１．『清水　代歩』
「あっれー、君だれ。ＩＤ間違えたかのかな？」
　ビジュアルフォンに映った少女は唐突にそう言った。
　確かにそういう反応が帰ってくるのは間違いないと思う。僕もその少女のことは知るはずが無いのだから‥‥。
「あ、もしかして彼のお友達とか？　都合悪い時間なら切っちゃうから、代歩からＴＥＬがあったって伝えてくれるかな。それじゃ」
　代歩と名のった少女がヴィジュアルフォン（ＶＨ）を切ろうとした瞬間、僕は今の状況をわかりやくす丁寧に説明し始めていた。
　本来、僕がそんなことをする必要はない。自分でもなぜそのまま回線を切らなかったのか、後になって考えてもわからなかった。
「・・・じゃ、あなた、人の電話に勝手に出たわけ？普通しないと思うけどなぁ・・・」
　そう‥、確かにこのビジュアルフォンは僕の物ではない。多分、前の講義に出ていたこの大学の生徒の忘れ物だろう。
　代歩はこの携帯の持ち主のことを説明してくれると、同じクラスではないが僕の知っている同学年の男子生徒だとわかった。明日、同じ講義に出席するから返しておくよと説明したのだが、代歩は時間があるならちょっと話そう‥と言い出し、気が付くとそのままトークモードへ勝手に入っていった‥‥
　僕は、彼女が楽しそうに話すこのＶＨの持ち主との出会いとか、親友の話とかを何となく聞き入ってしまっていた。
　代歩が表情豊かにしゃべる顔を見ていると、なぜか前から知っている友達みたいな気がして、不思議と僕も彼女の言葉に曖昧な返事を返していた。
　そんな代歩の代歩の顔を見ながらふっと、僕はなぜかおかしくなってしまった。
「でっしょー。きみもエーゲ海を見たら感激するよー。絶対！ね、聞いてる？」
　代歩は僕の顔を食い入るように見ながら、不満そうに声を上げていた。
「ごめんごめん。ちょっと考え事してしまって‥‥」
「どーせ、彼女の事でも考えてたんでしょ。いーわよねー、相手のいる人は」
「い、いないよ。君みたいに頑張ってプッシュしてくれる女の子もいないしね」
　そう言うと、代歩は頬を赤らめ言葉か続かなくなったように両手を振ったり、少し小さくなった声で早口に何か言っている。
　さっきまで初対面の男性を相手に、いろいろと話していた少女とは思えない慌て振りに、ふと僕は微笑んでしまった。
　‥と同時に、こんな彼女がいると少しは自分か変わるかな‥なんてことも考えてしまう。
「大丈夫だよ。夏に会ってヴィジュアルフォンで話すようになって、もう３ヶ月経つんだろう‥。嫌いな相手となら絶対続かないって。自信を持ちなよ。経験者が言ってるんだから、間違いないって」
　僕は代穂を応援するようにＶＨに話しかけていた。ちょっと余計なことも言ってしまったけど（汗）。
「そう思う？‥‥かな」
　照れ笑いと少し不安そうな顔を見せながらも、代歩は最初の元気な顔へ戻っていた。
　僕は微笑みながら、やさしく頷く。
　昔のＴＥＬなら言葉で伝えなければいけないけど、ＶＨならありのままの表情で相手を安心させることが出来る。そう、今のように‥
「君もいい人が現れるとイイね。もしそんな人がいるんなら、私みたいに積極的にいかなきゃダメだよ！　もし私で役立つ事があるなら、何でも聞いてよね！せっかく知合え‥」
「ね、君の学校のチャイム。鳴ってない？」
　代歩が元気を取り戻して、僕のために気の利いたことを言ってくれてるのはとても嬉しかったけど、彼女の声と一緒に僕の大学とは違う始業のチャイムがＶＨのスピーカーから流れ始めていた。
「いっけなーい！次の授業、特別教室棟だった。ごめんね。また連絡するから、それじゃね」
　その言葉が終わる瞬間、ＶＨは通信を終え、待機画面に切り替わっていた。
　次に連絡を入れた時は、多分この携帯ＶＨは持ち主の元へ帰っている頃だろう。
　どうやら高校生だったみたいだけど。‥‥‥ちょっと忙しい娘だったな。
　そんなことを考えながら、僕はまるで自分のＶＨのように慣れた手つきで電源をＯＦＦにし、上着のポケットに入れキャンパスを歩き始めた。

