恋のワナ
近頃コックの視線をやけに感じる、という程度には状況の変化に気づいていた。
だがそれがまさか「コックが自分に惚れている」という理由の故だとはゾロは思っていなかった。
視線を感じる、に引き続き、やたら親切にされるようになり、二人きりになるとすぐ隣に座られるようになり、終いには
「好きだ」
と真顔で告げられた。
そのとき、なんとなくはぐらかして逃げたのが良くなかった。
それ以来サンジは他のクルーが居ない時にはいつもの悪態が嘘のようにゾロにサービスしてくるようになった。
まるでナミやロビンに対するように……とはさすがにいかないが、悪態の合間合間に、なんだか、こう。
こう……やさしげな視線を寄越すようになった。
そして擦り寄ってくるようになった。
そんな態度を見せられるたびに、ゾロは
「その手は食うか」
と思う。
男とつきあう気はないし、わけてもあんな口の煩い、ああいうタイプの相手となんて、冗談ではない。
さておき。
ゾロは困惑のさなかにあった。
久方ぶりに島に辿り着いて開放感そのままに酒場で一杯ひっかけて、そのあと船に戻ろうとうろついていたところ、気がついたときには海軍の牢獄の中に居た。
はめられたとしか思えない。
海の方角が分からなくなったので、高いところから見渡してみようと上った塔がまさか海軍の凶悪犯専用牢獄だとは。まさか振り返ったら海軍の隊員が扉に鍵をかけてるとは。しかも鍵をかけた本人こそが一番呆気にとられたカオをしているとは。
何だか良く分からないが、閉じ込められたので船に帰れなくなってしまったわけである。
(かっこ悪ぃ……)
あまり外聞にこだわるほうでないゾロではあるが、さすがにこれは参った。
まるきり意味なく捕らえられてしかも逃げられなくなっただなんて、他の仲間に知られたくはないが、他の仲間が助けにこないとここから逃げられそうもなく、でもやっぱり知られたくないのでなんとか自力で脱出したいものだが、どう考えてもこの牢獄は外から鍵を開けてもらうより他の方法がないようなつくりになっているのでやっぱりなるべく助けに来て欲しい。窓すらないので現在の時刻も分からない。
(まあ、なるようになんだろ)
根が楽天的なゾロは悩むことにはむいていない。
あれこれ考えたところで詮方ない。
成り行きに任せることにして、ひとまずゴロ寝をきめこんだ。
牢の中は湿っぽく少々冷えたが、頑健な拵えの身体なので、そのくらいは何の問題も無かった。
うとうとしながら、そういえば腹が減っているなと思った。
腹が減ると、条件反射のようにあのコックを思い出す。
他のクルーにとってもそれは同じようで、例え戦いの最中でも、冒険の最中でも、空腹を覚えると口から出てくるのは、あの男の名前である。あの男にキッチンで出会うと、それだけで習慣的に幸せな気分を呼び起こされる
いつも彼の周りにはひとが集まり、あの船長は露骨に、女どもは打算的に、ウソップあたりは無意識に、彼に甘える。
その手は食うか、とゾロは思う。
あいつはコックだ、コックがコックの仕事をしているだけだ、船のクルーがその役割を果たすのは当然のことなのだ。
そのはずなのに、コックのまわりには幸せそうな面した連中が集まって甘えまくって、剣士のまわりに人があつまるのは危険にさらされた時だけなんだから、不公平である。集まってくるならまだしも、最前線に放り出されて他の連中は逃げ出したりするんだからタチが悪い。
よし、今度あのコックを見かけたら腹いせに小突いてやろう、と決意した。
冷たい石の床の上でゾロは寝返りを打った。
今は何時だろう。もう朝だろうか。
腹が減った。
食事の時間を守らないと目くじら立てる、あの男が今頃怒り来るっているか、或いはゾロの不在に気づいて慌てふためいているか、どちらかしているはずである。
