佐倉本探索日記 2004年(3)
 満開佐倉文庫だよりに掲載した日記のうち、佐倉本の収集に関した記述を、佐倉本探索日記として収録しています。

(2004年8月1日〜10月30日)



10月29日
 ホームタウン佐倉さんから、佐倉本情報をいただきました。
森村誠一著『非道人別帳3、邪恋寺』(1995年 文芸春秋)
「…駒形の渡しで事件が発生した。この渡しは水戸、 佐倉への往来の渡船で、浅草材木町と中ノ郷竹町の間 を結んでいる。別名花形の渡し、業平の渡しとも呼ばれる。
安永三年に架けられた吾妻橋の少し下流にあつた渡船 で、江戸と水戸、佐倉の往来の動脈に当たっていて、利 用者が多い。…」(62頁)
とありました。

10月24日
 佐倉本情報。
司書のyukikazuさんから教えていただいた『別冊歴史読本 中世・戦国・江戸の城』 (2004年9月 2200円 新人物往来社)の裏表紙、全面が佐倉城跡上空の 航空写真でした。歴博や佐倉市役所、新町の様子もわかります。
これも、すごいですね。貴重な裏表紙の佐倉本です。

10月19日
 佐倉本情報。
大槻幸一郎『新米副知事おたおた日記』 (2004年9月1日 オフィスエム)
堂本千葉県知事の副知事となった大槻氏の話。
「(2003年)8月下旬、冷夏とはいえ残暑が厳しい日に、堂本 知事は千葉県佐倉市の火災現場に立った。高いところでは30 メートルもあるだろうか。木材チップが堆く積まれた山の間から(以下略)」
とありました。

10月15日
 Sさんから佐倉本情報をいただきました。
歴史読本「別冊 歴史読本  中世戦国江戸の城」に 佐倉城跡の写真が掲載されていました。裏表紙の写真も は航空写真です!

10月5日
 Sさんから、佐倉本情報をいただきました。
坂口弘『あさま山荘1972(上)』(1993年 彩流社)
坂口弘『あさま山荘1972(下)』(1993年 彩流社)
坂口弘『続 あさま山荘1972』(1995年 彩流社)
佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』(1996年 文藝春秋)

佐倉本情報。
西村きみ子『エッセイ集 花手鞠』(2004年8月) 西村さんは佐倉市に在住です。

10月3日
 佐倉本情報。
佐倉七福神会(佐倉TMO)『佐倉七福神記念誌』創刊号 (2004年9月 佐倉七福神記念誌編集委員会) 佐倉地区の神社やお寺にある七福神を紹介した冊子です。

10月1日
 佐倉本情報。
成田山霊光館『番付いろいろ』(2004年9月)展示図録
「佐倉新町相撲興行番付」(相撲博物館所蔵)が掲載されています。

9月26日
 佐倉本情報。
佐倉市教育委員会文化課『シンポジウム井野長割遺跡を考える』 (2004年9月)

(財)印旛郡市文化財センター『千葉県佐倉市井野長割遺跡(第4次調査)』
   (印旛郡市文化財センター発掘調査報告書第205集 2004年3月)

9月25日
 佐倉本情報。
牧秀彦『剣豪 その流派と名刀』(2003年9月 光文社)
「この立身流で有名なのは逸見宗助だろう。立身流師範で17代宗家 の逸見忠蔵信敬の長男として、天保14年(1843)に生まれた宗助は、 鏡新明智流の猛者として名高い人物である。18代宗家こそ継承できな かったものの、父から立身流の目録を伝授されるだけの技量を有していた」 (156頁)とあります。

立身流は、江戸時代佐倉藩に伝わった剣術の一つでした。宗家は逸見 家と半澤家が交互に継いでいました。宗助は、宗家を継げる腕前でもあった と思いますが、父が宗家を継いだ以上、息子の宗助は宗家を継げなかった のではないでしょうか。
明治となり、帯刀が禁止されると、剣術ができなくなりました。そのため、宗助は 剣術をやめて、佐倉藩士の授産事業としておこなわれた製茶業の会社「同協 社」に入ります。
西南戦争後、剣術の重要性に気づいた警視庁は、剣術の使い手を採用しま した。このとき採用された一人が逸見宗助でした。後、逸見らは、今日に伝わる 警視庁流剣術の形をつくりました。逸見は、いくつかのおもしろいエピソードが残っ ています。また、いずれの機会にか、紹介したいと思います。

