小説 城下町慕情

館主の友人、黒田 碧さんの作品です。
本文は執筆中ですが、著作が黒田さんにありますので、引用はご遠慮ください。



 わずかに減速し始めると、電車は左へ緩く大きくカーブしていく。
ゴトン、ゴトン、ゴトンー
 鹿島川の鉄橋を渡る音が、座席の下から響いてくる。懐かしい音だ。 窓の外には、青々とした田んぼが一面に広がっている。印旛沼の姿は、もう すっかり視界から消えていた。
特急電車のせいか、車内を見回すと、大きなトランクを携えた旅行客が多い。 成田空港から海外へ飛び立つ客だ。 活発な会話が行き交っているのは、旅立つ前の興奮のせいだろうか? あとは、地元の人か、帰省客なのだろう。夏休みも中盤に入っているので、 子供連れも多い。そんなわけで、車内は何となくざわついている。 軽装の乗客の中で、暑苦しい紺色の背広姿の自分だけが浮いた存在だった。

 思えば、自分の人生もまさに、二本のレールをただひたすらつっ走る特急列車 のようなものだった。その時々の目的地に向かって、無我夢中でがむしゃらに つっ走ってきたような気がする。
それなのに、今なぜ、自分がここにいるか分からなかった。ハッと気がついた時には この特急電車に乗っていた。

 今の今まで押さえ込んでいたうちなる衝動に駆られてのことなのか?それともただ 単に魔がさしたということなのか? 彰は自分でも説明がつかなかった。

(2004年8月7日 掲載)



 電車は間もなく佐倉の駅に滑り込んだ。ドアが開いて、ホームに降り立つと さすがに、ムーッとした空気が彰の体を包みこむ。階段を上がっていくと、汗が一 気に吹き出した。上着を脱ぎながら、ズボンのポケットからハンカチを取り出し 流れ出す汗を拭う。  真っ白なハンカチは汗をたっぷり吸って、じっとりしている。このハンカチ 一枚にしたってそうだ。ハンカチは常に白でなければならないと思いこんでい るらしい朱美に彰はうんざりするのだった。
 それは朱美の徹底した潔癖主義の現れで、新婚以来色ものや柄ものの ハンカチを渡された記憶はない。出勤前に、両角が、ピタリと一分の狂いが ないほどきちんと折りたたまれた真っ白なハンカチを渡されて、
「いってらっしゃい、気をつけてね」
と送り出される毎日が、もうかれこれ二十年も続いている。
 だが彰には、この白いハンカチを見る度に、あなたは常に潔癖でいなければ ならないのよーという朱美の無言のメッセージが聞こえてくるような気がしてなら ない。どこにいても朱美の目を感じてしまう。思い過ごし、勘ぐり過ぎだと思う こともある。
 あるとき、何気なく朱美に聞いたことがあった。
「もらい物で他にもいっぱいあるのに、どうしていつもハンカチは白なんだい?」
朱美は、首をちょっとかしげていった。
「だって、あなたの健康をいつも管理できるからよ。白だとハンカチの汚れが 一目で分かるもの。外出した日はいつもより汚れているから、きっと疲れてい るんだろうなって分かるし、風邪をひいているのだって・・・」
 それを聞いただけでは朱美ほど良い妻はいないだろうと思うに違いない。
だがしかし、と彰は思う。管理したいのは、健康ではなく、彰の行動なんだろう と。ついに子どもに恵まれなかった自分たち夫婦にはこんなことも仕方がないこ となのだろうか。

 ポケットにハンカチを突っ込んで、改札を抜け、左の階段を下りていく。
何十年ぶりだろう、この町に降り立ったのは。階段を下り切ったところで大きく 息を吸い込んだ。なま温かい土の香りが、胸の奥まで満ちていく。さてこれから どこに行こうか。

(2004年9月9日 掲載)



