論文・研究ノート・資料紹介  

【民俗・その他】 (著者 論文名 所収本 発行者・出版社 発行年)



五十嵐行男「印旛湖畔の新しき村」
               『印旛沼 自然と文化(第5号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1998 

内田儀久「印旛沼の絵葉書」
               『印旛沼 自然と文化(創刊号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1994 

内田儀久「印旛沼の淡貝工芸」
              『印旛沼 自然と文化(第2号)』所収
              (財)印旛沼環境基金  1995 

内田儀久「将門の羽衣伝説考」『印旛沼 自然と文化(第3号)』所収
              (財)印旛沼環境基金  1996 

内田儀久「『日本地理風俗大系』にみる印旛沼の風景」
              『印旛沼 自然と文化(第4号)』所収
              (財)印旛沼環境基金  1997 

内田儀久「印旛沼の龍伝説」
             『印旛沼 自然と文化(第6号)』所収
              (財)印旛沼環境基金  1999 

榎本正三「印旛沼漁猟と金比羅信仰」『印旛沼 自然と文化(創刊号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1994 

榎本正三「印旛沼の漁労と泉王寺の漁不動尊」
               『印旛沼 自然と文化(第2号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1995 

北詰栄男「香取秀真の心に映る印旛沼」
               『印旛沼 自然と文化(第2号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1995 

立原三知男「印旛沼周辺の風景を詠んだ『臼井八景』
               『印旛沼 自然と文化(第6号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1999 

土屋敏彦 「印旛沼の漁具と漁法 解説」
              『印旛沼 自然と文化(第4号)』所収
              (財)印旛沼環境基金  1997 

土佐博文「『学海日録』にみる印旛沼」『印旛沼 自然と文化(第6号)』所収
               (財)印旛沼環境基金  1999 



 【拙稿要旨】

    「印旛沼の絵葉書」(『印旛沼 自然と文化 創刊号』所収)
  私は写真を撮る関係で、印旛沼の風景に興味を持っている。
 先人たちは、印旛沼をどこから愛でたのであろうか。
  たぶん、印旛沼を美しいと思う気持ちは、
 今も昔もさして変わらないのではないだろうか、と思っている。
  そこで、過去にある絵葉書を集めてみようと思った。
 絵葉書は何種類もあるが、やはり義民佐倉惣五郎伝説でお馴染みの
 「甚兵衛渡しの場」が多かった。
  では、印旛沼を初めて芸術的に撮った人は誰かというと、
 私は、佐倉市に住んでいた林辰雄氏であったと考えている。
 フィルムは、千葉県中央博物館に寄贈されている。


  
 「印旛沼の淡貝工芸」(『印旛沼 自然と文化 第2号』所収)
   印旛沼で産する淡貝を使って、工業を興そうとした人がいた。
 貝の内側は、玉虫色に輝くので、それを張り合わせて、ステンドグラスや、
 飾り皿を作ったのである。
 会社の名前を「佐倉淡貝美術品商会」あるいは「淡貝商会」
 といった。会社は、東京に出していたが、関東大震災で打撃を
 受けてしまった。


  
 「将門の羽衣伝説考」(『印旛沼 自然と文化 第3号』所収)
   印旛沼周辺の大佐倉、将門という地に、かつて羽衣伝説が流布されて
 いたのではないかという内容である。
  羽衣伝説とは、よく知られた伝説で、天女が羽衣を脱いで水浴びをして
 いるのを見た武将が(ここが、各地で変わる。佐倉では平将門)、
 天女の羽衣を盗んで、やがて天女を妻にするという話である。
  元禄15(1702)年以前に書かれたとされる『総州久留里軍記』には、
 下総佐倉という所を居城とした平将門が、天女を娶った話が記されている。
 この話が、どうして、佐倉地方に伝わらなかったのだろうか。
  推測であるが、2、3の考えを述べてみた。


  
 「『日本地理風俗大系』にみる印旛沼の風景」(『印旛沼 自然と文化 第4号』所収
   印旛沼は、いつごろから自然科学の研究対象となったのだろうか。
 昭和6年に刊行された『日本地理風俗大系 第一巻 関東総論』に、
 印旛沼を記した項がある。
 「(印旛沼の水位の変化を述べる。略)。こうした異常な水位の変化のある湖ながら、
 未だ湖沼学系統的研究をしたものがなく、二湖(印旛沼・手賀沼)ともに全く、
 未知の水界のまま放置されている。」
 とある。
 執筆は京都帝国大学講師田中阿歌麿。 
 昭和6年以前、水害を憂えど、沼の基礎研究をする人なしの状態であった。


   
 「印旛沼の龍伝説」(『印旛沼 自然と文化 第6号』所収)
  印旛沼には、いろいろな伝説がある。その中でも、雨を降らせた龍の話は知られている。
 この話は、安政2年(1855)、赤松宗旦の著『利根川図志』によって、世に紹介される。
 小題は「天竺山龍角寺」であった。
 これが後に、「雨を降らせた竜」とか、「三つざきにされた竜」という題になって、
 紹介されている。この龍伝説の源流は、奈良地方にあったのではないかと考えている。
  また、印旛地方には伝わっていないが、木更津に伝わる民話に、東京湾に棲むホラ貝が
 竜宮城を訪ねる途中、印旛沼に棲む大蛇と戦う話がある。木更津地方の人が、印旛沼を
 どのように見ていたのか、比較してみるのも楽しい。
  


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