佐倉本の周辺探索日記 平成15年(1)
                 
     満開佐倉文庫だよりに掲載した日記のうち、佐倉本の周辺収集に関した記述を、
    佐倉本の周辺探索日記として収録しています。
                               (2003年2月11日〜12月28日)


  12月28日
 ホームページ「AGUA(http://www80.sakura.ne.jp/~agua/index.html)」
 に、「時代劇の風景」というページがあり、時代劇のロケ地資料が記されていました。
 1983年11月12日にテレビ放映された「栄花物語」では、印旛沼でロケされたと
 ありました。
 同じく、1992年1月2日にテレビ放映された「天下の副将軍水戸光圀」で、
  「印旛沼甚兵衛渡し」でロケされたとありました。
 引用させていただきます。
 それにしても、よく観ていますね。

 少し前の話。
 今年(平成15年)の10月30日(月)、午後1時、フジテレビの
 「ごきげんよう」という番組で、「印旛沼の恐怖の乳母車」が放映と
 テレビ番組にありました。
 恐怖の乳母車って、どんな乳母車なんでしょうか。
 当日のテレビを見ていた方、教えてください。

 12月27日
 「佐倉にゆかりのあるCD」を更新

 有馬頼義『兵隊やくざ 戦中編』(昭和62年 光文社文庫)
 購入。
 勝新太郎の映画「兵隊やくざ」が、歩兵第57連隊とかかわりが
 あるのではないかと思っていたので、映画の元となった本を読んで
 みたかったのです。
 勝が演ずる主人公大宮貴三郎二等兵は、東京の留守隊から
 満州の孫吾に派遣されてくるのですが、どこの部隊に派遣された
 のか、少々、気になっていたのです。
 当時、ソ連との国境に近い孫吾には第1師団(東京の第1連隊、
 甲府の第49連隊、佐倉の第57連隊)が駐屯していました。
 映画では、東京からきた初年兵たちが入営するときに軍旗を前に
 訓示を受けますが、どの連隊に配属になったのかがわかりません。
 「東京の留守隊からきた」とあれば、孫吾でも第1連隊に配属されたと
 考えられます。
 しかし、訓示を受けたときに見えた軍旗がボロボロで、これが佐倉の
 57連隊の軍旗のように見えたのです。
 (もっとも、第1連隊の軍旗の状態がどうであったのかが、
 よくわかりません。第1連隊の軍旗はどうであったのかが、わかる人は
 教えてください)
 映画では、元本をはしょることがあるので、元本である小説には
 どのように記されているかを確かめたかったのです。でも、小説にも
 大宮二等兵の所属した連隊名は記されていませんでした。
 ただ、有馬氏は孫呉のことを詳しく描写していますので、有馬氏も
 孫吾に行かれたのではないかと思います。
 とすれば、有馬氏がどの連隊に入ったのかがわかれば、大宮二等兵
 の所属した連隊も推察できるのではないかと思います。
 この話、もうしばらく追うことにします。

 12月26日
 「佐倉にゆかりのある映画」を更新。

 12月25日
 「郷土の新刊案内(平成14年)」を更新。

 12月24日
 「郷土の新刊案内(平成15年)」を更新(1月〜7月)
  新規入力(8月〜12月)

 12月19日
 古い話。
 阪妻こと、阪東妻三郎が臼井の印旛沼で映画のロケをやったことがある
 との情報をいただきました。
 映画の題名は忘れたそうです。
 映画では地元の漁師が「舟が出るぞ」と、漁師役で叫んだそうです。
 うーん、そのような場面を探すのは、時間がかかりそうですね。
 時代劇だけでなく、現代ものでもロケが行われたそうです。
 それは、当時、阪妻が契約していた新興キネマの撮影場が
 谷津遊園にあった関係で、
 身近な野外ロケ地として印旛沼が使われたようです。
 やがて、この新興キネマや大東映画などが企業合併して、大映になります。
 ずいぶんと古い話でした。

 12月1日
  明治6年、佐倉城跡に第1師団の連隊営所が置かれ、
 歩兵第2連隊が駐屯し、後、第57連隊が駐屯しました。
 昭和11年に2・26事件が起こり、この年の5月に57連隊は
 満州のチチハルに移転をします。
  そして、佐倉の営所は留守隊が残留することとなりました。
 翌年の11月、チチハルに駐在していた歩兵第57連隊は
 ソ連国境にある孫吾(そんご)に移駐を命じられ、国境警備の
 任務につきました。