２．『岡野　由香』
「あれ、君だれ？ＶＨのデータ転送、失敗したかな」
　代歩と話して数時間後。そろそろ３時を過ぎるかという時間に拾ったＶＨからまた着信音がなり、僕はついその着信を繋いでしまっていた。
　ＶＨに映っているのは、もちろん僕の知っている人物ではない。さっき少しだけ話した清水代歩と言う少女でもなかった。
　ただ代歩と同じ制服を着ていて、ショートカットでメガネをかけていたので、代歩の話しに出ていた『岡野』と言う名前が、頭の中で自然と浮かんできていた。
　彼女の背中に見える背景が、どう見ても学校の電算室にしか見えなかったのが、一番の理由だけど。
「あの、もしかして、岡野‥‥さんって名前じゃないかな？」
「ちょっと、私はあんたの事なんか知らないよ！　まさか新手のハッカーとかじゃないだろうね。私のガードチェックを超えるなんて！」
　少し警戒するようなキツイ目つきで僕を見返す少女の顔を見ながら、代歩が話していた通りの感じの娘だな‥‥って思い、つい笑いこんでしまった。
「ごめんごめん。清水さんが話してた通りの感じだったんで、つい‥‥」
　僕は今までの経緯を簡単に説明して、ついでに代歩と話したことも岡野由香と言う少女に説明していた。
　名前を知っていた理由を聞かされた由香は「代歩のヤツ！」とか言いながらも、僕の話しを最後まで聞いてくれた。
「しっかし君もよく拾ったＶＨで話しが出来るね！私ならとっくに警察がどっかへもっていってるよ」
　本当かどうかはわからないけど、なんだか彼女が機嫌が悪い事だけは間違いない‥‥と僕は感じていた。
「ま、確かに人のＶＨに出たのはマズかったって思ってるよ。持ち主じゃないヤツが出てきて、君をガッカリさせたことも誤るよ」
　僕が本音を口にした途端、由香はすこし戸惑ったように口ごもる。と、同時に怒鳴るように顔を赤くしながらＶＨに向かって声を張り上げてきた。
「ガ、ガッカリしてるってなんだよ！私がガッカリしてるわけないでしょう。まったく！これ以上言ったら、君のＶＨのアドレスを調べて思いっきりスペシャルなウィルス流すからね！さっさとＶＨは返しなよ。それじゃ！！」
「‥‥‥」
　やはりこれ以上、このＶＨには出ない方がいいだろう。
　由香に言い返す間も無く、ＶＨは通信終了のメッセージをディスプレイに表示していた。
　しかし、年下の女子高生からこうも連絡が入るなんて、正直羨ましい‥‥と言うか、後々大変じゃないかな…なんて事を勝手に考えながら、講義の終わった大学を出て街中へと歩き始めていた。
　今日は友達と頼んでいた泊り込みスキーパックのチケットを旅行代理店へ受取りに行かなければならなかった。
　もちろん、今は彼女なんていないから、大学の男友達と二人でクリスマス直前の休日を過ごす予定になっていた…。
　ふと、代歩や由香と話したのが原因なのか、少し寂しい気分になってしまった‥‥
 
