日記 平成16年(2)
          満開佐倉文庫だよりに掲載した日記を収録しています。
                               (2004年8月1日〜   )


 12月30日
 飛鳥さんに、司書認定ポイント2を加えました。

 今年の新刊案内、入力終了しました。ご活用ください。

 電子年報の「編集後記」を入力しました。ご覧ください。

 12月29日
 ホームタウン佐倉さんからメールあり。

 DVDで松本清張原作の映画「点と線」を何十年ぶりにみて、昔を思い出しました。
 有名な東京駅のシーンは終列車が発車してからの撮影ですが、心中する2人が乗る
 特急「あさかぜ」の車両が、ブルートレインでなくてがっかりしたのを画面で再確認しました。
 当時はブルートレインが完成したばかりで(ブルートレインが走り出した昭和33年11月の
 直後に博多から東京まで初乗車した経験があります)撮影用の予備の客車がなかつた
 のでやむを得ません。
 館主様からのお奨めもありましたので、最近サボリ気味の「佐倉の鉄道噺」に書かせて
 頂きました。

 <返信>
 風邪で体がだるく、ホームページ掲載が遅れてしまいました。
 ようやく掲載しましたのでご覧ください。

 ティさんへ。鉄道に詳しいホームタウン佐倉さんに、映画「点と線」を観ていただきました。
 さすがホームタウン佐倉さんで、佐倉機関区にあった建物の位置や列車などから佐倉
 駅と判断していただきました。やはり映画は佐倉駅を香椎駅に模して撮ったのです。
 ところが、映画では西鉄の電車が写っていました(ホームタウン佐倉さんより教示)。
 つまり、国鉄の香椎駅から西鉄の香椎駅までは徒歩5分くらいの距離にあり、その電車が
 写っていたということになります。
 ということは、映画のロケ隊は福岡まで行って、西鉄の香椎駅を撮っていたことになります。
 しかし、そこから5分ぐらいの距離にある国鉄の香椎駅ではロケをしなかったことになります。
 それは、なぜか?ホームタウン佐倉さんが書いています。ご覧ください。

 12月28日
 飛鳥さんより数日前にメールあり。

 クリスマス、いかがお過ごしですか?

 (館主 風邪でダウンしていました)

 クリスマスとは関係ない、新選組隊士・桜井勇之進についてです。
 桜井勇之進の名前が載っている本を探していました。ありました!
 ちゃんと図書館にありました。
 桜井勇之進は新選組隊士・島田魁が書いた「新選組英名録」には
 「江府/下総佐久良  桜井勇之進」と載る人物です。(2004年
 「新選組」展図録)
 文芸別冊「新選組人物誌」の中の全隊士プロフィールにも「天保十一年生、
 出身地・江戸か下総佐倉」とあります(河出書房新社・2003年9月30日)

 さらに出身地は書かれていないものの小島資料館蔵の「元治乙丑異聞録」より、
 慶応元年の上洛者名簿に名前があります。
 この名前を確認できる本は「歴史読本臨時増刊クロニクル@『土方歳三の
 35年』新人物往来社1998年12月」です。
 桜井勇之進は、慶応元年土方歳三が江戸で隊士募集を行ったとき、同年4月
 に江戸で入隊し、これは、彼が上洛したときの名簿なのです。
 この時、彼の歳は二十六と名前の脇に書かれてあります。

 上洛者名簿が載る、同じページに桜井勇之進のお墓の写真が掲載されています。
 同じ、慶応元年、12月12日には彼は光縁寺(新選組総長・山南敬介の墓がある)
 に葬られています。いったい何があったのか?
 「死因は不明だか、桜井の埋葬時の穴代、つまり、墓穴を掘る作業料がひどく安い。
 桜井は通常の半分程度でしかなかったということになる。首など体の一部が埋められ
 たためか。つまり、桜井は屯所で切腹したのではない。いわば、不名誉な死だった・・・」
 (「土方歳三の35年」)
 光縁寺の過去帳の写真も掲載されていて、桜井勇之進の名前を見ることができる。
 (「土方歳三の35年」)
 この過去帳にある出身地は「江戸ノ産」。残念ながら佐倉とは書かれてありません
 でした。
 桜井が江戸にいた、佐倉藩の人なのか、よくわかりません。もし、館主さんが何か知っていま
 したら、教えてください。この苗字、佐倉の人っぽいですよね。

 <返信>
 ここ数日、風邪をひいてしまいダウンしています。
 情報ありがとうございました。

 12月24日  佐倉本について D
 〜佐倉市民本〜

  佐倉が出てくる本も、佐倉在住の人が書いた本も佐倉本と考えますが、佐倉が
 出てくる本の中に、佐倉在住の人が書いたさまざまなジャンルの本を並べると、その
 目録を見た人は混乱をしてしまいます。
  そのため、佐倉が出てくる本と、佐倉在住の人(あるいは以前に佐倉に住んでいた
 人)が書いた本を分けた方が良いと考えるようになり、佐倉在住の人が書いた本を
 どのように呼ぼうかと考えました。
  いくつか調べていたら、藤沢市が地域資料を集めるにあたって定義した文章に出会
 いました。「市内の作家・市民の作品で、素材(舞台)が藤沢でない作品は、藤沢
 資料としては収集せず、『市民文庫』として収集する」というものでした。そして、市民
 とは「藤沢出身の人、藤沢在住の人、藤沢に在住歴のあった人、藤沢に在学歴の
 あった人、藤沢に滞在した人」とありました。
  そこで、私は佐倉在住の人(あるいは以前に佐倉に住んでいた人)が書いた本を
 「佐倉市民本」と呼ぶことにしました。
  では、作家が佐倉在住でなくて、佐倉が出てこなくても佐倉の人を描いた作品は
 どうするのかということになります。たとえば、長嶋語録はどう捉えるのかということです。
 私は、長嶋さんが出てくる本は長嶋本と考えます。その中で、佐倉が出てくる本は
 佐倉本と考えます。ただ地元の贔屓目で幅広く捉えています。
  同じく、よく出てくる人物に佐藤泰然の実子で松本家に養子にいった松本良順が
 います。良順は、新選組の近藤勇と親交があったため、勇が京都・江戸で会ったとき
 の話に出てきます。このような時には佐倉本として取り上げます。我田引水のような
 ところがありますが、あまり厳密に振り分ける必要もないと考えます。
  さて、佐倉市民本は、いつどこでどのような本が出ているか、さっぱりわかりません
 ので、寄贈をいただいた本だけ収集することにします。

 12月23日
 佐倉本について C
 〜小説と歴史書〜

   どのような本を集めるかということについて、小説と歴史書という対比を考えて
 みましょう。
 日本史の中で語られる佐倉の人物といえば、江戸時代、佐倉藩主であった
 堀田正睦が知られています。正睦は、幕末に日本とアメリカとの通商条約交
 渉をした人物ですから、一般的な歴史書にはほとんど記されています。ですか
 ら、これも佐倉本というと、幕末の外交を記したほとんどの歴史書が佐倉本に
 なってしまいます。また論文もしかりです。そのようなことで、すでに日本の歴史
 に確定された堀田正睦の歴史事実を記した歴史書や論文については除外し
 ます。
  ただし、これまであまり知られていなかった佐倉藩の人物が記されている歴史書、
 新書、論文については掲載します。
  一方、小説の中に出てくる堀田正睦については取り上げます。それは作家がどの
 ように堀田正睦を取り上げたのかということに興味を覚えるからです。幕府方の
 立場で描くのか、薩長方の立場で描くのか、作家それぞれの描き方がありますから
 おもしろいのです。それに小説は多くの人に読まれますから、著名な作家が書いた
 本に堀田正睦が出てきただけでも楽しくなってしまいます。
  また小説と歴史書との中間的な本や雑誌については、知らせたい内容かそうで
 ないかによって、臨機応変に対応していきます。

 12月22日
 佐倉本について B
 〜今を集める〜

   佐倉本は時代を問いませんから、江戸時代の本であれ、佐倉が出てくれば
 佐倉本と考えます。しかし、実際の話として、江戸時代の本を探すというのは
 むずかしいといえるでしょう。それは、明治、大正時代の本とて同じです。これ
 らの本は、それぞれの専門に任せたいと思います。
  私が満開佐倉文庫に司書制度をつくったのは、現代の出版や情報があまり
 にも多くて、とても一人では収集しきれないと考えたところにあります。ですから
 司書のみなさんと集めたい本は、今、出版されている本ということです。さらに、
 これから出版される本です。その本をみなさんの協力で集めて行きたいという
 ことです。
  古き時代の本を集めるには、それなりの時間と努力がいりますが、今、出版さ
 れている本なら、注意深く探していけば、かなりの本が探せるのではないかと
 思っています。満開佐倉文庫は「過去を集めるのではなく、今を集める」という
 ことです。
  今日のできごとも、明日には歴史になります。今日の本を収集し続ければ、
 それで一つの歴史になるでしょう。その歴史は私たちが生きていた時代の足跡
 です。
  私たちが生きていた時代の「佐倉本」を、次の世代に伝えたいと思います。

 12月21日
 佐倉本について A
 〜佐倉本の範囲と掲載範囲〜

    佐倉本とは、本のどこかに我が佐倉と関係のある文字が出てくれば、佐倉
   本の範疇と考えます。
  しかし、佐倉本の範疇と、収集範囲は違っています。佐倉が一文字でも出て
 いればOKとすると、投稿記事から、辞典、論文まで多種多様の本に佐倉が
 記されていて、ほとんど無限に近くなっていくでしょう。
  そのようなわけで、ただ佐倉本を集めるというと、収拾がつかないほど集まり
 そうなので、ここでは館主の考える収集範囲とさせていただきます。
  館主の考える佐倉本の原点は、「小説の舞台となる町や、小説に描かれる
 人がいた町は魅力的な町だと思っています。それを数値で確かめようとしている
 のかも知れません」です。また「こんな著名人が佐倉にいるんだ」「お、こんな人
 もいたのか」なんて、思っていただきたいということです。
  そのような観点から佐倉本を収集していますので、行政資料は集めません。
 辞典は、人名についてはほとんど把握しており、これについては「佐倉にゆかりある
 人を探す辞典」に掲載してありますので、当分、大丈夫だろうと思います。地名につ
 いては、出版されている辞典が限られていますので、調べようとすればできます。ただ
 細かい村名や地名が出てきますので、それだけで一仕事になってしまいます。そのよ
 うなことで、地名はやめました。
  辞典の紹介となれば、今年以降発行された辞典の中に人物が記されていれば紹介
 するというところでしょうか。
  論文については、把握できません。私が知った論文を掲載していますが、そのほか、
 各研究機関や、大学の紀要、また同人雑誌に掲載されていますので、これについて
 は個々が自分の研究に合わせて収集していくのが良いと思います。古い論文は掲載
 しませんが、今年以降、発表された論文であれば掲載します。
  また、投稿文や投稿写真は、その本の主体的な著者でも編者でもありませんので、
 これも除きます。
  著者が佐倉市在住であったり、以前、佐倉に住んでいたことがあったという本は佐倉
 本と考えますが、佐倉が出てくる本と並べると整理がうまくいかないので、別枠にしたい
 と考えます。なお、著者が佐倉市在住という本も把握できませんので、この本について
 は購入することはせず、寄贈のあった本のみ掲載していきます。ただし、著名人はこの
 限りではありません。ファンとして購入し、掲載する場合があります。

 12月21日
 佐倉本について @
 〜どこまでの情報を掲載するか〜

  まず、満開佐倉文庫に紹介する情報は、どのような情報であれ、すべて
 「どこかで公になった」ということを原則にしたいと思っています。
  (自然は例外です)
  それは、誰でも注意をすれば知ることのできた情報ということです。その情報を
 知らなかった人に紹介する、ということです。
  公になった情報は、出版や放映にあたって、事前に著者や編者が人権などに
 配慮した情報ですから、ホームページに紹介しても問題はありません。ただし、
 満開佐倉文庫ではプライベートな記事は掲載しません。
  また、掲載するにあたっては、著作権に配慮する意味から、著者、出版社、
 発行年、引用ページ(テレビ局、放映月日、時間、番組名)などを掲載します。
 みなさんが情報を提供するときには、ここまで記載してくれるとありがたいです。
 さらに、政治・宗教・販売の情報も掲載しません。ただし、番組の中で芸能人が
 「うまい店」を訪ねたり、まちを散策する中で紹介する店なら良しとします。
 芸能人に紹介されるような店がある、これなどは「佐倉力」だと思っています。

 12月20日
 K・Sさんからメールあり。
 市内在住の著者についての情報をいただく。
 また、ハンドルネームですが、「スナフキン」としてください、とありました。

