくとも歩くために必要な現在の医学でわかっているものの主なものをあげてみまし
た。これだけでも複雑であることがわかります。
歩行障害にはどんな種類があるの
前の項で述べたいろいろな機能やそれを司る主な部分が障害されると、歩行
の障害が出現してきます。最もわかりやすい障害としては、膝や足の関節の
変形です。変形してしまうと歩行が困難になります。また、下肢の骨折をお
こせば歩けません。脊椎が変形したりして下肢にいく末梢神経や脊髄を障害
しても歩くのが困難になります。脊椎の異常が頚部にあっても、 命令の刺激
を筋肉まで伝達する機能や関節や身体の位置を知る感覚の経路は頚部の脊髄
を通 っているため、やはり歩行が困難になってきます。今まで述べてきた歩
行の障害は主に整形 外科の医師が治療してくれます。
さて、神経内科(脳神経内科)が治療する歩行障害の病気にはどのようなも
のがあるでしょう。
図は主に神経内科(脳神経内科)が扱う歩行の障害を図式化したものです。
少し分かりにくいかもしれませんが、そうむずかしくはありません。
歩行中枢というのは、身体の位置を正確に認識して、下肢を歩行するために正確に動
かすことを適格に命令する機能を司っているところで、ここが障害されると、歩行失行
といって、麻痺があるわけでも感覚の障害があるわけでもないのに、歩行の仕方がわ
からなくなってしまって歩けないという症状がでてきます。
錐体路系というのは、命令の刺激を筋肉まで伝達する機能を持っているところで大脳
から脊髄まで続いています。この経路が障害されると、歩く時下肢がつっぱって歩き
にくく(痙性歩行)、特に階段を降りるのがつらくなります。脳卒中のために身体の
半分が麻痺すると片側の下肢だけがこのような歩行になります(片麻痺歩行)。
下の図が片麻痺歩行を示していますが、歩行するときに右下肢がつっぱっています。
分まわし歩行ともいいます。
対麻痺歩行 片麻痺歩行
(両下肢の痙性歩行)
(図は平山恵造:神経症候学、文光堂より引用)
錐体外路系とは、運動をスムースに行えるようにする機能を持っています。ここが
障害されると、その場所によって大きく二つの歩行の障害が出現してきます。一つは、
パーキンソン病に代表されるパーキンソン歩行で、首が前に屈曲して、身体も前に傾
く姿勢となり、上肢や下肢の関節が曲がって伸び切らず、小股で歩くようになります。
歩く時に腕を振らずに歩きます。動作が緩慢になります。
他方、パーキンソン病とは異なった錐体外路系の部分が障害されると、パーキンソン
歩行とは反対に、自分の意志とは無関係に身体や四肢が勝手に動いてしまい、落ち着
きがないような状態になります。このような状態での歩行を不随意運動性歩行といい
ます。パーキンソン病の患者さんでもパーキンソン病のお薬を多く飲み過ぎているとこ
のような歩行障害がでてきます。
小脳系や関節や身体の位置を知る感覚の経路は、歩行中や立っている時にうまく
バランスをとる機能を持っています。ここが障害されると、ちょうどお酒を飲み過ぎて
ふらふらとあるくような状態になります。これを失調性歩行とか酩酊歩行といいます。
お酒を飲み過ぎると小脳系が障害されるためにこのような歩行になってしまうわけです
(図は平山恵造:神経症候学、文光堂より引用)。
末梢神経系は、命令の刺激を筋肉まで伝達する機能を持っています。ここが障害され
ると筋肉に力をいれることができなくなります。そのため、歩く時に足が下垂してしまい
(下垂歩行)、下肢を高く挙げても床からつま先が離れず、ずるようになってしまいます。
この歩行を鶏の歩きかたに似ているので鶏歩歩行といいます。階段を昇る時につま先が上の
段にあたってしまうため、昇りにくくなります。
筋肉系は、関節や骨を動かす機能を持っていますので、ここが障害されるともちろん力
がはいりません。筋肉の病気は主に四肢の体幹に近い部分の障害が強いため、身体を左右に
振りながら歩行します。そのため、この歩行を動揺性歩行といいます
