佐倉ゆかりの映画
佐倉にゆかりのある映画を掲げました。
ゆかりといっても、作品にゆかりがあったり、佐倉がロケに使われたりさまざまです。
あくまでも個人的な判断による「ゆかり」なのです。
【2011年6月2日 更新】
【佐倉にゆかりのある映画一覧】
上映年
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映画の題名
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ロケ地・佐倉とのかかわり
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監督
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配給・制作
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昭和8年
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三万両五十三次
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元佐倉藩士が京都に向かう(*未見)
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辻吉朗
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日活
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昭和16年
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指導物語
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佐倉駅と総武線
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熊谷久虎
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東宝
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昭和27年
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真空地帯
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連隊の兵舎
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山本薩夫
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新星
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昭和27年
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三万両五十三次
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元佐倉藩士が京都に向かう
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木村恵吾
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大映
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昭和30年
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明治一代女
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主人公の叶家お梅(花井梅)は佐倉生まれ
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伊藤大輔
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新東宝
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昭和31年
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怨霊佐倉大騒動
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タイトルに「佐倉」が入った唯一の作品
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渡辺邦男
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新東宝
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昭和33年
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点と線
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国鉄佐倉駅
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小林恒夫
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東映東京
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昭和34年
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百万両五十三次
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元佐倉藩士が京都に向かう(*未見)
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小沢茂弘
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東映
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昭和39年
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鬼婆
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印旛沼(栄町)
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新藤兼人
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近代映画協会(東京映画):製作
東宝:配給
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昭和39年
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ミスタージャイアンツ・勝利の旗
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主演 長島茂雄
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佐伯幸三
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東宝
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昭和41年
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陸軍中野学校
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歩兵第57連隊
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増村保造
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大映
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昭和43年
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縄張(シマ)はもらった
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国鉄佐倉駅の引き込み線
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長谷部安春
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にっかつ
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昭和56年
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魔界転生
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佐倉という字幕が出る
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深作欽二
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東映
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昭和60年
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トビウオ神話
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長嶋さんが特別出演
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高木一臣
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ポニーキャニオン
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昭和62年
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ハチ公物語
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料亭花家
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神山征二郎
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松竹富士
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平成元年
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激突
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登場人物に佐倉藩主堀田正盛
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降旗康男
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東映
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平成2年
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死の棘
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映画の一場面が佐倉という設定
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小栗康平
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松竹
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平成3年
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幕末純情伝
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佐倉厚生園
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薬師寺光幸
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松竹
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平成4年
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江戸城大乱
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大久保加賀守忠朝・堀田備中守正俊
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舛田利雄