 <返信>
 こんばんは。
 これまでは、著者が佐倉在住でも、佐倉本と称していましたが、
 来年からは、このような本は佐倉本とは分けて別な名称にしようかなあと思って
 います。
 つまり、情報としては押さえておきたいけれど、佐倉本に一括してしまうと、本来、
 収集したい佐倉本が探しづらくなってしまうと考えたからです。
 これは、みなさまからいただく情報が多くなってきまして、佐倉本だけでも大変な量
 になってきたからです。
 そのようなわけで、来年になったら、整理してホームページに提案しようと思ってい
 ます。

 ハンドルネームの件、了解しました。

   12月19日
 Mさんからメールあり。
 明治から、昭和にかけて佐倉出身のオペラ歌手がいました。
 ご存知ですか?
 天野喜久代(本名 新井ふく)という人で、浅草で活躍したそうです。
 インターネットで検索できます。

 <返信>
 知りませんでした。さっそくインターネットで検索してみます。
 これからも、情報を提供してください。
 ありがとうございました。

 上段を少し整理しました。

 12月18日
 飛鳥さんからメールあり。
 昨日、夕方、テレビを見ていたら
 いきなり京成佐倉駅近くの「ガンジーラーメン」が写しだされていました。
 ラーメンを食べる人は『はなわ』(ガッツ伝説♪伝説の男〜と歌っている
 人です)
 熱した石が入っているラーメンを「うまい」と食べていました。
 テーマは「発掘・・・衝撃グルメの店」
 そりゃ、石が入って、じゅうじゅう音しているラーメンには「衝撃?」ですよね。
 フジテレビ・スーパーニュースでした。

 <返信>
   ありがとうございました。
 いつもはテレビを観ているのですが、昨日は忘年会でした。

   なお、Mさんからも同様の情報をいただきました。

 12月16日
 kさんから、年報の「司書の窓」についての原稿をいただきました。
 ありがとうございます。さっそく掲載しましたので、ご覧ください。

 突然ですが、ただいま満開佐倉文庫情報大賞を創設しました。
 この賞は、佐倉本情報、佐倉情報、佐倉の自然情報などを含めて、
 今年一番驚かされ、しかも佐倉の再発見となる情報に与えるものです。
 というか、すごい情報をいただいたので、ぜひとも何かの賞を送りたくて
 考えたものです。
 それは、中国にいるティさんからいただいた、松本清張原作の映画
 「点と線」のロケが佐倉で行われた、という情報でした。
 (「佐倉にゆかりの映画」の項目をご覧ください)
 私はうれしくて、思わず「やった」と叫んでしまいました。
 司書の方からの反響もありました。そのようなわけで、このほど館主の
 独断で大賞を決めさせていただきました。

   第1回 満開佐倉文庫情報大賞

      受賞情報 「松本清張原作の映画『点と線』のロケが佐倉駅で
             行われた」
      ホームページ掲載日 平成16年12月2日
      情報提供者 ティさん
      驚き度 
★★★★★
      佐倉再発見度★★★★★


 12月15日
 飛鳥さんからメールあり。
 「風光る」を読まれたのですね。
 少女漫画で、佐倉藩(順天堂をといった方が良いでしょうか)を
 取り上げるなんて、うれしい限りです。
 全国の「風光る」ファンの人達が、松本良順=順天堂=佐倉と、
 覚えていてくれたらと思っています。
 京都壬生寺の並びのお店「京屋忠兵衛」には「風光る」グッズが
 売られているくらいですから、たくさんの「風光る」ファンがいるはずです!
 ちなみに、作者の「渡辺多恵子」さんは、去年、佐倉の順天堂に取材
 にきています。
 「新選組!」お疲れ様でした。楽しく読んでいました。

 <返信>
 こんばんは。
 漫画とはいえ、佐倉が出てくることはうれしいですね。しかも、多くの若い人
 が読んでいるのですから、少しは佐倉が知られたことでしょう。
 また情報がありましたら教えてください。

 七つの子さんのホームページ「九十九里平野の里山から」(トップページ)に、
 佐倉城址公園の紅葉が掲載されていました。今年の紅葉は、色づきが薄い
 とのことですが、季節を感じますね。

 12月14日
 亀田雄岳の連載エッセイ『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 12月13日
 ホームタウン佐倉さんから、「司書の窓」の原稿をいただきました。
 ありがとうございます。さっそく掲載します。

 原稿に、佐倉本は、まだいろいろあります、という指摘を受けました。
 鉄道雑誌に、かなり投稿されているというのです。ご心配いただき、ありが
 とうございます。
 別な人からも天文関係の雑誌に投稿記事があると教えていただきました。
 みなさんから多くの情報をいただくようになりましたので、来年になったら
 どのような本の情報を集めていくのかということを整理してみたいと思います。
 今、考えられるのは、その本を主体的に執筆・編集した人の文に「佐倉」
 が出てくるということだと思います。ですから、投稿はダメということになります。
 小説の中に、「佐倉屋」と出てきても、我が佐倉とつながりのない「佐倉」も、
 ここでは除きたいと思います。
 歴史や自然の論文は、過去(2000年以前)のものは除きます。論文に
 ついては、もう少し検討をしていきます。
 どうも、どこからどこまで集めるかということが明確にはなりませんが、結局、
 私は「小説に書かれるまちはすばらしい」「佐倉には、こんな人がいた」
 「こんな風に佐倉が紹介されている」ということを数値で確かめようとしている
 のかも知れません。そのような本の情報をいただきたいと思います。
 でも、佐倉から見た土星の投稿写真なんて魅力的ですよね。

 12月12日
 本日、HNKの大河ドラマ「新選組!」が終了しました。
 一年間、ホームページにも書き込むことができ、感謝しています。
 これで、ホームページの、「NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく
 鑑賞する」コーナーも、終了いたします。ありがとうございました。

 ティさんへ。
 「佐倉ゆかりのある映画」に、「点と線」を掲載しました。ご覧ください。

 飛鳥さんへ。
 「佐倉ゆかりの漫画」に、「風光る」を掲載しました。ご覧ください。

 12月11日
 高村薫原作の映画「レディ・ジョーカー」が上映され始めました。
 この小説の一部に「千葉の佐倉市にいっていた」という文章が
 あります。
 果たして映画では、この部分を言うのでしょうか。
 もし、観られる方がいましたら、聴いてきてください。

 八谷さんから、電子年報「司書の窓」の原稿とメールあり。
 どうもごぶさたしてます。何ヶ月も音信不通ですみません。
 「電子年報」の原稿を下記のとおり作成してみました。仰せの
 とおり10行で書いてみましたが、こんな感じでよろしいでしょうか。

 <返信>
 久しぶりです。
 電子年報の「司書の窓」に掲載しましたので、ご覧ください。

 ジュビリストさんからメールあり。
 パペットマペットの4コマショート大作戦 2が出版されたようです。
 牛君牛君。。。。。(セリフはうわさで聞くけど実際にテレビで見たことないん
 ですよねー。。。)
 ではでは

 <返信>
 さっそく本屋に行ってみます。ありがとうございました。

 ふみふみさんから、佐倉情報のメールあり。
 平成6年3月1日から『ほうふ日報』に、冨崎逸夫氏が「鴎外の父 森静男
 略伝」を掲載していました。鴎外の父、静男は松本良順の門人となり、さらに
 佐倉の順天堂で西洋医学を学んでいます。

 <返信>
 ありがとうございます。さっそく調べてみます。

 Mさんから佐倉情報のメールあり。
 小出監督のホームページ「小出道場」があります。
 ご覧ください。

  <返信>
 ありがとうございます。さっそく覗いてみます。

 八谷さん、ジュビリストさん、ふみふみさんの司書認定を一年延長いたします。

 12月10日
 上段の電子年報、館主原稿(3)に「満開佐倉文庫のあゆみ」を掲載しました。
 日記を振り返ったら、司書制度の開始が2月15日でしたので訂正します。

 12月9日
 Nさんからメールあり。
 ハンドルネームを「ふみふみ」にしたいとのこと。
 訂正しましたので、ご覧ください。

 七つの子さんと飛鳥さん、昨日、佐倉本情報をいただきましたので、
 司書の認定期間を1年間、延長しました。ご覧ください。

 中国のティさんへ。
 以前、ティさんから情報をいただいた映画情報。
 本日、DVDで松本清張原作の映画「点と線」を観ました。
 佐倉駅でロケが行われ、その場面は福岡県の香椎駅という設定であったとの
 ことでした。さっそく注意してその場面をみました。
 駅のイメージは、子どもの頃の記憶しかありませんし、佐倉駅に香椎駅らしい
 装飾が加わっていましたが、駅の骨格は佐倉駅のようでした。
 駅入口の真正面に改札口がありました。その改札口は鉄柱で囲っています。
 駅の左は売店のようなふくらみがありました(実際、売店でした)。外には郵便
 ポストがありました。
 ポストの位置は、昭和50年年代の写真を観ると、左に寄っていますが、それは
 国鉄駅前が区画された結果、若干、移動したのかも知れません。
 佐倉駅が香椎駅のようになっていますが、ポストの位置は動かせなかったと思い
 ますので、ですから、このポストの位置が決め手になると思います。
 どうもありがとうございました。
 ちなみに、この映画は昭和33年11月公開された東映東京作品でした。

 12月7日
 黒田碧さんの電子連載小説『城下町慕情』、12月号分を入力しました。
 いよいよ、おもしろくなってきました。ご覧ください。

 テレビ取材情報をくれるNさんに司書になっていただきました。

 Mさんから佐倉情報あり。
 少し前の話ですが、11月14日放送のフジテレビ「あるある大辞典2」で、染井野
 が出ていました。特集「身体のゆがみ矯正術」で、「千葉県佐倉市染井野町」と
 紹介されていました。内容は、染井野町(?)の主婦らがいかにゆがんだ体をしてい
 るかを実験で知り、2週間の体操により改善した・・・というものです。
 実験会場には、イトーヨーカドーの隣にできたフットサル場を使用していました。
 映像としては、そのほかに染井野インフォメーションセンター前の道路、2丁目の「えの
 き公園」が出ていました。

 <返信>
 いつも、テレビ情報をいただきましてありがとうございます。

 yukikazuさんから佐倉情報。
 放送は未定ですが、フジテレビのドラマ「ナニワ金融道」のロケが志津で行われた
 みたいです。単発ドラマなので、テレビ欄を注意していましょう、とのことでした。
 放送日を見つけたら、館主までメールをください。

 12月6日
 佐倉情報。
 先日、Tさんからいただきた
 「テレビ朝日の報道ステーションを見ていましたら、ふるさと広場のコスモス畑
 の中で千葉真子さんが松岡修造のインタビューを受けている映像が流れて
 いました。さすがテレビ局ですから、すてきな絵に撮れていました」
   千葉真子選手が取材を受けた日は11月15日でした。

 12月5日
 佐倉市立美術館の催し物、上段の「催物案内」項目に移動しました。

 電子年報「満開佐倉文庫のあゆみ」を執筆中。司書のみなさんは、いかがですか。

 12月4日
 ホームタウン佐倉さん、なっちゃんから佐倉でロケされた映画「点と線」について、
 有名な作品が佐倉でロケされたのでびっくりしたとのメールをいただきました。

 12月3日
 中国のティさんへ。

 ホームページに掲載させていただきました。
 ありがとうございます。

 さっそく、インターネットで映画「点と線」を検索し、DVDを購入する
 ことにしました。
 また、映画のパンフレットを求めたつもりで、ポスターを求めてしまいま
 した。焦っていましたね。
 映画を観て、それから『佐倉ゆかりの映画』に登録いたします。
 「点と線」の反響があります。いずれホームページで紹介したいと思い
 ます。では。

 Nさんから、初メールあり。
 佐倉市立美術館の展覧会のご案内です。
 佐倉ゆかりの金工家、香取秀真・津田信夫の作品も展示されています。
 この展示は、12月12日のNHK新日曜美術館、アートシーンにて紹介される予定。

  *****************

 金属の変貌−近代日本の金工

 開催期間:平成16年11月20日(土)−12月24日(金)月曜休館
 開館時間:午前10時−午後6時(入館は5時30分まで)
 観 覧 料:一般800(640)円 大・高生600(480)円 中・小生400(320)円
    (  )内は、20名以上の団体料金。

 本展では、大正から昭和に活躍した作家たちが価値観の転換期に試みた表現や、
 作品から読みとれる意識の変化を、金工に焦点を当てて概観します。戦前の日本
 において工芸の本質にかかわる論議を巻き起こした、代表的作例を集め、表現の
 違いにより次の3つのセクションに分けて紹介します。
 @西洋様式・古典様式の移植
    金工が美術品として意識され、制作の手がかりを西洋の描写方法や文様に求め
  た作品や、 日本の古典を美術品として捉え直し、制作の手本とした作品を紹介。
 A西洋の新思潮の影響
  西洋の影響が、器物の文様にとどまっていた明治末から大正中期に対し、西洋の
  新思潮の 影響により形態の捉え方が変化した作品を紹介。
 B古典研究の成果
  生活の西洋化の流れの中で、工芸の原初に立ち戻ろうとした作品や、古典を参考と
  しながらも、古典様式の再興を求めたのではなく、西洋の様式なども採り入れた新
  しい時代に即した作品を紹介する。

