日記 (2005年5月1日〜12月31日) 12月31日 今年も残すところ、わずかな時間となりました。 一年間、当ホームページをご覧いただきましてありがとうございました。 来年は、さらにホームページを充実させていきます。 寒さが厳しくなっておりますので、健康に留意してお過ごしください。 12月23日 今年の情報大賞の記録と講評を掲載しました。佐倉情報ライブラリーにある「情報大賞の記録 平成17年」の項目をご覧ください。 12月20日 17日に例会を開催しました。 1次会の参加者7名。7名で情報大賞の選考を行ないました。 平成17年の満開佐倉文庫情報大賞は、北野たけし監督の映画「ドールズ」に佐倉でロケされた場面が出てくるという「sendagi」さんからいただいた情報に決まりました。 僅差で『京町屋に四季』に奈良屋の話が出てくるという「なっちゃん」からいただいた情報が続きました。 今年は、さらに続いて『死の棘日記』、映画「はち公物語」、映画「アインシュタイン・ガール」が選ばれました。 また、特別賞として「いやしてくれてありがとう賞」を設け、まんさく家庭果樹園に登場する「7月のタメ」の写真が選ばれました。 後日、講評を添えたいと思いますが、取り急ぎ受賞作品だけ紹介します。 2次会の参加者7名(1名は入れ替わり)。楽しく歌いました。 12月18日 ホームタウン佐倉さんからメールあり。 寒くなりました。佐倉からみる富士山もスッキリと見える時期ですね。 例会には出席できず、残念です。ご盛会を祈ります。大賞は考えが付かず、パスします。すみません。 「佐倉の鉄道噺」をお送します。よろしければ掲載してください。 12月14日 今朝は「寒い」を通り越して、凍えた。いよいよ本格的な寒さがやってきた。 庭に出ると、お庭番タメの水入れに氷が張っていた。タメはしきりに氷の上を舐めているので、厚い氷を割ってやる。 獅子ユズを収穫する。 12月12日 「佐倉情報ライブラリー」の項目を整理する。 データ・ベース「佐倉本 2006」を掲載する。 12月5日 総武本線の特急列車「しおさい」で使用していた183系の車両が12月9日で消えるというので、撮影に行ってきました。 佐倉−物井間で撮影をしたのですが、列車の迫力に負けて満足した撮影はできませんでした。 あと4日。再度挑戦してみたいと思います。 12月3日 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』(14)を掲載しました。 ホームタウン佐倉さんの海外レポートを『佐倉の鉄道噺』の番外編として掲載しました。 11月の訪問者(アクセス)数を掲載しました。11月の訪問者は1387人。1日平均46.2人でした。 みなさんの情報大賞候補の応募はどうでしょうか、というメールをいただきましたので紹介します。 <Aさん> 今年の情報大賞について私の独断と偏見で選びノミネートします。順序は満開文庫の掲載順で順位付けではありません。 1.『正伝殿山泰司・三文役者の死』 『三文役者・無責任方言録』TRさん、Kさん 映画とそれに関する図書。新藤兼人監督と、殿山泰司の本をリンクして読むと、当時の印旛沼の様子やロケ風景が浮かんできます。 2.『大地動乱の時代』Kさん 堀田正睦が安政大地震で下敷きとなり、救出された1週間後に老中主席に任じられたという記事は初耳でした。 3.『京町家の四季』なっちゃん 佐倉の呉服商奈良屋が出てくる記事は稀少です。 4.HP情報、大分市で佐倉こんにゃくが売られている。Wさん えっ、どうして佐倉の名をつけて今でも売っているのか驚き。しかも九州で。 5.『落花は枝に還らずとも』飛鳥さん 会津藩士が佐倉藩邸に預けられ、その中に佐川官兵衛がいたのではないかという記事。 6.『死の棘日記』 著者島尾敏雄が佐倉で過した昭和30年の日記は短いですが稀少。 どうしても歴史に関連する情報を重要視してみてしまいます。なにかもっと大きな情報を落としているかもしれません。 <Bさん> 満開文庫の情報大賞候補については、私的には「ハチ公物語」における花屋ロケの話です。 学生時代、秋田県の大館に住み込みバイトに行ったときに地元の人に勧められ、泣きに泣いた、大変思い出のある映画でしたので、そのロケを佐倉で行ったというのは本当に意外でした。 報告会及び忘年会については、その日サッカーの試合があり、また蹴り納めの飲み会の日なんです。調整して、報告会だけ出れればと思ったのですが、行けなくなってしまいました。申し訳ありません。 <Cさん> 北野たけし監督の映画「ドールズ」に1票入れます。 <Dさん> 情報大賞の投票ということで、過去の情報を結構見ていましたが、思い出すのは、それらの情報を受け取った時、発見した時の館主のリアクションばかりです。 驚いたり感心したり感慨にふけったり、私はきっと、情報よりも館主のそのリアクションが面白くて、佐倉本を日々探す司書なのだと自覚しました。 というわけで、情報大賞選択は難しい〜 特に私があげたい賞は、”いやしてくれてありがとう賞”として、まんさく家庭果樹園のお庭番、7月の【タメ】です。あの写真が好きです。 <館主> こんな選定もあったんですね。ありがとうございます。”いやしてくれてありがとう賞”も提案してみましょう。 <Eさん> 大賞の候補・・・ということでさっと見直したのですが、悩んでしまいました。 10/23の日記にあった飛鳥さんの「カートピア10月号」の話が面白かったのですが、こんな感想でもいいのでしょうか? どれになるか楽しみにしています。 <Fさん> 12月17日(土)の午後は、自宅のインターネット回線の工事が入っていまして、工事そのものは1時間くらいで終わるのですが、午後何時から始まるかは、業者が午前中から何件かこなしてくる状況次第で、はっきりしません。 工事が終わり次第出席したいのですが、もし、結果的に忘年会のみの参加になってしまうと、ちょっとカッコ悪いですね。それでも行きますのでよろしくお願いします。 <館主> Fさんへ。肝心の情報大賞候補をお願いします。 <Gさん> 映画「アインシュタイン・ガール」を見ていませんが、志津がでてくるとお聞きしましたので推薦します。 <まとめ 館主> まだ、情報大賞候補を応募していない司書さん、友人の方で、候補がありましたら連絡ください。 それから、重なった情報がなくて、当日はどのようなことになるやら楽しみです。どなたか良い案がありましたら教えてください。 12月1日 佐倉情報。 みなさんからいただいた佐倉本情報を整理して「佐倉本データ・ベース 2006」をつくりましたが、このデータ・ベースを佐倉市立図書館のホームページに掲載していただきました。 アクセスは「佐倉市立図書館のトップページ」→「電子郷土資料室」→「佐倉本データ・ベース」です。 みなさんからいただいた情報を図書館に提供することができて、小さな社会還元ができたなあと感慨にふけっております。これも日ごろ、みなさんからいただく情報の賜物と感謝いたします。 楽しみがボランティア活動につながるなら、これほどの満足感はありません。そして、満開佐倉文庫の活動が一回り大きくなったように思いました。 この情報も、まだ今年の情報大賞候補に間に合いましたね。 