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フジ・東映
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平成4年
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トカレフ
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印旛沼(本埜村)
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阪本順治
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ヘラルド・エース
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平成8年
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スーパースキャンダル
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寺崎周辺
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岡村俊一
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エースピクチャー ズ
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平成9年
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恋と花火と観覧車
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佐倉厚生園
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砂本量
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松竹
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平成9年
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うなぎ
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うなぎの飼育方法を聞く
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今村昌平
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松竹
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平成12年
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夢は時をこえて―津田梅子が紡いだ絆
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梅子の父仙が佐倉出身
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藤原智子
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津田塾同窓会企画 日本映画社製作
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平成14年
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Dolls (ドールズ)
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佐倉市内田
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北野武
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バンダイビジュアル・TOKYO
FM ・テレビ東京
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平成17年
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アインシュタインガール
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ユーカリが丘・印旛沼
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及川中
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アルゴ・ピクチャーズ
製作 ソフトバンクBB株式会社 ・ パノラマ・コミュニケーションズ
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平成17年
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NANA
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ユーカリが丘
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大谷健太郎
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「NANA」製作委員会
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平成19年
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監督・ばんざい
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聖隷佐倉市民病院
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北野武
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バンダイビジュアル・TOKYOFM・電通・テレビ朝日・オフィス北野:製作
東京テアトル・オフィス北野:配給
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平成20年
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山桜
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武家屋敷
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篠原哲雄
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製作はバンダイビジュアル、ジェネオンエンタテイメント、テレビ朝日、テンカラット、日楽堂、デスティニー。配給は東京テアトル
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平成22年
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レオニー
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津田梅子役
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松井久子
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配給は角川映画
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平成23年
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学校をつくろう
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武家屋敷
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神山征二郎
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配給はゴー・シネマ
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【作品解説】
三万両五十三次
野村胡堂の小説『三万両五十三次』を映画化した作品です。監督は木村恵吾。出演は大河内傳次郎、轟夕起子ほか。
この映画は、幕末、老中首座であった堀田正睦が日米修好通商条約締結のために、朝廷の勅許を
得るために京都に向かうという話です。大河内傳次郎が演ずる佐倉藩士馬場蔵人が、藩主堀田正睦の命を受けて、三万両を京都に運ぶストーリ。 道中、佐倉藩士は盗人や佐幕派の志士たちにねらわれます。
『写真で見る大衆文学事典』によると、この映画は3回もつくられたとあります。 1回目は昭和8年(1933)、日活が大河内伝次郎で。2回目は昭和27年(1952)、大映が大河内伝次郎で。3回目は昭和34年(1959)、東映が大友柳太朗でつくったとあります。
東映作品は「戦後の物価高を反映して、『百万両五十三次』と改題されたが、運搬するのは三万両で奇妙だった」そうです(79頁)。
指導物語
佐倉でロケされた映画は戦前からありました。古い作品としては、昭和16年に封切られた「指導物語」でしょう。監督は熊谷久虎、出演は丸山定夫、藤田進、そして永遠の美女原節子らです。
この映画は若い兵士がSLの運転技術を磨いていく作品ですが、SLが力強く走る場面も多いので、SLも主役といえます。佐倉が出てくる場面の映像は、SLが併走して走る場面(最初と中間に出てくる場面。これは佐倉市長熊の集落が背景に写っている)と、国鉄佐倉駅の風景、そしてそこに歩兵五七連隊の兵士がエキストラで出演しています。
これは映画の一場面とはいえ、当時の佐倉が映像で残された資料です。もちろん意図的に造られた場面であっても、私には価値があります。とにかく、佐倉でロケされた、あるいは佐倉にかかわりのあった、というところに私は映画の価値を見出しています。
なお、SLが走る場面の背景に写る集落については、長熊出身の方に映画を観ていただき各家の特定までできました。もちろん、その人の実家も写っています。
真空地帯
戦後、野間宏の小説『真空地帯』が映画化されましたが、そのロケに佐倉の連隊跡に残っていた兵舎が使われました。監督は山本薩夫、出演は木村功、下元勉らです。当時の映画は観ていませんからビデオ購入しました。
ところで、このロケを見ていた一人に長嶋さんがいました。『燃えた、打った、走った』には、次のように記されています。
ぼくが(佐倉・臼井二町組合立中学に)入学して間もなく、映画のロケ班がくりだし
てきた。山本薩夫監督の「真空地帯」のロケである。教室の机や椅子を片づけ、窓ガラ
スに爆風よけの紙切れを米ジルシ型にベタベタ貼りつけると、それで準備完了。なにし
ろ、セットではなく本物の兵舎なのだから、仕事は早い。人一倍ヤジ馬根性のつよいぼ
くは、授業もそこそこに、自慢の俊足をとばして見物に駆けつけた。
とあります。見学者は多くいたようで、映画の話を聞くと、よくこのときの話をする人がいます。
明治一代女
川口松太郎の小説『明治一代女』を映画化した作品。監督は伊藤大輔。出演は木暮実千代ほか
主人公の叶家お梅(本名花井梅)は佐倉藩士の娘。
怨霊佐倉大騒動
義民佐倉惣五郎伝説を映画化した作品。領主の過酷な年貢取立てで苦しむ農民を救うために宗五郎は立ち上がり、将軍に直訴を行う。当時は、宗五郎という名前が一般的だあったが、後に惣五郎という実在の人物がいたことがわかり、今日では「惣」を多く使うようです。
監督 渡辺邦男 出演 嵐 寛十郎
点と線
松本清張原作の推理小説『点と線』を映画化した作品。出演は南廣、高峰三枝子、志村喬ら。国鉄佐倉駅を、福岡県の国鉄香椎駅に模してロケされました。このロケ情報は、中国にいるティさんからいただいたもので、高峰三枝子は駅前の旅館から出てくる場面を何度も撮影していたそうです。
映画は昭和33年11月の公開ですから、撮影はそれ以前となります。そのような古い作品ですが、DVD化されていますので観ることができました。ところが佐倉駅らしい駅名は香椎駅とあり、構内には博多人形も置かれているから一見すると佐倉駅とわかりません。そのようにセットしているのですから当然なことですが、逆に、そのようなセットを取り外しながら佐倉駅と確定していく過程を楽しむことにしました。
映画をよく見ていくと、駅入口の右にある水飲み場を覚えている人がいました。また左手には売店があり、古い写真と比べても駅の屋根や概観から佐倉駅らしいとわかります。でも、確定はできませんでした。
そこで、鉄道の専門家(満開佐倉文庫司書)に観ていただき、ホームに入ってくる蒸気機関車の型式が門司機関区では使われていない機関車であったことと、遠方に見える給水塔の位置から佐倉駅と認定することにしました。(西鉄香椎駅の部分カット 2007年10月4日)
映画に出てくる香椎駅は、「寂しい所ね」と話しながら、2人が香椎海岸へ向かうシーンでありまして、そのような雰囲気に合った駅が国鉄佐倉駅であったということになります。
こんな有名な小説の映画に、佐倉駅がロケで使われていたなんて最高です!
