佐倉本情報 2005年(2) 

(2005年5月1日〜 8月7日)


8月7日
 金盛 哲二氏著『"好き"を仕事にする本』(2005年8月 1470円 ロコモーションパブリッシング)を購入しました。
佐倉市在住の方が書いた本なので、佐倉市民本としましたが、読んでみたら佐倉が出てきました。
「私の住む千葉県佐倉市(人口約17万人)に、クラシックカーやスーパーカーのオーナーが何人いると思いますか?」(86頁)
「JR佐倉駅前で、佐倉市を商圏としているうちは、1年に1人しかお客がいなかったとします。(これではマジで商売になりません」(87頁)。本書は、佐倉本です。

8月2日
 駕籠舁(かごかき)さんから佐倉本情報をいただく。
元国立歴史民俗博物館長の石井進氏の著書『歴史家の夢』に歴博対談があり、ゲスト佐野みどり氏が 「学生さんたちと一緒に京成佐倉駅から歩きましたが、トラックが砂ぼこりをあげながらビュンビュンと走っていたのを思い出します」 とありました。
また、『北辺に生きる会津藩』(平成3年4月 会津武家屋敷文化財管理室)を寄贈していただきました。ありがとうございます。本書に明治に起こった思案橋事件があり、佐倉連隊という文字が見えます

駕籠舁さんは、満開佐倉文庫の友人ですが、司書資格があります。よろしかったらいかがですか。

7月20日
 ホームタウン佐倉さんから佐倉本情報のメールあり。
吉川英治 著「忘れ残りの記」は、『満開佐倉文庫』P268でもすでに紹介されていますが、「佐倉」は他にも同書「春の豆汽車」の項に「ぼくは幼少期にその頃の東京を二度見、その頃の汽車に二度乗った。いちどはまだ小学以前か一年生の頃であった。母に連れられて母の郷里の佐倉へ行ったのである.おそらく母にとってもそれは結婚後ただ一度か、二度の 愉しい帰郷であったと思われる。今では日帰り距離に過ぎないが、当時は横浜から千葉県佐倉への旅行というと、ひどく億劫がっていたらしい。(中略)とにかく東京という大都会にちょつとだけでも触れたのは母といっしょに佐倉へ行った途中の青山一泊がぼくには最初のものだった。(中略)佐倉のおじいさんは」このあとに「印旛沼」がニカ所出ています。「吉川英治歴史時代文庫77}(講談社1998年11刷)P78,84

p83にも「佐倉の人」「佐倉藩」とありました。
既にお読みになっていて、この部分の掲載を失念されたかと思いますが、一応お知らせまで。

<返信>
 読んでいましたが、この箇所は拾いませんでした。たぶん煩雑さに忘れてしまったのだろうと思います。ありがとうございました。

7月16日
 飛鳥さんから佐倉本情報。
中村彰彦著『落花は枝に還らずともー会津藩士・秋月悌次郎』(2004年12月 中央公論新社)
幕末、会津藩の文官だった秋月悌次郎の話です。慶応4年の会津・鶴ヶ城開城後、同年12月29日に会津藩士11人の大名家へ永預けが、刑法官から告げられます。
「悌次郎は(他4人と共に)熊本藩邸に、ほかの六人は佐倉藩邸と古河藩邸に預けられることになった」(下巻、287頁)とありました。佐倉藩邸に預けられたのは、はっきりと名前が書かれていないのですが11人の中に「佐川官兵衛」が出てくること。
『歴史読本』(2004年7月号)の中で、佐川官兵衛が佐倉藩邸に謹慎を命じられたことから(満開佐倉文庫 郷土の新刊案内・平成16年度参照)佐倉藩邸に預けられたのは、「佐川官兵衛」と判断しました。
他の佐倉藩邸に預けられたのは、誰なのでしょう?

