ホームページ作成日記 

私がホームページをつくった当初の日記です。今思えば、つまらないことを考えていたものですが、これからホームページをつくろうと考えている人にとっては、このようにやると失敗するのかという参考になるかもしれません。ご笑覧ください。


2000年
  7月1日
 「印旛沼フォト・ギャラリー」を立ち上げて1月たった。6月中は、友人に「ホームページ作ったから見てね」と、メールを送った。そして、その返事が返ってきた。  友人とは、それやこれやの話となり、ようやくホームページを作ったなあ、という実感が湧いてきた。  さて、本日よりホームページに日記を掲載することにした。何でまた急に日記なのかということだが、どうということはない。何か、ホームページには日記が合うのかなあなんて思っただけである。

7月9日
 ネット・サーフィンをしていると、おじゃましたページが良く見えてくる。秋には、またホームページを更新したいと思う。
 更新方針としては、
 1、トップページを、もっとハデハデに作ろう。
 2、一目でわかる更新日を作ろう。
 3、リンクを貼ろう。
 4、項目を多く作るから、どれが写真で、どれが文章なのかがわかるようにしよう。
 5、文章系を充実させよう。
というところである。あれ、ホームページを立ち上げて1ヶ月で全面更新となりそう。

7月10日
 ホームページ更新のおしらせです。  来る9月、ページをボリュームアップします。プロバイダーに入力したデーターを送 る接続作業は、数時間かかる予定です。前回、このホームページをプロバイダーに送る のに、7〜8時間かかってしまいました。  データーを送り始めた当初は、接続は3時間かかるとパソコンの画面に出ました。と ころが、時間を経るごとに接続時間が減るどころか、逆に接続時間が増えていくとい う、なんとも理解しがたい状況になり、しまいには、接続に「日と4時間」かかると 出ました。そこで、もう「かってにしろ」と、そのまま寝てしまいました。すると、翌 日、接続が完了していました。だから、よくわからないのですが、接続に7〜8時間か かったと思います。今回は、これほどではありませんが、全面的な更新をしようとして いますから、やはり時間がかかると思います。

7月18日
 友人からメールあり。ホームページに掲載してある写真の画像を大きくしなければ、壁紙に使えないという。  確かにそうであるが、直そうにも、データーを保存しておかなかったため、もう1度、1から作り直さなければならない。これは、ノートパソコンの容量が小さかったため、作成したデーターを削除してしまったことによる。 やはり、画像を大量に使う作業はデスクトップが良いかなあと思う。

  7月20日
 猛暑。夜も引き続きアチチチチ。トップページは画像で作ってあるため、更新に手間取るが、その他の小項目はHTML文章で作成してあるので直していこう。

7月23日 
 今日も暑い。図書館に行き、ホームページに掲載する資料を探す。写真だけでなく、佐倉関係の図書も掲載しようと考えているからだ。

7月24日
 ネット・サーフィンをしながら、私のホームページを考える。当初、フォト・ギャラリー1本で行こうと思ったが、とにかく、負けそう。それに、こまめに写真を更新できない。はっきり言って、今は写真を撮っていないのだ。  また、写真を撮れても、人様に見せられる写真を続けては撮れそうもない。ま、そのようなことを考えると、私のホームページは写真だけでなく、図書の部門を厚くして作っていこう。

7月25日
 大雨。夜は過ごしやすい。図書関係のパソコン入力作業を行う。ただし、更新したデーターはプロバイダーに送らない。秋に全館展示変えと行きたいからだ(これが大失敗)。

7月26日
 雨。時々大雨。夕方、止む。図書関係のパソコン入力作業が続く。ほとんど先が見えない作業。1歩進んで、2歩修正。

7月27日
 いつのまにやら、私のホームページを訪れた人が200人を超えていた。そういえば、100人の大台に乗ったのは、いつだったっけ。夢中であったため、すっかり忘れていた。

7月28日
 新ホームページ入力中。少し作ると、少しイメージができてくる。すると、昨日作ったページを修正しなければならない事態となってしまった。作業が後退する。

7月29日
 新ホームページ作りにとりかかって1か月が過ぎようとしている。現在のホームページを作るのに約3か月かかっているから、ぼちぼちのペースだろう。  今日、更新した文章がパソコンの中で、どこかに行ってしまった。そのようなパソコンの知識で、ホームページをつくっているのだから、1か月が過ぎたといっても、作業ペースはたかが知れている。

7月30日
 佐倉関係の図書検索を作ろうと思っているので、図書館で資料を探す。

7月31日
 自宅で佐倉関係の図書を探す。本は散らかしっぱなしで、どこにあるのかわからないことが多い。

8月1日
 今日も、天気はアジジジジ、であった。ホームページ画面のフレームづくりをする。参考書に従って入力していくと、フレームが作れた。へー、こうやるとできるんだ、と1人で感心をする。

8月2日
 画面の第2層にフレームづくり。左の画面には印旛沼の写真、右の画面には撮影時の話や詩を掲載した。  *秋にフレームのページを掲載したが、ホームページの容量がなくなってきたので削除。

8月3日
 新ホームページの概要が固まってきた。印旛沼だけでなく、佐倉関係の図書も入れたい。そうすると、どうも、「印旛沼フォト・ギャラリー」では名前が収まりそうもない。 新しいホームページの名前はどうしようか。うーん、考えてしまうなあ。  私がかってに使っている満開佐倉文庫が良いか、五房花文庫が良いか。対外的には五房花文庫が聞こえが良いが、ホームページにすると、やはりマイナーな印象である。かといって、 満開佐倉文庫では、おふざけが入っていると思われそうである。などとあれこれ考えた。
 いずれにせよ、ホームページの内容は図書を厚くするが、ホームページを訪れる人にとっては図書が好きな人ばかりでなく、もう少し幅の広い層に覗いてもらいたいと思う。 その辺のところを考慮して、「佐倉と印旛沼」が良いかもしれない。この文字を入れておけば、佐倉か印旛沼を検索すれば、私のホームページがヒットするだろう。そして、 「佐倉と印旛沼」ってどんなページか、などと覗いてくれる確率が高くなりそうだ。  でも、そうすると、またトップページから作り直しか・・・。なにか省略できる方法はないか、など考える。