2007年9月22日
福岡市にお住まいのFさんからメールあり
はじめまして。ひょうんなことから貴HPを知りました。
「点と線」の国鉄香椎駅が佐倉駅を使って撮影したことを初めて知りました。
ところで、貴HPからこのことを知った人は、「西鉄香椎駅は現地撮影でなく、西武線のとある駅だ」と言っております。
私は福岡在住で、封切時から現地撮影と思い込んでいたのですが、この指摘をうけてDVDを見直すと、西鉄ではないことがわかりました。
まず、電車が立派過ぎる。当時の宮地岳線車両は16mクラスの2,3両連結で、扉は手動でした。色と形が似ているので騙されます。
駅舎と構内配線も実物とは違うようです。以上、発見した人からも連絡があるかもしれませんが、念のためお知らせします。
なお、おなじころ制作された「張り込み」(野村芳太郎監督)は、佐賀はじめ九州の国鉄駅はすべて現地ロケのようです。
DVD付録の撮影秘話によると、野村監督は「わざわざ現地に行かなくても撮れるのに、と他の監督さんに言われたけど、筋書きや配役はそれほど面白くないのだから、せめてロケだけは現地でやって迫真力を出したい」という趣旨の話をしていたそうです。
それはともかく、貴HPのおかげで以前から見たかった「指導物語」もネットから見ることができ、感謝いたします。
〈返信〉
はじめまして。
満開佐倉文庫を運営している亀田雄岳と申します。当ホームページをごらんいただきましてありがとうございます。
このたび、情報をいただきましてありがとうございました。さっそく、ご指摘のあった西鉄香椎駅の話を検討してみます。またホームページに掲載し、みなさまから情報をいただくようにいたします。
国鉄佐倉駅ばかりに目をとられ、他は見過ごしてしまった(また現地ロケという思い込みがあった)のかも知れませんね。これからも、よろしくお願いします。
そうすると、自殺(殺人)現場の海岸も現地ロケではなかったんでしょうかね・・・。「点と線」のロケ地探しにまで、話が膨らんでいくと楽しいですね。
鬼婆
映画「鬼婆」は、印旛沼で撮影されました。印旛沼といっても佐倉市域にある印旛沼ではなく、印旛郡栄町にある印旛沼、つまり、今で言えば北印旛沼の北側にある沼辺ということになります。そのようなことで、撮影の所在地からすれば佐倉市以外の土地になってしまうのですが、印旛沼であれば、どの市町村の地域に含まれようと私の「佐倉ゆかり」許容範囲です。
映画は昭和39年、公開ということで、印旛沼は、まだ埋め立てられておりません。葦が一面に生える沼辺。人が歩くだけの幅に葦が刈られ、木材をつないだだけの簡易な船着場。今では見られない印旛沼の風景が記録されています。
出演は乙羽信子、佐藤慶、宇野重吉、殿山泰司、吉村実子。物語の時代は中世、戦国時代。葦原(監督は、ススキ原のイメージを探していた)の中に掘立小屋をつくって生活している姑と嫁。近くの掘立小屋に住む男を好きになった嫁。人間の性を描いています。
DVDには、「鬼婆」の解説を「芒がゆれる」という題で監督が記していました。この中に印旛沼で撮影した苦労話がありました。
「南から風が吹くと沼の北の水位は1メートルも上がる。プレハブの床まで水がくる。風が吹けば
水をかえだしながらの撮影となった。夜は無数の虫がやってきた。誘蛾燈めがけてとびこんできて、
たちまち燈下は虫の死骸の山となる。それを食いに沼の茂みからエビガ二が這いだしてくる」
とありました。印旛沼干拓前には、沼の水は風が吹くと移動するとは言われていましたが、1メートルも水位が上がるほどだったんですね。驚きました。
そのことを書いた本が『映画つくりの実際』(1979 岩波ジュニア新書)、『三文役者の死 正伝殿山泰司』(1991年5月 岩波書店)、『新藤兼人の足跡3 性と生』(1993 岩波書店)にあります。内容はほとんど同じですから、このうちの一冊を読めばよいでしょう。
ミスタージャイアンツ・勝利の旗
古書目録を見ていましたら、長嶋さんとフランキー堺さんが写った映画のポスターがあり、早々に注文したのですが手に入りませんでした。そのようなわけで、この映画は古書目録で知りました。
昭和三九年に上映されたもので、現役の長嶋さんが主演です。映画を見ていませんが、インターネットで検索したら、長嶋さんが巨人軍の選手たちと苦しい練習に耐えて日本一になるというストーリーとありました。
