映画情報  (2003年〜  )

                           【2003年11月20日 新設】      【2010年5月13日 更新】  


 10月27日
 Iさんからメールあり
 土曜日に開幕した東京国際映画祭・特別招待作品 の「レオニー」を、観てきました。
 ジャパンプレミア以外では、一般初公開ということで、各国の取材陣も 多数来ていて、国際映画祭らしい雰囲気でした。
 津田梅子(原田美枝子)とのからみは、冒頭、留学先の大学で、梅子が演説の練習をしている場面で、 女子の大学を日本に作りたいという梅子の理想を聞く場面、そして後半、夫(中村獅童)を追ってレオニー (エミリー・モーティマー)が、何も知らない日本に来て、大変な生活をしている時、たまたま目にした、 津田梅子が学校を創設したという新聞記事を読み、自分も何か役に立てたらと訪ねますが、梅子は、 シングルマザーとしてのレオニーを、この学校は良家の女子が通っており、非常に保守的な中で、 あなたを今すぐに受け入れられる時期ではない、と断るシーンです。

 上映時間は、約2時間15分。マスコミ試写では、かなり好評とのことで、当初の角川シネマ新宿のほか、シネ・リーブル 池袋、楽天地シネマズ錦糸町での追加公開も決まりました。11月20日(土)からの一般公開予定です。
 そんなことで、また。失礼いたしました。

 10月22日
 Iさんからメールあり
 はじめまして。 一昨日の映画情報の追加です。「レオニー」は、今週の土曜日から開幕する東京国際映画祭の 特別招待作品として、国内初公開されます。
 なお、11月20日(土)から、新宿の角川シネマ新宿で、都内独占公開の予定です。

 〈返信〉
 ありがとうございました。

 10月20日
 Mさんから映画情報あり
 11月20日公開の映画「レオニー」に原田美枝子さんが津田梅子役で出演しています。 イサム・ノグチの母、レオニー・ギルモアの物語ですが、主人公に影響を与える人物として津田梅子が描かれているそうです。
 クレジットは主役の二人に続く三番目です。こちら

 〈返信〉
 ありがとうございました。観に行きたいです

〔2010年〕
 勝新太郎の映画「兵隊やくざ」を観てから、映画の原作となった『貴三郎一代記』を書いた有馬頼義氏に興味を持っていた。 「兵隊やくざ」を観ていると、どうも佐倉の歩兵第57連隊を想起してしまうからだ。
 勝新太郎が配属となった部隊が軍旗を先頭に孫呉の駐屯地に到着する場面がある。 軍旗はぼろぼろとなっており、旗の周りにある総だけとなっていた。実は、この軍旗の状態が57連隊のものの状態と似ていたからだ。 もちろん、陸軍の軍旗は補修しないから、ほかの連隊もそうであっただろう。そうではあるが、映画のイメージを57連隊に重ね合わせてしまっていた。
 『遺書配達人』の解説に真鍋元之氏が「有馬頼義は自筆の年譜をのこしていて、その1940(昭和15)年の項は、つぎのようになっている。
 『二二歳。一月五日麻布東部二部隊に入隊。正式には歩兵第一連隊という。麻布は留守隊で、本隊は満州国黒河省孫呉にあり、五日目で、渡満した。 十日間汽車にゆられて孫呉に到着する。ソ連国境黒竜江に面した山の陣地にはいる』とある。
 孫呉における57連隊は、1連隊より平地(湿地帯)に駐屯していたので「山の陣地」には入らなかったが、近接していた。有馬氏は第1連隊の除隊者交代要員として孫呉に送られたのである。 有馬氏が1連隊にいたのだから、「兵隊やくざ」に親しみを覚える。もう少し何かがあれば佐倉にゆかりのある映画と認定したいところである。
 「遺書配達人」を読むと、第一師団が列車で南方に転進させられる様子が描かれていた。第一師団は上海に到着した後、レイテに向かうこととなっていた。 この場面を描いた小説は見当たらないので、ご覧ください。

 4月15日
 映画情報
 現在上映されている「誰かが私にキスをした」に、京成大佐倉駅でロケされた場面が出てきます。
 映画では、長野かどこかのローカル線の駅という設定で、 ほんの数秒の1カットですから、ロケがあったことを知らなければわかりませんね。


〔2009年〕
 1月26日
 映画情報
 DVD「明治一代女」購入。5040円。高いと思ったが、DVDのほかに「明治一代女」のブックレットがあり納得。
 これをみれば、花井お梅のことや、小説、映画の話がほとんどわかります。
 さて、川口松太郎の小説「明治一代女」の主人公花井梅は、佐倉出身でした。川口は、「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」、そして「明治一代女」により、第1回直木賞を受賞しました。
 この小説は新派の当たり狂言として世に知られ、それを映画化した作品ということになります。
 監督は伊藤大輔。出演は木暮実千代はお梅役でした。1955年、新東宝製作です。

 2009年1月7日
 ホームタウン佐倉さんから映画「指導物語」情報をいただく
 映画「指導物語」情報は、2006年11月23日に情報をいただいて以来のことです。
 1941年(昭和16年)10月1日発行の『映画旬報』(映画出版社)に、今藤茂樹が「指導物語」製作報告を書いています。この中でロケーションについて述べているところがあり、
「平行疾走する列車は、佐倉―酒酒井 佐倉―南酒酒井間の約二粁半の平行する軌道に於て撮影された。この場面では、瀬木と佐川、田町と草野をのせた列車がこの平行線で出会い、 互いに競争意識にかられて激しいせり合ひをする。この二つの並行疾走する列車を撮影するために、鉄道省の好意による数回の臨時列車が運転された。
 (略)この平行線の撮影にはかなりの日時をおいて、延日数約一週間に亙って撮影したので、列車の速度を合はせるために苦心を要した。」とあります。

 〈返信〉
 前の情報から2年過ぎて、ようやく決着がつきましたね。ごくろうさまでした。



〔2008年〕
 10月25日
 本日から映画「ICHI」が公開されたので、さっそく観てきました。終りごろになって、たぶん、さっきの家が佐倉で撮影された家だったんだな、と思いました。
 Iさんも言っていましたが、佐倉の民家がでてくると思って観ていないとわからないですね。私は、それでもわかりませんでした。セットがすばらしいというべきか。
 クレジットに佐倉市役所経済環境部商工観光課・ 佐倉草ぶえの丘・山万株式会社・ワイエムメンテナンスと出てくるということで、これまたしっかり観ていたのですが 文字が小さくて読めませんでした。
 でも、パンフレットには、しっかりと撮影協力として上記の名前がありました。認定です。
 それはともかく、映画はすばらしいです。まだこんなに自然が残った土地があったのかと思うとともに、チャンバラがかっこよかったです。

 10月21日
 Iさんから映画情報あり
 先週の金曜日に、佐倉市ロケ作品「ICHI」の試写に行ってきました。綾瀬はるかちゃんは、今までのアイドル映画とは 一線を画して、熱演でした。
 で、「ICHI」ですが、注意して観ていないと、なかなか佐倉とわからない感じですが、あたしは、構えて観ていましたので、 わかりました(笑)。
 なお、エンドロールのクレジットには、撮影協力として、 佐倉市役所経済環境部商工観光課・佐倉草ぶえの丘・山万株式会社・ワイエムメンテナンスとバッチリ入っていました。佐倉市関係作品として認定ですね。
 「ICHI」は、今週の土曜日公開です。時間がございましたら、ぜひご覧ください。以上、ご報告まで。

 〈返信〉
 ありがとうございました。Iさんに判定していただければ確定です。これから映画評論も、ご寄稿ください。
 私も「ICHI」を楽しみにしています。

 9月5日
 Sさんから映画情報
 2008年10月25日(土)全国ロードショー される、綾瀬はるか主演の映画「ICHI」(女座頭市ですね)に、佐倉・草ぶえの丘脇にある民家でロケが行われたそうです。
 観に行きます。

 7月10日
 節の介さんから映画情報のメールあり
 藤原智子監督「夢は時をこえて〜津田梅子が紡いだ絆」 平成12年 日本映画新社
 佐倉にゆかりのある津田仙の娘であり女子教育の先駆者である 津田梅子の足跡をたどった作品。平成20年度「キネマの夕べ(佐倉市)」案内チラシよりでした。

 <返信>
 さっそく、購入しようとしたのですが、販売されていませんでした。どなたか、どのようにすれば購入できるのか教えてください。

 7月2日
 映画情報
 藤沢周平原作の映画「山桜」が上映されています。監督は篠原哲雄。主演は田中麗奈、東山紀之、わき役もベテランの俳優が出演しています。
 舞台は庄内にあった海坂藩の話ですが、ロケに佐倉の武家屋敷が使われました。気品があり、さわやかな映画です。また、庄内の自然の美しさが、すがすがしさを与えてくれました。
 製作はバンダイビジュアル、ジェネオンエンタテイメント、テレビ朝日、テンカラット、日楽堂、デスティニー。配給は東京テアトル。

 <返信>
 ありがとうございました。

 5月17日 
 篠原哲雄監督「山桜」 藤沢周平文学の映画化です。
 佐倉市の武家屋敷でロケが行われました。
 5月31日(土)より、公開されます。ご鑑賞ください。

 2月11日 
 佐倉ゆかりの映画情報
 本屋で木村恵吾監督「三万両五十三次」(1952年 大映 出演 大河内傳次郎、轟夕起子ほか)のDVDを購入しました。観たかった映画でしたが、 まさかあるとは思ってもみませんでした。

 映画は、大河内傳次郎が演ずる佐倉藩士馬場蔵人が、藩主堀田正睦の命を受けて、三万両を京都に運ぶストーリ。
 道中、佐倉藩士は盗人や佐幕派の志士たちにねらわれる。佐倉藩とわかる場面は、最初の方の一言「ほった じゅういちまんごく」、 最後の方の一言「びちゅう しゅうちゃくしごく」しかなく、続いて「ばくふの そんぼうをかけた」などという言葉が出ますので、気にしなければ どこの藩の話かわかりません。
 最初と最後の一言によって、この映画は、幕末、老中首座であった堀田正睦が日米修好通商条約締結のために、朝廷の勅許を 得るために京都に向かうという話です。

