はじめに 今年は司書さんが30人を超え、友人も10人近くになりました。みなさんがボランティアで佐倉の本を探したり、原稿を書いていただけることに感謝します。 さて、今年は講話などで「満開佐倉文庫」「佐倉本」という言葉を使うことができました。話をしているうちに「佐倉本探しは一つの読書法」であると確信し、それを「地域探しの読書法」と呼ぶことにしました。 また、佐倉本がいろいろ集まってくると単に「佐倉本」というものだけでは括れなくなり、新たに佐倉市民本を細分しました。 まんさく家庭果樹園をホームページに掲載しました。果樹園といっても庭の隅に果樹が数本植わっているだけですが、「果樹園」と称すると何か広い農園のオーナーになった気分になります。満開佐倉文庫には、そのような季節の遊びというか、ゆとりをつくりたいと思います。 「佐倉本データ・ベース 2006」をつくりました。このデータは、拙著『電子図書館 満開佐倉文庫』に掲載したもので、2003年3月までに確認した佐倉本のデータです。したがって、その後、司書のみなさまが教えてくれた本は掲載していません。理由は、これをつくるだけでも大変な作業になってしまったので、一息入れたというところです。 2003年4月以降に確認したデータは、これから入力しますが、その作業を行なおうと決意するまでに時間がかかりそうです。とにかく、あまり頑張らずに自分の生活時間に合わせて、データを整理していこうと思います。 満開佐倉文庫館主 亀田雄岳 平成18年(2006)4月30日 今年の満開佐倉文庫
第2回満開佐倉文庫情報大賞 〔選考にあたって〕 平成16年(2004)、満開佐倉文庫情報大賞を創設しました。この賞は、その年、満開佐倉文庫に寄せられた佐倉本情報、佐倉情報、佐倉の自然情報の中で一番驚かされ、しかも佐倉の再発見となる情報に与えるものです。 第2回満開佐倉文庫情報大賞選考は、まずインパクトのあった情報を司書のみなさんからノミネートしていただき、それを選考会に集まった司書さんに選んでいただくという方法で、平成17年12月17日に選考会をおこないました。 選考ではベスト5を選び、その中から一番得票数の多かった作品を大賞としました。そのため大賞と4作品が受賞となりました。 また特別賞として「いやしてくれてありがとう賞」を選びました。 【大賞】 「北野武監督映画『Dolls』に、佐倉でロケされた場面がありました。」 ホームページ掲載日 平成17年1月10日 情報提供者 sendagiさん [講評] 北野武監督の映画『Dolls』に、佐倉でロケされた場面がありますというメールをいただき、さっそくDVDを購入して観ましたがわかりませんでした。 この映画には佐倉市内田の路上で撮影された場面が4箇所ありますが、路上ですから佐倉であるという確証がありません。それをsendagiさんは「いつか通った道に似ている」という記憶を頼りに探してくれたのです。 さらにスタッフのホームページを探し、そこで「佐倉でロケをした」という確証をつかんでくれました。そして私を案内して、現場の立会いもしてきました。そのようなsendagiの執念がなければ、この作品が佐倉でロケされたとは言えなかったでしょう。 2位 杉本節子著『京町屋の四季』(展望社)に、佐倉にあったという呉服商奈良屋のことが出ています。 ホームページ掲載日 平成17年2月24日 情報提供者 なっちゃん [講評] なっちゃんから情報をいただいたときに、驚きました。驚いたというか、20数年来忘れていた「ならや」という響きに飛び上がるほどでした。 佐倉の新町が賑やかであったころ奈良屋という呉服店がありました。奈良屋が佐倉の店をたたんで千葉に移ったのは、記録を調べていませんが大正から昭和の初期であったと思います。 奈良屋が入ったビルは、「ニューナラヤ」、そして「セントラルプラザ」となって、やがて閉店します。記憶では、「ニューナラヤ」から「セントラルプラザ」になるとき、「奈良屋の写真展」が開催されました。もう、20〜30年前のことですから写真展が開催されたのは、「セントラルプラザ」が閉店するときであったか、また写真展ではなく資料展であったのかも忘れてしまいました。 このとき、佐倉で開店していたころの奈良屋の写真が展示されていたのです。この写真は、いつか使わせていただきたいと思っていましたので、その記憶だけは残っていました。しかし、「セントラルプラザ」が閉店してしまったとき、この写真の連絡先もたどれなくなってしまったのです。 