佐倉本探索日記 2004年(2)
 満開佐倉文庫だよりに掲載した日記のうち、佐倉本の収集に関した記述を、佐倉本探索日記として収録しています。

(2004年6月4日〜7月31日)



7月31日
 佐倉本情報。
笙野頼子『片付けない作家と西の天狗』 (2004年6月 1,600円 河出書房新社)
「北総台地の上にある街は、夏に蒸し暑く冬は底冷えする。空の星は 成田に通う飛行機の灯と競って大きい。2年前の7月―。
私はいきなり家を買って、猫4匹を連れてそこに引っ越した。住まった のは山の端の分譲団地の側。30坪程の土地に建った小さな家にも、 周囲の環境にもさほど不満はない(7頁)。

千葉に越してからも連載は続いた。S倉駅から登り坂徒歩10分以上、 S倉図書館に森茉莉全集はあった。東京でもそうだったが、6、7巻が よく借りてあった。その最終回になって、−。
連休のさ中に、どうしても調べなくてはならない事が出来た。一般図書 館は休み。そこで人間の身でありながらーS倉地下図書館に行く事にした。
ある種、規則が喧しくて色々怖くもあるが、実に新鮮だった。私はそこを、 極楽図書館、と勝手に呼んでいる(22頁)。」
とありました。

7月29日
 佐倉本情報。
金哲彦(佐倉市在住)『マラソン金メダルへのセオリー』 (2004年7月  1,200円 メディアファクトリー)

金哲彦『カラダ革命ランニング』 (2004年7月 1,300円 講談社)
私は、走るのが苦手ですが、買ってしまいました。

福永酔剣『日本刀おもしろ話』(2000年6月 2刷 雄山閣)
「わが子自慢は親の常、というが、その類であろうか、総州佐倉 (千葉県佐倉市)、11万石の堀田家中に、細川忠義という お抱え刀鍛冶がいた。同じ藩士、佐々木源十郎からの注文刀 を、嘉永3年(1850)、長男忠正と合作している。忠正はまだ 14歳の少年だった。まだ相槌も打てない子供だったが、自慢し たかったのであろう」
とありました。

『芝山町史 通史編 中』(2004年3月 山武郡芝山町) に中世の城郭が詳しく掲載されており、本佐倉城についての 記載もあります。
近世においては、佐倉七牧についてわかりやすく記載しています。

別冊太陽『日本の町並み V 関東 甲信越 東北 北海道』 (2004年2月 2,400円 平凡社)
佐倉がA4版の見開き、カラーで紹介されていました。これは画期的 なできごとです。
本の体裁としては、その本が力を入れている町並みをカラーページで 紹介し、続いて各地の町並みをモノクロで一括するのが普通です。
佐倉は、いつもこの一括グループに紹介されていたのです。
ところが なんと、本著はカラーで見開きなのです。
これはありがたいことです。編集者に感謝。
せっかく、このように紹介されるのですから、私たちは、町並みに誇りを 持ち、景観を保存していきたいものです。

7月28日
 七つの子さんからメールあり。
佐倉本の情報です。すでに確認済みでしたらご容赦を!
『人形師「原 舟月」三代の記』 著者・絵守すみよし (青蛙房・刊 平成15年9月発行)
仲町の山車人形「関羽」は、三代目原舟月の作だそうです。
この本で写真入りで紹介されています。(170〜173ページ)

また、昭和44年2月発行の「季刊・蒸気機関車」という雑誌が見つかりました。
キネマ旬報社発行です。
国鉄・佐倉機関区が16ページにわたって特集されています。
そいえば・・・高校生だったこの頃から二十歳ころまで、 消え行く蒸気機関車を夢中で追いかけた時期がありました。懐かしいですね。

ご著書「満開佐倉文庫」は、町の図書館で借り、読み始めたところです。
お心遣いいただき、ありがとうございます。

7月25日
 昨日の続き。NO2。
成東町のTさんから再返信。

早速のご返信ありがとうございます。

「満開佐倉文庫」の司書にとのおすすめ、たいへん光栄です。
お役に立てるかどうか、はなはだ心もとないのですが、 楽しみながら、こつこつと情報収集していきたいと考えています。
宜しくお願いいたします。