11月29日 ホームタウン佐倉さんの海外レポート。 11月上旬にインドへ行って参りました。ユネスコ世界遺産に指定されているダージリンヒマラヤン鉄道への乗車、撮影のためです。 僅か610ミリ軌間の線路の上を蒸気機関車が今も活躍し、標高140メートルの麓から紅茶で有名なダージリンまで、 3ケ所のループ線と5ケ所のスイッチバックで、2100メートルを登ります。 亀の子のようなスピードですから、88キロの路線を13時間掛かりました。 ダージリンは、山の向こうはネパールという地点ですから、世界第3峰のカンチェンジュンガ(標高8586メートル)を始めヒマラヤの山並みを存分に眺めることができました。 あとはコルカタ(旧カルカッタ)に立ち寄りましたが、生活の程度と貧困な状況は驚くばかりで、わが国の昭和20年代の有様でした。日本へ留学経験のあるガイドも「日本より50年遅れている」と話していました。 インドは10月〜2月ころが乾季で晴天が続く良い季節でしたが、毎日のカレー料理(日本のカレーライスとは違います)と不衛生な飲み水には閉口しました。 満開佐倉文庫の例会は、ご連絡が遅くなりくましたが、所用があり欠席させていただきます。 なお、添付写真はダージリンヒマラヤン鉄道の豆汽車とダージリンの街から眺めたカンチェンジュンガです。 ダージリンの街から眺めたカンチェンジュンガ ダージリンヒマラヤン鉄道の豆汽車 11月28日 「情報大賞の記録」を左記の「佐倉情報ライブラリー」に掲載しました。評価の基準は「驚き度」と「佐倉再発見度」であったんですね。館主も忘れていました。 また、大賞の掲載スタイルも参考になると思います。 ホームタウン佐倉さんから佐倉情報。 総武線で親しまれてきた特急列車183系電車は12月9日で姿を消します。土日には物井付近はかなり撮影者で賑わっていました。 撮影されるなら、今のうちです。 <返信> あのクリーム色に小豆色のラインが入った特急列車ですね。今回のダイヤ改正でなくなってしまうのですか。 なんとか撮影したいですね。以前、撮影地点を探したことがありますが、佐倉駅と物井駅中間あたりにあるカーブ辺が適していました。 ただ、このあたりは農道で車をとめる場所がありませんから、歩くのがいいでしょうね。 11月27日 先日、情報大賞候補について記しましたが、さてどれを選ぼうかと眺めていました。そうしたら情報を選ぶには2つの要素があるのではないかと思いました。 1つは、情報そのものに大きなインパクトがあるというものです。たとえば、佐倉が出てくる映画「アインシュタイン・ガール」です。これは個人の努力で「佐倉を発見した」というより、情報そのもにのにインパクトがあるというものです。 もう1つは、情報もインパクトがありますが、その情報は個人の努力で発見したというものです。それは、ビートたけし監督の映画「ドールズ」に佐倉が出てくるというものです。 この2つの情報から大賞を選ぶとすれば、私は映画「ドールズ」に佐倉が出てくることを発見したという情報に価値を見出します。あくまでも例題としての話です。 やはり、「えっ、こんな映画に(本に)佐倉が出てくるの?」という「意外性のある驚き度」を判断材料にしたいですね。 思えば昨年、情報大賞を創ったきっかけは「意外性のある驚き度」と、「満開佐倉文庫というホームページで佐倉の情報を発見したということを記録しておきたい」というものでした。選考にあたって、参考にしていただければ幸いです。 この「発見を記録する」ということは、これから発見された情報が一人歩きをすることがあると思いますので、その初見は満開佐倉文庫のホームページにあるということを明記していただきたいということでもあります。 さて、残りの候補は、となりますが、「満開佐倉文庫に掲載された今年の主な出来事」になるでしょう。 11月24日 Wさんは、奈良専二という人物を追っています。専二は明治時代、千葉県で農産物の普及に努めたのです。 そして、専二は佐倉産のコンニャクを食用の他、人造皮、ゴム製品の代用等にも見通しのある特異な作物であることに注目しました。 Wさんから「奈良専二をヤフーで検索したら、満開佐倉文庫が出てきた」と連絡がありました。 以前、ホームページに奈良専二について掲載したことがあり、その記事をヤフーが拾っていたのです。満開佐倉文庫は、いろいろなことを書いていますから、いろいろな項目でヤフーの検索に引っかかるのでしょう。 このほか「家庭果樹園」「アインシュタイン・ガール」「電子地域文庫」「佐倉本」などと入力しても満開佐倉文庫が引っかかります。 それだけに、拙い文章ではありますが責任が伴うことをひしひしと感じております。これからも、みなさまの温かいご指導をお願いします 11月23日 情報大賞候補は、と考えて日記を振り返ってみる。思いつくままに記して見ると、 ・ビートたけし監督の映画「ドールズ」に、佐倉が出てくることに驚きました。 ・ユーカリが丘駅周辺でロケされた「アインシュタイン・ガール」に感動しました。 ・千葉真子選手が佐倉から離れまして、さびしく思いました。高橋尚子選手も佐倉から離れましたね。ただ、この記事は掲載していませんので対象にはなりません。 ・司書のKさんが、満開佐倉文庫と同じ趣旨で「利根川印西文庫」を立ち上げてくれ、地域的な広がりが生まれました。 ・満開佐倉文庫の司書さんになってくれた人が30人を超え、すごいパワーになってきました。 ・館主の独断で佐倉の開花標識桜を選定。城址公園本丸跡に夫婦モッコクがありますが、その脇にある桜です。 ・佐倉本を探すという楽しみ方は、一つの読書法として「地域探しの読書法」と呼ぼうと思います。 私の記憶に残った情報は、このようなものでした。日記を振り返りながら、みなさまと親交を深めた日々を懐かしく想っています。でもベスト10までは選べないかな?みなさまはいかがでしょうか。 11月22日 新町のある家で、ハクビシンが垣根に挟まって死んでいたという話を聞く。タヌキのほかにもハクビシンがいたのかと、野生?動物を身近に感じるこのごろです。 その話を聞いた友人は、前に見たタヌキはハクビシンでなかったか?と、お悩みの様子。あまり気にしないでください。私だって、ハクビシンってどんな顔なの?です。 開発が進み、動物も住処がなくなってきたのでしょうか。 11月20日 司書・友人のみなさまへ。 情報大賞候補の応募期間締め切り(12月3日)まで、あと2週間となりました。そろそろ候補を絞り込み始めても良いのではないでしょうか。 11月15日 地域本探しの読書法を → 地域探しの読書法に変更します。このほうが言葉のリズムがよさそうです。 11月14日 緑葉さんから冊子と手作りのスイートポテトをいただきました。めったに作らないそうで、もうこれは記録に留めておこうと思いました。 11月13日 せっかくつくった「佐倉本データベース2005」ですが、エクセルのアップでは改変されたりウィルスを送り込まれると教えられ、泣く泣く削除しました。 また、「満開佐倉文庫年報 平成16年度版」はワードでつくったものがありましたので、こちらも削除しました。 