近年、佐倉市で写真集を出しました。このとき、奈良屋のことを言おうと思ったのですが、連絡先がわからなかったのでそのままにしてしまいました。この写真があれば、新町が賑わっていたという証に使えたのにと思いました。 そして一年後、『京町屋の四季』の情報をいただいたというしだいです。 3位 島尾敏雄著『死の棘日記』(新潮社)に、著者が佐倉で過ごした場面が記されています。 ホームページ掲載日 平成17年5月9日 情報提供者 亀田雄岳 [講評] 小説『死の棘』は、島尾敏雄が佐倉に移り住んだときの生活が描かれており、当時の町の様子を彷彿とさせますが、作品としては重く、読み進めるのに疲れる作品です。しかし、本書を読むと作品の背景(実際の経過というべきか)が浮かび上がってくるので、以前よりは理解できるようになりました。 小説『死の棘』を読むにあたっては、本書も合わせて読むことを勧めます。 4位 映画「ハチ公物語」に、佐倉の料亭花屋でロケされた場面が出てきます。 ホームページ掲載日 平成17年6月2日 情報提供者 ホームタウン佐倉さん [講評] 仲代達也が秋田犬(ハチ公)をもらう場面で電話に出ます。この場面が(電話ボックスが当時の雰囲気があるというので)、花屋でロケされました。 電話ボックスの脇に16番という小さなプレートがあります。見過ごしてしまいそうになりますが、この16番は、花屋さんの昔の電話番号でした。 5位 映画「アインシュタイン・ガール」は、佐倉のユーカリが丘駅周辺でロケされたものです。 ホームページ掲載日 平成17年7月14日 情報提供者 亀田雄岳 [講評] 最初から最後まで、佐倉が舞台の映画です(ユーカリが丘周辺−印旛沼−ユーカリが丘周辺)。これまで、これほど佐倉が出てくる映画はありませんでした。 佐倉が出てくる場面を発見したというより、佐倉が出てくる映画として記録しておきたい作品です。 特別賞「いやしてくれてありがとう賞」 まんさく家庭果樹園のお庭番「タメ」の写真で、7月号のものです。 ホームページ掲載日 平成17年7月 提案者 緑葉さん [講評] 緑葉さんから「いやしてくれてありがとう賞」というのはどうでしょうかという提案をいただきました。 このような情報もあったのかと教えられました。来年、さらに面白い賞ができるような情報があるといいですね。 司書の窓 わが町佐倉 ギムリ 思いもかけず司書として認定され、でも情報の中身が、仲間の出した本やCDの情報だったので、引け目を感じていました。村上元三の『河童将軍』を見つけることができて、やっと一人前の司書になった気分です。 元々、読書傾向が児童文学(しかも翻訳物!)なので、普段の読書の中で「佐倉」に出会うことはまず不可能なのです。でも、佐倉や印旛沼にまつわる民話を調べる必要があって、「佐倉」に接する機会が増えました。 ネットで検索するとすぐにこのページにたどり着きます。七代目団十郎について調べた時には駕篭かきさんのホームページにも御世話になりました。 私は小学校の時に佐倉に越して来て、それからずっと佐倉に住んでいます。高校の時には長島監督や司馬遼太郎氏が学校を訪問。小出監督は体育の先生で「マラソン小出」と呼ばれていました。 そんな昔の事をこのホームページに出合って思い出し、「わが町佐倉」に愛着がわいてきました。 そして「わが町佐倉」を思うときに、いつも気にかけるのは「未来の市民」(つまり子ども)の事です。多くの「未来の市民」が故郷で幸せな子ども時代を過ごせる様に願ってやみません。 「佐倉本」に惹かれて 駕篭舁 満開佐倉文庫のことを知ったのは昨年春頃だったと思います。ネットを遊泳していて満開佐倉文庫に出会い、その中の「佐倉本」という造語に興味を惹かれました。 「佐倉本」って何だろうと開いてみたら佐倉についてのあらゆる本の数々が・・・これほど佐倉のことにこだわったホームページがあるとは正直新鮮な驚きでした。 近くオフ会が開かれるという案内に手繰り寄せられて参加し、それ以来お仲間に加わって今は司書というたいへん心地よいネーミングを使わせて貰っています。本物の司書は勤まる筈もありませんが、ここではマイペースで好きな本を読み、その中で佐倉に関する記事に出会えれば良いという見つける楽しみが新たに加わったのがとても良いのです。 満開佐倉文庫はまだまだ発展途上にあるようで、館主さんの頭の中は次々アイデアが閃いておられますが、どこにも見当たらないユニークで斬新な、いわば佐倉に関する総合百科事典として、今後いっそう充実した満開佐倉文庫に発展していくことを期待しています。 