「その後のちびなす屋」




ゾロの住む家は木造で、二階建てで広いのに、ろくな家具がそろっていなくて本当にしょうがない。海外移住した彼の父親が、「慣れたものを使いたいから」と必要な家具を持って行ってしまったのだそうだ。それならそれで、なくなった分を買い足せば良いものを、それから何年も、ゾロは家具のない部屋をほったらかしにしている。スーパーもホームセンターも、家からさほど遠くない場所にいくらでもあるのに無精な男である。
一番ひどいのがキッチンで、ちびなすがここへ来た時には炊飯器すら置いてなかった。自分では米なんて炊かないから、というのが彼の理屈だった。
これだけはながしの下の戸だなのなかにあった、大きくて、古い鍋を火にかけて、ちびなすはぐつぐつと野菜を煮る。今日は鶏と野菜の煮物だ。ゾロは意外と渋い料理の好みをしている。
ちびなすがここへ来てから既に半年ほどが過ぎていた。
その間、ゾロは何も変わらず、ただちびなすの作った料理を食べて、朝起きると学校へ行って、学校から戻ると道場で稽古をつけて、夜は自身の鍛錬をして、ちびなすの支度した風呂に入って、ちびなすの干した布団を敷いて寝る。
ほんのちょっとの家事と、あとは料理をするしかやることもないので、ちびなすは暇をもてあましていた。布団だって風呂だって、何もしてやらなかったとしても、どうせゾロは気にもしない。遠くへ冒険に行くこともないし、危険な仕事もしていない、したがって、相棒を探しているというようなこともない。あまり他人に用事のない男なのだ。
煮物をこしらえてやってから、ちびなすは「飯が出来たぞ」
と、ゾロを呼んだ。ゾロは縁側でいびきをかいていた。
たまに休みがあっても、これだ。一日中、寝てるか、道場で鍛錬をしているか、やくたいもない男だ。
ちびなすは「おら起きろ」とゾロの腹の上へまたがった。ゾロが「うおっ」と潰れた熊のような声を出す。
ゾロは座敷と縁側の境目の日向になった場所に寝ていて、日差しはぽかぽかと温かかった。
「起きろって言ってんだろ」と口では言いながら、ちびなすは勢いよくゾロの腹の上へ倒れかかった。またゾロが「うおっ」と声をあげる。どれだけ乱暴にしても然程とも思わないような頑丈な男なので、ちびなすは全く気にしなかった。ゾロの胴体の上へ寝そべって、
「うーん、疲れた」
と、伸びをする。それからついでに、嫌がらせがわりに頭を何度か振ってゾロの腹に頭突きした。
「眠たくなるな……ここにいると、確かに」
もぞ、と寝返りをうって、横を向くと、ちびなすの右耳の下で、ゾロの胴体がごそごそと動いた。ちびなすは脚を伸ばして、ゾロの脚の間にすいと挟み込んだ。こうすると温かいのだ。
「ねむてえか」
ゾロが訊ねる。
「うん」
ちびなすは答えた。
「でもメシ、あったかいうちに食えよ」
言いながらも、ゾロの綿シャツに頬を擦りつけて、次の瞬間、ぱっと身体を起こした。
「ほら、メシ」
起き上がり、ぴょんと畳の上へ下りる。ゾロはだらしがないので、まだ寝そべったままでいる。その腕をちびなすは強引にひっぱった。
ゾロはなかなか起き上がらない、起きるのが面倒なのだろうか、せっかく料理を作ってやったものを、生意気に。
「おい、たまにはメシを作らなくていいんだぞ」
寝そべったままのゾロが、ふいに言いだしたので、ちびなすは驚いた。
それでなくともろくにするべき仕事も無い家なのに、料理すらしなくて良いとは何事だろうか。
ちびなす屋のちびなすは、まずは料理が得意なものだ。その他にも勿論なんでも役立つ素晴らしい存在であるが、料理こそちびなすの基本なのだ。
ゾロは、ちびなすを必要としていないのではないだろうか。
「たまには休んでろ」
偉そうに言われて、ちびなすは大変に腹が立った。
ただひたすら、縁側に寝そべって、見るとも無しにケヤキの葉が落ちるのを眺めるゾロを、こちらも一日中やることもなく眺めている。
そんな一日を送るわけにはいかない。
ちびなすは、ちびなすなので、お茶飲みをして無駄に一日を過ごすような生活をするわけにはいかないのだ。
実家に帰らせて頂こうか、と、ちびなすは思いついた。



