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風船ガム



放課後、なかなか来ないナミを待っていたら、教室にゾロと二人きりになってしまった。
最悪に退屈だ、とサンジは思った。
こんなむさくるしい男と二人きりだなんて、これ以上に退屈な状況は無い。
早くナミさん戻って来ねえかなあ、と机の上へ顎をのせ、殺風景な教室を見渡す。何も面白いものなんかない。四角い机が並んでるだけだ。
昨日、新しい駅ビルがオープンした。おしゃれっぽいショップとかがたくさん入ってるらしい。今朝ナミにその話をしたら
「まだ行ってないわ」
と言うので、サンジとしては是非今日の放課後ナミとご一緒して、その新ピカの店内を物色したい所存なのだ。
「今日は委員会で遅くなるから」
とナミは言った。
「それなら終わるまで待つよ」
とサンジは答えた。
あんな美人と出かけられるなら、ちょっとやそっと待たされるのも悪くない。高校生のサンジには、自由になる小遣いもたいした額は無いのだが、リップクリームくらいなら買ってあげたいな、などと考え、喜ぶナミを都合良く妄想して楽しくナミが戻るまでの時間を潰す予定だったのだが。
何でか、ゾロが居る。
今日はオレは遅くなるから帰れ、と再三言ったのだが、全然帰ろうとしてくれない。
入学してからこっち、サンジはこの男に毎日下校をご一緒されている。
迷惑この上ないのだが、何故かくっついて来るので断れない。
ゾロは何か習い事をしているらしく、大抵は帰宅部のサンジと同じ時刻に下校する、ので、逃れようがない。しかも最寄駅が一緒ときている。
そんなゾロのことを、
(ホモなんじゃないか)
とサンジは疑っている。
そうでなければ、可愛い女の子に目もくれず、毎日オトコと一緒に歩くわけがない。しかも彼は元来無口なタチらしく、殆ど無言でついて来るので、それはもう不気味としか言いようがない。
「あー、ナミさん、おっせえな」
間が持たないので独り言を言ってみた。
するとゾロがちらりとサンジを見て
「てめえが待つって決めたんだろ、文句言うな」
しれっとした表情で言う。
物凄くムカついたが、ここで言い返したらなんかオトナゲ無い感じになりそうだったので、我慢してそっぽを向いた。こういうときにそっぽを向くという仕種は、サンジ的には大人っぽい仕種に分類される。
退屈のあまり眠くなってきたが、こんなホモかも知れない奴の横で眠ってしまったら、寝てる間に何されるか分かったもんじゃないので、ウカツに眠れなかった。

しばらくして、廊下をバタバタ歩く足音がして、ナミが戻ってきた。
「サンジ君、ごめん、待ったでしょう」
仕事の邪魔になったからか、いつもはおろしている髪を、ゴムでひとつに括っていた。それがまた可愛い、とサンジは思う。
机の上に乗せていた顎を一気に持ち上げて、とても機嫌良く
「ううん、全然いいよ」
と答えた。
ナミは隣りのクラスのウソップと一緒だった。
ウソップはナミと同じ広報委員らしい。今日も一緒に作業をしていたのだろうか。内心面白くなかったが、わざわざ奴に絡んでナミの機嫌を損ねる必要性は無い。何しろ自分はこれからナミとデートだ。なんかいつまでも同行しそうな勢いの緑頭の男が気になるが、まあ、どうにか追い払う算段だ。
だが、ナミは両手を目の前であわせて見せると、こう言った。
「ごめんね、サンジ君、まだ時間かかりそうなの、今日はすごく遅くなるし、待っててもらってもあのお店には行けないから、先に帰って?」
「エッ?!」
がたん、とサンジは思わず席を立った。
「そんな、ナミさん、そんなに遅くなるの?」
「ウン、だから今はちょっとだけ休憩時間。先生の印刷があがるまで待ってるのよ」
「そ、そう……仕方ないね」
「そんなにがっかりしないで、ハイ、ほら、ガムあげる」
「おいナミ、そりゃオレのガムだろうが」
「けちけちしない。ハイ、ほら、サンジ君」
手渡されたガムは、何だか昔見たことのあるような、猫のような犬のようなキャラクターの描かれた色紙に包まれていた。
駄菓子屋でよく売ってるガムだなあ、と思いながら口に放り込むと、粉っぽい味がした。
「あらゾロ、あんたも居たの、相変わらずね」
「うっせえな」
ゾロががりがりと頭を掻く。
「なあに、感じ悪いわね、あんたの分はないわよ」
「だから最初からオレのだろうがって」
自分も口にガムを放り込みながらウソップが言うと、サンジが答えた。
「けちけちすんな、ウソップ」
「てめえが言うな!」
しょうがねえ奴らだな、全く。
そう言いながら、ぷう、とウソップがガムを膨らませる。
ウソップは器用だ。
ありえないほど長い鼻の邪魔をものともせず、どんどん大きくガムを膨らませる。
「わ!すごい、ウソップ、あんたすごい!」
ナミが歓声をあげる。
「…………」
誉められたウソップは調子にのったか、視線だけで「どんなもんだ」と語りかけると、ぷう、と頬に力をいれて、一つ目の大きな風船の中に、小さなもう一つの風船を膨らませる。
今度こそ本気の賞賛の声が、その場にいた全員から漏れたのだった。