9月21日
 N・Mさんから2冊の佐倉本情報いただきました。
原田康子『風の砦』上巻(昭和58年 新潮社)
「『かれこれ着く時分だ。堀田備中守の家中だ。大筒方も一人来る』『備中の 守なら外国掛りだな』
下総佐倉藩主・堀田備中守は、外国掛りの老中である。その藩士三名が、 蝦夷地を見てまわっていることは、先触れがあってわかっていた。藩主が外国掛 りなので、幕府の直轄となった蝦夷地の視察に、藩士を出したのかもしれない」
とありました。

中津文彦『天明の密偵 小説・菅江真澄』(2004年8月 文藝春秋)
「利根川下流にある印旛沼は水深浅く、これを干拓すれば広大な新田開発 になるとして、天明2年から田沼政権が総力を挙げて進めてきた一大土木事 業だった」
とありました。

9月19日
 M・Sさんから佐倉本情報。
樋口一葉「われから」『樋口一葉』所収(1992年 筑摩書房)
「奥方は火鉢を引寄せて、火の気のありやと試みるに、宵に小間使いが 埋け参らせたる、桜炭の半ば灰になりて、よくも起さで埋けつるは黒きま まにて冷えしもあり」とありました。
注には、桜炭を「千葉県佐倉地方に産する上質の炭」とあります。

S・Mさんから佐倉本情報。
五木寛之『元気』(2004年4月 幻冬舎)
「その時代の紀行文『後北遊日乗』のなかで、千葉県の佐倉というところを 通過するときに彼(森鴎外)がものした漢詩の一篇がのっており」とありました。

9月18日
 佐倉本情報。
ぴあ株式会社『千葉ぴあ秋号』(2004年10月20日 発行) 佐倉の秋祭りがカラー、1ページで紹介されていました(79頁)。

千葉県歴史教育者協議会編『千葉県の戦争遺跡を歩く』(2004年8月 国書刊行会)に、佐倉連隊のことが記されていました(115頁)。

9月15日
 佐倉本情報。
天沢退二郎『魔の沼』(1982年 筑摩書房)という児童文学 書に「あと2キロほど北に行けば、印波沼の端が入り込んでいる し、(中略)なぜなら、印波沼でも、森の奥の沼でも、長沼でも、 沼の岸はたいていびっしりアシが生え、その先にガマが生いしげり、 その先にやっと水面がはじまるのがふつうだ。それなのにこの沼(?) の水ぎわは、いきなりふつうの夏草のしげみになっている。これは おかしい」(5頁)とありました。

天沢退二郎『オレンジ党、海へ』(1983年 筑摩書房)という児童 文学書に「北東の方角、あの給水塔よりずっと向こうに、印波沼の 南から土毛の谷まで、シイやクスノキの林におおわれた低い丘が7つ、 8つ、連なっている」(28頁)とありました。

9月14日
 八谷さんへ。
江戸川乱歩の小説『幽霊塔』に、堀田の諸大名と出てきます。堀田家の 当主で、大名時計が好きだった藩主はいましたっけ?
時間がありましたら調べてください。

Kさんから教えていただいた池波正太郎『幕末新撰組』(文春文庫)を購入。
「近藤のみは、品川に着くとすぐに、神田和泉橋にある幕府の医学所へ入院をし、 典医・松本良順の治療を受けている。土方歳三は、毎日のように医学所へ通い、 近藤と今後の行動について、密議をこらしているようであった。
或日、佐倉藩の江戸留守居役をつとめる依田某が近藤を見舞いに来て、『伏見の 戦いは、どのような工合でしたか?』と、たずねた。近藤は、にがりきって、『拙者は大坂 におりましてな。土方君が、よく知っています』土方は、にやにやして、依田にいった。 『どうもねえ、依田さん、こらからの戦さは、刀や槍だけではどうにもなりませんよ』」 (P343)とありました。

9月10日
 佐倉本情報。
江波戸昌美『続・千葉県の写真事始 明治期に活躍した写真師たち』 (2004年9月)を寄贈いただきました。本書に佐倉ゆかりの写真師の話 が掲載されています。
満開佐倉文庫に大切に保存し活用させていただきます。ありがとうござい
ました。