小生も司書の一員としてまた佐倉市民として、これからも楽しみながら、より佐倉にこだわっていきたいと思います。 満開佐倉文庫 〜佐倉と京都〜 なっちゃん 誰もが一度は京都に憧れたことがあるのではないでしょうか。私も数年前からなぜか京都に心ひかれ、「京都」と名のつく本や雑誌をあれこれと読んでいたところ、この本に出会いました。『京町家の四季』 杉本節子 著 「京都に本店を構え、千葉佐原・佐倉に支店を持つという他国店持商で、当主は年に二度当地へ赴くだけであったため、支店の監督、店員の訓練には大変な注意を払うことが重要であった。」という一文があります。 著者の生家である杉本家は、寛保三年(1743)「奈良屋」の屋号で呉服商を創業。京呉服を仕入れ関東地方で販売する、いわゆる他国店持商として繁栄した店の本店で、三代目が佐倉に店舗を構えていたそうです。 呉服商「奈良屋」があった場所は、市立美術館の辺りで、千葉市の旧セントラルプラザが奈良屋デパートと呼ばれていたことを、館主から教えていただきました。また、まき書房の包装に使われている『千葉県佐倉町俯瞰』に「奈良屋呉服店」を見つけました。 佐倉と憧れの京都がつながっているという発見、そして佐倉本を見つけた喜び、満開佐倉文庫の司書であることの醍醐味は私にとってはまさにここにあります。自分が手にした本の一文から思いがけず佐倉が浮かび上がる、自分が知らなかった佐倉と出会うことができるのです。 美術館の前を歩く時、この通りに「奈良屋呉服店」があったことを想像して、京都の面影を探してみたりします。本を読み終わっても楽しめる「満開佐倉文庫」、私にはとても貴重な場です。 きっかけは〜佐倉本! 飛鳥 『佐倉』と『佐倉に関わる人』が登場する本の多さに驚かされます。私は、幕末の時代が好きなので、新選組の本を開けば、松本良順は必ず登場します。最近は、依田学海も注目され始めています。 幕末の時代に『佐倉に関わる人』として、本に登場する回数においても松本良順はトップスターだと思うのです。ですが、佐倉順天堂の創始者、佐藤泰然の実の息子である事はあまり知られていないのがとても残念・・・どうしたら、知ってもらえるのでしょうか。 佐倉順天堂に関連本を置いてみたらどうでしょう?『本の中の佐倉順天堂と順天堂に関わる人コーナー』として、期間限定の企画展として、本を手に取れるように置いたら、順天堂を訪れた人は、興味を持って見ていただけるのではないでしょうか。 順天堂に限らず、場所を違えて『佐倉のまち特集』や『印旛沼特集』など出来そうですね。佐倉の魅力を多くの人に知ってもらう為にも、『佐倉本』は活躍して欲しいと思っています。 満開佐倉文庫情報大賞〜映画「Dolls」について sendagi この映画を観て、「発見」をすることになったのは、まったくの偶然でした。私は、映画をあまり観ません。映画館で観るのは、勤務先で福利厚生事業として配られたタダ券を消費するときくらいですね。 Dollsに関しては、公開当初、雑誌の記事とかを読んで、「観てみようかな」くらいの気持ちはあったのですが、このときは結局、見逃しました。 そのうち、もう、すっかり忘れていた頃になってテレビ放映となり、そのときに観ました。しかし、どうしても観たいというほどの気持ちもなかったし、忙しかったので、とりあえずビデオ録画をセットして、シャツのアイロンがけとか、雑用をこなしながら観ていました。 この映画は、三つの物語が若干クロスしながら同時進行するので、しっかり観ていないと、途中から何がなんだかわからなくなります。それで、録画したものを繰り返し観たのが、佐倉ロケ発見のきっかけとなりました。 とりたてて重要でもなさそうな場面ではありましたが、自分が時々通る場所の風景に似ているということで、気になって調べているうち、確証を得たということですね。そんな程度ですが、今回、情報大賞に選ばれたというのは、やはり、この映画が「世界のキタノ」作品だったから?かなぁ、などと思っています。 テレビ放映では、時間の都合で一部カットされていることが多いので、レンタルビデオも借りてきてさらにチェックしましたが、佐倉市内と思える場面はやはり、内田の路上だけでした。この映画ではほかに、満開の桜並木の場面などがあって、それこそ佐倉城址公園では?と思ったりしたりして、何度も繰り返し観ましたが、これは違いました。 