(図は平山恵造:神経症候学、文光堂より引用)。
小刻み歩行というのがありますが、これは歳をとると歩行の機能全体が退化する
ために歩行が小刻みになってくることをいいますが、多発性脳梗塞などでもこの
ような歩行になってくることがあります。
脊髄性間歇性跛行というむずかしい名の歩行障害がありますが、これはなんらか
の原因で脊髄の血管の血流が悪くなっている時におこってきます。長い間歩いて
いると、血流が悪くなっている側の下肢に力が入らなくなり歩くことができなく
なってしまいますが、少し休むとまた力が入って歩けるようになるといった歩行
の異常のことです。
どんな病気で歩行障害がでるの
”歩行するためにはどんな機能が関係しているの”の項で述べた機能を障害
する病気はどんな病気でも歩行の障害が出現してくる可能性があるわけです。したがっ
て、たくさんの病気があります。ここでは、前の項で述べたいろいろな歩行障害で代表
的な病気をあげてみます。聞き慣れない病名が多いかもしれません。
歩行失行 多発性脳梗塞などの脳血管障害、脳腫瘍
痙性歩行 脳卒中などの脳血管障害、脳腫瘍、脊髄腫瘍、頚椎脊髄症
筋萎縮性側索硬化症、家族性痙性対麻痺、脊髄炎、脳性麻痺
パーキンソン歩行 パーキンソン病、脊髄小脳変性症の一部、
線条体黒室変性症、ウイルソン病
不随意運動性歩行 ハンチントン舞踏病、脳性麻痺、種々のジストニア、
ウイルソン病
失調性歩行 アルコール中毒、脊髄癆(梅毒)、フリードライッヒ病
脊髄小脳変性症、小脳炎、小脳腫瘍、小脳の血管障害、
糖尿病性仮性脊髄癆、悪性貧血、メニエル病、
椎骨脳底動脈循環不全、有機水銀中毒
鶏歩歩行 多発神経炎、遺伝性の末梢神経障害、坐骨神経麻痺、
総腓骨神経麻痺、筋強直性ジストロフィー、
脊髄性進行性筋萎縮症
動揺性歩行 筋ジストロフィー、クーゲルベルグ・ベーランダー病、
多発筋炎
小刻み歩行 老人、多発性脳梗塞
脊髄性間歇性歩行 脊髄血管の血流を悪くするような病気(椎間板ヘルニア、
脊髄腫瘍、脊髄血管奇形、梅毒性脊髄動脈炎など)
診断は
歩行の障害の病気はたくさんありますので、そのためには、まず、症状がいつか
ら、どのように出てきて、どのようになってきたのかを、詳しく教えて頂くことから
はじまります。また、歩行の障害以外に症状があればそれについても詳しくお聞きし
ます。また、いままでにかかった病気のことも聞きます。家族の方の病気も遺伝性や
家族性があるかどうかを確かめるためにお聞きします。
そして、内科的な診察と神経内科(脳神経内科)的な診察をします。その後考えられ
る病気を整理して、必要な検査をします。例えば、血液の検査、尿の検査、髄液の検
査、レントゲン検査、CT検査、筋電図検査、脳波検査、MRI検査などです。
治療法は
ここでおのおのの病気の治療法を述べると、本になってしまいます。だいじなこ
とは、正確な診断のもとで適格な治療をするということです。診断をまちがえると治
療法もまちがってしまいます。診断に時間がかかることもあると思いますが、あせら
ずに正確な診断をしてもらうことが最も大切なことです。
予防は
いわゆる成人病とか生活習慣病といわれている病気は、歩行の障害をおこしてく
る原因にとても密接に関連しています。これらの病気をお持ちの方はしっかりとその
病気の治療を行うことが大切です。また、歩行の障害を歳のせいだと簡単にあきらめ
たり、きめつけたりしないで、おかしいと思ったらすぐに医師に相談することが大事
です。思いもよらなかった重い病気のはじまりであったり、治療で簡単に歩行の障害
が治ったりすることもあります。
また、何も症状がなくても、定期的に健康診断を行うことも大切です。特に、脳の中
のことは外からは良く解らないことが多いので、脳のCT検査なども予防という観点か
らもとても大事な検査の一つです。
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