佐倉本情報。
佐倉地域文庫連絡会『子どもと本をつなぐ 25年のあゆみ』(2004年9月) を寄贈いただきました。
満開佐倉文庫に大切に保存し活用させていただきます。ありがとうござい ました。

佐倉本情報。
T・Eさんから、成田山だより『智光』9月号を寄贈いただきました。
本書に湯浅吉美氏が「成田街道 いま昔」を連載しており、本号は「臼井 城跡」について書かれています。
満開佐倉文庫に大切に保存し活用させていただきます。ありがとうござい ました。

9月9日
 佐倉本情報。
笠間良彦監修 棟方武城執筆『すぐわかる日本の甲冑・武具』(2004年7月 2,000円 東京美術)
佐倉藩主堀田正愛着用の甲冑(明治3年に堀田家が麻賀多神社に奉納) が紹介されています。

9月8日
 佐倉本情報。
工藤宣『江戸文人のスクラップブック』(1989年 新潮社)に、印旛沼と佐倉が 記されていました。
江戸時代の儒者で仙台藩に仕えていた大槻磐渓は、天保年間の資料を 収集し、和紙に貼り付けて保存した。このスクラップ帳は『積塵成山』と記され ており、この資料を調べた人が著者工藤宣氏です。
「1843(天保14年)9月、磐渓は印旛沼を訪れた」とあります。当時、印旛沼は 開鑿工事がおこなわれており、「その現場を磐渓が訪ねている。ところが、彼の仕え る仙台藩は工事を命じられていない。だから何のための視察か分からないが、物見 遊山だったとは思えない。
(中略)また沼のすぐ側は佐倉で、その江戸屋敷では磐渓の師である松崎慊堂が 漢学を講義していた」とあります。
磐渓が佐倉を訪れた年の8月、佐藤泰然が佐倉に移ってきた。そして、10月に 「順天堂」という額を室内に掲げた。
天保14年という年は、どういう年であったのだろうか。興味を覚えました。

9月6日
 佐倉本情報。
現在、盛んに行われている通信販売。これを日本で最初に始めた人を知って いますか?それは佐倉生まれの津田(旧姓 小島)仙です。仙は、今の津田塾大学 (当初は女子英学塾)を創設した津田梅子の父親です。
黒住武市『日本通信販売発達史』(1993年 同友館)に記されていました。
通信販売ができる前提として、郵便制度ができなければなりません。これが実施 されたのが明治4年(1871)です。この5年後の、明治9年、津田仙は『農業雑誌』 第8号に通信販売による種苗の販売を掲載しました。本著には、津田のおこなった 通信販売や、『農業雑誌』について詳細に記されており、興味ある佐倉本の1冊といえ ます。
それにしても、よく明治の初期に通信販売などを思いついたものですね。

9月4日
 過日、Kさんからいただいた佐倉本情報。
竹之内静雄『先師先人』講談社文芸文庫(1992年)を、ようやく手に入れました。
竹之内さんは筑摩書房の社長をやられた方で、人生の中で出会った先師・先人に ついての話をまとめた本です。この本は、単行本と文庫が出ており、文庫の年譜 (P334)の中に、「千葉県佐倉市日産厚生園入院療養」とあるんですね。(単行本 には年譜が付いていません)
佐倉が記された本は、文中、奥付、そして年譜にもあるんですね。それにしてもよく 年譜の中から探せたものと感心してしまいました。
もしかすると、けっこう著名な人も入院していた、ということもありそうですね。これからは 年譜にも注意をしていきましょう。ありがとうございました。

9月2日
 佐倉本情報。
『歴史読本』 10月号(1090円 新人物往来社)
「特集 300藩 大名夫人の幕末維新」で、最後の佐倉藩主 堀田正倫夫人、吉子が紹介されています。

深澤弘『長嶋イズム』(2004年8月26日 1400円 マガジンハウス)
長嶋さんが最初に残した言葉は佐倉中学のときだそうで、 「桜花らんまんなる4月」から始まり、「また会う日まで、では、さようなら」 で終わるそうです。丸ごと長嶋さんです。一読を勧めます。

8月30日
 養老孟司『運のつき』(2004年5月 マガジンハウス)に「高橋尚子選手の真似を しろといっても」(41頁)と、高橋選手を引き合いに出した文字がありました。

8月28日
 八谷さんから佐倉本情報のメールあり。
こんにちは。
記念講演、無事申し込みましたので、当日会場でお会いする事ができそうです。
さて、佐倉本情報です。図書館でNHK歴史誕生取材班編『歴史誕生』5 (角川書店、1990)という、ちと古い本を見ました。
「世界に目を向けた将軍―吉宗の国産政策」という記事があり、このなかで 徳川吉宗が長崎のオランダ商人にたのんで日本に送ってもらったアラビア馬が、 「佐倉牧」に放牧された、とありました。「佐倉牧」は現在の佐倉市域のみなら ず、他の地域にも広がっていたそうですが、はたしてこれは佐倉本に入るんで しょうか?