 この映画があったということは、既に把握していました。「映画情報」の項目、2007年6月9日付けに紹介していますが、 『写真で見る大衆文学事典』によると、この映画は3回もつくられたとあります。
 1回目は昭和8年(1933)、日活が大河内伝次郎で。2回目は昭和27年(1952)、大映が大河内伝次郎で。3回目は昭和34年(1959)、東映が大友柳太朗でつくったとあります。 東映作品は「戦後の物価高を反映して、『百万両五十三次』と改題されたが、運搬するのは三万両で奇妙だった」そうです(79頁)。
 私が購入したDVDは、2回目の作品ということがわかります。

  この映画は、野村胡堂の『三万両五十三次』を映画化した作品です。現在、中公文庫となっていますのでご覧ください。痛快です。



〔2007年〕
 12月4日 
 福岡市のFさんからメールあり
 ご連絡ありがとうございます。HPで東伏見の現地調査レポートを拝見し、緻密な考証に感心いたしました。まさに決定打です。
 テレビ版では、疑いようのない銚子電鉄の車両が登場して、拍子抜けでしたね。 なお、テレビ版の香椎海岸は三浦半島ではないかと聞きました。
 映画の海岸も現地ではありません。実際の香椎海岸は、博多湾のドン詰まりで多少岩場はありますが、荒波とは無関係の穏やかなところです。
 貴会の益々のご発展をお祈りいたします。

 〈返信〉
 これからも、よろしくお願いします。
 返信はここまで。

 映画「点と線」の西鉄香椎駅は、西武鉄道の「とある駅」というご教示をいただいたのがFさんでした。
 それから3ヶ月近くたって、ようやくその結論が節の介さんによって出されるところとなりました。 この間、いろいろな方からメールをいただき、楽しいひとときを過ごすことができました。お礼申し上げます。
 Fさんからメールをいただいて、本件については一区切りがつきました。これからも、何かありましたら皆さんと検証していきたいと思います。

 12月1日 
 節の介さんから、映画「点と線」のロケ地について、西鉄香椎駅のロケ地は、西武鉄道の東伏見駅であるとの調査報告をいただきました。  (こちら)

 報告書を読んで、私も東伏見駅だと判断します。なにせ、ロケを見ていた人が複数いるのですから断定ですね。
 それにしても、調査だけで5時間もかかったそうです。お疲れさまでした。

 11月12日 
 過日、sendagiさんから情報提供のあった北野武監督の映画「監督・ばんざい!」を購入。
 映画の最初と最後に、人形が病院で人間ドックのような検査を受けている場面あり。いきなり検査室ですから病院名がわかりませんが、映画の最後に、協力、聖隷佐倉市民病院 とありました。よって、この作品を佐倉ゆかりの作品とします。

 10月9日 
 sendagiさんからメールあり
 映画の中で、踏切の近くにある電柱についていた看板「田無質店」の件です。
 当初、ネットであたっても見つからなかったのですが、ネットの検索サービスを変えて更に調べたところ、 田無質店が実在することがわかりました。いつから営業しているのかわかりませんが、最寄駅は田無駅でした。
 田無駅と東伏見駅の間に西武柳沢駅があるので、東伏見駅は3番目に近い駅ということになります。 質屋という業種の店がどのくらいの範囲に広告看板を出すものなのか、私にはわかりませんが、またひとつ疑問が解消しました。

 もうひとつ、西部小型運送有限会社の件はまだわかりませんが、どうやら、映画の中で西鉄香椎駅を装うための細工は、 もっぱら、駅舎と駅前広場がある、線路の南側エリアに施されたものと思われます。

〈返信〉
 そうですか。線路を挟んだ反対側のエリアは実在する町が写っているということになりますね。病院も、です。ここまでわかれば、もう少しですね。

 10月8日 
 sendagiさんから3便あり
 ほかにも東伏見駅と突き止めてくれた方がいたなら、もう100パーセントですね。
 今夜はぐっすり眠れそうです。

 〈返信〉
 映画の遠景に写っている病院が東伏見駅付近にある藤沼内科と特定できれば、確定ですね。
 どなたか、情報をいただければ幸いです。

 sendagiさんから2便あり
 これまで、DVDを繰り返し見て、わかってはいたものの、探索キーにはしていなかったのですが、 映画に出てくる駅は、改札口に立つと線路を挟んで反対側に建つ病院が見えます。
 「内科 小児科?」しか看板の字が読めません。小児科も、「児」が隠れてしまって、推測です。
 病院名もわかりませんが、このような遠景の看板類については、ロケをするにあたって、 とくに小細工はしていない筈と思っていました。「田無質店」の看板と同様ということですね。

 撮影当時、駅の近くに病院があったとしても、駅周辺の開発で移転してしまったり、廃業したり、 それを調べて特定するのは困難と思っていましたが、東伏見駅と確信した今、調べてみますと、 元々の駅舎の位置から線路を挟んで反対側に、藤沼内科クリニックという病院があることがわかりました。
 おそらく、建物は建て替えているとしても、当時から同じ場所にある病院でしょう。内科ですし。

 ところで、先ほどのメールの中で話しました、昭和49年度の空中写真ですが、拡大してよく見ますと、 駅舎の屋根のとんがりなどもわかりました。真上から見た状態ですが、駅周囲の建物の位置や大きさも、 結構わかります。昭和49年度の撮影ですから、映画の時とは17年前後のズレがあるわけですが、 非常によく残っている、というか、変わっていない印象です。

 sendagiさんからメールあり
 さらに調べていった結果、
 @昭和30年頃の田無の駅舎と同じデザインの駅舎はほかにもあった。
 ・とりあえず新宿線の、それも田無から上下方向に順次調査中です。池袋線まで手が回っていません。 ただ、池袋線と新宿線は、歴史的な成立過程が違うので、あのデザインの駅舎は新宿線オリジナルかも知れません。

 A今は2面3線配置ではないが、昭和30年代の時点では2面3線配置だった駅があった。
 ・花小金井駅は中央の1線を埋めて1面2線になった。
 ・東伏見駅は中央を2線にして2面4線になった。

 B花小金井駅についてはその頃の写真を見つけた。
 ・ただし、駅舎と、ホーム、線路の位置関係が違う。
 ・橋上駅化前の駅舎は片側(北口)しかなかった。つまり反対側に駅舎はなかったので、田無を疑った時のような推測は成り立たない。

 以上のような状況の中で、東伏見駅について、今のところ、昭和30年代の頃の駅舎の写真を見つけられずにいますが、 国土交通省の、国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)で、昭和49年度の空中写真で東伏見駅を見ますと、 駅舎、ホーム、踏切、駅前広場と周辺道路などの位置関係が、映画に出てくる駅と酷似していることがわかりました。
 もちろん、上空から見た写真なので、駅舎の屋根の形まではわかりません。
 私としては、90パーセント、東伏見駅で間違いないと思っていますが、しかし、もうひとつ決定的な“何か”が欲しいところです。

   10月7日 
   節の介さんからメールあり
 点と線のロケ地の件
 DVDを見る機会がないので関心を持っていなかったのですが、youtubeで国鉄駅と西鉄駅の場面を含んだ約10分の 映像を見ることが出来、西鉄駅の様子を理解しましたのですこし、調べてみましたところ、西武新宿線の東伏見駅が 浮上してきました。

 ご検討なさっている方への参考情報になりそうでしたら次の情報を転送していただければと思います。 もし、既に、この駅が落選しているのでしたら放念下さい。
調査した方法:
(1)google マップを適当なスケールにして西武新宿線の線路上を追いかけて、踏み切りと駅舎の関係、ホームと構内線路の本数からいくつかの候補駅を抽出。
(2)対象駅の地図画面を「航空写真」モードに切り替えて雰囲気、可能性をチェック。この段階は、googleマップですから現在の地図、写真情報です。
(3)全部を判定したのではありませんが、東伏見駅が候補として浮上。
(4)国土画像情報閲覧で昭和の頃の、この地域の写真を調査
(5)昭和49年の写真で東伏見駅の踏み切り、駅舎、駅前の配置を確認。
 これらのjpgは写真の右下隅に現れる拡大マークをクリックすると道路上の車の数が識別できるぐらいに拡大されます。早稲田大学の敷地の北側が東伏見駅です。
(6)昭和30年代の駅の様子を確認。
  国土変遷アーカイブで東伏見駅付近の写真を検索。
  USA-M578-2-176
   東京都練馬区
  昭和31(1956)年撮影
  の画像が(5)とほぼ同形状であることを確認
  次の写真も参考。
  USA-M377-110
  東京都練馬区
  昭和22(1947)年撮影

   USA-R596-3
  東京都西東京市
  昭和24(1949)年撮影
  これらの写真の閲覧方法
  「撮影作業名から検索」の画面で作業名「USA」、コース番号「M578-2」、写真番号「176」で検索する。200dpiで表示。

 〈返信〉
 東伏見駅ですか。新しい見解ですね。地図から確認するという方法もあったのですね。ただ、もう一つ決め手がほしいですね。

 sendagiさんからメールあり
 さらに調べていたところ、今度は映画に出てくる駅が田無である可能性を否定する情報を得ました。
 映画の中の駅は、2面3線配置なのですが、撮影された時期の田無は1面2線配置だった・・らしいのです。
 DVDのパッケージに、昭和33年11月公開とあるので、当然、それよりの前に撮影されている訳ですが、 鉄道会社のHPではないものの、西武鉄道の年表などを掲載しているHPがあり、 それによると、昭和37年に田無駅は橋上駅舎化され、その時に2面3線配置に変更したとされています。
 また、同様に、上石神井駅も昭和35年に橋上駅舎化と2面3線配置への変更があったとのことで、 そうだとすると、映画に出てくる駅は西武線のどこかであるにしても、確実に田無ではないことになり、 上石神井駅でもないことになります。まぁHPにしても雑誌にしても、新聞にしても、 情報の出所が別にあるわけで、調べていくとまた異なる情報が出てくるかもしれません。

 〈返信〉
 たぶん、これまでに掲載した文章がgoogleなどで検索できるようになるでしょうから、いずれ新たな情報があるかも知れませんね。
 ちょっと佐倉と離れてしまいますが、話の成り行きですから、みなさまの情報提供をお待ちしています。

 10月5日 
 sendagiさんからメールあり
 ・映画に出てくる電車(ロクサン形)について
 昭和30年代前半の頃の西武鉄道の通勤型車両に関しては、ロクサン形以外は3扉車だったことがわかりました。
 そうだとすると、映画の中でチラッと出てくる4扉車の車両は、やはりロクサン形ということになります。(ロクサン形といっても各鉄道会社で別個の形式名がありました。)

