掲示板に訪れる人は沢山います。その中で、今回明らかにおかしいと感じた人が、二人いました。その二人は、詳しく調べると同じ人物でないかということがわかりました。この方々が、美術館関係の人ではないかと思うのですが、どういう目的で、書き込みをされたかを考えるとともに、それに対して私が対処したこと、また返事について掲載します。
ご意見 投稿者:麻里亜 投稿日:10月 8日(水)23時05分15秒 前谷先生のゴッホに対する熱意と仮説はとても素晴らしいの。でも麻里亜にも意見を言わせてね。みすず書房のゴッホ書簡全集6巻を読んで考えたの。1889年5月25日の書簡に書かれている3幅対(みすずでは3曲1双)のスケッチはゴッホがアルルを去り、サン=レミの精神病院で書いたのね。アルルで作品をテオに送ってしまったので、手元には作品はないの。ゴッホは記憶で書いたのね。だからひまわりを特定することは困難で確証はないとと思うの。記憶で書いたから形が左右ちがうのも納得ね。1889年1月28日の書簡で7、9点で構成、1月30日の書簡では6点で構成したのを郵便配達夫ルーランに見せたとあるの。だからルーランさんが見たのは6点で、3福対ではないの。だから身内の方ではなくて、展覧会という形で一般の方に見せたのはシカゴについで日本では初めてだと思うの。シカゴでの展示をパパと一緒に見たの。その時にも3福対の作品の上に5月25日の書簡からの引用文があって、損保と同じことをシカゴでもしていたのね。どのひまわりか?ということよりも、ゴッホは真中に聖母子のようなルーラン夫人を置いて、燭台のようにひまわりを両翼に添えて、癒しの気持ちを表現したかったことが大事なのかなと思うの。かしこ。 竹内麻里亜 |
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この文章を何回か読み返すと、きもい文面の中に作者の知識の深さがわかります。知識が深い人間が、あさはやかな女性の仮面をかぶろうとしています。悲しいものを感じます。 結局、そのことが自分の価値を下げていることに気づいていないんです。どうどうと、男の名前で、語ってほしいですね。 内容に関しても、サン=レミの精神病院で書いたものでも、あの挿絵は画家が描いたものです。私がしたように、分析していけば、左右が同じものをしめさないことは、明らかです。同じものを描くなら、同じに描くでしょう。左描いて、右に写せば良いのですから・・・。その事実を、何とか否定したいんです。 ルーランのところも、こじつけです。この時点で、ゴッホは、背景が黄色のものと青緑のものをオリジナル2枚とレプリカ2枚を、描き終えています。それにラ・ベルスーズを入れて並べれば、「三幅対」が、二つ形成されます。ワンペアだったら「三幅対」だが、ツーペアなら違うというのは、屁理屈です。書簡には、ちゃんと入れて見せたとあるのですから・・・。 シカゴに実際行かれたかは、私にはわかりませんが、損保がシカゴのマネをしたということは、間違いないでしょう。 私たちは、黄色の背景のヒマワリを一番に思いますが、ゴッホ自身は、この二つの間に優劣をつけていません。それは、「ゴーギャンが気に入っている方を描き直してやろう。」とテオに宛てた書簡で言っていることからも明らかです。 竹内麻里亜は、竹内マリアをもじったものでしたら、伝説の歌姫をこんな風に使うのは、やめてほしいです。 私が書いた返事は下記です。 |
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@麻里亜さんへ 書き込みありがとうございました。 ただ、問題は画家ゴッホが描いた挿絵だと思います。 記憶にもとづいて描いたとしても、とてもあの絵が左右同じものを描いたとは思えません。 そのことを大切にするべきと、私は考えています。 そのことは、下記ホームページで詳しく述べています。 それを忠実に再現するのが大切だと思います。 また、再現できなかったのなら、その理由を明らかにするのが、美術館の役目ではないでしょうか? 私が思うには、ゴッホにとって背景が青緑の壷にいけた12本のひまわりも、背景が黄色の14本の壷にいけたひまわりも同等に大切な作品と考えていたと思うのです。 ですから、ルーラン夫人を囲むから、違う2作品で、ほめたたえてと思います。燭台に関しては、別のページで記載しています。 両翼の捕らえ方も、少し違う気がします。 文面からの感じで申し訳ないのですが、麻里亜さんは少し違った感じの方と感じます。 |
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@麻里亜さんへ |
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間違いだったら、ゴメンナサイ! 投稿者:maepi2(管理人) 投稿日:10月 9日(木)00時14分34秒 @麻里亜さんへ |
