you are second to none
敵わない



夜も更けたというのに続く喧噪を、咎める者も今日は居るまい。
賑やかにぶら下げられた提灯と、夜店の電球。
ビニール製の屋根に連なる、裸電球の露骨な光は、目を刺すくらいだ。
わたあめ
やきとり
チョコバナナ
トロピカルジュース
たこやき
……
その軒やら台の下やらには、店名は無く、商いの内容の分かりやすい屋号の代わりだけがある。
大通りの両脇の歩道に沿ってそんな屋台がどこまでも続き、車道は神輿の巡幸のために白い紙の下がった綱が一列に張られ、繁華街の果てにある神社まで続いている。

サンジは浴衣を着てきた。
夕方になって急に電話をかけてきて、
「7時に駅前な、浴衣着用義務だからな」
と無理難題を押し付けた。
女ならともかく、大学一年、男、運動部と三拍子揃ったゾロの持ち物リストに、そんな実用の機会に乏しい衣服などは含まれていなかった。
駅前のポストの脇に、紺色の地味な和服に身を包んだサンジが立っていた。既にその手には綿菓子がある。サンジはそういう見た目の可愛い食べ物が好きだ。駅前のポストの脇は皆が待ち合わせ場所に使うから、人でごったがえしていたが、黄色いアタマとアホのような綿菓子で、すぐにそれかと発見出来た。
「なんだ、てめえ、それ」
と言いながらサンジは綿菓子を口に放り込む。
しゅうしゅうと白い綿は茶色いザラメの正体を現し、あっという間にしぼんで、始末される。
ゾロは剣道の胴着を着てきた。
和風っぽい服だから、これも似たようなものかと思ったのだ。
「アホか」
サンジは笑った。
「全然、ちげーよ、おまえ、それは」
サンジの笑い声は粗目砂糖の甘い匂いがした。

サンジとゾロはうんとガキのころからのつきあいだ。
だが町の秋祭りに二人揃って来たのはほんの、数えるほどだ。
秋祭りの日、決まってサンジは忙しい。
思えば始まりは8つの時だった。
その日も、今日と同じように、二人で秋祭りに行った。
堂々と夜遊びの出来る機会など他に無いので、随分勇みだって小遣いを握り締めて出かけたものだ。
たからつり
と書かれた屋台の前でサンジは立ち止まった。
薄汚れたロープが束になって括られて、その先に種々様々の景品がぶら下げられている。
本当に、このロープの先に、あのたからもののどれかが、ぶらさがっているのだろうか。
金網で囲われた箱の中にある景品のどれもが魅力的なたからものに見えたし、また同時に、どれもがハズレのようにも思えた。どれが欲しくて紐を引くのか、サンジ自身にも分からなかったろう。
サンジは屋台のオジサンにがま口から出した小銭を渡した。
そして得意そうに
「これだ!」
と、中でも一番薄汚れたロープを勢い良く引いた。
金網の箱の中の景品のひとつが、ひっぱられて、持ち上がった。あれがサンジが吊り上げた、たから。
紙風船だった。
たくさんあるなかでも、それは一番欲しくなかったもののようにも思えた。
サンジは悔しそうに「くそッ」と叫んで、それから紙風船をふくらませ、なにやらゾロの知らない歌をうたいながら、ぽん、ぽん、と空へ向かって突いた。
サンジのうたう歌はいつも調子外れで、しかも歌詞に曖昧な部分がある。適当にごちゃごちゃうたうから、「せんせいおせわになりました」という部分しか聞き取れなかった。だがゾロは10年以上経った今でも、その1フレーズだけが耳から離れない。
ふーんふんふふんふふーん、せーんせーいおーせわーになーりまーしたー、るるるーらー、ふふふーん
というふうにサンジはうたった。
きっとサンジもその部分しか歌詞を覚えていなかったのだろう。
「なあ、ゾロ、オレ決めたぜ」
たこやきの食べかすがおきっぱなしにされたソースまみれのベンチの上に突っ立って、かっこつけながらサンジが言った。
「オレは秋祭りで好きなコにコクハクするぞ」