祭礼写真は、あまり体裁を考えず並べただけですので、 電子本のお願いをするのは、もう少し整ってからにしたいと思います。

「地域電子文庫」というのは、おもしろくって楽しそうで、大賛成です。
今、成東町の郷土史研究グループに参加して勉強中なのですが、 先輩諸氏にお聞きしながら、とりあえずは「成東本」から挑戦して みようと思います。

ホームページのリンクは、ぜひお願いいたします。
植物写真はお恥ずかしい限りです。
何せ、「写るんです」専門から、おもちゃのようなデジカメに移行した だけですから。

長くなってしまい恐縮ですが、亀田さんにご教示いただきたいことが あるのです。
佐倉で、江戸時代から明治・大正・戦前ころまで、新町の旦那衆を 中心に俳諧が盛んだったようなのですが、その頃の資料など残ってい ますでしょうか。
私の手元には、菊水堂さんが昭和52年に出された明治初年からの 句集が1冊あるだけです。

いろいろ雑多に書き連ねてしまいました。
これからもよろしくお願いいたします。

<返信>
司書の件、リンクの件、ご快諾いただきましてありがとうございます。
さっそく、ハンドルネーム「七つの子さん」で司書登録させていただきます。

祭礼の写真は、これでも十分に電子本になると思います。
私の、「錦絵」や「キップ」などは、祭礼の枚数より少ないです。
要は、枚数や形ではなく、オリジナルがあるかどうかということです。
Tさんの写真では、私が初めて見る写真として、肴町と横町の ものがありました。肴町の写真は貴重です。
それと、人物写真は、近年、肖像権がうるさくなってきて、他人 のものは掲載困難になってきています。
Tさん写真は、この2つを満たしていますので、電子本として十分 な価値があります。
ぜひ佐倉の人に見ていただきたいですね。

レイアウトをお願いしたい点は、祭礼写真を「管理人の部屋」から 分けて、新たな祭礼写真のページをつくっていただきたいということです。
それで十分です。
私は、その分けられた祭礼写真のページにリンクします。
祭礼写真を見る人は、私の電子本を読むように開きますので、 Tさんの本(ホームページ)を開いたときに、タイトルがあると良いですね。
あとは、どこかに私のホームページに帰ってこられるスイッチをつけていただ ければ完了です。
まず電子本を立ち上げ、それを更新していくというのが、手っ取り早い 方法です。

成東本の発掘を楽しみにしています。
手賀沼・我孫子方面でも、地域文庫を考えてくれている方がいます。
そのような人とリンクするのも楽しいですね。
成東本を集めているという項目(○○成東文庫)をホームページに 作って、情報を集めていくのも良いでしょう。
私も、当初のホームページは「印旛沼フォトギャラリー」で、その中の1項目に 満開佐倉文庫を立ち上げました。

写真は、どのようなカメラで撮ったかというより、作者はどのようなものを 撮ろうとしたのか、という点がわかる写真が良い写真だと思います。
その点、Tさんの写真は狙いがわかります。
訴えるものがありました。すばらしいですね。

俳句の資料ですが、把握をしていません。
俳句や短歌は同人誌が多く、会員以外にはほとんどわからないのでは ないでしょうか。
大正時代に、「さくら貝」という雑誌があったと記憶していますが(昭和51年 に行われた「佐倉の文学展」の資料に掲載されていたと記憶しています)
どなたの所有であったのかもわかりませんし、中を見たわけではありませんので
内容もわかりません。
でも、歴史と文化の町佐倉ですから、そのような文化を発掘して、世に紹介したい ですね。
満開佐倉文庫でも、俳句資料の発掘に協力いたしましょう。
司書さんや、本日の内容をお読みになったみなさまの中で、俳句情報をお持ちの 方は、お知らせください。

