天空の城サンジ


ゾロとサンジが同棲を初めて三日目。何もなかった。
元々ゾロはサンジの勤め先レストランの常連客だった。それが徐々に親しくなり、二人にしか分からぬ色々があり、店の裏手で一度だけキスしたが、何分サンジは勤務中であり、それ以上のことは一切できずにいた。
一緒に暮らそう、と言い出したのはサンジのほうからだった。断られたらどうしよう、と怯えと恥ずかしさでいっぱいの顔をして、見送りのふりをして店の外まで追ってきて、急にゾロの手を掴むと、
「学生時代からずっと住んでたボロアパート、とうとう取り壊しになるらしいんだ。アンタ、職場の近くに引っ越したいってずっと言ってたじゃねえか、おれも店の近くに引越したいし……一緒に住めば家賃も安くあがるから」
と、切り出した。
ゾロは確かに一度だけ、引越ししたい、という話をしたことがあった。
だがそれは本当に一度だけ、何か別の話のついでにそんなことを言っただけであって「ずっと言っていた」というのは大げさである。だがそんなふうに相手のせいにして話を切り出すサンジがいじらしかった。
「そしたらもうちょっと色々、話とか出来るだろ、ゾロと。店のなかだけじゃなしに」
言いにくそうなサンジの言い方には、あからさまな「含み」があった。
金髪の長身、やたら綺麗な顔をして身のこなしも猫みたいに優雅とくれば、少なくともゾロの目には誰も彼もサンジを狙っているように見えていた。しかも彼は出会いの多い客商売に従事している。
大抵のことにどっしり構えているゾロであるが、内心ではやきもきしていなくもなくもない程度にはやきもきしてはいた。自分には言わないだけで実は決まった相手がいるとか、そのような可能性もあるだろうと思っていた。
ところがサンジ本人は女と見ればでれでれとやにさがって逆に良い雰囲気になるのをぶち壊しにし、男相手には完全にツンと澄まして寄せ付けず。当初の印象とは異なり、案外そういったことに不慣れなのではないかな、と徐々にゾロも考えるようになった、その矢先の「一緒に暮らしたい」発言であった。
はやく、他の奴に手ェ出される前に自分のものにしてしまいたい。
日々、内心では焦りに近い気持ちを抱えていたゾロは、サンジも同じ気持ちでいてくれたのかと喜んだ。まだキスしただけであるのにいきなり同棲とは大胆だな、とは思ったが、逆にそれも不慣れ故の不器用な間合いの詰め方に感じて好ましいくらいだった。
多感な中学生ぐらいの子供が、「つきあいたい」と言えずに「結婚しよう」と思わず口走ってしまうようなものだ。たぶんおそらくそのようなものだ。