8月4日
 1日考えて、やはりホームページは「佐倉と印旛沼」でいくことにした。本来は、文庫と写真が主体であるが、私の文庫のテーマが佐倉と印旛沼の本を集めることだから、外れていないだろう。 うーん、そうするとまたトップページから同じことの繰り返しと、新規画面を考える作業をしなければならない。いやになってしまう。

8月5日
 入力作業。あれ、もうトップページの作り方を忘れている。何だ、何だと参考書を広げる。

8月6日
 あぢあぢあぢ。今日も、猛暑。トップページが完成する。このトップページに、リンクを張り直す。トップページが決まると、全体の構成が見えてくる。これから、各ページを作り直す作業に入る。

  8月7日
 各ページを直しているが、なかなか終わらない。リンクの張り忘れもあり、何度も繰り返している。日記を書くどころではない。

8月10日
 入力作業は、順調であるが、今度は入力する材料不足になる。資料を読みまくり。

  8月11日
 本日、猛暑。グデグデの1日であった。本が足りず、夜、図書館に行く。佐倉の図書館は、夜の8時まで開館しているのだ。夏休みとあって、受験生が残っている。受験生の脇に座り、 印旛沼関係の本を読む。印旛沼関係の図書を検索し、必要な本を借りる。そして、読みまくり。

8月12日
 今日も、素材集め。本を読みまくる。

8月13日
 今日は、お盆。お盆の入りにはめずらしく、雨が降る。入力材料ができたので、また、入力を開始する。お、またまた、パソコンのやり方を忘れる。 そんなに忘れるようであるなら、このページ「ホームページ作成記」であるが、「中年のホームページ作成記」と変更した方がよいのではないかと思う。 いや、実際は「中年のホームページ挑戦記」である。そう、いつまでも挑戦しっぱなし。初級の技能習得まで行けないのではないかと情けなくなる。

8月14日
 昨日、「中年」と書いたが、それより、「50代のホームページ挑戦記」とか、「団塊の世代のホームページ挑戦記」とか、「定年前のホームページづくり」とか、・・・あまり変わらないか。  とにかく、パソコンの操作をすぐに忘れてしまうのだ。

8月15日
 私のホームページに、気に入った人のホームページをリンクさせたいと思う。で、どうやったらいいのだろう。まずは、リンクを貼りたいホームページに、 「あのー、貴ホームページがかっこよいので、是非、私のホームページにリンクさせてください」 などという、メールを送るのだろう。そうしたら、相手の人は私のホームページを見て、メールが帰ってくるのだろうなあ。 実際、このような方が多かった。私もリンクを依頼されればそうする。だから、自分のホームページをある程度充実させたり、 方向が明確になってからリンクをお願いするのが良いだろう。やはり相手には、「このホームページはどうなってるんだ」と不安にさせないことである。

8月19日
 リンクのお願いを始める。

8月20日
 リンクの快諾が帰ってくる。その早さに驚く。何か、これまでは情報を発信したり、ホームページを見るだけの1人相撲のようであったが、 ようやく双方向のホームページに参加したようだ。でも、私は無精だから、ちょくちょくメールを開いていない。今日は、気になったから開いたが、 普段はメールが届いても、10日近くはごめんなさい、になってしまいそう。

8月21日
 新しいホームページ作りも、残すところ数画面となった。残った画面の1つが、この作成記である。これをどのように変えようかと考えている。 でも、あまり凝ったら、入力するのがめんどうになるだろう。かといって、今のままでは字巻物(絵巻物)のようだし・・・。  それと、少し考えているのだが、どうも、記述の時間的流れとパソコンの掲載は逆方向で、読みづらいものがある。確かに、パソコンは横書きのために 新しい記述が上になるのはわかるが、その話の発端はどこに、となると、下へ下へと画面をスクロールしながら読み下がっていかなければならないのだ。 それも、どこまで下がればいいやらわからない。そして、ようやく、話の発端を見つけ、また、下から上に読み直す、という目線の作業を繰り返さなければならない。そして、 「ふーん、この話はそうだったのか」 と納得する。つまり、記述を度読みしなければならず、しかも、その1回は、文章の終わりから逆さ読みをするのである。  推理小説なら、最初に犯人がわかってしまうところから読み始めるようなものである。

8月22日
 残暑。少し、作業に余裕ができる。相互リンクの快諾があり、「お楽しみリンク集」もできそうだ。

8月23日
 残暑。一度、涼しさを経験すると、また、この暑さがこたえる。熱帯夜。ホームページを、かっこよくするために、バナーを作ってみようかと思う。  ホームページに、 「これは、私のホームページの商標登録です」 というような長方形のマークがついたものがある。それぞれ自分のホームページを主張するデザインをしており、1目で誰のページかがわかるようなマークである。 ホームページではバナーという。ところで、バナーってどう作るんだろう?

8月24日
 今日も残暑。本日のテーマは昨日に引き続き、バナー。まず、バナーにはどういうものがあるのだろうか。よくできたホームページにおじゃまし、リンク集を眺める。 ふーん、あるある。きれいなもの、あっと驚くもの、さすがと思うもの、とにかく目立つものなど、いろいろ自己主張している。  で、どうやって、このように作るのだろうか。今の私の技量からすれば、まず、動きのあるものは作れない。それに美的センスなしであるから、とにかく枠をつくり、 その中に文字を入れて、それらしいものを作ってみようか、というところに落ち着く。 そして、 「つくるところに意義があるのだ」、 となんだかわからない理屈をつける。でも、1度作ったら、ちょくちょくは変えられないだろう。変えたら、相互リンクをしてくれた人が、また新しいバナーに変えなければならず、 手を煩わせることになる。  それに、会社でもそうだが、看板をちょくちょく変えるようでは、信用がなくなる。

8月25日
 そろそろ、ホームページ・アップの日取りを考える。アップの日取りは、やはり大安吉日がよい。近ごろは、仏滅、仲人抜きというのもあるが、ここは厳かに、2カ月の成果をお披露目したい。 しかも、できればうやうやしく、更新式を執り行うくらいの、寛容性を持ちたい。  さて、9月の大安といえば、1日と7日である。残りの作業は、もう1度、画面の細部をチェックし、最後にバナーを貼り付けること。 その作業が、今週中に終われば1日、できなければ7日にアップさせたい。