11月12日 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」の原稿をいただきました。ご覧ください。 11月10日 某所で満開佐倉文庫について話したこと。 1、読書のきっかけはいろいろある。たとえば、自分の好きなテーマ、好きな作家、自分の心境に合った本を読むなど。このような読書に加えて、「地域本(佐倉本)探しの読書法」があってよい。 2、地域本(佐倉本)探しの読書は楽しい。空港成田文庫、スイカ富里文庫、落花生八街文庫があったら、もっと楽しい。地域本探しの読書は、まちづくりにつながる。 3、各地に電子地域本の文庫が出来て、それぞれが相互リンクできたら印旛地域はすばらしい読書活動推進地域になるでしょう。 このような話でした。 私の話を聴かれた人が印旛地域の人であったため、佐倉本をグレードアップして地域本としました。そして、佐倉をいう場合には佐倉本になります、としました。 今後、佐倉本で楽しむ読書を、「地域本探しの読書法」と称したいと思います。 11月9日 昨日、某所で満開佐倉文庫の話をする。地域本に興味のある人が増えると良いなあと思った。 11月6日 更新のおしらせ。 「年別郷土の新刊案内」平成14年〜17年を更新しました。(〜11月5日まで) ご利用ください。 11月5日 成東町にお住まいの七つの子さんへ。 佐倉市の図書館は11月14日(月)〜11月30日(水)まで、新システム構築のため休館となります。 時々、佐倉の図書館を利用していることを思い出し、連絡だけでも差し上げます。 〔おしらせ〕 数年前まで、佐倉市では版画カレンダーを作っていました。その版画を描いていた篠崎一彦氏の展示会「版画カレンダー20周年記念展」が下記により催されます。 日時 平成17年11月22日(火)〜11月27日(日) 午前10時〜午後6時 場所 しぶや画廊(京成佐倉駅南口下車徒歩1分 民芸品店しぶや2階) 11月4日 情報大賞の件について。 1、司書・友人のみなさんから情報を応募いただく締め切りは、12月3日(土)とさせていただきます。これは、 12月の例会が17日(土)に変更になったため、募集期間を延長することといたしました。 2、応募いただける件数は10件までとします。応募いただいた情報につきましてはホームページに紹介いたしますので、各自例会まで検討をしておいてください。 3、12月17日の例会では参加者が選考委員になり、「満開佐倉文庫・2005情報ベストテン」を選び、その最高点を今年度の「満開佐倉文庫情報大賞」といたします。 なお、配点については考慮中。また、情報には今年度すごかったものと、過去のすごかったものがあり、いっしょにして良いのだろうか?ということも考慮中です。何か案がありましたら連絡ください。 11月3日 <館主から駕篭舁さんへのメール> 問い合わせがありましたので、ご存知でしたら教えてください。 志津出張所敷地内に消防機庫がありますが、その裏あたりに碑があるそうです。この碑は何の碑でしょうか?というものでした。 <駕篭舁さんからのメール> 現場を見てきました。踏み切りのすぐ手前にあります。京成電車事故の遭難碑でした。宮武さんの『志津の史跡と名所』に詳しく書かれてますので、コピーして送ります。 <館主から駕篭舁さんへのメール> 早々に情報、資料を送っていただきましてありがとうございます。さっそく、連絡いたします。 11月2日 12月の例会。12月17日(土)の午後に行ないます。 会場は決まっておりませんが、参加したい人は館主まで申し込みください。時間と会場が決まったら連絡いたします。 11月1日 12月の例会。12月17日(土)で調整を進めています。予定の変更をお願いします。 10月の訪問者(アクセス)数、更新しました。 10月の訪問者数は、1501人。一日平均48・4人でした。 10月31日 先日、駕篭舁さんから情報大賞候補が沢山あって大変だというメールがありました。改めて読み返したところ、やっぱりいろいろありましたね。 一年間の重さというのでしょうか、佐倉の歴史であり、満開佐倉文庫の歴史でもあります。単に情報大賞1点を選ぶより、ベスト10を選んで、その中の最高点を情報大賞にしたら良いのかも知れませんね。 10月28日 今年初めて、朝もやが立ちました。いよいよ印旛沼の撮影季節到来です。さあ、写真愛好家のみなさん、印旛沼に出かけましょう。 それから出かける時には、チョッキがほしくなりますね。 10月27日 佐倉情報。 京成佐倉駅で、来年のカレンダーが発売されていました。佐倉ー臼井間、佐倉ー酒々井間で撮影された車両が4枚ありました。たぶん、各駅で発売されているのではないでしょうか。 10月26日 駕篭舁さんからメールあり。 情報大賞の候補について、目下情報を検索しながら考慮中ですので今暫くお待ちください。沢山あるので迷います。 10月24日 満開佐倉文庫の例会を12月3日(土) 午後に行ないます。 詳細が決まりましたらお知らせします。 駕籠舁さんからメールあり。 満開佐倉文庫の範ちゅうでないかもしれませんが、成田街道の手繰橋から臼井台へ行く途中の民家にご覧のような木があります(写真つき)。 通る度にいつも気になります。ヒマラヤ杉でしょうか? <返信> 面白そうな木ですね。木の名前は知りませんが刈り込むのに大変だろうなあと思いました。 例会の時に話題を提供してください。 道を歩いていると、アイ・ストップとなるようなものがありますね。いつの間にか、「ここまで着いたか」なんて、自分の標識になっていたりしますね。 民家の方に感謝します。 10月23日 佐倉市立美術館より、「おしらせ」の原稿をいただきました。興味のあるテーマですので、ご覧ください。 司書さんにハンドルネームが広がってきました。「現在の司書さん」の項目をご覧ください。 Kさんからメールあり。 エクセルでつくった「佐倉本データ・ベース 2006」が見やすいとの感想をいただきました。 10月22日 第2回満開佐倉文庫情報大賞(みんなで選ぶ情報大賞)についての補足。 そもそも情報大賞は、昨年、ティさんから松本清張原作の映画「点と線」の駅舎ロケが佐倉で行なわれたというメールをいただいたことに驚いたことが発端でした。 館主としては、このような情報は記録しておきたいと思いました。そこで急遽、館主の独断で第1回満開佐倉文庫情報大賞を決めさせていただきました。 ところでこのような賞は続けてやることに意味がありまして、今年度も行ないたいと思いました。ただ、その選考にあたりましては、司書による選考のほうが公平性があると思い、司書のみなさまに依頼をしているところであります。 したがいまして、司書選考による選定は初めてでありますが、回数としては第2回とさせていただきます。 10月20日 司書さんの認定。 ギムリさんと、TONGさんを司書に認定しました。 これからよろしくお願いします。 「佐倉本データ・ベース 2006」完成しました。このデータは、『電子図書館 満開佐倉文庫』に掲載したものです。みなさまからいただいたデータ入力には、あと1年くらいはかかると思います。 10月15日 司書さんへお知らせ。 1、イニシャルで登録されている司書さんは、なるべくハンドルネームにしていただきたいと思います。 