さくらさくら



「ゾロゾロゾロ!ピアノ持ってねェ?!」
「・・・・・あぁ?」
 夕焼けをバックに、鬼のような形相でゾロが振り向いた。まだランドセルを背負う年頃だというのに随分とハクのあるご面相だが、それを見上げるサンジに恐れなどない。
「持ってるわけねェだろ俺が」
 期待を全面に出して答えを待っていたサンジに、あっさりとゾロは答えた。
 この突拍子のない言動にゾロは慣れていた。黄色い頭に青い園児コート、裾広がりのその姿は、頭の中身も含めてまんまアヒルである。
「・・・・・てめェまたナミになんかせがまれたのか」
「ピアノがあるお家って素敵ねって言ってた!」

(あいつまた腕を上げたな)
 ナミはサンジと同じ組の女の子で、若干六歳にして、「たぶらかす」とか「そそのかす」という技が使えるスーパー園児だった。それにまんまとかかっているのが人より頭が軽い傾向にあるサンジである。
「ナミさんがおかねもちの家にはピアノだっつってた!グ、ク、クラット?」
「・・・・グランドピアノ」
「それ!」
 にぱっとサンジが笑った。反比例してゾロの顔が渋くなる。
また始まってしまった。自分へのおねだりが。

「なぁ、いつピアノ来る?」
 ゾロのランドセルにぶら下がった給食袋を、サンジがぐいぐいと引っ張った。胸にはチューリップの名札がついている。それをサンジが失くしたときも見つけてやったのはゾロだった。
 ―――ゾロに言うと欲しいものが出てくる。
 それ以来、サンジはゾロをそう認識してしまったらしい。
 それにしたってピアノ、ましてやグランドピアノなんて無理中の無理である。ゾロにだってできることとできないことがあることを、いい加減教えてやらないといけない。
「ピアノは――――」
「うん」
 弾んだ声で返事をしたサンジの目はキラキラと輝いている。喜ぶ準備は万全だ。
 ピアノは、で止まった口を開いたまま、ゾロは滅多なことでは感じない――が、このキラキラ相手だとやたら味わわされる――敗北を感じ。
 保育園帰りの足をそのまま幼馴染の家に向けた。

 ◇

「なーお前さー」
「あ?重ェよ」
 背中同士を合わせた体勢でのけぞってくるサンジに、ゾロは後ろを向いて文句を言った。肩にでも乗りそうだった保育園児は、高校に入ってからひょろひょろと背を伸ばし、今では頭一つしか違わない。
 サンジはその体勢を崩すことなく、頭の上で雑誌を広げながら続けた。
「まだあのピアノ持ってる?」
「ピアノ?」
「くいなちゃんに借りたピアノだよ」
「あーーーあんじゃねェかどっかに」
「弾かねェの?」
「何で」
「聞きてェから」

 珍しいな、とゾロは眉を上げた。珍しいというよりは、久しぶりだ。

 サンジがピアノをねだったあの日、ゾロが幼馴染のくいなから借りてきたのはおもちゃのピアノだった。グランドピアノにも普通のピアノにも程遠かったが、サンジはいたく満足した。満足してそして、ゾロに演奏をねだった。
 難題に次ぐ難題だったが、音楽の授業で「さくらさくら」を歌わされた直後だったので、とりあえず鍵盤を押してみたところ、サンジは大層感動した。
 結局そのピアノはずっとゾロの家に置かれ、これは腕に相当問題がある、と遅まきながら分かるようになったサンジは、出だしから違う音なことに毎回大笑いしたが、それからもゾロのピアノを聴きたがった。

「お前俺が弾けねェの知ってんだろが」
「でも聞きてェ」
「探すの面倒くせェ」
「・・・・・ケチ」
 ぐぐ、とサンジはさらに伸びをしてゾロに重心をかけてきた。
「おいコラ、いつまでやってんだ」
「お前がうんと言うまで」
「・・・この体勢じゃ探せねェ」
 ゾロが背中をずらすとサンジはそのままどさ、と畳に倒れこんだ。弾く気になってきたか?とサンジが寝転がった体勢で楽しげにゾロを見上げてくる。シャツの襟から覗いた鎖骨と床に散った金髪が、あの最中を思い起こさせた。
 耳の横に手をつき、かがみこんでサンジの口を吸う。離れればにぃっと笑う顔は、もう子供じゃない。
(いつの間にかそんな面覚えやがって)
 覚えさせたのは自分だろう。子供みたいな顔ばっかりしていたサンジが、どんどん違う表情をするようになったのは、間違いなくゾロのせいだ。
 シャツの隙間から手を差し込めば、目を細めて胸を上下させる。それだけでむらっと来るようになってしまったゾロも、サンジに相当影響された。お互い様だ。
 
 やっと子供っぽさの抜けた身体に手の平を這わせると、こういう最中にしては安らかな顔でサンジは目を閉じる。ゾロの方も、愛撫というよりは子供を寝かしつけるのに撫でているような感覚だ。しかし、寝ちまうんじゃねェかこいつ、とゾロが思い始める頃、サンジはうっすらと目を開くのだ。
「・・・やろうぜ」
 そういう感覚の違いを鋭く嗅ぎつけるサンジは、ゾロの襟首をぐいと引き寄せてけしかける。
 力強く握り締める手は、ほんの少し緊張している。


