月姫蒼香誕生日記念SS 「玻璃佳譚 つきひめかたん」

文:吉海堂(吉海堂本舗
絵:桜二等兵(うらしめ)



   ――――そこに意味を問うのは野暮というものだった。
 なぜならば、それこそが主張であり理由であり信念である。悪趣味かどうかという議論は、着る前に尽くすべきものなのだ。覚悟を決めなければ袖を通せない衣装というのは、確かに存在する。
 たとえるなら、白無垢の花嫁衣裳。
 簡単に済ませるのであれば、書類一枚で事足りる時勢である。それさえ面倒で、共に過ごすという事実のみを唯ひとつの証として夫婦を続けるものもいる。もちろん、その薄っぺらい紙一枚さえ整えられぬ事情を抱えた者も、世の中には少なくない。
 矛盾を抱えた者。
 法に認められず、社会に認められず、それでも貫くしかない決意を抱えた者。そういう者は、時として別の形をもって証を求めようとする。
 たとえるなら、白無垢の花嫁衣裳。
 大事なのは精神性であり、当人の意思だ。貫くべき情念があれば、魂は腐らない。迎合するな、己を保て、あたしはあたし以外の何者でもないし、何色にも染まったりはしない。呪文めいた言葉を頭の中で何度も繰り返しながら、あたしは努めて冷静であろうとした。
 ――――できるわけがない。
 狭い試着室の壁には、姿見の鏡。レースとフリルをふんだんに用いた、黒を基調としたドレスを着た少女がそこに映っている。細身かつ背丈の低い体躯を茎とすれば、膨らんで広がるスカートは黒薔薇の花弁か。カチューシャ代わりに頭を飾るヘッドドレスは小さな黒薔薇がレースとビーズで描かれ、首輪の如く巻きつけられた幅広のチョーカーは透かし編みの逸品。気に入らないのか不機嫌そうに構えても、それが退廃的な印象ある衣服を身に馴染ませる結果となってしまう。クールに振舞おうとするほど、冷徹な女であろうとするほど、鏡に映る少女は――――つまり、月姫蒼香であるあたしは、ゴシック様式ののロリータスタイルを着用している事実を認めるか否かで大いに悩んでいた。