<返信>
 八谷さんから、以前に『歴史読本』を紹介されてから、佐倉藩と新政府との関係が気になっていました。興味深い話です。もう少し会津藩のことが書かれた小説を探してみると、人物の名前が浮かんでくるかも知れませんね。ありがとうございました。

7月15日
 『かわとはきもの』NO132(2005年6月 東京都立皮革技術センター台東支所)をいただきました。
表紙の裏に「靴の歴史散歩77」があり、「神田の合同ビル(千代田区鍛冶町1−6−17)5階にある西村記念室の収蔵資料を15回にわたって紹介してきたが、今回をもってまとめとしたい」とありました。西村とは、佐倉市民体育館前にある銅像の人物です。佐倉藩士でもあった西村茂樹の弟で、明治になって東京に出て靴やレンガタイルなどの事業を興しました。勝三の資料室があるなんて始めて知りました。今度訪れてみたいと思います。
冊子には渡辺陸氏が「詩歌・小説の中のはきもの(第5回)」を連載しています。渡辺氏は文学の中に描かれた「はきもの」を紹介しているのです。私と収集するものは違いますが、意図するところを同じくしており参考となります。

7月8日
 M・Sさんから佐倉本情報をいただく。
鴨志田穣『日本はじっこ自滅旅』(2005年3月 1575円講談社) 「列車は順調に走り続け、千葉駅を過ぎたあたりから外の景色 はマンション、建て売り住宅群からがらりと代り、のどかな田園風 景が広がっていた。
列車は佐倉に停った。

なつかしい街であった。十数年前、この街のはずれにある工場で 夜勤労働をして、海外に出るための軍資金を作っていた」(132頁) とありました。著書は日本のはじっこ各地を旅行したエッセイです。

7月6日
 佐倉本情報。
『我孫子市鳥の博物館研究報告』第13号(2005年3月 我孫子市 鳥の博物館) 「印旛沼鳥類目録」があります。
1970年代から2004年までの約30年間で、233種が確認された。ほかに 8種類の外来種が確認されたとあります。
このほか、貴重なデーターが掲載されています。

6月26日
 飛鳥さんから伊東成郎著『土方歳三の日記』の資料をいただく。
『土方歳三の日記』(2000年7月 新人物往来社)には、 「(『八王子を中心とせる郷土偉人伝』をさして)このあとの文中には <譚海・碑文>との、参考資料名が付記されている」とありました。
依田学海の著書『譚海』と、碑文を参考にした、ということになります。

『八王子を中心とせる郷土偉人伝』には、 「譚海
 碑文」と、2行書きになっていたのを、私が続き読みして一つの本(?) と誤解していたようです。

ですが、依田学海が『譚海』で言わんとしたことは、江戸城で近藤勇、 土方歳三とあったときの会話で、歳三が「もはや弓、剣の時代ではなく なりました(大意)」と語る場面であったと思います。そこが引用されて いない文章って、ちょっとがっかりです。

6月24日
 飛鳥さんから資料のコピーをいただく。
以前、飛鳥さんから「八王子を中心とせる郷土偉人伝」という本に依田学海の 「譚海」が使われていたという話がありました(4月25日の佐倉本情報に掲載)。
その著書のコピーです。

まず、以前に飛鳥さんからもらったメールでおさらいをします。

伊東成郎著『土方歳三の日記』(2000年7月 新人物往来社) この本は、多くの史料を引用して、土方歳三のことを書いています。
「大正十年三月に地元新聞に連載されたものを、一冊にまとめたもので・・・ 土方歳三の文中には、(譚海)との参考資料名が付記されている。この 前半部の文章の多くは、佐倉藩士だった依田学海が著述した『譚海』に収録 された土方のエピソードを参考にし、書き記したものだった」(98・99頁)

郷土の活躍した人物を新聞に連載し、まとめた本は『八王子を中心とせる郷土 偉人伝』(大正10年11月 文華堂)著者は清水庫之祐(くらのすけ)です。
注目したのは、古い時期に「譚海」が使われたことです。
「譚海」を紹介したのは子母澤寛の「新選組始末記」と、以前、館主さんに教えて いただきました。(日記・平成17年1月8日参考)昭和三年に出た「始末記」よりも 古いのです!

