diary
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2月29日 (水)  東京はまたしても雪

東京はまたしても雪、今年になって積もるのは3度目か。一度も積もることなく終わる年も多い中、今年はやはり寒い冬であった。

雪がやむのを待って、代官山へ。トウキョウ建築コレクションの展示を見て、修士論文展に展示されている論文を読む。

(イマム)


2月28日 (火)  異境

オーストラリア大使館 大使公邸にて、オーストラリア人作家 デイヴィッド・マルーフの『異境』、出版記念レセプションに参加。

出版元の現代企画室では、オーストラリア現代文学選として、これから10年間、毎年一冊オーストラリア文学の翻訳出版をするのだという。

(イマム)

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2月27日 (月)  まちの保育園

このところ、子ども園の話題とか、幼児教育、保育の関する状況がいろいろと変わっているが、知り合いの幼稚園の園長先生に教えていただき、今日はカフェを併設した保育園というものを見学してきた。

行く前は、保育園の片隅で、近所の人が寄れるようにコーヒーやドーナツを出している位であり、まあプログラムの組み合わせは新しいので見ておこうかくらいの気持ちで、高をくくっていた。しかし、行ってみると、空間のレベルも高く、飲み物も食事などカフェのレベルは相当高い。

入るのに待つこと1時間弱、10数名のお客さんのために、スタッフが6名忙しく働いている。本業の片手間に、サービスでやっているのではなく、かなり本気。どうも、有名なカフェの2号店らしい。

この保育園、名前もかわいく、「まちの保育園」といいます。
まちの保育園 http://machihoiku.jp/

ちなみに、今この保育園の見学は、申し込みをして3カ月待ちだそうです。私は保育園の様子は覗いただけで、カフェでランチをしてきました。

(イマム)

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2月26日 (日)  アルド・ロッシと須賀敦子

アルド・ロッシの「類推的建築」というテキストを読んでいたら、彼の実現しなかったプロジェクト、〈トリエステの地方事務局コンペ案〉の標題「トリエステ・エ・ウナ・ドンナ(トリエステと一人の女)」は、ウンベルト・サバの詩集のタイトルから取ったものだとあった。

この詩人の名前、どうも聞きおぼえがあるなと思って確認したら、はたして須賀敦子のお気に入りの詩人であった。彼女は、サバの詩の翻訳も手がけている。

「サバが書店主だったこと、彼が騒音と隙間風が嫌いだったこと、そして詩人であったことから、私のなかでは、ともするとサバと夫のイメージが重なりあった。」須賀敦子『ミラノ 霧の風景』

アルド・ロッシと須賀敦子が繋がるとは、だから読書は面白い。しかし、地方の役所の建物に、「トリエステと一人の女」と名付けるとは、コンペ案とはいえ、さすがイタリア人。日本人にはできない。

(イマム)


2月25日 (土)  夜の打ち合わせ

今週は、打合せが3つあったが、なぜか全部夜。夕方以降に出かけるのは好きではないので、自分から夜の打合せを希望することは無いのだけれども、どうも夜の打合せが好きな人、当たり前のことと思っている人が少なからずいるようで、苦手だ。本当に必要な打合せならば、昼にやればいいのにといつも思う。

水曜日は、トウキョウ建築コレクションの予備審査で、夜8時から。昨日は工学院大学の設計の授業の会議で夜7時から。そして、今日はある研究会の集まりで夜8時からだったのだが、でも今晩はある方のご自宅にお招きいただき、薪ストーブの火が見えるダイニングで、奥様の手料理をいただきながらといったものだったので、文句を言えるものではない。環境問題という重要な話しがテーマだけれども、面白い話も充分に聞くことができて、楽しく、生産的な夜であった。

(イマム)


2月24日 (金)  アーキグラム・アーカイブ

アーキグラムのことを調べていて、確かアーキグラムの資料は、デニス・クロンプトンが一括して管理していたけど、そのサイトなどあるのかな、、、と思いつつ検索してみたところ、すごく充実したアーキグラム・アーカイヴァル・プロジェクトというサイトを見つけびっくり。まだ少ししか見ていないのですが、アーキグラム関連のプロジェクトが網羅されており、伝説の冊子〈アーキグラム〉の各号を、デニスが手に取りながら解説するムービーなどを見ることができる。参りました。

