like a Modigliani`s
モディリアーニの絵のような
モディリアーニの絵みたいだ、とウソップが言ったので、ゾロはサンジの後姿のことをモディリアーニの絵のようだ、と思っている。それがどんな絵なのかは見たことがないし、モディリアーニというのが何なのかも分からない。
モディリアーニの絵みたいな、ひょろながい後姿で、サンジはキッチンに立っている。ゾロはそれを眺めている。
サンジの手はリズム良く動く。
あのひょろながい背中の向こうでは、肉や野菜や魚が整然と細切れにされ、調味料と合わされたり煮られたり焼かれたり蒸されたりしているのだろう。
一週間ほど前、ゾロはサンジに好きだと言われた。
甲板で夜風にあたって涼んでいたらそのまま眠くなって、目が覚めたら朝だった、その早朝の薄明るい陽光のなかで、しゃがみこむようにゾロへ近づいて、サンジは
「好きだ」
と言った。
起き抜けのアタマは、船が、ぎい、と軋んだのを聞き違えたのかと考えた。
目を覚まそうと何度も顔を擦り、眉を顰めてサンジを見遣り、もう一度彼が口を開かないものかと思った。
思った通りに彼はもう一度、
「てめえのことが、好きなんだ」
前よりはっきりと分かるような言葉を選んでくれた。
それでゾロにも良く理解出来た。
彼は心配そうに片方だけの目を細めていた。
「わかんねえか」
短い時間のうちに辺りはぐんぐん明るさを増していった。海の上の夜明けはいつもこんなふうだ。
「いや、わかる」
「嫌か」
「いや……」
起き抜けのアタマで、ゾロはめまぐるしく色々なことを考えた。
サンジの目が青いことや、眉毛が巻いていることや、料理をするとき鼻歌をうたうことや、その鼻歌が結構調子外れで下手くそであることや、ゾロのことをマリモ、マリモと馬鹿にすることや、モディリアーニの絵みたいだとウソップが言った背中のことを考えた。
「嫌じゃねえ」
ようやくそれだけ考えたころには、サンジはいつもゾロに向けるものとは違う、優しげな表情になってしまっていた。
「そっか」
サンジが、こぼれるように優しく笑った。
そしてそっと目を伏せて
「良かった」
と、優しく言った。
返事をするのが遅すぎたのではないか、とゾロは思った。
最早辺りは曖昧な日の出の姿ではなく、既に一日の始まったあとの強い陽射しに照らされていた。
サンジは機嫌良く音程の外れた鼻歌をうたいながら、朝食の準備を始めた。
それから一週間が穏やかに過ぎた。
サンジはこれまでと何も変わらなかったが、二人きりでいるときなどにふと、柔らかく微笑むようになった。風の冷たい晩などには「寒くねえか」と気遣いまで見せるようになった。他愛のない冗談を、ケンカ混じりで無しに言うようになった。
もの言いたげなその口許の緩やかな曲線は、耐えがたい。
返事をするのが遅かった。
返事をするのが遅かったのだと、ゾロは思った。
この船で一番最初に起きるのはサンジだが、この船で一番最後に寝るのも、不寝番を除けば、サンジだ。
だからサンジはこの船の上でのことを一番たくさん知っている、かと思えば、そうでもない。
では何も知らないのかといえば、そうでもない。
夜更けたキッチンにはいつの間にかスープの匂いと湯気が満ちている。
サンジは小さな丸窓をあけて、それを逃がす。
ひょろながい背中はこちらを向かない。
あれでは答えにならなかったのだとゾロは悟った。
サンジは、もうずっと、優しく沈黙している。
ゾロはテーブルの上に、暇つぶしに呷っていた酒瓶を置いた。
表面に水滴のたくさんついた瓶は、もうあまり冷たくない。サンジが冷やしておいてくれたその瓶は、テーブルの上へ置いた途端、あとからあとから空気を冷やして滴らせ、水にして、ひきかえに中身の酒はぬるくなり、今はもう、冷酒の名残、ぐらいの芒洋とした存在意義に甘んじている。
そしてたくさんの濡れた輪の跡を、白いクロスの上に残している。
コップなんか使ってなかった。一度封を切ったらなるべく一気に飲むほうだ。
そうだ、何でも一時に済ませてしまうべきだった。
二度と出会えない瞬間というものは、あるのだ。
ゾロは立ち上がり、ひょろながい背中へ近づいた。
腕をまわせばすっぽりと同じくらいの背丈の身体が収まって、ひっつく。
ゾロよりは冷たい肌の表面は、さらりと乾いていた。
だからまだ、彼の中身はぬるくはなっていないのだ。
そっと耳の後ろに唇を付けて、吸った。
こめかみにも口を付けたあと、髪に鼻先を埋めた。
腕の中でサンジは押し黙っている。耳を澄まして、じっと全ての物音を探っている。
これが答えだ、とゾロは思った。
伝わって欲しいと思った。
サンジはただじっと耳を澄ましている。
耳朶の骨の形に沿って舌を這わせると、シンクの縁に手を置いて、指が白くなるまで握り締める。
これが答えだ、分かれよ、とゾロは思った。
けれど、モディリアーニの絵のようなひょろながい背中は、耳を澄まして立ち尽くしたままだった。
04/09/25
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