2、今年、当ホームページに寄せられた情報の中で、インパクトのあった情報をお知らせください(複数可)。その中から、12月の例会で「みんなが選ぶ情報大賞」を決めたいと思います。 エントリー期間は、本日から11月15日まで。11月末に、エントリーされた情報をホームページに掲載したいと思います。 10月14日 「佐倉本2006」を「佐倉本データ・ベース 2006」に名称変更。調整作業中。 10月13日 「佐倉本2006」の調整作業中。 10月11日 「佐倉本2006」の調整作業中。 10月10日 今日一日「佐倉本2006」の調整作業中。 10月9日 「作品時代順検索」を「佐倉本2006」に名称変更。調整作業中。 10月8日 例会をおこないました。 うどんづくりと、手作りのパン、ジャムの試食でした。 参加者は7人。楽しく過ごすことができました。 「作品時代順検索」を調整作業中。 10月7日 「作品時代順検索」を調整作業中。 10月6日 「佐倉本検索」の項目にある「作品時代順検索」を修正。 当分、構築と修正作業が続きそうだ。 10月5日 拙著『電子図書館満開佐倉文庫』に掲載した佐倉本を、Tさんのボランティアによりエクセルに作り変えてもらいました。 その表を「佐倉情報ライブラリー」の項目に、「佐倉本検索」として掲載しました。 でも、作業はこれで終わりではなく、これから当分、データ入力に追われることでしょう。 10月3日 鴎外の漢詩の情報をいただいてから、しばらく鴎外にかかりきりとなってしまいました。 また通常の満開佐倉文庫だよりにもどります。 10月2日 鴎外と佐倉 11 依田学海が書いた励ましの文は漢文であるが、川口久雄氏の『幕末明治海外体験詩集』に読み下し文が掲載されている。 大意は、戦国時代の武将上杉輝虎(謙信)の兵法をたとえての励ましであり、修史局で日本史を編纂していた学海らしい言葉であった。鴎外も漢文を心得ており、その言葉を充分に汲み取れたことだろう。 鴎外が、ドイツ留学のために東京を出発するのがこの年、明治17年8月23日。学海がハガキを出してから鴎外に届くまでを考えると、出発までわずかな日数しか残っていない。鴎外は出発準備をするあわただしさの中で、励ましの文を取りに行ったことだろう。 学海と鴎外との交流は、鴎外がドイツから帰ったからも続いていた。しかし、これ以上書くと、「鴎外と佐倉」ではなく、「鴎外と学海」になってしまいそうだ。 鴎外の佐倉を詠んだ漢詩から始まって、止めどなく話を進めてしまった。鴎外と佐倉の関係は、まだ調べたいことがある。後日、記したいと思う。(了) 10月1日 鴎外と佐倉 10 鴎外のドイツ留学にあたって、依田学海は励ましの文を書いている。『学海日録』の明治17年8月9日の条に、 「森林太郎のために伯林(ベルリン)に遊学するの序を作る。林太頴敏にして沈毅、尋常の年少に同じからず、選択人を得たりというべきなり」 と記す。 そして、その日のうちに序を書き上げ、翌日、序ができたので自宅まで取りに来てほしいとハガキを出した。 「先日は両度御来訪 被下候由恐入候拙文出 来候間差上可申ト存候 得共も急可申と存候御序 之節一寸御来駕可被 下候朝八時前或ハ午後在宅いたし候也 八月十日」 (森鴎外記念会編『鴎外をめぐる百枚の葉書』より引用) このハガキは、現在、鴎外記念本郷図書館に所蔵されている。 このことから数日前、鴎外が学海の家を訪れ、その席で学海がドイツ留学にあたっての励ましの文を書くことになったものと思われる。 9月の訪問者(アクセス)数、入力しました。 9月の訪問者は1563人 1日平均52.1人です。 9月30日 鴎外と佐倉 9 鴎外がドイツ留学を受けた明治16年の6月、旧佐倉藩士依田学海は神田小川町に転居した。 学海は日々のできごとを記しており、それは『学海日録』(岩波書店)として世に出たわけであるが、学海は向島に別宅があり、ここでも漢文の日記を記し始めた。この日記は『墨水別墅雑録』(吉川弘文館)といわれ、同16年から同32年まで記している。 この2つの日記に鴎外の記述がみられるのは、同17年2月6日になる(『学海日録』)。 「たまたま森林太郎来訪して云はく、過日、四谷に至り、先生移り去ると聞く。何れに住むか知らず。ようやくわかり来ると。この林太陸軍医なり。幼い時、余に従ひ文章を学ぶ。それ以来、行き来あり、本当に喜ぶべきことである」 鴎外のドイツ留学が内定したのと学海の引越しが同月であったこと、そして、この記述から考えて、2月6日まで学海は鴎外からドイツ留学の話を聞いていなかったと思われる。 鴎外は、自分のドイツ留学を漢文の師である学海に伝えたくて半年余ばかり探していたのである。 9月29日 鴎外と佐倉 8 鴎外は、徴兵検査の立ち会いを終えた後、佐倉を離れる。「後北游日乗」には、鴎外の父が学んだ順天堂を訪れたという記載はない。訪れなかったのか、あるいはあえて記さなかったのか定かでない。 鴎外は佐倉を離れた後、千葉の寒川から汽船に乗り、翌日、富津本牧に行く。ここまでは「後北游日乗」に日を追って記すが、次は翌年の明治16年2月7日に記述が飛ぶ。そして、この日、閲兵を終え、後楽園で祝宴をあげたと記し、「後北游日乗」は終わる。 この年、鴎外はドイツ留学を決意する。長谷川泉氏の鴎外の「年譜」によれば、鴎外は 「3月26日、欧州へ派遣される東京陸軍病院長橋本綱常を訪れ、随行を志願したが不許可になる。5月4日、軍医の名称変更で陸軍二等軍医となる。6月13日、ドイツ留学の上申書が陸軍省に提出され、次年度に可能の内達があった」 とある。 橋本綱常は松本順(旧称 良順)の門人で、順は当時、陸軍軍医総監であった。 9月28日 鴎外と佐倉 7 鴎外の記した「後北游日乗」をみると、箱館では娼家・廓、青森では娼婦という文字が記され、また文面から宇都宮にも娼妓がいたと読め、鴎外は兵営の置かれた土地にそのような場所があるかどうかの確認をしていたのではないかとさえ思えるほどである。 ところが、この巡回に先だって、明治15年2月より巡回に出た地は前橋・柏崎・新発田・長岡・高崎であるが、その巡回を記した「北游日乗」には、廓や娼妓についての記載は見られない。佐倉を訪れる2回目の巡回から娼妓などの記載が見られるのである。 ここに、兵士の衛生面まで配慮が及んだ鴎外の軍医としての成長をみる。 ちなみに、鴎外が佐倉を訪れたときの連隊長は児玉源太郎であった。そして、佐倉に遊郭が出来るのは、鴎外が訪れた翌年の明治16年であった。 9月27日 鴎外と佐倉 6 鴎外が佐倉を訪れたころの佐倉はどのような様子であったのであろうか。 鴎外が「後北游日乗」に記した佐倉の印象は、 「佐倉は繁華ならねど宇都宮に優ること三つあり 俗の淳朴成る食饌の精き娼妓なき是れなり」であった。佐倉を誉めてくれているのだろうが、少々こだわってみる。 つまり、佐倉は宇都宮に優る点として、土地の習慣が純朴で、食べ物が新鮮で、娼妓がいないというのである。これは一般的に言えば、「田舎」に対する誉め言葉ではないかと思っている。それはそれでよいのだが、そこに鴎外の純粋さを感ずる。 加えて、軍医としての評価を含んでいたのではないかと考えている。