ゾロとサンジの休日は全く合わないので、サンジの方がゾロにあわせて日曜日の昼間だけ休みをとってくれ、二人は早速近場のマンションに新居を決めて転居作業をした。タンスもベッドもゾロは自力で運べるので、運送屋を驚かせる勢いで室内は片付いた。
その晩は、疲れて、寝た。待ち望んだ同棲生活のスタートであったが、なにもなかった。
仕方がない、そんなものだろうと思っていた。土日きっかり休めるゾロと違ってサンジの休みは不定休でしかも休める日にちも少ないのだ。その合間に急遽の引越し準備。疲れていても無理はない。焦らずとも、明日も明後日も時間はある。一緒に暮らしているのだから毎日会えるのである。
そう思って月曜、火曜をやり過ごし、かれこれ水曜日。未だに何もなかった。ゾロが帰宅するとサンジはまだ帰っておらず、サンジが帰宅する頃にはゾロは寝落ちしており、ゾロが出勤する時間帯にはサンジはまだ眠っていて、帰宅するとサンジはまだ帰っておらず……。ちっとも何もない。何も話していない。これならレストランの常連客だった時のほうがたくさん話していたぐらいかも知れない。
いっそサンジの休みにあわせて有給を取ってやろうかと思ったが運悪く業務が立て込んでおり、労働者の権利有給申請は、会社側の有給の時季変更権で打ち返された。
ならばこの際、夜、寝なければ良いだけの話である。
今夜こそと思い、ゾロはサンジを待ち伏せした。起きてキッチンのテーブルに座って鬼の形相でビールを飲み続けていたゾロに、帰宅したサンジは「ぎょっ」とした顔をした。ぎょっとされたくらいで引き下がっている場合ではない。
「おい」
つまみもなしに飲み続けたビールの缶を、ぐっ、と握りつぶしてゾロはサンジを睨んだ。
「今夜こそ、おはなしするぞ。色々、レストランじゃはなせなかったことをはなすんだろ」
ゾロの顔が怖すぎたのか、完全にサンジはひいていた。
しびれが切れきったゾロは、サンジが完全にひいていても、逃しはしなかった。そそくさと寝室に引っ込もうとするところを、「待てよ」とがっちり引き止めた。
「ベッドに行くなら、おれも行く」
ゾロの言葉に、サンジは「えーっ」という顔をした。
だがここでタイミングを逃してなるものか。強引にサンジの手を引っ張って、ベッドルームに連れこんだ。二つ並んだベッドのうち、自分の寝床の方へサンジを押し倒し、ごろんと仰向けに寝かせる。動物のようなところがあるゾロは、どちらかと言うと自分の縄張りに獲物を引っ張り込む方が、趣味に合う。
「てめえ、なんなんだよ急に」
サンジは焦った声を出す。腕を突っ張って、拒絶の姿勢を崩さない。矢張りこれは、経験が少ないに違いない。このツラで、まさかとは思うが今まで誰にも抱かせずにきたのか、と思うと無性に興奮した。そうなのか、どうなのか、これからじっくり確かめてやらなくてはならない。
シャツのボタンを下側半分だけはずし、そこに鼻先を突っ込む。
「なにすんだ、アホゾロ」
サンジはもがいた。何をするのか、分からないはずがない。ゾロは笑った。
「……大人しく、食わせろよ」
ゾロの言葉にサンジが息をのむ。
ベルトにも手をかけ、シャツを着たままの胸あたり、それから襟元に顔を埋めて、サンジに分かるように露骨な仕草で嗅いだ。一日働いて帰ってきたのだ。汗の匂いがする。
「やめろ」
サンジは耳まで赤くなってゾロの肩を押しのけた。
「わかったから、わかったから、離せ……」
最初から怖がらせてはいけない。ゾロは我慢に我慢をかさねて一旦退いた。
起き上がると、サンジは何故か「ごめんな」とゾロに謝った。
「おれはゾロになんてひどいことを……」
申し訳なさそうにうなだれている。おあずけされていたのは事実だが、謝られるとゾロも尻のすわりが悪い。別に気にするな、と言おうと思ったが、サンジはそれを遮って話を続けた。
「今日おれ肉料理担当してたから、服も髪もスパイスとかの匂い、すごいよな……こんな深夜に飯テロするようなもんだよな……肉のにおいすると、夜中なのに腹減っちまうよな」
「あ?」
「今からでも何か作ってやりてえとこだけど、こんな時間にあんま重たいもの食べると胃に悪いから、我慢しろよ。おれ、すぐにシャワー浴びて着替えるから」
なっ、と優しく鼻先をつつかれた。
「お、おう……」
あまりにも慈愛に満ちた表情過ぎて、ゾロは何も言えなかった。
そのまま、寝るしかなかった。
あいつもしかしたら、難攻不落なのか?天然の要塞か?
シャワーを浴びに向かうサンジの背中を、ゾロは武者震いしながら見送った。



