やる気ってのはある目標を達成しようとする気持ち。
その力を妨げるのは失敗するという気持ち。
だから失敗しても大丈夫、誰もキミを何もしない、バカにされない。
その気持ちがあれば向かっていけるはず。
そんなことは分かっているつもりなんですけどね。
でも心のそこではやはり失敗の意識が消えない、
だから極端に難しい目標を選んだり低い目標を選んだり...
難しい目標を選べば失敗しても「難しい」なんていう理由ができるわけから選んだりする。
理由や理屈にかっこつけて失敗した時の逃げ道だけを用意してる自分。
それを悪いとかは思わないし、かといって良いとも思わない。
弱い自分、なんて決めてしまえばそれまで。それを決めた後が大切だから。
強い自分にする、弱い自分を認める、など考えられるから。
自分を決めるのは所詮自分に過ぎないことを自覚できたらいいと思えるようになりたい。
2002/07/12 プラス思考
「やりぬける道を。」
「そして、生きる道を。」
なんて自分を慰める言葉ばかり。
でも、最後には自分で決める道。
過去と一緒に前に進めればいい。
次を目指して、前に進めればいい。
本当にそんな考えでいいのか?
笑えればいいのか、楽しければいいのか、生きればいいのか?
逃げなければいいのか、現実を受け止めればいいのか?
「それらに答えはない。」
それこそ自分への欺瞞だ。
答えから逃げてるだけ、それは本当?
探すことに夢中で今の自分を見失ってるだけだ。
だから探すのをやめて自分を見つめなおせばいい。
大切な何を見つけられるはず。
それが求めていた答えを導いてくれる。
2002/07/12 自然に導き出された答え。
何かが始まる時は違う何かが終わるとき。
でも、そんなことはどうでもいい。
何かが終わってもボクは前しか見ていない。
終わりを感じないで始まりを感じですすむのだから。
なんで僕が束縛されなければいけないの?
他人や過去や自分に縛られるの?
そんなの変じゃない?
僕のことはボクが考える、そして決める。
だから縛りつけないで!
2002/07/11 上の2つはその時気持ちを伝えただけ。
「現実」と「夢」
このふたつの違いはなんだろう?
夢だと思っているのが現実だったり、現実だと思っているのが夢だったりすることはありえるだろう。
なのに人は現実と夢の区別ができるようだ。
「夢」の中では自分の思い通りになることはあるかもしれない。
しかし、「現実」でも稀にだが起こりえることだ。
夢の出来事は「現実」では鮮明には覚えていない。
現実での出来事は「夢」では覚えていることも少ないだろう。
こうしてみると「現実」と「夢」では微妙な違いが出てくる。
「夢」のほうは現実の影響が出てくる。
「現実」には夢の影響はほとんどない。
この差が何を示しているのはわからない。
だがこれが「夢」と「現実」の区別をしている可能性もある。
しかし、まったく関係のない可能性もある。
いくらかの答えを出しているわけだがどれが正しいともわからない。
人によってまったく違ってくるわけだし、それは仕方のないことだ。
でもこれだけは分かる、「現実」から「夢」へ、「夢」は「現実」を観る、ということ。
一方的に「現実」から気持ち、知識、感覚などを「夢」に送りつける。
それは「夢」にとってはただの負担にしかならない。
でも「現実」は「夢」にモノを送りつづけることで新たな「現実」を受け入れる。
「夢」は「現実」を観ることと、「現実」から送りつけられているモノで過去の「現実」を補完している。
「夢」は新たな過去の「現実」を作るところ。
「現実」からは現実を、「夢」からは過去の新たな「現実」を作り出していく。
これらがつながっていくことですべてを補完し「現実」とも「夢」でもない何かを作り出している。
それは未来ではないだろうか?
「現実」と「夢」は絶え間ない現実を繋ぎ、未来を作り出しているのだろう。
2002/01/29 これは自分の現実と夢の考え方
後悔だけが残る。
なぜあの時自分は素直になれなかったのか?
