オレンジフレイバーキス





絶対おまえだって分からないって、とまるで最近見かけたテレビコマーシャルのようなセリフで言いくるめられて、サンジはパンダの着ぐるみの中身になった。
諸々のイベントで見かける動物やらマスコットキャラやらの着ぐるみの、あの中身の人間のことを「ホネ」と呼ぶのだと聞いたことがあるが、本当だろうか。
(オレはホネだ……)
サンジは自分に言い聞かせた。
(サンジじゃねェ……誰も気付かねェ……)
まんまとパンダの中身の任務から逃れた同僚はすぐ隣で愛想を振りまいて親子連れに風船を配っている。パンダじゃないので身軽なものである。
(風船配るのに、なんでパンダにならなきゃなんねえんだ)
そんな理不尽な思いを胸に秘めたまま、サンジは道行く人々に「春のあいさつ運動」と文字入れされた風船を配り、手を振りながら、知人でも通りがかりはしないだろうかと鋭い視線を辺りに向ける。
その顔はパンダの顔ゆえ、笑んでいる。
心は泣いている。
サンジは最近意中の女の子にふられたばかりだった。
ふられた上にパンダまで押し付けられて、超ブルーだと思っていた。
だがサンジがふられるのはわりとしょっちゅうのことなので、「最近ふられたばかりである」という時期はわりと恒常的に訪れており珍しいことではない。
おまえのアタックはしつこい、そしてなんかウソっぽい、とウソツキで有名な同僚に面と向かって言われたことがあるが、指摘されたからといってそう簡単に性格が変わるわけがない。
仕方がないので「いつかオレの真実の愛に気付いてくれる女の子が現れるはずだ」と信じることで自分自身を救っている。
それはさておき、知人にでも見つからないかと心配だ。
こんな格好悪いパンダのホネにされてるなんて、例えば最近気になる経理のビビちゃんにでも知られたら大変である。図書館時代に知り合った都立図書館勤務のロビンちゃんにでも知られた大変である。アホ市長の美人秘書カリファちゃんにでも知られたら大変である。とにかく大変である。
なにしろこのパンダときたら、パンダのくせに赤いパンツだけはいていて、しかもそのパンツがピラピラのナイロン生地で出来てて恐ろしく安っぽい。パンダのくせに、着衣の必要なんかない。しかも中途半端にパンツだけっていうのはどうだ。あいさつ運動と赤いパンツは関係ねえだろう、いやノーパンじゃあいさつできねえか、そりゃマナー違反だもな、そうか、マナーを守ってんのか、いや違ェだろ。
サンジは着ぐるみの口のところに開いた穴から狭い視界をムムムと睨みつつ、とりあえず動作だけは律儀に手を振ったり風船を配ったりした。
パンダの顔は、やけに頬肉をもりあがらせて不自然なまでに微笑んでいる。
たまに子供にタックルされる。
本当に辛い。
(パンダの中身になってるなんて、こんなダセェとこ、可愛い女の子には見られたくないけど)
サンジは考えた。
(でも、パンダの中身になっているオレに気付いて欲しい気持ちもあったりだな)
顔なんか見えないのに、体つきさえ見えないのに、手を振るこの些細な仕種で……ッ!
それだけであれはサンジ君だって気付いてくれるような……!!
外見じゃないわ、あなたの全てを愛しているの、たとえあなたが赤いパンツのパンダに生まれ変わったとしてもきっとあなたを見つけ出して愛せる。とか。

(真実の愛だ!)

あまりの愛にサンジはうち震えた。
ああ、彼女こそがオレの胸に咲く一輪の幸せの花なのだ。
存在しもしない彼女へのいとしさでサンジの胸はいっぱいになった。我が妄想ながらわりと感動した。
今こそサンジはパンダ同様微笑んでいた。
微笑みながら駅前の人通りに目をやると、改札口から出てきたばかりなのか、鞄に定期券をしまおうと俯き加減の男の姿が目に入った。
緑の頭。
間違いない、ロロノア・ゾロだ。
サンジがまだ市立図書館勤務だったころ知り合った男だ。
誕生日は11月11日だ。
多分、名前の由来は11月11日に生まれたからだ。
ちなみにサンジの名前の由来は3月2日に生まれたからではない。断固ない。と信じている。
ロロノア・ゾロの姿を見て、サンジは少しだけ警戒した。
あれは年が明ける前、去年の11月12日のことだった。
弁当箱を返しに来たあの男にサンジはくちびるを奪われたのだ。
まあ、それだけの話だ。
それ以上も以下もなにもない。
だがサンジにしてみれば、恋人同士でもないのに(男と恋人になるわけがない)キスをするなんて、非常識極まりない行為であった。
(けど、オレのこと慰めようとしてくれてたし……悪気はなかったと思う)
それがあるから、結局あの時もサンジはゾロに対して腹をたてることが出来なかった。
(だからって男とキス)
それも、腰の抜けるような……



「おい」



いつの間にか緑の頭は目の前に突っ立って、訝しげにサンジの顔(というかパンダの顔)を覗き込んでいた。
「てめえ、何呆けてんだ、風船、ほら、放すな、おい、しっかりしろ」
スルスルとふいをつかれて力の緩んだサンジのてのひらから風船の紐が抜けてゆく。
「春のあいさつ運動」と白抜きの文字のある、色とりどりの風船が、2つ、3つ、4つと逃げるように空を目指す。
うわ、と一緒に市民に風船を配っていた同僚が気付いて慌てて手をのばす。届かない。それどころか彼自身握っていた風船の紐をはずみで手放してしまい、その風船がまた飛んでいく。
ロロノア・ゾロはあやまたずサンジの顔(というかパンダの顔)を見据えると
「おい、大丈夫か、黄色頭」
眉を顰めて気遣わしげな顔をした。
「……大丈夫、だ」
小さな声で答えたので、きっと聞こえなかっただろう。
やばい、とサンジは思った。
凄ェやばい、真実の愛だ。
こいつひょっとしてオレのこと愛してんじゃねえの、もしかして図書館に通ってたのもオレに会うためか?市役所に連続2日来たのも、弁当箱返しにその翌日も来たのも、オレの顔見に来たのか?
風船はどこまでも上ってゆく。もはやどうでも良かった。むしろ好都合だった。残数が減って良かった。
やばい、とサンジは改めて思った。
もしもあの腰の抜けるようなあのキスが、心底サンジを愛してるからついついしてしまったことなのだとしたら、そしたら、どうしよう、と思った。



06/03/02



たきさんちのゾゾロアイコンが欲しかったので、御礼にみかん汁の続きを書こうと思いました。
うふん。
キスシーンを書いて欲しいといわれたのに書けませんでした。タイトルだけ混ぜ込んでみました。カモフラージュです。うふん。