 ウィキペディアで調べますと、西武で使われたロクサン形は、他の車両が3扉車ばかりの中、唯一の4扉車だったため、 運用上支障があり、当初は新宿線や国分寺線で使われたものの、後にローカル線の多摩湖線に追いやられたようです。

 そうだとすると、@映画の中では、3扉車の編成に混じって活躍中。Aその路線は複線区間。 B多摩湖線に追いやられる前は新宿線や国分寺線で使われていた。・・・これらの点から、 西鉄香椎駅に仕立てられた駅は、西武新宿線のどこかの駅では?と推測しました。

 電車の色に関して、ホームタウン佐倉氏の見解も拝見しました。○○色という表現は難しいですね。
 実際、鉄道車両に関しては、白っぽい色から含めて黄色系といえる明るい色と、黒っぽい色から含めて赤系といえる濃い色の、 それぞれを使ったツートンカラーというのは日本中、各地の鉄道会社で結構使われています。
 また、新製当時あるいは塗装し直した直後の時と、廃車されて長らく放置されている時ではまったく色調が違います。
 さらに、映画や写真のフィルムに収められた状態でも変わり、それを元に書籍として印刷した場合にはまた色調が変わったりするため、 見比べて判断するのが難しいことは多々あります。ただ、それらを考慮しても、映画に出てくる電車の、あの色は、西武鉄道の旧塗装に間違いないと思います。

 ・西鉄香椎駅として映画に出てくる駅舎について
 ホームが2面3線という特徴があり、これまたウィキペディアの情報ながら、西武では、田無、石神井公園、上石神井の各駅が、 同様の配置ということまでは前回のレポート時点でわかっていたわけですが、さらに絞り込むべく、 昭和30年代の各駅の駅舎についてネットであたっていたところ、田無の駅舎が酷似していることがわかりました。
 石神井公園は全然違う。上石神井は写真が見つけられず不明です。
 ただし、私が見つけた、昭和30年代の田無の駅舎の写真というのは、西東京市のHPの中の、 市のあゆみ〜年表・田無版に出ている、小さな写真だけです。

 映画で出てくる駅舎は、屋根まわりを看板で覆われてしまっていますが、わずかに、屋根の小さなトンガリが見えます。
 看板を取り払えばこんな感じになるなと思いました。それでいて断定はできない決定的な理由は、駅舎とホームの位置関係が逆だからです。

 映画の中の駅舎は、駅舎に対するホームの位置が、この写真を裏から透かして見たような位置関係になっています。
 つまり、HPの写真を仮に北口の駅舎とした場合、線路を軸に線対称として、南口にも同デザインの駅舎があったなら、 そちらは映画の中の駅舎になるな・・・と推測するしかないのです。
 それと、私鉄の駅舎というのは、開業当時からのものであれば、同じデザインの駅舎が各駅に造られていたりするため、 仮に、そのものズバリの位置関係だったとしても、他の駅という可能性は捨てきれないことになるからです。

 映画の中に「田無質店」の看板があったことと、ロクサン形電車の件から、西武新宿線の田無駅の可能性を疑って調べてきましたが、 ここまでくると、鉄道関係の本より、西東京市・田無の歴史の本をあたるしかないようですね。
 それと、西武の各駅をすべて調べているわけではないので、沿線に東映の撮影所がある西武池袋線に関しても、 まだ可能性は捨てきれない。わからないです。

〈返信〉
 ありがとうございました。

 10月4日 
 過日、Fさんから映画「点と線」について、西鉄香椎駅は西武鉄道のとある駅であるというご指摘がありました。(9月22日の日記参照)
 そこで、私どもで検討した結果、ご指摘の通りであるという結論になりました。よって、HPの文章を訂正いたします。

 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 映画「点と線」のロケ地に関してですが、当時の西鉄香椎駅を実際に見ていません。したがって、駅舎からの判断は出来ないのですが、その頃の西 鉄電車は、「イエローとマルーン」の塗り分けであったような記憶がありました。
 そのため国鉄香椎駅(実際は佐倉駅)のシーンの次に、「イエローとマルーン」の塗り分けの西鉄電車が遠望で画面を横切る光景があるので、単純に現地ロケと考えたのです。
 映画を見直さないと分からないのですが、通過した電車が4両以上であればFさんのおっしゃるとおり、西武電車のどこかの駅で間違いありません。

 当時の西鉄宮地岳線電車は2〜3両編成であった事は、鉄道雑誌でも確認できます。ところが車体の塗り分けは、当時の鉄道雑誌がすべてモノクロ写真の 掲載なので確認できませんが、記事の中に「クリームとマルーン」であったことが、記載されています。
 マルーンとはチョコレート色のことで、昭和46年撮影のカラー写真では、確かにこの塗色の電車が走っています。

 私が福岡を始めて訪問したのは、昭和34年10月で、ロケの時期とあまり違いませんから、その時の記憶が正しくて西鉄と西武が「イエローとマルーン」 の同様な塗色であり、その後に西鉄が「クリームとマルーン」に塗り替えたとすれば、西鉄香椎駅で撮影した可能性もありますが、記憶が誤りでその頃 既に「クリームとマルーン」になっていたとすれば、これは明らかに西武電車(当時の塗色は、「イエローとマルーン」で間違いありません)のどこかの 駅と言うことになります。

 いずれにしても、甚だ曖昧な記憶が頼りの推理ですからあしからず。こうなると情死体発見シーンの香椎海岸も現地ではなく、別の場所での撮影の可能性が大きいですネ。

 sendagiさんからいただいたメール。
 @映画に出てくる電車について
・表現が適切かどうかわかりませんが、車体は山吹色とコゲ茶色のツートンです。見た感じでは西武鉄道の旧塗装そのものって感じです。
かつて西武鉄道の中古電車を導入した蒲原鉄道(新潟県)では、以後、その当時の西武塗装を自社車両の標準色として、1999年の鉄道廃止まで使用していました。
 映画の中の電車はまさにその色ですね。一方、西鉄の電車はというと、映画ロケの頃は、これまた表現が適切かどうかわかりませんが、 クリーム色とあずき色のツートンだったようです。(ネットで適当に調べました)ですから、福岡の人が、「似ているので騙される・・」とコメントしているのも頷けます。

・車体の社紋は、残念ながら、いくらコマ送りしてみても、流れてしまっていてはっきりわかりませんでした。しかし、どちらかといえば、西鉄のマークより西武のマークに近いと思いました。

・西鉄宮地岳線は最長でも3両編成の運転ですが、映画をよく見ると、2両編成もあれば、4両編成もありますね。

・走っている電車の編成の中に、ロクサン形と思われる車両が混じっている。 ロクサン形というのは、「モハ63」という形式に由来する呼び方で、国鉄が戦時中にギリギリまで資材を節約して設計した電車です。 戦災で車両の多くを失った私鉄でも導入例があります。戦後も、近代化改装してしばらく使われていました。
 そして、この形式は、西武では使われたが、西鉄では多分、使われていない。(自宅の鉄道雑誌で調べました)
 ただ、ロクサン形というのは形態的なバリエーションが多いので、映画の中の電車にはいまひとつ確信が持てないです。西武で使われたロクサン形は数的には少ないので、たまたま映画の中に写りこむ確立も低かった筈ですね。

 A映画に出てくる西鉄香椎駅について
 ・駅舎
 駅舎自体は、国鉄香椎駅と同様、完璧に「福岡」になりきっています。映画の中でアップになる時計も、文字盤に西鉄のマークがついています。ですが、映画が撮られた当時の西鉄香椎駅舎は実は最近まで現役で、 去年、鉄道の高架化に伴い姿を消したそうです。
 「点と線」に出てくる駅舎、つまり、映画ではなく、小説の中で描かれている駅舎そのもので、それが消えるということで、旧駅舎最後の頃は鉄道ファン以外にも、 名残を惜しんで訪れる人が結構いたらしいです。
 で、これまたネットで適当にあたると、旧駅舎の写真が出てくるのですが、映画に出てくる駅舎とは、「こじんまり感」は同じ程度ですが、どうも印象が違います。
 もちろん、基本的には変わらない建物だったとしても、時代によって姿を少しずつ変えることはあるし、単純に見比べてどうこう言えるものでもないですが。

 ・駅の線路配置について
 線路とホームの配置が島式ホームの2面3線です。かつての西鉄香椎駅がどうだったかは知りませんが、今現在1面2線の配置ですから、昔のほうが規模が大きかったとは考えにくい。
 また画面には出てこないものの、ホームから伸びる線路とポイントの配置からすると、複線区間の駅と推察されるのですが、実際の西鉄宮地岳線は全線単線です。
 島式ホームの2面3線という配置の駅は、個人的な印象としては、国鉄(JR)より私鉄に多いタイプで、西武鉄道だと田無、石神井公園、上石神井などの駅がこの配置らしいです。(これはウィキペディアで調べました)

 B駅周辺について
 ・「田無質店」という広告看板がついている電柱がある。
 東京の田無は西武沿線だが、そのような質店があったかどうかは調べてもわからなかった。しかし、このことは西武沿線を匂わす。

 ・「西部小型運送有限会社」という看板のついた建物がある。
 実際は「西武」なのを「西部」に変えたのでは?・・・根拠のない勝手な推測ですけどね。その隣の、喫茶店「チアキ」も、調べたけどわからなかった。

 長くなりましたが、以上のことから、映画の中の西鉄香椎駅は、西武鉄道のどこかの駅だと思います。
 映画を制作した東映の東京撮影所があるのは西武池袋線沿線なので、池袋線か、或いは新宿線あたりのどこかではと思います。
 とにかく西鉄香椎駅ではない。しかし、何らかの裏付けが欲しいところです。電車に関しては、西武の車両に詳しい人が見たらすぐわかるとは思いますけど。

