佐倉本新刊案内(平成18年)

 【図書の紹介にあたって】
 図書を紹介するにあたっては、著者、題名、発行年、出版社を記入するほか、佐倉が出てくる部分を一部引用しています。これは、題名だけでは図書の内容がわからないため、利用者が図書を選ぶにあたっての目安としていただきたいと考えたからです。
 引用にあたっては、掲載した文章の誤字、脱字もあろうかと思うので、利用者は原著を読み、原著から引用をしていただきたいと考えています。
 また、引用部分は文庫で判断したため、著者の納得いただける引用部分ではないかも知れませんが、なにとぞ趣旨をご理解いただき、ご容赦くださるようお願いいたします。

【2006年7月25日 新設】 【2006年12月26日 更新】


【1月】
川名登編著『千葉県の歴史 100話』(2006年1月 国書刊行会)
佐倉市の項目としては「怨霊伝説を残した将門」「千葉一族最後の光彩」「印旛沼開発」など多数。

坂崎重盛『「秘めごと」礼賛』(2006年1月 800円 文春新書)
 ま、題からして想像のできる内容であり、その通りの話が綴られているが格調が高い。谷崎潤一郎、永井荷風、斉藤茂吉などの人物が取り上げられ、生活の二重性や女性に関した秘め事が記される。取り上げられた人物の一人に、旧佐倉藩士依田学海がいた。
学海は神田小川町に住み、妾宅を向島に持っていた。学海は明治になって本宅と妾宅を行ったりきたりしながら暮らしていたのである。そして、本宅、妾宅で日記をつけ、本宅の日記は岩波書店から『学海日録』として、また妾宅の日記は『墨水別墅雑録』として吉川弘文館から出版されている。
 私は佐倉藩のことや依田学海のことを書く時には、この日記を引用しているが、愛妾のことは記していない。坂崎氏は、秘めごとの話だけではなく、学海の日記を評価しており、また幸田露伴のデビューエピソードを紹介している。良書であり、一読を薦めます。

【2月】
清水良典編『現代女性作家読本C 笙野頼子』(2006年2月 鼎書房)
 佐倉市在住の芥川賞作家笙野頼子氏の作品を紹介した本。この中で紹介された『愛別外猫雑記』『S倉迷妄通信』の2冊は、佐倉と読み取れる土地(S倉市、S倉と表現)が出てくる本で、解説にその辺のところが記されています。

小笠原喜康:チルドレンズ・ミュージアム研究会編著『博物館の学びをつくりだす』(2006年2月 1905円 ぎょうせい)
 第5章に佐倉市立美術館の「体感する美術」事業が取り上げられ、中村桃子・永山智子さんが執筆しています。

千野原靖方『関東戦国史』(2006年2月 崙書房)「北条氏の下総佐倉領支配」(213〜221頁)
ほかにも本佐倉や臼井のことが少し載っています。

【3月】
『佐倉の湧き水物語 〜佐倉の湧き水30〜』(2006年3月 300円 佐倉市)
市内にある湧き水がカラーで紹介されています。

押尾忠『ふるさと探訪―下総台地の民俗―』(2006年3月 印刷 正文社)
「第1章4 千葉氏の興亡と臼井城の攻防」「第1章5 佐倉藩の文化と四街道」、そのほか、佐倉市の民俗も各所に記されています。お薦めします。

学海余滴研究会編『学海余滴』(2006年3月 5,800円 笠間書院)
佐倉藩士であった依田学海の明治時代の日記。交流のあった明治の文人や旧佐倉藩士のことが記されていて貴重な書物です。佐倉のことを調べるなら必見の書。すでに出版されている学海の日記『学海日録』『墨水別墅雑録』と合わせて読むと深まります。

【4月】
八幡和朗『日本の百名城』(2006年4月 KKベストセラーズ)
佐倉城を日本百名城の一つに選んでいます。(108頁)

【5月】
『千葉県の歴史散歩』(2006年5月 山川出版)
佐倉も出ています。

【6月】
山倉洋和『もうひとつの「歴史散策」「佐倉連隊とその時代」を歩く』(2006年6月 500円)
佐倉には、終戦まで連隊が駐屯したので、連隊に関した史跡があります。また戦争に参加した人の忠魂碑などがあります。市内に残るこれらの史跡を足で歩いて記した本です。


平塚純一・山室真澄・石飛裕『里湖(さとうみ)モク採り物語 −50年前の水面下の世界』(2006年6月 1795円 生物研究社) 印旛沼の記載がありました(75〜78頁)