昭和三九年といえば東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年です。日本が戦後の苦難を乗り越えて高度経済成長期に入る時期ですから、映画の長嶋さんも時代の流れにピッタリだったのでしょう。ビデオはないものかと探したのですが、ビデオ化されていないんですね。観ることが出来ないのは悔しいなあ。
さらにインターネットで調べると、この他にも巨人軍の映画がありましたから、長嶋さんも出ているのでしょう。でも、観ていないので作品の話はやめます。
陸軍中野学校
明治6年、佐倉城跡に連隊の営所が置かれ、歩兵第2連隊が駐屯しました。明治42年から、歩兵第57連隊が駐屯します。昭和11年、2・26事件あり。同年5月、歩兵第57連隊は満州に渡り、佐倉には歩兵第57連隊の留守隊が残っていました。
そして、話は映画に移ります。1966年、大映は市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」を作ります。中野学校とは陸軍のスパイ養成学校ですが、市川雷蔵演ずる三好次郎が中野学校に入営するまでの所属は、歩兵第57連隊の士官候補生でした。
映画の導入場面は、歩兵第57連隊の営所に入る三好次郎です。ただし、佐倉でロケされたものではなく、営所の看板が歩兵第57連隊と書かれていた、というだけです。
2007年7月8日
Uさんから佐倉本情報のメールあり
僕は昔から畠山清行の実録歴史物が好きで愛読してきました。先日新潮文庫版の畠山清行著『秘録 陸軍中野学校』を読み返していたところ、思わぬところに、千葉佐倉第57連隊のことが出ていました。
少々長くなることをお許し願えるなら、紹介したいと思います。
「たとえば、その中の一人、小林美文大尉(終戦時中佐)は、日中事変勃発当初の昭和12年8月、歩兵第三連隊の中隊長として、錦州から熱河を横断、張北から万里の長城を超えて張家口に攻め入った大作戦に従軍していた。この(略)迂回作戦は、のちに映画にもなった。
(略)そのころ、満州に移駐して泰安鎮にあった第一師団の歩兵第一連隊と歩兵第三連隊、それに千葉県佐倉の第57連隊の一大隊、大阪の野砲第四連隊で、応急派兵の旅団を編成したもので、数十倍にあまる敵軍の真っただ中へなぐり込み、現役兵の強さ遺憾なく発揮した戦いであった。
(略)また、同時に中野入りした川島威伸中尉も、佐倉第57連隊朝生大隊大十中隊の小隊長(当時少尉)としてこの戦闘に参加し、張家口の手前の八角台で威力偵察を命ぜられた。八角台は、敵がこの日にそなえ、山麓から頂上まで岩石を掘り抜いて築いた幾十段のトーチカ陣地で、全山これみな敵の堅塁である。」
という張家口の戦いに佐倉第57連隊が出てきます。以上、紹介でした。
〈返信〉
ありがとうございました。これで、これまでもやもやしていたことが、すっきりしました。
映画「陸軍中野学校」の冒頭、主人公がスパイになる前の連隊が映し出されます。その連隊が歩兵第57連隊でした。つまり、佐倉の第57連隊の士官候補生がスパイになるという話です。(「映画」の項目に詳細があります)
映像は、ほんの10数秒だけ、連隊の看板を写しました。佐倉にこだわっていなければ、見過ごしていたでしょう。しかし、増村保造監督は、どうして主人公を歩兵第57連隊の士官候補生に設定したのかということがわかりませんでした。
でも、映画のヒントになる話が57連隊にあったんですね。さっそく本を購入することにします。
それから、この迂回作戦の映画の題名は、どのようなものだったのでしょうね。
縄張(シマ)はもらった
小林旭と宍戸錠の格闘シーンが、国鉄佐倉駅の引込み線でロケされました。
この情報はfukikohassyさんからいただいたものです。
昭和43年9月8日付、千葉日報に出ています。「先月2日、小林旭は既報のとおり小編成のロケ班とともに千葉市へ早朝到着。千葉刑務所を舞台に出所するシーンを撮影。
続いて午前11時から佐倉市六崎地区(国鉄駅引き込み線)で宍戸錠とのからみで格闘シーンを撮影、紅一点のニューフェース久本由紀も加わって、炎天下、勇ましいロケを行なった」
映画の題名は「縄張(シマ)はもらった」で、10月に千葉日活で封切られたそうです。
2006年6月にオフ会を開催し、ロケ場所については全員一致で「現在、法務局近くにあった引込み線近くである」という結論になりました。また、会議終了後、現地視察を行い、「だいたいこの辺であっただろう」という確認をしました。
魔界転生
昭和56年、角川春樹事務所が企画した「魔界転生」という映画が上映されました。出演者は千葉真一、沢田研二、緒形拳、丹波哲郎ら。原作は山田風太郎ですから、話が空想です。DVDの宣伝コピーには、「奇想天外!歴史上の傑人が時空間を超えて暗躍する・・・。忍法&オカルトをミックスした、空前絶後の伝奇大ロマン」とありました。