 玻璃佳譚 つきひめかたん


 1/6 はじまりの前

 私立浅上女学院といえば近隣にも名の知れ渡った、由緒正しき名門のお嬢様学校である。創立より五十余念を重ねた歴史というものは、しかしながら校舎や寄宿舎の老朽化と無縁ではいられない。
 宮大工が技術の粋を尽くし材料を吟味したのであれば、数百の年月を耐え得るものも建てられただろう。だが、所詮は学び舎である。十代の貴重な六年間を不毛にも閉じ込めてしまう青春の牢獄は、怨念めいた若人の想いを受け続けて寿命を大きくすり減らしたに違いない。五十周年を迎えるのを前後して校舎を移転し寄宿舎を改築する旨が通達された時、多くの生徒は古臭い木造の寄宿舎から近代的な住居に移れることを素直に喜んでいた。
 なるほど、それは十代の少女としては当然の反応かもしれない。
 半世紀前といえば、大工が己の技を存分に振るうことができた時代ではないか。下請け孫請けに仕事を丸投げして金を搾取する無粋な輩も、コンクリートに海砂をぶちこむ輩も、今ほどはいなかったに違いない。当時の匠の技を惜しみ保存運動を起こそうとする卒業生や父兄もいたが、結局のところ現役で寄宿舎で寝起きしている者の都合が優先される結果となった。
 友人でありルームメイトだった遠野秋葉が寄宿舎を出て自宅通学に切り替えたのは、改築工事が始まる直前だったと記憶している。
 父親の死により遠野グループの代表に就いたこと、勘当されていた兄を呼び戻したこと。遠野の屋敷がある三咲町の連続殺人事件を含め、自分と同い年の少女が潜り抜けているであろう修羅場の数々は自然と噂になった。以前より彼女を目の敵にしていた上級生たちは今更ながらに格の違いを思い知り、遠野を正面から敵に廻すことをやめた。
 そうして次の夏には寄宿舎の改築工事は終わり。
 ――――秋になって、再度の大幅な工事が始まった。
「うわぁー、すごいね蒼ちゃん。これ人の形してるよー?」
 平行四辺形にひしゃげた寄宿舎を前に、同じくルームメイトの三澤羽居が無邪気そうに笑いながら壁の一角を指差している。そこには羽居の指摘する通り、人型としか形容できない凹みが鉄筋コンクリートの壁に穿たれていた。解体工事用の鉄球を叩きつけたところで、寄宿舎全体が傾き崩れるなどありえない。が、この非常識な穴以外に寄宿舎そのものへの破壊の痕跡はない。
「秋葉ちゃんが暴れたって、ここまでは壊れないよねー?」
「そうか?」
 たとえ遠野が浅上女学院史上稀に見る女だとしても、それは人間という尺度でしかない。財力や権力で寄宿舎を物理的に破壊するのは不可能だ。
「うーん、秋葉ちゃんなら案外できるのかなー?」
 あたしの疑問を逆に解釈したのか、羽居は腕を組みつつしきりに頷いている。そこを指摘するのも面倒なので黙っていると、話題の人物が背後に現れて、遠慮なく羽居の後頭部にスリッパを叩きつけた。
「いったぁー、秋葉ちゃん容赦ないよー?」
 さして痛そうな顔もせず羽居が振り返れば、制服姿の遠野は瓦礫の下より拾った件の鈍器を放り捨て、胡乱な目を羽居に向ける。
「そう? 壁にもう一人分の穴があかなかっただけでも、幸運に思って欲しいわね」
「ひいいー、秋葉ちゃん本気だよー」
 あまり冗談に聞こえない物騒なことを口にして、遠野は壁の大穴を一瞥した。自宅通学している彼女は事件当夜の様子を知る術などないが、破壊の痕跡に呆れていたのは確かだ。
「建物の基礎から崩れているから、改修は無理みたいね。土台から立て直すしかないって、生徒会にも情報が流れてきたわ」
「こんな状態で住み続けたら、三日も経たずに死人が出る。校庭にテント張って野宿するのも悪くはないが」
 学園にも面子がある。
 いや、名門であればこそ面子のために命をかけることもある。そんなものに人生を振り回されるのは真っ平だが、学校の面子が生徒の生命健康に直結しているのであれば他に選択肢はない。
「通学可能な生徒は自宅に戻されるみたい。あと、家が遠い生徒のために近場の集合住宅を借り上げるそうよ……焼け石に水だけど」
「当然だな」
 良家の子女を集めた名門とはいえ、中高一貫の体制ともなれば生徒数は少なくない。あたしのように他県から放り込まれた生徒は、寄宿舎を追い出されてしまうと文字通りの行き場を失ってしまう。通学圏内にあるマンションを貸しきったところで、需要を満たせるとは思えない。
「当然よね」
 仕方ないといった顔で、遠野が何度も頷いていた。
 その後、彼女がどういう経緯であたしたちに提案し、それをあたし達が承諾したのか語るのは野暮きわまりないことなので割愛する。遠野家の邸宅を一部生徒の受け入れに提供するという彼女の発言は、遠野秋葉という女性を理解している者にとっては驚愕すべき内容だった。
 が、その誘いに乗った数名の生徒――――三澤羽居、瀬尾晶、そしてこの月姫蒼香は、恒常的に闖入者と居候らが引き起こすトラブルに振り回される、遠野の非常識な日常を垣間見ることになる。
 ……やれやれ。


 2/6 露天風呂、天候・血の雨

 丘の上の遠野のお屋敷。
 三咲町に住む者ならば誰もが知っているという、由緒正しい洋館がそこにある。館を守るように森が広がり、その森に飲み込まれるように和風の邸宅が隠れている。森を含めた敷地一帯を囲む鉄柵は、遠野の屋敷を外界より隔絶するような結界にも見える。
 いわく、遠野の屋敷はバケモノ屋敷。
 遠野秋葉という人物を知っているなら、他愛のない噂に隠された真実に驚くことだろう。そして、あたしは現実の遠野が噂以上のバケモノっぷりを露呈していることに少なからず呆れていた。
 目の前には、腰にタオルを巻いた男が一人。遠野の激昂により吹き飛ばされ、仰向けに倒れている。
 その胸には杭でも打ちこまれたような傷跡があり、顔面には拳の跡と爪で引っ掻いたような生傷が浮かんでいる。これほどの打撃を喰らえば普通はレンズもまとめて砕け散りそうなものだが、男のかけている眼鏡はフレームさえ歪んでいない。
「兄さんの馬鹿っ!」
 普段着のまま露天風呂突撃した遠野は、膝まで湯に漬かりながらも怒りをあたしに向ける事はなく、総てを兄にぶつけている。遠野志貴、つまり今あたしの目の前で気絶している男は厳密に言えば被害者に属すべき人物である。もっとも、あたしが裸のまま露天風呂にいる以上は弁解しても無駄だし、あたしに責任を押し付けるような人間ではない。
 昏倒している人間には弁解も謝罪もできないので、無駄な推論ではある。
「その辺にしておけ、遠野」
 湯冷めしないよう近くの手桶で湯を浴びてから、あたしは遠野に声をかけた。彼女の後ろに控えている家政婦の琥珀は、それが兄妹の微笑ましいスキンシップだといわんばかりに微笑んで眺めている。あたしとしても麗しい兄妹愛劇場をもう少し鑑賞したかったが、そろそろ顔の形が変わり始めた志貴を見るのは忍びない。
「不可抗力だったんだ。大将に悪気はなかったし、あたしにも油断があった」
「……やましい事は一切なかったと?」
 胡散臭そうな目でこちらを睨む。なるほどアキラなら弁解できなかったに違いないが、あたしに疑いを向けるのは心外だ。
「あったら遠野を義妹と呼んでる」
「その程度で義妹呼ばわりされたら、私の周りは姉ばかりになるわよ!」
「秋葉さま、それ自爆です」
 おそらく義姉の一人に違いない琥珀が、くすくすと笑いながら大きめのバスタオルをあたしに差し出した。傍らでは、いつの間にか現れたメイドの翡翠が倒れた志貴を引きずっている。いかに己の主人で身内とはいえ、年頃の娘が若い男の半裸を前に躊躇もせず動き回れるというのは――――
 なるほど。
 遠野が苦労するわけだ。
 胸元を隠すようにバスタオルを身体に巻きつけながら、この場にアキラと羽居がいなかった幸運に感謝した。