【8月】
笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』(2006年8月 1600円 講談社)
「かつては単なる千葉県S倉支部に過ぎなかったからだ。しかし今では最後まで戦ったゆえに、本部である。S倉がである。
 そのS倉とは、縄文より人の暮らす、歴史の濃い土地である。反抗に彩られた受難の土地だった。戦うのに慣れている土地であった。『あーまたかー』という感じで気が付くと戦っているお国柄だった。まあ決して佐倉でない事を明言しておくがね。
 ヤマト官憲の『東征』に始まり、S倉惣五郎、N田闘争の気質を今に伝える聖地である。また江戸時代の後期には『西の長崎、東のS倉』と言われた蘭学に熱心な頭のいい土地で、理論、知育、先取の精神、ブランドも高かった。その上たまたま作者が住んでいるせいもあってこのように良く書かれてしまうのであった」(10頁)
 「ちなみに、この『うちどもら』という言葉は『自分たち、私ども』というような意味のS倉弁である。S倉が本部になってから十年近く、また巫女もあまり長々とS倉に住み着いているがために神の託宣にもこの、S倉弁が、混じるようになっている。」(31頁)
 このほかにも、何箇所かS倉が出てきますので、お読みください。


佐藤雅美『町医北村宗哲』(2006年8月 角川書店)
「堀田様のご家来衆の貧乏ぶりは・・・」(195〜198頁)など「佐倉藩」について表現しています。

【9月】
大浦明編集『千葉のうまい蕎麦 73選』(2006年9月 1300円 幹書房)
佐倉市では佐倉新町にある川瀬屋が紹介されていました。

【10月】
白鳥孝治『生きている印旛沼 ー民俗と自然ー』(2006年10月 2000円 崙書房出版)
第1章 印旛沼とその流域の概要 第2章 印旛沼周辺の人の営み 第3章 印旛沼とその周辺の自然特性 第4章 印旛沼とその周辺の自然改造 第5章 印旛沼流域の現状
 本書は研究書ですが読みやすく、また印旛沼を幅広い領域からとらえていますので入門書としても適しています。


笙野頼子『一、二、三、死、今日を生きよう! 成田参拝』(2006年10月 1900円 集英社)
「成田、それは千葉、内陸、北総、ウチのすぐ近く。でも成田と佐倉とは違う土地なのだ。私は越してからあまりに苛烈過ぎる佐倉の気温の中で、成田の農民の感じを想像するというアホな事をしていたのだけれど。」(16頁)
 「越した当初、佐倉は雲が早いので雪が少ないと友人が教えてくれた。私の住むところは夏最高気温三十五度、冬最低気温マイナス六度、特に家の近くは沼の冷気で冷えるため冬が辛い。が、今はたとえ寒いさ中でも、また真っ暗になった沼と山の間の道路を歩いていても、妙に、山に癒される。」(17頁)
 「佐倉市は住其ネットを拒否しなかったらしく私の分の番号も来ていた。都内のどっかの区は断っていたが。
  車は家の前の高台の、タイコ橋のように急な坂をくわっと下りて、私のいる町から沼のよく見える東の方向に走り出した。そのあたりは百メートル進むと最低気温が、一度下がる。江原台のいつもの猫の飯を買いに行くホームセンター、シャトレーゼの工場、を通り過ぎる。水道道路から成田街道に入り、周辺に川魚料理屋の多い橋を渡り、佐倉宗五郎を弾圧した佐倉のお城の、跡に建つ民俗歴史博物館を斜めに見て、山中の石段、頂上の鳥居をぼーっと認める。」(42頁)
 「その後車でマカタに行こうとしたら難渋した。というのもマカタは千葉に十八社あるから。そして周囲の緑の多いあたりの景色はというと実に似ている。同名の神社は佐倉駅から徒歩十五分のところにもあるし。」(72頁)
 「十月の下旬、佐倉の新興分譲受託の中で少し早い万聖節の前夜祭、ハロウィーンのパレードが行われていた。西洋から輸入した精霊の土俗由来の祭りが、佐倉という日本の、土俗の地で行われているのだった。」(100頁)
 「東京から来る人に佐倉の夜の暗さを、というか自然の良さを見せようと思っていた。寂しいところに住んだと思われているけれど、また最初は寂しかったけれど、私はもう佐倉が好きになっていた。初夏に電車で来る人は佐倉の手前で、車窓の緑に、歓声を上げる。家の近くまで来ると、なんだ住宅地じゃないですかというのだけれど、林や沼や山の気配は夜に濃くなる。それを知らせたい。」(101頁)
 「能は佐倉に来てからその薪能で見て好きになった。最初は取材であったが、その場で楽しめた。」(102頁)
 「以前に人に聞いて沼の方の小学校あたりは自然が残っているというので、兎や狸のいそうなところに行きたいというと、よく車に轢かれるというのでやや反省をする。沼に浮かぶ灯を見て、夜の道を走る。東京から帰ってきて八千代、四街道あたりで通る林の中とさして変わらない。沼の水と鉄塔の赤い灯を私は見慣れているし、湾岸道路を彼女は知っているはずだ。通りついでにナガシマの家をドライバーが教えてくれる。石の天狗像がある八幡神社の近くまで行く事にした。神社のところで下りて、下方の繁華街を見た。  帰ろうとすると、雷電為右衛門のお墓を見ませんか、と少し拍子抜け気味に私たちにドライバーが薦めた。」(108頁)
 「車で佐倉から世田谷美術館に行くところだった。」(133頁)




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