8月26日
 残暑と湿気。ぼーっとする1日であった。 第2回印旛沼撮影会実施。わが写真同好会で撮りたい人は参加のことというメールあり。誰が3加するかわからぬが、朝の4時半までに、印旛沼に行く。  沼は、まだ真っ暗。誰も来ていない。おいおい、誰がこんなメールを出したんだ。やがて空が白み始めた。1人で沼を撮り始める。 しばらく撮っていると、向こうの土手から手を振っている人がいた。あの体型からすると、Aさんだ。私は、Aさんに集合場所はどこだったっけ、と確かめる。 すると、Aさんも、ここいら辺かなあ、ぐらいであった。  朝陽が昇ったので、場所を変えることにした。今盛りの、ハスが咲いている場所だ。この場所に来たら、土手の上で写真を撮っている人がいた。 お、仲間だ。やはり、彼も集合場所がわからなかった。時間遅れで、メールを送った幹事がくる。「寝過ぎてしまった」という弁。ま、いいか。ともあれ、本日の3加者4名。

8月27日
 厳かに執り行おうとしているホームページ更新式の概要。今回の更新は、外見5割の更新であるが、実質は4割の新規項目増と、1割は、壁紙を張り直してリフォームした、という感じである。  ところで、更新式の主催者であり、事務局であり、担当者である私は、その式次第を考えなければならない。順調にいけば、9月1日の更新にしたい。 ま、普通は出席者に配慮して、式典開始は午前10時であろうが、招待者0、参加者0、主催者1、会場の準備ほとんどなし、となると、10時ではなく、カウントダウンのように、 9月1日午前0時に、アップという形が望ましいのではないかと考える。別に誰が見るというわけでもないが。  しかし、ここで1つ問題が生まれた。プロバイダーに、いつ送り始めたら、9月1日の午前0時に完了するかわからないのである。 つまり、最初にホームページを立ち上げたときには不覚にも、途中で眠りこけてしまったのだ。  前回、7〜8時間かかっている。だから、今回は倍の時間がかかるのではないかと思っている。いろいろと、時間配分を検討した結果、 「大体、9月1日ごろ更新してっからね」 という軟弱な合意に落ち着いた。また、式次第は、1つだけ、転送するボタンを押せばよいことにした。これは、他にすることがないという理由からである。 よく、このようなスタートのボタンを押すときには「点火」とか「点灯」とかいわれるが、プロバイダーに送るときは何というのだろうか。そうだ、「点送」にしよう。 もっとも、それほどの更新内容か、と問われると、それほどのものではないが。  今日も、うんざりするほどの残暑であった。

8月28日
 本日、点送作業を開始する。時に、夜9時30分。夜中になっても、画面に入力済何%を示す青いバーが出てこない。ソフトをパソコンにインストールするときに、 出てくる青いバーである。少し、いやな予感がする。寝る。

8月29日
 午前5時、6時を過ぎても、入力作業が終わらない。午前8時過ぎ、画面に×印がでる。 「FTPファイルで、置き換えられないものがある」という、メッセージが表示され、入力が切断されてしまった。おおおおおお、である。  それに、トップページの題名がめちゃめちゃじゃ。修正前の「印旛沼フォト・ギャラリー」という文字が現れ、しかも斜めに歪んでいる。何だ、こりゃあ。 どうしよう、どうしよう。夜、画面をいじったが、全然だめ。あの、更新式にかけた意気込みは何であったのか・・・。  (これは、後にキャッシュという記憶残像と教えてもらう。インターネットで同じページを覗くと、2回目につなぐ時間が短くなる。 これは機械が記憶していてくれているためであり、それをキャッシュという。私はそのことを知らなかったため、修正したデーターが送れないと勘違いしていたのだ。 さらに残像が歪んでいたため、慌ててしまった。)

8月30日
 1日寝ても画面はめちゃめちゃ。友人に何とかならないかと連絡する。

8月31日
 今日もトップページが直らず。本来なら「佐倉と印旛沼」という画面になるはずなのに、まだ「印旛沼フォト・ギャラリー」が歪んで出る。送信の仕方が悪かったのかと、 もう1度、プロバイダーに入力データーを送る。
 夜、指差し確認、順調。
 深夜、ちょと見の確認、順調。
 朝方、寝ぼけながら確認、順調。
 ところが、画面に入力済みまで「5日と1時間」と出る。
 えっ、冗談だろう?もう・・・寝る。

9月1日
 朝起きて、「今日こそは」とパソコンを見ると、やはり、画面は「FTPファイルで、置き換えられないものがある」とあり、送信がストップしていた。マックを持つ友人に、 「そちらの画面にはどう出ていますか」 と聞いたが、やはりダメであった。

9月2日
 今日も直りまへん。どっと疲れが出る。私は、ホームページの更新を9月にするといっていたから、そろそろ覗きに来る人がいるのではないかと焦る。 おまけにカウントも出ない。もう1度、打ち直すがダメ。ため息が出る。フウ、フウ、フウ・・・。  そんな中、長野のIさんからメールが届く。Iさんは風景写真のホームページを持っており、すばらしい八千穂高原の写真を紹介している。 メールには、 「いよいよ9月の声を聞き、高原も秋の花がいっぱい咲いています。最新情報で高原の秋を感じていただければと思います。」 ということで、佐久市のコスモス街道に咲くコスモスの花を掲載していた。ありがたい。 さっそく、さわやかな長野の秋を散策した。秋を感じるので、みなさんも1度、ご覧いただきたい。そして、ホームページって、こんなこともできるんだね、と感心。

9月3日
 突然、トップページが治っていた。どうして直ったかはわからない。ただ直ったといっても、私のウインドウズのパソコンでは直ったのであって、友人のマックでは、まだ直っていない。 これは直ったといえるのだろうか。 なお、カウントが表示されないことについては、友人がメニューバーの[表示]→[ソース]を見て、 「亀田さん、英語のスペルが違っています。」 というメールをもらった。私がCとOを打ち間違えていたのだ。おっとっと、である。語学力が出てしまいますね。 さっそく、打ち直してデーターをプロバイダーに送る。  そして、ホームページを開く。 カウントは、いきなり301人目であった。私は、トップページもカウントも変えてしまったから、更新したトップページは、 当然、また1人目からカウントするのかと思ったら、前の数字も加えれてくれていた。 「FTPファイルで、置き換えられないものがある」については、ファイル名がXHTMLになっていたので、これをOTA(何でも良い)HTMLに変えたらという助言をいただき、 そのようにしたら直った。ファイル名は、どうもXではダメらしい。ということで、だいぶ直ってきた。  どうも修理の話は、書いていてもおもしろくない。そりゃあそうだ。つっかえているのだから、文章だってぎこちない。