 食後の談話に使われることの多い応接室。
 普段であれば消灯となる時刻にも関わらず、遠野家の居候が勢揃いしていた。人数分の茶菓子を揃えた琥珀は遠野の背後に控えている。
「で、週末に来る客のために急いで礼服を揃えろと」
 まだ少し湿っている前髪をいじりながら、茶化すようにあたしは尋ねた。そもそも遠野が露天風呂まで乗り込んだのは、あたしを含めた居候連中に用件があってのこと。
 風呂場での、あたしと志貴のやりとりを誤解して突撃をかけたのではないと信じたいところだ。
「久我峰斗波という男は、そんなに厄介な客なのか」
 一通りの説明を受けた後、誰もが渋い顔をしていた。堅苦しく窮屈な寄宿舎の生活から少しは解放されるかと思えば、これだ。
「そもそも学校の制服ってのは、フォーマルな場に出ても恥ずかしくない礼服なんだぞ」
 面倒が苦手なのか何も考えていないのか、羽居が腕を組みつつ何度も頷いている。
「あたし達が来客をもてなすわけじゃないんだ、すれ違ったとしても浅上女子の制服姿なら何の問題もないと思うが」
「そーそー。だいたい秋葉ちゃんのおにーさんも一緒に住んでるのにー、ジャージの上下とかパジャマ姿でー、お屋敷の中を歩き回ったりしないよー?」
 いなければ実行する気があったのか、この女は。
 まさかとは思いたいが、羽居には遠野邸の風格とか威厳といったものに微塵も圧力を感じていないようだ。
「私としては、穏便に解決するための提案をしただけ。強制する意思はないし、礼服を揃えるための費用も遠野家が負担するし」
 遠野は笑顔のまま、あたしと羽居の意見に耳を傾けている。
 志貴が絡まなければ、アキラは遠野を慕っているから文句は出てこない。酒蔵の娘という純和風の世界で育ったアキラにとっては、洋館での暮らしと礼服という組み合わせは、ある種の憧れだろう。
 あたしとしては、とにかく面倒事はごめんだった。浅上女学院で毎年行われるダンスパーティーでも、あのふりふりひらひらしたドレスを着ることに抵抗を感じているのだ。
「あえて居候に礼服を着させる理由を教えてくれ」
 しばしの間。
 今まであたし達を正面から見ていた遠野が、ふと視線を斜め下に逸らせながら答えた。
 ぽつりと。
「女子高生とか制服とか体操着が好きみたいなのよね、久我峰は」
「よし、礼服を揃えよう!」
 即答したあたしに、アキラと羽居はぶんぶんと頷いて同意した。
 なるほど、それは仕方ない。
 多少ふりふりのひらひらを着たところで、ロックの魂は穢れない。それが果てしなく甘い見通しだったと、あたしは直ぐに思い知ることになる。