その結果、佐倉市内としては内田の路上だけロケに使われたということになり、出演者やスタッフの移動効率などを考えれば、何故ここが?と、疑問が残ることになりました。おそらく、たまたまスタッフが見つけたロケ地だったのでしょう。 今回の経験で、何気なく佐倉市の風景が出てくる映画というのは、まだまだある筈と思いました。それをまた発掘するのは非常に難しいですが、これからも、映画でもテレビでも、注意深く観ていこうと思います。 今年の出版傾向 今年は大きなスポーツ大会がなく、佐倉にゆかりのある選手が活躍したという本は出版されていない。 島尾敏雄氏の『死の棘日記』(2005年3月)は、島尾氏が昭和30年、佐倉に越してきた当時の佐倉の話が記されており、町の様子を彷彿とさせます。 佐倉市在住の松島義一氏が『小説「超」入門』(2005年1月)を出版した。平易な文章で読みやすく書かれており、小説を書かないという方でも引き込まれてしまう。お薦めの本です。 国立歴史民俗博物館友の会で出版した『佐倉の軍隊』(2005年3月)は、「軍隊と地域」学習会の記録をまとめた本です。貴重な資料でもあり、お薦めします。 郷土の新刊案内(2005年) <2005年に発行された佐倉にゆかりのある本を月別に掲載してあります>
佐倉市民本 <佐倉市生まれ、あるいは佐倉市在住の方が出版された本を著者のアイウエオ順に掲載してあります>
電子地域文庫連絡会 〔目的〕 ある地域にこだわって、地域の図書をホームページに紹介している方と相互リンクをし、将来は地域資料や地域が記された文学の横断検索ができるようにする。 電子地域文庫連絡会は、ある地域の図書情報を紹介している方なら誰でも加入できる。 〔経過〕 2005年7月12日、利根川印西文庫が開設されました。翌日の13日、当ホームページに利根川印西文庫を掲載しました。ここに2つの地域の図書を紹介するホームページが開設されたことになります。そこで、電子地域文庫連絡会を設立し、ともに地域の本を紹介していくことになりました。 (2005年7月13日) まんさく家庭果樹園 〔家庭果樹園づくりの記〕 1 50歳を過ぎたときに、漠然と定年を考えた。60歳を過ぎたら何をしていくのかと・・・。田舎暮らし(百姓→ジャムづくり)でもやろうかと思った。それから庭に果樹を植え始めた。定年を迎えたとき、庭が果樹園になっているのか、はたまた木が伸び放題のジャングル状態になるのかわからない。そうではあるが、今は果樹園を目指して、いろいろな木を植えている。素人の家庭果樹園づくりです。 2 どのような果樹を植えようか迷った。とりあえずジョイフル本田に行って、果樹を見る。いろいろな果樹が並んでいる。ブルーベリーやラズベリーという名前にひかれ、数本、買う。その後、「サカタのタネ」の会員となり、送られてくる冊子のカタログをみて、ミカン類を注文する。 果樹園の植栽プランなどというものはなく、ただ食べたい果樹を買い求めた。1年目は、あっという間に過ぎた。2年目にラズベリーの実がついた。3年目にブルーベリーの実がついた。4年目に温州ミカンの実がついた。今年、温州ミカン「はるみ」、デコポンの実がついた。 3 果樹園と呼びたい範囲にフェンスを張る。フェンスは、コンクリート舗装をするとき補強材として使う格子の鉄鋼を買ってきた。理由は、「安い」に尽きる。それを足場パイプで支える。一見、工事現場のようである。足場パイプには茶色のペンキを塗って、目立たないようにした。 このフェンスにムベとブドウを這わせる。ムベは順調であるが、ブドウは、すぐに虫に食われて枯れてしまう。聞くところによると、ブドウにはかなり消毒をするということであった。甘いブドウは、樹液も甘いのだろう。だから虫にとっても好物なのだ。 ブドウを数本植えてあるが、ほとんど根元に近い幹を食われてしまう。そして、たまたま実がなったブドウは、実に病気が入ってしまった。とにかくブドウの管理は、素人にはむずかしい。 4 果樹園をつくるといっても、家に果樹が1本もなかったわけではなく、以前から数本の柿と柚子の木があった。これらも、りっぱな果樹であるが、それまではただ空気のように家の隅にあっただけで、「果樹」という意識はなかった。 そのような木であるから、実ってから、「おっ!我が家に柿があったのか」と思い出すぐらいであった。ところが、いざ果樹を植え出すと、これらの木が頼もしく見えてきた。そうか、柿や柚子を我が家の主力果樹にしよう、なんて思うのでした。 5 温州ミカンを植えて4年もたつと、枝が重なり合いそうになってきた。