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ボクは芦原さんが好きだ。
だけど、芦原さんが好きなのは、彼の知っているボクだけだと思う。それはボクの全体ではなく、部分。
近頃ボクは、たくさんの顔を持っている。

「ボクは芦原さんの全部が好きなのに」
ボクがそう云うと、緒方さんはいつもの彼のクセで片方の眉だけ吊り上げて、
「全部?」
と、皮肉っぽく問い返す。
そう、全部だ。
「でもキミは、四六時中奴のこと見張って知ってるわけでもないんだろ?」
「それはそうだけど、そういう意味じゃなくて……」
ボクは少しゆっくり、続く言葉を探す。何て説明したらいいんだろう。ボクの言いたい「全部」の意味を。
「……うまく言えないけど、ボクが知らない芦原さんのことも、ボクは好きだってこと」
「ふうん」
「でも、芦原さんは、いつも自分が会ってるときのボクだけが好きみたいなんだ」
「へえ」
「芦原さんとなんか、囲碁打つとこでしか会わないのに」
「ハハハ……」
「芦原さんは、知りたくないのかなあ」
「全部?」
「そう、全部、何でも」
ふいに緒方さんは上体を起こしてボクの身体を抱きこんだ。あったかい。眠たくなる。
ぼんやりし始めたボクの耳許に唇を寄せて、緒方さんがいやらしく囁く。
「オレと、こういうことしてるキミのことも?」
「……そう」
全部。
緒方さんが低く笑うのが聞こえた。
「キミは芦原が浮気してても、嬉しいのか?」
「浮気?」
その表現は好かない。なんだか押し付けがましい倫理を感じて、つまらなくなる。
でも、そうだ。
「……嬉しくはないけど、でも、いいよ。イヤなことがあっても、ずっと好き。だから全部って言ってるのに」
緒方さんが、また笑った。
「無理だな」
「え?」
「芦原はキミとは違う」
その口調に僅かばかりのトゲを感じて、気持ちがざわめく。
なんで?と聞き返したボクに、緒方さんは軽く息を溜めてから吐いた。
「別に。キミと芦原は別の人間だから、全部を知ることは出来ないって言ってるだけさ」
そうじゃない、とボクは思った。そういう意味じゃない。
「そうじゃなくて」
懸命に、自分の思うことを、何と言って伝えようか探るボクを封じて、緒方さんがキスしてくる。
「違うのに!」
ボクは少し苛立つ。
ボクは、全部好き。
知らないことも、嫌いなところも、イヤな出来事も、好きだ。ボク以外の誰かを芦原さんが好きになっても、好き。それが本当の愛情ってものじゃないだろうか。
彼は彼の好きなようにしていてくれれば良い。
「ボクは……」
手足の力をわざと抜いて、他人の寝床の底に身を投げることを楽しむ。
ああ、緒方さんの匂いがする。
くすぐったい。楽しい。こんな幸福も、愛情以外には有り得ない。
何を言おうとしてたんだっけ。
気持ち良い。
そうだ。ボクには、伝えたいことがたくさんあった。
緒方さんは、ボクの、性格の悪い、今のこの所業も知ってるのに好きでいてくれる。行儀悪く彼を誘い、他の恋人の話をするボクを。
緒方さんの意地の悪そうな横顔。
「ボク……」
切れ切れに、快楽で耳の奥まで腫れぼったくなって、自分の声が曇って聞こえる。
「緒方さんも、全部好き……」
気だるくなりながら、打ち明けたボクを、緒方さんは邪険に押しのけた。さも煩いと言いたげに。
すっかり彼と抱き合う仕草を辿っていたボクは、邪険にされて動揺し、傷ついて悲しくなった。
それからしばらく緒方さんの部屋へは行かなかった。

悲しさが喉許過ぎた頃、しばらくぶりで彼の部屋へひょっこり訪れたボクを、緒方さんは普段と何も変わらずに抱いてくれた。
緒方さんも、ボクの全部を好きなわけではない。
それはつまらない発見だった。
どうして、何もボクの思い通りにならないのだろう。

例えば、満月のように、まるで全部。
美しい弓張り月のような、部分を愛したとしても、せめて目に見えぬボクが、事実には球体であることを、忘れないで欲しい。
そんな分かりやすい愛情が、どうして望めないものなのか。
理不尽だと言えば、また緒方さんに冷たくされることが分かっていたので、ボクはもう二度とその話はしない。でも、どうして分かってもらえないのかは、まるきり分からないのだ。






end