ちびなす屋には厳しいルールがある。
ひとつめは、ちびなすの料理を残さず食べること。
ふたつめは、ちびなすにわいせつな図画を見せぬこと
みっつめは、ちびなすによからぬ気をおこさぬこと。
ゾロは、きちんと全てのルールを守ってくれている。
最後のルールは特に大切で、もしも約束を破ったら、ちびなすは大人のサンジへ変化し、二度とちびなす屋に戻れなくなってしまうのだ。
ゾロはまったくルールを破っていないので、ちびなすはいつでもちびなす屋へ戻れる。
これで正しいのである。
正しいのであるが……ちびなすは、ちびなす屋に戻れる。
戻れるのだ。
ゾロはまったくなにも、わかっていない。



ちびなすは、ぽてぽてと道を歩いて実家のちびなす屋を目指した。何年も店番を勤めた懐かしい我が家である。
ちびなす屋は世界中にあり、ちびなすがちびなすである限り、世界中どのちびなす屋にでもちびなすを返却出来る。
ルール通りに返却を果たした者は、また必要な時にちびなすを連れ出す権利を持つが、ちびなすからしてみれば、出来れば慣れた我がちびなす屋へ戻りたいのはどのちびなすでも同じことで、もともとのちびなす屋の近所のゾロに貰われたことは、ちびなすにとって悪いことではなかった。
恵まれている。
だが何か腑に落ちない。
そんな気持ちでちびなすは大通りを通り抜け、いつしか細い田舎道に入り、砂地のまま舗装もされていない小道を歩き、松林を抜けて、やがて見慣れたトタン屋根の建物へとたどり着いた。
ちびなす屋、と看板が出されている。
店のなかは暗く奥まで見通せないが、店の前には商品の陳列棚のような板が並べられ、空っぽのその棚を、金髪の子供がこまごまと掃除している。
箒で埃をはらい、それから濡らした布巾でしっかり磨く。
剥がれかけた張り紙をはがして、新しいものをとってこようとしたあたりで、じっと道端にたたずんで、ちびなす屋をながめていたちびなすに気付いた。
「よう」
新しい店番のちびなすは、いまはただのちびなすになったちびなすに、挨拶した。
「おう」
と、ちびなすは答えた。
「何、飲む」
店番のちびなすが言うので、ちびなすは「豆乳」と答えた。
「珍しいな、牛乳派だったじゃねえか」
そう言いながら、ちびなすは店の奥に引っ込んで、しばらくしてから店の奥の座敷へ、白い液体の入ったグラスをことんと置いた。
「まあ、座れよ」



「特に用事もないようなので、帰って来た」
ちびなすは店番へそう説明した。
「用事がねえなら、店に戻ってもいいに決まってる」
通りすがりの別のちびなすがいきなりそう頷いた。
「店に帰れる距離でよかったよ」
買い物帰りのちびなすが、台所へ向かう前に足を止めて、店番とちびなすと別のちびなすの会話に口を挟む。
「そうだな、たとえば遠くに連れて行かれちまって、近くにポートセンターしかなかったら、まあ、新しい環境に身を置くのもいいことだけど、二度とここへは戻れなかっただろうし」
しみじみと、麦茶を飲んでいたちびなすが頷いた。
豆乳を飲んでいるちびなすが「ポートセンターでも良かったんだけど」と答えた。
「何の用事もなくぶらぶらしてるより、ポートセンターに行くのも悪くねえ」
「ポートセンターは、良くねえよ」
廊下から顔を出したちびなすが反対した。
「ろくでもないゾロがいて、その日のうちに食われちまうって聞いた」
「そしたらもう、ちびなす屋には帰ってこれねえな」
「そうだな」
ちびなすたちが目を見合わせて頷く。
豆乳のグラスをかたんと置いて
「それでもいいんだ」
ちびなすがぽつりと言った。
「それでもいいんだ……おれはべつに。もうずっと、この店に、充分居たから」
「でもポートセンターは」
店番のちびなすが、眉を顰めた。
「どこへ行くとも知れない身の上になってしまう。ポートセンターっていうのは、だいたいは船だから」
「そうだな、オービット、メリー、サニーなど、ちびなすがいる可能性がある名前のついた船がポートセンターだ」
「唯一例外として、バラティエという名前であれば、レストランでも船でも、どちらの場合でもちびなすを預けることが出来るというルールになっている」
「そうだな」
ちびなすたちは、店の番台の下から、ちびなすルールブックを取り出した。
ほこりをかぶって古びているが、これがちびなすたちにとって、船の進路や灯台のあかりにあたるような、重大な道しるべなのである。
「ちびなすは必要なくなったらちびなす屋に返すのがルールだ。おれのことは、ポートセンターにでも返せばいいんだ、必要ねえなら」
どん、とちびなすは乱暴に豆乳のグラスをテーブルの上へ置いた。叩きつけるような置き方だった。
「おい」
と、そのとき外から、呼び声がした。
「ちびなすはいるか」
低い、男の声だった。
ゾロだ。
ちびなすは打たれたようにぱっと顔を上げた。
ゾロは店のひさしの下へ、勝手の分からぬ、気まり悪そうな顔で突っ立っていた。
「いるよ」
店番が即答した。
店のなかは暗い。ちびなすたちが、順繰りに席を立って、店先へ顔を出した。
「どのちびなすが良い。一人だけ、じっくり選べ、どのちびなすでもきっとおまえの役に立つだろう」
「ああ?何言ってんだ」
ゾロは怪訝な顔をした。
「おまえはよくルールを守っている。どのちびなすでも安心して連れて行ってもらって構わない」
店番が答えた。
「何言ってんだ」
ゾロは一層眉を顰めた。
ちびなすたちはゾロを取り囲むほど大勢居て、どのちびなすも一様に、まるい、黄色い頭をして、青い綺麗な目でゾロを見上げる。白い額に桃色の頬、小さな手で、ほんの少し、髪や、服から昼間作った料理の匂いがする。
ゾロは手を伸ばすと、たったひとりのちびなすの手を引いて、店先から連れ出した。
「帰るぞ」
「いやだ」
ちびなすは答えた。
「なんでだ、なんか用事でもあるのか、実家に」
ゾロが訊ねると、ちびなすは首を振った。
「なら、いいだろ、もう夕暮れだ」
ゾロに言われて、ちびなすは渋い顔を一瞬見せたが、店番に背中を押されて、のろのろと、砂地の細い道を、ゾロの住む道場へ向かって歩き出した。
ゾロは少しも迷わなかった。自分のちびなすを簡単に選び出した。