<返信>
十分に佐倉本です。確かに佐倉牧は「佐倉七牧」と呼ばれ、千葉県内の広 範囲に広がっていました。
ですから、現在の佐倉市域より広がってしまうわけですが、佐倉市(藩)に関係 した「佐倉」という文字にこだわっていますので、これも佐倉本の範囲に入ります。
ありがとうございました。
当日、お会いできるのを楽しみにしています。
なお、参考までに、井上ひさし『馬喰八十八伝』は、佐倉七牧(小説では桜七牧) の話です。

ちなみに、佐倉七牧について話します。牧とは、馬を放牧して軍馬を確保する ための場所で、江戸時代、幕府は房総に3つの牧場をつくりました。下総葛飾 郡から印旛郡にかけての「小金牧」、印旛、埴生、香取郡と上総の一部に及ぶ 「佐倉牧」、安房の「峯岡牧」です。
佐倉牧には、油田牧(佐原市)、矢作牧(栗源町・多古町)、取香牧(成田市・ 大栄町・多古町)、高野牧(富里市)、内野牧(富里市)・柳沢牧(八街市・富 里市)・小間子牧(八街市・東金市)の7つがあり、「佐倉七牧」ともいわれています。
八代将軍徳川吉宗は、さまざまな幕政改革をおこないましたが、牧場もその一つ でした。佐倉七牧のうち、高野・内野・柳沢牧が佐倉藩に預けられました。

8月25日
 虐ハンドルさんから佐倉本情報。
雑誌『音楽の友』9月号(2004年9月1日 970円 音楽の友社)に、 佐倉市立美術館で開催された「音のアンティーク展」(佐倉市民音楽ホール主催) の記事が紹介されています(205頁)、とありました。
ありがとうございます。さっそく購入します。

佐倉本情報。
利根川文化研究会編『利根川荒川事典』(2004年6月 5,800円  国書刊行会) が出版されました。「利根川・荒川水系の人文地理を全網羅」とあります。

8月24日
 佐倉本情報。
千葉真子『ベストスマイル 補欠になった私』(2004年8月3日 1,400円 文春ネスコ) マラソンの千葉選手は佐倉で練習を積んでいます。応援します。

亀田雄岳『カメラ片手に印旛沼』を更新しました。
「NHKの大河ドラマ『新選組!』を佐倉らしく鑑賞する」を更新しました。

8月14日
 佐倉本情報。
寺坪修著『会社会計論』を寄贈いただきました。本の項目は 「会計とは」「会計簿の作成」「複式簿記とは」「財務諸表の作 成」「財務諸表の監査」などです。
項目を見ただけでは、この本のどこが佐倉本かと思ってしまい ます。ところが、「確定申告書」の記載例があり、その表の住所 が「佐倉市宮前○○番地」とありました。
著者が宮前に住んでいたことがあり、そのときの住所を表の類例 で記していたんですね。これもりっぱな佐倉本です。
満開佐倉文庫に大切に保存して、活用したいと思います。
ありがとうございました。
本書は、2004年4月10日に改訂発行されました。興味のある 方はご購入ください。

長谷川和廣著『超・会社力』を寄贈いただきました。
帯には「2400社余の企業再生をしてきたもう一人のゴーン と呼ばれる著者。本当に強い会社になるノウハウとは・・・?」
「生き残る会社とリーダー ダメになる会社とリーダー」と、ありま した。本書の著者は佐倉市生まれです。
満開佐倉文庫に大切に保存して、活用したいと思います。
ありがとうございました。
本書は、2004年6月28日に発行されました。興味のある方は ご購入ください。

8月4日
 Kさんから佐倉本情報のメールあり。
こんばんは。今、手塚治虫さんの『陽だまりの樹』、読み終えました。
漫画とはいえ、読みごたえがありました。講談社、手塚治虫漫画全集11巻で 読みました。