植えた当初は、重なり合わないようにと十分配慮したつもりであった。しかし、目につく果樹がほしくなり、その収穫を夢に見て買い求めてしまった。小さな庭にあれこれと植えすぎたということである。それと温州ミカンの間にレモンがあったり、クワがあったり、もう種類がバラバラ。やはり素人の果樹園だ。 枝が重なりそうな木は植え替えようと思うが、植え替え先に別の木があったりして、まずその木を植え替えなければならない、なんてこともある。それに種類がいろいろだから、常緑樹と落葉樹の植え替える時期が違っていて、なかなか手間がかかりそうだ。 6 我が家では、イチジクは庭に植えるものではないと言われてきた。花が咲かないから種ができない(家が続かない)という理由であった。イチジクは「無花果」と書き、文字でも言い表している。 花が咲かないから庭に植えても一年中変わりばえがしない。しかも、葉は天狗の団扇のように大きく、枝は間延びする。まるで、庭木として不似合いの典型のような木である。そうではあるが、イチジクはうまい。柔らかい舌触りがある。自然の甘さがある。その味が忘れられず、我が家の果樹園にはイチジクも植えようと思った。 苗木を購入し、植える場所を探して庭をグルグル廻るが、どこに植えようとしても了解が得られない。しかたなく道を隔てた畑に植えることにした。ところが、畑には植える野菜の年間計画(それほどたいした計画ではない)が立てられていて、「ここはナスを植えるからダメ、そこは大根を植えるからだめ」ということになり、結局、畑の隅に植えることになった。 よそのイチジクを見るときがあるが、やはりイチジクは庭の中央には植えられておらず、庭や畑の隅にあることが多い。 私と同じように、植える場所に苦労したのだろう。 7 庭の土質は良くない。庭を掘るとすぐに赤土となる。赤土は硬くが締まっているし、栄養分もないようだ。 そのような庭にミカンを植えながら、肥料はやったことがない。昨年から実をつけ始めたが、肥料をやらなかった。しかし、今年も木の生育は良く、実が鈴成りとなった。 思うところ、ミカンの植えた場所は庭の中でも少し高くなっており、ミカンの植える場所は土質より水はけの良い場所を選ぶべきであろうと結論づけた。あくまでも、個人的な「見た目」の見解ですから、適当に聞いてください。 収穫を終えたら、肥料をたっぷりやろう。 年間訪問者(アクセス)数 1月合計 1134人 1日平均 36・5人 2月合計 1083人 1日平均 38.6人 3月合計 1315人 1日平均 42.4人 4月合計 1531人 1日平均 51人 5月合計 1476人 1日平均 47.6人 6月合計 1187人 1日平均 39.5人 7月合計 1415人 1日平均 45・6人 8月合計 1507人 1日平均 48.6人 9月合計 1563人 1日平均 52.1人 10月合計 1501人 1日平均 48.4人 11月合計 1387人 1日平均 46.2人 12月合計 1175人 1日平均 37.9人 総計 16,274人 1日平均 44.5人 編集後記 本書は電子出版ですから冊子にはしません。私の役目は年報の原稿を並べるだけです。その原稿をみなさんが各自プリントアウトして、各自が製本することになります。ですから仕上がりも各自各様となります。 今年は、みなさまの要望をお聴きして、文章のある部分をお好みのカラー文字に変更することもできます。 昨年くらいからホームページの満開佐倉文庫だよりに日記を掲載する時、司書のみなさまの顔が見えるようになりました。今日の内容では飛鳥さんが喜ぶだろうなとか、なっちゃんに読んでもらいたいんだけど、わかったかな、なんて思いながら書いています。 もちろん、その他の司書さんの顔も見えます。また、メールをいただくと、みなさまの「佐倉本探しました。どうですか、館主さん」と喜ぶ声も伝わってくるようになりました。その迫力に、思わず、のけぞってしまいます。そして、多くの人に早く知らせたいと思うのです。 これからも、佐倉本情報をよろしくお願いします。なお、本冊子は佐倉図書館に寄贈していますので、図書館でもご覧いただけます。(雄) 満 開 佐 倉 文 庫 年 報 −平成17年(2005年)版− 編集 亀田雄岳 住所 ホームページ「佐倉と印旛沼」 http://www3.ocn.ne.jp/~inba/ 発行 満開佐倉文庫 発行日 平成18年(2006)4月30日 印刷 各自のプリンター印刷と製本 |