 ■講演会:「大正・昭和モダン−暮らしとデザイン」12月11日(土)
  14:00〜 美術館4階ハイビジョンホール
 講 師:柏木 博氏(武蔵野美術大学教授)
 参 加 費:無料
  定 員:90名(申込先着順)※定員になりしだい締切とさせていただきます。
  申込方法:住所・氏名・連絡先・参加希望人数を明記の上、ハガキ・ファックス・
      Eメールにて、佐倉市立美術館講演会係までお申し込み下さい。
 ■ミュージアム・コンサート:「金属の饗き」12月12日(日)
  14:00〜 美術館1階ロビー
  出 演:一丸聡子氏(国立音楽大学非常勤講師/パーカッション)
  参 加 費:無料
  申  込:不要
 ■ギャラリートーク:本橋浩介
  会期中の毎土曜日(12月11日を除く)14:00〜 展示室にて
     ※観覧券が必要となります。
  展覧会を担当した学芸員による展示解説をおこないます。
  申 込:不要
  ホームページでも紹介しています。
  ↓↓↓
  http://www.city.sakura.chiba.jp/museum/exhibition/kinkou.htm

  *****************

  それと、テレビ情報は
 「まさかのミステリー」(日本テレビ 金曜日 20:00〜20:54)という番組のロケで
 房州屋さん(新町)と手づくり工房がつかわれたそうです。
 1月の中旬に放送といっていました。
 両方とも来たタレントさんのサインが飾ってあります。

 Nさん、佐倉情報ありがとうございました。
 一気にNさんも満開佐倉文庫の司書資格が生まれました。

   12月2日
 ティさんから初メールあり。

 ホームページを楽しく拝見しています。
 海外にいると佐倉の情報が懐かしく、またインターネットの便利さを享受
 しています。
 さて、記事の中に 『佐倉ゆかりの映画』 というコーナがありました。
 いくつかの撮影は見たり、または聞き及んだ記憶があります。しかし、私の
 記憶、体験で一件抜けがあります。

 昭和34,5年と思います。
 当時国鉄で通学していましたが、帰宅のため佐倉の駅(旧木造駅)に降り
 ましたところ、照明ライトで構内は昼間のように明るく、駅前広場に出ると
 回りの看板には博多人形が書かれており、噴水までセットされていました。
 しばらく見ていると駅正面の伊勢屋旅館(確かこの名前だったと思うが)から
 高峰美枝子さんがで出てきて駅に入る部分の撮影をしていました。
 後から聞くと、松本清張原作の小説「点と線」の撮影で、九州の香椎(かしい)
 駅を模しての撮影と聞きました。

 どこまでを”ゆかり”としているか判りませんが、有名な小説、映画でしたので
 加えたら如何でしょうか。

 <返信>
 こんばんは。
 はじめまして。ホームページ「佐倉と印旛沼」・満開佐倉文庫を運営している
 亀田雄岳と申します。
 拙いホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
 またこのたびは、映画情報をいただきましてありがとうございます。
 もう、何でも佐倉とかかわりがあればOKです。それに、松本清張の小説「点と線」は、
 私も大好きな作品でした。その映画が佐倉でロケされたなんて、最高です。
 ありがとうございます。さっそく、ホームページに紹介いたします。
 ところで、T2さんは、どの国におられるのでしょうか。
 そちらの話でも、お聞かせいただければ幸いです。

 後日、中国にいるとのメールをいただきました。
 我がホームページを海外で見ていてくれる人がいるなんて、驚いてしまいました。
 インターネットって、すごいですね。びっくりです。

 11月29日
 上段の電子年報。
 項目変更。表紙の中にある「司書さんのご意見」 → 「司書の窓」にしました。
 内容は、以前にお知らせしたとおりです。

   11月28日
 S・Yさんからメールあり。

 司書にしていただき、ありがとうございます。
 S・Yから「飛鳥」に名前を変更します。
 館主さんが少女コミックの「風光る」を読む姿を想像すると・・・
 ほほえまし〜いです(笑)
 新選組の史実から大きくはずれることなく書いているので、
 つい買ってしまいました。
 15巻で、佐倉藩が、16巻で、順天堂が出てきた時は超驚き
 でした。
 屏風の前で、佐藤泰然と松本良順が話しているシーンは、順天堂に
 展示してある屏風が書かれてあり「屏風発見!」でした。
 16巻の佐倉順天堂の話は、面白いと思いますよ。
 佐倉順天堂をもっとメジャーにしたい!

   <返信>
 こんばんは。ハンドルネームの件、了解しました。「飛鳥」に変えます。
 私の友人にも、以前、飛鳥という人がおり、懐かしくなりました。
 注文した本が早く届かないかなあと、心待ちにしています。
 これから、よろしくお願いします。

 K・Sさんからメールあリ。

 この度は、司書登録のお知らせを頂き、恐縮です。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 <返信>
 こんばんは。
 これから、よろしくお願いします。

 S・Hさんからメールあり。
 おはようございます。
 司書の件、了解しました。

 <返信>
 こんばんは。
 これから、よろしくお願いします。

 11月27日
 七つの子さんからメールあり。

 こんばんは、七つの子です。
 30000アクセス突破おめでとうございます!
 これからも楽しみにしております。

 <返信>
 こんばんは。
 ありがとうございます。
 これも、みなさまのおかげと思っています。
 これからも、よろしくお願いします。

 上段の電子年報。
 表紙にあった「佐倉が出てきたテレビ放映記録など」という項目
 ですが、項目立てするほど資料がないので削除し、「今年の
 佐倉本出版傾向に含めて記したいと思います。

 11月26日
 上段の電子年報。
 館主の原稿(2)をアップしました。
 内容は、今年の佐倉本出版傾向です。ご覧ください。

 11月25日
 本日、朝、カウントが30000台に突入していました。
 本来なら、クス玉を割って、訪れた人と記念写真というところ
 でしょうが、ホームページでは、そのようなことはできません。
 よって、報告だけさせていただきます。

 「満開佐倉文庫年報」の原稿執筆中。

 S・Hさん、K・Sさんに満開佐倉文庫の司書になっていただきました。
 これからよろしくお願いします。

 11月24日
 「NHKの大河ドラマ新選組!を佐倉らしく鑑賞する」を更新しました。

 11月23日
 「満開佐倉文庫年報」の原稿執筆中。

 11月21日
 虐ハンドルさんから、佐倉情報あり。
 「先日(11月16日?)、テレビ朝日の報道ステーションを見ていましたら、
 ふるさと広場のコスモス畑の中で千葉真子さんが松岡修造のインタビュー
 を受けている映像が流れていました。さすがテレビ局ですから、すてきな絵
 に撮れていました」とありました。
 虐ハンドルさんからは、8月25日に佐倉本情報をいただいていましたので、
 2006年まで司書資格が延長されます。

 Tさんから、佐倉本情報あり。
 『新しい近現代史』の中に、佐倉が出てくる論文があるそうです。
 手に入れましたら、改めて紹介します。
 Tさんも、2006年まで司書資格が延長されます。
 また、小出監督が先日、NHKの番組に出ていたそうです。
 それから、東邦病院の先生が、テレビの健康番組で監修をしている  そうです。

 S・Hさんと、Kさんから連名で、佐倉本情報あり。
 こんにちは。
 Weeklyぴあ6/7号(5/31発売 320円 ぴあ)に
 「特集1 独占取材!バンプ・オブ・チキン」とありました。
 特集記事の見出しには、
 「4人の地元・佐倉市での凱旋ライブも、先週の土曜日に無事終了」
 とありました。

 S・Yさんから、佐倉本情報あり。
 少女コミック『風光る』の第11巻、第15巻、第16巻に松本良順、順天堂
 が出てくるそうです。
 手に入れましたら、改めて紹介します。
 S・Yさんは、いっぺんに3冊の佐倉本を探してくれました。
 司書になっていただけますかと話しましたら、快諾をいただきました。

 ここ数日、うれしい悲鳴をあげています。

 11月20日
 上段の電子年報について。
 館主の原稿「はじめに」を入力しました。ご覧ください。

 昨日、音楽ホールで映画「怨霊佐倉大騒動」を観てきました。
 ストーリーでは、酒々井の仏頂寺の住職が佐倉宗五郎の末子を
 抱いて入水します。この場面が取り入れられるのは明治になって
 からなので、脚本は明治以降につくられたストーリに基づいている
 といえます。

   11月19日
 上段の電子雑誌について。「電子年報」に変更。
 奥付をつくりました。
 原稿作成の手順として、表紙、目次の次が奥付なんて、普通の出版
 形態では考えられません。ところが、ホームページではこれが難なくできるん
 ですね。ここを掲載すると、司書のみなさんも、どのような体裁になるのか、
 イメージがつかめるようになってきたのではないかと思います。
 原稿の締め切りは、一応、12月15日になってます。とりあえず、掲載して、
 それから修正という手もありますね・・・。

 しばらく、私も、この原稿入力作業をやっていきます。

 11月18日
 上段の電子雑誌について。
 表紙をつくりました。ここに目次もありますのでご覧ください。

 11月17日
 上段に、電子雑誌の項目を掲載しました。このような構成でつくってみたいと思います。
 そして、原稿があがったところから、入力をしていきたいと思います。
 ですから、司書のみなさんも、雑誌ができあがっていくのを同時進行で確認できます。
 また、その都度、訂正もできます。
 そして、原稿がまとまったところで各自がプリントアウトをしてホチキスでとめれば、
 一冊の雑誌になるのではないかと考えます。
 ま、そのようなことができるか、やってみましょう。
 ちなみに、雑誌の題名は「満開佐倉文庫 年報」とでもしましょうか。

 11月15日
 【司書さんへのお知らせ】
 12月15日締め切りの原稿について。

 ホームページ体裁のイメージは、電子版「郷土の新刊年報」のようなことを
 考えており、その項目は、次のように考えています。

   1、館主から。「佐倉」が出てくる本の今年の傾向。新たな司書制度で運営
         してなど。
  2、司書さんから。一年を振り返って。今年の出版傾向。司書になってなど。
  3、平成16年の新刊案内。

 これは、従来、1年間のまとめとして掲載している郷土の新刊案内「平成○年」
 を拡張して、電子雑誌というイメージで項目をつくりたいと考えています。

 なお、来年はホームページ開設5周年を迎えますので、いずれ、こちらも何か
 まとめたいと思っています。
 来年なりましたら、こちらの原稿依頼も、お願いしようと考えています。

 11月14日
 七つの子さんからメールあり。

 ホームページをご覧くださり、ありがとうございます。
 私のサイトの祭礼写真を見てくださった佐倉の若い方に触発されて
 今、祭礼の文献資料探しに没頭しております。

   お祭りといえば・・・・
 今、東京の丸ビルに上町の山車人形「日本武尊」が展示されていますが、
 ご存知でしょうか・・・?
 「江戸フェスティバル」というイベントの一環として行なわれているもので、
 一緒に展示されている熊谷市、川越市、越生町などの人形と比べても、
 わが「日本武尊」は、その美しさ、大きさ、品格、どれをとっても申し分
 ありません。
 本日まで開催されています。

 <返信>
 「江戸フェスティバル」で、上町の山車人形「日本武尊」が展示されている
 ことは知っていましたが、ついつい行きそびれてしまいました。
 越生町の人形とありましたので、急遽、インターネットで越生町を検索し
 ました。
 各地に江戸ゆかりの山車や人形があるんですね。納得しました。
 これからも、情報が入りましたら教えてください。

 11月13日
 秋が深まっていくのに、梅雨のようなこのごろです。
 秋を楽しもうと、七つの子さんのホームページを覗かせてもらいました。
 司書の七つの子さんは、「九十九里平野の里山」というホームページ
 を開設しています。
 このホームページには、成東・東金食虫植物群落の写真が掲載されて
 います。写真には紅葉している草もあり、群落は秋の彩をみせていました。
 心が和やかになる写真です。どうぞご覧ください。
 私のトップページ(このページの下段)にある、七つの子さんの『佐倉古
 写真館』をクリックすると、飛ぶことができます。

 11月12日
 亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 ホームタウン佐倉さんへ。教えてください。
 どうしてJR四街道駅に0番線ホームがあるのでしょうか?何か軍隊と関係が
 あるのでしょうか。
 また、一般的に0番線はどのようにしてできるのでしょうか?
 ちょっと気になったのもですから・・・。