「後北游日乗」をみると、巡回地を比較した記載がみられるのは、佐倉と宇都宮のほかに、箱(函)館と青森の比較もしている。 「午後四時青森に着きぬ この地は箱館の如く繁華ならず楼上より街をみれば幅三寸 許なる黒き帯にて胸を約し紅にて腰を約したる娼婦群を成して往来す」とある。 ここに軍医鴎外として、街を観察する視点が見出せる。それは、街の賑わいと、娼妓がいたり遊郭があるか否かという点を記しているということである。青森は繁華ならずとも箱館(箱館では廓)と同様に娼妓をみるため、青森に対して佐倉のような評価をしていない。 9月26日 鴎外と佐倉 5 鴎外たち巡回の一行は22人であった。責任者は軍医緒方惟準(これよし)。惟準は緒方洪庵の子で、安政5年(1858)、幕命により長崎に赴き、オランダ軍医ポンペに学ぶ。 文久2年(1862)、長崎医学伝習生となったが、翌年、父が死去したので江戸に帰り、西洋医学所教授となる。このとき西洋医学所の頭取は、洪庵の死去にともない松本良順がなっていた。 惟準が西洋医学所の教授になった年に、鴎外の父静男も良順の門下に入ったことになる。二人の関係はわからぬが、良順を師として点で、目指す医学の方向は一致していた。 鴎外は、父と同じような西洋医学を目指していた惟準の部下として佐倉にやってきた。 9月25日 鴎外と佐倉 4 鴎外の父、森静男は幕末に佐倉の順天堂で西洋医学を学んでいた。その記録は「佐倉順天堂塾社中姓名録」という文書が残っており、『順天堂史』に紹介されている。 この文書は慶応元年(1865)に記されたもので、「石州津和野 森静泰(江戸時代の名前)」とある。しかし、順天堂創設時からの門人録が残っていないから、静男がいつ入門したかわからない。ただ、翌年の門人名簿には静男の名前がないので、慶応2年(1866)には佐倉を離れたと考えられる。 一方、順天堂を創設した佐藤泰然の実子、松本良順の門人録「登籍人名小記」(村上一郎『蘭医 佐藤泰然伝』)には、「石州津和野産 文久癸十一月 亀井隠岐守臣 森静泰」とある。 鴎外の生まれは文久2年(1862)であるから、静男は鴎外が生まれた翌年(1863)の11月、良順に入門したことになる。この年、良順は幕府の設立した西洋医学所の頭取となっていた。 これらのことからすると、静男はまず江戸の西洋医学所で1年近く学び、翌年、佐倉の順天堂で学び始めたと考えられる。 そして、静男は鴎外が生まれた翌年から江戸や佐倉で西洋医学を学んでいたため、鴎外は幼児期、父と離れて過ごしていたことになる。 鴎外が漢詩に詠んだ静男の苦労話は、母の背中で子守歌のように聞いたのであろうか。それとも、後に静男から直接聞いたのであろうか。いずれにせよ、初めて踏む佐倉の地で、その声を思い起こしたのだろう。 9月24日 続き。(鴎外と佐倉 3) 森鴎外は依田学海の家を訪ねた翌月、第一軍管区徴兵副医官に任ぜられ、1ヶ月半をかけて北関東、信越地方を巡回する。そして、7月、東部検閲監軍部長属員に任ぜられ、9月、再び徴兵検査立会いのために巡回に出た。 11月6日、高崎から帰京。父の家に1泊した後、越谷、宇都宮に向かい、次に佐倉を訪れることとなった。 鴎外の徴兵検査立会いの巡回日記は、後に「北游日乗」「後北游日乗」として紹介される。このうち、佐倉が記されたものは「後北游日乗」である。 その中に、漢詩(七言絶句)2首が収められている。鴎外は印旛沼を舟で渡り、「萩山の渡し」に着いた後、人力車に乗って佐倉新町にある泉屋に向かった(つづく)。 *『鴎外選集』(岩波書店)に収録された「後北遊日乗」から、佐倉が描かれた部分を抜粋 「十二日、雨ふる車を倩ひ渡口瀬戸を過ぎて午後五時佐倉新町なる泉屋につきぬ (荒れた畑の中に、茶花(山茶花か)の香りを感ずる詩) 荒園幾畝接寒沙〔荒園幾畝(こうえんいくむ) 寒沙(かんさ)に接(せっ)し〕 処々村人養緑芽〔処々(しょしょ)の村人(そんじん) 緑芽(りょくが)を養(やしな)う〕 芳烈其香淡其色〔其の香(か)は芳烈(ほうれつ)たり 其の色は淡(あわ)し〕 菊花凋後見茶花〔菊花(きくか)の凋後(ちょうご) 茶花(さか)を見る〕 (鴎外の父、静男が佐倉で苦労したであろうことを想う詩) 雨氣壓車人語濕〔雨気(うき)車(くるま)を圧 (あっ)し人語(じんご)湿(しめ)る〕 車中有客暗愁催〔車中(しゃちゅう)客(きゃく)有り て暗愁(あんしゅう)催(もよお)す〕 阿爺昔日嘗辛苦〔阿爺(ちち)は昔日(せきじつ) 辛苦(しんく)を嘗(な)め〕 此地単身負笈来〔此地(このち)に単身(たんしん) 笈(きゅう)を負うて来たり〕 (漢詩2首の読みは、陳生保氏の『森鴎外の漢詩 上』を引用) 佐倉は繁華ならねど宇都宮に優ること三つあり 俗の淳朴成る食饌の精き娼妓なき是れなり 十六日、晴れたり車を駆りて寒川に至りこれより汽船に乗る」 9月23日 昨日の続き。(鴎外と佐倉 2) 森鴎外が第一大学区医学校(現東京大学医学部の前身)を卒業したのが明治14年であった。この年の12月、陸軍に入り、陸軍軍医副(中尉相当)に任ぜられる。 陸軍に入って初めての休暇が翌年の正月早々にとれると、鴎外は、旧佐倉藩士依田学海の家を訪ねた。その様子を学海は日記に残す。この日記は、『学海日録』(岩波書店)として刊行されている。 日記には「七日。朝くもり、森林太郎来る。近頃陸軍軍医副となる。年未だ十七、八に過ぎず。才子だといわれている。私が墨水にいたときに、その父静男から治療を受けたことがあり、縁をもって、文章を添削したことがあった。 質実にして飾らず、心に本業をつくす。末たのもしき若ものであった。今日は陸軍はじめての休暇という」と記す。 鴎外は、このとき21歳であった。学海は、鴎外に漢文を教えたことがあった。二人の縁も書かれている。鴎外は、後に「ヰタ・セクスアリス」という小説に、学海から漢文を習った話を記している。(つづく) 9月22日 N・Tさんから佐倉本情報あり。(鴎外と佐倉 1) 陳生保『森鴎外の漢詩 上』(平成5年6月 明治書院) 明治15年11月12日、森鴎外は印旛沼を渡し舟で瀬戸から萩山に渡り、人力車で佐倉新町にやってきます。 このとき鴎外は漢詩(七言絶句)を2首つくりました。その詩は、現在、湖畔荘跡に建てられています。この詩の解説が本書にあります。 1首は、荒れた畑の中に、茶花(山茶花か)のはげしい香りを感ずるというもの。もう1首は、湿気のある車の中で、鴎外が父を想うもの。 鴎外の父森静男は佐倉の順天堂で西洋医学を学んでおり、そのときの苦労を思い出している。また、鴎外に漢文を教えた人が佐倉藩士依田学海であり、その鴎外が佐倉に寄せる漢詩となれば一層の感慨がわきます。 9月13日 明日、人前で話すことがあり、ここ数日、話す内容の流れを考えたり、レジメづくりに追われています。 そのためホームページの更新は疎かになっています。 9月2日 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」11、12を掲載しました。 9月1日 満開佐倉文庫の例会を10月8日(土)、午後に行います。司書さんで参加したい人はメールをください。 8月31日 8月の訪問者(アクセス)数を入力しました。 8月の訪問者数は、1507人。 