それは、名付けられぬ出来事。




アンタイトルド ドキュメント




サンジはセックスが上手い。
ゾロが最初に彼とそういった関係に及んだのは、単に彼の誘いがあまりにも自然であったからだった。
あれはまだ彼が乗船して間もない頃。
猫のように目を細めて、サンジは「なァ、しねェ?」と、ゾロを誘った。深夜、キッチンのテーブルに隣り合わせに腰掛けて、二人きりで飲んでいるときだった。白い首が傾けられるのに沿って、金糸の髪がさらりと流れた。その他のことは覚えていない。
「しねェ?」
なんて言い方は、主語を欠いてどうとでもとれる、ずる賢い言い回しだ。
それでありながら、彼がゾロに何を求めているのかは、にぶいゾロにもはっきり伝わった。
コイツは慣れている。
そう直感したのも、実際のセックスの手管を知るより以前に、さりげなく誘いかけて、当たり前のように服を脱ぐ、そこまでの流れが手馴れていると見えたからだった。
今になって考えると、あの時偶々二人きりで酒を飲むというシチュエイションが作り出されていたのも、サンジの仕業のようにすら思えるのだ。
それほどにサンジはひとを誘うことに慣れていた。



それ以来、サンジは時折ゾロを誘って、夜中の格納庫でセックスすることを習慣とした。
最初の頃とまるで変わらず、「しねェ?」と当たり前のように誘う。
何故その場所が毎回格納庫であるかというと、そこが一番夜間に人のくる確率が低い。
サンジはゾロとの情事を上手に秘め事とし、スリルを求めるような子供じみたことはせず、新鮮さも求めず、昼間はおくびにも出さなかった。
品行方正、規律正しい遊びのセックス。
そのさりげなさたるや、小面憎いと思えるほどに。



コックとして、日頃器用な動きを見せるその手先は、イキの良いゾロの性器を握らせてみたところで、やはり器用な動きを見せる。
殆ど物置代わりに利用している船室は、夜になると、この船の中でも際立って潮の香りが鼻につく。ロープや、ネットや、使っていない錨やウキワが転がされたあたりは床板までが湿っぽく暗い色をしている。
サンジは服が汚れるとイヤだと言って思い切り良く全裸になってしまうので、湿った床に直接転がすことになり、初めのうちは多少困惑した。
片方の手でゾロの股間を探りながら、サンジはもう片方の手だけで自分の衣服をさっさと脱ぐ。
気に入りの、薄い青のシャツのボタンはやけに小さく、あんなものを片手で外して涼しい顔でいることがゾロには信じられない。何しろその間もゾロの股間を探る手を止めないのだから。
先端をくちくちと細かい動きで擦られると、思わず腰が浮いてしまうほどで、
「……ハァ」
あからさまな溜め息を、先に吐いてしまうのは大抵ゾロのほうだった。
「おい」
「ああ?」
「オマエ、すげえぞ、ココ」
サンジは擦りあげていたゾロの性器をぎゅっと握った。
そこは既にガチガチに固くなって、ぬめっている。
「うっせ……」
覗き込むように顔を近づけてくるサンジを、煩わしそうにゾロは押し退けるがあまり効果は無い。緩慢な手が空を切る間に、サンジは上体だけでそれをかわし、また楽しそうに抱きついて、ゾロの頬へキスをした。
「いっぺんこのままイッてみねえ?出すとこ見てえし」
「……ッざけんな」
完全に主導権を渡してしまうのはさすがに悔しかった。
ゾロは流されかけていた快楽を振り払って乱暴に身体を起こし、サンジの両足の裏側に手をかけて上下を入れ替える。
サンジの足はまっすぐで、やけに肌が白い。
成人男子がこれほど均整のとれた脚線を持っていることは珍しいだろう。
一方で、その膝の裏は、触れれば頑強に関節を繋ぐ筋があるのが、手の下に感じられ、確かに男の足だと実感出来た。
そんな姿勢にされた時、一瞬だけ、その筋のような部分は固く強張り、僅かな緊張を伝えてくる。
だが彼の顔はどこまでも平静で、戸惑いは見られない。
凪いだような彼の表情と、落ち着いたままの呼吸と、膝裏の緊張は、ほんの一瞬だけアンバランスな印象をゾロに与える。
それでも次の瞬間には男を受け入れるのに一番自然な角度へ腰をあげる、その慣れた動作を感じるとき、ゾロはもうサンジの顔を見るよりは、ローションの蓋をあけたりゴムの袋の封を切ったりする現実的な仕事に気を取られていて、あとは忙しいばかりだ。



