ほぼ快晴と言える天気。
気持ちよい風が吹き抜けていく午後…
ちょっとした用事を済ませた響子は、久しぶりに教習所までの道を歩きながら帰っていた。
教官として適度に緊張しながら毎日教習車に乗っている響子にとっては、自分の足でゆっくりと近くの街並みを見ながら歩くのは、この上ない気分転換になっているのだった。
「由里達、ちゃんとやってるかしら。昨日も三人で騒いでたし…」
最近、幼馴染であり親友でもある北条由里とアルバイトの梶原理恵。それに先週から入校してきた皆本大祐の三人が、よく話しているところを教習所内で見かけるようになった。
どちらかと言うと由里の方が話かけているように見えて、親友としてもカマクラ自動車教習所所長としても、気にならずにはいられなかったのだ。
「ま、由里のことだからいつものパターンではしゃいでるだけだろうけど。仕事はちゃんとしてるだろうから…。まぁ大丈夫よね」
ちょっと心配そうな顔を何とか笑顔に変えながら、響子は暖かい日差しがこぼれる並木道をゆっくりと横切り、教習所への道を歩いている時だった。
「アキちゃんが押すから落としたんだよ!」
「そんなことないもん!ケイちゃんがうっかりしてるからだよー」
並木道が途切れる歩道に、まだ幼い二人の女の子が何かを言い争っている。
まだ真新しい赤のランドセルを背負った二人は、地面に転がったお弁当箱を間にしながら、ケンカを始めたところのようだった。
「せっかく残した卵焼きだったんだよ…。とってもおいしいかったのにぃ…」
ケイと呼ばれた女の子は少しずつ目に涙を溜めつつ、うつむきながら落ちたお弁当箱を見つめていた。
見ると残っていたオカズのいくつかが、道路に飛び出てしまっている。
「落ちちゃったのは仕方ないわね。ちゃんと説明すればお母さんも怒らないから…ね。ほら、涙をふいて」
響子は泣き出しそうな女の子に駆け寄ると膝を落とし、手にしたハンカチで女の子の瞳を優しくふいていた。
なかなか泣き止みそうもない女の子を見つめながら、ふと小さな頃を思い出し、その姿を重ね合わせている自分。
響子も小さな頃は、たまに泣くことがあった。でも、いつも隣には…
「卵焼き、アキちゃんと一緒に食べたくて残してたなのにぃ…。うぅ…」
お弁当を落としたから、泣いているわけじゃない。隣の女の子と一緒に食べたかったのだ…
だが、この子にとっては残念なカタチでそれがダメになってしまった。響子はゆっくりと泣いている女の子の頭を優しく撫でながら、話しかけた。
「大丈夫よ。今日は卵焼き落としちゃったけど、また作ってもらったとき、二人で食べたらいいわよ、ね!」
二人のやりとりを見ていたもう一人の女の子は落ちたお弁当箱を拾い上げると、中から落ち損ねていたきれいな卵焼きの一切れを見つけ出し、それを二つに分けると片方を自分の口に放り込み、嬉しそうに食べ始めた。
「ほら、ケイ!泣いてないで、お口あけなよ」
突然友達から呼ばれたケイは泣くことを忘れ、呆然とした顔の口を言われた通り小さく開けた。
『ッポイ!』
アキは残っていた卵焼きをケイの口へと持ってった。
ほんの小さな卵焼きの一切れを、二人で分け合った女の子達。
もう、これからのケンカも涙の続きも、二人にはいらないものになっていた。
響子は微かに微笑みながらも落としたお弁当箱を元に戻し、ケイと言う女の子へ手渡していた。
「今度はちゃんとテーブルで、二人で食べなさい。もっともっと美味しいはずだからね♪」
「「うん!」」
二人は手をつなぐと、ゆっくりと帰り道を歩き始めだした。
「ありがとう、おねぇちゃん!」
ケイは響子に笑顔でお礼を言いなが手を振っていた。アキも一緒に手を振ってくれている。
そんな二人に響子も笑顔で手を振り返していた。
「やっぱり、<親友>にはかなわないわね」
確かずっと小さな頃、あんな風に由里と学校から帰っていた頃があったなぁ…
昔を懐かしむ響子。
だが少しずつ離れていく二人を見送っていた片隅に、見知った顔と見馴れた青い教習車が反対車線に止まっていることに気がつき、響子は絶句していた。
「み、皆本くん!こんなところで何してるの」
運転席から響子を見ていた大祐は、何故か引きつった顔を見せながら響子に挨拶を返していた。
「い、いやぁ〜こんな所で響子さんが歩いてくるなんて、思ってもみませんでしたよ。よかったですね、あの二人ちゃんと仲直り出来たみたいで」
007号車に駆け寄った響子は、恥ずかしそうな顔で話し掛けた。
「見てたの…もう。何だか恥ずかしいじゃない」
「僕も行こうかって思ったんですが、車から離れられなかったし、そうしたら響子さんが歩いて来て。響子さん、すごく優しく二人に接してたから、なんか安心しちゃって…」
「・・・そ、そんなことないわ。私はいつもどおりだったわよ」
少し赤くなりながらも、教習所での朝比奈響子に戻ろうとする自分。
ただ、なぜか皆本大祐の前では自然といつもの自分になってしまう気がするのは…気のせいだそうか。
そんなことを思う響子だったが、少しずつ今の状況を冷静に考えてしまい…、そしていつもの口調に戻ると大祐に質問を投げかけていた。
「ねぇ、ミ・ナ・モ・トくん。あなた今、路上教習じゃなかったわよねぇ」
「・・・え、えぇ・・・」
「その車の運転手は言わなくても分かるんだけど、今どこに行ってるのかしら…。あなたを運転席に座らせたまま…」
段々とトーンが上がっていく響子の声に、焦り出す大祐。
言えない…。ここまで僕が運転してきたなんてことは…。絶対に…
「あ、由里さんがケーキ予約してたらしくて、出来たからちょっと寄りたいって。…で、駐車場がないからちょっとだけ僕が運転席で待ってることになりまして…」
徐々に声のトーンを落としながらも、説明する大祐。
ケーキの話は本当だし、僕の運転のことは言えないから…。ゴメンなさい、由里さん!
「まったく、由里ったら。教習中に買い物に出るなんて、あとでキッチリと言っておかないといけないわね!皆本君、助手席に移ってくれる?」
「あ、響子さんや理恵ちゃん達の分も買ってるっていってましたよ…」
席を替わる大祐の一言を聞きながら、ちょっと間を置いてタメ息をつく響子。
運転席に流れるような動作で座り、エンジンをかける。
「皆本君。もう卵焼きやケーキで笑って許せるような時期は、私と由里は通りすぎてるの。それに仕事中なんだから、その辺はハッキリさせとかないとね」
「そ、そうですよね…」
困ったように頷く大祐。
「ま、ケーキの大きさによっては、少しくらい手加減してあげてもいいけど」
バックミラーにはお店を出てこようとしている由里の姿が、ちょっとだけ見える。
だが、響子は後方確認を終えると方向指示器を出し、きれいなスタートで車道へと007号車を走らせはじめた。
カマクラ自動車教習所まで、せいぜい歩いても15分とかからない。
久しぶりにイタズラをした気分の響子は、ちょっとだけ子供の頃の気持ちに帰ったような気がした…
心地よい風を受けながら、二人を乗せた007号車は元来た道を戻り始めた。
今日も午後の教習や他の仕事が、教習所で響子を待っている。
だが、いつもより何だか気持ちが軽い気がする…
軽快なエンジン音と共に、響子の午後は始まったばかりだった…
−END−
|