あなたの秘密
オレにとって、最大の謎はアナタ。
「いーるっか先生ッ」
「わッ!あ、あなた一体どこから入ってきたんですか?!今日は窓も閉めてるのに」
夕餉の匂いの漂う頃になると、あなたはいつもどこからともなく我がボロアパートに無断侵入してくる。侵入経路はサマザマ。
始めのうちこそ図々しくあがりこむあなたに抗議しもした。しかし結局どうやったってあがりこまれてしまうので最近「せめて玄関から入って下さい」と言うササヤカな提案に切り替えた。
だが、それすらも聞き入れて貰えていない。
呼び鈴を押して貰うことは最早諦めている。だからいっそ侵入しやすいように、このくらいの時刻になると玄関の鍵を開けておくことにしている。
台所は玄関を入ってすぐのところにあるから、そこからあなたが入ってくれば簡単に分かるから。
だけど中々、そうもいかない。
どうしてそんな、ひねくれた場所から入ってくるのだろう。ベランダとか、風呂場の窓とか、あと、オレがちょっと目を話したスキに限って玄関から。
それにしても、今日はドコから入って来たんだか全く想像がつかない。
天気が悪いので、家中の窓は閉めてある。
「あー……アソコですよ」
あなたがちょいちょいと指し示す先は押し入れ。
見れば布団がずり下がってはみ出ている。オレは思わず吹き出して、作りかけの味噌汁をほっぽりだして押し入れを覗いた。
開いている。
天袋のとこの板がずらされて天井裏への通路が開いている。こ、こんなトコロから。
「好い加減にして下さいッ!」
オレの怒号は向こう三軒両隣に響き渡る。あなたは全く悪びれもしない。それもまた、いつものこと。
「どうしていつも変なところから入ってくるんですか!窓だの穴だの隙間だのッ!」
「いやー、穴は入れられるトコロ……おおッと!」
オレの投げたオタマをあなたは器用にキャッチする。
「ま、そんなに怒らないで下さいよ。イルカ先生に会いたくて会いたくて、我慢出来なくてついつい不法侵入を試みてしまう恋ゴコロなんですから」
「何ですかソレ、理解出来ません!とにかく、妙な場所から人んちにあがりこむのは金輪際止して下さい」
オレはきっぱり言い張るけれど、どうせ明日にはまたあなたが妙なトコロからうちへ入ってくるのも同時に承知済みなんだ。
あなたを怒鳴るのは、ルールみたいな茶番。馬鹿げている。
「ふうん、じゃあ、玄関からなら大歓迎うっふん、と、言うことですか?」
ニヤニヤしながらあなたは人の顔を覗きこむ。
それは、……実はそうかも知れない。
玄関からきちんと上がってきてくれれば、本当は、構わない。大歓迎とまでは言わないけれど、あなたに会えることは今となっては生活の一部であって、不快なことではちっとも無い。いつのまにか、オレはあなたの訪れを待ってしまっている。
けれど、それと同じように、あなたの生活の一部には、オレの家に無理矢理上がりこむというスタンスが定着してしまっている。
あなたが夕飯をたかりにくるとオレが安心するように、あなたはオレに怒鳴られて安心する。オレがイヤそうな顔をしてると、嬉しそうに卓袱台の前の座布団に座る。
その感覚は、野良猫に餌をやる時とかに、ちょっと似ている。本当はそこに来ていることに気付いているのに見てない素振りでそっぽを向いていると、猫がそうっと寄ってきて餌を食べる。ああいう時の感覚に、少し似ているんだ。
オレは息を潜めてイヤそうな顔を作って、あなたが部屋に胡座をかくのを待っている。あなたがニコニコとして嬉しそうに他人の部屋のテレビを勝手につけて、チャンネルをガチャガチャ回し出すと、ほっと溜息を吐く。
「今日はキンピラですかァー」
あなたは他人様の部屋だというのに寛ぎきった姿勢でケツを掻きながら夕飯の献立を確認する。
「オレ、イルカ先生のキンピラ好きですヨ。いやいや。勿論イルカ先生ご本人も大好きですけど」
「そりゃあ、どうも」
険のあるオレの口調に怯まずに、あなたはごろりと身体を伸ばす。
「あ、唐辛子たくさん入れて下さいね、結構辛いモノ好きなんです」
「ハハハ。そんな辛いもんばっか食ってると痔になりますよ」
オレの冷たい笑いにも、勿論あなたは怯まないのだ。
「優しくしてネ」
シナを作られ、オレは動揺して皿を落とす。舌戦は大抵オレの負けになってしまう。それ以外でも勝てたことなんか無いけれど。