目を閉じて、彼とのセックスを回想するとき、濃い色をした床の木目や、船の胴を伝わる波の音や、コンドームの袋の開封口や、そんな部分ばかりが思い出されて、不思議なくらい、サンジがどうしていたのかの記憶が無い。
それほどにあの男のセックスは、自然で、無理が無い。
ただ、時折サンジの指先が首の裏へとまわされて、とん、とん、とん、と髪の生え際あたりを叩く、それが彼の「はやく」という合図なのだということだけが、彼がコトの最中に主張してくる全てであった。



ここ暫く穏やかな気候が続いていた。
今朝は今をチャンスとばかりにクルー全員で一斉に布団を洗い、干した。
サンジの提案だった。
「船室が男くせえ、洗うぞ、野郎ども」
朝一番に乱暴極まりない態度でハンモックから追い出され、ゾロは
「そんなもん、いつでもいいだろ」
とあからさまに不機嫌な声を出した。
ところが、
「あらサンジ君、いいアイディアね、いつまでこんなにお天気がいいか分からないわ」
あの魔女のような航海士が賛成したので、異論など許されなかったのだった。
総勢七名分のシーツは船上いっぱいに吊るされて、はためく。
ついでにその他の洗濯物もひといきに片付けた。
今朝まで船を繋留させていた小島は、小さいのに不思議と湧き水が豊富で、いくらでも水を使えたのだ。
張り巡らされたロープと、そこに吊るされた洗濯物は、縦横に甲板に区切り目を作っている。区切られた空間のひとつひとつは、まるで小部屋のようで、早速この船の船長は、ひとつひとつを渡り歩いて制覇する遊びに夢中になった。
「チョッパー、こっち見ろよ」
楽しそうに船長が船医を呼ぶ。
「ルフィ、足、見えてる、そこだ」
子供のようなケタケタと笑う声が聞こえた。
二人の姿は見えないが、洗濯物の間を縫うように走り回る足首だけが、シーツの裾から見えた。
甲板の端へ座ると、真向かいにあるはずの船室の入り口は、風が一列に通り抜ける瞬間にしか姿を現さない。
既に日は中天を過ぎていた。
仰向けに寝転んで、ゾロは昼寝でもしようかと思った。
真上には白い布切れの壁に菱形に区切られた、抜けるような青空が覗いていた。
「ナミさぁん、今日もアナタは素敵だァ」
船室から顔を出したコックが、みかん畑から見下ろす航海士に普段通りの挨拶をする。
洗濯物がはためいて、二人の姿が見え隠れする。
ナミが口を開くのが見えた。
そして二人の姿が、また見えなくなった。
はたはたとシーツが騒がしく揺れる。
「ナミさんのためなら」
真白いシャツの合間から、サンジの声が聞こえた。
風が通り過ぎて、順繰りに下りてゆく幕のように、みかん畑も船室のドアも、現れたかと思うと再び隠される。
のそりとゾロは起き上がり、二人の方へ歩き出した。途中いくつもの、白い、または明るい色彩の、或いは重たい色彩の、区切られた空間を通過しながら進む。
風向きで頭に絡まってきた細長い薄布が、よくよく見ればナミのストッキングであることに気付いてムカついた。
「おい」
クソコック、と呼ぼうとした。
丁度サンジは
「ナミさんが好きだー」
といつも通りにご機嫌伺いをしているところだった。
「ありがと」
ナミは口角を引き伸ばして、三日月のような笑顔を作った。
こういう時のナミの笑顔はタチが悪そうだ。最もこういう時でなくとも、ゾロから見れば彼女はいつでもタチが悪そうだ。
「サンジ君の好きは、チョコレイトを好き、の好きと一緒なのよね」
「ウマいこと言うじゃねえか、オマエ」
突然口をはさんできた低音の声の持ち主に、二人が同時に振り向いた。
「ゾロ」
「やっぱ魔女だからな、魔女、てえしたもんだ」
そうだ。
サンジはいつでも無理無く「好き」と告げるし、ゾロのような男とでも、さりげないセックスをする。
そんな彼の打たれ強さを、ゾロは憎たらしいとすら思った。
ぎい、ぎい、とマストが軋む。
帆船の帆は、はちきれそうに風に押されて、陽光は辺りを照らし、全てが輝く春の様相であった。
ナミはオレンジ色の髪を、今日はきつく括っている。
それが彼女の表情を常にも増して強気に見せていた。
「……勘違いしないでよ、ゾロ。あたしはサンジ君を好きよ、サンジ君の味方よ、アンタよりよっぽど」
行こう、サンジ君、とナミがことさら甘い声を出す。
サンジが「はいはい」と答える。嬉しそうに。
ゾロは眉を顰めると、さっさと船室の影に入って昼寝を決めこんだ。
あとはもう、何も見ず、聞かず。
一際強い風が吹いて、甲板の果てまでがひと息に見えたかと思うと、ナミの叫ぶ声とロビンの笑う声とが聞こえた。
ロビンの活躍で洗濯物は無事だった。
ゾロは目を開けなかったので知らないが、ウソップが大声で「すっげえ」と何度も言ったので、それはミモノだったのだろう。



