郷土の新刊案内(平成16年)

 【図書の紹介にあたって】
 図書を紹介するにあたっては、著者、題名、発行年、出版社を記入するほか、佐倉が出てくる部分を一部引用しています。これは、題名だけでは図書の内容がわからないため、利用者が図書を選ぶにあたっての目安としていただきたいと考えたからです。
 引用にあたっては、掲載した文章の誤字、脱字もあろうかと思うので、利用者は原著を読み、原著から引用をしていただきたいと考えています。
 また、引用部分は文庫で判断したため、著者の納得いただける引用部分ではないかも知れませんが、なにとぞ趣旨をご理解いただき、ご容赦くださるようお願いいたします。

【2005年11月6日 更新】


【1月】
渡辺多恵子『風光る』(390円 小学館)
第15巻(2004年1月)に松本良順が出てきます。

司馬良太郎『司馬遼太郎全講演〔4〕』(2004年1月 朝日新聞社)
1991年に東京女子医科大学で行われた講演「ポンペ先生と弟子たち」の中で、
松本良順について、いろいろ記しています。
「ポンペ先生に教わった人の筆頭は松本良順です」(332頁)
「ポンペ先生は遺言どおりにしました。標本にして、その頭蓋骨を授業でずっと使って いました。日本を去るにあたって、故人の遺志を尊重して、松本良順に与えました。
もっとも良順はその頭骨を大事に持っていればいいのに、花街でお酒を飲んでご機嫌 になると、ヌッと頭骨を出して芸者をびっくりさせていました」(333頁)
「さて良順は江戸に帰って、官位の西洋医学所の頭取になります」(333頁)
と、松本良順の話が続きます。

藤倉菊太郎『藤倉菊太郎 版画文集 鉄道懐顧』(2004年1月 光村印刷)
佐倉機関区の版画が一枚掲載されており、「昭和40年代の始め、このあたりで蒸気が
一番元気だったのは、新小岩、佐倉を基地とする総武、房総だったと思います」とありました。

【2月】
『第2回Woman’s Beat大賞受賞作品集 彩・生』(1,800円 中央公論社)
受賞した各氏の作品集で、佐倉在住の人も賞を受け、その小説の中に
印旛沼という言葉が出てきます。

別冊太陽『日本の町並み V 関東 甲信越 東北 北海道』( 2,400円 平凡社)
佐倉がA4版の見開き、カラーで紹介されていました。これは画期的なできごとです。
本の体裁としては、その本が力を入れている町並みをカラーページで紹介し、 続いて各地の町並みをモノクロで一括するのが普通です。佐倉は、いつもこの一括グループに 紹介されていたのです。ところが なんと、本著はカラーで見開きなのです。
これはありがたいことです。編集者に感謝。
せっかく、このように紹介されるのですから、私たちは、町並みに誇りを持ち、景観を保存していきたいものです。

伊東成郎著『新選組と出会った人びと』(2004年2月発行 河出書房新社) 新選組が出会った人物ごとに書かれています。
 「榎本武揚」(34頁)
 榎本は、居並ぶ諸藩士たちに土方を紹介し、同盟の総督に推挙した。この模様は、幕末維新期の体験談を語る史談会の第一回めの席上で安部井磐根が語っているが、旧佐倉藩士の依田学海が列席していた。
 ・・・武揚、何その人を知れり・・・(明治二十五年七月九日付『学海日録』)

 「大鳥圭介」(36頁)
 (慶応四年)密かに妻子を旧知の佐倉藩士のもとに預け、単独での江戸脱出の機会を狙っていたという。

 その後、4月11日、江戸を脱出する時、一緒にいたのは木村隆吉ですよね。木村については、この本では触れていないのですが、妻子を預けた、佐倉藩士は誰なのかご存知ですか?
 学海なのか、とも思い『学海日録』を見たのですが、大はずれでした。

  「松本良順」(170〜173頁)
  4頁にわたって書かれている内容は、元治元年江戸での近藤勇との出会いから明治21年に近藤、土方の顕彰碑を建てたことまで。
中でも、
「依田学海の項で詳述するが、松本は新選組の屯所で隊士の切腹を目撃したこともあったらしい」(172頁)

