ラブミーフレンドリィ




ゾロが初めてサンジに電話をしたのは、丁度駅前の銀杏並木に電飾が取り付けられた日だった。
たまたま出先から直帰だったので、普段通勤で利用してるのとは違う路線で帰ってきた。
この路線ではこの駅が最寄だが、微妙に自宅から遠い。
歩いて帰るのはやめにした。バスで帰ろう。それならアパートのすぐ前に停留所がある。なにしろゾロはよく道に迷う。



バス停に向かう途中、やけに周りが騒がしいのに気付いた。
皆口々に、まあ、とか、きれい、とか、ああもうクリスマスか、などと言っている。
駅からまっすぐに伸びた銀杏並木はイルミネーションでちかちかと瞬いていた。
毎年、12月に入るとこんなふうだ。
いきなりクリスマスムードになる。
これじゃ道が混む、みんな余所見しながら運転してて危ねえんだよなあ、と肩を竦め、それなのに何故かカバンのなかから携帯電話を取り出していた。
帰るのが面倒になったせいかも知れない。
それとももしかしたら浮かれた雰囲気に、ガラにもなくあてられてしまったのかも知れない。
まあとにかく何となく、最近登録されたばかりの番号を呼び出した。
ほんの先日、11月の11日に、突然手渡された番号だ。
あの金髪の行動もわけがわからないが、普段不精なくせにレシートの裏紙に書かれた番号をきちんと携帯電話のアドレス帳に登録しておいた自分も、どうかしてたと思う。
何もかもがどうかしていた。
いきなりかかってきた電話に最初不機嫌に、続いてゾロからだと知って慌てたように
「今どこにいる」
と食いついてきた彼も。



その日はその後駅まで出てきたサンジと二人で飲んで。
次の日曜日には出来たばかりのレストランで食事をして。
次は金曜日の仕事帰りに待ち合わせして映画を観にいった。しかもサンジの希望でホラーだった。
クリスマスイブにはサンジの部屋に食事に招かれた。最初弁当を受け取ったときに気付いていたが、彼は料理が上手い。ゾロには名前の分からない料理と、あと鶏肉を焼いたものが並んでいた。鶏肉を焼いているということは分かったが、やっぱり料理の名前は分からない。
気がついたら週末は一緒に過ごすのが当たり前のようになり、初詣も二人で行った。
何だか普通に仲良くなっていっている。たわいもないことで笑ったり喧嘩したり、学生時代の友達みたいだった。
変な感じだ。
だが悪くない。
サンジはあんなにアホなくせに意外と気配り上手で、彼の部屋はひどく居心地が良い。
だが一方で、居心地が悪かった。
時折ふとした拍子に会話が途切れる。
すると、サンジは必死で話題を探し始める。沈黙に耐えられないとばかりに饒舌に次から次にどうでも良い与太話を繰り出すが、そのくせ上の空だったりする。
そんな時、その場の空気は途端にぎくしゃくし、微妙な緊張感が生まれる。