一日平均 48.5人でした。 8月30日 郷土の新刊案内「平成16年」「平成17年」を更新しました。 8月19日 さて、ホームページ上で、どのように読書普及事業をやろうかと考えましたが、なかなかアイデアが浮びません。まずは、「佐倉が出てくる本を読んで」とかの感想文などが、良いのではないかと思います。 これについては、すでにみなさまから佐倉本情報をいただいたときに書かれていますので、整理の方法を考えればできるのではないかと思います。作業的には今日、明日というわけにはいきませんが、半年先ぐらいの時間で考えてみます。 8月17日 満開佐倉文庫はホームページ上の図書館ですが、年に1回くらいはホームページ上で講演会でもやってみたいですね。それから、読書普及事業とか、・・・そのようなことがホームページでできるものかわかりません。わかりませんが、何か面白そうじゃあ、ありませんか。とまあ、毒にも薬にもならないことを考えています。 しばらく、このテーマで「だより」の文章を埋められそうです。 8月13日 朝は雨でしたが、ほとけ様を迎えに行くころには陽があがりました。お寺で知人とすれ違い、同じお寺の檀家であったと知りましたが、あとはいつもの風景でした。 8月12日 トップページ、「満開佐倉文庫だより」の行間を広げる。 8月7日 N・Tさんより佐倉情報をいただく。 本日の朝日新聞朝刊、「天声人語」に印旛沼花火大会が中止となった話が掲載されていました。ご覧ください。 8月3日 駕籠舁さんからメールあり。 司書資格いただけるのでしたら有難くお受けいたします。 名前は駕籠舁で登録をお願いします。 <返信> さっそく司書になっていただきましてありがとうございます。 駕籠舁さんで、満開佐倉文庫の司書さんは、ちょうど30人になりました。これからよろしくお願いします。 8月1日 7月の訪問者(アクセス)数を集計、入力する。 合計 1415人 1日平均 45・6人 でした。 7月30日 データーベース「満開佐倉文庫の本棚」入力作業員、友人のTさん、Kさんに声をかけていただきまして数人集まりました。満開佐倉文庫の「入力員」として、お手伝いをお願いします。 7月27日 Kさん、Tさん来訪。『電子図書館 満開佐倉文庫』に掲載してある「満開佐倉文庫の本棚」を、データーベース化する基本作業をお願いする。司書さんの中で、パソコン入力をお手伝いできる方がありましたら連絡ください。 7月25日 館主の都合により、8月27日に行う予定の司書研修会を中止いたします。楽しみにしていたみなさん、申し訳ありませんでした。次回、秋ごろに計画します。 7月22日 本日、訪問者のカウントが40,000人を超えました。いつも当ホームページを訪れてくれるみなさまにお礼申し上げます。これからも、読みやすく内容の充実したホームページづくりをしていきます。 Y・Tさんから、大和和紀の漫画『にしむく士』3巻、4巻、5巻を寄贈していただく。漫画の主人公は佐倉がふるさとという設定です。私が、ホームページの「佐倉ゆかりの漫画」という項目で、3巻を持っていないということを書いておきましたので、それを読んだというのです。ありがとうございました。 7月21日 知人が訪ねてくる。 佐倉(志津・印旛沼)が舞台となって、今、上映されている「アイシュタインガール」について話す。 また、女優奥菜惠の写真集に佐倉で撮影されたものがあるので紹介する。宮小路に名前のない坂があるが、ここで奥菜惠が撮影されているので「めぐみ坂」と名付けたらどうだろうかと話す。満開佐倉文庫で認定しても良いんじゃあないかと思う。今度の例会に提案してみよう。 7月15日 昨日から本日にかけてのお客様は113人でした。一日の来訪者の記録を更新しました。ありがとうございます。 7月14日 司書研修会を8月27日(土)に行います。詳細は調整中。 知人のバリトン歌手影山清さんが、習志野文化ホールでファイナルコンサートを開催します。日時は8月22日(月) 13時開演。チケット 2,500円。問い合わせ 046−866−3201 7月13日 Kさんが、「利根川印西文庫」を開設しました。印西本を紹介しています。 たいへんにきれいなページです。ご覧ください。 それから、電子地域文庫が2つになりましたので、電子地域文庫連絡会を設立しました。将来は、電子地域文庫連絡会で地域の本を探せる横断検索ができたら良いなあと考えています。みなさまの中で、地域の図書を紹介しているホームページがありましたら相互リンクしませんか。 7月12日 今年の夏休みの目標は、『満開佐倉文庫』に掲載してある「満開佐倉文庫」の本棚の書名を、ホームページにアップできたら良いなあと思っています。 これはKさんからの提案が発端でした。みなさんに佐倉本情報の提供を呼びかけていますが、実際にどのような本がすでに把握されているのか、本を見ないとわからないというのは不便です。 また、出版後も、みなさんから佐倉本情報をいただいていますので、合わせて掲載できたら良いなあと思っています。現在は作業準備をしています。それから、この作業は8月いっぱいかかると思いますので、ホームページの更新まで手が回らなくなると思います。 しばらく変わりばえのしないトップページとなりますが、このような作業をしていますのでご理解ください。 司書のみなさんに、お手伝いいただきたい作業が生まれましたら声をかけます。 7月10日 トップページをリニューアルしました。 気分も新たに更新をしてまいります。 7月7日 昨日、ホームページに不具合あり。トップページが真っ白になり、画面が表示されなくなる。何が原因で画面が表示できなかったのかわからずに仕事に出かけました。帰宅して原因を探した結果、トップページを掲示しているプロバイダーのホームページ許容量が限度を超えてしまったということがわかりました。 さっそく、もう一つ入っているプロバイダーに少しデーターを移行しましたので修復できました。 7月6日 黒田碧さんの連載小説『城下町慕情』7月号をアップしました。 ご覧下さい。 7月5日 『満開佐倉文庫』に紹介した佐倉本と、これまでみなさんからいただいた 佐倉本情報を整理したいと思っています。 どのように整理しようか考えていますので、しばらくはホームページの更新 は疎かになると思います。 ご理解ください。 7月3日 郷土の新刊案内、平成16年度、平成17年度を更新しました。 2ヵ月ごとに、みなさんからいただいた情報を整理する。 情報を整理していると、せっかくいただいた情報を確かめて いなかったり、読んでいながら書き忘れているものもあった。 反省。 7月1日 月別集計の訪問者(アクセス)数を更新。 6月の訪問者(アクセス)数は1187人。一日平均39.5人。 6月29日 8月に例会を行いたいと思っています。 案は決まりしだい掲載しますので、上段の【司書さんへおしらせ】を、 ご覧ください。 6月16日 飛鳥さんからメールあり。 5月14日に紹介されている佐倉本で「写真でみる民家大事典」をとても興味深くよみました。写真が多く、行ってみたいところが沢山ありました。 この本で、57ページの「板戸」の説明に使われている写真が『千葉県佐倉市』の民家です。