9月4日
 マックを持っている別の友人に、ホームページを見てほしいとメールを送る。

9月5日
 雨。マックの別な友人から、メールに、「正常な画面。順調」とあり。ようやく、今回の更新が終わった。

9月6日
 時々雨。今日も、友人にホームページの更新を伝える。

9月7日
 今日も雨。もう降り出したら止まらない。猛暑の日々が終わったら、今度は雨、雨、雨。ま、天気の主張がはっきりしていて、男らしいといえば、そうなのだが。 今日、訪問者は400人を超えていた。更新してほぼ1週間で、100人訪れたことになる。まだ、ヤフーに登録をしていないのにこの人数だからありがたい。

9月8日
 夜、大雨。そして、連夜の雷。本日、ホームページ作成記を新たにする。これまでは、「ホームページってどう作るの」という初歩的な記述(失敗談)が多かった。 もちろん、これからもそうであろうが、加えて、少しばかり、活用した話(ホームページの楽しさ)が入るのではないかと期待する。ま、初歩的な記述9割、活用1割といったところか。  とはいえ、そのような期待のもとにこれからの作成記を記したい。 小説風にいえば、これまでは「ホームページ・立ち上げ編」であり、これからは、「ホームページ・活用編 でもまだ初歩だからね」というところか。   友人に、ホームページの感想を聞く。臨時ホームページ・モニターである。そして、操作しずらいところや、画面について、いろいろなアドバイスをもらう。 ホームページは、「いかに相手に見てもらえるか」、であると思っている。もちろん、少々の宣伝も入っています。

9月9日
 曇り、晴れ、時々スコール。スコールという言葉は熱帯地方の雨と思っていたが、そして、本場のスコールは見ていないが、今日このごろの雨は、スコールと呼びたい。 とにかく、ザアザア音をたてて、よく降る。しかも、本当にめまぐるしく変わる天気であった。湿気が多い。梅雨に戻ったような気温。うんだりする。 (うんざりと、だりい・・・だるいの私的造語)  本屋で、ばったり友人と会う。急遽、本屋で、臨時会議を行う。出席者2名。 「もう、(マックで)見ることができた?」 「まだ、トップページがダメ」 「え・・・・・、まだダメ。もう1人の仲間のマックは大丈夫とメールにあったよ」 「もしかして、彼のソフトはネットスケープかな。ソフトによって、違うのかな。それを確かめてみる」  夜、メールあり。やはり、ゴーストの「印旛沼フォト・ギャラリー」と出て、しかも歪んでいるとあった。

9月10日
 今月の編集方針を考える。今月は、大きな新規入力作業を終えたので、いろいろな人からの意見を聞く月にしたい。野球でいえば、公式戦が終わり、 オフ・シーズンに入ったというところ。体調を整え、新規に入力したページを印刷し、バックアップし、来る10月に備えたい。
おしらせ
 10月からは、また新規入力作業を開始します。どれを次期作業にするかは、これか ら検討をしていきます。  ただ、今回の入力で、私のホームページに与えられた無料許容量が、あと3割ぐらい しかないと思います。準備中のメニューすべてが掲載できるか、微妙になってきたので す。どれから入力作業をすべきか、それが問題となってきました。

9月11日
 前日、ホームページの無料許容量が3割と書いたが、「プロバテーを見れば正確にわかります」、というメールを受けた。 そうである。が、このように書いた訳を話す。私が入っているOCNの無料許容量は10MB。このうち、6月に立ち上げた「印旛沼フォト・ギャラリー」で5・5MB使ってしまいまった。 今回、5・5MBの内容を確かめたところ、どこをどう間違えていたのか、同じデーターを3セット以上、プロバイダーに送っていたらしい。特に映像を4、5個も重ねて送っているらしい。 どうも、この辺のところが不確かなのが悲しい(それがわかれば間違えない。)  そして、ファイルを見てみると、2000数百以上もあった。これでは、送信するのに時間がかかると思い、送信前のファイルを、思いきり削除した。 その結果2・8MBまでになったが、今度は、映像がところどころ削れてしまった。というより、2000数百以上のファイルから、不必要なファイルを削るのは、無理であった。 かといって、映像の元画像は、これも操作を間違えてすべて消してしまっている。  幸い、OCNに送ってあるデーターは削っていないので、印旛沼の四季の映像が出てくる。ところがOCNに送ってあるデーターの許容量はわからない。 OCNに送る前の、容量は2・8MBになってしまいましたが、OCNには、映像が残っており、それを含めて、ホームページとして出力されているから、 実際使用している無料許容量がわからないのだ。そこで、残りの無料許容量は3割と記した。でも、実際は、よくわからない(この文章を読み返してもわかりずらいが、 私もどうしてそのようになったのかわからないのだから文章の説明不足は致し方ない。)。

9月12日
 「亀田さん、ずいぶん、訪問者が多いけど、カウント操作していませんか」と冗談半分にいわれる。操作はしていない。でも、そういえば、 私が友人に「ホームページを見てね」とメールを送った人が、10数人。それに対し、10日間で170人が訪れている。  ま、私もこまめにチエックをしているが、それはカウントを稼ぐためのものでなく、画面が不良であったから、少し直しては、「どうかな」とホームページを見る。 そのような対応に追われていた。それにしても、多すぎる・・・と、自分でも思う。 いろいろとボタンを確かめていたら、1カ所、うれしい誤作動をおこすところがあった。  つまり、トップページから、印旛沼の写真を見て、再びトップページに戻ると、それだけで、新たな訪問者としてカウントしてしまうのだ。しかし、もう1度、行ってもカウントされなかった。  そこで、パソコンを切り、もう1度、立ち上げ、このような操作をしたが、正常であった。いずれにせよ、カウントを稼ぐためなど、見栄を張ったって、しょうがないのです。