「依田学海」(231〜234頁)
 筆者が「今後の新選組研究に欠かせないその著作」(231頁)として『譚海』と『学海日録』をあげ、『学海日録』から2つの記述を登場させています。
 「明治五年二月二十一日の記録である。依田は、佐倉の近在の牧場で、(五稜郭で降伏した)竹柴保次郎という人物にあった。
 ・・・(竹柴が)依田に語ったのは、これまでどんな資料にも紹介されたことのない土方歳三のエピソードだった。」(232〜233頁)

 「明治二十一年十月十四日に、見逃せない記録が載っている。依田は、中村座へ芝居見物に訪れ、偶然松本良順と会った。
 松本は依田に、在京中に新選組の処断を目撃したことがあると語ったのである。・・・(切腹したのは)山南敬助だというのである。」(233頁)

 「松本良順が山南敬助の死に立ち会う可能性はない」(234頁)とあり、他の隊士の切腹場面ですが、実際、この日の『学海日録』を読むとかなり、生々しい記述です。
 学海は、芝居見物どころではなかったでしょうね。

【3月】
山口昌男『経営者の精神史』(3月 1,800円 ダイヤモンド社)
明治・大正期のユニークな経営者を取り上げた本ですが、佐倉にゆかりの
ある人として製靴業をおこなった西村勝三が取り上げられていました。

『芝山町史 通史編 中』(山武郡芝山町)
中世の城郭が詳しく掲載されており、本佐倉城についての記載もあります。
近世においては、佐倉七牧についてわかりやすく記載しています。

(財)印旛郡市文化財センター『印旛の原始・古代−旧石器時代編ー』(2004年3月 A4版 121頁)
カラー写真をふんだんに使い、一般の人も見やすい構成となっています。

『佐倉連隊聞き書き集2 歩兵第57連隊の記憶〜レイテ・グアムの記憶〜』(平成16年3月 佐倉市)
佐倉連隊に徴集され、レイテ、グアムで戦った兵士の聞き書きです。
佐倉連隊と言えば、レイテで戦ったことが知られていますが、実は レイテに向かった大隊は、第1、第2大隊だけで、第3大隊はグアムに 上陸していたのです。

中村哲夫『千葉の建築探訪』(2004年3月 2,000円  崙書房出版)
写真と文。
佐倉市では、県立佐倉高等学校記念館、佐倉武家屋敷、 佐倉順天堂記念館、旧川崎銀行佐倉支店が紹介されています。

国立歴史民俗博物館編『佐倉城跡発掘調査報告』 第1冊分、第2冊分(2004)

本書は国立歴史民俗博物館の施設増設に伴う事前調査の正式報告書です。

目次
歴博第1次〜第8次発掘調査
佐倉城跡本丸地区発掘調査
佐倉中学校給食室建設に伴う発掘調査
天神曲輪の発掘調査(歴博宿泊棟予定地)
椎木曲輪の発掘調査(歴博研究棟予定地)

佐倉城跡研究成果論考
1、佐倉城の歴史と構造   千田嘉博
2、旧佐倉藩の武家屋敷   濱島正士
3、「匠庁録」―天保改革と住居の制― 山本光正
4、佐倉と江戸       藤尾慎一郎
5、城から兵舎へ      塚本 学

佐倉城の変遷をを知る上で、たいへんに参考となる本です。

(財)印旛郡市文化財センター『千葉県佐倉市井野長割遺跡(第4次調査)』(印旛郡市文化財センター発掘調査報告書第205集 2004年3月)

【4月】
歴史群像シリーズ73『幕末大全』上巻(4月 学習研究社)
各所に堀田正睦が出てきます。

長尾剛『幕末・明治匠たちの挑戦』(2004年4月 実業之日本社)
「純国産の革靴を造る」という項目(25頁〜40頁)に西村勝三のことが記されています。

小倉博『成田の史跡散歩』(2004年4月 2,000円 崙書房出版)
は、成田市の歴史散歩ですが、成田山についての説明の中で、 「成田村の領主で成田山の大壇越(篤信者)である下総・佐倉藩主稲葉丹後守正通が、老中職にあり後ろ盾になっていたからこそ、開帳ができたのであろう」(48頁)とあります。