7月23日
 佐倉本情報のメールあり。
「はじめまして。 成東町在住のTと申します。
いつも楽しく拝見しております。
すでにご存知かも知れませんが、お知らせいたします。
順天堂の佐藤尚中の実子(次男)、佐藤哲次郎は、 東金町(現東金市)の薬種業大野家に婿養子に入り、 九代大野伝兵衛を名乗り、家業だけでなく郵便局長を 務め、大野銀行を興すなど、地元東金に貢献した人物 として有名です。
『写真集 明治大正昭和 東金・九十九里』(国書刊行会) の32〜33ページに掲載されています。

明治42年発行の「房総人名辞書」にも紹介されています。
順天堂ゆかりの人物の一人ではないかと思い、ご連絡いたしました。
ご参考になれば幸いです。

私は、成東町周辺の自然をテーマにホームページを運営しております。
拙い内容ですが、ご覧いただければたいへんうれしく存じます。
尚、このホームページ上「管理人の部屋」のページに、 佐倉の麻賀多神社のお祭りに関する古写真を掲載しています。

「九十九里平野の里山から」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tokinosato/index.html

では、これからも宜しくお願いいたします」

書きたいことが、いろいろありますので、返信は明日にすることにしました。
「九十九里平野の里山から」は、すがすがしいホームページです。
特に食虫植物群の写真が充実しています。

7月22日
 昨日の続き、NO2。
『氏家町史』 上巻(昭和58年)に、 「桜野村『村上家文書』により佐倉陣屋の設置当時 の様子をみると次のようである。
(略)佐倉領陣屋は、清兵衛の屋敷の裏側に間口 50間、縦60間の場所を提供させて設営し、8月 14日完成した。
(略)桜野陣屋には佐倉藩より代官2名、勘定方、 徒目付、下目付、手代、門番などの役人が出張 して行政を担当していた」(246頁) とあります。

7月21日
 昨日の続き。
栃木県にお住まいのTさんが、訪ねてきました。
そして、いろいろな話を伺う。

栃木県の氏家町の何カ村は、江戸時代の一時期、 佐倉藩領でした。
ところで、この氏家町と隣の喜連川町が合併して 新市名が「さくら市」になるそうです。
この「さくら」の由来は、喜連川町に桜の名所があるので 名づけられたそうです。
でも、氏家町の中心には、佐倉藩の陣屋跡があるそうです。
うーん、話がややこしくなりますね。
とにかく、一度、訪ねてみようと思いました。

7月20日
 本日の暑さは、半端じゃあありませんでした。
各地で最高気温を更新したそうです。

さて、栃木県氏家町に住む方から問い合わせあり。
寛延3年(1750)、宇都宮領のうち68カ村が佐倉領 になり、桜野村に陣屋をおいていた。
堀田正亮が藩主の時代である。佐倉藩領であった期間は 25年間とのこと。
佐倉には、このころの資料がありませんか、という問い合わ せであった。

私にはわかりませんと答えました。
今度、氏家町を訪ねてみたいと思う。

7月15日
 佐倉本情報。
松岡圭祐『千里眼のマジシャン』(2003年3月 小学館)
「東関東自動車道を千葉北インターで降りたころには雲の切れ間 から青空も覗いていたが、ユーカリが丘に向かう国道を走行中に しだいに霧が濃くなり、佐倉市の住宅地から外れた緑豊かな平地 に行きついたころには、辺り一面真っ白になっていた。この”佐倉ふ るさと広場”と名づけられた一帯には、四月から五月にかけてチュー リップで埋め尽くされる広大な畑があるときくが、いまは霧に覆われた 視界からわずかにのぞく黒々とした大地が、ただひたすらつづくのみ だった。
(略)前方にうっすらと、巨大な物体の影が現れた。オランダ風車だった。 十字の羽根がきしみながらゆっくりと回転をつづけている」(90頁)