ストーリーは,、天草四郎時貞が剣術にすぐれた死者を蘇らせて徳川家を混乱させようとしたもので、宮本武蔵と柳生十兵衛が決闘したり、十兵衛と天草四郎時貞が決闘したりします。
いくつかの怨念を取り上げていく中で、下総国佐倉という字幕が出てきました。そして、百姓が飢饉で困り、代官に訴える話が描かれています。
トビウオ神話
古橋廣之進さんの映画『トビウオ神話』(1985年)に長嶋さんが特別出演しています。
映画の導入シーンで、いきなり長嶋さんが古橋さんを語っています。
ハチ公物語
新藤兼人原作・脚本、神山征二郎監督の映画「ハチ公物語」は、昭和62年作品。松竹富士配給で、仲代達矢、八千草薫
、石野真子、柳葉敏郎らが出演。
映画は、大学教授上野英三郎博士が飼った犬「ハチ公」と、博士の心温まる作品です。この映画で、博士の娘がハチ公をもらう場面があり、電話の応対をしている場面が佐倉にあった料亭花家でロケされたと女将さんから聞きました。仲代達矢氏の写真も見せられました。
さっそく映画を観ましたら、電話機の脇に「16番」という鉄製のステッカー(?)が貼られてありました。これは、花家さんの電話番号でした。食事をしている場面もそうであったと聞いていますが、花家さんの台所の間取りを知りませんので、「ここがそう」とは断定できませんでした。食事の場面は除くにしても、佐倉ゆかりの映画といえます。
激突
映画「激突」は、江戸時代、日光に出かけていた将軍の子竹千代が狙われる。そのため、竹千代を預かる佐倉藩主堀田正盛、そして、正盛に雇われた七人の無頼が命に代えて竹千代を守ろうとするストーリー。
堀田正盛役に丹波哲郎、その他の出演者は松方弘樹、緒方拳、千葉真一、長門裕之など。佐倉藩の大名行列もあります。
死の棘
映画「死の棘」は、平成二年のカンヌ国際映画祭でグランプリと国際批評家賞を受賞しました。
「死の棘」は、島尾敏雄の小説を映画化したもので、その小説に描かれた舞台の一つが佐倉であったのです。監督は小栗康平、出演は松坂慶子と岸部一徳らで,ほとんど座ったままの夫婦の会話であったように思えました。
幕末純情伝
「幕末純情伝」のロケが佐倉厚生園の庭園(現さくら庭園)で行なわれました。私も野次馬の一人として、仕事が終わってから見に行きました。庭園の真ん中に建物のセットが作られており、見るからに料亭といった設定のようです。それでロケは今か今かと待っていたのですが、どうしたことか出演者もスタッフも出てきません。いくら待ってもロケ隊に何の動きもなく、なんだかわからずに帰りました。
後に映画のパンフレットを見たら、その辺のところが書いてありました。監督は薬師寺光幸。出演は渡辺謙、牧瀬里穂ら。建物は、長崎にある料亭花月の一室。ロケ当日は、無情にも出番を待つキャストの上に雨つぶがぽつりと落ちてきて中止。翌日も雨。しかし、夜中の四時までかかって撮影をしたとありました。私が行ったのは、どちらの日であったかわかりませんし、雨が降っていたということさえ忘れてしまいましたが、いずれにせよロケを見ることはできなかったんです。
江戸城大乱
佐倉にゆかりのある人が出てくるのではないかという予想のもとに、ビデオ「江戸城大乱」(1992 フジテレビ・東映)を購入。
物語は病弱な4代将軍徳川家綱は実子がなく、5代将軍を誰にするかということを巡っての話。登場人物に老中大久保加賀守忠朝(江原慎二郎)が出ていました。忠朝は、延宝6年(1678)1月から貞享3年(1686)1月まで佐倉藩主でした。
家綱が死ぬのは延宝8年(1680)5月ですから、この前後の物語とすると、忠朝は当時、佐倉藩主であったと思われます。主役は酒井雅楽頭忠清(松方弘樹)で、堀田備中守正俊(三浦友和)が重要な役割を担っていました。正俊の子供2人も登場します。とにかく堀田正俊が、かっこよく描かれています。なお、家綱の死を聞いて殉死した堀田正信は登場しませんでした。
トカレフ
息子の命を奪われた人間が容疑者を探し出します。そして、トカレフという拳銃で打ち合うクライマックスの場面が印旛沼でした。ロケ地は、北印旛沼の吉高機場から本埜河岸あたりまでの沼に沿った道路と、本埜河岸です。容疑者がパトカーを奪い、沼に突っ込んで止まります。ここは、私が写真の撮影に行く場所ですから、よく知っています。
また、ここはハスが咲く場所として知られています。冬となっても、ハスの枯れた茎が水面に残っているはずですから、それを取り除いたのでしょうか。とてもきれいでした。