9月13日
 1日中、しとしと雨。友人から、相変わらず、トップページのゴーストがあるという電話。 未だに、トップページの表題が、「印旛沼フォト・ギャラリー」で現れるという。もう私のパソコンでも「佐倉と印旛沼」になっているから、それは幻影である。 しかし、その下の画面は大丈夫という。ただ、他の人からは、そのような苦情を聞いていない。とすれば、それはそれで我慢してもらうしかないか。

  9月15日
 シドニーオリンピックの開会式を観る。終わりて、物足りず、作成記を入力する。 書きながら、我が身の行動に驚く。私は、生まれてこのかた、日記というものを宿題として書いたこと以外、自発的に書いたことが1度しかなかった。 それが、このホームページを開設することになってから、続いている。  ま、それでもいつかはルーズになるだろうと思っているから、「ときどき書き込みます」と逃げている。ただ、鉛筆でノートに書くというと身構えてしまうが、 パソコンに、ペコペコ打つということは、あまり抵抗がない。日記は、そもそもプライベートのものだが、本当にプライベートなものと、いつかは人に読まれても良いものと、 人に読んでほしいために書くものがある。  ホームページに書く日記は、まさに人に読んでもらうための文面になっている。

9月16日
 今回、ホームページを更新して思ったこと。結局、ホームページを観たい動機は、
 1、いかに感動できるか
 2、いかに役立つか
 3、いかに楽しいか
 4、いかに新鮮か
 5、いかに、ホームページ作成技術に優れているか
この、いずれかによってではないかと、思っている。このうちのどれかが訪問者の感性と合ったとき、再び、訪れたくなるのではないだろうか。 だから、ホームページを開設するときには、この要素を自分が公開しようとする素材に加えれば良いのである。 このうちの1つ、その1つに、こだわっていけばいいのである。

9月17日
 スコール、時々曇り、晴れ。そしてまたスコール。  9月も中旬となったので、そろそろ新規入力作業を考えよう。入力項目は別として、入力方法は、前回の反省から、データーを溜めて一気にプロバイダーに送るのではなく、 できた時点で、少しずつプロバイダーに送っていこう。  今日は、テレビづけ。朝は柔道の田村さん、野村さんの出演。昼は野球「日本対アメリカ」戦。夕方はサッカー「日本対スロバキア」戦。夜はサンデースポーツで、 おさらい。実に充実した日であった。

9月18日
 台風が逸れて、秋晴れ。さて、どの項目を新規入力しようかと考えた。ここしばらく、文章系ばかり入力したから、今度は絵のあるものにしよう。  そこで、「佐倉にゆかりのある錦絵・版画展」を作ることにした。インターネット上にある電子図書館でも収蔵資料を画像で公開している。それと同じ狙いである。 画面構成は、錦絵を紙芝居のように展開させて、佐倉の歴史を知る、という流れにしたい。と、いきたいのだが現物が伴わず、図上の構成に終わりそう。  ところで、もうすっかり画像の入力方法を忘れている。この前、写真を入力したのが5月であった。以来、画像の入力作業をしていないので、何にもわからなくなってしまっていた。  教訓、「技術をともなう入力作業は一気にするのではなく、ちびちびと、定期的に行うのが良い」。いわば、技術伝習作業というようなものである。 このような作業は、登録伝承作業に認定して、技術が廃れないようにしなければならない。ま、技術といっても、できる人にとっては、なんてことがないのであって、 それほど大げさにいうな、というところであろうが、できない人にとっては、パニック。まったくわからない。

9月19日
 作成した日記をプロバイダーへ送信するのは、3、4日に1度くらいのペースである。というもの、書いているときは夢中になってしまうことがあり、もう1度読み直すと、 もっと、別の言い方があった、ここまで書いていいかなあと思うことがある。また、書いてから、すっきりしないこともある。だから、書いてから数日寝かせておくことにしている。

  9月20日
 第2展示室に掲載する錦絵の選択をする。錦絵は、すでに写真に撮ってあるから、どれを選ぶかだけである。今回は、佐倉や佐倉にゆかりのある人物に関した錦絵にしよう。

9月21日
 スキャナーから、画像の取り込みをするが、その後の操作を忘れた。 「ん、どうすんだっけ」「???」。はてな、はてなの1日でした。  本日、訪問者611人となる。夜は、少し寒さを感じる。

9月23日 
 錦絵の入力作業を行う。そして、各画面を整える。半分終了。

9月24日
 朝、オリンピックの女子マラソンが行われ、佐倉市民の高橋尚子さんが優勝する。、おめでとうございます。そして、夜は巨人の優勝。長嶋さん、おめでとうございます。 朝から夜まで佐倉は興奮しました。  夜、錦絵の残り半分を整える。

9月25日
 駅で、新聞各紙を買いあさる。昨日は佐倉市民にとって、すばらしい1日でした。日本にとってはもちろんのこと、佐倉の歴史に記録される1ページとなるでしょう。  昨日は、JR佐倉駅で、読売新聞の号外も配られたそうです。佐倉で号外が配られることは、もうほとんどないことでしょう。今日の新聞を大切にしておきます。  高橋さんは、「今の時代に生きて、小出監督に会えてよかった」 といいましたが、私も、その同時代を生きて、そして、その刻まれた歴史を見ることができて最高です。  感動をありがとうございました。

9月26日
 錦絵・版画ギャラリー、完成。せっかく覚えた映像の貼り方を忘れないように、鉄道切符ギャラリーも作ることにした。

  9月27日
 「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」、「あ」の部、データー入力開始。どこまで続くやら。しばらく作成記を書くより、辞典づくりに精を出そう。

9月28日
 辞典づくりは当分終わりそうもないので、ちびちび作り、ちびちび公開しながらいくことにした。なにせ、制作スタッフが1人だから、計画の立案も早いし、意志疎通も充分だし、 また変更も早い。判断が、即、決裁となり、即、現場作業に入るのである。
おしらせ
 このほど第展示室、第3展示室を開設しました。
 第展示室は、主に佐倉や、佐倉にゆかりのある人の錦絵・版画です。
 第3展示室は、鉄道のキップです。
 また、部分開設ですが、「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」もご覧下さい。

9月29日
 相互リンクをしている長野のIさんから、メールが届く。乗鞍の紅葉の便りだ。 千葉は、まだ紅葉をしていないが、1足早く、紅葉を楽しませてもらった。感謝。