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傍観者より 投稿者:美果 投稿日:10月13日(月)13時32分44秒 maepiさん今日は。美術史を研究するものです。maepiさんとS美術館の往復書簡を拝見し一研究者として感想を述べます。これまでの投稿者と違った角度から見ているかもしれませんがお許しくださればと存じます。maepiさんの言説は学術的定義で言えば(まだ評価の定まっていない)仮説です。「仮説」を基に相手へ打診しても相手は困惑するだけではないでしょうか?maepiさんがこの「仮説」を美術史学会で学術論文を発表され、欧米の美術学術誌に掲載されれば、世界のゴッホ研究家に認知され、それがいずれ「定説」になるかもしれません。 |
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この文章の方が、まともです。ただ、また美果という女性の名前を使っているのは、何故だかわかりません。 私の説が仮説ではなく、きちっとしたものであることは、クレラー=ミュラー美術館からの返事(⇒海外からの返事)から明らかです。さらに美術館関係者の方なら、自分たちが印刷して売っていた解説書は、何だったのだということになります(⇒決定的証拠)。過去のことにも責任を持って対処してもらいたいです。 ただ、wingsが羽を示すものではないというのは、確かかもしれません。そのことについては、再度英文をチェックしました(⇒書簡592の和訳)。また、そのことに対する訂正も掲載しました(⇒展示された「三幅対」)。私は、どこかの美術館と違って自分が間違ったことを述べている可能性がある場合は、すぐ対処しています。 宗教絵画のtriptychについては、私が調べた限りでは、三枚の絵の中に同じものが存在するという可能性が、はるかに少ないということは、アントワープの聖母大聖堂でのtriptychについて述べて明らかにしました(⇒三幅対とは?)。 ゴッホのサインについては、その他多数のゴッホ作品について述べているのではなく、「壷にいけられたヒマワリ」5作品の中に限定して述べています。そして、ゴッホは自信がある作品・売れると思った作品にサインを入れていたという言葉は、今回の「ゴッホと花」展の図録に掲載されています(⇒ゴッホの記憶にないヒマワリ(2))。 また、「サインがない作品」=「呪われた作品」とするといっているのではないです。何回も言いますが、描かれた時期が変わったということが示す空白の期間です。1888年の12月には描き終え、ゴッホの手元に損保ジャパン東郷青児美術館のひまわりがあったなら、どうしてあの作品だけサインを入れなかったか!、何故書簡に登場しないか?ということです。これは、明らかにおかしいです(ゴッホの記憶にないヒマワリ)。 ゴッホ美術館の学芸員・修復家の見解に従うのは、勝手ですが、そのことによって自分の美術館の作品が、立場を危うくしていることに気づかれてないと思います。 このことに関しては、いずれ真の専門家の意見を聞いてみようと思います。そうでないと自分の中で納得できないからです。 最後に、[Gogh Museum Journal]のことを述べていらっしゃられますが、私は有名人になるためにこういうことをしているのではありません。正しいものを、真実を曲げないで、展示して欲しいという気持ちでしています。 美術館関係者の方なら、メールの遣り取りで、非を認めた時点で、展示する時に、それなりに直すべきです。そうすれば、私もこんなに苦労することはありませんでした。この労力は、大変なものです。何か勘違いされてます。 私が書いた返事は下記です。 |
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傍観者より(返事) 投稿者:maepi1(管理人) 投稿日:10月13日(月)19時43分13秒 @美果さんへ |
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傍観者より(返事2) 投稿者:maepi1(管理人) 投稿日:10月13日(月)19時50分37秒 @美果さんへ |
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傍観者より(返事3) 投稿者:maepi1(管理人) 投稿日:10月13日(月)19時54分45秒 @美果さんへ |
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[Gogh Museum Journal] 投稿者:maepi1(管理人) 投稿日:10月13日(月)19時58分30秒 @美果さんへ |
傍観者どころか、一番の当事者の可能性が高いんですから、卑怯なこと、この上ないことです。BBSは、どういう風にアクセスして来たかを調べることができます。BBSを管理したものなら、すべての人がわかっていることです。何とか、やめさそうとしている美術館関係者の姿が目に浮かびます。このことに恐怖を感じたのは事実です。しばらく眠れない日々が続き、そのため一層、パソコンの前に座る時間が増えました。
ですから、Takさん、私が損保ジャパン東郷青児美術館の学芸員の方の話を聞きたくない気持ちわかって欲しいです。