阪本順治監督、大和武士、西山田海、佐藤浩市出演、ヘラルド・エース配給 1994
"94年度キネマ旬報読者選出日本映画ベスト・テン第6位
"94年度毎日映画コンクール音楽賞、録音賞受賞
"94年度ヨコハマ映画祭作品賞・監督賞・音楽賞・助演男優賞
スーパースキャンダル
稲垣吾郎主演の「スーパースキャンダル」も、佐倉でのロケがありました。この映画は、全国一斉封切りというのではなく、銀座にある一つの映画館で上映し、次に渋谷のある映画館で上映するという形でした。ですから新聞の映画欄をこまめにチェックし、映画が上映される場所を確認することが必要でした。
映画では、ラストシーンから中央公民館と佐倉の風景が出てきます。風景は羽鳥、寺崎あたりの広い田んぼを撮っていて印象的です。私も列車で千葉から帰ってくると、この風景を見て、佐倉という土地に入ったなと思います。景色は、それまで連なっていた住宅地が切れて緑一色に変わり、やがて遠方に町が見えてきます。この風景、私にとっては「佐倉のイメージ風景」であり、「気持ちのほっとする風景」なんですね。普段はあまり思いませんが、旅行をするときなどには「いよいよ佐倉を出るな」と思ったり、帰りには「もうすぐ佐倉だ」と手荷物を確かめたりする風景なんです。
風光明媚というのではなく、その土地の出入り口にあって、場面が変わり、気持ちが広々とする風景といったら良いのでしょうか。どうもうまい表現がありませんが、佐倉という土地が思い浮ぶ風景といえます。
それにしても、この場所を切り取った岡村俊一監督の眼は確かであったと思います。この佐倉駅周辺に広がる田園風景は、旭爪あかねの『稲の旋律』にも描かれています。ただ私にとっては佐倉のイメージ風景ですが、見る人により成田詣での入口にある風景になったり、成田空港を思い浮かべる風景になったりするのでしょう。イメージ風景は、それぞれの人が目的に合せて持っているのです。
恋と花火と観覧車
「恋と花火と観覧車」は、映画大好きの友人から教えてもらいました。彼から電話がありまして、「恋と花火と観覧車」の最初のカットに佐倉厚生園の庭園が使われている」というのです。本当に一カットなのですが、彼は、映ったとたんに、ピンとくるものがあったそうです。そして、最後に字幕が出て、協力佐倉厚生園とあったので納得したというのです。
確かに私も映画を観て、ピンときました。手入れのされた背の低い黒松、そして、芝生。普段見ている風景は、覚えようとしたつもりはありませんが、心のどこかに残っているのでしょう。
うなぎ
平成九年にカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「うなぎ」も、佐倉に関係があるというので観ました。といってロケ地は佐原ですし、パンフレットを見ても佐倉という言葉はありません。しかし、映画で飼われていた鰻に関係があったのです。
読売新聞によると、鰻の飼育方法を佐倉市臼井にある県内水面水産試験場で指導を受けたとありました。私の思う「ゆかり」の映画は、そのようなかかわりでもOKです。
夢は時をこえて―津田梅子が紡いだ絆
津田塾大学の創始者・津田梅子の足跡をたどるドキュメンタリー映画。梅子の父仙は、佐倉藩士の子として天神曲輪に生まれる。
声の出演・二木てるみ 横田ひろみ
2000年度、キネマ旬報文化映画部門ベストテン第1位
第55回毎日映画コンクール記録文化映画賞
日本映画ペンクラブ ノンシアトリカ部門第1位
Dolls (ドールズ)
この映画は北野武監督の製作で、第59回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品されました。
映画は3つの愛の物語が交錯しながら展開します。このうちの1つの物語の1場面が、佐倉市内田地区の路上でロケされています。画面でみると、何もない畑と竹藪に挟まれた道路ですから、何気なく観ていると佐倉とは思わず見過ごしてしまうでしょう。この映画については、M・Tさんから教えていただきました。
M・Tさんによると、佐倉がわかる場面は4カットあり、そのうちの代表的な場面が「温井が事故か、殺されたのか?路上で死んでいるのが見つかり、警察が現場検証をしている場面(「温井の事故現場)」だそうです。一度、ご覧ください。とても画面だけでは佐倉とわかりません。M・Tさんに感謝。
アインシュタインガール