9月30日
 千葉三越の巨人軍優勝セールに行く。もう、優勝セールを始めて6日目だから、会場はそれほど混雑していない。巨人軍の応援歌は軽快に流れるが、 地下階にある巨人軍グッズコーナーは、ほとんどまばら。客より店員が多い。 ま、うかがった時間も土曜日の3時過ぎ。中途半端だから致し方ないか。長嶋グッズを1通り購入。  夜、巨人軍優勝セールの大袋を持ったまま、千葉県文化会館で行われた「第6回ひらやすかつこ十5夜コンサートスペシャル」のオペラを観る。 演目は、オペラ「竜の雨」。このオペラは、1988年、佐倉市音楽ホールで初上演されたもの。印旛沼の龍伝説をオペラに仕上げた作品だ。 今回は、それを現代風にアレンジしてある。満足でした。  帰って、オリンピックのニュースを見る。陸上男子400mリレー。第1走者の小島さんは、佐倉市の出身。チームは6位。おめでとうございます。

10月1日
 スポーツ紙を買いに行く。小出さんの記事が出ているからだ。そういえば、町のあちこちに、 「高橋尚子さん、金メダルおめでとう」 という張り紙、垂れ紙などが貼られている。そのような、佐倉の近況を記しておこう。

10月2日
 Iさんからメールが届く。紅葉したドウダンツツジの写真を掲載したとのこと。3日前に新着メールをいただいたばかりなのに、またまた新着メールである。 すばらしい写真。長野は、秋、真っ盛り。と同時に、Iさんのエネルギーを感じる。

10月3日
 先日、佐倉市立図書館から、私のホームページをリンクしたいとお願いされた。これまでは、私の方からリンクのお願い行脚であったが、初めて、お願いされることとなった。 内心「お、やった。ようやく認知されてきたか」と思った。  でも、考えてみたら、私の方が、8月末に印旛沼図書目録に、図書館のホームページをリンクしていた。そのことを忘れていただけ。いわば、時間差相互リンクである。 ともあれ、本日、「佐倉と印旛沼」が、図書館のリンク集に掲載された。

10月4日
 今日の千葉日報に、オリンピック体操選手の原田睦巳さんが、佐倉市役所を訪れ、5輪出場報告をした、とあった。日本は体操団体総合4位の成績であった。 原田さんは佐倉市に住んでいる。もう、佐倉はオリンピック1色。  佐倉市が公式ホームページを更新した。 さっそく、私のホームページからリンクしようとしたら切れていた。初めてリンク切れを経験する。トップページを更新しているうちに、どこか余計なところを触ってしまうのだろう。 トップページのHTML文章を読む返すと、英語のスペルが1文字飛んでいた。さっそく、修復をする。

10月5日
 明日、高橋尚子さんが佐倉市役所を訪問するとの情報が入る。佐倉オタクとすれば、ここはどうしてもいかねばなるまい。  夜、カメラケースから道具を出す。手動確認、指差し確認。
 カメラよし
 ストロボよし
 フィルムよし
 準備OK

10月6日
 晴れ。すかっとした朝だ。朝からワクワク。食事中もワクワク。歯磨きもワクワク。  そう、今日は高橋尚子さんが佐倉市役所を訪れるのだ。遅れてはならじと、馳せ参ずる。 高橋さんと、小出監督は予定よりやや遅れて到着。わずか、1メートル前を過ぎる。テレビで観るのと同じ顔だ(当たり前だ)。明るいなあ。 佐倉が明るくなるようだ。ただ、かけ声に迷った。  50のいい年をして「尚子ちゃん」では照れるし、「よーよー」では、冷やかしているようだし、「まってました」でもあるまいし、これが意外とむずかしいのだ。 結局、写真を撮りながら、小声で「おめでとうございます」といった。けど、聞こえなかっただろうなあ。 多数の取材陣がきていたから、夜、テレビのニュースを梯子する。ふんふん、あの光景は、 このように放映するのかと、納得する。充実した1日でした。

10月7日
 朝、JR佐倉駅まで朝刊を買いに行く。途中のコンビニでは、スポーツ紙しか置いていない。キヨスクで、スポーツ紙を含めた各紙を購入。 自宅に帰り、高橋さんの記事をチェック。量的には、やはり地方紙の千葉日報が1番。1面、県中央面(地域版)、社会面の3か所に掲載されていた。  記事の少なかった新聞は、・・・・、ま、それはいいか。

10月8日
 メールが届く。  「佐倉サーチエンジン」からで、私のホームページを登録させてほしいというもの。佐倉サーチエンジンは、佐倉に限ったホームページを掲載しているのだという。  さっそく、自己登録をする。登録したつもりであったが、登録ボタンを押し忘れていたらしい。翌日、改めて登録をした。

10月10日
 検索エンジンのヤフーを見て、がっくりくる。ヤフーに、わが「佐倉と印旛沼」が掲載されていたのだ。ところが、その名称は「index」である。ん?・・・・。 他の題名は「印旛沼の○○」と、ちゃんと、印旛沼が明記されているのに、なんで私のだけ英語で「index」なんだ。  最初、この「index」というホームページが、「佐倉と印旛沼」とは気づかなかった。ところが、下の紹介文を読んで驚いた。

 あなたは*人目の訪問者です。おしらせ 掲載日 2000月9月1日
 このたび、ホームページ「印旛沼フォト・ギャラリー」を改め、「佐倉と印旛沼」
 としました。フォト・ギャラリーがなくなった・・・
 http://www3.ocn.ne.jp%7Einba

とあるのだ。えっ、これは私のホームページだ。???。私のホームページが何で、「index」なんて名称になるの?それに、文章の切り方も機械的で、 意味をまったく違うものにしてしまった。  ヤフーは、「フォト・ギャラリーがなくなった・・・」というところで切っており、これでは、ギャラリーがなくなったように読めるが、本当は「フォト・ギャラリーがなくなったのではなく、」と続くのである。ギャラリーは、なくなっていないのだ。 ちなみに、私が掲載した文章を記す。

 あなたは*人目の訪問者です。おしらせ 掲載日 2000年9月1日
 このたび、ホームページ「印旛沼フォト・ギャラリー」を改め、「佐倉と印旛沼」
 としました。フォト・ギャラリーがなくなったのではなく、フォト・ギャラリー
 を含んで、さらに個人的な趣味を取り混ぜたホームページとしました。
  といっても、まだ完成ではなく、準備中のメニューも掲載してあります。これか
 ら、ますます充実させていきます。ご期待のほど。