どこのお宅の『帯戸』なのでしょか?知っている方は教えてください! それから横浜開港資料館に行ってきたのですが、2階にヘボンの妻の手紙が掲載されており、そこに林董の話がありました。董は、とても英語ができる子であったというものです。 今度、司書のみなさんと佐倉関係の資料を訪ねたりする歴史・文学散歩がしたいですね。 <返信> こんばんは。 私もわかりませんので、ホームページで呼びかけてみます。 また、司書のみなさんとどこかに出かけたいということですが、まずは 近場からやってみましょうか。Kさんは万葉集に詳しい方なので、印旛沼周辺の万葉集めぐり、というもの面白そうですね。 また、はねいガーデンにおじゃまするのも良いですね。夏休みになったら考えましょう。 司書、友人のみなさまへ。歴史散歩の計画ができましたら「満開佐倉文庫だより」に掲載しますので、こまめにご覧ください。 6月7日 七つの子さんが、これまでホームページ「九十九里の里山」に掲載していた「佐倉古写真」を切り離して、新たなホームページ「佐倉写真帖」を開設しました。さっそくリンクさせていただきました。下段をご覧ください。 さらなる発展を期待しています。 黒田碧さんの連載小説「城下町慕情」を更新しました。いよいよ、佐倉高校の生徒で主人公の彰と玲子が入学式で出会う場面です。ご覧ください。 6月6日 満開佐倉文庫を開設して5年を過ぎました。 いつもなら、「心新たに」と思うところですが、あまり感動が沸きません。私にとって、ホームページの更新は日常的なものになってしまったからでしょうか。また恥ずかしげもなく、「満開佐倉文庫館主 亀田雄岳」の名刺も出してしまいます。 このところ晴れた日には生垣の刈り込みや、野菜苗の植え付けをやっており、読書が進みません。みなさまのご支援、ご協力をよろしくお願いします。 6月1日 月別集計の訪問者(アクセス)数を更新。 5月の訪問者(アクセス)数は1476人。一日平均47.6人。 なお、郷土の新刊案内は2ヶ月ごとの更新ですから、来月に更新をします。 5月26日 Kさんからメールあり。 先日のオフ会の後、司書の方から佐藤雅美さんの『八州廻りー』に木下が出ていると教えていただき、帰りにブック・オフで見つけ、その日のうちに読みました。さすがにみなさん、よく読んでいるのだなと感心しました。こうして教えていただければ、助かります。 教えてくださった方は、昨年もオフ会で一緒に話した人です。 「利根川印西文庫」の名前で作ってみたいと思います。こうした地名情報から本を探せるようにするというのは、実は出版社や作家の宣伝上のメリットもあるのではないかと思いました。いろいろやりたいことは多いのですが、「利根川印西文庫」は、7月に入らないと手を付けられないかもしれません。 <返信> おはようございます。 メール、遅れまして申し訳ありません。18日〜20日まで、奈良と愛・地球博に寄ってきました。 利根川印西文庫、気に入っていただけてありがたいです。これも一案ですから、良い名前があったら考えてください。 5月25日 Kさんにメールを送る。 こんばんは。 電子地域文庫連絡会のことを漠然と考えています。 印西市の地域本探しに少し手間取っていると以前お聞きしまして、漠然と考えたことがあります。Kさんが一人で探すのが大変なら、満開佐倉文庫の司書さん28人がお手伝いできないかと思いました。 つまり、読書好きな人は、いろいろな本を読んでいます。その中には各地の地域本に出会いながらも読み過ごし、ただ佐倉本を選んでいるに過ぎないのではないかと思いました。ですから、司書さんに「印西本」という意識をさせれば良いのではないかと思いました。こう考えれば「千葉本」であろうと、「銚子本」であろうと、司書さんが地域を意識すれば探せるのではないかと思ったのです。 司書さんが手伝えるようにするのはどうしたらよいか。それには、司書さんが気軽に手伝える環境を整えることです。それは、まずKさんのホームページに「印西本情報」と「司書資格」項目をつくります。内容は私の文と同じで結構です。 また、私のホームページにも「印西本情報(あるいはKさんの地域文庫名)」項目と、「印西本情報連絡先」項目をつくり、そこを開くとKさんのページに飛ぶようにします。司書さんが印西本情報を私のホームページを経由してKさんに連絡し、Kさんが認定をして「印西本情報」に掲載するだけです。 それを、私のホームページでも見られるようにすれば、司書さんは気軽に手伝えると思いました。 そのうちに印西市でも興味のある人が出てきて、直接、Kさんのホームページに情報を提供するようになり、独自に展開できるようになるのではないでしょうか。 また、私のホームページにも各地の地域本が集約できるのではないかと思いました。そのようにしていけば、やがて電子地域文庫連絡会ができるのではないかと思います。いかがでしょうか。 なお、Kさんの地域文庫は「利根川印西文庫」などで、どうでしょうか。ただし、利根川といっても地域限定と断ればよいと思います。 5月24日 黒田碧さんから、手紙をいただいてありました。 オフ会に出席できなくて申し訳ありませんでした。充実した1日だったようですね。着実に活動を続けていくことこそ、成果につながるのだと思っています。 それと共に、みんなの力の結集もすごいもんだと思いました。次回のオフ会を楽しみにしています。 *みなさんからのメールが溜まっていまして、少し、時期が過ぎた紹介となってしまいました。申し訳ありません。 5月18日 七つの子さんからメールあり。 こんばんは。ご無沙汰しています。オフ会、ご盛会だったようですね。参加できなくて残念です。次回はぜひお伺いしたいと思います。 私のホームページをご覧頂き有難うございます。樹木の花は目立ちませんが、何か心惹かれます。 どんぐりの成る木はシイ、カシ、ナラ類など結構ありますね。千葉県あたりでよく見られるのは、スダジイ、コナラ、アカガシ、シラカシ、クヌギ、カシワなどでしょうか。子供の頃、シイの実は食べましたが、他のドングリはお腹をこわすと言われて食べたことはありません。 館主さんはいかがでしたか? <返信> こんばんは。 私もシイの実は食べましたが、ドングリは食べたことがありません。我が家にはカシの木があり、これが実をつけますので、これをドングリだと思っていました。ですから、写真の木(花)とずいぶん違うなあと思いました。でもドングリって、シイ、カシ、ナラ類になる実の総称だったんですか、一つ勉強になりました。ありがとうございます。 なお、七つの子さんのホームページは、「九十九里平野の里山から」で、ここには佐倉の祭りの古写真が掲載されています。最近、更新されましたのでご覧ください。私のホームページ、下段にある「佐倉古写真館」から飛ぶことができます。 5月17日 ホームタウン佐倉さんからメールあり。 こんばんは。先日のオフ会の節は二次会ともども大変ありがとうございました。すぐにお礼のメールを差し上げなければならないところ、直後の5月9日〜13日まて゛北海道・稚内駅(最北端の駅)から「スーパー宗谷」に乗車、札幌で「トワイライトエクスプレス」に乗り継ぎ日本海沿岸を南下。