 11月9日
 【司書さんへのおしらせ】項目をつくりました。館主が司書さんに連絡したいことを
 少し長く掲載したいときに使用します。

 11月7日
 佐倉市民音楽ホールで、オペラ「龍の雨」が公演されました。
 このオペラは、佐倉市の創作オペラとして1988年に、初演が行われ
 ました。翌年、再公演され、そして今年の公演です。
 演出は、これまでと同様に青島広志氏ですが、衣装や舞台が違って
 いました。
 前回までは、日本風の舞台と衣装でしたが、今回は古代ギリシャ風に
 変わっており、新鮮さを覚えました。それから照明がすばらしかったです。
 同じストーリーなのに、これほどイメージが変わるのですから、演出の効果
 があったと思います。
 また、いつの日にか再演されることを願っています。

 11月6日
 昨日の続き。
 司書さんからいただいた原稿は、〔郷土の新刊案内 平成16年度〕のまとめとして
 12月の最後に掲載しようと思います。

 司書のYさんから、佐倉情報のメールをいただきました。

 ご無沙汰しています。現在下記の要項で佐倉藩士の写真が展示されています
 のでご連絡いたします。

 「黎明期の写真師-下岡蓮杖とその時代-」
 場所 韮山町立韮山郷土史料館
    静岡県田方郡韮山町韮山2-4
    п@055-949-4127
 期間 平成16年10月1日〜平成17年2月28日
 佐倉藩士大築尚志(保太郎)と依田学海の写真が写真が展示されています。

 <返信>
 ごぶさたしています。
 佐倉情報、ありがとうございました。早速、ホームページに掲載します。
 また、満開佐倉文庫への原稿も、お願いします。
 では。

 11月5日
 <司書さんへのおしらせ>
 今年、司書制度をつくり、みなさんのご協力のもとにホームページを運営
 してきました。そのため、本年度の佐倉本情報が充実しました。
 その差は、新刊案内の13年〜15年と、今年の情報量を比べると歴然と
 します。やはり、このような方法で佐倉本情報を収集して良かったと思います。
 ところで、この佐倉本情報は、司書のみなさまにとっては、どうであったのでしょうか。
 何か感想をいただけるとありがたいです。
 また、一年を振り返ってとか、今年の出版動向とか、司書になってとかでも結構
 ですので、原稿をメールで送ってください。満開佐倉文庫の司書としての一年の
 締めくくりをしたいですね。
   執筆要項
  字数 35字×10行 以内
  締め切り 12月15日

 黒田 碧さんの『城下町慕情』を更新しました。

 11月1日
 郷土の新刊案内、平成15年、平成16年を更新しました。
 これは、8月〜10月までの間に、みなさまからいただいた情報を
 整理したものです。どうぞ、ご利用ください。
  なお、今回は、平成13年、14年の情報はなかったので、両年に
 ついては更新をしていません。

 10月30日
 <おしらせ>
 司書資格の継続について。
 すでに司書に認定された人が、さらに佐倉本情報を提供していた
 だくと、1回につき、1年の司書資格が延長できるようになりました。
 これは、司書認定制度が始まった2004年の4月に遡って計算します。
 その結果、
  Kさんは、2010年の12月31日まで司書資格があります。
  八谷さんは、2007年の12月31日まで司書資格があります。
  ホームタウン佐倉さんは、2006年の12月31日まで司書資格があります。
  七つの子さんは、2007年の12月31日まで司書資格があります。
 なお、〔現在の司書さん〕の項目に、「認定」を加えましたので、確認してください。

 10月28日
 ホームタウン佐倉さんからメールをいただきました。

 ご照会の西村京太郎の著作で、千葉県が舞台のものは、
 私の知る範囲では次の二点です。

 1、内房線で出会った女
   トラベルミステリー傑作集3「高原鉄道殺人事件」(光文社
   1984)に収録 
   さざなみ7号に乗車して鴨川シーワールドへ行く女性の
   アリバイ作りの話。

 2、死への近道列車
   講談社文庫「十津川警部C11を追う」(講談社1994)に収録
   成田エクスプレス33号車中が舞台。ただし、佐倉は出てきません。

   <返信>
 こんばんは。
 翌日の連絡、ありがとうございました。
 さすがですね。感心しました。
 やはり、西村京太郎氏の著書の中にも千葉県が出てくる作品があったん
 ですね。

 10月27日
 先日、湯河原にある西村京太郎氏の記念館を見学してきました。
 建物は1階が喫茶店、そして2階が展示室になっています。
 展示室に入ると、西村氏の著作が年代順に整理されて、しかも表紙を
 見ることができるように展示されていました。
 また、鉄道を舞台にしたサスペンス作家らしく、中央には模型の鉄道が
 走るようになっていました。
 このような展示方法もすばらしいなあと納得しました。
 湯河原にお出でのときには、お寄りください。

 なお、記念館を訪れた見学者が記した感想文に、西村氏は全国の鉄道を
 描いていますが、3県だけ描いていない県があり、その中の一つが千葉県で
 あると書いてありました。なにやら、私のように郷土のことを気にかけている読者
 もいるのですね。これを読んだ、私といっしょに旅行した鉄道が好きな友人は、
 「しおさい」か「わかしお」が出てきたことがなかったかなあ?と話していました。
 ところが西村氏の著作は膨大です。西村氏の熱烈なファンでないかぎり、
 なかなか探せないでしょう。
 どなたかご存知の方がおりましたら、教えてください。これは佐倉本にはならない
 のですけど、話の行きがかり上、調べてみたいと思いました。
 ホームタウン佐倉さん、いかがでしょうか。

 10月20日
 亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 10月18日
 ホームタウン佐倉さんから、メールをいただきました。

 オフ会では、お世話になりました。メンバーに女性の方か゛多い
 のに驚きました。次回出席が楽しみです。
 久しぶりに「鉄道噺第6話」をお送りします。どうぞよろしく。

 本日は、この日が運転初日の佐倉駅始発「しおさい80号」の出発
 風景を見学。 183・189系電車8両に乗客は約20人のちょう
 ガラガラ。カメラマンも私を含め2人だけ。(館主様がいらっしゃるかと
 思ったりですが、お見かけしませんでしたね)やはり何の行事も無く、
 改札付近に小さな手作りポスターが貼ってあるだけでした。ホームで
 乗車する人が、「こんな特急走っていたのですか」「今日からです」と
 駅員が答えていましたが、PR不足は否めません。

 <返信>
 ごぶさたしております。
 まず、佐倉駅始発の「しおさい80号」が走ること、すっかり忘れてい
 ました。
 しかも、平日運転ですから、本日でしたよね。残念でした。
 佐倉駅に特急電車の始発が復活したわけですね。
 いつか、乗ってみます。

 いただいた原稿、早速、ホームページに掲載しました。
 ご覧ください。

 10月16日
 司書番号021、S・Kさんのハンドルネームが「yukikazu」さんに
 なりました。

 10月15日
 Sさんから佐倉本情報をいただきました。
 歴史読本「別冊 歴史読本  中世戦国江戸の城」に
 佐倉城跡の写真が掲載されていました。裏表紙の写真も
 注目です!

 <返信>
 ありがとうございました。さっそく本屋で見てみます。
 Sさんからは、これで4冊の佐倉本情報をいただきました。
 そこで、司書登録させていただきました。登録番号は021です。

 10月13日
 さっそく、七つの子さんからメールをいただきました。

  こんばんは。
 お祭りでお会いした時は、ご挨拶のみで失礼しました。

 佐倉囃子のお面について
 佐倉囃子とは、ふつう「屋台・昇殿・鎌倉・四丁目・上がり屋台」の
 五囃子に、「仁羽」 「投げ合い」 「寿獅子」 「その他」 を指しますね。
 踊りはほとんど(全部?)、面をつけて踊りますが、
 このあたりは、里神楽の影響大でしょうね。
 面の種類は、随分たくさんあると思います。
 私の乏しい記憶でも、10種類くらいの面を思い浮かべることができますが、
 名前がわかるのは、おかめ、ひょっとこ、翁、だるま、大黒天、狐・・・くらいです。
 詳しいことについては、仲町の「お囃子館」に週何回か、佐倉囃子保存会
 の方が詰めておられますので、お聞きになってはいかがでしょうか。
 また、江戸囃子、江戸里神楽などについて、下記サイトがたいへん詳しいです。

 尚楽会HP   http://www.asahi-net.or.jp/~pq7s-nsmr/

 以上、あまり役に立ちませんが、ご参考までに。

 あ、ついでと言ってはナンですが、私の子供の頃、お祭りは4年に1度ではなく、
 3年に1度だったと記憶していますが・・・

 <返信>
 こんばんは。
 さっそく連絡をいただきましてありがとうございます。
 参考となりました。
 御神輿の渡御について。私は数年に一度というまでは、記憶していたのですが、
 どこからか、オリンピックと間違えていたようですね。反省しています。
 これからも、よろしくお願いします。

 10月12日
 佐倉市の祭りについての問い合わせあり。

 1、佐倉のお祭りは、どこでおこなわれていますか?

 <回答>
 佐倉の祭りという場合、いろいろな捉え方があります。
 佐倉市の祭りとしてとらえると、佐倉の祭り以外にも、市内の各地区(大佐倉、
 臼井、小竹、先崎、根郷、和田、弥富など)にあります。祭りでは神輿の渡御
 があったり、幟旗を立てるだけであったり、神主が拝むだけであったりと、祭り
 の形は違っていますが、それぞれの「祭り」です。

 2、佐倉(地区)の祭りとして、現在、新町で行われている祭りは?

   <回答>
 麻賀多神社(氏子は新町周辺・鏑木)、愛宕神社(氏子は田町)、八幡神社
 (氏子は弥勒町)、神明神社(氏子は本町)の合同秋祭り → 拡大して「佐倉の
 秋祭り」です。
 従来、新町を練り歩く祭りは、麻賀多神社の祭りで「まかた様の祭」と呼ばれてきま
 した。麻賀多神社の祭りは「例大祭」と呼ばれ、五穀豊穣を感謝するものです。
 祭りは氏子と神様のつながりを深めるものですから、麻賀多神社の神は、祭りの日
 だけ氏子地区を練り歩くのです。他の神社も同様ですから、新町には入ってきませ
 んでした。
  近年、周辺の御神酒所も新町に入ってきて、合同の様子となりました。さらに、
 「佐倉の秋祭り」と称されるようになり、従来の神事に、フェスティバルの要素を加味
 して、幅広くおこなわれています。

 3、 御神輿は何種類あるのか?

 <回答>
 佐倉新町を渡御している佐倉の御神輿は、古くからあるものは麻賀多神社のもの
 1基です。この御神輿に神様が鎮座しています。
 ほかの御神輿は借りてきたり、新しく作られたもので、神様が入っていません。
 麻賀多神社の御神輿は、江戸時代に作られたものです。

 4、佐倉の祭りの見所は?

 <回答>
 各町内の山車や御神酒所で演じられる佐倉囃子や、引き手が踊る手踊りが、各町内
 の趣向をこらしていますので、その辺のところを見ると面白いです。祭りのクライマック
 スは、御神輿が麻賀多神社に納まるときです(午後の9時ころから10時ころ)。
 御神輿を納めたい世話役と、まだ納めたくない担ぎ手が御神輿を入れるかどうかで、
 御神輿を綱引きのようになります。

 5、 祭りに参加する人の服装は?

 <回答>
 御神輿に携わる人たちは、世話役は山高帽子に紋付袴。担ぎ手は白丁とよばれる白い
 衣装。残された写真を見ると、明治以降は、ほとんど変わっていません。
 御神酒所を引く人たちの服装は、時代によって、各町内で揃えています。

 6、佐倉で一番初めに始まったお祭りは?

 <回答>
 記録がないのでよくわかりません。しかし、現在行われている古い祭りは、江戸時代に
 始まったのではないでしょうか。

 7、戦時中もお祭りをしていたのですか?

 <回答>
 わかりません。私の考えですが、御神輿の渡御などの派手なことはしなかったでしょうが、
 神主が神事を行うことはやっていたと思います。
  つまり、「例大祭」は神事ですから、御神輿の渡御や御神酒所を引き出さなくても、でき
 るのです。戦後は、4年に一度、御神輿の渡御を行い、後は神社で神事を行うだけでした。
 御神輿の渡御を毎年行うようになったのは、昭和48年に千葉で若潮国体が開催された年
 からです。

 8、佐倉囃子のお面は、昔もつけていたのですか?

 <回答>
 わかりません。ただ、私は御神酒所の上で踊る形ができたときから付けていたと思います。

 どなたか、佐倉囃子の古いお面についてわかる方がおりましたら教えてください。
 司書の七つの子さん、わかりませんか?