 9月29日 
 sendagiさんからメールあり
 ご無沙汰しています。
 すたっとTVで、館主様が佐倉でロケがあった映画について語られているのを拝見しました。
 そこで、映画「Dolls」のロケについては、スタッフの撮影日誌のHPで確証を得たことを、 我ながら久々に思い出し、あのHPはまだあるのかなと、先日チェックしてみました。
 すると、またしても、たけしの映画なんですが、今年6月に公開された、「監督・ばんざい!」なる映画で、佐倉市内の病院でロケをした・・との記述を見つけました。 既にご存知でしたら、サラッと流しちゃってください。
 撮影日誌の5に出ています。2006年9月16日だったそうです。どこの病院かは出ていません。ファーストシーンとラストシーンとのことですが、本編で時間にしてどのくらい出てくるのかもわかりません。
 ロケはしたけど、編集段階でほとんどカットされてしまうこともあります。
 まさか印旛村のH病院を佐倉市内と勘違いしてはいまい・・・とすれば、T病院か、S病院か、また別のところか、 勝手に想像してはいますが、これは映画を観ないとわかりません。観てもわからないかも知れません。
 しかし、もう上映しているところはおそらくないでしょう。DVDは11月11日発売と告知されています。
 自分としては、まずレンタルを観て、それから、館主様に報告し・・・などと考えていたのですが、とりあえずメールを送ります。

 <返信>
 お久しぶりです。
 情報、ありがとうございました。楽しみにしています。

10月4日 
 過日、Fさんから映画「点と線」について、西鉄香椎駅は西武鉄道のとある駅であるというご指摘がありました。(9月22日の日記参照)
 そこで、私どもで検討した結果、ご指摘の通りであるという結論になしました。よって、HPの文章を訂正いたします。

 ホームタウン佐倉さんからメールあり
 映画「点と線」のロケ地に関してですが、当時の西鉄香椎駅を実際に見ていません。したがって、駅舎からの判断は出来ないのですが、その頃の西 鉄電車は、「イエローとマルーン」の塗り分けであったような記憶がありました。
 そのため国鉄香椎駅(実際は佐倉駅)のシーンの次に、「イエローとマルーン」の塗り分けの西鉄電車が遠望で画面を横切る光景があるので、単純に現地ロケと考えたのです。
 映画を見直さないと分からないのですが、通過した電車が4両以上であればFさんのおっしゃるとおり、西武電車のどこかの駅で間違いありません。

 当時の西鉄宮地岳線電車は2〜3両編成であった事は、鉄道雑誌でも確認できます。ところが車体の塗り分けは、当時の鉄道雑誌がすべてモノクロ写真の 掲載なので確認できませんが、記事の中に「クリームとマルーン」であったことが、記載されています。
 マルーンとはチョコレート色のことで、昭和46年撮影のカラー写真では、確かにこの塗色の電車が走っています。

 私が福岡を始めて訪問したのは、昭和34年10月で、ロケの時期とあまり違いませんから、その時の記憶が正しくて西鉄と西武が「イエローとマルーン」 の同様な塗色であり、その後に西鉄が「クリームとマルーン」に塗り替えたとすれば、西鉄香椎駅で撮影した可能性もありますが、記憶が誤りでその頃 既に「クリームとマルーン」になっていたとすれば、これは明らかに西武電車(当時の塗色は、「イエローとマルーン」で間違いありません)のどこかの 駅と言うことになります。

 いずれにしても、甚だ曖昧な記憶が頼りの推理ですからあしからず。こうなると情死体発見シーンの香椎海岸も現地ではなく、別の場所での撮影の可能性が大きいですネ。

 sendagiさんからいただいたメール。
 @映画に出てくる電車について
・表現が適切かどうかわかりませんが、車体は山吹色とコゲ茶色のツートンです。見た感じでは西武鉄道の旧塗装そのものって感じです。
かつて西武鉄道の中古電車を導入した蒲原鉄道(新潟県)では、以後、その当時の西武塗装を自社車両の標準色として、1999年の鉄道廃止まで使用していました。
 映画の中の電車はまさにその色ですね。一方、西鉄の電車はというと、映画ロケの頃は、これまた表現が適切かどうかわかりませんが、 クリーム色とあずき色のツートンだったようです。(ネットで適当に調べました)ですから、福岡の人が、「似ているので騙される・・」とコメントしているのも頷けます。

・車体の社紋は、残念ながら、いくらコマ送りしてみても、流れてしまっていてはっきりわかりませんでした。しかし、どちらかといえば、西鉄のマークより西武のマークに近いと思いました。

・西鉄宮地岳線は最長でも3両編成の運転ですが、映画をよく見ると、2両編成もあれば、4両編成もありますね。

・走っている電車の編成の中に、ロクサン形と思われる車両が混じっている。 ロクサン形というのは、「モハ63」という形式に由来する呼び方で、国鉄が戦時中にギリギリまで資材を節約して設計した電車です。 戦災で車両の多くを失った私鉄でも導入例があります。戦後も、近代化改装してしばらく使われていました。
 そして、この形式は、西武では使われたが、西鉄では多分、使われていない。(自宅の鉄道雑誌で調べました)
 ただ、ロクサン形というのは形態的なバリエーションが多いので、映画の中の電車にはいまひとつ確信が持てないです。西武で使われたロクサン形は数的には少ないので、たまたま映画の中に写りこむ確立も低かった筈ですね。

 A映画に出てくる西鉄香椎駅について
 ・駅舎
 駅舎自体は、国鉄香椎駅と同様、完璧に「福岡」になりきっています。映画の中でアップになる時計も、文字盤に西鉄のマークがついています。ですが、映画が撮られた当時の西鉄香椎駅舎は実は最近まで現役で、 去年、鉄道の高架化に伴い姿を消したそうです。
 「点と線」に出てくる駅舎、つまり、映画ではなく、小説の中で描かれている駅舎そのもので、それが消えるということで、旧駅舎最後の頃は鉄道ファン以外にも、 名残を惜しんで訪れる人が結構いたらしいです。
 で、これまたネットで適当にあたると、旧駅舎の写真が出てくるのですが、映画に出てくる駅舎とは、「こじんまり感」は同じ程度ですが、どうも印象が違います。
 もちろん、基本的には変わらない建物だったとしても、時代によって姿を少しずつ変えることはあるし、単純に見比べてどうこう言えるものでもないですが。

 ・駅の線路配置について
 線路とホームの配置が島式ホームの2面3線です。かつての西鉄香椎駅がどうだったかは知りませんが、今現在1面2線の配置ですから、昔のほうが規模が大きかったとは考えにくい。
 また画面には出てこないものの、ホームから伸びる線路とポイントの配置からすると、複線区間の駅と推察されるのですが、実際の西鉄宮地岳線は全線単線です。
 島式ホームの2面3線という配置の駅は、個人的な印象としては、国鉄(JR)より私鉄に多いタイプで、西武鉄道だと田無、石神井公園、上石神井などの駅がこの配置らしいです。(これはウィキペディアで調べました)

 B駅周辺について
 ・「田無質店」という広告看板がついている電柱がある。
 東京の田無は西武沿線だが、そのような質店があったかどうかは調べてもわからなかった。しかし、このことは西武沿線を匂わす。

 ・「西部小型運送有限会社」という看板のついた建物がある。
 実際は「西武」なのを「西部」に変えたのでは?・・・根拠のない勝手な推測ですけどね。その隣の、喫茶店「チアキ」も、調べたけどわからなかった。

 長くなりましたが、以上のことから、映画の中の西鉄香椎駅は、西武鉄道のどこかの駅だと思います。
 映画を制作した東映の東京撮影所があるのは西武池袋線沿線なので、池袋線か、或いは新宿線あたりのどこかではと思います。
 とにかく西鉄香椎駅ではない。しかし、何らかの裏付けが欲しいところです。電車に関しては、西武の車両に詳しい人が見たらすぐわかるとは思いますけど。

 9月22日 
 福岡市にお住まいのFさんからメールあり
 はじめまして。ひょうんなことから貴HPを知りました。
 「点と線」の国鉄香椎駅が佐倉駅を使って撮影したことを初めて知りました。
 ところで、貴HPからこのことを知った人は、「西鉄香椎駅は現地撮影でなく、西武線のとある駅だ」と言っております。
 私は福岡在住で、封切時から現地撮影と思い込んでいたのですが、この指摘をうけてDVDを見直すと、西鉄ではないことがわかりました。
 まず、電車が立派過ぎる。当時の宮地岳線車両は16mクラスの2,3両連結で、扉は手動でした。色と形が似ているので騙されます。
 駅舎と構内配線も実物とは違うようです。以上、発見した人からも連絡があるかもしれませんが、念のためお知らせします。

 なお、おなじころ制作された「張り込み」(野村芳太郎監督)は、佐賀はじめ九州の国鉄駅はすべて現地ロケのようです。
 DVD付録の撮影秘話によると、野村監督は「わざわざ現地に行かなくても撮れるのに、と他の監督さんに言われたけど、筋書きや配役はそれほど面白くないのだから、せめてロケだけは現地でやって迫真力を出したい」という趣旨の話をしていたそうです。
 それはともかく、貴HPのおかげで以前から見たかった「指導物語」もネットから見ることができ、感謝いたします。

 〈返信〉
 はじめまして。
 満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。当ホームページをごらんいただきましてありがとうございます。
 このたび、情報をいただきましてありがとうございました。さっそく、ご指摘のあった西鉄香椎駅の話を検討してみます。またホームページに掲載し、みなさまから情報をいただくようにいたします。

 国鉄佐倉駅ばかりに目をとられ、他は見過ごしてしまった(また現地ロケという思い込みがあった)のかも知れませんね。これからも、よろしくお願いします。

 そうすると、自殺(殺人)現場の海岸も現地ロケではなかったんでしょうかね・・・。「点と線」のロケ地探しにまで、話が膨らんでいくと楽しいですね。

 7月26日 
 Uさんからメールをいただいていましたが、掲載を忘れていました。7月8日の続きです。(「映画情報」に収録)
 市川雷蔵主演の映画『陸軍中野学校』を観なおしました。なるほど、冒頭雷蔵扮する主人公の三好次郎陸軍少尉は「57連隊」と看板のかかっている所に入っていきますね。 そして、連隊長の推薦で加東大介扮する草薙中佐の奇妙な試験を受けるのです。
 これは当時中野学校の受験が各連隊長推薦の成績優秀な者であった事実と一致します。あきらかにこの大映映画『陸軍中野学校』は当時週刊サンケイに連載されていた畠山清行(当時のペンネームは違う)の作品が原作となっていますね。
 その後この『陸軍中野学校』に続き、この作品はシリーズ化され1966年から68年の間に全5作品作られました。以下順に
 『陸軍中野学校』       増村保造監督
 『陸軍中野学校 雲一号指令』 森一生監督
 『陸軍中野学校 竜三号指令』 田中徳三監督
 『陸軍中野学校密命』     井上昭監督
 『陸軍中野学校開戦前夜』   井上昭監督
 それにしても、亀田さんの様な注意深い鑑賞もあるのだなぁと感心しています。