最初から最後まで佐倉が舞台となっています。佐倉女子学院に通う薫(岩佐真悠子)と友人がボナ「こあら号」に乗っているときに、1年と2日前にタイムスリップしてしまいます。すると、そのタイムスリップした世界には、戦場からタイムスリップした水兵や、また別な時間からタイムスリップしてきた人もいました。別々の時間からタイムスリップしてきた人が同時間に生きて、ストーリが進みます。
ロケーションはユーカリが丘駅周辺の高層ビル群、ボナ、住宅地、印旛沼、ふるさと広場と、もう佐倉のオンパレードです。いやぁ〜、これほど佐倉が出てくる映画を観たことはありませんでした。しかも、、最後に「つづく」とありました。DVDと、続編が出るのを楽しみにしています。
この映画は全国一斉封切りというのではなく、渋谷のユーロスペース1館で夜の9時10分から上映されていました。
NANA
『クッキー』(集英社)に連載されている矢沢あい氏の人気コミック「NANA」を映画化した作品。出演は中島美嘉、宮崎あい他。
この映画に志津が出てくることを知ったのは、インターネットで『CMロケ地写真館』というホームページに「NANA」の撮影地が掲載されたのを知ったからです。サイトを運営されている方はmcdさんです。
さっそくmcdさんにメールを送って、教えていただくことにしました。
mcdさんからメール
「映画「NANA」でユーカリが丘でロケが行われた事がわかった経緯についてです。まず、映画館で当該シーンを観たときに、覚えていたポイントが以下の4点です。
・ロケ地は、ビッグボーイの駐車場である。
・ビッグボーイの道路を挟んだ向かい側に営業中のファミリーレストランらしきものが見える。
・ビッグボーイの隣は飲食店のようである。
・駐車場に隣接するところには、一戸建てがある。
まずは、上記の4点に該当する店舗を探す作業を行いました。雪国のシーンを除く他のシーンのロケ地が主に東京近郊であったために1都3県の店舗に絞って地図上で調べました。
その結果、いくつかのビッグボーイ店舗が、ファミリーレストランに隣接していることがわかりました。そこでこれらの店舗を航空写真で確認を行ったのですが、特定には至りませんでした。
その頃、レンタルショップで「NANA」のメイキングビデオが貸されている事を知り、借りて視聴しました。このDVDには、駐車場のシーンの一部が含まれていたので、繰り返し見て詳しく調べたところ、背景のファミリーレストランには、お客さんがたくさんいる事がわかりました。
映画では深夜という設定ですが、(実際にはどうか知りませんが)深夜のファミレスにお客さんがたくさんいるとは考えにくかったので、このシーンが撮影されたのは「深夜ではない」のではないだろうかと思い始めました。
そして「章司と幸子がアルバイトをしている店舗は電気が消え閉店している」という事実と「深夜ではない」という仮説に整合性を持たせるためには、この店舗が廃店舗である事が考えられました。
そこで、ビッグボーイの廃店舗を調べたところ、旧ユーカリが丘店が挙がってきて、実際に確認に行って判明したというわけです。
(先日購入したDVDで確認したところ映画本編で一瞬向かい側にある「とんでん」の看板が写っていましたね・・・、映画館で観たときにこれに気がついていればもっと簡単に判明したんでしょうけど・・)」
いやぁ、探索力がすごいですね。私には、まったくわかりませんでしたので、説明をそのまま掲載させていただくことにしました。
監督・ばんざい
出演 ビートたけし、江守徹、岸本加世子他。映画の最初と最後に、人形が病院で人間ドックのような検査を受けている場面あり。いきなり検査室ですから病院名がわかりませんが、映画の最後に、協力、聖隷佐倉市民病院
とありました。よって、この作品を佐倉ゆかりの作品とします。
山桜
藤沢周平原作の映画「山桜」。監督は篠原哲雄。出演は田中麗奈、東山紀之、わき役もベテランの俳優が出演しています。
舞台は庄内にあった海坂藩の話ですが、ロケに佐倉の武家屋敷が使われました。気品があり、さわやかな映画です。また、庄内の自然の美しさが、すがすがしさを与えてくれました。
製作はバンダイビジュアル、ジェネオンエンタテイメント、テレビ朝日、テンカラット、日楽堂、デスティニー。配給は東京テアトル。
レオニー
監督は松井久子。津田梅子役は原田美枝子
彫刻家イサム・ノグチを育てた母、レオニー・ギルモアの生涯を描いた作品です。津田梅子(原田美枝子)とのからみは、冒頭、留学先の大学で、梅子が演説の練習をしている場面で、
