【佐倉に関する雑誌・冊子記事 平成17年】

(2006年1月18日 掲載)



【2月】
京成電鉄『京成らいん』2・3月合併号(2005年2月)
「プラットホームで会いましょう」に、人気タレントの パペットマペットさんが紹介されています。
パペットマペットさんは、「うし」と「カエル」の人形を使って、話を進めるのですが、その中でカエルさんの出身は 「僕は印旛沼周辺です」(5頁)とありました。
また「そうそう、夏の佐倉・国際印旛沼花火大会も、すっごくきれいで思い出に残っています」とありました。
これはパペットマペットさんの出身をさすもので、すなわちパペットマペットさんは佐倉出身であるということが、 この文章でわかります。以前からパペットマペットさんは佐倉出身と薄々わかっていましたが、佐倉出身と 記した本や雑誌がありませんので、紹介はしてきませんでした。
いや、まだ正確にはパペットマペットさんのカエルの出身が佐倉ということになるのでしょう。
人形遣いは黒子でしょうから、カエルさんの出身が佐倉ということにしておきましょう。

【3月】
『佐倉市史研究』 第18号 (平成17年3月 佐倉市)
目次
中村政弘「千葉県の町村合併の歴史について(講演録)」
濱島正士「佐倉市内の神社建築にみる形式手法の変遷」
前川公秀「窪田洋平という人」
須藤茂樹「堀田上野介殿一条書物之写」
中澤恵子「公設消防組の誕生」
北詰栄男「仲町山車覚書き」

佐倉野草会『野草をたずねて』NO23(2005年3月)
坂戸方面のスギ植林 雑木林下草について  松平喜美代
タンポポ「道端植物園」から    辻さつき
岩富カタクリの観察会    佐藤幸子   他

佐倉市教育委員会『風媒花』NO18(2005年3月 300円)
目次
甦る古の記憶2 シンポジウム「井野長割遺跡を考える」
佐倉の美術―先人からの贈り物
城下町佐倉の名刀展  井原重之
佐藤泰然生誕200年によせて  酒井シヅ
平将門・惣五郎伝承と佐倉  高橋敏
ほか

『我孫子市鳥の博物館研究報告』第13号(2005年3月 我孫子市鳥の博物館)
「印旛沼鳥類目録」があります。
1970年代から2004年までの約30年間で、233種が確認された。ほかに 8種類の外来種が確認されたとあります。
このほか、貴重なデーターが掲載されています。

【5月】
『いんば沼』 第26号 (平成17年5月 印旛沼環境基金)
目次
瀧和夫「印旛沼の宿命と使命」
松平喜美代「印旛沼周辺の植物」
本橋敬之助「印旛沼の水」

『なりた』NO・93(平成17年5月 成田山霊光館)
門脇利明氏の論文「『成田山新勝寺史料集』に登場する力士(下)」に, 江戸時代の巡業相撲が佐倉で2回、行われたとありました。
弘化3年(1846)と、嘉永5年(1852)で、弘化3年の興行は、新町に ある教安寺で行われたそうです。
巡業番付があり、西四段目12枚目(尻)に、「印旛かた」という力士が いたそうです。また、安政2年(1855)に清光寺(酒々井町)で行われた 興行では「印旛ノ浦」という力士の名前もあるそうです。

【6月】】
『かわとはきもの』NO132(2005年6月 東京都立皮革技術センター台東支所)
表紙の裏に「靴の歴史散歩77」があり、「神田の合同ビル(千代田区鍛冶町1−6−17)5階にある 西村記念室の収蔵資料を15回にわたって紹介してきたが、今回をもってまとめとしたい」とありました。
西村とは、佐倉市民体育館前にある銅像の人物です。佐倉藩士でもあった西村茂樹の弟で、 明治になって東京に出て靴やレンガタイルなどの事業を興しました。勝三の資料室があるなんて 始めて知りました。今度訪れてみたいと思います。
冊子には渡辺陸氏が「詩歌・小説の中のはきもの(第5回)」を連載しています。渡辺氏は文学の 中に描かれた「はきもの」を紹介しているのです。私と収集するものは違いますが、意図するところを 同じくしており参考となります。

【7月】
『ヨミウリウイークリー 2005 7.31号』 (読売新聞東京本社)
「麹町学園女子中学校・高等学校の創立者の大築佛郎は、同じ千葉佐倉藩の津田梅子らと女子教育の 振興について喧々諤々と論じあったというエピソードが伝わっています」 (65頁)

【8月】
『文藝春秋』(9月号)
阿川弘之氏が「葭の髄から・百一  江戸城大奥」を連載しています。9月号は堀田正睦について書かれていました。

【9月】
成田山だより『智光』9月号(平成17年9月)
湯浅吉美氏の「成田街道いま昔」、本号は「本佐倉城周辺の寺院」で、勝胤寺が紹介されていました。

図録『成田山ゆかりの絵師』(平成17年9月 成田山霊光館)
成田山霊光館で開催された「成田山ゆかりの絵師」展の図録。佐倉藩にゆかりのある河嶋雪航と黒沼槐山の 絵が掲載されています。
雪航は、天保11年(1840)10月7日、佐倉藩に掃除坊主席絵師として新規に召抱えられたとありました。
黒沼槐山は天保8年(1839)12月、佐倉藩に公用方定附坊主として召抱えられています。

成田山霊光館館報『なりた NO94』(平成17年9月)
矢嶋毅之「佐倉藩主の成田山参詣について」という小文があります。成田山は佐倉藩主の信仰が厚く、 中でも堀田正順(まさあり)の参詣について取り上げています。正順は、毎年秋に行なっていたとあります。

【10月】
雑誌『カートピア10月号』(富士重工株式会社 平成17年10月1日発行)
「(千葉スバル)佐倉営業所の宮内さんが・・・」(25頁)と、あります。

雑誌『TICET CLASSIC』(2005年10月15日 クラシック・ジャパン)
佐倉市民音楽ホールで開催される「ウィーン・ニューイヤー・コンサート」が紹介されています。(251頁)

生活共同組合ちばコープ『はらっぱ』(2005年10月)
特集「おのおのがた!千葉のお城でござる」の中で、臼井城が取り上げられていました。(11頁)

NTT東日本の冊子『Solution TODAY』(2005秋号 vol.29 東日本電信電話株式会社)
千葉の人間力というインタビューの中で小出義雄監督の話が4頁にわたって掲載されていました。

【11月】
JALグループ機内誌『SKYWARD』(11月号 520円)、新宿の紀伊国屋で購入
気になる町・好きな町「成田市・佐倉市」で、武家屋敷、城址公園、歴史民俗博物館が紹介されています。(93頁)

【12月】
生活共同組合ちばコープ『はらっぱ』(12月号)
特集「福運を願って七福神めぐり」の中に、佐倉の七福神が紹介されていました。(11頁)

「ラグビーマガジン」12月号(No 399 830円 ベースボール・マガジン社)
佐倉高校ラグビー部が「県内では流通経済大柏を追走する強豪」と、3ぺージ特集されています。(128頁)
佐倉高は今年の県大会準決勝で、流経柏と対戦し涙を飲みました。

高比良直美「島尾敏雄『死の棘』と印旛沼 −遠望する沼と現前の沼−」
同人雑誌『群系』第18号所収(平成17年12月 群系の会)
佐倉が描かれた小説『死の棘』に出てくる印旛沼。島尾敏雄が訪れた印旛沼は臼井か酒々井か?高比良さんは 一つの結論を出している。それが遠望する印旛沼と、現前の印旛沼という捉え方でした。



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