ハッピーフラワー





運転免許をとった。
そしたら住民票が必要だと言うので面倒だと思いながらも市役所へ赴いた。市役所まではうちから歩いてほんの10分くらいだが、駅前でもなんでもなく、普段用事のないような方向にぽつんと建ってるので、もうちょっとなんとかならねえのかこの立地条件、と用事があるたびに思う。だが滅多に用もないので、まあ我慢出来る。
こないだ行ったのはいつだったか…
多分、住民税の支払いに行ったときだ。
夏だったから…3ヶ月くらい前か。
それと昨日。
実は昨日も仕事の行きがけに立ち寄ったのだが、判子を忘れたので出直しになった。



普段使う駅のある方角とは反対側に向かって線路沿いを歩き、暫く行くと公園があって、その公園の向こう側が市役所だ。
市役所の正面入り口にまわろうとすると何故かいつも迷うから、この公園をつっきって、公園と市役所の敷地の境になってる茂みをかきわけて、駐車場のあるほうから入るようにしている。
公園の真中には円形の噴水がある。
いつ見ても物凄くやる気なさそうにしょぼしょぼと水が出ている。
節水、してるのかも知れない。
なんかよく分かんねえ、あの噴水の目的。
公園の端の茂みはもう秋なので雑草とかも少なくて簡単に歩けた。
夏に来たときは草ボーボーで歩きにくかったっけな。
駐車場はやたら広いが停まってる車はあんまり無い。
なかに一台、やたら手入れが良くってピカピカしてるやつがあった。どうせ雨風にさらされるモンなのに、ここまで磨きこむ持ち主の気が知れない。免許とっといてこんなこと言うのは何だが、自動車には少しも興味がない。欲しいとも思わねえ。仕事で使うんだから運転免許くらいとっとけ、って社長がしつこいから仕方なくとっただけだ。



素っ気無く白い鉄筋の建物へ入り、中央のロビーを取り囲むように並んでいる窓口のなかから、住民票とか出してくれそうな課を探す。それぞれの窓口の上に看板がぶら下がっているが、たくさんあるのでどれなのか良く分からない。
そのへんの奴に聞きゃ分かるだろ、と思ったオレはとりあえず目についた黄色い頭の男に声をかけた。
「住民票、欲しいんだけど」
「住民票?」
机の上には何かの書類のようなものがたくさん広がっていて、男はそこへ判子を押す作業に没頭していた。
蓋のついた箱に、やたらたくさんの種類の判子が入っている。それを順々に選び出して書類の上へ次々押してゆく。手の動きが速いので、タイプライターみたいだ。ぽんぽんぽんと赤いインクと黒いインクが並んで書類の空欄を埋めてゆく。
暫くそれに見入っていたら、オレの視線に気付いたのか金髪男はさっとその書類を一まとめにして判子の箱の影に隠し
「じゃ、とっととあっちにある申請書書いてから持って来い」
とぶっきらぼうに言放った。
感じの悪いヤロウだ。
見られちゃマズイもんならこんなとこで広げてんなよ、と思った。
けど、どうやらここに申請書を出したら住民票がもらえるらしい。
窓口のすぐ後ろの机の上に粗雑に並べられた申請用紙の束の山のうち、「住民票」と書かれたケースに入ってる紙切れを手にとる。
名前を書き、住所を書き、記入欄をさっさと埋めて判を押すと金髪の前に突き出してやった。
「住民票。はやく出せ」
「今出すよ、あっちいって座っとけ」
今度は顎でしゃくられた。
憮然としつつも並べられたソファーに腰掛け、呼ばれるのを待つ。
ほんとに態度悪ィな、と思ってジロジロ金髪のこと睨んでたら、思い出した。
こいつ、今年の春まで近所の図書館に居た奴だ。
オレぁ別に趣味が読書とか言うタイプじゃねえが、あの頃、ちょっと仕事関連で古い地図が必要になって、図書館に保存してあるっつうから足しげく通ってコピーとったりあれこれ調べもんしたりしていた。
そん時、あいつが応対に出て、書庫に入ってる資料を出してくれたりした。
いつも乱暴な言葉遣いする奴だったが、むこうもオレの顔を覚えたようで、図書館員のいる部屋に顔だすと
「よお、テメエか」
って声を掛けてきたものだった。
なんで市役所にいるんだろ。
市役所って図書館と仲間なのか。
よく分かんねえ。
そんなことを考えてぼんやりしてたら、ほどなくして
「おい、テメエ、来い」
と呼ばれた。
「テメエって言い方ァねえだろ」
「うるせェな、テメエが番号札とらねえから番号で呼べなかったんだよ」
「あ?番号?」
「わかんねえならいい。オラ、うけとれ、手数料もこっちで受け取ってやるから。ほんとはあっちの会計で支払ってもらうんだけど、おまえはまごつきそうだから代わりにやっといてやる」
「……」
釈然としないが、なんか手間がはぶけそうだったので都合良かった。
まじまじと横顔を観察したが、やっぱ、コイツはあの図書館の金髪だ。
コイツのほうは、オレに気付いてるんだろうか。
金髪に手数料を渡し、住民票を受け取る。
そのまま立ち去ろうとしたのだが、す、と後を追うように薄桃色の封筒が差し出され、金髪がこちらへまっすぐと向き直った。
「必要でしたらお使い下さい」
何故かそこだけ敬語で言われた。
封筒なんか使わねえから断ろうとした矢先、
「あれっ」
金髪が急に顔をあげ、オレを見る。
漸く、真正面から視線が合った。
縁の細い眼鏡をかけ、片方の目が長い前髪に隠されている。変な眉毛をしている。
少しも変わってねえ、態度の悪さにあまり似合わない、行儀良さそうなツラしてやがる。
ああ、ひょっとして今ようやくオレのことに気付いたのか、と思っていたら、
「おまえ、今日、誕生日じゃねえの」
と関係無いことを突然言われた。
11月11日。
金髪がこっちに手渡そうとしてる紙きれの上には、オレの生年月日が載っている。
「丁度良かった」
金髪は意味深にニヤリとした。
そしてデスクの下の鞄から綺麗な紙ナプキンの包みを取り出すと
「やるよ、プレゼントだ。あ、弁当箱は洗って返せよ」
そう言って無理矢理オレの手に押し付けてきた。
なんだこりゃ、弁当、なのか。
「ア?いらねえよ、なんだよ一体」
「いらねえとか言うな、すげえ旨ェって、それ」
一度は金髪の手に突っ返そうとした弁当の包みは、再び強引にオレの手許に返された。
旨い、と言われたのに誘惑されたわけでもないが、まあ、結局受け取った。
よく分かんねえが、食ったら本当にうまかった。