2.5『北条　由里』
　駅前の大きなロータリー。
　いつもならただの通り道なのだが、今日はちょっと違う。
　青信号。
　進みだす車やバイクを見ながら、どう見ても僕に突っ込んで来ているようにしか見えない二人乗りのバイクに、僕は体が固まって動けなくなってしまった。
　次の瞬間、見事なテクでバイクは僕を避けてちょっと先に急停止する。
　が、その反動で後ろに乗っていた男性は手が外れ、ふっとバイクから飛ばされ、すぐ横の看板にブチ当たる‥‥
「だいじょーぶ！皆本君！」
　運転していた女性ライダーはすぐさま駆け寄り、飛ばされた男性を抱え起こした。僕もついビックリしてしまい、文句を言うことも忘れ駆け寄ってしまう。
「あ、あの、大丈夫ですか」
　男性はメットを外しながら、何事も無かったかのように立ち上がり、慌てた口調で女性ライダーに言葉を返す。
「由里さん！何ボーっとしてるんですか。僕はともかく、人を巻き添えにするところだったんですよ！　自動車学校の教官がそんなんじゃヤバイですよ！」
「ごめーん。だって初めての街だし、つい横を見てたら‥‥ねぇ、機嫌直してよ〜。君もビックリさせてごめんね」
　僕は「はぁ‥」と一言。それ以外言葉が口から出てこなかった‥‥
　僕と同い年くらいの吹っ飛んだ彼は、吹っ飛ばした彼女と二言三言言い合うと、なぜか負けたような顔をしながら肩を落としてしまった。
　どうやら、イニティアシブは彼女の方にあるらしい。僕も怒る気が逸れてしまって、とりあえず二人に声をかける。
「あの‥‥彼氏の方、大丈夫です？　一応病院とか行かなくていいんですか？」
　長い髪とマッチして、かなり美人の彼女に話す。その言葉を聞くとなぜか嬉しそうな顔になる。ついさっきバイクで僕を轢きそうになった人とは、とても思えない‥‥。
「彼氏‥に見える！やっぱり！　これで皆本君が車の免許を取ってくれれば、バッチリなのになぁ‥」
「‥あの‥」
「由里さん、何話し込んでるんですか！響子さんや理恵ちゃん、ずっと待ってるんですよ。早く教習所に戻らないと！」
　何か急いでいるらしく、由里と呼ばれた彼女は僕に謝ると直ぐにバイクにまたがり、彼氏を乗せて急発進する。
　僕はもう少しで人生を終えていたかも知れない事を考えながら、今日はいろいろと起こる日だと思いつつ、何事も無かったかのように代理店への道を再び歩き始めた。
「・・・気の強い彼女はやっぱり‥‥だな・・・」
　次の瞬間、鎌倉自動車教習所のカリスマ美人教官『北条　由里』は、バイクのアクセルを吹かしながら、大きなクシャミをメットの中で爆発させていた‥‥

３．『佐野倉　恵壬』
　「‥‥しまった」
　旅行代理店で用事を済ませ、自分の部屋へ帰ってから数時間後。
　もう受けるまい‥‥と思っていたＶＨに、ついまた出てしまっていた。
　自分のＶＨをカバンに入れていることを忘れ、ついポケットに入れたままの拾ったＶＨに出てしまう自分。もう携帯しているＶＨは自然と出てしまう癖がついてしまっている事を、今さらながらに実感してしまった。
「あ、あの‥、おかしいなあ。間違えたのかしら」
　ＶＨに映った少女はどうやら自分の部屋からかけてきたらしい。代歩でも由香でもなく少し落ち着いた雰囲気の少女だった‥‥。多分代歩が言っていた佐野倉‥とか言う友達。　・・・佐野倉って、どこかで・・・。
「間違ってたら失礼だけど、もしかして佐野倉さん？」
　ＶＨの少女はキョトンとした顔で少し間をおいた後、ゆっくり首を縦に振った。と、同時に僕はこの顔を思い出していた。あの高校陸上の佐野倉恵壬じゃないか！
　不思議そうな顔をしている佐野倉恵壬に、僕はことの経緯から代歩や由香と話したことを説明し、彼女がＶＨをかけ間違っていない事を伝えていた。
「そうですか。代歩や由香もかけてたんだ。それで名前を知ってたんですね」
　そう答える彼女は何だか複雑な思いをしているような感じで、苦笑しながらそう言った。
「でも佐野倉さんの場合、僕は名前を知ってたよ。高校陸上界じゃ君って有名だし、僕も去年まで陸上してたしね」
　大学に入るまで、僕は陸上部に所属していた。もちろん彼女のように陸上誌に載るような成績の選手ではなく、ただ好きで走っていただけなのだが。
「有名だなんて‥‥」
　あまり嬉しそうな顔ではない。多分、みんなからもそう言われているのだろう‥と僕は思った。そして、それ以外に彼女の最初の言葉も気になっていた。ただ何となく‥‥。
「あの、もしかして清水さんや岡野さんのこと話したのが気になったのならごめんね。今日の出来事を気にしないでそのまま口にしたから‥‥」
　そう、さっき彼女は『代歩や由香も』と言っていた。つい言葉に出たのだろうが、この言葉か何故か気になっていた。そして、その理由もだいたい見当がつく。
　「・・・やっぱり、顔に出ちゃったのかな。初対面の人にそこまでわかっちゃうなんて」
　元気のない顔で笑いながら、彼女は僕が言った言葉が当たっていたことを素直に認めていた。陸上誌に載っていた佐野倉恵壬の顔とは全然違う、女子高生らしい顔に思えて仕方なかった。
「僕が言う事じゃないと思うけど、佐野倉さんが『今走っているレース』って、まだ勝負なんかついてないし、ある意味ラストスパート‥‥ってトコじゃないかな。今日、君達三人と話してて、なんかそんな感じがしたよ。余計なことだと思うけど‥」
　ＶＨの彼女は驚いたように僕を見て、そして微かに微笑んでくれたようだった。
「‥‥さすがは年上‥‥ですね。私は代歩や由香と競うって言うか、レースをしてるつもりなんかなかったけど、あなたの言う通りなのかも知れない。そう言われたら、何だかスッキリしちゃった。心の中にあった濃い霧みたいなのが‥‥」
　正直、僕は何て言ったらいいか言葉が続かなかった。
　ただ、偶然拾ったＶＨを通して、僕はどこにでもある現在進行形の恋愛の一つにかかわってしまった事を意識してしまった。
　決して介在するはすの無かった僕が、三人の少女達と同じ大学の一人の間にノイズのようにジャマをしてしまったのかも知れない‥‥
「もしかしたら、もう最終コーナーをまわり始めてるかも知れないですね。ちょっと話しただけのあなたに言うのもおかしいけど。私、ラストスパートするかもしれない‥‥。代歩や由香に負けたくないって、今ハッキリとわかったから‥‥。それじゃ、ちょっと恥ずかしいから、切りますね。ありがとう」
　そう言って、恵壬は手を軽く振ってＶＨを切った。
　僕もゆっくりした動作で手に持ったＶＨの電源を完全に落とし、カバンの中にしまい込んだ。もう着信音が鳴ることもないし、たとえ鳴ったとしても絶対に取らないだろう。
「・・・何やってるんだ・・・」
　僕には関係無い恋愛の一つに対して、少し切ない思いをしている自分に正直驚きながらも、何も出来ず、何も言えず、何もする事が出来ないことが無性に情けなく思えてならなかった‥‥‥。