 3/6 かくして現実

 不要なトラブルを回避すべく、あたし達はそれぞれが紹介された店で服を仕立てることになった。遠野家御用達ではないが、服の仕事では間違いがないという店らしい。
 各人の店を選んだのは、琥珀という家政婦だ。
 なるほど。
 遠野が信頼しつつ、油断ならぬ相手として接しているだけはある。琥珀が紹介した店は、一級の腕を持った職人がいた。妥協のない生地に見事な縫製、こちらの寸法を事前に伝えていたとはいえ身体に合わせた仕事は驚嘆に値する。
 ――――ど畜生。
 試着前に脱いだジーンズと上着類はいつのまにか回収され、宅配業者に送られていた。店主を問い詰めれば「そのように遠野家から指示が」と、申し訳なさそうに頭を下げる。
 御丁寧に、靴まで取り替えられていた。
 完璧な仕事だ。ここまでされると陰険とか意地悪とか、ありきたりな言葉で罵るのも面倒なくらいだ。この様子では、羽居やアキラが紹介された店も、呆れるような仕掛けが満載に違いない。
 策士、琥珀。
 事前に渡された交通費はそれなりの額だったが、近場で別の服を揃えるのは難しい。上下ひと揃え、おまけに靴まで買い直すとなれば、馬鹿馬鹿しいほどの出費を覚悟しないといけないからだ。
 あの遠野でさえ手を焼く相手なのだから、あたしが知恵を巡らせたところで琥珀の手の内なのだろう。ならば余計なことを考えず、タクシーでも拾って直ぐに遠野邸に戻ればいい。
 できるだけ人目につかないように、細心の注意を払ってだ。
 ここが三咲町というのは、あたしにとって幸運だった。この街には、遠野邸に住む者以外に浅上女学院の生徒はいない。ロリータファッションに身を包むこの姿を、彼女達に見られるのは辛い。
 もちろん、遠野邸に戻っても羽居やアキラに見つかってはいけない。
 羽居は意識せずとも、面白そうな噂話を方々に伝えまわるところがある。便利屋として教師や先輩にこき使われている反面、踏み込んだ様々な情報を無意識の内に集めてくるのだ。アキラは割とお人好しなので安心はできるが、惚れた男のためには遠野をも出し抜こうとする大胆さを時々見せる。志貴の学校の学園祭で起こった恐怖の出来事は、浅上にもばっちり伝わっている――――とにかく、この姿を他人には見られたくない。
 それは、まずいのだ。
 どうしてまずいのかは、あたし自身にもよく分からない。
 あたしは、あたしでしかない。月姫蒼香という人間が、そうであるための根拠は、この魂にあるのだ。見た目に振り回され、周囲に流されるのは、あたしの嫌うところじゃないか。
 どんな服を着ようと、月姫蒼香という人間の本質は変わらない。王侯貴族の衣装を身につけようと、一糸まとわぬ姿であろうと。着飾るのは嫌いじゃないが、着飾ることであたしらしさが歪んで伝わるのは、きっと面白くないのだ。本音で付き合える連中ならともかく、あの狭くせこい縄張りで争う女たちに説明するのは、おそろしく疲れるだろう。しかもそれは弁明に近いもので、好きになれない。
 ……きっと、そういうことだ。
 よし、落ち着いた。
 とっとと店を出て、タクシーを呼ぼう。まだ昼前なのだから、遠野は出かけているはずだし羽居やアキラも店から戻ってはいないはずだ。
 決断すると、行動は早い。
 店主に軽く一礼すると、体当たりするような勢いで店の扉を開けた。今どき珍しい木製の重厚な扉は、潤滑油を差した蝶番のおかげか、きしみ音を立てることなく開く。布地と家具を傷めぬよう光を抑えた店内と違い、秋の涼しげな風の混じる陽光が強く当たる。まるで光そのものが圧力を持っているかのような、そんな錯覚さえ抱く眩しさに視界が白く反転し。
 唐突に、それは回復した。
 秋と呼ぶにはまだ温もりの強く残る街。道行く人は、昼前の陽射しを苦手としているのか、数は多くない。色彩を取り戻す視界に飛び込むのは、土地勘のない街の景色と――――
「……」
 距離にして数十センチ、一歩踏み出せば届くところに志貴がいた。
「……」
「――――」
 わかってる。
 志貴は、最初の数秒はあたしを月姫蒼香と認識しなかった。あたしが狼狽しなければ、気付かなかったかもしれない。
 狼狽しなければ。
 れ、ば。
「――――ッ!!」
 距離は僅かに一歩なのだ。
 地を這うように上体を沈ませ、独楽のようにひねり、強く振り下ろした右足は志貴の靴を地面もろとも踏みつける。
 反動をつけた左足は志貴の膝を踏み台に、両手は抱擁するように志貴の首をホールドし。
 がごっ。
 フリルとレースで飾り立てたスカートが翻り、黒のストッキングで包まれた膝が、志貴の顎を真下から突き上げていた。
 左右からも、
 何度も、
 執拗に。
 雄叫びにも似た奇声を発し、表現しようのない攻撃衝動が羞恥心から来るものだと自覚するまでの数秒間。
 あたしは半狂乱になって、志貴の上半身をサンドバッグにしていた。
「……とにかく」
 身体中の酸素を使い切ってから。
 酸素への欲求を必死に押さえ込みながら、それ以上に全理性を総動員しながら、ずたぼろになった志貴の顔を両手で掴む。大丈夫、遠野の責めに比べれば、あたしの蹴りなど可愛いものだ。
「――――責任、取ってもらうからな」
「う。うぃ」
 おそらくは現状さえ理解していないだろう志貴は、それだけ呟くとひっくり返って気絶した。