 10月10日
 朝、台風の被害を点検。
 柿や金柑などの果樹には大きな被害はなし。

 佐倉の秋祭りを見にいく。
 露店が並び、賑わう。
 司書さん2人に街で出会う。先日のオフ会で顔見知りになって
 いたのでお互いの顔がわかっていました。

 10月9日
 我が町内に、台風による避難勧告が出される。
 友人から、大丈夫ですかというメールをいただく。

 大丈夫というメールを送る。

 10月7日
 黒田 碧さんの『城下町慕情』を更新しました。

 10月6日
 「NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく鑑賞する」を更新しました。
 亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 10月3日
 Tさんから、先日おこなったオフ会についての手紙をいただきました。
 オフ会を解散した後、オフ会で知り合った人とさらに話をしたとのこ
 とで、楽しく過ごせたとありました。
 当日は、オフ会にどのような人が参加するのかわからずに、不安だっ
 たことでしょうが、会ってみると、お互いに本などで名前だけは知って
 いたというような司書の方もいたようです。
 そして、これからもオフ会があったら参加したいとありました。
 Tさんはインターネットをやりませんので手紙のやりとりだけですが、
 満開佐倉文庫に協力していただいています。これからもよろしく
 お願いします。

 先日、NHK大河ドラマ「新選組!」の後に放映している「新選組が
 行く!」のスタッフが、私の資料を撮影していきました。本日、番組の
 都合で(時間がなくて)放映されませんという電話がありました。
 ま、それくらいの資料でした。

 10月1日
 Yさんから誘いのあった成田山霊光館(資料館)の「番付いろいろ」
 展をみてきました。多くは相撲の番付ですが、その他にも相撲の番
 付に似せて、いろいろな番付がつくられており、その展示もされてい
 ました。
 佐倉関係では、「佐倉新町相撲興行番付」(相撲博物館所蔵)
 がありました。江戸時代、弘化3年(1846)に佐倉新町の教安
 寺境内で開催された相撲の番付です。説明によると、最上段に
 江戸相撲の力士がならび、その下は地元の力士がならんでいる、
 とありました。
 江戸の力士を数えてみると14人いました。それにも増して、下3段
 に書かれた力士は50人を超えています。当時の佐倉では、江戸
 の力士を呼べ、また地元の力士が50人を超えるほど相撲が盛んで
 あったということでしょう。もちろん地元といっても、佐倉周辺まで含まれ
 るのでしょうが、それにしても盛んだあったと思います。
 江戸時代、佐倉から2人の幕内力士が生まれました。しこ名は小松
 山富吉と稲川政之助です。詳しくは、『ふるさと歴史読本 近世の佐
 倉』にある「佐倉と相撲」をご覧ください。
 臼井も相撲が盛んでした。江戸時代の名力士、雷電為右衛門が
 晩年住んだ土地でもあります。

 帰りに成田市の図書館に寄ってきました。2階にあがったところに小さな
 展示コーナーがあり、水害の写真展示がされていました。昭和16年の
 水害写真で、佐倉の田町付近の写真もありました。
 近隣の資料館で、佐倉関係の展示がありましたらお知らせください。

 9月30日
 横浜開港資料館で開催されている蓮杖&金幣展を見てきました。
 展示室には、横浜で幕末から明治の初期に活躍した写真師とその
 写真が展示されていました。下岡蓮杖、日下部金兵衛(商号は
 金幣)らです。以下、館報『開港のひろば』第85号より。
 横浜で、というより日本最初の営業写真家はアメリカ人フーリマンで、
 撮影年代がわかっている古い写真は、佐倉藩士で幕臣にとりたて
 られた大築尚志のものです。万延元年(1860)6月のことです。
 尚志の写真は沼津市明治史料館にあります。
 蓮杖は文久2年(1862)初頭に開業とあります。この年の5月に
 佐倉藩士は、横浜にあった外国人居留地の警護につくことになり
 ます。

   古写真資料を見ていると、学芸員と思われる人とグループの方々が
 入ってきてました。ちょうどよかったと思い、学芸員の話を聞くことにしま
 した。たいへんに参考となりました。写真を語らせるためには、記録が
 必要ということがわかりました。
 当展の図録はありませんので、佐倉藩士赤井重遠の古写真資料は、
 パンフレットに紹介されたものと、館報『開港のひろば』第85号(2004
 年8月横浜開港資料館)ということになるのでしょうか。
 なお、フーリマンの墓が外国人墓地にあります。
 また、イギリス人プロカメラマンであるW・ソンダースが文久2年(8月から
 3ヶ月滞在)に撮影した「谷戸橋と関門番所」の写真も展示されてい
 ました。撮影場所は関内と呼ばれる横浜の都心部に入る橋のたもと
 だそうですが、この谷戸橋を佐倉藩士が警護していたのです。

 9月29日
 Eさんから佐倉情報と質問をいただきました。

 先日、横浜開港資料館で「蓮杖&金幣」展を見てきました。その中で
 佐倉藩士赤井重遠のガラス湿板が展示されていました。説明書きには
 「佐倉藩士、主君が横浜警備を命じられたのに随行し、弁天通りの写
 真館で撮影 文久3年10月」とありました。
 そこで、教えていただきたいのですが、「主君が横浜警備を命じられた」と
 いう事実はありますか。あるとすれば、主君とは誰でしょうか?
 という内容でした。

 <回答>
 佐倉藩では、文久2年5月から1年間、横浜にあった外国人居留地警護
 の命を受け、その入口にある前田橋と谷戸橋の番所を受け持ちました。
 文久2年から1年といえば文久3年5月までが警護期間といえます。
  しかし、帰着日を確かめていませんので確かなことはいえませんが、写
 真の説明には文久3年10月とありますので、数ヶ月の差が出てしまい
 ます。説明の年月は、撮影当時の日ではないかも知れません。
 そのときの佐倉藩主は、堀田正倫です。
 なお、いただいたパンフレットには、やはり佐倉藩士で幕臣にとりたてられた
 大築尚志の写真もあります。大築尚志は幕臣としてしか記されていません
 から見落としてしまいますが、生まれは佐倉です。

 なお、「蓮杖&金幣」展は10月31日(日)まで、開催されています。
 古写真に興味のある方は、ご覧ください。
 横浜駅から、みなとみらい線「日本大通り駅」下車。徒歩1分。

 9月26日
 志津コミュニティーセンターで、シンポジウム「井野長割遺跡を考える」
 が開催されました。
 志津にある井野長割遺跡は、縄文時代後・晩期の遺跡で、最近の
 発掘調査から、「環状盛土」があることがわかり、貴重な遺跡であると
 のことでした。縄文人が集落の回りに土を環状に盛り上げた、というの
 です。
 シンポジウムでは、このように土を盛り上げる行為を意図的にやったのか、
 あるいは住居を作りかえるたびに、土を住居の外側に押し出した結果と
 して、そのように盛り土になったのか、というところが争点になりました。
 結論は出ません。今後の事例に期待したいと思います。

 井野長割遺跡から、異形台付土器という変わった形をした土器が発見
 されています。ここ数年で、遺跡から異形台付土器が発見されたという
 情報がありましたら、お知らせください。また、これから発見されましても
 教えてください。それ以前のものは、たぶんほとんど知っています。

 9月24日
 空気を涼しく感じるこのごろとなりましたが、まだ蚊が飛び回っています。
 夏と秋の狭間なのでしょうか。

 佐倉本情報をいただくたびに、これをどのように整理しようかと考えてい
 ます。以前は、それも楽しみのうちと考えていましたが、このごろは本当に
 どうしようかと思ってしまいます。
 人物から検索できるようにするか、年代から検索できるようにするか、とい
 う方法論ですね。この両方ができれば良いのですが、作業量を考えると
 二の足を踏んでしまいます。
  取り組みやすい方法としては、現在、「新刊案内」として紹介している
 年から遡っていくというやり方ではないかと思います。では、どこまで年代を
 遡ったらよいのかということになります。といっても、どこまでというものはない
 から、明治くらいから年代をつくっていかなければならないと思っています。
 もう一つの方法は、出版に備えた整理方法ではないかと思っています。
 でも、まだ具体的なものはありませんから、アイデアが出ません。

 9月23日
 亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 佐倉情報。
 佐倉市民音楽ホールで、オペラ「龍の雨」が、11月6日(土)、7日(日)
 13時30分からと、17時30分からの合わせて4回、公演されます。
 料金はS席4,000円 A席3,000円 B席2,500円です。
 問い合わせ先 佐倉市民音楽ホール 043−461−6221

   この公演は、印旛沼に住んでいた龍が天に昇って雨を降らせるという伝説をオペラ化
 したものです。私も鑑賞しようと思っています。

 9月22日
 佐倉情報。
 昨日、夜6時からのNHKニュースの中で、「首都圏ネットワーク」があり、佐倉市立
 美術館の体験する美術(?)が放映されました。 内容は、小学生と思われる人
 たちが、ミニュチアのイスをつくる作業をしていました。単純な構造のイスと思われ
 がちですが、バランスが微妙とのことでした。
 夕食時にいきなりでしたので、ビデオの録画もすることができず、ただただ眺めてい
 ました。

 佐倉情報。
 シンポジウム「井野長割遺跡を考える 〜環状盛土をめぐって〜」が、9月26日
 (日)、午前10時から志津コミュニテイーセンターで開催されます。
 入場無料。事前申し込み不要です。
 問い合わせ先 佐倉市教育委員会文化課 043−484−6294
 

 佐倉市の考古学を考える上で貴重な井野長割遺跡を検討します。
 縄文人が、周辺の土を使って環状に盛り上げた土、それは何を意味するのでしょ
 うか。佐倉市以外からも同じような遺跡が確認されており、それらの遺跡と比較も
 されるようです。
 私も参加しようと思っています。司書の方で、興味のある方は参加ください。

 9月20日
 NHK大河ドラマ「新選組!」、昨日は「薩長同盟締結!」でした。
 ドラマの最初が、松本良順が新選組の屯所となった西本願寺で新選
 組隊士の健康状態を診察している場面でした。慶応元年(1865)の
 ことです。
 佐倉藩では、この年の9月に禁裏(御所)警護の命があり、藩主堀田
 正倫と藩士は出発。10月、禁裏南門の警備につきました。

 翌年は慶応2年(1866)になります。1月21日、京都の薩摩藩邸
 では、坂本龍馬の仲介により、倒幕のための薩長同盟が成立しまし
 た。
 佐倉藩の動きですが、薩長同盟が成立する10日前の、1月11日に
 禁裏警護の任を解かれ、江戸に向かいました。薩長同盟のことなど
 知る由もありません。佐倉藩は結果的に歴史の隙間を歩んでいたと
 いえます。

 9月19日
 M・Sさんから佐倉本情報。
 樋口一葉「われから」『樋口一葉』所収(1992年 筑摩書房)
 「奥方は火鉢を引寄せて、火の気のありやと試みるに、宵に小間使いが
 埋け参らせたる、桜炭の半ば灰になりて、よくも起さで埋けつるは黒きま
 まにて冷えしもあり」とありました。
 注には、桜炭を「千葉県佐倉地方に産する上質の炭」とあります。

 M・Sさんは、昨年も佐倉本情報をいただいています。そこで、司書資格が
 ありますと伝えたところ、快諾いただきましたので認定いたします。

 S・Mさんから佐倉本情報。
 五木寛之『元気』(2004年4月 幻冬舎)
 「その時代の紀行文『後北遊日乗』のなかで、千葉県の佐倉というところを
 通過するときに彼(森鴎外)がものした漢詩の一篇がのっており」とありました。

 fukikohasssyさん、七つの子さんから写真のお礼のメールあり。
 オフ会はごくろうさまでした。

 オフ会の記録更新。

 9月18日
 ホームページに「催物案内」の項目を設置しました。県内公共施設の催し物
 を紹介します。掲載したい催物がありましたらご利用ください。無料です。

 9月17日
 成東の七つの子さんからメールあり。
 先日のオフ会、有難うございました。

 満開佐倉文庫の司書の方は、ほとんどの方が男性かと思っていました
 ので、意外で、そして楽しいひとときでした。(女性6人、男性4人)

 昨日、まき書房へ出向き、「明治に生きた佐倉藩ゆかりの人々」を求めて
 きました。まだ拾い読みした程度で申し訳ないのですが、少々お伺いしま
 す。231ページの麻賀多神社祭礼の項で、
 「日露戦争の戦勝会で、山車が転倒し壊れた・・云々」とありますが、この
 お話は、どなたかの聞き取りか、それとも、なにかの資料に載っているのか、
 お分かりでしたらお教え願えませんでしょうか。
 日露戦争の戦勝を祝して、練兵場に山車、御神酒所が集結したというこ
 とは知っておりましたが・・・

 <返信>
 こんばんは。
 私も、楽しく過ごせ、またみなさまも楽しそうだったので、ひとまず安心をしま
 した。また、拙著をお買い上げいただきましてありがとうございます。