ここんとこ変則的な勤務時間が続いてる。
翌日は午前中だけで仕事が終わりだった。
それでまた夕方頃出勤しなくちゃなんねえ。
半端な空き時間なので、寝るにもまだ早いし、どう時間を潰したらいいのか思いつかない。
そう言えば、昨日金髪から受け取った弁当箱を返しに行かなくてはいけない。
折角だから今から行こうかと、一旦家に帰って弁当箱を手に持った。
礼ぐらいなんかするべきか。
けど何もやるもんが思いつかなかったから、玄関先に置いてあるダンボールのなかからみかんを取って、弁当箱の中に無理矢理詰めた。こないだ人から箱で貰ったから、まだたくさんあまってる。もういっこ詰めようかと思ったが、今度は蓋がしまらなかったので諦めた。



ところで、金髪から手渡された弁当は、すげえ旨かったが、メシの上に何故かソボロで
「好き」
と書かれていた。デンブでハートも書かれていた。
一体どういうことなのか、わりと悩んだが、ほんとにどういうことだ。
オレが好きなのか。
それはおかしいだろう。
そもそも、誕生日だったからって、住民票とりにきた市民にいきなり弁当をくれるとこからおかしかった。
おかしいと思いながらも、アイツがしつこいからつい受け取ってしまった。
受け取ってしまったが、やっぱり、おかしい。
紙ナプキンで綺麗にくるんであったところからも、これは元々他人にあげることを想定した弁当であったことが分かる。
だが、もしあれが誰かにやるもんだったんなら、オレにくれていいわけがない。
昨日オレが来ることを、あいつは知らなかったはずだから、昨日オレとアイツが会ったのは偶然だ。
いや、どうだ。
一昨日市役所まで行って、申請用紙に記入しようとしたとき、判子がねえと駄目なのかって、そのへんに居た奴に聞いた、そういえば。
あの時は相手の顔もろくに見なかったが……
オレはあんとき、
「なんだ、判子ねえと駄目かよ、じゃ、明日また来る」
……そう、答えた。
ような気がする。
あれが金髪だったんなら、金髪はオレが昨日市役所に行くことを知ってたことになる。
それで弁当を用意してたのか?
いや、それはおかしい。
ちょっとした知り合いに過ぎないのに、それはおかしい。
てか、「好き」って書いてあるところがおかしい。
あいつはオレが好きなのか?
それで弁当をくれたのか?