 駅前はずいぶん変わっていた。特に、北口側はあの頃、駅の正面から山道が まっすぐに上へと伸びていて、その先は緑なすなだらかな山が連なっていた。冬の 季節になるとその山道を、級友たちと息を切らしながら走ったものだった。高校の 体育の教師が、マラソンが大好きだったからだ。今はその山もすっかり切り崩されて、 住宅街が広がっている。
 彰が下りた京成電鉄の南側は、北口ほど変わっていないが、それでもあの頃に 比べると、格段とにぎやかになっているように思える。何よりも昔、銀行があった右手 奥のほうには現在高層マンションが一棟、崖を背にして巨大な壁のように建っている。
 銀行の跡は、佐倉市の観光協会と、ヤングプラザに変わっていた。ヤングプラザからは、 若者たちがかき鳴らすドラムやギターの音がかすかに聞こえてくる。
 このヤングプラザと高層マンションの間の細い山道を、あの当時高校の制服を着た玲 子が息を切らしながら駆け下りてきたのだ。長い玲子の黒髪と、制服のスカートが揺れる のを、彰は不思議なものでも見るようにただボーっと見つめていた。
「ごめん、ごめん。彰君、待った?」
 玲子は頬を紅潮させ、クリクリした目で彰をのぞき込む。そして、背の高い彰の回りを ちいさな玲子がピョンピョン飛びはねながら一緒に登校するのだ。玲子のおしゃべりは 校門まで途切れることはなく続いていく。
 だが、その二年間、二人はとうとう一度も手をつなぐこともなかった。それでも彰にとって は、毎日が楽しかった。玲子が同じクラスで同じ空気を吸っていると思うだけで、胸が高 鳴った。

 彰は、右手で抱えていた上着のポケットからマイルドセブンライトを一本取り出して火を つけた。ゆっくりとタバコの煙を吸い込む。煙は、のどの奥から、肺の隅々まで静かにしみ 渡っていく。ふと見上げると、今でも坂道の上のほうから玲子が駆けてきそうな気がする。 あれは今からちょうどひと月ほど前、たまたま、実家に帰った際、独身時代から置きっぱ なしになっていた本棚を何気なく見ていたときのことだった。
 埃をかぶっていた本の中で、ふと目を引く一冊の本があった。本を手に取ると、本の間か ら、乾いた四葉のクローバがはらりと膝の上に落ちた。拾い上げると色あせた葉は、彰の掌 の中でカシャ、カシャという小さな音をたて、粉々になって指の間からこぼれていった。

(2004年10月7日 掲載)



 本をパラパラめくっていくと、四葉のクローバーがはさんであったページは、その跡が薄茶色に 変色していたのですぐに分かった。
 立原道造詩集の『草に寝て・・・・・』という詩が、彰の目に飛び込んできたとき、あのときの 情景がまざまざと思い出されてきて、胸の底から熱いものが込み上げてきた。

 県立佐倉高等学校は、長い歴史をもっている。彰の父も、その兄弟も皆この高校の前身 であった旧制佐倉中学の出身だった。地元でもあったし、彰がこの高校に通うのは、ごく当然
のように思われていた。
 この学校の精神は、『温故知新』・『積極進取』・『質実剛健』という三つの柱からなっており、 それは今でも生徒に語り継がれているという。
構内には、その昔、長嶋茂雄が野球部に在籍していたときに、ホームランを打って、屋根を突 き破ったという伝説が残る武道館もあった。そんな高校であったから、生徒の比率は圧倒的に 男子のほうが多かった。
 あれはたしか、高校に入学して間もないころのことだったと思う。担任は、当時30才を迎えた ばかりの木田という現代国語の教師だった。 春のある日、木田先生は、生徒たちを教室の外に連れ出し、バックネットの前に思い思いに 座らせて、国語の本をおもむろに広げて言った。
「今日はいい天気だ。ほら、空を見上げてみろ。真っ青な空、さわやかな風、いい空気・・・・・。 こんな日に教室で詩を勉強するなんぞは野暮ってもんだ。これから立原道造の『草に寝て・・・・・』 を一人一人に朗読してもらう。読むんじゃあないぞ、朗読だ。心を込めて・・・・・。いいな」
 朗読は、端に座っている生徒から順番に始まった。聞いている生徒は、好きな姿勢で聞いていて 良かった。彰は、クローバーの上でゴロリと寝転び目をつぶって、みんなの朗読を聞いていた。
男子生徒の声は、さすがに武骨な声が多かったが、女子はそれぞれに、情感たっぷりに朗読して いる。遠くにひばりがさえずる声も聞こえてくる。
 クラスの半分が朗読を済んだころは、あまりの気持ちよさにトロリと眠りかけていた。
 そのときだった。詩の半ば、
 ー しあはせは、どこにある?
 というフレーズでピタッと止まった声があった。玲子の声だ。
 もう一度、今度は、聞こえるか聞こえないのか小さな、震える声で、
 ー しあはせは、どこにある?
 玲子はそういったまま、顔を伏せて泣き出した。いつも笑顔が絶えない、おしゃべりな玲子だった から、突然の玲子の変わりようにみんなはびっくりしてしまった。
 そのとき、木田先生が言った。 「おい、学級委員の彰、おまえが、そのあとを朗読しろ」