という話でした。

飛鳥さんからいただいたコピーをみたところ、どうも学海が「譚海」で書いた文を清水が 引用部分したとは思えません。
「譚海」では、近藤勇、土方歳三と江戸城であったということが記されているのですが、 この部分が清水の文章には記されていないのです。
そこで土方歳三の文中をみましたら「譚海碑文」とありました。私はこの「譚海碑文」は、 学海の「譚海」とは別のものではないかと考えようとしています。
どなたか、ご教示ください。

6月21日
 佐倉本情報。
『佐倉市史研究』 第18号 (平成17年3月 佐倉市)
目次
中村政弘「千葉県の町村合併の歴史について(講演録)」
濱島正士「佐倉市内の神社建築にみる形式手法の変遷」
前川公秀「窪田洋平という人」
須藤茂樹「堀田上野介殿一条書物之写」
中澤恵子「公設消防組の誕生」
北詰栄男「仲町山車覚書き」

『いんば沼』 第26号 (平成17年5月 印旛沼環境基金)
目次
瀧和夫「印旛沼の宿命と使命」
松平喜美代「印旛沼周辺の植物」
本橋敬之助「印旛沼の水」
*『いんば沼』は、佐倉図書館の玄関にあるチラシ配布カウンターに 若干置かれています。

6月11日
 佐倉情報。
『なりた』NO・93(平成17年5月 成田山霊光館) 門脇利明氏の論文「『成田山新勝寺史料集』に登場する力士(下)」に, 江戸時代の巡業相撲が佐倉で2回、行われたとありました。
弘化3年(1846)と、嘉永5年(1852)で、弘化3年の興行は、新町に ある教安寺で行われたそうです。
巡業番付があり、西四段目12枚目(尻)に、「印旛かた」という力士が いたそうです。また、安政2年(1855)に清光寺(酒々井町)で行われた 興行では「印旛ノ浦」という力士の名前もあるそうです。
詳しく知りたい人は、ご覧ください。

6月8日
 佐倉情報。
本日の読売新聞の夕刊に、演劇企画集団THE・ガジラが、島尾敏雄原作の 「死の棘」を、17日から7月3日まで東京・三軒茶屋のシアタートラムで上演さ れるとありました。構成・演出は鐘下辰男、主演は高橋惠子。
小説『死の棘』は、佐倉も描かれています。その辺のところをどのように演出する のでしょうか、興味のある方は、ご覧ください。

6月4日
 佐倉本情報。
本藤嘉春『毛怒(ケヌ)の童男(オグナ)』(1996年3月 新風舎)
本藤氏は古代史ファンとあり、時空を飛んで、一つの小説を書いた、とあります。
時は西暦527年、所は吾妻の毛怒。この地に住む童男と呼ばれる少年が、 関東周辺に旅をしていく話です。
「日除けの帆布を片付けた舟が桟橋に着くと、舟屋からも他の住居からも何人か出て 来て、挨拶をしながら荷物を運んでくれるのだった。中でもひときわ屈強な、三十過ぎの 男が童男の前に跪き、『佐倶楽(サクラ)の舟屋を預かる岩名と申します。どうぞお見知り 置き下さい』と、挨拶する」(230頁) このほか、「鹿島川」「印波」などの風景が描かれています。

佐倉市民本情報。
『千葉県俳句作家協会 合同句集 第7集』(平成17年5月 4,000円 千葉県俳句 作家協会合同区集刊行委員会)
この中に佐倉在住の方、10人の句が収録されています。

<訂正>
以前、映画「ハチ公物語」で使用されていた電話ボックスが、歴史生活資料館に展示されて いると言いましたが、間違いでした。映画を観ていてもボックスが出てきませんし、おかしい なあと思っていました。
本日、資料館で確かめましたら、やはり違っていました。訂正します。
ただし電話の場面は料亭花家のロケであることは間違いありません。

5月30日
 飛鳥さんからメールあり。

将来、「銚子本」「千葉本」になると思われる?本を読み始めたので 紹介します。

『「特攻」と遺族の戦後』宮本雅史 角川書店(平成17年3月20日発行) 本文を読み始めてすぐに(4行目です)
「『乙女のいる基地』五十分ほどの戦争映画だ・・・大東亜戦争末期の昭和
二十年の初めに千葉・下志津教導飛行師団の銚子飛行場で撮影された」(9頁)

「伍井芳夫大尉は昭和十九年十二月十九日、千葉県の下志津教導飛行 師団の銚子飛行場に転属している」(22頁)

伍井大尉は映画に指導者として協力し、部下達も飛行機の操縦者として出演。
その後、大尉以下部下達も、特攻基地の知覧に移動。特攻隊員として、南の 海へ消えていったそうです。

直接、佐倉とは関係ありませんが佐倉藩から続く、軍に関係する土地なので気に なりました。
また、特攻隊員の中で、銚子で特攻の訓練を受け、出撃した事実を、私は知ら なかったので驚きでした。

「佐倉本」ではないので、掲載するかどうかは館主さんの判断にまかせます。

吉村昭の『暁の旅人』が探した二軒の本屋になかったので、注文しようと思ってます。
呼びかけていただき、ありがとうございます!