である。紹介内容がまったく違った意味になっている。それにアドレスだって、訛って「えんば(Einba)」となっている。「いんば(inba)」なんです。 でも、このアドレスでつながってしまうところがくやしいなあ。もしかして、訛ってもアドレスはつながるのか・・・そんなことはないか。いずれにせよ、むむむむ・・・・である。  もう1つの愛用しているサーチエンジンのグーを見る。すると、グーも、まったく同じ文章で紹介されていた。ほろ苦い「佐倉と印旛沼」のお披露目である。 (「index」)は、私がHTML文章のタイトルとして挿入してあった。この部分をヤフーは拾っていたということが後日わかり、ここを日本語で「佐倉と印旛沼」に修正した。 どうも、私の参考書の読み方がまずかったらしい。)

10月11日
 メールが届く。  佐倉市に住んでいて、やはり地域情報を発信しているWさんから相互リンクの話。 WさんのホームページはWARAのホームページ。志津にある鷲神社などが紹介されている。写真がきれいなので、ご覧下さい。  Wさんは、長野の井出さんとリンクしており、私もIさんとリンクをしているのを見て、今回の相互リンクの話となった。佐倉に住むWさんと私は、 長野に住むIさんのリンク集を通じて相互リンクすることになる。 さっそく、こちらもリンクを張らせてもらうことにした。
   メールが届く。  全文、英語。英語は、まったくわかりまへん。そのまんま削除ですねん。(これはウイルスであった)

10月12日
 メールが届く。  10月末に行われる写真展の準備について。「大丈夫ですか、大丈夫だったら手伝いを頼む」というもの。この大丈夫ですか、という意味はつあり、 1つは出品作品ができているかというもの、もう1つは、単純に手伝え、というもの。 ハイハイハイ。そうか、そうか、私は写真同好会に入っていたのかと自覚させられるメールであった。 この作成記には、ほとんど写真の話が出てこないから、 私が印旛沼の写真にどのようなウエイトを置いているかがわかってしまう。はっきりいって、近ごろほとんど忘れていた。

10月13日
 佐倉の秋祭りが始まる。  夜店が目立つのは、美術館周辺と、美術館から京成佐倉駅に降りる道。食べ物関係の店が多かった。  商品としては、定番の「やきそば」「大判焼き」「広島風お好み焼き」「たこ焼き」などに混じって、「こんにゃく」もあった。店の並びとしては、「やきそば」「大判焼き」に「こんにゃく」であるから、 「おっ」と驚いた。私の頭には、夜店に「こんにゃく」というレパートリーはなかったのだ。ま、何を売っても良いのだろうが、「こんにゃく」は、初めて気づいた。  これは、高齢者向けのものか・・・、そこまでは考え過ぎか。ここまで書いて気づいたのだが、試食すべきであった。あの「こんにゃく」は、どのように食べるのか。どう食べても「こんにゃく」であるから、 「こんにゃく」の味しかしないと思うが、やはり、祭りには、祭りで食べる作法がある(ないか)。とにかく、明日、祭りに行って買おう。  何気なく並んでいるように見える店であるが、時代時代の流行と、その祭りの「売れすじ」があるのだろう。

10月14日
 祭り音が聞こえてきたので「こんにゃく」を買いに行く。祭りに「こんにゃく」を買いに行くというのも変だが、昨日からの流れで、あの「こんにゃく」を味わうことにした。 派手な夜店が並ぶ中に、地味な「こんにゃく」はあった。店の看板はないから、この店を何と呼ぶのかわからない。正式には「こんにゃく屋」ではないかも知れない。 ただ、お客にとっては何屋であろうが関係はない。何を売っているか、だけである。  この店では「こんにゃく」の他に、佃煮を売っていた。お客は、おばさん2人。やはり、店には店にあったお客が寄りつく。 そのような集客の環境を把握した後、おもむろに接近する。店を覗くと「こんにゃく」の試食コーナーがあり驚く。 こんにゃくは、普通の長方形。4枚ワンセットでビニールに入っていた。それもすぐに食べられる、おでんの「こんにゃく」ではない。スーパーで売っている、生の「さしみこんにゃく」である。 だから、食べ歩くという食事形式はとれない。  作法とすれば、買い求めた「こんにゃく」は、バックに詰めて自宅でお召し上がりということになろう。それに、「こんにゃく」を持ちながら祭りを見ると重たいので、 買うなら帰りがよい(買い求めて貴重な体験をした)。

  10月15日
 ホームページの検索エンジンの1つ、ヤフーに掲載されている「佐倉と印旛沼」を紹介する題名は「index」となっている。何故、このような名前になったかというと、 誰かが、私のホームページを推薦して登録したことによるものと思う(よくわからないが)。だって、製作者が依頼してないのに掲載されているからだ(他薦もOKなのだ)。 ありがたいといえばありがたいが、名称は 「index」ではなく、「佐倉と印旛沼」で登録してほしかった。でないと、題名を見ただけではわからない。 紹介文を読めば少しはわかるが、わかるといっても「・・・印旛沼フォト・ギャラリーはなくなり」で切れているのだ。たぶん、自動的に頭から50文字を掲載したのだろうが、 だいたい「なくなり」では、ホームページがなくなったように読める。それでは誰も訪れてくれないじゃあないか。  本日、この修正作業を行う。まず、インターネットでヤフーを開く。どれどれ、どこを見たらいいのだ。下方に、[サイトの推薦・変更の方法]がある。 これをクリックすればいいのだろう。すると、画面が、変更方法についての文面に変わる。その文章に従い、クリックを押し続ける。そして文章を変更して終了。 次に〔送信〕、・・・・、ん、拒否される。
何度やっても、拒否される。どうなっているんだ。 それほど変更が拒否されるなら、、新規に「佐倉と印旛沼」を登録してしまおう。ということで、[サイトの推薦・依頼]の画面をクリックしていく。 最後の方に[あなたのメールアドレスを入力してください]とあった。[他の人に変更されないため]とある。  そうか、だから私が他薦の題名を変更しようと思っても、拒否されてしまったのだ。本人が、自ら作ったホームページの題名を変えられないというのも変だが、そうなのだ。 本人よりも、先に他薦した人が優先なのだ。でも、これは私のホームページだっていうの。とはいえ、変更までに週間から1か月かかるという。  ちなみに、他の検索エンジンではどうなっているのだろうか。グーで「佐倉と印旛沼」を検索すると、検索題の下に「登録されていません]と出てくる。  しかし、その下段に「index」が出てくる。解説すれば、「佐倉と印旛沼」というホームページはありませんが、「index」というホームページはあります、ということである。 情けなく複雑なのだ。この紹介文はヤフーより長いため、内容は合っている。グーの題名も変えようと思うが、その操作がわからない。  また、「index」で検索すると、「佐倉と印旛沼」が出てくるかと試した。すると、ヒットした件数は1,03,103件と出た。えっ、である。とても探しきれない。