夕方、ようやく目覚めると、すぐ隣りにルフィが居た。
「やっと起きたか」
とニヤリとされた。
「オマエ、寝てばっかだな、サンジもいつも文句言ってるぞ」
そうは言うが、この船長は自分のことを非難しているわけではないとゾロには分かる。
面白がられているのだ、と全身で懐き擦り寄って来る動作で了解出来る。
「うるせェよ、てめえこそ、船長なら遊んでばっかいんな」
「ししし」
仰臥したままのゾロを覗き込むようにしゃがんだ姿勢で、子供のような顔の、背丈の、仕種の、船長は笑う。
日暮れ時の船の上には、もう洗濯物は無かった。ロープだけが所在無さげに張り巡らされたままになっていた。
夜露で湿る前にと、他のクルーが取り込んでくれたのだろう。
「ロープはゾロが外せよ、オマエが一番背が高ェんだし」
「おー……」
重たい動作でゾロが身を起こす。
普段なら面倒だと思ったかも知れないが、この船長に言われると、不思議と従おうという気になる。他のクルーとも仲間として協力し合っているつもりだし、言われた仕事は請け負うつもりだが、ルフィ以外なら、二度三度と同じことを言われてようやく起き上がっただろうところを、一言でひとを動かすちからがあるのだから、この船の船長は本当に不思議な男である。
海は縁にだけ夕暮れの色を残し、あとは夜闇が滲み出していた。さすがに少々肌寒さを感じる。
それにしても、この縦横に張り巡らされたロープの、どこが発端なのだろう。
柱や、手すりを見渡すが、なかなか結び目らしき場所が見当たらない。引きちぎってしまえばラクだが、後で使えなくなるのは困る。
例えばロープを甲板に持ち出したとして。
一番最初に結びつけようと思う場所はどこだ?
たくさんの洗濯物を干そうと考えていたのだから、中央よりは端のほうから結びはじめるほうが自然だろう。ロープは格納庫から持ち出したのだろうから、格納庫の近くから始めるのが自然だろう。
そう考えて格納庫の側、甲板の端の手すりを目で追うと、あった。
ぎゅうぎゅうに固く結ばれた結び目が見つかった。
あれを解けば、あとは手繰りながら終着点を探すだけで良いはずである。
「何だこりゃ、すげェ固い」
苦心してロープを解こうとするゾロをルフィが楽しそうに見ている。
「なんでゾロがそんなことしてんのよ」
鋭い声が飛んだ。
気が付くと、すぐ後ろにナミが居た。
余程腹をたてているときに時折彼女が見せる、泣き出しそうなひきつった顔をしていた。
「ロープは明日でいいって、あんたさっき言ってたじゃない、ルフィ。だから誰も解かなかったのに」
馬鹿じゃないの、とナミが言った。
「馬鹿じゃないの、あんた、ルフィ」
ルフィは、ナミの方を見た。
薄暗くなった中で、その眼球の表面は紺色に見えた。
「バッカみたい!」
振り上げた手が、どん、とルフィの肩を押した。
「ゾロは背が高いから……」
ルフィが言った。
「そんなの誰でも出来るわよ!サンジ君だって出来るわよ!何であんたはゾロが起きるのを待っていたのよ!そんなの……そんなの意味がない!馬鹿みたい!」
「おい」
見かねてゾロがナミを止めた。
「オマエこそワケ分かんねェよ、何がそんなに腹たてるようなことがあんだよ」
「…………ッ」
ナミは子供のように顔をくしゃくしゃに歪めた。
「アンタなんかに、分からないこと、なのよ!」
「オレにも分かんねェよ、ナミ」
「ルフィ……」
「何がイヤなんだ、オマエ」
「イヤなんじゃないわ!気分悪いのよ!だって、あなたが」
しゅ、しゅ、と何かが擦れる音がした。
ゾロがナミを止めるために手放したロープが、長い長いロープが、結び目が解けた事から自然に緩んでゆく音だった。
唐突に、ラウンジのドアが開いた。
切り取られたように四角く、ドアの向こうの室内の明かりが覗く。
「ヤロウども、メシだー!」
場違いなほど明るく乱暴な、サンジの声が響く。
それが唐突な幕引きの合図になった。
真っ先に駆け出したのは、船長ではなく、ナミだった。
そして食卓は、何事も無かったかのように、活気に満ちる。
全てのやりとりは、関わった全員から、すっかり忘れたことにされていた。
そんなふうに見えた。