それは、おかしい。



おかしな弁当を受け取ってしまったがために、頭んなかがごちゃごちゃして、たまんなかった。
考えてもしょうがねえから、とりあえず弁当箱を返すために市役所を目指した。
線路沿いを歩き、しょぼしょぼ水の出る噴水の横を通って植え込みを掻き分け、旧式っぽい自動ドアをくぐって鉄筋の建物の中へ入る。
役所らしい、紙の印刷の匂いがした。
だが金髪がどこにも見当たらない。
ぐるっと受付窓口を見渡したが、一周まわってもいなかった。
どこ行っちまったんだ。
今日は休みか。



居ねえんなら仕方ねえか、と思い、外へ出た。
行きと同じ出口から出たつもりが、正面の出口から外へ出てしまった。
こっちから出ると道が分かりにくくて迷うから面倒だ、と思いながらもとりあえず歩き出そうとすると、ドアのすぐわきの自転車置き場の横に、あの黄色い頭が座りこんでるのを見つけた。
暢気に植木の脇でタバコをふかしている。
金髪はすぐにオレに気付いて
「よお」
と声をかけてきた。
立ったまま見下ろして話すのも何だし、オレはその隣りに腰を下ろした。
「これ、弁当箱」
そう言って包みを突き出すと
「ん」
と手を出して金髪が受け取る。
「おい、その弁当……」
すげえ旨かった、とオレは言うつもりだった。
だが金髪はハッとした顔になり
「み、見たのか」
と答える。
「いや、そりゃ見るだろ、食ったんだから」
「そ、そうか……」
金髪は落ち着きなくタバコをふかし、そうかと思うと地べたにぎゅっと押し付けて火を消し、消したかと思うと次の一本にまた火を点けて吸いだした。
深刻そうな金髪の表情に、オレは弁当のメシの上のそぼろの文字を思い出した。

「好き」

と、書いてあった。
なんでか、少し動揺した。
一瞬、「そうなんだ、オレはおまえが好きなんだ」とか言い出す金髪のことを想像した。
しかし、次の瞬間金髪はひとの胸に勝手にすがって
「そうなんだ、あれ、ほんとは同じ課の女の子にあげるつもりだったんだけどさー、ふられちゃってさー」
と言いながらベソをかきだした。
「ひでえだろ、サンジ君のこと大好きだからずっとトモダチでいたいの、とか言われちゃったんだぜ、ひでえだろ、ひでえだろ」
「……」
「オレの手作り弁当食べてもらおうと思ってたのに、ひでえよ」
黄色い頭がゴリゴリとシャツの胸んとこに押し付けられる。
石鹸みたいな匂いがした。
俯いた首んとこは、やけに細ッこい。
アホみたいに泣いてるとこみたら、突き放すことも出来なくなって、気の毒にな、もしオレがこいつに「そうなんだ、オレはおまえが好きなんだ」って言われたんだったら、つきあってたかも知れないな、と考えた。
金髪はベソかきながらも
「あれ、なんか重たい」
と言いながら弁当箱を開き、中からみかんを発見した。
こいつの頭みたいに、黄色いみかんだ。
その手からみかんを受け取って、むいてやると、金髪は途端に顔を崩して笑った。
そして、あーん、と口をあけてオレの手からみかんを食った。
「すげえすっぱい」
耳のウシロんとこが痛ェよ、これ、なんだこれ、と金髪が騒ぐ。
歪められた唇がみかんの汁で濡れている。
それ見てたら、たまんなくなって、オレは金髪の口を舐めた。塞ぐように唇を合わせて、何度か吸い付いた。
すげえ、すっぱかった。
金髪は呆気にとられていたが、「そうなんだ、オレはおまえが好きなんだ」ってコイツが言い出さねえかなって、オレはまた考えた。




05/11/11
あ、市役所と図書館は仲間です(笑)