『中学の制服着てる奴にそんな気にはなんねェ』
 ゾロ好きだ、俺とやろうぜ!と、中学に上ったと同時に、告白してきたのはサンジだ。怒涛の勢いで迫ってくるサンジに対し、どうにか作った口実がそれだった。
 いくらゾロとはいえ、今まで人より大目に面倒を見てきた近所の子供にそんなことを言われ、そうですかそれじゃ、といただくわけにはいかない。というかそんな気には全然なれなかった。だからきっぱり断った。
 しかしサンジは食い下がった。相当粘り強く、駄々をこねた。それがあまりにもしつこかったので、ゾロはつい。
『てめェは駄々こねりゃ何でも俺が言うこと聞くと思ってんだろ』
 と、サンジが子供の頃でさえ言わなかった一言を言った。サンジはぴたりと口を閉ざした。
 それが効いたらしい。効きすぎて、サンジはその夜立てこもった。
 ゾロの部屋に。

「ん、ん・・・っ」
 口を深く合わせて舌を絡ませながら胸の先を弄ると、サンジの背がびくびくと跳ねた。ふくりと大きくなったそれをきゅうと摘むと、サンジは眉を寄せて首を振る。態度の方は大分強気になったが、感覚の方にはまだまだ慣れないらしい。ゾロだって全然慣れないのだから当然だ。
(あん時手ェ出さねェで良かったよな)
 サンジが篭城した日、ゾロは最後の最後にキスをした。絆されたのかもしれないし、サンジの言う通り本当は好きだったのかもしれない。
 いつも自分の後をついてきては、ゾロすげェ!と笑う子供の存在は、自分の中でずっと特別だった。
 それは今も変わることなく。

 シーツから浮いた背骨の線を指先でなぞり、そのまま下へ降ろす。
「あ・・・っあ、・・・ゾ、ろ」
 辿りついた窪みにそっと触れると、サンジは戸惑ったようにゾロを呼んだ。
「まだ入れねェよ」
「ん・・・」
 ほ、と息を吐く。指一本だってきちんと濡らさなければ入らない。無理をさせる気はさらさらないので心配ご無用なわけだが、そういう自分の一言で安心するサンジを見ると、ゾロはとても悪いことなどできないような気がしてくる。もっともそれは一瞬で、その後すぐにもっと色々してやりたくなるのだが。
「っ」
 サンジが小さく息を呑んだ。ゾロの手がサンジのものを包み、ゆっくりと上下に動き始める。既に反応していたそれは簡単に大きくなり、ゾロの手の内側を控えめに押し返してくる。この瞬間がゾロは楽しくてたまらないのだが、サンジは何よりそれが恥ずかしいらしい。
「気持ちいいか」
「・・き、聞くん・・・・じゃ・・っ」
「聞かなきゃ分かんねェだろ」
「ア、あっ・・・それ、や・・・め・・」
 溢れてくる滴を指に絡め、サンジのものに広げる。サンジも気持ちがいいし、ゾロの指も濡れるしで一石二鳥だ。
 その指をさっき通り過ぎただけの小さな穴に軽く潜り込ませると、サンジが大きく震えた。
「痛ェか」
 ふる、と首を振る。紅潮した頬を確認してから一度指を抜き、丹念に舐めてからもう少し奥まで差し入れる。
「・・・ぁ、あ・・・っ」
 傷つけないように中でそっと指を動かし、サンジ自身にも再び手を伸ばす。いつかは中イキさせてみようとゾロはもくろみ中だが、まだ早い。そのための下準備だ。
「・・・っぞ、ゾロ・・・っも、おれ・・・っ」
「ああ」
 少し強めに手を動かしてやるだけで、サンジは魚のように跳ねて達した。荒い呼吸を整え、ぜーぜー言いながらゾロの姿を捕らえようとする目が涙目だ。
(こんなツラ他の奴にゃ見せらんねェな)
 ゾロは再びキスをしてサンジを満足させると、自分も満足すべく、手と舌と声と全てを使って、サンジの中に入っていった。
 あのときサンジが、泣くのを我慢して自分の部屋に立てこもってくれたことに、ささやかに感謝しながら。

 ◇

 告白と篭城が一度に起こったあの日、ドアを蹴破って部屋に突入したゾロは、思いのほか冷静なサンジを見た。
『何考えてんだてめェは』
 サンジは呆れたように言ったゾロの表情を確認し、目を落とした。手元には、何故かあのピアノがあった。
『ゾロ、ピアノ弾いてくれよ』
 質問には答えず、サンジは普通の声で言った。そのとき怒っていたゾロは、嫌だ、と断った。ふっとサンジの目が揺らいだのが分かった。ゆるい沈黙が降りてくる。