 7月8日 
 Uさんから佐倉本情報のメールあり
 僕は昔から畠山清行の実録歴史物が好きで愛読してきました。先日新潮文庫版の畠山清行著『秘録 陸軍中野学校』を読み返していたところ、思わぬところに、千葉佐倉第57連隊のことが出ていました。 少々長くなることをお許し願えるなら、紹介したいと思います。

「たとえば、その中の一人、小林美文大尉(終戦時中佐)は、日中事変勃発当初の昭和12年8月、歩兵第三連隊の中隊長として、錦州から熱河を横断、張北から万里の長城を超えて張家口に攻め入った大作戦に従軍していた。この(略)迂回作戦は、のちに映画にもなった。

(略)そのころ、満州に移駐して泰安鎮にあった第一師団の歩兵第一連隊と歩兵第三連隊、それに千葉県佐倉の第57連隊の一大隊、大阪の野砲第四連隊で、応急派兵の旅団を編成したもので、数十倍にあまる敵軍の真っただ中へなぐり込み、現役兵の強さ遺憾なく発揮した戦いであった。

(略)また、同時に中野入りした川島威伸中尉も、佐倉第57連隊朝生大隊大十中隊の小隊長(当時少尉)としてこの戦闘に参加し、張家口の手前の八角台で威力偵察を命ぜられた。八角台は、敵がこの日にそなえ、山麓から頂上まで岩石を掘り抜いて築いた幾十段のトーチカ陣地で、全山これみな敵の堅塁である。」
という張家口の戦いに佐倉第57連隊が出てきます。以上、紹介でした。

 〈返信〉
 ありがとうございました。これで、これまでもやもやしていたことが、すっきりしました。
 映画「陸軍中野学校」の冒頭、主人公がスパイになる前の連隊が映し出されます。その連隊が歩兵第57連隊でした。つまり、佐倉の第57連隊の士官候補生がスパイになるという話です。(「映画」の項目に詳細があります)
 映像は、ほんの10数秒だけ、連隊の看板を写しました。佐倉にこだわっていなければ、見過ごしていたでしょう。しかし、増村保造監督は、どうして主人公を歩兵第57連隊の士官候補生に設定したのかということがわかりませんでした。
 でも、映画のヒントになる話が57連隊にあったんですね。さっそく本を購入することにします。
   それから、この迂回作戦の映画の題名は、どのようなものだったのでしょうね。

 ついでではありますが、勝新太郎が主人公の映画「兵隊やくざ」が気になっています。
 勝が演ずる大宮貴三郎が配属になった連隊名はわからないのですが、話は満州に移駐した第一師団の歩兵第一連隊か、歩兵第57連隊でないかと考えています。
 映画では、東京から来たと話していますが、軍旗がぼろぼろで、縁しかありません。この軍旗は佐倉連隊のような気がするのです。
 この映画は有馬頼義の小説「貴三郎一代」を、増村保造監督がつくったものです。何かありましたら教えてください。

 2007年6月9日 
 興津要『写真で見る大衆文学事典』(1978年1月 桜楓社)を読んでいたら、野村胡堂の小説『三万両五十三次』が紹介されていた。ストーリーは堀田正睦が条約勅許のために 京都に向かうのだが、その工作資金として佐倉藩家老馬場蔵人が三万両を運ぶ役目を仰せつけられる。この三万両を狙って勤王の志士や泥棒たちが襲撃をしかけるというものです。 本書は娯楽作品として多くの人に高い評価を受けています。とにかく傑作。面白い。
 この『三万両五十三次』が、映画になっていたということが『写真で見る大衆文学事典』にありました。しかも、3回もつくられたのです。
 1回目は昭和8年、日活が大河内伝次郎で。2回目は昭和27年、大映が大河内伝次郎で。3回目は昭和34年、東映が大友柳太朗でつくられています。
 面白いのは主役の役柄で、大河内は泥棒の牛若金五郎、大友は佐倉藩家老の馬場蔵人であるということです。この小説は主役を替えても映画になるんですね。しかも東映作品は「戦後の物価高を反映して、 『百万両五十三次』と改題されたが、運搬するのは三万両で奇妙だった」そうです(79頁)。
 こういう映画は素直に「見たいな!」と思います。ということで、インターネットで検索したのですが、ビデオが見つかりません。なおさら見たいな!!。

〔2006年〕
 11月5日
 以前、K2さんから映画情報をいただいていた「トカレフ」を観ました。印旛沼が最後の場面で出てきましたので「佐倉ゆかりの作品」と認定します。
 息子の命を奪われた人間が容疑者を探し出します。そして、トカレフという拳銃で打ち合うクライマックスの場面が印旛沼でした。ロケ地は、北印旛沼の吉高機場から本埜河岸あたりまでの沼に沿った道路と、本埜河岸です。
 容疑者がパトカーを奪い、沼に突っ込んで止まるんですね。ここは、私が写真の撮影に行く場所でもありますので、よく知っています。
 また、ここはハスが咲く場所として知られています。冬となっても、ハスの枯れた茎が水面に残っているはずですから、それを取り除いたのでしょうか。とてもきれいでした。
 阪本順治監督、大和武士、西山田海、佐藤浩市出演、ヘラルド・エース配給 1994
 "94年度キネマ旬報読者選出日本映画ベスト・テン第6位
 "94年度毎日映画コンクール音楽賞、録音賞受賞
 "94年度ヨコハマ映画祭作品賞・監督賞・音楽賞・助演男優賞

 10月13日
 K2さんから映画情報。「トカレフ」(阪本順治監督 大和武士、佐藤浩市出演 1994年)に印旛沼がでてきます。ご覧くださいとDVDをいただく。
 「えっ、もらっっていいんですか?」「館主さんのコレクションに加えてください」。ありがとうございます。カバー写真の一枚に、印旛沼(と思う)を背景に銃を構える人物があります。期待が持てそうです。

 6月5日
 fukikohassyさんから佐倉情報あり。
 館主さま。
 ごぶさたしています。古い新聞に小林旭と宍戸錠が佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で格闘シーンがあったという記事を見つけました。
 昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
 続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
 映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。(この経過は、「鉄ちゃんクラブ 2006年〜」に掲載してあります。みなさんと場所を特定しました)

 <返信>
 知りませんでした。また新しい発見ですね。さっそくDVDがあるかどうか探したのですが見つかりませんでした。まだDVDになっていないようです。残念。
 「渡り鳥シリーズ」だとDVDになっているものがあるんですが・・・。

 ☆☆☆
 そのようなわけで、「鉄ちゃんクラブ」のみなさま、今週のオフ会には、これも話題にしたいと思います。
 鉄道雑誌などに紹介されていないでしょうか。
 『近代映画』という雑誌があったと思いますが、この辺からもアプローチしてみましょうか。
3月15日
 CMロケ地写真館を運営しているmcdさんからメールあり。

  mcdさんからメールをいただくことになった経過について。
 2月25日にギムリさんから、映画情報をいただく。「映画『NANA』のロケが上座であったそうです。インターネットで『CMロケ地写真館』というホームページに載っていました。佐倉の映画情報です」
 そこで、CMロケ地写真館を運営しているmcdさんに佐倉が出てくると断定された経過を教えてくださいとメールを送ったしだいです。

 mcdさんからメール
 「映画「NANA」でユーカリが丘でロケが行われた事がわかった経緯についてです。まず、映画館で当該シーンを観たときに、覚えていたポイントが以下の4点です。
 ・ロケ地は、ビッグボーイの駐車場である。
 ・ビッグボーイの道路を挟んだ向かい側に営業中のファミリーレストランらしきものが見える。
 ・ビッグボーイの隣は飲食店のようである。
 ・駐車場に隣接するところには、一戸建てがある。

 まずは、上記の4点に該当する店舗を探す作業を行いました。雪国のシーンを除く他のシーンのロケ地が主に東京近郊であったために1都3県の店舗に絞って地図上で調べました。  その結果、いくつかのビッグボーイ店舗が、ファミリーレストランに隣接していることがわかりました。そこでこれらの店舗を航空写真で確認を行ったのですが、特定には至りませんでした。  その頃、レンタルショップで「NANA」のメイキングビデオが貸されている事を知り、借りて視聴しました。このDVDには、駐車場のシーンの一部が含まれていたので、繰り返し見て詳しく調べたところ、背景のファミリーレストランには、お客さんがたくさんいる事がわかりました。
 映画では深夜という設定ですが、(実際にはどうか知りませんが)深夜のファミレスにお客さんがたくさんいるとは考えにくかったので、このシーンが撮影されたのは「深夜ではない」のではないだろうかと思い始めました。
 そして「章司と幸子がアルバイトをしている店舗は電気が消え閉店している」という事実と「深夜ではない」という仮説に整合性を持たせるためには、この店舗が廃店舗である事が考えられました。
 そこで、ビッグボーイの廃店舗を調べたところ、旧ユーカリが丘店が挙がってきて、実際に確認に行って判明したというわけです。
(先日購入したDVDで確認したところ映画本編で一瞬向かい側にある「とんでん」の看板が写っていましたね・・・、映画館で観たときにこれに気がついていればもっと簡単に判明したんでしょうけど・・)

 それでは、失礼いたします。

 <返信>
 さっそくご返信くださり、ありがとうございました。
 大変な努力ですね。このようにして探すものかと感心させられました。
 私はDVDを購入しましたが、よくわかりませんでした。
 これからもよろしくお願いします。

   2月27日
 駕篭舁さんからメールあり(2月25日の映画情報の続き)
 ビッグボーイジャパン(旧 ユーカリが丘店)の場所ですが、旧店舗は、ユーカリが丘駅前の296号を成田方向に向って100mほど行った右側にありました。「札幌や」というラーメン店がありますが、その隣です。

   <返信>
 ありがとうございました。

 2月25日
 ギムリさんから、映画情報。
 ところで、映画「NANA」(残念ながら私は見てないのですが)のロケが上座であったそうです。インターネットで「CMロケ地写真館」というホームページに載っていました。佐倉の映画情報です。

  <返信>
 ありがとうございます。ホームページ「CMロケ地写真館」を確認しました。映画とCMのロケ地を集めたホームページで、対象は違いますが私と同じようなことをやっていますね。
 DVD「NANA」は、まだ発売されていないので予約だけしておきました。

 <発信>
 駕篭舁さんへ。
 ギムリさんから、佐倉の上座でロケされた映画情報がありました。場所はビッグボーイジャパン 訓練センター(旧 ユーカリが丘店)だそうです。わかりますか?なお、写真はホームページ「CMロケ地写真館」に掲載されていますのでご覧ください。

 

〔2005年〕
 9月2日
  駕籠舁さんから、「アインシュタイン・ガール」のポスターとチラシの新品をいただきました。ありがとうございます。

 9月1日
 飛鳥さんからメールあり。
 「アインシュタイン・ガール」の映画の情報は、新聞の折込チラシが入り、ユーカリが丘で上映されることは知っていたのですが用事があり、見にいけませんでした。
 上映当日、学校で草刈をしながら映画の宣伝をしました。興味をもってくれた人いたかな?