<返信>
こんばんは。
「銚子本」「千葉本」を探していただきましてありがとうございました。
地域本はいろいろありそうで、私のパソコンの許容量からすると、たちまち満杯になるかも 知れませんね。それに、各地の本は、ほとんど把握していませんから、3冊で司書に なれるとすると、あっという間に司書さんたちであふれてしまいそうですね。
それから、主人公が街道を歩いたとすると、一冊で「市川本」「船橋本」「八千代本」 「佐倉本」「酒々井本」「成田本」などとなってしまう本も出てくるでしょうね。
少し、収集のルールを考えてみます。
また、せっかくいただいた情報ですので、どのように整理するかは、これから考えるにしても、 本を忘れないように掲載させていただきます。
ありがとうございました。

それから、飛鳥さんの好きな松本良順が出てくる吉村昭の『暁の旅人』、探せてよかった ですね。読み終えましたら、感想を聞かせてください。

5月29日
 駕篭かきさんから、満開佐倉文庫に寄贈本あり。

佐原真『考古学千夜一夜』(1993年7月 小学館) 「いま、私が嫁ぎゆく佐倉(国立歴史民俗博物館)には、なんと、 かつてのあのうるさい編集者が、教授として私を待ちうけている ではありませんか。いま最も情熱的に次々に業績をあげている 春成秀爾さんです。
佐倉に移ってしばらくは、この指導教授のもとで、山積みになって いる未完成の仕事を仕上げることになるでしょう」(218頁)

考古学で著名な佐原先生が国立歴史民俗博物館の館長に 就任するにあたって、さらなる研究意欲を示した文章です。
駕篭かきさん、ありがとうございました。

佐倉本情報。
佐倉市教育委員会『風媒花』NO18(2005年3月 300円)
目次
甦る古の記憶2 シンポジウム「井野長割遺跡を考える」
佐倉の美術―先人からの贈り物
城下町佐倉の名刀展  井原重之
佐藤泰然生誕200年によせて  酒井シヅ
平将門・惣五郎伝承と佐倉  高橋敏
ほか

『没後20年 堀柳女展』(2005年4月 2,100円 佐野美術館) 佐倉藩士柿内家の娘。人形作家・堀柳女の作品展が佐倉市立美術館で 開催されています。

5月27日
 ホームタウン佐倉さんから佐倉本情報をいただく。

久しぶりに佐倉本についてのご報告です。
もりたなるを著『鎮魂「二・二六」』(1994年2月18日,株式会社講談社発行)に 「(進藤義彦少尉は)出頭目的を知らされないままに到着し、そこで千葉県佐倉の歩兵 第五十七連隊から派遣された某大尉が指揮する処刑射手団に編入されることがわかった。
二・二六事件で、特設軍法会議の裁判に付された青年将校の処刑射手だという。」(221頁)
「進藤少尉は意を決して指揮官に単独会見を申し込んだ。佐倉第五十七連隊の大尉は
怪訝な顔をした。進藤少尉が処刑射手の任務に逡巡をきたしたと感じたらしかった。」(222頁)
の2ヶ所に出ていました。

進藤氏は習志野騎兵第十五連隊少尉とあとがきにあり、死刑判決を受けた青年将校十六名 のうち、陸士同期の林八郎少尉の銃殺処刑を自ら希望した経緯が記載されています。
『満開佐倉文庫』を拝読すると著者のもりた氏は、やはり二・二六事件関連の『銃殺』や雷電 為右衛門のついての『力人』など佐倉関連の本を書いているようですね。

<返信>
こんばんは。
『鎮魂「二・二六」』は、『銃殺』の後に書かれた本で、私も読んだ記憶があります。
しかし、読み過ごしていたようです。ありがとうございました。
司書資格を延長します。