二月も半ばを迎えた。
「どうせてめえは女の子からなんて、いっこももらえないだろう」
そう言ってサンジはゾロを自宅に誘った。携帯電話を取り出して日付を確認すると14日だった。ゾロはすぐ日付を忘れるほうだ。
バレンタイン。
言われて見ればそんな風習もあったっけな、というほどにしかゾロには関心のない行事だった。ゾロの職場には殆ど女がいないので義理チョコすらない。
仕事帰りにブラブラ夜道を歩く。
もう通いなれた道だ。市役所のすぐ傍、白い鉄筋の素っ気無い四角い建物。独身者用の職員住宅なのだと言う。
携帯電話を取り出して時刻を見ると、もう十時だった。ゾロは時間の感覚もあまりない。うっかり残業もあって随分遅くなってしまった。
階段をあがり、呼び鈴を鳴らす。
すぐに返事があった。
サンジは食事を用意して待っていてくれた。彼の方はきっちり定時にあがってるはずだ。一体何時間待たせたんだろう。ちょっと申し訳ない気分になった。
だがサンジはまるで気にした様子がない。
むしろ機嫌が良すぎて気持ち悪いくらいだ。
「男二人でいわおーぜ」
食事が済むと、サンジは酒の瓶を持ってきた。とっときのシャンパン、と言われた。あんな甘い酒。ゾロが普段自分で飲むためには絶対に買わない種類の酒だ。
「バレンタインおめでとう!」
サンジはアホまるだしでにこにこしている。ハイテンションだ。何が彼をここまで上ッ調子にさせるのか。
少しも地に足が着いていない。
「別に祝いじゃねえだろ」
「うるせえなァ、ごちゃごちゃ言うな。どうせやるなら徹底的に!だ」
「徹底しすぎだろ」
「あー、それにしてもむさくるしい空間。オレは男相手にこんな、べったりとか、駄目なほうだね本当は。可愛い女の子と祝いたかったよ」
「そうかよ」
「そうだ、本当は、駄目なんだ」
グラスに薄い金色のシャンパンが注がれる。
一人暮らしのくせによくこんなグラス持ってんなあ、と感心した。
乾杯もせずにゾロがとっととグラスに口をつけた途端に
「おら!」
サンジがぐい、とゾロの腕を引いた。
無理に振り向かされた視界に、やけに立派なケーキ。黒っぽいからチョコだろう、くらいにしかゾロには分からないが、どう見てもあきらかに手作りだ。
あんな物も作れるのか。
甘い酒、手作りのケーキ、バレンタイン。どれもこれもゾロには無縁のものばかりだ。特に意見もコメントも無い。それなのに、はやく口を開こうとして、慌ててゾロはシャンパンを飲み込んだ。炭酸が喉に痞えるようだった。その瞬間、キュッ、と気道がひきつったのを感じた。
「ヒック」
子供みたいに、無防備なしゃっくりが出た。
ヒック、ヒックとたてつづけにしゃっくりをする。
どちらかと言うとゾロは顔が怖くて、どのくらいかと言うと初対面の人間に心を開いてもらったことは殆どないというくらいなのだが、そのゾロが仏頂面でしゃっくりをする姿はサンジの心の琴線をわしづかみにしたらしい。
はじめ驚いたように目を見開き、それから蓮の花がポンと咲くときのように、ホウセンカの種が弾けるときのように、一息にほどけて笑った。

「びっくりムシだ!」

びっくりムシ、びっくりムシ、と良いトシの男が腹を抱えて笑う。
(びっくりムシってなんだ)
ゾロはしゃっくりが止まらなくて大変だったが、サンジが笑い続けるので終いにはまあ喜んでもらえてよかったくらいの気分になった。
だがサンジの笑いが治まると、また時々訪れる、あの微妙な沈黙が突然室内いっぱいに膨らんだ。その沈黙の色は暗くはないが白っぽく、あたりを霞ませ、この部屋のなかの全てが所在無く浮つきだす。
サンジはじっとこちらを見ている。
その目の奥は濡れているようで捉えどころが無い。
「本当は……」
ゾロを見据えたまま、サンジは呟いた。
「男二人で食事なんて嫌なほうだ」
「そうかよ」
ゾロは溜め息をついた。
もう日付が変わるところだ。
「明日も仕事あるし、そろそろ帰る。ごちそうさん」
「え」
サンジが驚いたように視線を泳がせる。
「それ」
ゾロは指差した。
「は?」
「ケーキ、もらって帰る、うまそうだ」
甘い物は普段食べないが、実際、うまそうに見えたのだ。
「うん……じゃあタッパに入れる」
(タッパかよ)
心のなかでつっこみを入れつつ、ゾロは帰り支度をはじめた。
ざっと食器を流しに下げてから、コートを着る。その間にサンジはケーキをタッパに移しかえた。紙ナプキンやフォークもタッパのなかに放り込んでいる。どうしてゾロの家にフォークが無いと知っているのだろう。正直、箸しかない。しかもコンビニで大量に貰った割り箸だ。
玄関までゾロを見送り出て、ふと、サンジは微笑んだ。
さっきのように、声をたてて笑うのではなく、ひっそりと、嬉しそうに微笑んだ。
「マジで帰んのか」
「ああ」
「ふうん」
どこか弱ったようなその口調は甘ったるく、シャンパン、手作りケーキ、バレンタインのようだった。つまりゾロには理解出来ないものだった。
今日ばかりでなくサンジの行動は大抵脈絡がないので、ゾロには基本的に理解出来ない。