 話は、古い映画。
  勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』は好評で、シリーズで
 作られています。
  その第1作(1965年)は、勝新太郎演ずる大宮貴三郎
 二等兵が満州の孫吾に到着するところから始まります。
 当時、孫吾には第1師団の歩兵第1連隊(東京)と、佐倉の
 歩兵第57連隊が場所を分けて駐屯していました。
  新兵が軍旗の前に整列しますが、その軍旗はボロボロで、
 中心部分の日の丸はなく、わずかに枠が残っているだけでした。
 この軍旗を見たときに、新兵は57連隊に配属されたのでは
 ないかと思いました。陸軍では軍旗がボロボロになっても
 新調することはなく使い続けていたのです。
  第1連隊の軍旗はどのような状態であったのかわかりませんが、
 第57連隊の軍旗はボロボロでした。
  ただ、新兵は、東京の留守隊から来たと言っていたので
 第1連隊の留守隊とも考えられます。また、映画では一瞬、
 九八一?部隊という看板の隊号が読み取れました。
 満州では第57連隊に限らず、敵の情報を混乱させるために、
 第57連隊とは別に新たな隊号をつけますが、第1連隊、
 第57連隊とも9000番代ではありません。
 第1師団は、玉師団となり、第1連隊は「玉5914」、第57連隊
 は、「玉5916」と呼んでいました。
  ですから、9000番代の隊号は映画用の看板ではなかったかと思います。
 そのようなわけで、第1作では、大宮二等兵は第1連隊に入ったのか、
 第57連隊に入ったのかわかりません。
 が、いずれも第1師団ですから、佐倉連隊の孫吾での生活をイメージするには、
 充分です。
  この映画は有馬頼義の小説「貴三郎一代」を増村保造監督が映画化
 したものです。佐倉にゆかりのある本を求めて、この本を探して見ましょう。
 また、有馬頼義氏、増村保造氏の軍隊歴がわかると、
 第1連隊か第57連隊かがわかるかも知れません。

   11月26日
 前日の話の続きから。
 小出監督の記事がスポーツ紙に載っているか?
 ということで、3紙買い求めましたが載っていま
 せんでした。
 ただ、『スポーツニッポン』には高橋尚子選手の
 主治医であった小山さんが亡くなったというので
 墓参りをする、という記事がありました。

 11月25日
 ヤフー・ジャパンのニュースに、長嶋監督が高橋尚子選手に
 手紙を送ったという記事がありました。これは、小出監督が
 講演で明らかにしたものです。
 明日のスポーツ新聞に出ているかなあ・・・。

 乙川優三郎『武家用心集』(集英社)に、佐倉の順天堂
 が出てくるという情報をいただきました。

 ヤフー・オークションで長嶋さんが出てくる雑誌を3冊購入
 しましたが、すでに2冊は持っていて、がっかりしました。

 11月15日
 古橋廣之進さんの映画『トビウオ神話』(1985年)に
 長嶋さんが特別出演しています。
 映画の導入シーンで、いきなり長嶋さんが古橋さんを
 語っています。

 11月13日
 本日、プレイステーション2でおこなうテレビゲーム
 「高橋尚子のマラソンしようよ」が、タイトーから発売されました。
 さっそく購入して、マラソン選手を育成することにしました。
 選手を育てるためには、自分でクラブを設立し、
 マネージャーを雇って、クラブを運営し、その上で
 選手を獲得していくのです。そして、獲得した選手は、
 選手に合わせて練習メニューをつくり、
 各地で行なわれているマラソン大会に出場させるのです。
 でも、マラソンをやったことのない私がマラソン選手
 を育てようとするのですから、たいへんです。
 そのようなわけで、本日のテレビゲームは、選手を大会に
 参加させるところまでいかず、練習メニューに不満を持った(?)
 選手とミーティングを繰返すばかりでした。
 (どうなっているんだ)
 マラソンに参加するまで、たいへんですよ。