(2004年11月4日 掲載)



 とっさのことで、俺はあわてて辺りを見回した。
「何をキョロキョロしてるんだ。お前だよ、彰!!」
「あっ、はい。−えーっと・・・・」
 自分の順番はもっと先だと思って、ウトウトしかけていた俺だった。どこから読んでいいのか皆目 分からない。
「さあ、玲子の次だ。 −しあはせは どこにある? からだ、リラックスして聞いていなさいとはいったが、居眠りしていいとはいわんかったぞ、彰。よだ れを拭け。よだれを」
 木田先生のそのたったひと言で、今の今まで生徒の中にピーンと張りつめていた空気がいっぺんに なごんだ。俺はよだれなどだしてやいない。
 何が何だかさっぱり分からないまま、俺は玲子の朗読の続きを読まされるはめになった。そして、 とりあえず何とか俺の朗読は終わった。
 読み終った瞬間、玲子の姿が視界にはいった。玲子は、顔を両手で覆って、肩を震わせて泣いて いる。
「彰、居眠りしないで聞いてろよ。いいか?−次は鈴木・・・」
何事もなかったかのように詩の朗読は続けられていく。
 いったい玲子に何があったというのだ。俺は女の気持ちが全く分からなかった。いつもあんなに元気な 玲子が、詩の朗読の最中に泣き出すなど、誰が想像できただろう。
木田先生の声が遠くで聞こえる。
「詩とは、思いを読み込んだ文である。諸君は今日の朗読で、その作者の思いに触れることができただ ろうか? 作者の気持ちになって読んだもの。自分の気持ちを投影して読んだもの。それぞれいたと思うが、 詩には、方程式はない。それぞれが、それぞれの読み方で読み、感じ取ってほしい。青春真っ只中の諸君 は、日々、何を思い、何を感じているのか? 次の授業では君たちに詩を作ってもらう。美しい言葉や、 きれいな表現に惑わされるな。いいか・・・・・」
 そのとたん、生徒の間から一斉にブーイングが起きた。これは俺たちが一番苦手な分野だった。自分の心 の中を他人に覗かれるくらいなら、死んだほうがましだ。
「おい、おい、先生は、自分の気持ちを正直に告白しろとはいってないぞ。そういう意味ではない。おまえら は、すぐに勘違いするからいけない。まあ、仕方がないか・・・・・・その年頃だもんな。ただ、そういう自分の気持 ちを、どう表現するかだ」
 木田先生の言葉は続いた。

(2004年12月7日 掲載)



「その人の、その時の思いを一番端的に表現できるのが”詩”であると私は 思う。思いとは、恋愛だけじゃないんだぞ。自然に感動したことでもいいんだし、 生き物や友人、家族を対象にしてもいい。過去のこと、日常の些細なこと、 将来のこと、それから、今日本や世界で起こっていること、ただ漠然とした 不安・・・・。素材はいくらでもあるだろう。たまには、自分自身と、しっかり 向き合ってみろ。それでは、今日の授業は終わりだ。とりあえず、詩は宿 題にしておこう。」
 いつもはにこにこと笑顔を絶やさない木田先生の瞳が、珍しくキラリと 光った。真剣な顔つきだった。
 俺は、真っ先に立ち上がった。
「起立、礼!」
 みんなが立ち上がるタイミングを見計らって、俺はいつもよりゆっくりと号 令をかけた。
 みんなは、スカートやズボンについた草の葉を払いながら、それぞれ昇降 口に向かって歩いていく。
 玲子は、数人の友達に肩を抱かれながらうつむき加減で歩いていった。
あの友人たちは、玲子が急に泣き出した理由を知っているのだろうか? 俺は、左手に抱えていた現国の教科書を右手に持ちかえると、ギュッ と丸めて、右の太腿にバンっと打ちつけた。
 何だか分からないけど、あの玲子を泣かせた”何か”に腹が立った。