 4/6 蒼い鏡

 昼下がりの公園は、それなりに賑わっていた。
 営業途中のサラリーマンが仕事を抜け出してひと時の休息を満喫し、公園デビューして間もない新婚らしき女性を囲んで、さまざまな年齢層の主婦が談笑している。砂場に視線を落とせば、数刻前に野良猫が用を足したと思しき形跡にも臆することなく、赤子と大差ない子供たちが安っぽいプラスチックのスコップを片手に、己の城を築き上げんと頑張っている。
 先刻まで空いていたベンチを占めているのは、去年の秋頃に三咲町から逃げ出したという浮浪者の一群だ。世間を騒がせた、吸血鬼を模倣したという連続殺人事件を最も恐れたのは、身を守る一切の術を持たない彼らなのだから。
 事実、犠牲者の数に隠れてはいるが、行方不明となった者の数は尋常ではなかった。事件そのものは、秋の終わりに近いある日を境に止まったという。
 終わったという表現は正しくない。
 全身の血液を抜き取られた死体が発見されなくなった、それだけのことだ。犯人は結局捕まらず、行方不明者は誰一人帰還していない。
 この事件に関しては、警察を無能と断じるのは野暮に等しい。存在するかどうかも定かではない、アナクロな吸血鬼に見立てた連続殺人を繰り返す狂人が相手なのだ。容疑者を特定することもできず、察による満足な説明などないままに、こうして一年という時が過ぎた。
 それだけの時間をかけて、街の住人は殺戮劇が終焉を迎えた事を理解したのだろう。
 浮浪者たちの帰還は、三咲町の治安が少しはマシになった証拠とも言える。退屈な午後を過ごすために人々が公園に集う程度には、この街は平和なのだ。
「……迂闊だった」
 紅に色付くには少しばかり早い木の下。青々とした芝生に腰を下ろしながら、あたしは自分がいかに動揺していたのかを思い出し、抱えた膝に顔を埋めるようにして伏せていた。
 なんという不覚。
 隣で芝生に寝転がっている志貴は、近くの茂みから現れた黒猫と戯れている。首に大きなリボンを巻いた黒猫は、膝蹴りのダメージから回復していない志貴の頬や額を、前脚の肉球でたしたしと、それはもう気持ちよさそうに叩いている。
 戯れているのは、猫の方か。
「これも琥珀って人の仕業なのか」
「――――たぶん、違うよ」
 黒猫に遊ばれるがままの志貴が、答えた。手加減なしで蹴ったはずだが、見た目通りの優男ではなさそうだ。猫を胸に抱き上体を起こし、少し困ったような笑顔で首を振る。
 遠野が、それからアキラが魅せられた笑顔だ。
 きっと翡翠や琥珀も心を奪われて、もっと多くの女も参ってるに違いない。見たところ、黒猫にも効き目は抜群。
 自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で、大切な人のために躊躇しないで命を差し出すような、筋金入りの大馬鹿者。
 かつて寄宿舎に戻っていた遠野が、八年ぶりに再会した志貴という男をそう評価していた。
 この二人の間にどんな事が起こったのか、二人が具体的にどういう関係なのか、あたしには知る術もない。八年間振りに再会したという二人が、傍目には別の生き物に見えることさえある。
 いや。
 そういうのは、遠野達にとって些細な問題かもしれない。政財界に影響力を持つグループの当主でも、浅上女学院の副会長でもなく、遠野秋葉という一人の女として振舞える対象が、志貴という男なのだ。拗ねることも甘えることも許されなかった冷徹な女が、親友にさえ滅多に見せない激情を正面から叩きつけて、それでも笑顔で受け入れてしまうような男だ。
 ……どれほどの修羅場を潜り抜ければ、こうして振舞えるのだろう。
「違うって、どういうことだ?」
 内心の更なる動揺を気取られぬよう、あたしは努めた。
 まったくもって無駄な努力だったのだけど。
「衣装を考えていたのは主に秋葉と琥珀さんだけど、俺は店の場所までは知らなかったし。訊ねても教えてくれなかった」
「あんたも一枚噛んでたのか、大将ッ!」
 思わず胸倉を掴むが、志貴はあっさりと頷いた。
「うん。だって、似合うと思ったし」
 胸元に抱いていた黒猫が頭によじ登るのを止めもせず、志貴は朗らかな笑みであたしを見る。
「すごく可愛いし、とても似合ってるよ、蒼香ちゃん」
 ――――っ!
 心、臓が。