 11月12日
 明治6年、佐倉城跡に連隊の営所が置かれ、
 歩兵第2連隊が駐屯しました。
 明治42年から、歩兵第57連隊が駐屯
 します。
 昭和11年、2・26事件起る。5月、57連隊は
 満州に渡りました。
 佐倉には、57連隊の留守隊が残っていました。
 そして、話は映画に移ります。
 1966年、大映は市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」
 を作ります。中野学校とは陸軍のスパイ養成学校ですが、
 市川雷蔵演ずる三好次郎が中野学校に入営するまでの
 所属は、57連隊の士官候補生でした。
 映画の導入場面は、57連隊の営所に入る三好次郎です。
 驚きましたね。

 9月27日
 高橋尚子選手のゲーム"高橋尚子のマラソンしようよ! (仮)"
 が11月に発売されるというので、さっそく予約をしました。
 ゲームですが、高橋選手といっしょに走れるなんて、すごいですね。

 CD「背番号・3 長嶋さんありがとう」(平成14年3月)

 CD「冨田勲『21世紀への伝説史 長嶋茂雄』(平成12年11月)

   (全曲、長嶋さんのためのオリジナル書き下ろしです)

 CD「現代の英雄 長嶋茂雄物語」
   (野球講談師、一龍斎貞花の講談です)

 CD「90’s hits vol・1〜male〜」
   (果てしない夢を ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄
    * ’93 日本テレビ劇空間プロ野球イメージソング)

 CD「ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄」
 以上のようなCDが発売されているそうです。

 9月1日
 昨夜の女子マラソンを見ましたか。
 マラソンが始まる前、千葉真子選手の練習風景が
 映りましたけど、佐倉でのものがありましたね。
 脇を京成電車が走ったりしていて、
 思わず喜んでしまいました。

 女子マラソン。千葉選手は頑張りましたね。
 銅メダルです。オリンピックの代表選手には選ばれ
 ませんでしたが、これからのレースに応援をしましょう。
 この世界陸上の記録が陸上競技マガジンなどの雑誌に
 掲載されるのは、来月か再来月の号となります。
 そのころには、悲しいかな世界陸上のことなど忘れてしま
 うんですね。
 今度は、忘れないで購入しようと思っています。
 小出さんは、佐倉アスリート倶楽部の代表ですから、
 もう、めったやたら「佐倉」という文字が出てきます。

 それでもって、今朝の新聞は『スポーツ報知』『スポニチ』『サンスポ』を
 購入。千葉選手の経歴を紹介する中で、佐倉アスリート倶楽部
 という文字が出てきます。

 8月28日
 相互リンクをしているホームページ「局長のページ 臼井」に、
 拙著『電子図書館 満開佐倉文庫』が紹介されました。
 このホームページでは、臼井の話が掲載されています。
 どうぞ、ご覧下さい。

 8月22日
 Hさんより、朝日新聞の1999年3月14日付け
 「100人の20世紀」という新聞をいただく。
 この日は、長嶋さんの話でした。
 Hさんは、この日の新聞を大切にとってあったそうです。
 満開佐倉文庫に大切に保存し、活用させていただきます。
 ありがとうございました。

 8月20日
 佐倉にゆかりのある人が出てくるのではないかという予想のもとに、
 中古ビデオ「江戸城大乱」(1992 フジテレビ・東映)を購入。視聴。
 物語は病弱な4代将軍徳川家綱は実子がなく、5代将軍を誰に
 するかということを巡っての話。
 登場人物に老中大久保加賀守忠朝(江原慎二郎)が出ていました。
 忠朝は、延宝6年(1678)1月から貞享3年(1686)1月まで
 佐倉藩主でした。
 家綱が死ぬのは延宝8年(1680)5月ですから、この前後の物語
 とすると、忠朝は当時、佐倉藩主であったと思われます。
 主役は酒井雅楽頭忠清(松方弘樹)で、堀田備中守正俊(三浦友和)
 が重要な役割を担っていました。正俊の子供2人も登場します。
 とにかく堀田正俊が、かっこよく描かれています。
 なお、家綱の死を聞いて殉死した堀田正信は登場しませんでした。

 7月25日
 Tさんから、フォトCD「千葉県佐倉高校 野球部 2002年
   ベスト4 卒部記念」
 をいただきました。Tさんはパソコンに詳しく、自分でつくったそうです。
 満開佐倉文庫に保存させていただきます。ありがとうございました。

 

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