 あの翌日から、玲子は何事もなかったように振る舞っている。いつもの ように、クリクリした目をせわしなく動かして友人たちとおしゃべりしていた。
 けれども俺は、どうも玲子が気になってしょうがない。
 俺の視界の隅には、いつも玲子の姿があった。
 一方、玲子のほうは、何となく俺を避けている節がある。俺とすれ違う ときでも、わざと目を伏せて、俺と目を合わせないようにしている。あんな ことがあったのだから、照れ臭いのだろうと思っていた。

(2005年1月29日 掲載)




 そんなある日、いつものように俺は部活の剣道で、ヘトヘトになっていた。 タオルで汗を拭きながら下校しようと下駄箱のズック靴を取ろうとしたときだ。 何かが手に触れる。俺はそいつをつかんだ。
 それは、文庫本より少しばかり大きい詩集だった。 俺は柄にもなく真っ赤になって、慌てて辺りを見回した。誰も見ていない。
少しホッとする。
 『立原道造詩集』だ。誰が俺の下駄箱に入れたのかは分かっていた。いつか こんな日が来ることを期待していなかったといえば嘘になる。
 俺は、その詩集をカバンに入れると、ズック靴を下駄箱に戻した。このまま 家に帰る気にならなかった。どこか静かなところで一人になりたかった。
 俺たち一年生の教室は、正門の正面にある。前世紀の遺物のような古 い校舎だった。なんでも、明治時代から建っているというから驚きだ。 ブルーの屋根には、ドームや塔があり、薄いピンク色した板壁などの外観は 当時としてはえらくハイカラだったに違いない。
 だが、現実に使っている俺たちにとっては、結構つらいものがあった。とに かく、すきま風が容赦なくピューピュー入ってくるし、窓も木枠で開け閉めす るのも一苦労だった。床なんぞは、いつもギシギシいって今にも抜け落ちそう だ。廊下を走るなといわれなくたって、こんな状態じゃ誰も走るものなんてい ない。
 この校舎には、もちろん屋上なんかない。俺は、上級生の教室がある新 館の屋上へと向かった。あそこなら、独りっきりで、あの娘からの手紙を読め るだろう。
 ところが、そのとき屋上には先客がいたのだ。全員が丸坊主で、手にはそれ ぞれ白い手袋をはめている。応援団だ。
「オッス!」
 ドスのきいた大きな声が屋上に響く。夏の高校野球も近づいているので、練 習にも気合が入っている。
 俺はちょっとビビッた。
 だが、かえって好都合ともいえた。応援団の勢いに押されて、俺の他には 誰も屋上に上がってこない。
 俺は、応援団の人達から離れた、給水塔の陰に座り込んだ。そして、カバン の中から、例の詩集を取り出した。
 詩集の中ほどから、何かがパラリと俺の膝の上に落ちた。四葉のクローバー だ。あの娘が、バックネット裏にかがみこんで、一生懸命四葉のクローバーを 探している姿が目に浮かぶ。
 クローバーに添えられて、手紙が入っていた。あの娘の筆跡が目にとびこん できたとたん、俺の心臓は早鐘のように鳴りだした。
「ピー、ピー、ピー」 近くの畑でまたひばりがさえずりだした。

(2005年2月14日 掲載)



