diary
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10月11日 (金)  新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える

 シンポジウム「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」に参加しました。有意義な会でした。開催にご尽力された方々に敬意を表します。

 これから必要なこととして、次のことが挙げられます。
@ なぜこのようなことになったのか、経緯を明らかにすること。
A この土地の歴史、都市計画上の課題、ランドスケープからの視点、スポーツ施設のあり方、等々さまざまな領域の、知見、情報、意見を集めること。
B 状況を改善するには、どのような方法があるか検証し、実施すること。

 まず@について、情報が具体的に開示されないと、これからの議論が空転する恐れがあります。また、今後このような事態が生じた際に、過去の教訓から学べなくなります。
 とはいえ、これは個人的な推測ですが、企画主体や計画立案部門をはじめ、その他関係者に問いただしても、実りある回答が得られないのではと思っています。誰かが強引に利益誘導を謀ったり、個人の手柄を期待し先走ったというようなわかりやすい構図ではなく、関係者がそれぞれ自分の担当を一生懸命にやったら、いつの間にかこうなっていたといった程度のオチではないでしょうか。そこにオリンピック招致という、陶酔が加わった。戦争責任の例を出すのは大げさかもしれませんが、大企業の不祥事にしても、誰にも決定権も責任もないまま、集団として結果としてありえない怪物を生み出してしまう。これまでにもうんざりするほど繰り返されてきた日本特有の景色です。
 ですから、関係者を追及しても、当人は当惑するばかりで、そもそも当事者意識がない。Bの話にも繋がりますが、主催者と交渉しても、時間ばかりが経つだけで、話は前に進まない可能性があります。(関係者は、例えば審査員が黙っているのはおかしいという意見はもっともですが、好意的に想像すると、各自は善意でこのプロジェクトに取り組んでいたのではないか。利益誘導や個人的名誉であれば、それを問題視することは容易ですが、ポジティブに捉えていたことがこうして大きな支障を生じたという捩れが、原因の解明を難しくすると思います。)
 以上は、繰り返しますが、あくまでも仮説です。

 A について。シンポジウムの場で槇氏が明らかにしたように、コンペの要綱には、この敷地特有の歴史的文脈についての説明がなかった。これは、驚くべきことで、これだけを取っても、このコンペの運営があまりにも粗雑であったということの証左になります。(ちなみに、槇氏が今回エッセイを発表するまでは、他の建築家は何も言わず、しかも槇氏のあとに尻馬に乗るようして騒いでいるのは、どうかという指摘があります。全般的には、それはそうです。一方で、コンペの経緯やそこでうたわれていたプログラムのヴォリュームなどは、コンペ参加者以外には、知る術がありませんでした。槇氏が指摘することで、情報がオープンになったのです。)
 この敷地については、パネリストの陣内氏が、今泉宣子著『明治神宮』新潮選書を、優れた本として勧めていました。会場でお会いした、アーバンデザインの専門家のK教授は、都市計画系の視点から言いたい事が多々あると言っていました。ランドスケープ系のNさんも、同じように専門の関係者から意見が出せるとFBに書いていました。陣内氏は、明治神宮の計画には、さまざまな分野の叡智が結集されたと述べられていましたが、そのように、建築、都市、歴史、生態系、スポーツ、安全、その他多くの専門家が、専門的精度を持って、知見を寄せるべきだと思います。

 と、とりあえず今のところは、ここまで。

(イマム)