 8月28日
 駕籠舁(かごかき)さんから、「アインシュタイン・ガール」情報のメールあり。
 ポスター、手に入ったとのこと。ありがとうございました。

  8月27日
 N・Nさんから、「アインシュタイン・ガール」情報のメールあり。

 DVDも発売予定があるようです。発売日 2005年11月25日
定価(税込) 3,990円 商品番号 GNBD-7048  販売元 ジェネオンエンタテインメント
 関連HPみつけました
 ↓↓↓  http://www.u-kari.com/hometown/style/movie/index.html

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 駕籠舁(かごかき)さんから、「アインシュタイン・ガール」情報のメールあり。

 ユーカリ駅にポスターが張ってありますが、もしポスターなども集めておられるようでしたら、何とかしてみましょうか?

 <返信>
 ほしいです。何とかなるなら何とかしてください。

 8月25日
 佐倉映画情報。
 ユーカリが丘が舞台の映画「アインシュタイン・ガール」が、ワーナー・マイカル・シネマズ ユーカリが丘で上映されます。
 8月27日(土)、28日(日)の2日間。時間は 
@、9時50分〜 A、11時55分〜 B、14時〜 
の3回です。
 この映画は、ユーカリが丘に住む女子高生が主役で、ボナや、住宅地や、印旛沼が出てきます。もう、最初から最後まで佐倉の映画です。
 詳しくは、インターネットで確かめてください。

 7月18日
 渋谷で上映されている「アインシュタインガール」を観てきました。
 最初から最後まで佐倉が舞台となっています。佐倉女子学院に通う薫(岩佐真悠子)と友人がボナに乗っているときに、1年と2日前にタイムスリップしてしまいます。
 ロケーションはユーカリが丘駅周辺の高層ビル群、ボナ、住宅地、印旛沼、ふるさと広場と、もう佐倉のオンパレードです。いやぁ〜、これほど佐倉が出てくる映画を観たことはありませんでした。しかも、、最後に「つづく」とありました。DVDと、続編が出るのを楽しみにしています。
 この映画は、夜の9時10分から渋谷のユーロスペースで上映されています。しかも、2週間(7月29日最終)しか上映されていないので、なかなか観る機会が少ないと思います。
 日暮里から最終1本前の電車で帰って来ました。暑くて、ぐったりの1日でした。
 監督 及川中   製作 パノラマ・コミュニケーションズ
 配給 アルゴ・ピクチャーズ

 7月14日
 佐倉映画情報。
 佐倉が出てくる映画「アインシュタインガール」が7月16日(土)〜29日(金)まで、渋谷のユーロスペース1館で上映されます。開演時間は夜9時10分からです。観ようと思ったら、泊まりですね。  内容は、ユーカリが丘に住む女子高校生が、父親と暮らしている。少女は「ボナ」に乗って通学していたが、ある日、車内に凄まじい光と衝撃が走り、タイムスリップしてしまう。少女はもとの世界にもどれるのだろうか。

  6月2日
 以前、ホームタウン佐倉さんから情報をいただいていた新藤兼人原作・脚本、
 神山征二郎監督の映画「ハチ公物語」を購入しました。
 (昭和62年作品  松竹富士配給 仲代達矢、八千草薫 、石野真子、柳葉敏郎ら)
 映画は、大学教授上野英三郎博士が飼った犬「ハチ公」と、博士の心温まる作品です。この映画で、博士の娘がハチ公をもらう場面があり、その電話の応対をしている場面が佐倉にあった料亭花家でロケされたとのこと。
 さっそく映画を観ましたら、電話機の脇に「16番」という鉄製のステッカー(?)が貼られてありました。これは、花家さんの電話番号でした。食事をしている場面もそうであったと聞いていますが、花家さんの台所の間取りを覚えていませんので、「ここがそう」とは断定できませんでした。
 食事の場面は除くにしても、佐倉ゆかりの映画といえます。

  5月22日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり。

 こんばんは、「点と線」執筆および撮影当時の香椎駅の写真がホームページ上にありました。
 「香椎セピア通り」で検索すると香椎駅前の今の駅前通り、愛称セピア通りが紹介されています。さらに同ページの「昔の香椎はこんなまち」をクリックすると初代駅舎と二代目駅舎が紹介されています。
 撮影時期は明記してありませんが、初代のモノクロ写真は、自動車のスタイルと、なによりも駅舎右に架線柱が僅かに見えますので、昭和36年6月の鹿児島本線電化以後の写真ということになります。
  したがって、昭和33年の映画ロケの際は、この駅舎であったことは、間違いないでしょう。何となく佐倉駅に似ている感じの駅舎のようにも思えます。
 入口上の駅名標も佐倉と同じようなスタイル(当時は国鉄なので全国的に統一されていた可能性があります)です。香椎駅には今も昔も機関区はありません。
 二代目駅舎は昭和40年代に新築されたようです。なお現駅ビルは、平成8年新築です。
 同じホームページに同時期のセピア通りの写真もありますが、あまり寂しい所ではありませんね。こんなところが監督のイメージにあわず、似たような駅舎を捜したのかもしれません。
 やはり同じ、ホームページから「点と線の舞台の町香椎」をクリックすると小説関係のことがいろいろと紹介されています。

  5月16日
 ホームタウン佐倉さまへ。
 オフ会、ごくろうさまでした。おかげさまでみなさん楽しく過ごせたと好評でした。ところで、当日、紹介のあった映画「点と線」の佐倉駅ロケ選定について。何故、佐倉駅が選ばれたのかという考察をしてみました。
 確かに、佐倉駅は「寂しい所ね」というイメージに合っていたから選ばれたのでしょう。しかし、映画の撮影にあたって、当初から「国鉄香椎駅」の場面は佐倉駅で撮ろうと思っていなかったのではないか、と思いました。
 つまり、当初、国鉄香椎駅は香椎駅でロケしようと思っていたということです。ところが、現地に行って国鉄香椎駅を撮影しようとしたら撮影できなかったのではないでしょうか。
 そこで、国鉄香椎駅以外の場面である西鉄や香椎海岸などの場面はロケして帰京した。単純に考えれば、国鉄香椎駅では修復工事が行われていたなど、撮影に適さない状況にあったということです。
 東京に帰ったスタッフは近郊で香椎駅のイメージに合った駅を探し、それが佐倉駅であった、と考えてみました。スタッフにとっては、国鉄香椎駅で撮影すれば、わざわざ駅名や構内を変えることもなく、また駅前の店もつくることもなかったのにと思ったのではないでしょうか。
 このように考えたほうが、どうして西鉄だけ現地で撮影され、国鉄香椎駅はわざわざ佐倉駅で撮影されたのかということを考える上で、素直に受け入れられると思いました。
 いかがでしょうか。そこで当時の香椎駅、機関庫の写真があれば探していただけるとありがたいです。一度、比較してみたいですね。

 4月28日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり。

 こんばんは。Tさんと雑談の中で、「昭和60年頃公開の仲代達也、八千草薫主演の映画「ハチ公物語」の一シーンに、料亭花家の屋内電話室で仲代の電話シーンがロケされた。」と、今はなき料亭花家で聞いたそうです。
 電話室シーンの写真もあつたとのことでしたし、Tさん自身も映画を実際にみており、そのシーンには記憶があると話してくださいました。
 この映画のことは『満開佐倉文庫』にも掲載されていないようですし、最近の皆様のメールでも話題になっていませんので、お知らせします。花家での撮影となれば、佐倉の他の場所でもあるいはロケされたかも知れませんね。
 <返信>
 こんばんは。
 そうでした!私も聞いていました。仲代達也が花家にあった電話ボックスを使って電話をしている写真をみたことがあります。すっかり忘れていました。さっそくDVDを探してみます。
 4月25日
 飛鳥さんからメールあり。

 先日、青菅に残る、青菅分校跡(小学校)を訪ねた際、地元の方が「校舎を今年度中に壊す予定」とおっしゃっていました。指定にはなっていない建物ですが、とても、かわいい学校で、壊すには惜しい建物です。
 集会所以外にも、ロケなどにも使われているようです。

 <返信>
 青菅分校跡がロケに使われたと聞いたことがありますが、どの番組かわかりません。飛鳥さんはご存知ですか?どなたかご存知の方がおりましたら教えてください。

   4月18日
 新藤兼人監督の映画「鬼婆」(1964)が印旛沼で撮影されたという。そのことを書いた本があるというので、探す。
 岩波書店発行の本だけでも20冊を超える。新藤氏は、すごい数の著書も残しているのだ。そのようなわけで、今日は数冊読んでギブアップ。

 家に帰ると注文していたDVD「鬼婆」が届いていた。さっそく観る。字幕に撮影協力千葉県栄町とでる。ま、栄町とはいえ印旛沼で撮影したなら、私の収集許容範囲、印旛沼の映画である。
 場面は、ほとんど印旛沼の沼辺で展開されていた。茫洋とした沼。周辺一面にはススキやオギ、葦(モノクロで、よくわからない)。その中に掘立小屋をつくって生活している姑と嫁。時代は中世、戦国時代です。

 印旛沼は、まだ埋め立てられておらず、沼に出るには葦やオギを切り払って道をつくり、簡易の船着場をつくっていました。埋め立て前の印旛沼を見たい人は、この映画を勧めます。
 ただ、内容はホラーっぽいのと、人間の性を描いていますので、観るときには子どもに注意してください。