 ーすぐに読みたいー
心は急いでいるはずなのに、俺は玲子からの手紙を握り締めたまま、立ち上 がる。今この瞬間の胸の高まりをもっと自分自身で確かめたかったのか、それ とも読む楽しみを先伸ばしにしたかったのか、とにかく、いてもたってもいられな くなって立ち上がり、屋上の手すりにもたれかかった。
 俺の手の中の薄いクリーム色の便箋は、六月の少し湿り気を帯びた風にふか れて、小さく揺れている。
 緑の風を胸いっぱいに吸い込んだら、胃の奥のあたりがキューンっと痛んだ。
 屋上からの眺めは最高だ。
 目の前には関東ローム層特有の赤茶色のグランドが広がっている。右手に は、大きな屋根の古びた武道館が建っていて、その奥にあるバックネットは、 翼を広げた鳥のように見える。そいつは今にも大空に羽ばたいていきそうだ。
 グランドの先には裏門があり、京成電車に続く細い通学路は畑の真ん中を  ウネウネと縫っていく。なだらかに向こう側に傾斜している畑のその又向こう 側は、ストンと地形が落ちており、その下には、田植えを終えたばかりの田ん ぼが広がっている。青い苗が、キラキラ光る水の中でどこまでもお行儀よく並 んで見える。
 ちょうどそのとき、田んぼの間を四両連結の京成電車が走ってきた。成田か  らきた上り電車だ。まるでおもちゃの電車みたいだ。
 ゴーッ、ゴーッ、ゴーッ・・・
 電車は線路を走る音だけを響かせて、山あいにその姿を消していった。
 俺は、フッとため息をつく。
 突然、大きな声が俺の耳に飛び込んできた。

   東に遠く 利根の清流を注ぎ見ぃー
   西に遠く 富士の霊峰を仰ぎ見ぃー
   ここ関東平野鹿島の丘にぃー
   我が佐倉高等学校つわものどもがー
   いざ声高らかに歌わんかな叫ばんかな
   叫ばんかな舞わんかな

 佐倉高名物の一高節だ。応援団に目をやると、団長を前にして、横一列に並 んだ団員達は、両足を大きく開き、額にキリリと巻いた鉢巻きの先が いまにもかかとをつきそうなほど上体を後ろに反らし、真っ赤な顔で声を張り 上げている。

 俺は、ついこの間の入学式の日を思い出していた。
 入学式で、この応援歌に迎えられると初めて、
「ああ、俺は、佐倉高に入ったんだ」
 と誰もが感慨にふけることができるのだ。

(2005年5月10日 掲載)




 新入生の誰もが緊張した面持ちで着席している。
 俺は、学生服の詰め襟のカラーがなじんでいなくて、首のあたりが痛いのが 気になり、周囲に気づかれないようにそっと首を動かしていた。
 式は順調に進み、在校生の歓迎セレモニーに移った。
壇上では例の応援団の『一校節』が始まった。俺はおやじから何度も聞いて いたのでびっくりはしなかったが、初めて聞く新入生には結構衝撃的らしくっ て目を真ん丸にしてまばたきもせずに見入っている。
 昔の旧制中学のバンカラ生徒たちは、下駄を鳴らしながら佐倉の町をかっ歩 していたんだろう。そんなことを思いながら聞いていたら、俺の斜め前のほう から、「クッ、クッ、クッ、」と笑いをかみ殺す声がするのに気づいた。
 隣の生徒が、その女生徒のわき腹をつんつんとつつくのが見てとれる。つつ かれた生徒は、ヒョコンと一度首をすくめたがまだ笑っているのか、肩のあた りがいつまでもひくひくと揺れている。
 何がそんなにおかしいのか?変なやつだなあとそのとき俺は思った。
 ブラスバンドの演奏に送られて退場する時、その女生徒の顔を見た。背の 小さな娘だった。笑いすぎたのか頬が紅潮している。大きな瞳が茶色いのが印象 的だった。
「どうしちゃったのよう、玲子。あんな時に笑っちゃってさあ、隣の組の先生 がにらんでいたよ、気づかなかった?」
 つついていたと思われる生徒が言うと、玲子と呼ばれた生徒は、思い出した のか、またヒック、ヒックと笑いだした。
「だってさあ、『さーくーら高校のおー、がくせーいさんはー、どーきょうー ひーとーつーーのおーとーこーばかりーー』まではいいけどさあ、そこにあい の手が入るじゃん。『あー、それそれ』ってさあ」
 玲子は、両手を頭のうえにかかげて、応援団がやったように手のひらをヒラ ヒラさせて見せた。
「おっかしいじゃん。怖そうなお兄さんたちが、『あー、それそれ』だよ」
 回りのみんなも玲子の仕草がおかしくて、つられて笑いだした。
 それが玲子を意識した瞬間だったかもしれない。
 玲子は良く笑う娘だった。玲子がいる教室は、いつも明るかった。体が弱い のか、玲子は時々学校を休んだが、そんな日は、つまらなかった。授業中も休 み時間も、放課後も、気がつくと、俺の目は、いつも玲子の姿を追っていた。