ここで、何が起こるんでしょうね。あとは、お読みください。

7月14日
 佐倉本情報。
雑誌『Tarzan』(2004年7月28日号 マガジンハウス)
表紙が高橋尚子選手です。文章もありました。

雑誌『newsmaker』(2004年8月2日発行 ぴあ株式会社)
表紙が佐倉高校出身の藤木直人さんです。 ミニアルバムがあります。

後藤正治『マラソンランナー』(2003年12月 文春新書)
有森裕子さん、高橋尚子さんの話があります。

八幡和郎『江戸300藩 最後の藩主』(2004年5月 光文社新書)
佐倉藩と、藩主堀田正倫の話があります。

7月13日
 佐倉本情報。
いよいよというか、やっぱりというか、出ましたね。

高橋尚子『夢はかなう』(2004年7月 幻冬舎文庫)
本書は、2001年に発行された『風になった日』を改題したもの です。とは、家に帰って、あとがきを見てわかったこと。店頭に Qちゃんの本が並んでいれば、それだけで買い求めてしまいます。
表紙のQちゃんの写真はモノクロだけど、ソフトタッチに撮れてい て、良いですね。

小出義雄『へこたれるもんかい』(2004年7月 幻冬舎)
小出監督の今の気持ち、佐倉アスリート倶楽部のこと、 アテネの青写真などの話がつづられています。

佐藤安弘『アテネ五輪野球日本代表監督・長嶋茂雄の闘い』 (2004年7月 日刊スポーツ出版社)
長嶋監督の気持ちを代弁しているようでした。

7月11日
 りんどうたろうさんからメールをいただいたパペットマペットの 『パペットマペットの4コマショートコント大作戦』 (2004年5月 竹書房)を購入しました。
このパペットマペットさんが、佐倉の臼井出身らしいのですが、 やはり本書からはわかりませんでした。
どのような本かというと、パペットマペットさんが黒子となって、 両手に「うし君」と「かえる君」の人形を抱えて、話を進める コントです。パペットマペットさんは黒子に徹しているため、 プロフィールも、「うし君」と「かえる君」のことしかありません。
「うし君」と「かえる君」の出身は、千葉県とありました。
ちなみにパペットマペットのDVD『爆笑オンエアバトル』が ありましたので、こちらも購入しておきました。
いつの日か、パペットマペットさんが臼井の出身であることが わかると良いですね。

7月10日
 T ・Uさんから佐倉本情報。
『よみがえる日本の城 2』(2004年6月 学研) に、佐倉城の復元絵がでているそうです。

Mさんから、情報をいただいていた司馬遼太郎の 『街道をゆく 24 近江・奈良のみち 』を読みました。
「江戸後期、幕府は利根川下流右岸のW字型の沼 である印旛沼の干拓に手を出した。前後、四回も大工事 をおこない、結局、中断した。
印旛沼の場合も、大中の湖と同様、豪雨によって湖沼 が増水すると、干拓新田がもとの湖にかわってしまう。これ を避けるために、排水路を開鑿するというのが、工事の 目的であった。幕府は資金難で十分にそれをおこなえな かった。
(略)私自身、印旛沼を実地に見ていないため、それ以上 は知らない」
とありました。琵琶湖関連の話の中に印旛沼が引き合いに 出されるとは・・・。もしかしたら、秋田県の八郎潟関連の本を 読んでいても印旛沼が出てくるかも知れませんね。
佐倉という文字を探しての読書範囲が広がっていきます。

7月9日
 佐倉本情報。
(財)印旛郡市文化財センター『印旛の原始・古代 −旧石器時代編ー』(2004年3月 A4版 121頁)
カラー写真をふんだんに使い、一般の人も見やすい構成と なっています。

7月8日
 佐倉本情報。
(財)印旛沼環境基金『いんば沼』 第25号(平成16年6月7日)。
項目
「印旛沼環境基金20年を振り返って」・・・白鳥孝司
「印旛沼を翔る鳥たち」・・・小倉正一
「印旛沼の水質浄化にあたって・・・藤巻葉子

佐倉地名研究会『多輪免喜』第2号(平成15年1月)
内容は、佐倉市根郷地区の地名を紹介しています(71頁)。

昨日まで、東京の江戸東京博物館で「発掘された日本列島2004」が 開催され、その図録「発掘された日本列島2004 新発見考古速報」 (2004年6月 文化庁編 A4版 126頁)が作られました。
この図録の表紙の一つの写真が、佐倉市井野長割遺跡から出土した 土器でした。文中にも紹介されています。