相手を知っているふりをして全然分かっていなかった。
今の状態での先を考えているだけで現在の問題解決を考えていなかった。
昔繰り返した過ちを再び繰り返してた。
あのときのことを思い出していたのだが解決策は考えずにいた。
そんな自分がバカらしい。
でも相手は許してくれた。
このときボクは自分の器の小ささを思い知った…
なんて狭い世界で考えていたんだろう。
自分だけの世界でこの出来事を考えていた。
相手のことを考えていたつもりでも実は自分だけのことしか考えてなかった。
そんな自分がとても惨めだった。
2002/01/11 昔に書いたものです、現実に起こり思ったことを書いた。そして後悔は本物。
逃げ出したい、泣きたいというわけでじゃない。
空しい、寂しい、悲しい、それに近い気持ち。
言葉じゃ言い表せない気持ち、だからため息が出る。
遣り残したことがある。
それはすべて自分がやったことだ。
後悔はしない、したくない。
せめて、自分のやった行動には責任を持っていたいから。
自分の行動がどんなダメで愚かなことだとしても。
そして何度もよみがえるこの気持ち。
断ち切れ、断ち切れるまで。
その先を見るために。
2001/12/24 結局なにいってんだか分かりません、でもそれなりにね・・・
幸せは自分自身で探さなければ本当の幸せはやってこない。
果たしてそうだろうか?
本当の幸せは初めから自分が持っている。
僕はそう思う、探さなくても自分がすでに持っている。
ただそれに気が付いていないだけだ。
そしていつの日か気付くことだろう、それが幸せなのだと。
2001/12/17 幸せは日常にあるとは思うんだけどね、結構スキです、これ
「その気持ちわかるよ。」っていってくれる。
でも本当は他人の気持ちなんてわからない。
同じ経験、同じ体験をしたとしても。
人はみんなちがう『何か』を持っているから。
自分はどんな『何か』を持っているんだろう。
光るものかのか、先があるものなのか。
何度も何度でも探して求めて何が待っているのだろうか。
次を次を探しに、そしてそれはすばらしい。
やめられないほどすばらしいのだ。
2001/12/15 今の自分にはまだよくわかんない。
裏切り、すさみ、そんなものばかりが人間の本性なのかな?
他人をキズつけないようにしているようで実は他人をキズつけてると思う。
自分にとってほんの小さなことが他人をスゴクキズつけてる自分。
そんな自分が怖い、そんな自分がイヤだ。
でもキレイごとをいっていてもそれができないのが人間なのか?
現実から逃げようとして自分勝手な妄想の世界に入る。
自分のやっていることを理論で正当化しようとしている自分。
それでは根本的な問題解決にはなっていないことは分かっている。
だが自分からその問題に向かっていけない。
自分で自分を救済できない、あたりまえのことなのか?
スナオに自分を怒ってくれる人、やさしくしても相手のためにならないこともある。
スキだという気持ちだけ消えない、それはいつかは忘れてしまう出来事。
過去を引きずって生きている自分には今より過去が大事になっている。
前向きに生きようとしない自分、過去に縛られて今を進めない自分がいる。
しかし他人に答えを求めてはいけない、自分で見つけなければいけないのだ。
2001/11/18 自分を自分で無理やり救済、でもスキなんだな。
「励したい」でもできない、自分が「励ます」をできる資格があるのか?
今自分が相手を「励ます」前に自分を「励まさない」といけないだろうか?
そんなことを考えているうちに相手に何もできないまま時が過ぎていく。
トモダチだからといってムリに励ますことはないのではないか?
誰にだって自分にかまわないでいてほしいときがある。
そんなときに励まされたって嫌なだけだ。
なら相手から話し掛けてくるのを待てばいいのか?
そんなのはイヤだ、相手から話し掛けてくるのをまっているだけでいいのだろうか?
それではいつかは離れてしまうのではないか? 嫌われてしまうのではないか?
2001/11/17 本当に思ったことをそのまま書いた。
やっぱり他人のことばかり考えて行動しなければいけないのかな?