 止まるかと……思った。
 さっきまでは耐えられた、耐える自信はあった。でも、それはさっきまでの話なんだ。
 駄目だ。血液が逆流しそうだ、足元の血が沸騰して、ぜんぶ頭に上っていくような。正気を保てない、心臓が今度は破裂しそうなほどに激しく動いている。
 ロリータの衣装にあわせて少し濃い目の化粧をしてなかったら、真っ赤になった顔を志貴に見られていた。似合うといわれ、可愛いといわれ、この月姫蒼香ともあろう者が……ここまで動揺するなんて。
 全身が脱力し、胸倉を掴んでいた手が離れる。
「――大将、こうやって何人の女を口説いたんだ」
「?」
 うつむいて呟くあたしの言葉に、今なにを言ったかと、志貴はあくまで優しい。最初に遭った時なら軟弱と切り捨てただろうに、軽口を叩いて笑い話にするのも無理だ。
 これじゃ、アキラに説教できる立場じゃない。
 傍観者であることが、遠野の家でうまくやっていくために必要なんだ。遠野は親友で、志貴は信頼に値する男で、あたしは不貞不貞しくも理解力のある居候で。
 それが。
 それが、それが。
 それが、それが、それが。
 それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが、それが――――
「……わ、悪いな。大将、あたし大事な用事あったの思い出した」
 精一杯の理性を動員して、あたしは、昨日までのあたしを演じた。
 そうだ、こんなのは一時の気の迷いなんだ。
 たとえ本気でも、一晩寝れば忘れてしまえる程度の気持ちなんだ。遠野があまりに嫉妬深く振舞うから、アキラがあまりに志貴への好意を隠そうとしないから、羽居が志貴を気に入ったから。
 あたしも、この男を好きだと錯覚しているんだ。
「急用、なんだ」
 口の中が苦い。
 少しでも気が抜けると泣いてしまいそうなくらい、震えてる。歯の根がかみ合ってるかどうかも、分からない。
「そっか。ごめんね、蒼香ちゃん。急いでたの知らなくて」
「べ、別に気にする必要はないぞ大将」
 そんなものは存在しない。
 直ぐ嘘と知れることを口走って、志貴はあたしを軽蔑するだろうか。いいや、いっそのこと嫌ってくれればいい。そうすれば、当たり前の日常が戻ってくるのだ。
 恋する少女とは、ここでお別れだ。
 志貴への挨拶ではなく、あたしの中の甘ったるい気持ちへの決別をこめて、馬鹿馬鹿しいほどに明るく挨拶した。
「――――それじゃあ、あたしはこっちだから……バイバイ」
 立ち上がって、あたしは走り出そうとした。
 どこか一人になれる場所に行こう。
 こんな少女趣味の服を着たから、あんな想いを抱えたんだ。寄宿舎で着てるような、色気のない服があたしにはお似合いだ。ロックでもパンクスでもメタルでも構わないから、音の洪水の中で泣こう。
 ここから逃げ出せるのなら――――
「駄目だよ、蒼香ちゃん」
 あたしは逃げ出せなかった。
 左手が、掴まれている。貧血気味という志貴の、冷たい指が、あたしの左手を握っている。強く、振りほどけないほどの力で、あたしの手を掴んでいる。
「そんなことを言っちゃ……駄目だ」
 悲しそうな目で、志貴はあたしを見ていた。
 ほんの一瞬。
 朗らかな笑顔の下に隠れていた、どうしようもないほど辛い過去を背負ってきたような、そんな目だ。
 卑怯だ。
 あまりにも卑怯だ。
 そんな目をされたら、振り切っていけるわけがない。
「……その、一緒に行くよ。目的地まで送って、それから――――」
 自分がしたことにようやく気付いたのか、志貴はあわてて言葉を足す。
 でも、もう遅い。
「あの、蒼香ちゃん?」
 最後の理性なんて、とっくに時間切れで消えている。
 志貴に掴まれた手が、まるで別の生き物のようだ。全身の力が抜けて芝生に力なく膝を落としながら、一山いくらの恋する少女に成り下がった自分自身に悪態を吐くのが精一杯だった。
「蒼香、ちゃん?」
 志貴が、あたしの名前を呼んでる。そんな普通のことにさえ悦びを見出しながら、遠野家に着いた最初の日に琥珀が口にした言葉を思い出した。
 ナチュラルボーンスケコマシ。
 敵は大勢、勝ち目はなし。頭で分かっていても、どうにもならない。頭のどこかで旧い時代の絶望的なラブソングが、壊れた蓄音機のように何度も何度も繰り返されていた。