斉藤多喜夫『幕末明治 横浜写真館物語』歴史ライブラリー175(2004年4月 1,700円 吉川弘文館)
万延元年に横浜で、アメリカ人フリーマンによって撮影された、 佐倉藩士大築尚志の写真の話がありました(25頁)。
また、佐倉藩士赤井重遠の写真についての話もあります(136頁)。

五木寛之『元気』(2004年4月 幻冬舎)
「その時代の紀行文 『後北遊日乗』のなかで、千葉県の佐倉というところを 通過するときに彼(森鴎外)がものした漢詩の一篇がのっており」とありました。

【5月】
八幡和郎『江戸300藩 最後の藩主』(2004年5月 光文社新書)
佐倉藩と、藩主堀田正倫の話があります。

『パペットマペットの4コマショートコント大作戦』(2004年5月 竹書房)
このパペットマペットさんが、佐倉の臼井出身らしいのですが、 やはり本書からはわかりませんでした。
どのような本かというと、パペットマペットさんが黒子となって、 両手に「うし君」と「かえる君」の人形を抱えて、話を進める
コントです。パペットマペットさんは黒子に徹しているため、 プロフィールも、「うし君」と「かえる君」のことしかありません。
「うし君」と「かえる君」の出身は、千葉県とありました。
ちなみにパペットマペットのDVD『爆笑オンエアバトル』が ありましたので、こちらも購入しておきました。
いつの日か、パペットマペットさんが臼井の出身であることが わかると良いですね。

増田明美『夢を走り続ける女たち』(2004年5月 1,700円 講談社)
高橋尚子選手、千葉真子選手の話が掲載されています。
本の帯には「高橋尚子はこれからどうするのか?アテネで金メダルは誰の手 に?」とありました。

幌村海行『ずっと ひとりだった』(2004年5月 1,800円 文芸社)
に、「僕は国道296号線を佐倉方面へ走っていた。市内には三つの工業団地が 点在するが、僕が向かっているのは、東関道に近い第二工業団地である」(59頁)とありました。
本書は590頁の大部で、読み応えがあります。

松岡圭祐『蒼い瞳とニュアージュ』(2004年5月 小学館)
「風車」「佐倉ふるさと広場」(115頁)

養老孟司『運のつき』(2004年5月 マガジンハウス)
「高橋尚子選手の真似をしろといっても」(41頁)と、高橋選手を引き合いに出した文字がありました。

【6月】
『よみがえる日本の城 2』(2004年6月 学研)
佐倉城の復元絵がでているそうです。

図録「発掘された日本列島2004 新発見考古速報」(2004年6月 文化庁編 A4版 126頁)
この図録の表紙の一つの写真が、佐倉市井野長割遺跡から出土した土器でした。文中にも紹介されています。

佐倉刀友会『城下町佐倉の名刀展』(2004年6月)
郷土に伝わる名刀の写真が掲載されています。

利根川文化研究会編『利根川荒川事典』(2004年6月 5,800円 国書刊行会)
「利根川・荒川水系の人文地理を全網羅」とあります。

渡辺多恵子『風光る』(390円 小学館)
第11巻(2004年6月 12刷)に松本良順が出てきます。

笙野頼子『片付けない作家と西の天狗』(2004年6月 1,600円 河出書房新社)
「北総台地の上にある街は、夏に蒸し暑く冬は底冷えする。空の星は 成田に通う飛行機の灯と競って大きい。2年前の7月―。
私はいきなり家を買って、猫4匹を連れてそこに引っ越した。住まったのは山の端の分譲団地の側。30坪程の土地に建った小さな家にも、 周囲の環境にもさほど不満はない(7頁)。