『・・・俺を、嫌いになるな』

 搾り出すように言ったサンジは泣きそうだった。お前が言うとおり高校まで我慢するから、嫌いにはなるな、と言った。
 そういうサンジを初めて見た。いつでもゾロに好かれていると無駄に自信過剰で、怒られようが怒鳴られようがびくともしないのがサンジだった。

『嫌いにゃなんねェよ』
 ゾロは答えた。それも事実だった。
 なのにそう告げても全然伝わった気がしなくて、サンジはピアノだけしか見ていなくて、ゾロはサンジの顔を上げさせて口を付けた。それから、サンジの隣に座ってピアノを弾いてやった。いつも弾いていた、間違いだらけの「さくらさくら」を。
 弾き終わるとサンジは、うん、と言った。「嫌いにはならない」と言った、ゾロへの返事だった。

 ◇

「あ、あった!あったぜゾロ!」
 中腰になって押入れに半分埋もれていたサンジは、声を上げると素っ裸で立ち上がった。高く上げた両手には、年季の入ったおもちゃのピアノが、高々と掲げられている。
「お前・・・何勝手に家探ししてんだ」
 それにパンツ位履け、とさっきゾロが脱がしたトランクスをサンジの足元に放る。後でなっ、と機嫌よくサンジはパンツを無視し、ゾロにどん、とピアノを押し付けた。
「あれ弾けよお前の得意なやつ」
「お前笑うだろ」
「いーだろ笑ったって。実際面白ェんだから」
 な、早く早く、とやたら嬉しそうなサンジがピアノと同時に迫ってくるので、ゾロは仕方なくその場であぐらをかき、膝の前にピアノを置いた。昔に比べて大分小さく感じる。
「まだ音出っかな」
「さーな」
 そう言いながら、サンジは試しにでも鍵盤を押したりはしない。このピアノで音を出すのはゾロだけだと昔から決めている。
 ゾロは指先だけで、シールの擦り切れた「ド」の鍵盤をトン、と押した。
「出たな!」
 サンジがますますはしゃいだ。
 ポーン、なんて本物のピアノみたいな音はでない。ポン、とかカチャン、みたいな打楽器の音がする。

「な、じゃさくら」
「・・・・・」
 一体どうして、おもちゃのピアノで弾き手がゾロで、そんなに聞きたがるのか。そんなに喜ぶのか。ゾロは昔から不思議だ。
 サンジの頭はパーであるが音楽は普通に聴くし、小学校に上がれば音楽の成績だってゾロより全然良かった。ピアノだって、ゾロより断然上手いだろう。
 しかしサンジは隣でわくわくと自分を見上げてくる。
(こーしてっとガキの頃と変わんねェな)
 ゾロは黄色い頭をしばらく眺めると、再びにピアノに触れた。さくらの「さ」の部分を弾き始めると、サンジの顔がじんわりと笑い出して、そのうち肩が震えだす。
「てめェ・・・」
「・・・っ出、出だしから違うんだよな・・・っ」
 ソじゃねーだろ、ラだよラ、とばんばん畳を叩いて笑う。
「弾けんならお前が弾け」
「やだね。俺は聴いてんのが好き」
 畜生このガキ、と憎憎しく思うのだが、サンジの聴きたいという気持ちだけは昔から本当で。
 ゾロがサンジに甘いのも進歩がなくて。

「なぁもっかい弾いて」

 その日のゾロは、アンコールを三回も弾いた。

 ◇◇

 サンジはゾロのピアノが好きだ。
 多分ゾロは気付いてないだろうけど、今ではもう音もずれてるしひび割れているこの音が好きだ。

(あの日、俺がどんだけ嬉しかったか知らねェだろう)
 ピアノが欲しいなんてさすがに無理だ、そう思っていた。保育園で見ていたピアノは鍵盤に背が届かないほど大きかったし、先生しか触っちゃいけないとまで言われていた。
 でもサンジは、ゾロにねだるとゾロが構ってくれるのが嬉しかった。だから言うだけ言ってみたのだ。
 そうしたら、ゾロはピアノを借りてきてくれた。しかも一曲披露してくれた。

『ピアノは、その人の気持ちもうたってくれるのよ』
 あの日保育園で、ナミはそう言っていた。ゾロが弾いてくれた「さくら」は清清しいほど原曲を無視していたが、その意味が分かった。
 ゾロ、俺のこと好きだったのか。
 そう思った。
 本当のところは全く逆で、サンジがゾロを好きだったのだが。
 ゾロは短気だし顔も怖いし、たまにタイミングが悪いと「ひょっとして俺のこと好きじゃねェのかも」とさすがのサンジも思ったりもする。そういうときはピアノをねだった。ゾロは渋々な顔をしながらも弾いてくれた。それを聞くと安心した。
 到底無理な我儘を言った自分に、ゾロが弾いてくれた音だ。サンジのために、ゾロが生み出す音。

 だからまだ黙っておく。
 ピアノの音がずれていることも、割れていることも、。
 たとえ壊れたって言ってやりはしないのだ。

 ゾロとピアノを見るだけで、サンジは十分満足なのだから。



おわり
printed、2006/10/29 up、2006/12/29 kashiwa

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