夕飯を食べ終わると、後片付けをするオレを尻目にあなたはとっとと風呂まで借りて勝手に入る。
「ちょっと!何勝手に人んちの風呂に浸かってんですか!」
「いやあ、イルカ先生も一緒に入りますか?適温ですよ〜」
「アナタね、毎日毎日……たまには夕飯の後片付けくらい手伝ったらどうです?」
風呂場の戸を開けてイヤミの一つも投げてやったら、
「あ、そういう考え方もありますね」
そう来ますか。
「ありますねって……」
「それじゃオレは、イルカ先生が風呂に入ってる間に布団を敷いておいてさしあげましょう」
「泊まってく気かッ!!」
あなたの楽しそうな鼻歌。仕方が無い。どうせもうこうなったらこの人は絶対うちに泊まってゆく。オレは諦めて洗い物の残りを片付けた。
オレが風呂から出てくると、予告通り布団が敷いてあった。
一組だけ。
枕は二つ。
思わず口をぽかんと開けてあなたを見ると、あなたは「いやん」と嬉しそうに身を捩じらせる。負けた。負けました。
あなたの腕がゆっくりオレの首に回されて、引き寄せられながら、あなたの唇を隠す覆面をずらす。そして済し崩しに、いつも素顔を見そびれることになってしまう。いつのまにか、自然に唇が合わさっているから。間近すぎるあなたの顔に焦点を合わせきれずに、オレはゆっくり目を閉じた。
気が付いた時にはもう布団の上。電気も消えている。いつのまにか、全ては闇の中に隠されるのだ。
オレも忍者なんだから、闇の中でも、本当はあなたの姿が見えているのだけれど。
「カカシ先生……」
オレはあなたの名前を呼ぶ。あなたは僅かに溜息を漏らす。
「カカシ先生……」
繰り返して呼ぶ。あなたは微かな溜息で応えるばかり。
「ねえ……」
出来るだけ優しく銀の髪を撫ぜて、至極丁寧にあなたの肌の上をなぞる。探るように。否、事実探っているんだ。ドコがあなたのイイところなのか。
それは、小さな吐息だけで知ることが出来るあなたの秘密。
何も聞かずに。
目が醒めるとあなたはもう居なかったりする。偶にまだ寝てることもある。どちらにせよオレはあなたの帰る方角を知らない。どういうわけか、それを気取らせない器用さをあなたは持っている。
あなたはそんなふうに、ささやかな秘密をたくさんオレの部屋に残してゆくのだ。それが散り積もってあなたの足跡を掻き消してゆく。
あなたの考えることはオレには分からないことが多い。ナルトたちのことも、どのくらい心を通わせて理解しているのか。
それでも多分、あなたにはオレより多くのことが見えているんだろうけれど、だけど、それであなたは良いのだろうか。
道端で偶然あなたに遭う日もある。狭い里なんだから、それ程不思議なことではない。
ただ、不思議なのはあなたが帰宅途中なのかこれから出かけるところなのかがおよそ図り難いということ。出会う場所時刻状況に一貫性がまるで無く、あなたの向かう方向にも一貫性が無い。
「一体あのヒトは何処に住んでるんだろうなあ」
放課後アカデミーの廊下を歩きながら、しみじみと独り言を漏らしたら、たまたま真後ろに居た火影様に聞かれた。
「何じゃ、イルカ、知らんのか」
「ええ、知りませんけど」
別段オレが尋ねるふうでも無かった所為か、火影様は「ほう」と何だか良く分からない気の無い相槌を打っただけだった。
オレには他に火影様と相談しなければならない諸々の仕事上の事情がある。木の葉丸のこと、他の生徒のこと、学校の最近の状況、改善したい問題点……火影様に次の仕事が入るぎりぎりの時刻まで、そんな話をしていた。気がつけば、日も暮れかけている。
今からスーパーに行くのも面倒だから、また外食かな。一楽にでも行こう。久しぶりにナルトも誘おうかな。アイツ、きっと一人でメシ食ってるだろうしな。
そんなことを考えて、暗くなった家路を歩き出した。
こういう時にかぎって、通りの向こう側からあなたがやってくる。
いつもの忍装束を着ている。仕事の帰りだろうか。それとも、これから何かあるんだろうか。
「こんばんは」
オレがひょこっと頭を下げると、
「や、イルカ先生こんばんは」
あなたもひょこっと頭を下げる。そしてそのまますれ違う。
