メリー、メリー



これで本当に夜が明けているのだろうか、と疑問を感じるほどにその日の空は暗かった。
光は射し始めたが足許は不確かで湿っているし、鳥が鳴きだしたがその声は不吉をはらんでザラリとしていた。
明け方目を覚ますとベットの中にコックの姿がなかった。
だからと言って気にするほどのことではないと思いながらも、荒れる空模様を見るうちに何となく、靴をはいて宿の外へ出た。
海を目指したら、本当に海についた。
非常に珍しいことではあるが、時折このように目的地へ正確に辿り着くこともあるものだから、なかなかゾロは自分が方向音痴であることを自覚しない。
入り江にも今朝は荒い波が押し寄せていた。
揺らぐ船が軋りをあげている。
メリーも繋がれて停泊していた。
あれはもう自分達の船ではない。
そう思いながらも、もしかしたらコックはここにいるのではないかと思ってゾロはメリーを見上げた。
船の胴体の曲線はいつも通り滑らかで、この船がもう沈んでしまうのだとは到底信じられなかった。
一線に区切られて色の濃い板が、水面に露わになっていた。
ここが喫水線か、と思った。
荷物の減った分だけ船が軽くなって、今まで水中に沈んでいた部分が顔を出したのだ。
こんなに、たくさんの荷物を積んできたのか。
そんな考えが浮かんだが、感傷にひたるようでつまらなかったので、2、3度頭を振って何も考えずに甲板へよじ登った。
ウソップと出くわすかも知れないが、その時はその時だと楽観的に構えた。ウソップは仲間を抜けてしまったが、敵になったわけでもない。
甲板に降り立つと、そこには誰もいなかった。
人の気配がない。
だが、ついさっきまで誰かいたかのように、がらんとした空気だけが残っている。昨日までは、仲間が全員ここに居たのだ。そのせいだろうか。
船尾のほうへ向かうとそこにはウソップの大工道具が転がっていた。つい先刻までここに居たのだろう。メリーをなおそうとしたのだろうか。足りない釘でも探しに行ったのかも知れない。
コックはここに来ただろうか。
来なかっただろうか。
さすがに船にあがりはしなかっただろう。遠くからここを見ただろうか。彼が一番戻って来そうで、同時に一番戻って来なそうでもある。
逆巻くような風の唸りが煩わしいほど響いていた。
生温い風から逃げるようにキッチンのドアを開いた。
そこにも誰も居なかった。
薄暗い室内へ踏み入った。
主立った調度類は持ち出していたが、備え付けの食器棚あたりは以前のままの姿でそこにある。
ゾロは今や空っぽになったその食器棚にふと歩み寄り、軽々と横へずらした。
この棚のすぐ横で、初めてサンジとセックスした。コトが終わったそのあとに、サンジはこの食器棚のすぐ脇の壁へ、記念だと言って日付を刻んだ。そしてゾロに頼んで少しだけ棚を動かし、その裏へ刻んだ文字を隠した。
サンジは他のどのクルーにもこの食器棚だけは手を触れさせなかったが、それは食器に対して彼が敬虔な感慨を持ち合わせていたからではなく、このような馬鹿馬鹿しいいきさつがあったからであった。
(あいつは本物のアホだ)
そう思いながら、ゾロはその日付を書いた場所を探した。
単にあれからどのくらい経ったのだろうかと気になったからである。
すぐに見つかった。
そして、ずらした食器棚の影から、銀色に光る、タバコを入れるためのケースも見つけた。ずっと前にサンジがなくしたと言っていたものだった。こんなところにあったのか。
初めてのあの晩、サンジはこの銀色のケースを胸ポケットに入れていた。
そう言えば、なくしたと言い出したのはその翌日だったかも知れない。
昨日の今日で、とぼやきながらも続けてその晩もゾロの求めに応じたサンジの胸ポケットには、銀のケースではなく、ちゃちな紙の箱がそのまま入っていた。上から押さえるとくしゃりと潰れたその感触を手のひらが覚えている。
それならこの銀色の箱は、あの晩ここに紛れこんだものだろうか。
記念だ、と言いながら、やけに真剣にここにナイフで日付を刻んだあの時のサンジが置き忘れて、そのまま食器棚の裏に潜り込んでしまったものだろうか。
持って行ってやろうか、記念に。
そう思ってゾロはそれを手にとり甲板に出た。
外は夜が明けたとは思えぬくらいに、相変わらず薄暗い。
港を見下ろしながら、風にあたる。
この船に乗っていたコックが見当たらない。どこをほっつき歩いてんだ。こんな、天気の悪いなか。
船べりにもたれてゾロは、記念に、と思いながらタバコに火をつけた。火はウソップの道具箱から拝借した。
湿気ているかと思ったが、存外簡単に白い煙が出た。
深く煙を吸い込むと、この銀色の箱の持ち主と同じ匂いがした。
この船の上でケンカしたし、セックスもした。
この船に乗ってたコックはどこに出掛けたのだろう。こんなに薄暗い天気なのに。



06/03/11


サン誕リクエスト企画。サンジのタバコを吸うゾロ、とのリクエストでした。こんなに短い話なのにすぐに書かなくてすみません。