大阪からは「のぞみ」で博多へ、さらに「リレーつばめ」「つばめ」「なのはなデラックス」の各列車に乗り継いで,鹿児島県・西大山駅(最南端の駅)まで47時間(途中車中および山川に各一泊)の鉄道での北から南へ列島縦断の旅を楽しみ、さらに九州で 遊んでいました。そのため一週間不在でしたので、ご返事が遅れました。ご了承ください。 ところて゛司書の皆様のメールを拝見しますと会合は非常に好評のようで誠に結構でした。館主様の企画力の賜物と思います。実はホームタウン佐倉の出番ばかりで、話は面白くないし、つまらなかったとの抗議がメール上に氾濫するのではないかと危惧していましたが、寛容な方が多く、お叱りもなく、安心しました。 佐倉駅が香椎駅に化けた話は、館主様のご推察どおりと考えます。西鉄香椎駅の踏切ロケがあったのですから、現地で撮影したことは間違いなく、おそらく国鉄香椎駅のロケも同時に行われたのでしよう。しかし監督のイメージに合わず、佐倉駅で再ロケしたのでしょう。当時の国鉄香椎駅写真は、手元の蔵書にも掲載はなく、心当たりを捜してみます。 <返信> すごい列車の旅!数日間で日本列島を縦断できるものですね。季節の違いも肌で感じることができたものと思います。 オフ会は好評だったという話をみなさんからいただきました。やはり、映画の場面はメールでは、なかなか理解できないものがありますから、良かったようです。またホームタウン佐倉さんの鉄道の話も、たいへんに好評でした。ありがとうございました。 佐倉駅ロケのこと、やはりそうですね。香椎駅と佐倉駅がイメージでつながるものが出てくると面白いですね。楽しみにしています。 5月15日 Kさんからメールあり。 先日のオフ会、参加させていただき、ありがとうございました。ところで、yahooに私は入っていますが、そのHPはgeocitiesとなっているのですが、容量が300MBに昨年末から増量されました。ですので、たとえば写真などは今までかなり圧縮していたのですが、今ではあまり気にしなくて良くなりました。それで一新しようと思っているのですが、館主さんのところがずいぶん容量が小さいのだなと、オフ会のお話で思いました。あるいは、もう増量されているかもしれないと思いましたが、いかがでしょうか? <返信> そうですね。Kさんのプロバイダーと比べてみると、私の容量はかなり小さいですね。でも、一度入ってしまうと、ほかのプロバイダーに、なかなか変更できませんね。アドレスが変わってしまうと、相互リンクをしているみなさまにお手数をわずらわせてしまいますからね。ま、今は継続して、この容量が満杯になるまで入力してみます。 昨日、駕篭かきさんとお会いする。しばし、オフ会の話となる。駕篭かきさんは、今回始めての参加でしたが、オフ会に良い印象を持たれたようでした。これからも、よろしくお願いします。 5月12日 Tさんから手紙をいただく。先日のオフ会は、たいへん面白く、愉しい一時を過ごさせていただきました。パソコンが使えませんので、お手紙を差し上げます。 Iさんから。 先日は、たいへん興味あるお話を聴かせていただきましてありがとうございました。また、企画してください。 Mさんから。 初めて参加しましたが、満開佐倉文庫の活動って面白いですね。 なっちゃんから。 楽しいお話を聴かせていただきましてありがとうございました。 飛鳥さんから。 一年に一回くらいは、このようなお話も良いですね。 Nさんから。 面白かったよ。 Yさんから。 先日は、ありがとうございました。とっても勉強になりました。 5月11日 ここ数日、オフ会を終了した心地よさが残っています。メンバーは、昨年は10人の参加者、今年は16人の参加者でしたが、昨年と同じ人は5人しかいませんので、半分以上の方は、お互いに「あの人は誰?」であったり、「あれ、あなたもいたの」という関係であったと思います。 今年から個人情報保護法が施行されましたので、自己紹介もやらず、ホームページ上で使っているハンドルネームも紹介しませんでした。 ですから、ホームページの司書Aさん、Bさんがオフ会に参加されているにもかかわらず人物特定ができません。司書としての発言と、人物がつながらないという不思議な(ふっわっとした心地よさのある)オフ会でした。 5月10日 黒田 碧さんの連載小説『城下町慕情』を更新しました。佐倉高名物の「一高節」が出てきます。 5月7日に行われたオフ会の記録は、下段「満開佐倉文庫の事務室」項目にある、「満開佐倉文庫資料室」(クリック) → 「オフ会の記録」(クリック)に収録しました。 5月8日 駕篭かきさんからメールあり。 館主 様 オフ会に初めて出席させていただき有難うございました。映画の話、漆坂の話、たいへん興味深く拝聴しました。満開佐倉文庫の決まり事についても、直接館主さんからその考え方を伺ってよく理解できました。小生は、今日お話された皆さんのように豊富な知識や才能は持ち合わせておりませんので、たいしたお役に立てませんが、これから読書する際には常に佐倉を意識しながら読み進めて行こうと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 <返信> 本日は、みなさまの協力をいただきまして楽しいオフ会ができました。駕篭かきさんの、お知り合いも何人かいらっしゃるようでしたね。これからも、時々、企画をしますのでご参加ください。 八谷衣人さんの、『さくら・しゃべくる・くろにくる』を更新しました。 5月7日 八谷衣人さんよりメールあり。 亀田雄岳 様 こんばんは。GW、いい天気が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。 さて、オフ会、出席の連絡も差し上げず、失礼致しました。今更ですが、ちょっと予定が立て込んでいて、出席は厳しいです。残念ですが、司書の皆さんに、よろしくお伝えください。お詫びといっては何ですが、GWを利用して歴史レポートをまた仕上げましたので、少しでもお楽しみいただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。なお、第W話でとりあげた日露通好条約が、「通交条約」になってました。あわせて訂正をお願い申し上げます。 〔第X話〕 彰義隊士木村隆吉伝(1) 洋学修行編は、『さくら・しゃべくる・くろにくる』に収録しました。 <返信> こんばんは。 了解しました。みなさんに伝えます。次回にお会いしましょう。 原稿いただきました。私も興味のある人物ですので、楽しみにしています。第W話、「日露通好条約」に修正しました。 5月6日 連休期間中、ホームページを更新しなかったにもかかわらず、毎日30〜50人が訪れてくれました。ありがとうございます。 佐倉データーハウスにある「映画」の項目。新藤兼人監督の映画「鬼婆」を入力しました。 7日のオフ会、予定通り行います。 今月より「日記」と「佐倉本情報」は、(2)に収録していきます。 5月1日 4月の月別集計入力。 訪問者(アクセス)数 1531人 一日平均51人。 郷土の新刊案内 平成14年、平成15年、平成17年 更新。 なお明日(2日)から5日まで、満開佐倉文庫も連休に入りますので、更新はありません。 トップページ |