10月16日
 昨日の続き。私のホームページ「佐倉と印旛沼」を、どなた(仮にCさん)が検索エンジンのヤフーと、グーに「index」として推薦してくれたのかわからぬが、とにかく登録されている。 そこで、どのように私のホームページが掲載されたのかをたどってみることにした。  まず登録の手続きであるが、ヤフーのホームページを開き、自分が望む最大のカテゴリー(領域)から、ボタンをクリックしていき、最小のカテゴリーにたどり着く。 そこで、登録ボタンをクリックして、手続きをすることになる。  具体的にいえば、ヤフーのホームページを開くと、[芸術と文化][ビジネスと経済][健康と医学][エンターテイメント][趣味とスポーツ][地域情報][自然科学と技術] [生活と文化]など、最大のカテゴリーが現れる。
 そこで、「佐倉と印旛沼」は内容からいって[地域情報]になろうかと判断し、クリックする。すると、[日本の地方]というカテゴリーが現れる。 さらに、[日本の地方]→[関東]→[千葉]とクリックしていく。[千葉]にたどり着くと、分野別の項目が現れる。
[芸術と文化][生活と文化][歴史][環境と自然][自然科学と技術][趣味とスポーツ]である。  そこで、「佐倉と印旛沼」をどこに登録するのがふさわしいか考える。私は[環境と自然]がふさわしいと考える。作った本人がそう思うのだからまちがいはない。 だから、すでにCさんが登録している「index」も、そこにあるのだろう。
 [環境と自然]をクリックすると、すでに登録されているホームページが現れる。と、「index」が出てこない。 Cさんは、「index」をここに登録しなかった。 ま、ホームページから私の意思を100%読みとれるとは限らない。内容が印旛沼だけではなく、歴史も入っているから [歴史]に登録したのであろう。そう思って、 [歴史]をクリックする。ん、ここにも登録されていない。???。そうか、そうか、最大のカテゴリーである[生活と文化]の中に環境という項目があった。気を利かせて、 こちらに登録したのであろう。ん、ここでも出てこない。
 ははははは。とすれば、やはり芸術写真で取り上げてくれたのだろう。最大のカテゴリーである[芸術と文化]の中にある写真という項目がある。ここをクリックしていくと、 写真のフォト・ギャラリーがある。えっ、ここでも出てこない。
 そこで、今度は文字だけ「佐倉と印旛沼」と入力し、検索してみた。すると「index」が現れた。逆に、「index」と入力すると、途方もない数のホームページが現れて、検索不可能である。  しかし、とにかく、ヤフーのどこかに登録されている。いったい、Cさんは「佐倉と印旛沼」をどのカテゴリーに登録したのだろうか。  (後で知ったのですが、ヤフーがかってに拾うらしいです。だから、ヤフーが拾っても大丈夫な文章を50文字以内でトップに書いておくことにした)

10月17日
 知人からメールが届く。  印旛沼風景写真掲載の「次」の文字が壁紙の色と同色のため見えにくいのが気になりました、とあった。その通りである。ところが、恥ずかしながらミスをしてどこをどのように修正して よいかわからなくなっている。
メールを返信した。  「修正したいのですが、実はHTML文章と、FTP文章の一部をを削除してしまったのです。また、プロバイダーにデーターを3セットから4セット送ってしまい、どれがどうやらわからなくなっています。 それに、本当は、もっと画像を送りたいのですが、許容量がオーバーして送れなくなってしまいました。もう少しパソコンがわかってきたら、整理しようと思っています。  というわけで、もっか文字情報だけを送っています。」(書いている本人も、何を書いているのかよくわかりません)

10月18日
 検索エンジンのグーに掲載された「index」、つまり「佐倉と印旛沼」のホームページがどのようにして掲載されたかを考えるが、まったくわからない。グーに掲載するには、アドレスを登録するだけなのである。アドレスを登録するだけで、「index」とはならないだろう。それに、グーは、ロボット型の検索エンジンだから、文字を拾ってくるのだろうという。  わからない。わからないときは、素通りしよう。

10月24日
 ここしばらく印旛沼に行っていない。車で行けば10数分でいけるのに、その気がないと、なかなか行けないものだ。沼も秋の装いを始めているだろう。

11月3日
 「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」づくりに掛かりきりとなる。当分、この作成記もやめて、辞典づくりだけにする。

2001年1月10日
 ホームページの文章を更新し、プロバイダーに送る。・・・(操作中)。ん、送れない。 なんだ?なんで送れないんだ。不安がよぎり、文章を短縮して送ってみる。すると、データーが送れ、アップできた。うーん、これにて私のホームページの無料の許容量(10MB)が限界になったことを知る。  しかし、辞典づくりは途中なので、不要な文章を削除することにした。

1月16日
 辞典の文章をプロバイダーに送るが、再び、データーがアップされない。 やむなく、「カメラ片手に印旛沼」「写真集づくり日記」「私の写真集づくり」「印旛沼風景記」「つもり亭」、イラストの画像、そして「作成記」を削除する。

2月10日
 「佐倉にゆかりのある人を探す辞典」、「わ」の部が入力を終了する。  辞典「あ」の部を作り始めたのが2000年9月6日であった。この間、継続して作業をしてきたわけではないが、それにしても約5カ月かかったことになる。その5カ月というのは、単にデーターを入力するだけの作業であって、辞典の基礎となるデーターを探した日数は含まれていない。 ところで、この入力作業は終わったわけではない。日々、新しい本は生まれているから、「続く」である。みなさまのご教示をいただきたい。



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