千葉に越してからも連載は続いた。S倉駅から登り坂徒歩10分以上、 S倉図書館に森茉莉全集はあった。東京でもそうだったが、6、7巻が よく借りてあった。その最終回になって、−。
連休のさ中に、どうしても調べなくてはならない事が出来た。一般図書 館は休み。そこで人間の身でありながらーS倉地下図書館に行く事にした。
ある種、規則が喧しくて色々怖くもあるが、実に新鮮だった。私はそこを、 極楽図書館、と勝手に呼んでいる(22頁)。」

『歴史群像シリーズ よみがえる日本の城2』(2004年6月 学習研究社)
佐倉城がCGで復元されていました。

【7月】
高橋尚子『夢はかなう』(2004年7月 幻冬舎文庫)
本書は、2001年に発行された『風になった日』を改題したもの です。とは、家に帰って、あとがきを見てわかったこと。店頭に Qちゃんの本が並んでいれば、それだけで買い求めてしまいます。
表紙のQちゃんの写真はモノクロだけど、ソフトタッチに撮れてい て、良いですね。

小出義雄『へこたれるもんかい』(2004年7月 幻冬舎)
小出監督の今の気持ち、佐倉アスリート倶楽部のこと、 アテネの青写真などの話がつづられています。

佐藤安弘『アテネ五輪野球日本代表監督・長嶋茂雄の闘い』(2004年7月 日刊スポーツ出版社)
長嶋監督の気持ちを代弁しているようでした。

笠間良彦監修 棟方武城執筆『すぐわかる日本の甲冑・武具』(2004年7月 2,000円 東京美術)
佐倉藩主堀田正愛着用の甲冑(明治3年に堀田家が麻賀多神社に奉納) が紹介されています。

【8月】
中津文彦『天明の密偵 小説・菅江真澄』(2004年8月 文藝春秋)
「利根川下流にある印旛沼は水深浅く、これを干拓すれば広大な新田開発になるとして、天明2年から田沼政権が総力を挙げて進めてきた一大土木事 業だった」とありました。

千葉県歴史教育者協議会編『千葉県の戦争遺跡を歩く』(2004年8月 国書刊行会)
佐倉連隊のことが記されていました(115頁)。

深澤弘『長嶋イズム』(2004年8月26日 1400円 マガジンハウス)
長嶋さんが最初に残した言葉は佐倉中学のときだそうで、 「桜花らんまんなる4月」から始まり、「また会う日まで、では、さようなら」 で終わるそうです。
丸ごと長嶋さんです。一読を勧めます。

千葉真子『ベストスマイル 補欠になった私』(2004年8月3日 1,400円 文春ネスコ)
マラソンの千葉選手は佐倉で練習を積んでいます。応援します。

渡辺多恵子『風光る』(390円 小学館)
第16巻(2004年8月)に順天堂と、その周辺、つまり佐倉町の様子が少し描かれていました。
すごいですね。小学生や中学生が夢中で読んでいる本に順天堂や佐倉が出てくるんです。

佐倉市立美術館編『佐倉市市制施行50周年記念事業 佐倉の美術先人からの贈り物』(2004年)
図録が出版されました。

土屋金司『土屋金司 木版画』(2004年8月)
房総の風景や民俗を素朴に描く版画家の作品。 本書に「佐倉の祭」を題材にした作品があり、麻賀多神社の御神輿を担ぐ若者と、紋付袴姿の世話役が描かれています。

吉村昭『関東大震災』(2004年8月 文藝春秋)
「その後、山岡氏は鐘淵紡績で治療を受け、一週間後に千葉県の佐倉の 連隊が治療所を設けていた隅田小学校に移された」(100頁)
とあります。佐倉に駐屯していた歩兵第57連隊が関東大震災のときに救援に いったことは知っていましたが、その活動が具体的に記された資料です。
吉村氏は資料に基づいて、きちんと書く作家ですから、どこかで佐倉連隊のこと が書いてある資料を探したことでしょう。

う沢喜久雄『房総酒蔵めぐり』(2005年8月 崙書房出版)
佐倉の地酒「旭鶴」が紹介されています(85頁)。

【9月】
『別冊歴史読本 中世・戦国・江戸の城』(2004年9月 2200円 新人物往来社)
裏表紙、全面が佐倉城跡上空の航空写真でした。
歴博や佐倉市役所、新町の様子もわかります。これも、すごいですね。
貴重な裏表紙の佐倉本です。