『佐倉連隊聞き書き集2 歩兵第57連隊の記憶〜レイテ・グアムの記憶〜』(平成16年3月 佐倉市)
佐倉連隊に徴集され、レイテ、グアムで戦った兵士の聞き書きです。
佐倉連隊と言えば、レイテで戦ったことが知られていますが、実は レイテに向かった大隊は、第1、第2大隊だけで、第3大隊はグアムに 上陸していたのです。

7月7日
 ビートたけしの母の祖父は、佐倉に捨てられていた?
ビートたけし『菊次郎とさき』(1999年12月 新潮社)に、 「幕末の頃、オフクロのおじいちゃんというのが佐倉の庄屋の 前にきれいな着物を着て捨てられていた。そばに小判と日本刀 が置いてあったらしい。そこで、刀が国宝級なら、じいさんは官軍 から逃げた幕臣の血筋だろうということになった。どこまで信用でき るかわからない話は他にもいっぱいあって、」(26頁)
とありました。
戊辰戦争時(慶応4年)、幕臣の人たちは、官軍との戦いにあたって 佐倉に家族を預けた人がいました。今となっては確かめるすべはあり ませんが、そのような言い伝えが残っているだけでも貴重です。

佐倉本情報。
浜田昭八『監督たちの戦い[決定版]・下』(2001年4月 日本経済社)
「”ミスター・プロ野球”の光と影」という項目あり。もちろん、長嶋さんの 話です。

7月2日
 Mさんからメールあり。
司馬遼太郎の 朝日新聞の文庫「近江奈良のみち」に 印旛沼のことが書かれていました。
琵琶湖について書かれていたのですが、その関連で印旛沼に 触れていました。
すでにご存知かと思いますが、発見して嬉しかったので お知らせさせていただきます」

6月24日
 Tさんから佐倉本情報。
岩井良衛『新修五街道細見』(青蛙房) 街道名に「佐倉」という文字がありました。

ありがとうございます。さっそく取り寄せてみます。
ところで、Tさんは、この情報で今年度3回目の掲載と なりました。ですから、満開佐倉文庫の司書資格が 生まれました。
そのことを話すと、「情報を提供するだけですが良いですか」
との返事がありました。
それで十分です。よろしくお願いします。
司書のみなさんも、よろしくお願いします。

6月19日
 Mさんから、佐倉本情報。
浅永マキ『犬飼い』(2004年3月 学習研究社)の 著者、浅永さんは佐倉市生まれとありました。

ありがとうございました。

司書のコーナーに、「現在の司書さん」を新設しました。
現在の司書さん紹介と、佐倉本情報をくれた人が掲載 されています。

6月16日
 我が家のスモモを大量に収穫しました。
今年はスモモに限らず、果樹全般に実つきが良いようです。
でも、昨年、タヌキ(と思うのですが)にとられた桃は実をつけ ませんでした。

Kさんより佐倉本情報あり。

藤沢周平『白き瓶』文春文庫58、95、115ページに香取秀真の 名が出ていました。今、ぱらぱらとめくって、3箇所見つけました。
もっとあるかもしれません。

ありがとうございました。

6月15日
 八谷司書からメールあり。
こんにちは。
土曜日に「城下町佐倉の名刀展」に行ってまいりました。
予想してたよりもずっと立派な品々が展示されていて、 驚きでした。ご案内、ありがとうございました。

さて、塚本学『小さな歴史と大きな歴史』(吉川弘文館、1993) という本を借りて読みました。
その中で確か「第三の碑」とかいう短い文章があり、麻賀多神社 にある三つの碑(日露戦争出征者、幕末動乱以来の戦死者、 木村隆吉らを記念した碑、でしたでしょうか?)について書いて ありました。
この本自体は学術書に属するでしょうが、この「第三の碑」の部分は 一般向けに書かれた読みやすい文章です。
しかも、実に考えさせる内容です。
面白い本でしたので、少し調べてみましたが、どうもあまり流通して いないようです。