女子の大学を日本に作りたいという梅子の理想を聞く場面、そして後半、夫(中村獅童)を追ってレオニー (エミリー・モーティマー)が、何も知らない日本に来て、大変な生活をしている時、たまたま目にした、 津田梅子が学校を創設したという新聞記事を読み、自分も何か役に立てたらと訪ねますが、梅子は、
シングルマザーとしてのレオニーを、この学校は良家の女子が通っており、非常に保守的な中で、 あなたを今すぐに受け入れられる時期ではない、と断るシーンです。
学校をつくろう
志茂田景樹の原作「蒼翼の獅子たち」を映画化した作品。監督は神山征二郎。出演は三浦貴大、柄本時生ほか。
専修大学創立130周年記念映画「学校をつくろう」で、佐倉の武家屋敷がロケされました。
明治維新の動乱期にアメリカに渡り、法律と経済という当時最先端の学問を習得し、帰国後、日本語でそれを教える学校を設立した4人の男たちの物語です。
その中の一人、彦根藩出身の相馬永胤(後の初代校長=三浦貴大が好演)の彦根藩邸として、武家屋敷(但馬家住宅・旧河原家住宅)が登場しています。 エンドタイトルにも、撮影協力、佐倉市教育委員会、佐倉市武家屋敷とクレジットされています。
☆・1
平成一四年、宮部みゆきの小説『模倣犯』が映画化されました。小説には佐倉という文字が一文字出てきたので、映画の中でも使うかなあと聴いていましたが使われませんでした。そのため一覧表には揚げていません。
私はロケがあると聞けば野次馬で見学し、出来た映画を見て「お、そうであった、そうであった」と酔い、パンフレットでおさらいをし、ビデオがあれば買っています。
☆・2
古い話。
阪妻こと、阪東妻三郎が臼井の印旛沼で映画のロケをやったことがあるとの情報をいただきました。映画の題名は忘れたそうです。映画では地元の漁師が「舟が出るぞ」と、漁師役で叫んだそうです。うーん、そのような場面を探すのは、時間がかかりそうですね。
時代劇だけでなく、現代ものでもロケが行われたそうです。それは、当時、阪妻が契約していた新興キネマの撮影場が谷津遊園にあった関係で、身近な野外ロケ地として印旛沼が使われたようです。やがて、この新興キネマや大東映画などが企業合併して、大映になります。
ずいぶんと古い話でした。
☆・3
明治6年、佐倉城跡に第1師団の連隊営所が置かれ、歩兵第2連隊が駐屯し、後、第57連隊が駐屯しました。昭和11年に2・26事件が起こり、この年の5月に57連隊は満州のチチハルに移転をします。そして、佐倉の営所は留守隊が残留することとなりました。翌年の11月、チチハルに駐在していた歩兵第57連隊はソ連国境にある孫吾(そんご)に移駐を命じられ、国境警備の任務につきました。
話は、古い映画。
勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』は好評で、シリーズで作られています。その第1作(1965年)は、勝新太郎演ずる大宮貴三郎二等兵が満州の孫吾に到着するところから始まります。当時、孫吾には第1師団の歩兵第1連隊(東京)と、佐倉の歩兵第57連隊が場所を分けて駐屯していました。新兵が軍旗の前に整列しますが、その軍旗はボロボロで、中心部分の日の丸はなく、わずかに枠が残っているだけでした。この軍旗を見たときに、新兵は57連隊に配属されたのではないかと思いました。陸軍では軍旗がボロボロになっても新調することはなく使い続けていたのです。第1連隊の軍旗はどのような状態であったのかわかりませんが、第57連隊の軍旗はボロボロでした。
ただ、新兵は、東京の留守隊から来たと言っていたので第1連隊の留守隊とも考えられます。また、映画では一瞬、九八一?部隊という看板の隊号が読み取れました。満州では第57連隊に限らず、敵の情報を混乱させるために、第57連隊とは別に新たな隊号をつけますが、第1連隊、第57連隊とも9000番代ではありません。第1師団は、玉師団となり、第1連隊は「玉5914」、第57連隊は、「玉5916」と呼んでいました。ですから、9000番代の隊号は映画用の看板ではなかったかと思います。そのようなわけで、第1作では、大宮二等兵は第1連隊に入ったのか、第57連隊に入ったのかわかりません。が、いずれも第1師団ですから、佐倉連隊の孫吾での生活をイメージするには充分です。
この映画は有馬頼義の小説「貴三郎一代」を増村保造監督が映画化したものです。この本を探しましたが、連隊名は描かれていませんでした。また、有馬頼義氏、増村保造氏の軍隊歴もわかりませんでした。
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