 日露戦争の戦勝会の話は、新町に住んでいた古老Tさんから聞いたもの
 です。だんだん、話を聞ける人が少なくなってきましたね。

   9月16日
 司書のYさん(003)から佐倉情報をいただきました。
 「亀田さんへ。ご無沙汰しております。現在、成田山霊光館では特別展「番付いろい
 ろ」を開催しています。
芝居・相撲・見立の各番付約90点を展示しており、そのなかに
 は弘化3年に教安寺境内で開催された相撲興行の番付、明治20年に成田街道沿
 いの商店を紹介した番付、これには幸田信助、吉田伝左衛門、土井治兵衛ら佐倉
 の商人も数多く登場しています。また、明治25年の板番付には「佐倉山熊太郎」なる
 力士の名が確認できます。会期は11月7日まで
 とありました。

   <返信>
 Yさんへ。久しぶりです。メールをいただきましてありがとうございました。ぜひ、見学したい
 と思います。また、ホームページに紹介します。
 私のホームページには、郷土史が好きな人が、けっこう訪れますので、喜ぶと思います。

 先日、オフ会を行いました。
 そろそろ原稿の方もお願いします。原稿は、私宛にメールを送っていただければ、私が
 ホームページ用に加工して掲載します。一回の原稿量(行数)は、八谷さん、ホーム
 タウン佐倉さんの量をみてください。また、字数は35字程度で改行してください。
 では。

 9月15日
 S・Yさん、N・Tさんから佐倉本情報をいただきました。
 二人は、司書より友人のほうが気楽といいます。
 しばらく友人として満開佐倉文庫友の会につきあってもらいます。

 天沢退二郎『魔の沼』(1982年 筑摩書房)という児童文学
 書に「あと2キロほど北に行けば、印波沼の端が入り込んでいる
 し、(中略)なぜなら、印波沼でも、森の奥の沼でも、長沼でも、
 沼の岸はたいていびっしりアシが生え、その先にガマが生いしげり、
 その先にやっと水面がはじまるのがふつうだ。それなのにこの沼(?)
 の水ぎわは、いきなりふつうの夏草のしげみになっている。これは
 おかしい」(5頁)とありました。

 天沢退二郎『オレンジ党、海へ』(1983年 筑摩書房)という児童
 文学書に「北東の方角、あの給水塔よりずっと向こうに、印波沼の
 南から土毛の谷まで、シイやクスノキの林におおわれた低い丘が7つ、
 8つ、連なっている」(28頁)とありました。

 9月14日
 Kさんから、『鴎外全集』をいただきました。
 満開佐倉文庫で活用させていただきます。
 ありがとうございました。

 T・Sさんを友人から司書になっていただきました。
 考えてみたら、昨年、そして9月9日にも佐倉本情報をいただいて
 いたのです。あまりにも身近であったため、友人のままでいました。
 一昨日、司書と友人のことを考えていて、思い浮かべたしだいです。
 オフ会では、友人として紹介していました。私の右隣に座っていた人です。

 9月13日
 司書のH(006)さんからメールあり。
 ハンドルネームをfukikohassyにするとのことでした。
 また、佐倉情報をいただきました。
 「もしかしたら、もうメールが届いているかも知れないですが、9月12日よる10時30分
 からの「ブラックバラエティ」、4チャンネルの番組で、京成佐倉駅前のガンジーラーメン
 が紹介されていました。佐倉市とバッチリ載っていましたよ。
 .昨日のオフ会は司書のみなさまにお会いできて良かったです、ありがとうございました」

 <返信>
 佐倉情報をありがとうございました。でも、残念ながら見ていませんでした。記録に
 とどめておきます。
 また、これからはfukikohassyで紹介します。

 拙著『明治に生きた佐倉藩ゆかりの人々』が、京成駅前の「まき書房」で売られて
 いました(私は、残部がないと思っていました)。購入したい方は、お早めにどうぞ。
 残部が、わずかです。

 9月12日
 オフ会に参加できないSさん(004)から、「当日、茶のお供にどうぞ」と茶菓子
 をいただきました。当日、忘れたらごめんなさいといいましたが、本当に忘れてしま
 いました。申し訳ありません。事務所で処理させてもらいます。

 オフ会で佐倉本の話になりました。現在の司書資格の年月は来年までと決まって
 いるので、今年、一気に佐倉本情報を教えてしまうとどうなるのでしょうか、という
 質問でした。
 ありがたいことで、私は、まだ来年以降のことは考えていませんでした。せっかく佐倉本
 情報があるのですから、それは教えていただいて、その数をポイント制にして貯めるこ
 とができるというのはどうでしょうか。そして、あるポイントに達したら、無期限司書になる
 というのはどうでしょうか。もっとも、司書資格が無期限になっても、満開佐倉文庫が
 閉館になっては話になりませんので、あくまでも満開佐倉文庫が開館している間の無
 期限資格ということになります。
 ですから、そうなると、今後、皆さんが一律に司書資格年月が認定されるというのでは
 なく、各自が佐倉本情報を提供し数により、司書資格認定期間が延びていくということ
 になります。現在の司書さんが新たに佐倉本情報を提供したとすると、それは再来年
 以降の認定ポイントになります。しばらく、考えてみます。

 となると、司書さんと友人の違いはどうなるのだろうか。差がないばかりでなく、友人の
 ほうは認定期間もないんですね。もっとも、友人に認定期間をつけるというのは、もっと
 おかしな話になってしまいます。
 そのようなことで、司書という資格は「自分に対する励み」と理解してはどうでしょうか。

 どうもこれは、私が満開佐倉文庫に対する考え方を広めた結果ではないかと思います。
 (いや、このようなことはこれまで考えたことがありませんでした)
 満開佐倉文庫の進化といいましょうか。考え方を整理してみます。

  第一段階の要素
    1、佐倉本情報を提供する(私)。

  第二段階の要素
    1、佐倉本情報の提供と執筆(私・司書)。
    2、電子地域文庫の相互リンクを考える。

  第三段階の要素
    1、佐倉本情報の提供と執筆(私・司書)。
    2、電子地域文庫の相互リンクを考える。
    3、私の友人で佐倉が出てくる創作文を作る人を応援する(友人)。

 このように満開佐倉文庫の考え方が広がってきたと思います。いや、同じ道を歩く
 仲間が増えるたびに、その理由を後付しているのかも知れません。どうも考え出すと、
 なかなかすっきりとは整理できませんが、幅広く(ちょっと、いい加減に)やっていこうと
 思います。

 拙著『明治に生きた佐倉藩ゆかりの人々』が、京成駅前の「まき書房」で売られて
 いました(私は、残部がないと思っていました)。購入したい方は、お早めにどうぞ。

   9月11日
 NHKの大河ドラマ「新選組!」の後に放映される「新選組を行く」の
 スタッフが自宅に来て、本の資料を撮影する。
 私の資料が、NHKで放映されることになりました。といっても別に大した
 資料ではありません。撮影日が決まったら連絡をくれるそうです。
 なお、個人名は出しませんということなので、どれが私の資料かわかりません。
 帰りに、私のホームページを宣伝。
 ホームページには「新選組!を佐倉らしく鑑賞する」というページがありますと、
 話しました。
 Sさん、ご覧になっていますか?

 本日、満開佐倉文庫初めてのオフ会を開催。司書さんと友人が参加。
 1次会の参加者、10名。資料持ち帰り1名。
 2次会の参加者、10名(うち1名は入れ替わり)
 私が初めてお会いする方もおりました。みなさんの顔合わせも初めてでした。
 初めてでしたが、楽しく過ごせました。

 これまでは、佐倉の自然を報告してくれる人を満開佐倉文庫友の会と呼んで
 いましたが、これからは、佐倉の自然を報告してるれる人を「自然観察員」と
 改称します。
 そして、司書さん(グループ)、友人(グループ)、自然観察員(グループ)を合わ
 せた総称として「満開佐倉文庫友の会」にしようと思います。

 9月10日
 オフ会に参加できないSさん(004)から、「当日、茶のお供にどうぞ」と茶菓子
 をいただきました。どのように持っていこうか考えています。当日、忘れたらご
 めんなさい。

 9月9日
 黒田 碧さんの『城下町慕情』を更新しました。

 オフ会に、黒田さんが遅れて参加するそうです。5時までには着きたいとのこと。
 お茶を飲みながら待っています。

 9月7日
 Kさんからメールあり。
 『鴎外全集』を知人が不要になったので、いりませんか。
 という内容でした。

 <返信>
 ありがとうございました。不要でしたらいただきます。
 オフ会のときに話しましょう。

 『鴎外全集』は38冊あります。版も大きいし、半端ではありません。
 かつて神田の古書店で見かけたことがありましたが、その量に驚いて
 『鴎外選書』を選んだことがあります。選書には佐倉が出てくるものとしては
 「後北遊日乗」しかありませんから、不便でもありました。
 オフ会で話すことが一つ増えました。

 9月6日
  「NHKの大河ドラマ『新選組!』を佐倉らしく鑑賞する」を更新しました。

 9月5日
 岡正基『津に縁のある本の話』を読む。岡氏は、本籍地が津とあれば一度も
 住んだことがない人を取り上げていました。また、津に3歳までしかいなくても、
 縁のある人として取り上げていました。
 「郷土にゆかりのある人」とは、筆者がそう思えばそれで良い。私も、それで良い
 と思います。これから、各地の地域文庫をつくろうと思っている司書のみなさん、
 みなさんの判断で、ゆかりの人を選んでください。

 亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。

 9月4日
 満開佐倉文庫のオフ会まで、あと7日。

 雷で、夜中に眼が覚めてしまいました。佐倉は局地的な大雨だったようです。

 9月3日
 満開佐倉文庫のオフ会まで、あと8日。
 当日は、お茶会のオフ会と、お酒会のオフ会がありまして、何で2度も続けてするのか、
 ということですが、
 @、遅れてくる人を待ち合わせるため。
 A、講演会が終わっても(おそらく4時ころか)、まだ飲み屋さんが開いていないので、
    時間つなぎをしたい。
 B、お茶会で引き上げたい方もおられるのではないかと思い、とりあえず、お茶会で
   オフ会の格好をつけたい。
 というわけで、主にAの理由から、1時間程度のお茶会をやりたいと思います。
 なお、お茶会といっても、茶道ではなく、コーヒーとか紅茶方面のお茶会です。

 岡正基氏から『津に縁のある本の話』が届き、お礼の電話を入れる。
 話から、おだやかな人と思いました。それに、まるで友人であるかのような話し方で
 した。本の奥付にある生年月日からすると、70歳を超えています。
 本の帯には「つい津の文字が目に入ってくるのです。生まれて70年、ずっと津に
 住み続けているからでしょう。津に縁のある本について書いたものを集めてみました」
 とありました。私も佐倉の文字が入った本を集めていますと話しました。岡氏と本を集め
 る気持ちはいっしょですから、話が弾みました。
 本のあとがきには「”津に縁のある本”アラカルト、いささか”めぐり合わせ”によって文献
 入手して書くことになった」ものなどをまとめたものです。もう、ほとんど私の思考と一緒
 です。ざっとめくっただけでも、親近感が生まれる本です。それに、内容が充実してい
 ます。自分が目指す本に出会えるというのはうれしいものです。大いにいに参考にした
 いと思いました。

 9月2日
 満開佐倉文庫のオフ会まで、あと9日。
 司書の方で、まだ出欠の連絡をくれていない人は連絡ください。

 9月1日
 満開佐倉文庫のオフ会まで、あと10日。
 参加者は、司書、友人合わせて10名前後の予定です。

 当日の予定を、少しお知らせします。
 講演会が終わった後、喫茶店で、お茶を飲みます。みなさん、
 顔を合わせるのは初めてですから、自己紹介でもしましょう。また、
 遅れてくる人と喫茶店で合流します。
 お茶を飲みながらの話を、第1回目のオフ会としましょう。
 みなさんの話を聞きたいですね。

 そして、話し足りない人は、その後、場所を変えてお酒でも飲みながら、
 話しましょう。

 8月31日
 昨日の続き。
 『津に縁のある本の話』という本を読みたくて、いろいろと探しています。そこで、
 人名からインターネットで検索してみることにしました。すると、その人の名前が
 ヒットしたのです。
 その人は、四日市文芸賞の審査員をやっており、文学に造詣の深い人とお見受け
 しました。さらに、「三重の歴史を歩く」という文章も書いています。
 ますます、読みたくなりました。
 それに、ここまでわかれば本人までたどれるのではないかと思い、いろいろ検索を
 しました。
 すると、三重県文化団体の加盟団体がヒットし、その加盟団体の一つである三重
 文芸協会の事務局長をやっているとありました。そこに電話番号が掲載されて
 いたのです。そこで、この電話番号に電話をしてみると、本人の自宅でした。
 そして、話をして本を購入することができました。本が届きましたら、また紹介した
 いと思います。
 それにしても、インターネットってすごいですね。