第1巻P50「老中の堀田殿が」、第2巻P31「大老の堀田様も」、 P50「老中阿部様堀田様」、P219「堀田殿」、第3巻P131「老中首座堀田様」、 第4巻P148「大老堀田正睦」、第5巻P156「上様、備中にございます。」、 第6巻P27「堀田様」、第9巻P115[松本良順先生や林研海さん」、P115「堀田備中守様」、 第10巻P171「堀田家からの手勢」、と、堀田正睦、堀田家が10回、 松本良順が1回出てきました。

手塚治虫さんは、やはりすごいです。

8月3日
 Kさんからメールあり。
ご無沙汰しております。また少し、佐倉本情報です。
実は、御本の巻末で既知の本のリストは見られるのですが、 ホームページ内でそのリストを見る方法が分りません(かなり探し たのですが)。それで、すでに報告があったものと重複している 可能性がありますが、よろしくお願いします。

池波正太郎『幕末新撰組』文春文庫P343 「近藤のみは、品川 に着くとすぐに、神田和泉橋にある幕府の医学所へ入院をし、典医・ 松本良順の治療を受けている。土方歳三は、毎日のように医学所へ 通い、近藤と今後の行動について、密議をこらしているようであった。 或日、佐倉藩の江戸留守居役をつとめる依田某が近藤を見舞いに来て、」

竹之内静雄『先師先人』講談社文芸文庫P334年譜の中に、「千葉県 佐倉市日産厚生園入院療養」とあります。竹之内さんは筑摩書房の社長 さんをやっていらした方で、義父の親友でした。この本には義父の名も出てき ます。二人とも故人となってしまいました。

手塚治虫『陽だまりの樹』講談社「手塚治虫」漫画全集326〜336 この第一巻 P50「老中の堀田殿が」とあります。実は松本良順なども出てきますが、この際 11冊、読み直して次回報告します。ずいぶん前に読んだのですが、佐倉本探索と いう意識を持って読み直します。

「サクラオグルマ」については、牧野富太郎が正式に報告をしなかったということで、 牧野氏の図鑑にのみ出ています。
「牧野日本植物図鑑増補」北隆館1956年P1096、「改訂増補牧野新日本植物図 鑑」北隆館1989P759、
「原色牧野植物大図鑑・合弁花離弁花編」北隆館1996年P35

その他、歴史関係の本を読むと、当然のことながら堀田氏の話がたくさん出てきますが、 それらも報告に入れてもよいでしょうか?
上のもので、もし既知のものであれば削除してください。
では、また。

<返信>
こんばんは。
情報をいただいた本は、すべて知りませんでした。
ありがとうございます。

ホームページと拙著の関係について。
ホームページのデーターは、拙著より古いデーターです。

というか、本をつくろうと思ってから、まずホームページのデータを基礎として原稿 を書いていきました。
その間、新たに確認した佐倉本を原稿に加えていきました。この間、1年から2年も かかってしまったので、佐倉本情報が、かなり増えてしまったのです。
そして、本の体裁を作っていくうちに、ホームページのデーターの体裁と、かなり 違ってしまいました。
大きな相違点は、ホームページのデーターが書名だけなのに対し、本では佐倉が出て くる部分を書き足していることです。
また、ホームページには、辞書類も掲載していますが、本では削除しています。
このような相違点がありまして、出版後、本に使ったデーターをホームページのデーターに、 簡単に加えることはできなくなってしまったのです。
いや、できないということではなく、そのような作業をするには膨大な時間がかかり、 時間をかけたわりには成果が少ないと思いました。
本ができれば、目的を達成したとも思いました。
そのようなわけで、今日までずるずると来てしまいました。
申し訳ありません。

歴史の本を読むと、堀田氏のことが出てきます。そのような本でも十分です。
ただ、研究書はとりとめもなく広がってしまいますので、とりあえず歴史小説の範囲と させていただきます。
拙著に紹介されていない本は、まだ未見ですので教えてください。

電子地域文庫連絡会の横断検索を考えると、どのような体裁が良いのか、 検討しておくことも必要ですね。
そうでないと、それぞれの方が作業を進めてしまって、それを途中で変更というのも、 また多大な労力を払わなければなりません。
どのような形が良いのか、話したいですね。



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