満開佐倉文庫の将来に関するお話、たいへん面白く拝読しました。
夢は膨らみますね。
私も5周年にそなえて佐倉の歴史発掘に精を出すことにしましょう。

〈返信〉
こんばんは。
いつも情報をいただきましてありがとうございます。

塚本学『小さな歴史と大きな歴史』については、承知していました。
『佐倉市史研究』第10号(平成7年)に 内田儀久「戊辰戦争に参加した佐倉藩士の碑について ー小柴小次郎と木村隆吉を追ってー」という報告がありますので ご覧ください。
木村隆吉は、大鳥圭介が江戸を脱走するときに、手引きした人物 です。箱館奉行にも雇われていました。
『満開佐倉文庫』の本棚をご覧ください。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』に一文字記されています。

これからも情報をお願いします。

6月13日
 Mさんから、雑誌『野草をたずねて』(平成16年3月 佐倉野草会)を いただきました。
項目としては
 市民の森 きのこ観察会
 鹿島川探訪
 ビオトープづくり
 緑の現況調査に参加して
 住吉神社の植物に寄せて Part 7
 米戸方面観察会
など、佐倉関係の報告があります。

ありがとうございました。満開佐倉文庫 に大切に保存いたします。

佐倉本情報。
非売品ですが、『Days witb Six Stars』(2002年1月 富士重工) という本を、手に入れました。
何の本かというと、スバルのレガシーという車を宣伝するための本でしょう。 (宣伝文句など一切ありませんので、その辺のことはよくわかりません) 宣伝といってもパンフレットではなく、105ページもあるカラー写真本です。
レガシーが、日本の中のロケーションが良い場所にドライブに行くわけです。
そして、良いロケーションの前に新車を置いて、絵になるわけです。
そのロケーションの一カ所が、何と印旛沼なんですね。
驚いてしまいました。
リード文を紹介してみます。
「笑う大地
 千葉県佐倉市

 おおらかでのんびりとした空気が流れるこの土地には、
 広大な自然の中で、自由にアートの翼を広げる人々が居た。
 そんなアートに触れながら、この大地を走っていると、
 なぜか心が和んでくる。」
とあり、夕焼けの沼辺を背景にレガシーが写っていました。
印旛沼が車のイメージ撮影に使われたことなんてあったのでしょうか。
とにかく、珍本の佐倉本でした。

6月8日
 佐倉本情報。
佐倉刀友会『城下町佐倉の名刀展』(2004年6月)
郷土に伝わる名刀の写真が掲載されています。

6月5日
 佐倉市にお住まいのTさん(先日、佐倉本情報をいただいた Tさんではありません)から、佐倉本情報をいただきました。

中野重治『梨の花・ある楽しさ』 (昭和55年8月発行 平成5年5月2刷 新潮現代文学3)
「サクラ・ソウゴロウというのは良平は知っていた」(182頁)
とありました。

6月4日
 八谷司書からメールをいただく。
こんにちは。満開佐倉文庫が開館4周年を迎えたそうで、 誠におめでとうございます。
お仕事を終え、帰宅されてからお一人で毎日毎日ページ を更新されるその熱意には、あたまが下がります。
今後ますますのご発展を、心よりお祈りいたします。

さて、今日も佐倉本情報です。
最近出ました『歴史読本』7月号(新人物往来社)の特集 「坂本龍馬と幕末63人の群像」に、松本良順の小伝が 掲載されています(p100)。
また、橋本左内の小伝のページには堀田正睦への言及が あります(p110)。
さらに佐川官兵衛(戊辰戦争で活躍し、「鬼官兵衛」の 異名をとった会津藩士だそうです)の小伝には、
「降伏後の官兵衛は、東京の佐倉藩邸において謹慎を 命じられ」という記述があります(p98)。佐川という人物は 私ははじめて知りました。
徳川幕府に恩義があるはずの佐倉藩の人々は、徳川家へ の忠義を掲げて新政府軍と戦った人物に対してどんな感情 を抱いて、迎え入れたのでしょうか。

〈返信メール〉
こんばんは。
ありがとうございます。
4周年を迎えることができたのは、満開佐倉文庫を支えてくれる みなさんのおかげだと思っています。
これからも、よろしくお願いします。
佐川官兵衛の名前は知っていましたが、佐倉藩邸で謹慎をさせ られていたとは知りませんでした。新しい発見です。
さっそく、『歴史読本』7月号を購入することにします。


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