 5/6 蒼い月

 日が傾くまで、あたしと志貴は公園のベンチにいた。
 腰が抜けて立てなかったあたしを、志貴は空いたベンチに運んでくれた。
 このまま遠野の屋敷まで背負って運ぼうかとの申し出は、丁重に断った。この服装を他の人に見られたくない気持ちは今も変わらないし、それ以上に志貴に背負われて歩くことへの気恥ずかしさがある。
 遠野に知られれば、あたしの命も危ういし。
 それから。
 先刻口にした急用というのが嘘だというのも、正直に謝った。志貴は――――怒ることも軽蔑もしなかった。
「秋葉にも、よく怒られてる」
 女の子に気安く声をかけること。
 志貴自身は意識していないけど、それがトラブルの原因にもなる。数度言葉を交わせば、志貴という男が呆れるほどのお人よしで、溜息をつくほど優しい男だと分かる。
 志貴は、誰にでも優しい。
 苦労知らずではない。むしろ、耳に挟んだ生い立ちを聞く限りでは、あたしよりよほど苛烈な半生を送っている。その上で、こうして生きている。優しくて、穏やかで。アキラが惹かれ、羽居が気に入って、遠野は志貴の前では感情を隠さない。
 だけど、誰も志貴の心を独占できない。誰にでも優しい志貴だから、誰か一人が志貴の特別になったりしない。とても残酷だ。遠野は、そんなジレンマを抱えながら志貴と毎日を過ごしている。誰が来ても志貴の特別にはなり得ないとわかっているから……あたしたちは遠野の屋敷に招かれたのだ。
 ああ。
 なんて。残酷な。辛い、気持ちだろう。
 並んで座る志貴とあたしの手には、少しぬるくなった缶コーヒー。あたしと遭う前に、どこかの自販機で買ったものらしい。
 他愛のない話を続けていたのだと思う。
 あたし達を迎え入れるために、遠野の家でちょっとした騒動が起こったこと。他に居候が一人いて、遠野自身が友人と認めるほどの変わり者であること。翡翠のこと、琥珀のこと。学校の話も、色々と聞いた。
 脳が沸騰するような意識の混濁は、随分前におさまった。志貴への気持ちは、憑き物が落ちたように静まっている……異性としてではなく、人として彼に好意を寄せているということだ。
 会話することでそれなりに満たされる程度の欲求は、つまり、そういうことだ。
 一通りの話が終わって、間が空いて。
「友達が、いたんだ」
 罪を悔いる囚人のように、乗り越えきれない心の傷を微笑で隠そうとする。
「多分、友達だったと思う。クラスメイトだったし、中学も一緒だった――――彼女は」
 彼女は。
 どきりと、した。
 志貴の口からそういう言葉が出てきたことに驚き、デリカシーのなさに腹を立てるよりも、その彼女がどういう形であれ志貴の心の一部分を占めていることに嫉妬した。
「さっきの蒼香ちゃんが、その友達に重なって見えちゃって……ごめん」
「気にするな、大将」
 あたしは大きな声を出した。
 吸血鬼騒ぎの犠牲者の中に、志貴の友人が居たのだろう。志貴は、ひょっとしたら彼女を救えたかもしれない。過去を振り返れば、救う方法はあったに違いない。なにもかもが手遅れになってから気付くから、人は後悔せずにはいられない。
 でも。
 志貴の手を取り、自分の胸に押し当てた。遠野に比べればそれなりにあるが、アキラとは大差なく羽居とは比べるべくもない。自分でも情けなくなるほどの、慎ましくもささやかな膨らみ。レースで飾った黒の生地越しに、志貴の手を問答無用で押し当てる。
 ぎょっとした顔の志貴。
「あんたは、あたしのことを気遣ってくれたんだ。謝る必要なんかない」
 自分でも驚くほど冷静な言葉だった。考えてみれば風呂場で肌を晒しているし、直に触らせているわけでもない。欲情で結びついた関係じゃない、信頼している相手だから怖くない。
 できるものなら、むき出しの心臓を握らせたって構わないくらいだ。
「元気を出せ大将。あんたが落ち込むと、それが周りに伝わる」
 鼓動が、志貴の手に伝わる。
「乳、触らせてやるから元気出せ」
 沈黙。
 はやまった、か?
「その、これで元気になれと」
 間が空いた。
 志貴の視線は、あたしの胸に押し付けられた手に向けられ、それからあたしの顔に移動し、一番星の輝くあたりで止まった。
「えーと、結構なお手前で」
「蹴るぞ」
 遠野なら、きっと蹴っていた。
 普段ならあまり意識しない、女としての尊厳がひどく傷つけられた気分だ。
 と。
「――――大将?」
 風が、変わった。
 日が沈み、生暖かい空気をかき混ぜるように涼風が吹き始める。
 溶け合うのを拒むように、頬撫でる風は温かくも涼しくもあり、不快だ。昼と夜の境目となる時刻のせいか、濁り始めた東の空は不気味な色だ。
 志貴は、その闇を見つめている。
 ……志貴の、
 目。
 蒼い、
 磨き上げた鏡のように、蒼い、
 眼。
 まるで、まるで、水面に浮かぶ満月のような。闇色を散らすように、鋭く……
「ごめん、蒼香ちゃん」
 短い言葉。
 首筋に、鈍い衝撃。
 あたしの意識は、拡散していく。視界は暗転し、聴覚も引きずられて。
 ――――
 ――――
 ――――
 ……
 志――――貴、に近付く人、人、人。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――人?
 思考が停止する寸前。
 銀、
 色の三日月が。
 ――――志貴の、手