 それから、全国にも私と同じように地域の本を収集している人がいると思いますので、
 相互交流をしたいなあと思いました。

 8月30日
 台風が過ぎたのでしょうか。静かな朝を迎えました。

 出久根達郎『古本・貸本・気になる本』(2004年8月 河出書房新社)の中に
 『津に縁のある本の話』という本が紹介されていました。なにやら私と同じ傾向の考
 えの方で本を集められている方がおられるのではないかと、喜んでしまいました。
 さっそく、購入しようとインターネットで検索したのですがヒットしません。では借りようと、
 インターネットで県内の図書館横断検索や国会図書館まで探したのですが、ここでも
 ヒットしません。ただ、津市と四日市市の図書館にはありました。ですから、まずこの本
 は自費出版だなあと思いました。
 さて、どのようにアプローチしようかと考えています。
 とにかく、著者はどのように本を探しているのでしょうか。読みたいですね。

 8月29日
 アテネで開かれているオリンピックが、まもなく終わります。佐倉市在住の選手
 としては体操の鹿島選手、富田選手が金メダルに輝きました。そして、佐倉市から
 佐倉市民栄誉賞を贈られることになりました。新町の店先には、「鹿島選手・富田
 選手おめでとう」のポスターが貼られています。感動をありがとうございました。

 思えば、ホームページを立ち上げた年がシドニーオリンピックの年でした。インター
 ネットに掲載して、トップページを全面的に改変したころオリンピックが始まりました。
 そして、マラソンの高橋選手の活躍に酔いながら、「佐倉にゆかりある人を探す
 辞典」をつくっていました。この辞典づくりが一番きつい作業でした。
 あれから4年ー。
 今年は司書さん、友人の方も加わったホームページに広がっています。やはり
 長く続けるには、多くのサポーターが必要です。これからも佐倉本情報を教えて
 ください。

 8月27日
 今、考えていることがあります。それは、みなさんからいただいた佐倉本情報を
 著者別に検索できるようにしたいということです。そうすれば、私がどのような本
 を把握しているか、すぐにわかると思うのです。
 そうは思うのですが、いざおこなおうとすると、その作業は膨大となり、検索ページ
 の入力作業だけで半年以上はかかってしまうのではないかと躊躇しています。
 「佐倉にゆかりある人を探す辞典」づくりには、半年かかってしまいました。
 もちろん毎日おこなったというわけではありませんが、ホームページの更新に費や
 す時間は、ほとんどこの作業であったということです。
 それに、みなさんから寄せられる佐倉本情報が増えていますので、著者別検索
 のページをつくりながら、同時に、検索ページの更新作業も行わなければなりま
 せん。さらに、「新刊案内」の整理をしなけれならないのです・・・。
 そのようなわけで、作れば便利なのですが、作ろうかどうしようかと考えています。

 昨日、五房花文庫という文字を私のホームページから消したのですが、まだヤフー
 には記憶されているらしく、今も検索できてしまいました。
 御用とお急ぎでない方は、検索してみてください。あっと驚く五房花文庫が出てき
 ます。これは、私のホームページにつながっています。

 8月26日
 友人からメールあり。
 「佐倉にゆかりある人を探す辞典」に、「り」「る」「れ」「ろ」などで始まる人物名
 がないとあり、わかった人がいたら「五房花文庫」まで連絡してほしいとありました
 が、五房花文庫って何ですか?という便りをいただきました。

 えー、いかに更新を怠っているかという話からしなければなりません。実は、満開
 佐倉文庫と称する前に五房花文庫と称していたのです。この電子辞典を作り始めた
 2000年9月ごろの話です。
 ホームページを立ち上げて3ヵ月後には、「印旛沼関係図書目録」や「印旛沼に
 ゆかりのある文学」などの入力を終えて、「佐倉にゆかりある人を探す辞典」づくり
 に走っていたんですね。このとき、「り」「る」「れ」「ろ」などで始まる人物名が見つか
 らなかったので、もしわかったら連絡をくださいと記していました。
 その連絡先を五房花文庫としていたのです(ただいま削除しました)。

 「五房花」とは、私の住んでいる地名の小字で「牛房鼻 ごぼうばな」に由来します。
 私は「へたの横好きで」、いろいろなことをやっていますので、そのうちのいくつかが花を
 開き、房となって実を結べば良いなあと思っていました。そのような願望で、「五房花」
 と称していたのです。
 しかし、本を作るにあたって、五房花文庫では、どのような文庫かわかりにくいと考え
 て、どこかに「佐倉」という文字を入れたいと思いました。かといって、「佐倉文庫」では
 行政が作ったと勘違いされそうだし、「私立佐倉文庫」では、家を訪ねてみようと思わ
 れても困ります。
 そのようなことで、「満開」という、まったく別なコンセプトの冠をつけることにしたのです。
 「満開佐倉」は桜にもかけてあり、語呂も良いので覚えやすいと思いました。また佐倉
 という文字が入っていますので、どのような範囲の文庫であるのかもわかると思いました。

 五房花文庫が満開佐倉文庫に変わるのは、本が刊行された昨年になります。でも、
 本では満開佐倉文庫といっても、「佐倉にゆかりある人を探す辞典」では、今まで五房
 花文庫と記していたんですね。気づくたびに修正をしてきたつもりですが、ページ数が多
 いので、このような漏れ落ちがあったことになります。申し訳ありませんでした。
 (更新をしていない、ということでもあります)
 また何かありましたら連絡してください。ありがとうございました。

 8月23日
 NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく鑑賞するために、佐倉藩と松本良順の動きを
 書いています。

 元治元年(1864)7月、京都では禁門の変が起こりました。京都でこのような事件が
 起こったころの佐倉藩の動きを話しています(8月20日の文より継続)。
 那珂湊で降伏した天狗党の者を佐倉藩だけで預かるのではなく、各藩が分担して一時
 預かることになりました。佐倉藩では、降伏した者に礼をつくして対応し、慶応4年2月
 まで拘禁しています。
 一方、このとき降伏しなかった天狗党の1,000余人は、上京して尊王攘夷の志を直接
 訴えようと那珂湊を脱出しました。下野(現栃木県)、上野(現群馬県)、信濃(現長野県)、
 飛騨(現岐阜県)を通り、途中、幕府方の諸藩と戦いながら、ようやく越前(現福井県)
 までたどり着きました。しかし、ここで力尽きて加賀藩に降伏して天狗党の乱は収まります。

 翌年は慶応と年号を改めます。慶応元年(1865)、松本良順は将軍徳川家茂の侍医
 として京・大坂に向かいます。そして、着京後は木屋町に寓していました。このとき近藤勇
 が訪ねてきました。
 勇の招きにより、後日、良順は西本願寺にあった新選組の屯所を訪ねます。勇は、
 土方に命じて屯所の案内をさせました。部屋には健康な隊士と病人が混在しているのを
 見て、良順は病人を分けるように話しました。これを聞いて、土方は早々に手配したので、
 良順は土方を評価しています。また、病人に対し、往診して治療にあたることにしました。

 9月、佐倉藩に再び禁裏(御所)警護の命があり、藩主堀田正倫と藩士は出発。10月、
 禁裏南門の警護に着きます。南門からは、前年に起こった禁門の変の事件現場が見通せ
 ます。流れ弾が飛んできそうな距離にありました。
 佐倉藩の本営は妙心寺麟祥院とし、藩士は広隆寺に滞在しています。ただ、お寺には、
 そのような話は伝わってはいません。
 (ようやくテレビの進行に追いつきましたので、「満開佐倉文庫だより」での話は終えます)

 8月22日
 NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく鑑賞するために、佐倉藩と松本良順の動きを
 書いています。(まだテレビの進行まで追いつきません)

 元治元年(1864)7月、京都では禁門の変が起こりました。京都でこのような事件が
 起こったころの佐倉藩の動きを話しています(8月20日の文より継続)。
 8月11日、佐倉藩は年寄役倉次甚太夫(後の亨)を指揮官とし、兵士350名を天狗党
 討伐のために出陣。
 佐倉藩の陣容は西洋式を取り入れた歩兵・騎兵・砲兵の三隊でした。それは、佐倉藩
 の蘭学者木村軍太郎が考えた西洋式の軍隊編成が初めて試される場でもありました。
 9月5日、佐倉藩が潮来に到着したが、すでに敵の館は常陸行方の麻生藩によって
 焼き討ちされたあとでした。そこで、藩兵の一部を潮来に残し、ほかは佐倉藩の本営
 が置かれた佐原の観福寺に引き上げます。佐原は、以前は旗本領でしたが、元治
 元年6月29日に佐倉領となりました。これは佐倉藩が常陸に兵を進めることが予想され、
 そのときは佐原が佐倉藩の拠点になるだろうと幕府が考えたからです。
 9月13日、幕府から子生(こなじ 茨城県朝日村)に向けて進軍すべしとの命を受ける。
 これより佐倉藩は祝町(現大洗町)、那珂湊まで進み、幕府や各藩とともに天狗党と戦い、
 勝利する。
 那珂湊の戦いで降伏した者は、榊原新左衛門を中心とした1,154人でした。この人数に
 戸惑ったのは幕府でした。早々、佐倉藩の隊長を宿陣に呼び寄せて相談することになり、
 求めに応じて佐倉藩の大砲頭依田十太郎は出向きました。
 幕府は「降人、意外に多く、1,200人程もいるという。そこで、しばらく降人を佐倉城に
 預けたい」という。
 十太郎は「佐倉城には余地がなく、寺院は狭くてこれほど大人数を収容できる施設がない
 ため、お断りします」と答えました。

 8月21日
 NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく鑑賞するために、佐倉藩と松本良順の動きを
 書いています。(まだテレビの進行まで追いつきません)

 元治元年(1864)6月、新選組による尊王攘夷派への襲撃事件(池田屋事件)が起こり
 ました。
 翌月、尊王攘夷派の長州軍と公武合体派の会津・薩摩藩を中心とする軍が京都での
 主導権を巡って戦いが起こります(禁門の変)。
 この3カ月後、近藤勇は江戸に帰り、松本良順に会うのです。

 佐倉藩の元治元年における動きですが、前年まで京都で禁裏(御所)の警護にあたり、
 翌年、再び禁裏の警護にあたりますので、ちょうど佐倉藩が禁裏の警護を離れた年に、
 禁門の変が起こったことになります。
 もし、佐倉藩が禁裏の警護にあたっていた年に事件が起こったなら、佐倉藩は歴史に
 刻まれることになったかも知れません。

 この年、佐倉藩では大きな事件に巻き込まれていきました。
 3月、水戸藩内で尊王攘夷を唱えていた藩士の一部が筑波山で兵をあげました。彼らは
 幕府に攘夷を迫ろうとした人々で、始めは60人ほどでしたが、池田屋事件が起こった6月
 には総勢700人にまで膨れ上がり、日を追ってその数を増していきました。
 そして、その中の一部は、彼らの軍備と生活を維持し、目的を遂げるために周辺の商家や
 農家に押し入り、軍資金として金品や家財などを奪っていました。人々は彼らを「天狗党」と
 呼んで恐れました。
 7月になると、彼らは筑波山を下り始め、常陸(現茨城県)の潮来村に集結を始めます。
 このため幕府は、佐倉藩や高崎藩、宇都宮藩、関宿藩、結城藩に討伐を命じました。

 8月20日
 NHKの大河ドラマ「新選組!」を佐倉らしく鑑賞するために、佐倉藩と松本良順の動きを
 書いています。(まだテレビの進行まで追いつきません)

 文久3年(1863)2月、京都では外国人を打ち払えと叫ぶ志士、浪士が横行していま
 した。幕府は彼らの動きを封ずるために、江戸で浪士の募集を行い、浪士隊を結成し
 京都に向かわせました。この中に近藤勇がいます。
 4月、幕府は10万石以上の大名に交代で禁裏(御所)の警護にあたらせることにしました。
 7月、佐倉藩では藩士と付き添いのものを含めて18人が上京します。このとき、大砲1門、
 小銃3挺を持参していました。そして、10月に佐倉藩は禁裏警護の任を解かれます。

 近藤勇が上京した年、佐倉藩士も京都にいたことになります。この年、長崎でオランダ
 軍医ポンペから西洋医学を学んでいた松本良順が江戸に帰ってきます。そして、医学所
 頭取となりました。
 近藤勇が、京都から江戸に帰って良順と会うのは翌年のことです。

 8月19日
 佐倉本情報。
 寺坪修著『未来企画型経営の実践』(平成5年 中央経済社)、香取正彦著
 『鋳師の春秋』(昭和62年 日本経済社)を寄贈いただきました。
 『未来企画型経営の実践』の著者寺坪氏は佐倉市在住で、奥付に佐倉市の住所が
 記されています。
 『鋳師の春秋』の著者は、生まれは東京ですが、幼き日を佐倉で過ごしました。
 いずれも佐倉本ですので、満開佐倉文庫に大切に保存して、活用させていただきます。
 ありがとうございました。