5月14日
 佐倉本情報。
新藤兼人『新藤兼人の映画著作集T 殺意と創造』(1970年4月 ポーリエ企画) 「シナリオ・鬼婆」「鬼婆日記」という項目に印旛沼でロケされた話がありました。
(197頁、235頁)。以前、紹介した内容と同じですので、文章は略します。

新藤兼人『映画つくりの実際』(1979年6月 岩波ジュニア新書) 映画「鬼婆」撮影のときに、印旛沼でロケした話がでてきます。(93頁)

新藤兼人『新藤兼人の足跡3 性と生』(1993年11月 岩波書店) 映画「鬼婆」撮影のときに、印旛沼でロケした話がでてきます。
本書もそうですが、何冊かに「シナリオ・鬼婆」「鬼婆日記」のことが記されていました。
やはり新藤監督にとっては、「鬼婆」が代表作品の一つなのでしょう。

N・Tさんから佐倉本情報。
『歴史群像シリーズ よみがえる日本の城2』(2004年6月 学習研究社) 佐倉城がCGで復元されていました。

N・Nさんから佐倉本情報。
吉村昭『関東大震災』(2004年8月 文藝春秋) 「その後、山岡氏は鐘淵紡績で治療を受け、一週間後に千葉県の佐倉の 連隊が治療所を設けていた隅田小学校に移された」(100頁)
とあります。佐倉に駐屯していた歩兵第57連隊が関東大震災のときに救援に いったことは知っていましたが、その活動が具体的に記された資料です。
吉村氏は資料に基づいて、きちんと書く作家ですから、どこかで佐倉連隊のこと が書いてある資料を探したことでしょう。
司書資格を1年延長します。

T・Uさんから、久しぶりに佐倉本情報。
日本民俗建築学会編『写真でみる民家大事典』(2005年4月 柏書房) 佐倉武家屋敷と町屋の紹介と写真があります。(232〜233頁)
司書資格を1年延長します。

5月12日
 Tさんから手紙をいただく。
すでにご存知のことと思いますが、司馬遼太郎『殉死』(文春文庫)に 「これよりすこしあと、熊本鎮台で同僚だった児玉源太郎もよびかえされ、 下総佐倉の歩兵第2連隊長に補せられた」(29頁)とありました。お知らせ いたします。

<返信>
知りませんでした。ありがとうございます。

5月9日
 佐倉本情報。
島尾敏雄『死の棘日記』(2005年3月 2,200円 新潮社) 小説『死の棘』の下地となった当時の日記です。昭和30年4月7日から5月3日 まで佐倉で過ごした島尾は、当時の佐倉の様子を日記に記しています。
「4月7日 (略)佐倉につき、坂の所で孝ちゃんが待って居る」(196頁)
「4月8日 晴、午後少しくずれる。ひとりで町に出て行き、市役所で転入届。住民登録 をすませ、佐倉市教育委員会で伸三の入学通知書を貰い、佐倉第一小学校に行き 転校手続きをすます。一年三組なり。保健所確認。郵便局で転居届」(197頁)
「5月3日 (略)ミホと国鉄佐倉駅迄行く」(215頁)
佐倉で過ごした日々が描かれています。

昨日の読売新聞の書評に、吉村昭『暁の旅人』(1,700円 講談社)が紹介されていました。
主人公は松本良順です。さっそく、本を買うことにしましょう。飛鳥さん、良順ですよ!

5月8日
 駕篭かきさんからメールあり。
次の本は登録済でしょうか。たまたま今、志津図書館から借りてきて読んでいるのですが、 中公文庫で長谷川伸著「相楽総三とその同志」(上・下)という本があります。
小説というより実録と言ったほうが正しいかも知れませんが、著者が「筆の香華」と名づけ 特別の思い入れで書き下ろしたものです。
この中の「譚海にある・・・著者依田学海が下総佐倉藩の旧藩士だけに匪賊として扱っている」 (99頁)という記述があります。
「堀田相模守正倫十一万石・下総佐倉」(189頁)の記述が見えます。
忘れないうちにと思い、追記させて頂きました。

<返信>
長谷川伸著「相楽総三とその同志」(上・下)は知りませんでした。
ありがとうございます。



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