diary
   多次元直列日記 2013. 9 メニューに戻る
9月24日 (火)  Le Corbusier in Le Corbusier

先週の土曜日は、国立西洋美術館にて、ミケランジェロ展だけではなく、「ル・コルビュジエと20世紀美術」展も見たので、記しておく。この展覧会、常設展のチケットで入れるので、1コーナーを使った程度のこじんまりしたものだろうと思っていたのだが、さにあらず。建物真ん中の吹き抜けから始まり、本館の2階全部を使った、これだけで特別展と謳っても妥当な充実ぶり。ミケランジェロ展のあとに、さっと観てとの予断が狂い、丁寧に見るには十分なエネルギーがすでに残っておらず、後日もう一度足を運ぼうと考えている。

6年前の、森美術館でのコルビュジエ展でも、この建築家のアーティストとしての側面にたっぷりとスペースを割いていたが、今回もコルビュジエの彫刻や油彩などが100点近くも集められている。あらためて、建築家としての仕事の傍ら、良くこれだけエネルギーをかけたものだと感嘆するが、まとめて観るることでわかることもあるだろう。
初期は、理論的に説明できるような構成をもち、コルビュジエもおそらく、そのように意図して描いていたのだろう。後期になるほど、奔放になり、達者で自在になる。一方で、パーソナルな表現に終始しているようにも思え、批評するのが難しい。

いずれにせよ、もう一度出かけ、ゆっくり考えてみようと思う。

http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013lecorbusier.html

(イマム)


9月21日 (土)  ミケランジェロ展 天才の軌跡

国立西洋美術館にて「ミケランジェロ展 天才の軌跡」。

代表的な大作はもちろん来ていないものの、ミケランジェロのスケッチや素描を観ることができ満足。建築家ミケランジェロとして、1コーナー作られており、数は少ないが聖堂の平面図などのオリジナルに触れられる。そもそも全体で60点しか展示がなく、資料的なものも多いから(例えば、ミケランジェロ直筆の食事のメモとか)、一般の人には物足りないかも知れず、それもあってか土曜日にもかかわらず並ばずに入れる。とはいえ、やはりミケランジェロ、すいていることを幸いに、素描などを間近で飽きるまでじっくり見た。

それにしても、人間の身体を崇拝していたことはわかるけれども、それがギリシアのようなプロポーションの美ではなく、筋肉偏愛になっていったのはなぜ?あまりにもモリモリの体は、グロテスクですらあり、後期の建築もいびつなまでにマッチョになっていく。端正なピエタ(丹下さんの東京カテドラルにもコピーがある)は25歳のときのものであり、ラウレンティアーナの階段は84歳のときのもの。

(イマム)


9月8日 (日)  2012Tokyo Olympic

基本的に、オリンピック好きです。開催期間中は、毎回ずっとテレビを見ています。ですから、自分が住んで、長年研究してきたこの東京で、2020年にオリンピックが行われるとはとても楽しみです。

もちろん楽観的に過ぎてはいけませんが、みんなでこの都市について考えるいい機会であり、この機会を最大限生かすべきだと思います。

(イマム)


9月3日 (火)  SD選書の本

 昨年、アイゼンマンさんとシンシアさんを南洋堂にお連れした際、SD選書について、このシリーズには、コルビュジエの一連の著作から、ロッシ自伝、コラージュ・シティ、ラスベガスなどみんな入っていると説明したら、とても驚かれていた。そうだろう、どの国にもこのようなラインナップの建築図書のシリーズはないだろう。

 鹿島出版会創立50周年ということで(おめでとうございます)、SD選書の中で好きなものについてコメントをと求められ、書いたら、このたび小冊子が届いた。30人余りの方のコメントと、SD選書の過去の書評20点が収録されている。こうした本はありがたく、まだ手にとっていない本の魅力を教えてくれるし、すでに読んだ本について、この人はこんな意見なのかということも楽しい(鈴木了二さんは『コラージュ・シティ』をこう見ていたのか。やはり僕はまじめすぎるな)。

 僕は、『住宅論』、『天上の館』、『ラスベガス』、『建築の多様性と対立性』、『アルド・ロッシ自伝』の五冊を挙げたが、隈研吾さんは1冊だけを選び、それが『天上の館』であったのには、少々驚いた。

 再録された書評にも面白いものが多く、池辺陽さんがコルビュジエの『モジュロール』について書いているその取り合わせも興味深いが、池辺さんの文章はこの小冊子の2段組で6ページもあって、簡単な書評というよりも、小論考といった体。これらの書評は、みな以前SDに発表されたものであり、日本で建築雑誌が減り続けてきたということは、すなわち建築書の書評欄がなくなったということに思い至る。今定期的に書評が載るのは『建築技術』だけだろうか。建築批評がないなどといわれるが、書評がなければ、批評以前の問題だろう。
 
この冊子は、一部の書店でSD選書を購入するともらえるようです。どうしても入手したい人は、直接鹿島出版会に頼めば、わけて貰えるのでしょうか。いずれにせよ歓迎すべき好企画。

(イマム)


9月2日 (月)  Log 28

届くのを待ち焦がれていたLogの28号が本日手元に。早速ぱらぱらめくって、いくつか論考を拾い読みしてみるが、期待していた通りの刺激的なコンテンツ。

ピーター・アイゼンマンとアンソニー・ヴィドラーが、ゲストエディターを務め、まずは巻頭でヴィドラーがレイナー・バンハムの論考「ストックテイキング」に絡め、この号の意図を記している。「ストックテイキング」は、1960年に、アーキテクチュアル・レヴューに発表され、拙訳のヴィドラー著『20世紀建築の発明』の中でも取り上げられている。(その訳は、岸和郎さんによって「在庫品調査」という名で和訳されており、バンハム著『建築とポップ・カルチュア』(鹿島出版会、1983年)に入っている。)
 
続いて、アイゼンによるスコット・コーエン、パトリック・シューマッハー、グレッグ・リン、アウレリ、チュミ、キプニスへのインタヴュー、ヴィドラーによるエリザベス・ディラー、ブレット・スティール、アレハンドロ・ザエラ・ポロへのインタヴューなどがあり、最後にはアイゼンマンとヴィドラーによる対談という、何とも贅沢な布陣。

 ストックテイキングというとおり、例えばアウレリのテキストでは、コウ、タフーリ、アウレリといった建築史家、批評家の仕事の(再)評価がなされている。アイゼンマンとヴィドラーによる、ここ半世紀の建築批評の見直しだろうか(各論考をよく読んでみないとまだ何ともいえない)。一方で、この号は今カナダ建築センターで開催中の展覧会Archaeology of the Digitalにも接続されており、パラメトリックなど、今日の潮流との関連も押さえられている(ようだ)。

この号は、重要な記念碑的な号となるでしょう。

http://www.anycorp.com/log

(イマム)


9月1日 (日)  千葉工業大学に赴任します

本日付で、千葉工業大学 建築都市環境学科の准教授となりました。

(イマム)