そして木曜日。
相変わらず何事もなく「明日買い出し当番で朝早いから」と帰宅するなり就寝の準備を始めるサンジに、ゾロは「土日どちらか休みとれないのか」と切り出した。
とにかくどうにかして、可及的速やかに二人きりの時間を持ちたい。
一緒に住んでいるのにそれが全く出来ないのである。
彼は、仕事柄週末は忙しい。分かっていたが言わずにいられなかった。
無理だろうと思っていたが、金曜日の夜。
その日、仕事上の重大なアクシデントが起こり、日付も変わった深夜に疲れ果てて帰宅したゾロを、サンジは起きて待っていた。
「どうしたてめえ、こんな夜中まで起きてたら、明日の仕事……」
「明日は休みとった」
「は?」
「なんだよ、てめえが取れって言ったんだろ、休み。オーナーのジジイにものすげえ睨まれちまったんだからな」
あっけにとられているゾロの方を向いて、拗ねた顔をする。
夕飯は、温かいうどんだった。深夜帰宅のゾロを気遣って、なんという良妻ぶりだ。
今すぐにでも名実ともに妻にしたい。だが、どうも不慣れの予感がするサンジを相手に、衝動で乱暴にするわけにはいかず、するにも出来ず、どうにも出来ず、ゾロはこみ上げる自分自身に対する怒りをおさえながら震える手でサンジに一枚のプリントを手渡した。
「授業参観の……お知らせ?」
「そうだ。明日の午前中だ」
ゾロは頷いた。
ゾロには甥っ子がいる。ゾロにあまりにそっくりなので、こぞろと呼ばれている。こぞろはゾロにはたいしてなついていないが、一度だけレストランに連れて行ったら知り合って五分でサンジにすっかりなついた、ゾロにとっては可愛げのないガキである。
その甥っ子の参観日に代理で行ってくれと今日の昼間に姉夫婦から電話があった。姉夫婦はどうしても急用があり、明日の昼過ぎまで留守にするのだそうだ。
昼間の時点ではまだ仕事がトラブルになる前であったので、昼までなら、と渋々引き受けた。その後業務が大変なことになり、大変な状態で姉夫婦に連絡をとることも出来ないまま、深夜になってしまった。
「おれはどうしても明日、仕事で行くことが出来ねえ。始発で出かけて、どうにか夜までにはもどるつもりだが」
夜までには、のところで、ゾロはしっかりとサンジの目を見た。猛獣の目で。
「夜までにはもどるつもりだが、昼間は出勤しなくちゃなんねえから、行ってやれねえんだ、授業参観。それで、てめえに頼みがあるんだが……」
別に行かなくてもいいだろ、親が必ず参加するもんとも限らねえし、とばかりにゾロが先ほど電話をしたら(サンジは起こさないように気遣うが、姉夫婦は電話でたたき起こすことも厭わないゾロである)、物凄い勢いで怒られた。
姉は怖い。
行くしかない。だが行けない。
「おれの代わりに授業参観に行ってくれ」
ゾロはサンジに頼んだ。
「夜にはもどる」
再度念を押したゾロに、サンジはこくりと頷いたのだった。
それをゾロは、「夜にはもどる」部分に対して頷いたのだと解釈していた。



翌晩。
ゾロが土曜出勤から疲れ果ててもどると、そこにはこぞろがいた。
目の錯覚だと自分に言い聞かせて二度見したが、いる。サンジの膝にのっかって絵本を読んでもらっている。
「かわいそうだろう、帰りたくねえって言うんだもん」
こぞろに懐かれてまんざらでもないのかサンジがそんなことを言う。
てめえなあ、とゾロは腹を立てた。子供のように駄々をこねてやろうかと思う。
こちらはもう一週間も待ったのだ。腹が減っているのに、獲物を噛みもしないで我慢出来る猛獣がいるだろうか、いや、いない。
こぞろを膝に乗せて、ドラえもん見るかー、あれっ、ドラえもん土曜日じゃねえのかー、しずかちゃん可愛いよなー、はいはい、大人になったら結婚してくれなー、お、動物園特集やってるじゃねえか、オポッサムってなんだ、え、動物の名前、ふーん、こぞろはなんでも良くしってるなー、とくつろぐ獲物を、ゾロは心底ムカつきながら睨みつけた。
処女にもほどがあるだろう。なんで夜なのに平気でガキを膝に乗せてんだ、追い返して準備万端にして新品のぱんつ履いて待ってろよ。
「てめえな」
こぞろに聞こえぬように、ゾロはサンジの耳元にくちを寄せると、小声で言った。
「いい加減にしねえと、ガキの前で犯すぞ」
ゾロの言葉に、サンジはあろうことか、ぷっ、とふきだした。
「や、やめて、子供の前で、けだものッ」
セリフだけは芝居がかって怯えて見せたが、まさかゾロが本気だとは少しも思っていない。完全に、安心しきった顔をしている。



サンジねえ、あいつはもてるにはもててるけど、どこかしらがなんというか、妖精みたいな……あのう、頭の具合がね……。
そんなことを、彼の同僚にしみじみと語られたことがある。
ゾロとサンジの仲を知ってか知らずか知ってか、まあ知っていたのだろうけれど、彼は今のこの状況を予想出来ていたのだろうか。
天然の要塞が難攻不落すぎて、落とせない。ゾロの心の奥の侍魂が、震えた。武者震いだ。