それ以来、予告通り、サンジは可愛いという女子を祭りに誘っては愛を告白し、ふられる、というサイクルを年中行事に組み込んで繰り返している。

近頃はあまりたからつりの屋台を見かけなくなった。
そのかわり、スピードくじ、というノボリを良く見かけるようになった。
けれどもう、サンジはそんなものにはさほど興味を示さない。さすがに大人になったんだろう。おまえ、昔、こういうの好きだったじゃねえか、と言おうとしてサンジの顔を見たゾロはぎょっとした。サンジの顔の中央に赤い影が映っていたからだ。
「おまえソレ……」
「あ?」
どうした、と聞く前に、それは提灯の影であることに気付いた。
提灯に描かれた、朱色の巴模様が、サンジの顔の上へたまたま赤い巴模様の光を落としたのだ。
サンジが不審そうに首を傾けると、朱色の影は滑るように顔の表面を移動する。いや、影は移動せず一点にあって、サンジの頭だけが可動部分として傾いでゆく。見慣れた白面のおうとつに沿って、朱色の影がたわむ。
ゾロはそれをぼんやり眺めた。
サンジは「何見てんだよ」と眉を顰め、唇を突き出して見せる。そんな表情は、ガキだったころと何も変わっていないように思う。
「おまえ、今年はいいのかよ」
ゾロは訊いた。
「は?」
「女。祭りの日に、つきあってくれって言う決まりなんだろ」
「……決まりじゃねえよ」
ふ、とサンジは顔を逸らした。
時折サンジはこういう仕種をする。
いつも煩いくらいにあれこれ話すのに、こうやって、表情を隠すような仕種をされると、ゾロは戸惑い、こいつのこういうとこは苦手だ、と思う。
普段の鬱陶しいくらいの感情表現に慣らされているため、少しでもサンジがそれを隠そうとすると、途端に彼の考えが読めなくなってしまうのだ。
から、から、からと、履き慣れない下駄をひいて、サンジは人の流れから少しはずれた。
車道と歩道の間を仕切る植え込みの中に、古ぼけたベンチが置いてある。古ぼけた、と言っても、きっと何年かおきには取り替えているんだろうから、一見昔のままに見える町並みも、本当はちょっとずつマイナーチェンジしてるんだろう。ゾロが気付かないだけで。
紺色の浴衣の裾を追って、植え込みの、柔らかな土の上を歩く。
雪駄を履いたゾロの足にはその柔らかさは、なんということもない。
二枚歯の下駄を履いてきたサンジには、ところどころで足を取られる、不安定な地面であるようだ。
少しくバランスを崩したサンジの足許で、紺色の裾が翻り、白い、けれど筋張った踵がちらちらと覗く。
どこかで歓声があがり、提灯の明かりが一斉にゆらゆら揺れる。
町内の神輿が、この道の先を通ったのだろう。
提灯のぶら下げられたコードのずっと先を、誰かが、はずみで大きく引っ張ったのかも知れない。そしてその揺れが離れたこの場所まで伝わってきた。

11年前、この場所で、サンジは
「秋祭りの日に好きなコにコクハクするんだ」
なんてゆう決意を表明した。
そして突然「てめえにゃ、負けねえからな」と言った。
サンジの行動も、発言も、いつも唐突で意味が分からないが、
「負けねえからな」
と、言われると、途端にサンジに勝てたことが無いような気がした。
それからちょっとずつ大人になって、身長も、学校の成績も僅かではあるがゾロのほうが上だったし、かけっこは負けたが、彼女が出来たのも、童貞をキッたのもゾロが先だったけれど、今でも胸を張って
「てめえにゃ、負けねえからな」
とサンジが言えばゾロは、サンジには勝てない、という気がするのだ。

「祭りの日だとさあ」
サンジはさっき買ったばかりのアンズ飴にちゅう、と吸い付いた。
「好きって気がしねえ?」
「なにを?」
「相手を」
「は?」
「一緒に祭りに行った相手を」
モナカの皮みたいな部分は、齧ると白い糸をひいて、半分溶けた水飴が中からとろりと零れる。ああゆう真っ赤なアンズは、祭りの屋台でしか見たことがない。着色料で中身の種まで真っ赤に染まってる。
「そうかよ?」
「そうだ」
「んなこと、ねえだろ」
「あるよ」
祭りの喧噪の中でも、雪駄を履いたハダシの足は、ひんやり冷えた地面の温度を感じる。秋祭りの日は、やっぱりもう秋なのだ。
「ああゆうさ」
サンジはスピードくじの屋台を顎で指した。
「くじ屋の景品ってさ、どうでもいいもんばっかじゃねえ?」
「まあそうだな」
「けど、祭りの日は、ああゆうどうでもいいもんも、欲しくなるだろ」
「まあな」
「それと同じなんじゃねえかと思って」
「……」
ゾロは少し返答に詰まった。
そんなこと考えてたのか、と思った。
自分を祭りに誘うなんて、今年はどうしたのかと思っていたが、どうやらサンジは秋祭りの今日を待たずにまた誰かにふられでもしたんだろうか。
「……そんなじゃねえよ」
また、わあ、と遠くで歓声があがり、暫くして提灯がゆらゆらと揺れる。
「てめえは、そんな、どうでもいいもんとかじゃねえし」
何とか慰めてやろうと、ゾロは不器用な口を開く。
「あ?……ったりめえだろ?」
サンジはふんぞり返ると、いかにも馬鹿にしたように片方の眉を上げた。
さらり、と金糸の髪が額の上を流れた。そして更にその金糸の上を、提灯の明かりが流れる。
「オレのことじゃねえよ、てめえのことだ」
どこか遠くで、歓声があがる。
近くでも、ガキどもが大声をあげる。
「は?」
「こんな祭りの日だったな」
おまえを好きだと思ったのは。
そう言ってサンジは、にかっと笑った。
それを見るとゾロはやっぱり、サンジには一度も勝ったことが無いように思うのだ。


04/09/27


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