 6/6 虹傘

 粘つくような夢の中で、南の空へと渡っていく燕の群れを見た。
 あれは、より良い餌を求めて南方の地に移り住む薄情者だと。聞きかじったばかりの知識を、羽居が偉そうに話していたのを思い出した。
「本当、薄情もの」
 窓の外を眺めながらの、遠野の言葉。
 そうだ。
 あれは、昨秋のこと。実父が急逝し家に入った彼女が、再び浅上の寄宿舎に戻ってきてからのことだった。
「勝手にやってきて、こっちの気持ちも考えずにかき回すだけかき回して、そのままどこかに消えて――――残された人の気持ちなんてお構いなし」
 おそらく遠野本人さえ意識していなかった、小さな独白。あたしはヘッドホンを耳に当てていたし、羽居は浴場に行こうと支度を始めていた。
 余人が踏み込んでいい話じゃない。
 遠野は、童話のお姫様とは違う。来るとも知れぬ王子様を待つだけの、無能な女じゃない。実の父を喪った時、遠野は即座に寄宿舎を出て家に戻った。邪魔者を排除し、勘当されていた兄を呼び寄せて、人生をやり直そうとした。
 あるものは説き伏せ、あるものはねじ伏せ。
 平穏かつ無難に過ごそうとするものには生涯解らぬ信念を胸に、遠野は自分の道を切り開き、そして何らかの答えを得て寄宿舎に戻ってきた。あの言葉は、遠野の失望と挫折と、本人さえ気付いていない小さな希望。
 燕なら、次の春には戻ってくる。
 その旅がどんなに過酷で危険でも、春と夏を過ごす場所はここなのだから。本当に情がなければ、春に戻ってくるはずがない。
 遠野の燕は、しっかり帰ってきた。その旅がどれほどの艱難辛苦を伴ったのか、やはりあたしには知りようもない。詮索する気もない。
「わかっていても、去ってくものを見送るのは」
 辛い。
 他愛のない世間話の中で垣間見た、志貴の言葉と貌。あれを見て、それでもなお志貴の抱えた傷に触れるほど、あたしは愚かではない。志貴の言葉は、遠野の言葉と重なってあたしの中に飛び込んだ。
 ああ、この兄妹は――――なんというか。
 燕が彼方に消えてしまった夢の中で、不定形の闇にまどろみながら、あたしは妙に可笑しくなった。羽居が志貴を気に入ったように、あたしも志貴が好きなのだ。でも、それは先刻感じたような異性への思慕じゃない。
 不思議なほどの、信頼感。
 あたしが遠野秋葉という女を知っているからこそ、遠野志貴という男が好きになったのだ。二人まとめて好きになったのだから、仕方ないじゃないか。
 夢の中で笑って。
 それが引き金となって、あたしは意識を取り戻した。
「蒼香、ちゃん?」
 志貴の声は、胸の下から。
 身体の前面に感じる心地好い温もりと、上下の振動。背負われていると理解するまで、およそ十秒。
 記憶にある限り、この十秒に匹敵するほど間抜けな経験はない。
「――――大将。あの時、何があったんだ」
 返事はない。
 心なしか、足早になったような気がする。このまま誤魔化す気だ。目覚めたとはいえ夢うつつの状態で、あたしは志貴に背負われたまま。
「黙秘するなら、遠野に訊く」
 空は既に暗い。
 夜なら、この奇態な衣装は身を隠すには丁度いい。どれほどリボンやレースで装飾しても、黒の色調で統一されたロリータ服は闇夜の烏と変わらない。
 志貴に背負われるのは恥ずかしいが、目立たないのなら話は別だ。



「店の外で大将に鉢合わせしたことも、公園でずっと一緒だったことも、隠さずに話す」
 甘えるように、少し悪戯っぽく。
「傍目には、あたしと大将は仲睦まじい恋人だと映ったと思う」
 小さな痙攣。
 あからさまに動揺しつつ、志貴はそれでも前に進もうとする。からかいがてら、あたしは志貴の首を抱くようにして悪戯っぽく囁いた。
「実際、半分くらいはその気だった。遠野を義妹と呼ぶのも、案外悪くないかもしれない」
「――――――――――――――――――――へえ」
 ぞっとするような冷たい声に。
 あ、
 あああああ、
 あたしの意識は……はっきりと覚醒した。これ以上ないという、恐怖と――――絶望と共に。
 なんという迂闊。
 ここは、遠野家の敷地。門を潜り抜けた直後の、前庭。志貴の三歩後ろにはメイドの翡翠が。そして。
 志貴の隣には、
 その、
 つまり。
「と、遠……野」
「なんでしょうか、お義姉さま?」
 下手な悪夢よりも恐ろしい笑顔を浮かべて、遠野の繰り出すハイキックが、あたしの鼻先をかすめて志貴の延髄に炸裂した。


 ――――そこに意味を問うのは野暮というものだった。
 なぜならば、それこそが主張であり理由であり信念である。悪趣味かどうかという議論は、着る前に尽くすべきものなのだ。覚悟を決めなければ袖を通せない衣装というのは、確かに存在する。
 腹を抱えて転げまわる羽居を無視し、あたしはゴスロリ衣装のまま三枚目の湿布を首筋に貼りつけた。









                     ――――repeat again?



1,Repeat again.
2,おまけ
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