 T・Eさんから佐倉本情報。
 成田山だより『智光』 平成16年7月号、8月号に
 湯浅吉美「成田街道いま昔 『成田参詣記』の世界をたずねる」があり、
 7月号は「志津から臼井まで」、8月号は「臼井城の攻防」の話が記され
 ていました。
 そうなると、もう少し佐倉が記される号が続くのではないかと考えられます。

 松本良順が出てくる手塚治虫の漫画『陽だまりの樹』を購入しました。
 ゆっくりと読むつもりです。

 知人から、展覧会「第2回 総國文人刻書展」のお知らせあり。
   日時 平成16年8月31日(火)〜9月5日(日)
       午前9時30分〜午後5時
   場所 川村記念美術館付属ギャラリー
       (TEL 043−498−2672)
 ご覧ください。

 8月18日
 佐倉情報。

 展覧会『佐倉の美術 −先人からの贈り物ー』

 原始・古代の考古資料から、現代に至るまでの品々を一挙公開します。
 出品作品としては、寺崎向原遺跡の土器、『北蝦夷画帖』、佐倉藩主
 愛用の鎧、浅井忠の絵、印旛沼関係の写本など盛りだくさんです。
 このような資料が集まるのは、今後しばらくはないでしょう。
 是非、ご覧ください。

 日時 平成16年8月21日(土)〜9月26日(日)
 休館日 月曜日 ただし9月20日(月・祝)は開館。9月21日(火)は休館
 開館時間 午前10時〜午後6時(入館は5時30分まで)
 主催 佐倉市立美術館

 なお、9月11(土) 14時から塚本学先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)
 の記念講演「幕末明治の佐倉人」が、美術館で開催されます。
 参加にあたっては、事前の申し込みが必要です。

 美術館まで問い合わせてください
  (TEL043−485−7851  FAX 043−485−9892)。

 私も申し込みますので、終了後、司書の方たちとお茶(酒?)でも飲みましょう。
 
なお、講演会をパスして、お茶会だけ参加というのもありです。
 この場合は、4時30分集合を目安としましょう。
 お茶会参加希望の司書さんは、私あてにメールをください。

 8月17日
 昨日の「新選組!」続き。
 近藤勇が松本良順に出会うまでの数年間、佐倉藩と松本良順の動きを追って
 みます(本当は、テレビの進行に合わせて書いていればよかったのですが・・・)。

 安政4年(1858)、松本良順は幕命により長崎に赴き、オランダ軍医ポンペ
 について西洋医学を学び始めます。この年、江戸では佐倉藩主で老中首座
 となっていた堀田正睦がアメリカ総領事として来日したハリスと会見をしています。
 翌年、正睦は日米修好通商条約を結ぶべく、その許しを天皇からもらうために
 上京しました。4月20日、正睦は天皇の許しを得られず、江戸に帰ります。
 4月23日、井伊直弼が大老となります。そして、6月19日、日米修好通商
 条約が締結されます。6月23日、正睦は老中を罷免されました。

 正睦が老中をやめて1ヶ月後の7月11日、佐倉に桂小五郎が現れました。
 小五郎は、他藩の人が泊まる宿屋「油屋」に宿泊し、翌日、佐倉藩の演武場
 で剣術の試合をして、去っていきました。
 桂小五郎は、何故、佐倉を訪れたのでしょうか。その記録はありません。が、
 ほどなく日本の中で活躍する人物です。そのような時期に単に剣術の試合をしに
 きたとは考えられません。
 私は、殿様が老中を罷免されるという屈辱を味わった佐倉藩がどのような動きを
 するのかということを探りにきたのではないかと推測しています。
 小五郎は、この年の秋、萩にもどって吉田松陰に会っていました。

 「NHKの大河ドラマ『』新選組!』を佐倉らしく鑑賞する」を更新しました。

 8月16日
 司書の七つの子さんから、『佐倉古写真館』をアップしたとのメールを
 いただきました。
 さっそく、リンクを貼りまして、「創作の本棚」に掲載しました。
 佐倉の人は必見です。
 私は、肴町の山車を初めて見ました。山車人形は白く変色してしまって、
 形がわからないのですが、貴重な写真です。撮影日は明治44年
 11月3日とありました。その他にも、貴重な写真が掲載されています。
 ありがとうございました。

 八谷さんへ。昨日、NHKの大河ドラマ「新選組」の「山南脱走」を観ました。
 松本良順が出ていました。江戸での回想シーンです。
 江戸で近藤勇と松本良順が会う話は、『松本順自伝』(47頁)に出ていました。
 元治元年(1864)6月、池田屋事件。7月、禁門の変。この3カ月後のこと
 です。
 江戸にいた松本良順のもとに近藤勇が訪ねてきます。名刺を通じ、良順に面会
 を求めたのです。家族等は、恐怖すること少なからず。
 良順は、恐れることはない。世の人は勇を暴虐の人のようにいうが、私が見た
 ところはそうではない。道理を知っている人だ。そう話して、勇を応接室に案内し、
 勇の話を聞くことにしました。
 近藤は「君の名は轟いている。よって思うところを述べ、教えを請いたい」という
 ことでありました。話の大意は、放映されたようなことであったと思います。
 そして、勇は、将軍が上洛のおりに良順が侍医としてお供にてきたなら、再び
 お会いしたいと約束をして別れました。

 8月15日
 千葉県立安房博物館に勤める知人から、現在、安房博で開催されて
 いる、企画展のパンフレットをいただきました。手紙には、企画展のPR
 をよろしくとのことでありました。
 そこで、紹介します。

  企画展「房総漁村の原風景 古代房総の漁撈民とその生活」
   日時 7月13日(火)〜9月5日(日) 午前9時〜午後4時30分
   休館日 期間中は休館しません。
   入場料 大人300円 高・大学生150円
   住所 館山市館山1564−1
   電話 0470−22−8608

 館山までは遠いのですが、興味のある方はご覧ください。
 なお、県内の博物館や資料館などで展示や講演会がありましたら、
 この場でお知らせします。ご利用ください。

 8月13日
 八谷さんからメールあり。
 先週放送された、大河ドラマ「新選組!」のあらすじを送っていただき
 ました。ありがとうございます。
 さっそく、引用して文を作ってみます。

 「近藤勇は、長州征討に将軍徳川家茂の出馬を願うべく、京から江戸に
 戻ります」とありました。
 松本良順は、徳川家茂の侍医として京都に向かいます。ですから、昨日
 記した場面までには、まだ到達していません。

 そのようなわけで、「NHKの大河ドラマ『新選組』を佐倉らしく鑑賞する」を
 更新しました。

 8月12日
 八谷さんからメールあり。

 佐倉本情報は特にありませんが、大河ドラマ「新選組!」に松本順が出て
 きたのをご覧になりましたか?HPで言及されないので、念のためメールして
 みました。もしもご覧になったのでしたら、すみません、お聞き流しください。

 万一ご覧になってないようでしたら、ぜひ再放送をご覧ください。
 まだ出てきたばかりですが、近藤勇に影響を与える、わりと重要な役のように
 思えます。

 <返信>
 このごろ、サッカーのテレビ観戦などに忙しく、大河ドラマを留守にしてしまい
 ました。確か、先週は「江戸に帰る(?)」というようなタイトルだったので、パス
 してしまったのです。
 再放送もお盆で忘れてしまいそうなので、お聞きしたいのですが、どのような
 場面でしたか?教えてください。
 手抜きになりますが、少し引用させていただくかも知れません。

 なお、良順は順天堂を創設した佐藤泰然の実子で、江戸生まれです。佐藤家に
 生まれながら、漢方医松本家の養子となりました。そして、漢方医の家にありな
 がら、良順は蘭医を目指しました。
 順という名前は、明治になって付けたもので、江戸時代は良順と名乗っていました。
 ですから、近藤勇らと会ったときには、「良順」であったのです。

 8月11日
 亀田雄岳の『佐倉ゆかりの漫画』を更新しました。

 8月10日
 亀田雄岳のエッセイ『カメラ片手に印旛沼』を電子本として掲載
 しました。これは写真集『印旛沼の四季』を作ったときの裏話です。
 1ヶ月に1回ぐらいのペースで原稿を書いていこうと思っています。
 また『佐倉・印旛沼ゆかりの図書案内』も、4年ぶりに更新しました。

 8月9日
 昨日に引き続き、平成13年以前に発行された佐倉本のデーターを
 どのように整理しようか悩んでいます。
 これまで、平成13年、14年、15年、16年と分けてきたので、
 ここから遡って、年別に整理しておくのも一つの方法です。
 ただ、発行月までわかっているものと、そうでないものがあり、
 整理にあたっては、結局、発行年で把握するしかなくなるでしょう。
 でも、そのような整理方法で、どのようなことに利用できるのか、
 よくわかりません。
 つまり、どのような目的のために整理するのかということが定かでないと、
 無駄な整理になってしまいます。
 いましばらく、悩んでみます。
 みなさんにとって、私がどれだけ佐倉本の情報を知っているのかを知りたい
 ということであれば、著者別が良いかも知れませんね。
 でも、そうなると、これまで整理してきた13年〜16年までの佐倉本資料を
 再度、整理しなければなりませんね・・(ため息)。

 8月8日
 6月〜7月末まで、みなさんから情報をいただいた佐倉本について、
 「郷土の新刊案内」平成13年、14年、15年、16年分にデーター
 の入力作業を終了しました。ご活用ください。
 また、それ以前に発行された佐倉本のデーター入力は、どのように
 しようか考えています。
 というのも、本の領域が広くて、年代も離れており、なかなか整理が
 できないのです。と、悩むところも、また楽しいものです。

 館主の友人、黒田碧さんから小説「城下町慕情」の原稿をいただき
 ました。黒田さんからは佐倉本の情報をいただいておりませんので、
 友人として執筆していただくことにしています。
 黒田さんからは、1ヶ月に1回ぐらいのペースで原稿をいただこうと思って
 います。
 そのようなわけで、満開佐倉文庫には、館主、司書、友人、友の会会員
 という方が、おられることになります。
 みなさん、よろしくお願いします。

 8月6日
 オリジナルの「NEW !」をつくりました。
 新しい情報には、添付したいと思います。

 ただいま研修中で、本日は試験。
 がんばってきます。

 8月5日
 七つの子さんからメールあり。

 電子地域文庫連絡会の件、拝見いたしました。
 本当にできればいいですね。

  私のほうは、「成東本」を実際に収集することについては、
 収納場所や、その他事情があり、ちょっと無理かも知れません。
 もちろん、自分で所蔵することができれば一番いいのですが。
 次善の方法として、図書館で閲覧することのできる、あるいは
 市販されている「成東本」の目録を作って公開したいなと考えています。

 例えば、「伊藤左千夫に関する本」「食虫植物群落に関する本」
 「成東を舞台にした文学作品」など、書名だけでなく、
  それを所蔵している図書館などの情報も案内したいと思います。
 そんな方向でスタートしようと考えているところです。
 では、また。

 <返信>
 ご賛同いただきまして、ありがとうございました。
 私も、すべての本を持っているわけではありません。
 図書館で借りて、佐倉が出てくるページと、奥付をコピーして、ビニール・ファイル
 に保存しています。
 そして、佐倉が出てくる場所には、マーカーを付けています。
 このようにして保存しておくと、いつか確かめるときに便利ですので、お勧めします。

 「伊藤左千夫に関する本」「食虫植物群落に関する本」 「成東を舞台にした
 文学作品」。
 これだけでも、すばらしい地域文庫になります。それを時代順に並べると、
 伊藤左千夫の評価や、食虫植物群落の移り変わりがわかるかも知れませんね。
 伊藤左千夫については、Kさんが詳しいです。また、ホームタウン佐倉さんは、
 鉄道が描かれた小説も詳しいので、七つの子さんが文庫を立ち上げれば
 協力してくれるでしょう。もちろん、私も協力いたします。
 というか、地域を探す目的で本を読んでいけば、知らず知らずのうちに目にとまる
 ものです。
 そのような目的で本を探す人の輪が相互リンクで広がれば、多くの情報も集まって
 くると思います。
 文庫が立ち上がるのを、楽しみにしています。

 8月1日
 「満開佐倉文庫だより」に掲載した佐倉本情報(6月〜7月分)
 のうち、平成13年、14年、15年、16年に発行された本を
 「郷土の新刊案内」に掲載するためのデーター入力作業中。
 思えば、ずいぶんみなさんから佐倉本情報をいただいたなあと、
 感謝しながら作業をしています。

 それから、平成13年以前の本についても、整理ができないかなあと
 考えています。
 

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