大槻幸一郎『新米副知事おたおた日記』(2004年9月1日 オフィスエム)
堂本千葉県知事の副知事となった大槻氏の話。
「(2003年)8月下旬、冷夏とはいえ残暑が厳しい日に、堂本 知事は千葉県佐倉市の火災現場に立った。高いところでは30 メートルもあるだろうか。木材チップが堆く積まれた山の間から(以下略)」
とありました。

江波戸昌美『続・千葉県の写真事始 明治期に活躍した写真師たち』(2004年9月)
佐倉ゆかりの写真師の話が掲載されています。

『房総の社』(2004年9月 千葉県神社庁)
麻賀多神社などが紹介されています。

【10月】
『新選組展図録』(2004年)
新選組隊士・島田魁が書いた「新選組英名録」に、「江府/下総佐久良 桜井勇之進」 と載る人物があります。(2004年)

永橋爲成監修『建築家 吉村順三のことば100 建築は詩』(2005年10月 彰国社刊)
吉村順三氏のプロフィールに、「1941年 12月8日 建築事務所開設独立後の処女作品は、佐倉厚生園サナトリウム。」と書いてありました。
 吉村順三さんのことはほとんど知らなかったのですが、書店で何気なく手にとってパラパラとめくっていたら佐倉厚生園の文字が目にとびこんできて、即買ってしまいました。
 佐倉厚生園にサナトリウムがあったこと、名建築家といわれる吉村氏の独立後の処女作品が佐倉であること、初めて知りました。

『佐倉市制50周年記念写真集 写真に見る佐倉』(2004年10月 1800円 佐倉市)
A4版 320頁で、とにかくボリュームがあります。写真は幕末の佐倉藩士から、 長嶋茂雄氏の佐倉市名誉市民顕彰式まであります。「一家に一冊」お勧めします。

【11月】
『佐倉市制施行50周年記念事業 櫻井慶治展』(2004年 佐倉市 佐倉市教育委員会)
展示図録が発行されました。

『ビジュアル版 最後の藩主』(2004年11月25日 952円 光文社)
佐倉藩主堀田正倫のことが記されていました。

黒井克行『高橋尚子 失われた夏』(2004年11月20日 1300円 新潮社)
アテネオリンピックに行けなかった高橋選手の気持ちを追っています。

長谷川慶太郎『2005年 長谷川慶太郎の大局を読む』(2004年11月1日 1500円 ビジネス社)
「竹中経済財政・金融担当相に、長嶋茂雄氏ばりに告げたと伝えられるが」とありました。
長嶋氏一文字本です。

高橋在久『房総遺産』(2004年11月 2,000円 岩田書院)
「佐倉の学統」「佐倉順天堂」「浅井忠の誕生地」の話があります。

『印旛沼とともに −20年のあゆみー 』(設立20周年記念平成16年11月 財団法人 印旛沼環境基金)
印旛沼環境基金で発行した刊行物一覧があり便利です。

【12月】
中村彰彦著『落花は枝に還らずともー会津藩士・秋月悌次郎』(2004年12月 中央公論新社)
幕末、会津藩の文官だった秋月悌次郎の話です。慶応4年の会津・鶴ヶ城開城後、同年12月29日に 会津藩士11人の大名家へ永預けが、刑法官から告げられます。
「悌次郎は(他4人と共に)熊本藩邸に、ほかの六人は佐倉藩邸と古河藩邸に預けられることになった」
(下巻、287頁)とありました。佐倉藩邸に預けられたのは、はっきりと名前が書かれていないのですが 11人の中に「佐川官兵衛」が出てくること。『歴史読本』(2004年7月号)の中で、佐川官兵衛が 佐倉藩邸に謹慎を命じられたことから(満開佐倉文庫 郷土の新刊案内・平成16年度参照)
佐倉藩邸に預けられたのは、「佐川官兵衛」と判断しました。他の佐倉藩邸に預けられたのは、 誰なのでしょう?



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