 DVDをしまおうとして、鬼婆の解説がありました。「芒がゆれる」という題で新藤兼人が記していました。この中に印旛沼で撮影した苦労話がありました。
 なんだ、せっかく探していた文章は、こんなところにあったのかと、がっかりしました。でも、本にあれば、それはそれで印旛沼本になりますから良いでしょう。
 この中に、面白いことが記されていました。
 「南から風が吹くと沼の北の水位は1メートルも上がる。プレハブの床まで水がくる。風が吹けば水をかえだしながらの撮影となった。夜は無数の虫がやってきた。誘蛾燈めがけてとびこんできて、たちまち燈下は虫の死骸の山となる。それを食いに沼の茂みからエビガ二が這いだしてくる」
 とありました。印旛沼干拓前には、沼の水は風が吹くと移動するとは言われていましたが、1メートルも水位が上がるほどだったんですね。驚きました。

 4月17日
 昨日のYさんからうかがった『鬼婆』の話です。これが印旛沼をロケ地としたという話は、この映画に出ていた殿山泰司さんの本か、岩波で出ている新藤兼人氏の本のいずれかで読んだということでした。お探しいただければと思います。

 <返信>
 さっそく、殿山泰司さんの本と、新藤兼人氏の本を探してみます。それから『鬼婆』、まもなく手に入りそうです。印西市にも地域本の輪が広がると良いですね。Yさんにもよろしくお伝えください。

 4月15日
 Kさんからメールあり。

 印旛沼ゆかりの映画情報です。新藤兼人監督作品『鬼婆』という64年の作品、私は見ていませんが、安食あたりの印旛沼をロケ地としたものだということです。ご覧になったことがありますか?

   <返信>
 『鬼婆』知りませんでした。和製ホラー映画だそうで、少々、趣味が合いませんが、印旛沼でロケされたというので購入してみます。

   2月15日
 以前、M・Tさんからいただいた映画情報の件。内容は、「北野武監督の「DOLLS(ドールズ)」という映画(2002年)の中で、佐倉市内の路上で撮影した場面があります。場所は、佐倉市の南部にある内田という地区です。
 国道51号の岩富橋あたりから、ちばリサーチパークへ通じる道路で、千葉市との境界に近いあたりの、長い直線区間です(1月10日の記事参照 3点を示しています)。
 この撮影現場について、M・Tさんに案内をしていただき、館主は確かめてきました。M・Tさんの指摘した場面は、すべて合致しました。正解です。

  また、先日(1月13日の記事参照)紹介してくれた、ロケ地情報に関するスレッド。
 確かに、スタッフの撮影日誌によれば、2002年3月24日に佐倉ロケがあったとの記述がありますので、たけしが来ていたかはともかく、佐倉市内田の市道で撮影されたといえます。
 以上のことから、北野武監督の映画「DOLLS(ドールズ)」を佐倉ゆかりの映画と認定します。

 1月26日
 M・Tさんへ(話は北野武監督の映画「DOLLS(ドールズ)」が佐倉でロケされたということについての確証として、ロケ地と考えられる現場の写真を送ってくれることになっていました)。

 本日、写真4枚届きました。まさに、映画に出てくる場面と同じですね。
 それから、M・Tさんは映画の画角と同じようにカメラの画角も合わせて撮ってくれました。きっと、レンズも広角系のレンズを使って撮ったのでしょう。その努力に感謝します。
 あとは、現場を確認するだけです。よろしくお願いします。

 1月22日
 M・Tさんへ。

 北野武監督の映画「DOLLS(ドールズ)」のDVD届き、さっそくみました。M・Tさんの指摘の「佐倉の場面」をみました。
 確かに佐倉らしい風景と思いましたが、私は言われなければ見過ごしていたでしょうし、実は言われてもよくわからないのです。なんとなく、佐倉らしい(酒々井・八街周辺)風景まではわかるんですが、どこにも佐倉という物証がなくて判断ができません。
 なにせ、道路の風景、竹やぶの風景だけなんです。この風景を「佐倉」と判断されたM・Tさんの眼力に驚きました。
 これは、その風景を脳裏に焼き付けていなければわからない風景です。私たちは、記録しようと見ていなくても記憶しているものですね。それが「ふるさとの風景」だと思います。
 2月になりましたら時間をつくりますので、現地を案内してください。

 <M・Tさんから返信>
 とりあえず、私が現地で撮影してきた写真と、映画の画面を印刷したものをお送りしましょう。それを見ながらDVDを観れば、同一の場所ということがわかりやすいと思います。

 <館主から再返信>
 よろしく、お願いします。

 1月16日
 M・Tさんからメールあり。

 DVDをお求めとは・・恐れ入ります。私のせいで、余計な出費をさせてしまったような気がするもので。でも、画質はいいでしょうね。映画が面白ければなおいいのですが、これは人それぞれですから。
 たけしの映画は、賛否両論、それも、観た人の意見の分かれ方が極端なものが多いですね。
 現地は、ご連絡いただいて、都合つくときにご案内します。
 ところで、あの場所を、何と呼ぶことにするか考えていたのですが、ポイントとしては、温井が倒れていた場所「場面C」が代表的なものと言えるので、私は「温井の事故現場」と呼ぶことにします。

 <返信>
 了解しました。これからそう呼ぶことにしましょう。DVDが届くのを楽しみにしています。

 1月13日
 M・Tさんからメールあり。

 先日、メールした北野武監督の映画「DOLLS(ドールズ)」に関しての追加。
 ロケ地情報に関するスレッド
 <http://www24.big.or.jp/~idenshi/bbs/yokocho.cgi?m=read&r=01-0201:0>では、佐倉市内で撮影があったかどうかは確認できませんが、スタッフの撮影日誌
 <http://www.t3.rim.or.jp/~yosig/dolls/dolls5.html>によれば、2002年3月24日に、佐倉ロケがあったとの記述がありますので、誰が来ていたかはともかく、佐倉市内田の市道での撮影は、おそらくこの時だったと推定されますね。

 <返信>
 やりましたね。
 さっそく、私もスタッフの撮影日誌を確認しました。ドンピシャです。やった!また、佐倉にゆかりのある映画の発見です。
 M・Tさんの執念です。おめでとうございます。DVDが発売されていましたので、さっそく注文しました。

  1月10日
 M・Tさんから初メールあり。

 はじめまして。友人のホームページに掲載されていた映画のことが話題となって、ネットで調べているうちに、このHPへたどり着きました。今後ともよろしくお願いいたします。
実は、佐倉市内で撮影された場面がある映画のことで、思い出したことがありましたので、メールをお送りした次第です。
 本来なら、まったく話題にもならない、どうでもいいような話で、暫く忘れていたのですが、それ故か、今更ながら気になり出しました。
 北野武監督の「DOLLS(ドールズ)」という映画(2002年)の中で、佐倉市内の路上で撮影した場面があります。場所は、佐倉市の南部にある内田という地区です。
 国道51号の岩富橋あたりから、ちばリサーチパークへ通じる道路で、千葉市との境界に近いあたりの、長い直線区間です。
 映画のストーリーに触れていると長くなりすぎるので、手っ取り早く、その場面が出てくるところを順番に列記しました。

 @アイドル歌手の追っかけをやっている青年・青木(アル北郷)が、傘を差し、花束を持って歩いている場面
  (ここは、ちばリサーチパークの方向から歩いてくるところを前から撮っています。)

 Aもうひとりの追っかけ青年・温井(武重勉)が、ハーモニカを吹きながら帰っていく場面
  (@とほぼ同じ場所で、カメラ設置位置を道路の反対側へ移し、リサーチパークの方向へ歩いていく後姿を撮っています。)

 B事故か、殺されたのか?路上で温井が死んでいるのが見つかり、警察が現場検証をしている場面
  (@の場面を撮ったときのカメラ設置位置に近いところにある桜の木のあたりです。)

 もうひとつ、この場所の近くらしい場面がありますが、それは確証がないので、現在調査中です。

 この映画がテレビ放映されたときに見たのですが、上記@、Aの場面が、私が時たま通るその場所に酷似していることに気づき、ビデオを繰り返し見て、さらに現地へ行き、樹木や柵の位置や形から、この場所に間違いないことを確認しました。
 そのときに、上記Bの場所も判明しました。
 しかし、映画をはじめから終わりまで見ても、佐倉市内あるいは、佐倉市周辺と思われる風景は、私には上記以外わかりません。
 また、ビデオを何度も見て気がついたのですが、俳優と背景(風景)は、断言はできませんが、合成されているようにも見えました。
 でも、風景は、間違いなく佐倉市内田の路上なのです。何かのついでに風景を撮っておいて、あとで適当に使ったのかも知れませんが、なぜここの風景を使ったのか、経緯はわかりません。
 私が、今更気になっているというのはその点についてです。
 さほど重要な場面でもなければ、有名な俳優が来たわけでもなく、しかも、来たかどうかも怪しい。
 さらに、その場所が、佐倉市内であることを示すようなものは一切画面に出ませんので、この確認だけのためにレンタルビデオを借りるのは、バカバカしい・・・かなぁ。完全に巻き戻したビデオだと、上記@の場面まで、1時間17分かかります。
 私だけが知っていればいいような話を長々と失礼いたしました。もう少し実のある情報があれば、またメールをお送りしたいと思っています。

 <返信>
 こんばんは。はじめまして。
 満開佐倉文庫館主 亀田雄岳といいます。
 このたびは、貴重な映画情報を提供いただきましてありがとうございました。私は北野武監督の「DOLLS(ドールズ)」という映画を観ていませんし、また観たところで見落としていたことでしょう。
 やはりM・Tさんの「思い」があったればこその発見と思います。きっと、「おっ、佐倉じゃないか!」と驚いて、ビデオを繰り返しみたことでしょう。
 私が佐倉が出てくる映画を探しているのも、同じ気持ちです。探して何になるかといわれても何もなりません。ただ「思い」があるからやっているだけです。
 そして、そのような発見をみんなでして、「佐倉」を楽しんでいます。早々に、お礼のメールをお送りします。映画の裏付けについては、これから探すことにしましょう。