行動しないにしても他人のことを考えてあげないといけないのかな?
でも何で他の人のことを考えなければいけないの?
他人に好かれるためだけに考えているだけなの?
少なくとも自分はそれに当てはまるとだと思う。
自分は偽善に否定的な考えはもってないから別にかまわない。
でもやっぱり他人を考えることは大切だと思う。
大切というより考えないと社会生活では過ごしていけないじゃないかな?
他人のことを考えすぎで自分のことをおろそかになってしまってはどうしようもないのけど。
2001/11/17 あやふやな終わり方だけど、相手の立場を考えるとね。
生きがいのなくなった人間ってどうなるんだろう?
やることがなくなる、暇になる、その先には何があるのか。
きっと新しい生きがいを見つけることになるだろう。
今の自分の生きがいって何だろう?
なんとなく「ぼけ〜」とすごしているけど生きがいはあるのだろうか?
ただなんとなく生きているだけで今の自分には生きがいなんてない。
だから目標なんてない、ただ追いかけているだけもイヤだ。
追いかけるのではなく追い越したい、しかしその追い越したあとはどうなるのだろう。
追いかけるのは生きがいにしたくない、その先に何もないのだから。
2001/11/16 なんだかありきたりな気がするんだな、キライじゃないけど。
大切な記憶って自分は「今」なのかもしれない
この今生きているすべて時間が大切じゃないかな。
そんなこといってたら大切な記憶じゃないかも…
だったら大切な記憶が自分にはないのかもしれない。
自分で安い記憶なんていってるけど、安い記憶と思う
記憶は記憶で、高い安いや貴重とかいう上下は記憶にはつけられないと思う。
2001/11/15 深い意味はないけど普通だ。
過去を捨てることは決してできない。
過去を忘れることはできる、だが過去を消し去ることはできないのだ。
記憶を消しても過去を消すことはできない。
過去をどんなに悔やんでも過去が変化することはない。
人はコンピューターのように自由に記録を削除することができない。
嫌な過去は誰でも忘れてたいに決まっている。
過去を思い出し過去にとらわれて自由に動けない自分
過去は過去とわりきることができない自分
過去の出来事を永遠と悔やみつづける自分
どんなに悔やみ考えても過去は変わらないのに…
そんなことは分かりきっているのに過去にこだわる自分
なぜ人は自由に記憶を消すことができないようにできているのだろう?
嫌な出来事を再びおこさないために記憶が消せないようになっているからなのか?
自分は過去があるため今を自由に生きることができない。
今を生きれない、そんな過去は消し去りたい、それができない。
何故? 何故なの? 今を生きればいいはずなのになぜ過去を思い出すのだろうか
2001/11/14 自分的に凄い意味深い詩(?) スキ
いつまでも用意された道を歩いてる。
けっしてそれが嫌な訳じゃない。
でも、それでいいのだろうか。
このまま流されていてはいけない気がする。
だからといって「自立したい」とおもう気持ちはない。
ムリにする必要はない。一人では出来ないコトなんだから。
たった一人で生きていくのは「孤立」だ。
誰かから助けて生きていくのも「自立」だとおもう。
自分にはどうすることもできないわけじゃないんだ。
2001/11/13 もうそろそろ自立のときだから。
生きてるよね?
ボクはこうやってこの世界に存在してるよね?
憎しみ、悲しみ・・・ どんな感情をもっていてもいるんだよね?
でも、なんで死を実感できないの?
ありがとう
そんな一言ですべてが終わるならいい。
それならすべての悩みは消え去る。
だから何度でもいえる。ごめんね・・・
遠くへいく意識。
まだまだ、まだダメなのに。。
暗い闇に吸い込まれる、そして溶けていく気持ち。
何も考えられない、消える意識。
2002/07/11
あなたに送ります。
手紙を送ります。
それをみないでください。
あなたは手紙に涙をこぼすから。
言葉をおくります。
それを信じないでください。
わたしの想いではないから。
絵をおくります。
そして待っていてください。
ふたりで見たいから。
2002/03/17