(2005年6月7日 掲載)



10
 日陰を選んで腰を下ろした。梅雨のあい間の太陽は、屋上のコン クリートを容赦なくじりじりと照らしている。その気色の悪い温か さが尻のあたりからぬるぬると伝わってくる。
 俺は、玲子からの手紙をゆっくりと開いた。細い万年筆で書いた のだろう。のびやかでそれでいて涼しげな字だ。

 本宮君、あのときは助けてくれてありがとうございました。
 何でいきなり泣き出してしまったのか、自分でも分かりません。
いったん、涙が出たら、止まらなくなってしまいました。さぞみ んなはびっくりしたことでしょうね。でも、一番びっくりしたのは 私でした。泣きやまなくっちゃ、泣きやまなくっちゃ・・・・・。
 あせればあせるほど、どんどん涙があふれてきて。
 そんな時、ふと気づいたら、本宮君の声が聞こえてきたの。本 当のことを言うと泣きながら、私は、ずっと本宮君の声を聞いてい たんです。
 私、前から本宮君の少し低音の優しい声が大好きでした。亡くな ったおじいちゃんの声にとても似ていたからです。おじいちゃんは 初孫の私を、赤ちゃんのころから目の中に入れてもいたくないほど 可愛いがってくれました。
「いい子だねぇ、玲子は。いつだって、玲子は玲子でいいんだよ。 おじいちゃんは、そんな玲子が大好きなんだから」
 元気のない時は、そっと励ましてくれたおじいちゃん。私もおじ いちゃんが大好きでした。
 本宮君の声を聞いていると、まるでおじいちゃんが私のそばに来 て見守ってくれているみたいに思えて、私はいつもホッとするので す。だから、あの時、とうとう私の気持ちが通じたのかなって思っ たの。あとで友達から、木田先生が本宮君を指名したのだと聞か されて、ちょっとがっかりしたけど、でもやっぱりうれしかった。
 本宮君は、私の窮地を救ってくれました。どんな時も私の発する SOSを聞きつけ、勇気づけてくれたおじいちゃんみたいに・・・・・・ 
 お礼をいつか言わなければと思いながら、泣いてしまった恥ずか しさで、なかなか、ありがとうの一言が言えませんでした。本当に ごめんなさい。
 日曜日に母と千葉に買い物に出かけた時に、駅ビルのキディーラ ンドによりました。『立原道造詩集』を見つけた時に胸がドキドキ してしまいました。これで、やっと本宮君にお礼の手紙が書けるっ て思いました。二冊買ってお会計をする時、母に変な顔をされてし まいました。
「同じ本を何で二冊も買うの?」って。
「うん、友達に頼まれていたの」
 とっさにごまかしたんだけど、母はちょっと首をかしげてい  たみたい。私の顔が、赤くなっていたのかなあ?
 母の勘って、鋭いなあってその時思いました。
 一冊は、本宮君に送ります。あの時のお礼です。あとの一冊は私 の宝物にします。
 それから、四葉のクローバーも二枚見つけたので、あの詩のとこ ろにはさんでおきました。
 本宮君も、私も幸せになれますようにって、願いをこめて・・・・・
 私からのお礼の気持ちを、どうぞ受け取って下さいますように。
               本宮君の声の大ファンの玲子より

 いっきに読んだ。届いたのは、玲子の気持ちはでなくって、俺の 気持ちだった。だって入学式の日から、俺は玲子しか見ていなかった のだから。俺は、手紙を持ったまま立ち上がり、ラグビー部の赤と黒の ユニフォームが駆け回るグランドに向かって、大声で吠えた。
「ウオーッ、ウオーッ、ウオーッ」
 応援団たちが一斉にこちらを見る。
そんなことなんかちっとも気にならない。変だと思えば勝手にそ う思え。俺は今、最高にいい気分なんだ。おまえらに、今のこの俺 の気持ちが分かってたまるか。

続く(2005年7月6日 掲載)



 


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