この島でのログは比較的短時間で溜まるため、昼前には出航すると言っていた。
あの航海士も怒っているだろう。予定が狂うことを何より嫌うのだ。
これだけ予定外が連続する旅をしていながら、未だに時計と睨み合ってキリキリしているというのは、ゾロから見れば理解に苦しむところである。
そのナミの肩を持っていつもいつも憎まれ口ばかり寄越すサンジも、本当に口うるさくてかなわない。
それなのに、二人きりになると、あんなに甘い顔をして。
あんなに優しい仕草を見せて。
この間だって、ゾロが酒を飲んでいたら、いつの間にかサンジが隣に座っていた。
「うめェか?」
日頃ゾロは味の評価を口にしたりはしないが、ちらりと上目遣いに問われて、つい、旨いと答えた。
あれだって、不覚だったと思っている。
食い物は、食えればいい。
ずっとそう思ってきたのに、調子を崩されている。
昨日だって、船が港に着くなり、うめェもん食わせてやるよと言って楽しそうに買出しに出かける背中を見送って、少しだけ、期待に口許が緩んでしまった。
のせられてたまるか、のせられてたまるかってんだ。
あいつはあいつの役割を果たしている。それだけだ。
上体を起こした。
外が騒がしい。
何かあったのか。
ルフィあたりが助けに来たのかもしれないとはチラリと思った。
助けとは関係なかったにしても、騒ぎが起こったのなら、脱獄のチャンスだった。
とにかくこの扉の鍵が開くといい。あとは何とかなるようになるはずである。
この扉の材質は、多分、以前捕らえられたときと同じ、刀では切れなかった、あの石だ。
鍵が開かないと、出られない。
喧騒は徐々に近づく。
かちり、と刀の鍔を鳴らした。
扉は開くかも知れないし、開かないかも知れない。
何が起こるかは予想がつかないが、目の前の出来事に対処することだけを考える。
もっと簡単に言えば、こういうとき、大抵は「斬る」とだけ考えている。それ以外は何も決めていない。何を斬るかも決めていないし、斬らないという選択肢も可能性に入れている。それだけだ。
一際大きな物音が、扉のすぐ向こう側で響いた。
靴音で、すぐに予想がついた。
もう一度、轟音。
そして静かになった。
こつ、こつ、こつ、と靴音。
鍵がまわされた。
ゆっくり扉が開かれる。
明かりが差し込む。矢張り外はもう朝になっているようだった。
ふう、とわざとらしいため息とともに、紫煙が牢内に流れ込む。
「探したぜェ、迷子剣士」
金糸の髪は相変わらずその顔の半分ほどを覆ってはいたが、それで隠しきれぬほど表情の分かりやすい彼は、皮肉たっぷりに唇の片端を上げて立っていた。
「もう出港だ。とっとと荷物まとめて辛気くせェ宿から出てきな、どんだけ迷えば気が済むんだドジ剣士」
ゾロは肩をすくめると、立ち上がり、随分汚れたスーツ姿になってしまった仲間の隣に並んだ。
「一人で来たのかよ」
「偶然だ」
「あ?」
「偶然、明け方目が覚めて散歩してただけだ。てめえ探してたってわけでもねェよ」
「……そうかよ」
「そうだ」
「へェ」
外は明るかった。
腹が減ったので早くメリー号に帰りたいと思った。
唇を震わせて、それでも笑って見せた、優しい、彼の片方だけの青い目。
その手は食うものか。
サンジの頭を意味もなく小突いた。振り返る青い目は、普段通りの色味を取り戻し、いきなり蹴りが飛んできた。
「ざけんな」
アホ、馬鹿、もっぺん檻んなか戻れこの恩知らずのコケ頭。
そんな悪態が次々に投げつけられる。
ゾロは繰り返して念じた。
その手は食うか、と。
そんな見え透いた手には、絶対にひっかからないのだ。
06/03/31
ゾロを助けにくる男らしいサンジというリクでしたが、なんかこう・・・なんか・・・すみません・・・。