The Archigram Archival Project
http://archigram.westminster.ac.uk/

(イマム)


2月23日 (木)  タフーリ三昧

本日は、タフーリの命日であったので、一日の多くをタフーリの著書を読んだり、タフーリについて書いたりして過ごす。タフーリ三昧。

イタリアの建築史家マンフレッド・タフーリは、1994年の2月23日、ヴェニスで亡くなった。

20世紀後半の最大の建築史家との記述がよく見られるタフーリは、難渋な文章の書き手との定評もある。母語のテキストが解釈および翻訳困難のため、和訳されたものには、また別のヴェールがかかっているようである。ほとんどの著作が、今日ではアクセスが容易でないこともあって、タフーリを読み進めるのには、いろいろとハードルが多い。

しかし、手掛かりを見つけつつ、少しずつ読み進めて行くと、時々彼の深い認識や鋭い批評に触れることができ、流石と思わせるとものがある。とはいっても、僕は、まだタフーリの初歩の読者であるが。

今日調べている中でも、いろいろと発見があった。Dictionary of Art Historians (美術史家辞典)というサイトの、タフーリの項目(http://www.dictionaryofarthistorians.org/tafurim.htm)を読んでいたら、タフーリは、イタリアにおける専門の建築史家の最初の一人であるという記述があった。Tafuri was one of the first professional (academic) architectural historians in Italy.

これを読んで、ちょっと意外な印象を受けるのは私だけではないだろう。歴史王国イタリアには、無数の建築史家がいるのではないか。しかし、例えば、タフーリのすぐ上の世代であり、タフーリが批判の対象としたしたブルーノ・ゼヴィやパオロ・ポルトゲージという歴史家は、同時に建築家もあった。それはルネサンスのアルベルティから脈々と続く、建築家=理論家というイタリアの文脈である。

このことに気づいて以前からどうもしっくりとこなかった、タフーリの操作的批評(『建築のテオリア』第4章)という言葉も、少しわかる気がしてくる。操作的批評とは、建築史家が自らの理論に沿うように、建築を便宜的に選択することを指す。とりわけ、実務を行っている建築家は、自身のデザインを肯定するために、都合がいいように歴史を操作している。そのことをタフーリは、批判していたわけである。

操作的批評という言葉に引っかかったのは、すでに数年前であるが、今日多少なりとも理解が進んだ気がする。

(イマム)

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2月19日 (日)  TKC 修士論文 梗概

トウキョウ建築コレクション、修士論文部門の梗概(50ほど?)が届き、水曜日の予備審査に向けて、それらをもくもくと読む。

(イマム)


2月18日 (土)  隠喩としての建築 再読

実家に行き、鶏鍋を作り兄と食す。

行き帰りの電車の中で、柄谷行人の『隠喩としての建築』を読む。アレグザンダーやジェイコブスがどのように扱われているかに留意しながら。

(イマム)


2月17日 (金)  狭小敷地の検証

都内の狭小の敷地、購入した場合、希望を満たす建物になるのかどうか、検討して欲しいとの依頼。

狭小の敷地は、建物面積も小さくなり、また周辺環境も厳しいから、余裕がある敷地に比べて、どのような建物が実際できるのか想像がしにくい。だから、法規などをチェックして、実際にどのようなものが可能かを調べるのは必須ともいえるが、こうした密集地の狭小敷地は、法規の確認にも手間がかかる。ちょっとした法規の一項目や、解釈の違いで、建築の形態が大きく変わってしまう。

楽観的な見通しを伝えてあとで問題になることは絶対避けなければいけないし、かといって安全側ばかり見ていると、条件的に厳しいことになり、この土地は無理だともなりかねない。土地購入の判断で、素早い助言が求められるが、丁寧に検証しようとすると、時間がかかる。そのバランスが難しい。

そもそも狭小敷地にはリスクがあるのだか、それをうまく解決すると、うまみに転ずるということだろう。あれこれアイデアを考えるのは、設計の要点でもあり、楽しいのだが。

(イマム)


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