食事が終わると、ウソップとチョッパーは風呂へ行った。
サンジは後片付けと翌日の仕込みにかかり、ゾロはラウンジで暫く酒を飲んでいた。
ナミは、今夜の不寝番であるウソップが風呂から出るまでの間、見張り台に上がった。
ラウンジの戸をあけて、のんびりと夜風にあたりに出てきたのはロビンだった。
足許には、すっかり自重でほどけたロープが床の上へ這うように、迷路を作っていた。
このような手のかかる片付け物が彼女は得意だった。
文字通り、たくさんの手を借りて、それは借りると言っても自身の手であったが、とにかく手際良くロープを丸めてゆく。
ナミはそれを見張り台の上から見るともなく眺めていた。
ロビンに向かってナミが何事か声をかけたが、遠いのと昼間の名残の風があるのとで、聞こえなかった。だが、意味のある質問をしたというわけでもなく、挨拶程度の言葉をかけただけであったので、聞こえないままでも、ただ、ロビンが手を振り返した、それだけで事足りた。
ナミも手を振り返した。
それで彼女らの晩の挨拶は終わった。
暫くして、ラウンジからゾロが出てきた。
片手には酒瓶を持ったままだった。
甲板を突っ切って格納庫の扉を開くと、そこにはロビンが居て、巻き終えたばかりのロープを定位置に片付けていた。
「ごくろーさん」
ゾロが声をかける。
「いいえ、どういたしまして」
「なあ……夕方、オレが寝てる間に、そのロープ、片付けようとしてたのか?」
「まあ、どうして?……その通りだけれど」
「別に」
「あら、聞きたいことがあるときはそんな応え方をするものではないわ。でも教えてあげる。あのね、航海士さんがコックさんに片付けを頼んで、船長さんが、明日でいいって言ったのよ。でもきっと本心は昼寝中だった剣士さんにお願いしたかったんだと思うわ。だって何度もアナタの話をしていたから。アナタがちっとも働いてないって」
「なんだ、そりゃ」
「……ふふ、船長さんは、剣士さんにお仕事を任せると楽しいのでしょうね」
「あ?」
「ああ見えて、船長さんは剣士さんが好きなのよ。それで、結局あなたがロープをほどいてくれたのかしら?もしそうなら、航海士さんは、きっと、不愉快に思ったでしょうね?」
「……オマエ、悪魔か」
「まあ、ふふふ、誉め言葉かしら」
「……好きにとれよ」
「若いのね、素敵なことだわ」
馬鹿にされているのかと思ってゾロは口篭もったが、穏やかなロビンの口調は、ひとを小馬鹿にするようには感じられなかった。
「ああ見えて、航海士さんは、船長さんが好きなのね」
目を細めて見張り台を見上げるロビンの横顔は、闇の中でぼやけていたけれど、柔らかな空気が、ひっそりと伝わってきた。