〔2004年〕
 12月29日

 ホームタウン佐倉さんからメールあり。

 DVDで松本清張原作の映画「点と線」を何十年ぶりにみて、昔を思い出しました。
 有名な東京駅のシーンは終列車が発車してからの撮影ですが、心中する2人が乗る特急「あさかぜ」の車両が、ブルートレインでなくてがっかりしたのを画面で再確認しました。
 当時はブルートレインが完成したばかりで(ブルートレインが走り出した昭和33年11月の直後に博多から東京まで初乗車した経験があります)撮影用の予備の客車がなかつたのでやむを得ません。
 館主様からのお奨めもありましたので、最近サボリ気味の「佐倉の鉄道噺」に書かせて頂きました。

 <返信>
 ティさんへ。鉄道に詳しいホームタウン佐倉さんに、映画「点と線」を観ていただきました。
 さすがホームタウン佐倉さんで、佐倉機関区にあった建物の位置や列車などから佐倉駅と判断していただきました。やはり映画は佐倉駅を香椎駅に模して撮ったのです。
 ところが、映画では西鉄の電車が写っていました(ホームタウン佐倉さんより教示)。つまり、国鉄の香椎駅から西鉄の香椎駅までは徒歩5分くらいの距離にあり、その電車が写っていたということになります。
 ということは、映画のロケ隊は福岡まで行って、西鉄の香椎駅を撮っていたことになります。
 しかし、そこから5分ぐらいの距離にある国鉄の香椎駅ではロケをしなかったことになります。それは、なぜか?ホームタウン佐倉さんが書いています。ご覧ください。


 12月16日

 kさんから、年報の「司書の窓」についての原稿をいただきました。ありがとうございます。さっそく掲載しましたので、ご覧ください。
 突然ですが、ただいま満開佐倉文庫情報大賞を創設しました。この賞は、佐倉本情報、佐倉情報、佐倉の自然情報などを含めて、今年一番驚かされ、しかも佐倉の再発見となる情報に与えるものです。
 というか、すごい情報をいただいたので、ぜひとも何かの賞を送りたくて考えたものです。
 それは、中国にいるティさんからいただいた、松本清張原作の映画「点と線」のロケが佐倉で行われた、という情報でした。
 私はうれしくて、思わず「やった」と叫んでしまいました。司書の方からの反響もありました。そのようなわけで、このほど館主の独断で大賞を決めさせていただきました。

  第1回 満開佐倉文庫情報大賞

    受賞情報 「松本清張原作の映画『点と線』のロケが佐倉駅で行われた」
    ホームページ掲載日 平成16年12月2日
    情報提供者 ティさん
    驚き度 ★★★★★
    佐倉再発見度★★★★★


 12月4日
 ホームタウン佐倉さん、なっちゃんから佐倉でロケされた映画「点と線」について、  有名な作品が佐倉でロケされたのでびっくりしたとのメールをいただきました。

 12月3日
 中国のティさんへ。

 ホームページに掲載させていただきました。ありがとうございます。
 さっそく、インターネットで映画「点と線」を検索し、DVDを購入することにしました。また、映画のパンフレットを求めたつもりで、ポスターを求めてしまいました。焦っていましたね。
 映画を観て、それから『佐倉ゆかりの映画』に登録いたします。「点と線」の反響があります。いずれホームページで紹介したいと思います。では。


  12月2日
 ティさんから初メールあり。

 ホームページを楽しく拝見しています。海外にいると佐倉の情報が懐かしく、またインターネットの便利さを享受しています。
 さて、記事の中に 『佐倉ゆかりの映画』 というコーナがありました。いくつかの撮影は見たり、または聞き及んだ記憶があります。しかし、私の記憶、体験で一件抜けがあります。
 昭和33、4年と思います。当時国鉄で通学していましたが、帰宅のため佐倉の駅(旧木造駅)に降りましたところ、照明ライトで構内は昼間のように明るく、駅前広場に出ると回りの看板には博多人形が書かれており、噴水までセットされていました。
 しばらく見ていると駅正面の伊勢屋旅館(確かこの名前だったと思うが)から高峰美枝子さんがで出てきて駅に入る部分の撮影をしていました。
 後から聞くと、松本清張原作の小説「点と線」の撮影で、九州の香椎(かしい)駅を模しての撮影と聞きました。
 どこまでを”ゆかり”としているか判りませんが、有名な小説、映画でしたので加えたら如何でしょうか。

 <返信>
 はじめまして。ホームページ「佐倉と印旛沼」・満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。拙いホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
 またこのたびは、映画情報をいただきましてありがとうございます。もう、何でも佐倉とかかわりがあればOKです。それに、松本清張の小説「点と線」は、私も大好きな作品でした。その映画が佐倉でロケされたなんて、最高です。
 さっそく、ホームページに紹介いたします。ところで、ティさんは、どの国におられるのでしょうか。そちらの話でも、お聞かせいただければ幸いです。
 (後日、中国にいるとのメールをいただきました。我がホームページを海外で見ていてくれる人がいるなんて、驚いてしまいました。インターネットって、すごいですね。びっくりです)





〔2003年〕
 12月27日
 有馬頼義『兵隊やくざ 戦中編』(昭和62年 光文社文庫)購入。
 勝新太郎の映画「兵隊やくざ」が、歩兵第57連隊とかかわりがあるのではないかと思っていたので、映画の元となった本を読んでみたかったのです。
 勝が演ずる主人公大宮貴三郎二等兵は、東京の留守隊から満州の孫吾に派遣されてくるのですが、どこの部隊に派遣されたのか、少々、気になっていたのです。
 当時、ソ連との国境に近い孫吾には第1師団(東京の第1連隊、甲府の第49連隊、佐倉の第57連隊)が駐屯していました。
 映画では、東京からきた初年兵たちが入営するときに軍旗を前に訓示を受けますが、どの連隊に配属になったのかがわかりません。「東京の留守隊からきた」とあれば、孫吾でも第1連隊に配属されたと考えられます。
 しかし、訓示を受けたときに見えた軍旗がボロボロで、これが佐倉の57連隊の軍旗のように見えたのです。
 (もっとも、第1連隊の軍旗の状態がどうであったのかが、よくわかりません。第1連隊の軍旗はどうであったのかが、わかる人は教えてください)
 映画では、元本をはしょることがあるので、元本である小説にはどのように記されているかを確かめたかったのです。でも、小説にも大宮二等兵の所属した連隊名は記されていませんでした。
 ただ、有馬氏は孫呉のことを詳しく描写していますので、有馬氏も孫吾に行かれたのではないかと思います。とすれば、有馬氏がどの連隊に入ったのかがわかれば、大宮二等兵の所属した連隊も推察できるのではないかと思います。

 12月19日

 古い話。
 映画の題名は忘れたそうですが、阪妻こと阪東妻三郎が臼井の印旛沼で映画のロケをやったことがあるとの情報をいただきました。
   映画では地元の漁師が「舟が出るぞ」と、漁師役で叫んだそうです。うーん、そのような場面を探すのは、時間がかかりそうですね。時代劇だけでなく、現代ものでもロケが行われたそうです。
 それは、当時、阪妻が契約していた新興キネマの撮影場が谷津遊園にあった関係で、身近な野外ロケ地として印旛沼が使われたようです。やがて、この新興キネマや大東映画などが企業合併して、大映になります。ずいぶんと古い話でした。


  12月1日
 明治6年、佐倉城跡に第1師団の連隊営所が置かれ、歩兵第2連隊が駐屯し、後、第57連隊が駐屯しました。
 昭和11年に2・26事件が起こり、この年の5月に57連隊は満州のチチハルに移転をします。そして、佐倉の営所は留守隊が残留することとなりました。
 翌年の11月、チチハルに駐在していた歩兵第57連隊はソ連国境にある孫吾(そんご)に移駐を命じられ、国境警備の任務につきました。

 話は、古い映画。
 勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』は好評で、シリーズで作られています。その第1作(1965年)は、勝新太郎演ずる大宮貴三郎二等兵が満州の孫吾に到着するところから始まります。
 当時、孫吾には第1師団の歩兵第1連隊(東京)と、佐倉の歩兵第57連隊が場所を分けて駐屯していました。新兵が軍旗の前に整列しますが、その軍旗はボロボロで、中心部分の日の丸はなく、わずかに枠が残っているだけでした。
 この軍旗を見たときに、新兵は57連隊に配属されたのではないかと思いました。陸軍では軍旗がボロボロになっても新調することはなく使い続けていたのです。
 第1連隊の軍旗はどのような状態であったのかわかりませんが、第57連隊の軍旗はボロボロでした。ただ、新兵は、東京の留守隊から来たと言っていたので第1連隊の留守隊とも考えられます。
 また、映画では一瞬、九八一?部隊という看板の隊号が読み取れました。満州では第57連隊に限らず、敵の情報を混乱させるために、第57連隊とは別に新たな隊号をつけますが、第1連隊、第57連隊とも9000番代ではありません。
 第1師団は、玉師団となり、第1連隊は「玉5914」、第57連隊は、「玉5916」と呼んでいました。ですから、9000番代の隊号は映画用の看板ではなかったかと思います。
 そのようなわけで、第1作では、大宮二等兵は第1連隊に入ったのか、第57連隊に入ったのかわかりません。が、いずれも第1師団ですから、佐倉連隊の孫吾での生活をイメージするには充分です。
 この映画は有馬頼義の小説「貴三郎一代」を増村保造監督が映画化したものです。佐倉にゆかりのある本を求めて、この本を探して見ましょう。
 また、有馬頼義氏、増村保造氏の軍隊歴がわかると、第1連隊か第57連隊かがわかるかも知れません。


  11月15日
 古橋廣之進さんの映画「トビウオ神話」(1985年)に長嶋さんが特別出演しています。
 映画の導入シーンで、いきなり長嶋さんが古橋さんを語っています。


  11月12日
 明治6年、佐倉城跡に連隊の営所が置かれ、歩兵第2連隊が駐屯しました。明治42年から、歩兵第57連隊が駐屯します。
 昭和11年、2・26事件起り、5月、57連隊は満州に渡りました。
 佐倉には、57連隊の留守隊が残っていました。そして、話は映画に移ります。
 1966年、大映は市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」を作ります。中野学校とは陸軍のスパイ養成学校ですが、市川雷蔵演ずる三好次郎が中野学校に入営するまでの所属は、歩兵第57連隊の士官候補生でした。
 映画の導入場面は、57連隊の営所に入る三好次郎です。驚きました。




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