ああ、これから何か用事でもあるか、そうでなければ仕事帰りで疲れてるんだなあ、とオレは考える。まるっきり答えが出ていないが、どちらにせよ、オレと一緒にオレの家に来る気は無いということだけが、あっさりとすれ違ったあなたの態度から理解出来る。だから、やっぱりナルトを誘って夕飯を食べよう。一瞬冷蔵庫の中身を考えて、あなたに何を食べさせようか考えてしまった自分に少し苦笑しながら。
「そんでカカシ先生ってば凄くだらしなくってさあ」
一楽でラーメンを食べながら、大仰な仕種でナルトが近況を話してくれる。この年頃の子供はオレにとっては本当に可愛らしい。そのくせ時々頼もしくみえたりもする。そういう時に教師という仕事のやりがいを感じたり、親心になってほろりとしてみたりする。
「こないだもさ、カカシ先生のうちに行った時にさ……」
ふと、オレは箸を運ぶ手を止める。
この子は今何と言っただろう。
「ナルト、お前、カカシ先生の家に行ったことあるのか?」
「え?うん、あるってばよ、皆で。サクラちゃんが先生の家を見たいって言い出してさ、サスケの奴まで珍しく話にのってきて」
「…………」
「それが、先生の家、無茶苦茶遠くてさあ、しかも部屋ん中に何もなくって殺風景!つまんなかったってばよ」
つまらなかった、と言いながらも、ナルトは生き生きとした表情でその時のことを話す。
オレは目を細めた
「……そうか」
知らず低くなってしまう声を抑えながら、我知らず穏やかで無い感情が湧き上がってくるのを感じていた。
あなたが他人に干渉されるのを嫌いなんだと思えばこそ、何も言わなかったのに。
大方子供たちに無理にせがまれてのことだろうとは分かっていたが、何だかこれまでのことが急に不愉快なことのように思えてきて、オレはかっ込むように食事して、さっさとナルトと別れた。
分かっていたけど。
こんなにアカラサマだと、さすがに腹も立つ。
じゃあ何で、あなたはオレのうちに押しかけるんだ。
オレが非常に不機嫌になって自宅のカギを開けると、
「や、イルカ先生今晩は」
よりにもよってあなたが居た。
さっきは一緒に来なかったくせに。
「仕事は済んだんですか」
不機嫌なままにオレが尋ねると、
「え?……ええ、まあ」
勝手にあがりこんだのに叱られもしなかったから、あなたは少し戸惑っているようだった。考えてみれば、今まで仕事のことなんか聞いてみたこともなかった。
ああ、それが良くないんだ。
そうやってあなたを甘やかすから。
「イルカ先生?何かあったんですか」
おずおずといった様子で、あなたはオレの顔をじっと見た。その表情が常にも無く所在無さげに見えて、何だかオレまで情けなくなった。
「別に。……夕飯はもう食ったんですか」
「ハイ、まあ、何かね、ハラ減らなくて」
「そうですか」
「どうしたんですか、イルカ先生」
あなたはコタツの中に入れた足を折って、膝頭を胸に付くほど寄せていた。
「どうもしません。……ねえ、カカシ先生」
意図的にあなたの隣に擦寄って、オレは尋ねてみた。初めて。
「明日も、うちへ来てくれますか?」
「…………」
あなたの視線は覚束なく彷徨う。
「明日は……」
消え入るような頼りなさ。
「明日は仕事がありますから」
いつも通りの暗闇の中であなたを抱いた。いつも通り、あなたはとても静かだった。
それでも、堪えきれなかった分の声は、オレを呼んでいるんだと思っていたのに。
それ以来、あなたは姿を現さなくて、任務受付で顔を合わす以外は会話も無いままに、一週間が経ち、二週間が経ち、一月近くが経過してしまった。
たった一度、愛着に負けてうっかりと抱き上げた野良猫は、最早警戒すべき場所となってしまった我が家には、訪れてすらくれないのか。このまんま。
何だか自分が情けなかった。
その日は朝から風が強かった。
だから物音にも鈍感になってしまって、あなたが窓を叩く音に反応するのが幾らか遅れた。忍のくせに、と言われてしまえば面目ないが、そうそう年中気を張って生活するのは難しい。
ほとほと、と。
これまでに無く控えめにあなたがたてた物音に、オレは視線を上げる。
恐ろしい程速く流れる雲の合間から、月明かりが漏れていた。
そして、逆光の影はあなた。
正直、かなり驚いた。
「どうしたんですか」
慌てて窓を開けて中へ入れてやると、あなたは久し振りの来訪とも思えぬ図々しさで、挨拶もせずに人の寝床に潜り込んでしまった。
「わ、ちょっと、靴くらい脱いで……」
ぽい、とサンダルが布団の中から投げ捨てられる。
泥だらけじゃないか!