夜が更けて、明日の仕込みを終えたサンジが格納庫へ入ってきた。
ゾロが精神集中の修行のつもりで目蓋を閉じていたら、
「まだ寝るつもりかクソヤロウ」
軽い蹴りが飛んできた。
そして、いきなり唇を押し付けられた。
普段の彼らしからぬほど、荒々しく、脈絡の無いキスだった。さりげなさも、安定感も無い。熱があるかのように、サンジの口内は熱かった。
歯列を割って潜り込んで来た舌は、絡めとるようにゾロの舌を探り、強く吸う。
「……は」
段々に呼吸が苦しくなって、ゾロは顔を背けることでサンジを止めた。
サンジは「バツが悪い」とでも言うように唇を引き結んで困った表情を作って見せると
「ヤろうぜ」
と、いつもよりは多少直接的な言葉でゾロを誘った。
勿論ゾロはそのつもりでこの部屋に居たのだから、断る筈がなかった。
サンジは片手でゾロのズボンの前を寛げながら、もう片方の手でシャツ越しにゾロの分厚い胸の上にある突起を、細やかに弄り出す。
「お、おい……」
慌てて身を起こそうとすると、宥めるように押し返され、仕方なく、また仰臥した。
「サービスしてやるよ、剣豪」
素早く黄色い頭がゾロの股の間へ伏せられたかと思うと、まだ常態で寝たままのペニスが、ねっとりとした口内に含まれるのを感じた。
全体を吸い、裏筋をくすぐり、先端を刺激する。
その動きは、やはりソツが無く、上手い。
ある程度そこが硬度を持ち始めると、サンジはてらいも無く無心にそこを啜り上げ、同時に余った部分を指で擦る。そうかと思うと、不意に舌先だけで竿を擽って焦らす。矢張り今日も、先に溜め息を漏らしたのはゾロのほうだった。いつものことなので気にはならないが、いつかこの男の平静をブチ壊しにしてみたいものだとも思う。
喘がせて、泣かせて、懇願させる。
だがそんな陳腐な陵辱が、彼をどれほど変えるというのだろうか。
もしもゾロが彼のペースを乱すようなセックスを強いたとして。
彼がそれを受け入れれば関係は変わらず、彼がそれを厭えば、彼はゾロ以外の誰かと今のような関係を持つようになるか、または誰とも寝ない生活を始めるだけなのだろう。
次第に呼吸は湿り気を帯びていった。
潮の匂いに、唾液や汗や精液の匂いが混ざる。
澱んでいないのは、股間に顔を埋め、熱心に舌を使っているサンジの、そのさらさらと流れる金糸の髪だけのような気がした。潔癖症の彼の髪からは、いつも汗の匂いひとつしない。
指を入れて触れてみると、思った通り、ひんやりと冷え、さらさらと、よどみなく髪は流れた。
高い位置から厚めにとった前髪の合間からは清潔そのものと言うように白い額や、金糸の根元になる頭皮が覗き、ゾロは当惑する。
清潔と思える場所を求めて触れたがる自分の感傷と、そこから導き出される、サンジとのセックスを暗い、不潔なことのように考えていたのではないかという思いつきに、驚く。
こんなことは何でも無いことであるはずだった。自分にとってという以上に、それは、相手であるサンジにとって何でも無いことであったために、感傷の入る隙が無かった。
何でも無いと思うからこそ応じたのだ。