しばらくして、他の委員が二人を呼びに来たので、ナミとウソップは仕事に戻った。
後にはまたサンジとゾロだけが残された。
サンジは味のしなくなってきたガムを、ぷう、と唇へのっけて息を吹き込んでみる。これが案外難しい。サンジは風船ガムで風船をつくることが出来ない。そんなの人生においてまったく役に立たない技術のように思っていたが、今日ほどガムで風船を作ることが出来たら、と思ったことはなかった。
さっき、ウソップのガム風船でさんざん盛り上がったあと、ナミが自分も小さな風船を膨らませて見せ、「サンジ君もできる?」と残酷な質問をしたのだ。
「わ、わからない、やってみないと」
出来ない、と素直に言えば良かったものを、そんな曖昧な答え方をしてしまったものだから、サンジはナミの前で出来もしないチャレンジに取り組むハメになり、案の定、失敗した。
「えー、サンジ君て案外不器用なのね」
こういう時の女の子というのは、本当に残酷なものだ。
あからさまにがっかりした表情のナミを見て、サンジ自身が一番がっかりしたのだった。

ぷう、ぷう、と一生懸命息を吹き込んでも、ちっとも風船のようにならない。
ほっぺたをふくらませて、熱心にガムと格闘するが、どうやったって出来ないものは出来ない。
「なんだ、てめえホントに不器用なんだなあ」
つくづくといったふうにゾロが言う。
かちんときた。
「んだ、この……」
「貸してみろ」
「あ?」
「貸せ、ソレ」
え?と思う間もなく、ゾロの顔がぐんと近くなって、熱くて柔らかい感触がした。
「……ん、むッ」
(き、き、き、キス、されてる、のか?)
唇が、深く合わさっている。
ぬる、とゾロの舌が口の中へ差し込まれる。
慌てて逃げようとしたがいつの間にか肩を掴まれていて身動き取れない。
「……ッ!」
どん、とサンジはゾロの胸を叩いた。
制服のシャツの背中を引っ張って、どうにかその身体を引き剥がそうと足掻いた。
「ん……んッ」
口の中で、ゾロの舌がサンジの舌を追う。
ふ、と湿った息が触れた。
顎を掴まれて、もう顔を逸らすことも出来なくなった。
呼吸が苦しい。
椅子から転げ落ちそうになったあたりで、ようやく、ゾロの唇が離れていった。ぬる、とサンジの喉の近くまで舌を這わせた後に。

「……ぷはッ」

はーはー、とサンジは肩で息をつく。
火を噴きそうに脳みそが火照っている。酸欠で視界もぶれている。口許を拭うと、ヨダレがたれていた。情けないことこの上なかった。
(ホ……いやいや)
ごしごしとシャツの袖で唇を拭きながら、サンジは現実から目を背けたくて必死だった。
(ホ……いやいやいや)
サンジの繊細な思考回路は、その事実を認識することを拒んでいる。
(ホ……)
でも、あまりにも明快な筋道が、状況を説明するのに一つの答えしか用意しない。
(ホ、ホモに唇を奪われた……)
かなり衝撃的だった。
思わずこの先の人生とかについてまで考え直してしまいそうだった。
それなのに、ゾロは平然とこちらを向くと、

ぷう、と風船ガムをふくらませた。

いつの間にか、サンジの口内にあったガムを、ゾロが奪い取っていた。
空気を入れ過ぎて、ぱん、と風船がつぶれる。
それをまたゾロは噛みなおして、舌で伸ばす。
「簡単だろ?」
ぷう、と、また風船がふくらむ。
「…………」
唖然とするサンジの顎に手をかけ、そのシマリの無い口を開かせると、ゾロはガムの根元をもう片方の手の指で摘んで、ぽいとサンジの口へ放り込んだ。
風船のふくらんだ形のままで。
まるで、サンジが風船をつくったみたいに見える。
「おら、急いでナミに見せてこいよ、さっさとしないと、しぼんでくるぞ」
「……ッ!」
弾かれたように。
風船のガムを咥えたまんま、ぱっとサンジは駆け出した。椅子を蹴倒して、カバンを投げ出して、教室の扉も開け放したままで。

教室にはゾロ一人が残された。
全速力で駆けてゆくサンジを見送って、ゾロはニヤリとして、唇を舐めた。



04/09/29


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