なんだかんだで素早くこぞろを自宅へ送り返したゾロは、行動に出ることにした。気の長いほうではない。もう一週間も待ってやったのだ。良いとしをした大人が一緒に暮らす目的が、他にあるか。
こぞろが居なくなっても、サンジは上機嫌だった。こぞろの散らかしたおもちゃをニコニコと片付けている。
「おい」
と、ゾロが腕を掴むと、またまたあ、という顔で笑う。
「そうだよな……、やっと二人きりだな」
まんざら芝居でもなさそうに喜んでいるサンジを、先手必勝とばかりに無理やり連行して寝室に押し込んだ。ベッドの上に押さえつけ、少々乱暴に服を脱がせようとする。一旦無理やりでもエロい雰囲気に持ち込んで、逃げられなくしてから、そのあとで優しくしてやりゃあいい、とにかく寝技に持ち込むところまでは有無を言わさずやってしまわないと、来年になっても何も出来そうもない。
上から脱がせる優しさは、もはやゾロにはなかった。
ベルトを引きちぎる勢いで外してファスナーを下げる。ジーンズをぐいぐい引っ張ると、わあ、やめろ、ぱんつが脱げちゃう、ぱんつが、と慌てている。
ぱんつ脱がすに決まってるだろ。
ゾロは下着には興味のわかないタイプだった。中身にしか用事がない。ぐいぐい引っ張って、させじと暴れるサンジとの攻防を繰り広げる。
「あ、やだ……、あっ」
焦るサンジの声がなまめかしく耳に響く。
「だめだって」
白い下腹と、腰骨までが見えた。そのままひっくり返すと尻の割れ目も半分くらい見えている。ゾロはサンジの上へ覆いかぶさり、「覚悟しろって言っただろ」と言ってやった。耳か、首か、どちらを先に噛んでやろうか。
ぷーっ、とサンジが、耐え切れなくなり、盛大に笑い出した。
痙攣して笑っている。
「……」
心ゆくまで笑われ、ゾロは震えながらこらえるしかなかった。勿論、武者震いだ。抑えつけた手はゆるめない。
こぞろはおもちゃを出しっぱなしにして、テレビもつけっぱなしにしていた。分かってはいたが、片付けをする時間などなかった。
「ただいまぁ、おかあさあん」
リビングから、子供の声が聞こえた。五つか六つぐらいの、少年の声だ。当然こぞろの声ではない。テレビの音声だ。ドラマでもやっているのだろう。
それを聞いて、また盛大にサンジがふきだす。ふきだしたサンジを、ゾロがぐいぐい押さえつける。ここまできて、まだテレビの音が聞こえる余裕があるのか。
「てめえな、よそごと考えてる余裕なんか……」
「こんにちは、ぼく、あんぱんくん」
甲高い台詞と共に、ちゃっちゃっちゃっ、ちゃららららー、と電子メロディの音楽が流れる。
「またねー、ピコン」
どこかで聞いたような音声だ。そうだった、こぞろが置きっぱなしにしていったテレビアニメのおもちゃだ。特に操作しないままで一定時間電源をつけっぱなしにしていると、「またねー」という音声が流れて自動でオフになる……よく出来たおもちゃだ……。それがまさかのこのタイミングで、オフになった、ようだ。
何がツボにはまったのか、もうたまらないようにサンジは笑い転げると、ゾロの背中をとんとん叩いてから、急に女のように両腕を胸の前で合わせた。
「やめて……、こどもが……、こどもが起きちゃう」
あっ、あっ、と言いながら自分でシャツを胸あたりまでめくりあげると、またふきだして笑って、最後にゾロの頭をぽんと叩いてから、起き上がった。
ああ楽しかった、と言わんばかりの態度だ。
さっぱりとベッドから起きて、晩飯、何にする?と訊いてきた。
晩飯は、おまえだ。
その言葉をゾロは飲み込んだ。目の前の処女コックが、また笑い転げることが、目に見えていたからだ。



同棲までしているコックが、落とせそうで落とせない。
今日休んじまったから、明日はまた朝早くから仕事だなあ、と時計を見ているサンジに、
「そうだな、はやめに寝ないとな」
と応え、ゾロは長期戦の予感に震えていた。武者震いだ。

二人の同棲生活は、何もないまま、二週目を迎えた。