ゾロは、サンジの髪を撫ぜた。毛の流れにそって撫で付け、伏せられた顔にかかるのを掬い上げて耳にかけ、整えるように指で梳いた。今まで一度もそんなことを考えたりはしなかったのに、長い前髪に隠された、彼のもう片方の眼を見たいと思った。
さらさらと髪の流れるのが手のひらに伝わってきて、サンジが顔をあげたのが分かった。
ろくな明かりもない室内は、輪郭の縁をぼんやりと光らせるほどにしか、明度がない。サンジは、ゾロよりはもう少し夜目がきくらしい。サンジにはどの程度自分の顔が見えるのだろうかと思った。
背中に、ぼんやりと光る腕の輪郭が回されて、いつも彼が散々に罵る伸びきったシャツが、ぎゅ、と握られた。
胸に、暖かい彼の頭蓋が押し当てられ、髪だけは冷たく汗の匂いひとつなくゾロの腕の中へ収まった。
「一度でいいから」
聞いたことのない、震えるような声だった。
「一度でいいから、してみてえなあ」
「何を?」
聞く必要無い、聞かないほうが良い、と思いながらも、ついゾロは聞き返してしまった。サンジはふいを突かれて困ったようだった。答える必要はないだろう、とゾロは思った。だがサンジは、怯むように、少しだけ答えた。
「キスを最初にするみたいな、セックス、とか」
それはいかにもサンジ好みのロマンチックな言い回しであったが、同時にわけのわからない発言でもあった。キスなんか、何度だってしている。コトの最初にしたことだってあるだろう。今だってそうだったではないか。
ゾロはサンジを女々しいと思った。今更なんだと思った。
サンジの言いたいことが、何となく分かるような気がした。
「一度だけっていうのは、無理だろ」
ゾロは身体を起こすと、サンジを膝の上へ乗せた。
「そういったモンは、一度だけってことは、無いんじゃねえのか」
船は昼間の名残の風に揺らされて軋み、潮に濡れた床板はぬめりを帯びて感じられた。
いつものように思い切り良く衣服を全て脱いでしまうサンジを、湿った床板の上へ寝かせたくはなかった。
サンジは、ゾロの上へ跨る姿勢をとらされると、心得たように、滑らかに背を反らせ、当たり前のように自然にゾロの手を握り、そこを支点として動き出す。
彼の言う、一度きりしか得られないようなものを与えたら、彼はもっと不慣れな表情を見せるだろうか。最初で最後の表情を。



「あァ」と、サンジが堪えきれぬと言いたげに声を漏らすようになるころには、ゾロも現実の快楽のための作業で精一杯になる。サンジは器用にこちらの意を汲んで合わせてはくれるが、主導権を譲りたくはない。
お互いが争い合うようなこの関係はそれなりに楽しかった。
ただ、ふとゾロは考える。
何故サンジは、「ずっと」と言わず、「一度」と言うのだろうか。

どうして「ずっと」と言わないんだ。

だがそのような考えも長くは続かず、濃い色をした床の木目や、船の胴を伝わる波の音や、コンドームの袋の開封口や、そんな部分ばかりで切れ切れになって、サンジを抱くことで精一杯になってしまう。
それほど、サンジはセックスが上手いのだ。





end





TEXTtop