次の週末にもゾロはサンジの住む独身者用職員住宅を訪れた。
白くて四角くて鉄筋で素っ気無い。
一日、これといってすることもなくダラダラする。
サンジは一週間分の洗濯や掃除を片付け、ゾロは昼寝したりテレビを見たりまた寝たりする。
いつの間にか日が暮れた。
サンジの作った夕食を食べ、そろそろ帰ろうかとゾロが身支度を始めると
「帰っちゃうのか」
と、サンジがまた弱ったように微笑んだ。
どこか嬉しそうだ。
なんで嬉しそうなんだ。
玄関まで見送りに出て、まあなオレもな、本当は男と二人で週末とかってのもな、嫌なほうなんだ、本当はな、とさも嫌そうに言い放つ。
「帰ってくれてありがとう」
別れ際にそう言われた。しかも真顔だ。
やけに憎たらしい。



3月2日に
「今日うちにメシ食いに来いよ」
と、誘われた。
いいぜ、とゾロは気軽に答えた。
男とつるむのは嫌だと言うくせに、サンジはやたらとゾロを誘う。
他に友達が居ないんだろうか。居ないかも知れない。男とつるむのは嫌だとか生意気言うくせに彼女はいないんだから。
年度末なのでどうしても手の放せない仕事があって、やっぱり十時くらいにサンジの部屋のドアを叩いた。
「遅かったじゃねえか」
今日のサンジはやけに不機嫌だった。
むっつりと黙り込んで、黙々と食事を準備する。
和食だった。
これは芋の煮っ転がし、こっちはほうれん草のおひたし、これは味噌汁、とゾロにも名前の分かる料理ばかりだった。食べなれたもののはずなのに、矢張りサンジは料理が上手いらしく、盛り付けからして食欲をそそる。
品の良い、小さな土鍋に湯豆腐が入っていた。
くつくつと音をたてて煮えている。
だがサンジはずっと黙ったままだ。
静かな室内で、今日の沈黙は白っぽくもないし、霞んでもいない。
食後にほうじ茶を差し出され、何だ今日はオレの好きなものばっかりだ、とゾロは感動していた。
「今日オレ誕生日だから」
ぽつりと、どこか怒ったような口調でサンジが言った。
初耳だ。そうだったのかと思ったが、だからと言って良いトシをした男二人で「誕生日おめでとう」もないものだ。どうコメントして良いのかゾロは思案した。
「だから……いいぜ」
一度も目を合わせず。
食卓の正面に置かれたテレビ画面を見たまま、サンジは緊張した顔をしている。
「は?」
「てめえ、ずっと我慢しててくれただろ……オレ、男とどうとかって、本当駄目で、無理だって思ってたからなかなか許してやれなくて」
「は?」
「悪かった。今日こそ覚悟決めた。誕生日だし」
「は?」
「本当、駄目だと思ってたんだ、こんなの」
白い頬はうっすらと朱を刷いたように染まり、噛み締められた唇は赤い。
「でももう、つきあいだして三ヶ月もたつんだもんな」
「あ?」
「だ、だいじに、してもらって、有難う」
「あ?」
「風呂入ってくるから」
「あ……ああ、そうか、入って来い」
「うん」
かたり、と椅子を鳴らしてサンジは立ち上がった。
静かな夜だ。
もう春になるんだなと思った。
すぐにシャワーの音が聞こえ出した。
ようやくゾロの脳の回線が繋がった。
(つきあうって、オレとあいつがか!)
そうだったのか。
つきあってたのか。
気付かなかった。
ゾロは男とつきあう趣味はない。だからつきあっていないと思っていた。
だがそう言えば、サンジとはキスをした。
去年、市役所のあの裏口で。
それから今年も同じ場所で。
夢中で唇を合わせ、目を閉じて、たまに触れる頬の滑らかさや肩を掴む手、息遣いまで味わった。
サンジのキスは不器用で、吸い付くと逃げようとする。それを押さえつけて唇の裏のつるっとしたところを舐めると、喉を鳴らして唾を飲み込もうとする。
腹の奥に、痞えるような苦しさが湧いてきた。
それはびっくりムシのようで、そうではなく、情欲と呼ばれる愛しさの一部だ。
本当は男なんか駄目だ、と言われるたびに、はやく言わないかと待っていた。

本当は駄目なんだ。だけどおまえだけは特別だ。

彼がそう白状しないかと思って、待っていた。
なんだかやけに。
この部屋のなかの点けっぱなしのテレビやテレビの上のティッシュボックスや投げ出されたクッションが、エロティックに思えてきた。
そして全てをむずがゆく笑い出しそうな沈黙が支配している。




超あせりました。間に合わないかと思った・・・!
市役所サンジ。