松林は案外長く、どれだけ歩いても終わりが見えないように思えた。
ちびなすの歩く速度があまりに遅いので、ゾロはそのうち足を止めて、ちびなすの方を振り向いた。
「おせえな、夜になっちまう」
「なっても別にいいだろ」
用事もねえし、とちびなすが唇を尖らせると、「何ふて腐れてんだ」と、ゾロは軽々とちびなすを担ぎ上げて肩車にしてしまった。
小さな手足で一瞬もがいたが、担がれてしまうと、もうゾロの思うがままだ。のしのしと大股で歩かれて、必死に緑の短い髪にしがみつく。
「あぶねえな、ちゃんと前見て歩けクソゾロ」
「見てるだろ」
見てると言ったそばから、ちびなすの頭に松の小枝がぶつかった。
「いてえ!おれの分の高さまで考えろ!」
文句を言われて、へえへえ、と屈んで見せる。
「腹減ったな」
ゾロが、勝手なことを言うので、ちびなすは、かっと頭に血が上るのを感じた。作らなくて良いと言ったのは、ゾロじゃないか。馬鹿過ぎる。
「てめえ」
怒鳴りかけたちびなすの脚をしっかり掴んで、
「蕎麦でも食って帰ろうか、一緒に」
ゾロが言った。
蕎麦が食いたかったのか、確かに今まで作らなかった。
だが、作れないというわけでもない。
ちびなすは料理が上手いので、蕎麦ぐらいいつでも粉をひくところから作って見せることができる。言ってもらえば、いつでも出してやれたのだ、侮られているとしか思えない。
言い返す言葉も思いつかずに、頬をぷくっとふくらませてちびなすはゾロの髪を引っ張った。いてえな、とゾロは言ったが、それほど気にしてもいないようだった。
ゾロは、いつもそうだ。
腹が減っても何が食べたいとも言わないし、髪を引っ張っても、怪我をしても、たいして痛いという顔もしない。
「……蕎麦が食いたかったのかよ」
ちびなすが、ムカつきながらもここは自分がオトナになろうと決心して、馬鹿なゾロの希望を聞いてやろうと自分の気持ちを必死に宥めてくちをひらくと、
「そうだな、たまには食いてえな。うまいって評判の店があるし、てんぷらもつけてもらおうぜ、連れてってやるから」
ゾロはけろりとそう答えた。
「おごってやる、今日はおれの誕生日なんだ」
ゾロが急に言いだした。
のしのし歩くゾロの足音が、砂地の道に、ぎゅっぎゅと響く。
「こんな日に、黙ってどっかにいなくなるなんて、おまえはひでえガキだ」
ゾロは馬鹿で無神経で、何も分かっていない男だ。
ちびなすのような素晴らしい存在を与えられていながら、ちびなすを必要としていない、ろくでなしだと思っていた。
唐突に、暗闇の底のように胸が痛んで、ちびなすはぽろぽろと涙をこぼした。
ゾロの短い髪を、引っこ抜けるのではないかというくらいの力で掴んで、歯を食いしばって泣いた。
ゾロ、と呼ぶと、ゾロはちびなすの、子供の細い両脚を、温かい手のひらで撫でた。




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20151111