４．『そして、僕‥』
　彼女達三人と話した日から、もう一ヶ月近く経っている。
　拾ったＶＨを本当の持ち主に返し、その後彼女達がどうしているのか、僕には知る由もなかった‥‥。そして、同時に何故だかあまり知りたいとも思わなかった。
　そんな事を白い雪原が続く小高い山の片隅で、僕は考えていた。
　本当なら友達と来るはずだったクリスマスイブの今日。寸前になってスキーをキャンセルした友達をちょっと恨み（‥‥いや、『思いっきり』に訂正しよう）ながら、僕はたった一人で泊りがけのスキーに来ていたのだ。
　元々そんなにスキーが上手ではないのだが、今日はちょっと無理して結構上の方まで昇ってしまっている。
　そして滑り出したはいいが、上手く自分を動かせないためか徐々にスピードを増して行く。
　人が少ないのが幸してぶつかる事は何とか回避してるけど、だからと言ってどうにも出来なくなってきている自分にどうしていいかわからない。
『ど、どいて！』
　多分聞こえてないだろうけど、僕はつい大声で叫んでいた。
　既に自分で止まれないスピードに焦りながら、ショートカットに黄色い帽子の少女の真横を突き進み、そのちょっと先でロングへヤーで優雅に滑っている少女をあっと言う間に追い越してしまった。そして、その先を滑るポニーテールの少女の驚く顔を横目にすごいスピードで追い越した瞬間、視界は一瞬真っ白になって、青空が広がる。
　どんな体勢でどうなったのかわからなかったが、僕は雪の中に突っ込んでしまったことだけは間違いない‥‥。顔にあたる冷たい雪がそう語っているから。
　空は青く、澄み切っている。僕は変な格好のまま、雪の中から空を見上げ、体の至る所が悲鳴を上げていることを実感し始めていた。
　ふと、見上げた空に突然現れた三人のスキーヤー（さっき追い越した少女達だった）が僕の顔を覗き込みながら、少し心配そうな顔でハモるように声をかけてきた。
「「「だいじょーぶですかぁ？」」」


　僕はこの日、『橘　柚実』、『門倉　千紗都』、『碧川　涼』の三人と出会った‥‥

　そう、僕は知らない間にこれから始まる四人の物語をスタートさせていたのだ‥‥
　雪の舞う季節から、桜舞う季節へ向けて、物語は静かに舞い始めた‥‥

−ＥＮＤ−