「カカシ先生、あなた……」
改めてその姿を確認して、オレは思わず呆気にとられた。
全身泥だらけ。
そんな状態で、他人の布団に潜って。
あまりに突飛な行動だったので、オレはあなたを注意することも思いつかず、ただ吃驚して、どうしたんですか、と声をかけた。心配だったから。
「……単独の任務だったんです」
随分久し振りのような気がするあなたの声。
「どうしたんですか」
オレはもう一度繰り返した。
いいじゃないですか、とあなたは答えた。
「いいじゃないですか。イルカ先生に会いたくて、すっ飛んで帰ってきた恋ゴコロなんですから」
何ですか、ソレ、と、オレは顔を覆った。
「イルカ先生……」
伸ばされたあなたの腕をとって、とにかく汚れた服だけでも脱がしてしまおうと思った。
その手を拒んで、あなたがオレの身体を引く。
「抱いて下さいヨ、先生」
ベタつく感触にふと見れば、あなたの手のひらには、乾いた血がついていた。
「ちょ……あなた、この手、どうし」
「疲れてるんです」
汚れた頬が押し付けられた。
「お願いします、抱いて下さい」
あの時のことを思い出すと複雑な気分になる。
あの日、突然人のうちにあがりこんで抱いて下さいと強請ったあなたは、そのくせ殆ど何の反応も返さないうちに、オレの腕の中で寝入ってしまった。
それなりに努力して奉仕していたのに、立場が無い。
でもその後、眠ったままのあなたを着替えさせ、せめて身体を拭いてやりながら、オレは、ゆっくりと胸に落ちてゆく、納得と後悔を味わった。
あなたの身体のあちこちには小さな傷がたくさんあった。幸いにも手のひらを汚していた血はあなたのものでは無いようだったが、疲れたと言っていたのはかなり本音のようだった。着替えさせるのに不自由なので、あなたを起こそうと一度揺すってみたけれど、面倒くさそうに背を向けられてしまったから。
目を覚ます気力が湧かないらしかった。
あなたの考えることなんか分からない。さっぱり分からないが、どうあれ、オレはあなたを傷つけたのだろう。
それなのに、あなたの帰る場所は、オレのところぐらいしか無かったのだ。
気の毒なあなた。
情けないあなた。
あなたのことなんか、もう諦めた。
オレはあなたに、何も求められぬという幸福をあげよう。
しばらく中忍試験のゴタゴタであまり会えなかったナルトだが、最近はまた、まるで以前と同じようにオレのところへ来てはラーメンをおごれと言う。
いつまでも甘やかしていて良いものかと思いながらも、ついついオレは奴の手をひいて一楽の暖簾を潜るのだ。
ナルトはあなたの話を良く聞かせてくれる。ナルトのほうが、あなたのことをたくさん知っている。
「こないだもさ、カカシ先生ったら、風邪ひいたっつって任務さぼってよぉ」
「へえ、あのひとが風邪」
「そりゃ、先生だって風邪くらいひくってば。でも、だせぇってばよ、上忍のくせに」
そんで、サクラちゃんとサスケも一緒にお見舞いに行ったんだ、とナルトが言う。
こういう時に、いけないなあ、と思う。
僅かでも、無邪気なナルトを羨ましく思ったりもするから。
あなたにとって居心地の良い距離を、この子らは無邪気に侵犯する。それを苦笑して許す、あなたの幸福。
ナルトの素直すぎる笑顔を見ながら、この子らとオレとは、あなたの幸福を分業しているのだと、この頃思う。
あれこれと楽しそうに話すナルトを見ながら、この話は忘れてやろうと考えた。
あなたの秘密のために。
今日もあなたはオレの部屋に勝手にあがりこみメシをたかる。
そのくせ何一つ自分のことを話してはくれない、その、あなたの幸福。
オレはあなたに、決して何も求められないという幸せをあげよう。何も聞かず、何も暴かず、あなたには何も求めない。
そうやってあなたの秘密を守るのだ。
あなたの秘密をオレがオレ自身から守るというパラドクス的な幸福を与えられて、あなたは安心して、丸くなって眠るだろう。
引き換えに、オレの気持ちを永久に尋ねられぬという不安を騙しながら。
あなたの背を抱くオレの腕。その腕があなたの秘密を守る。
オレにとって、最大の謎はアナタ。
end
あなたの秘密 12/31 manai