サプライズライナップ



すっかり忘れていた住民税の督促状が先日ポストに入っていた。
ゾロの会社は住民税だけは各自で支払うシステムになっている。非常に面倒だ。本来なら六月頃その手続きをしなくてはならなかったのだが、うっかり忘れていたため十月に督促状が来た。
そこでしぶしぶ申請を出しに行き、一ヶ月経過して先週、ポストに支払いのための振込み用紙が届いていた。
申請を出してから支払いの準備が整うまで一ヶ月かかる、というのもまた面倒くさい。再びうっかり忘れるところだった。
(ったく、お役所ってのは)
やつあたり気味に批判的な気分になりながら、ゾロは市役所への道を歩いた。
迷子になりやすいたちなので、いつも同じ道を通るようにしている。
それでも迷う。
何度も来た道のはずなのに、どこも間違っていないと自分では思うのに、何故か市役所庁舎の入り口が見つからない。入り口が見つからない公共施設なんて、問題があるのではないだろうか。ここは市民に開かれていない役所だ。ゾロはますます批判的な気分になった。
素っ気無い、白っぽい壁にそってぐるりと回り、ようやく小さな入り口を見つけた。自転車置き場の影に隠れるように、すりガラスのはまった扉だけが見える。以前来た時はきちんと自動ドアだったような気がする。傘たてや市役所からのお知らせの貼り付けられた掲示板があったような気がする。なんだこの、まるで裏口か通用口のような扉は。市民を迎え入れる意思が全く感じられない、とゾロは気分を害した。
気分を害しはしたが、あまりこだわるほうでもなかったので、その入り口からとりあえず中へ入ろうとした。
すると、自転車小屋の影の、黄色い、陽だまり色が目に入った。
あれは人の後頭部だ。
つるっと丸くて、頼りなくうつむく首筋へなだらかな稜線が続いている。
それが誰だか、ゾロにはすぐに分かった。
せわしなく煙が吐き出されている。煙草だろう。彼はヘビースモーカーだ。そんなことまでもう知っている。
彼はこの市役所の職員で、一番最初に彼とゾロが出会ったのは市立図書館、それから丁度一年ほど前には市役所で再会した。
以来、街中ですれ違ったりなどすると、彼だと分かるようになった。
あの黄色い頭がやたら目に付く。
駅や、カフェや、文房具屋で。
自転車置き場やスーパーで。
とくに駅前のスタバでよく見かけた。
あそこは店内禁煙なので、金髪はいつも外の席に座ってコーヒーをすすっている。大抵本を読みながら煙草を吸っている。あんなにアホそうなのに、本なんか読んでるのが意外でついちらちら目が行った。
だから一方的に、親しい知り合いのような気分でいた。
「よう」
気安く声をかけたら、金髪はギョッとした様子で腰を浮かしかけた。
煙草を手から取り落とし、慌てて拾っている。
何をそんなに動揺してるんだろう、と思ったら、金髪はなんだか泣いていた。
ゾロに見られないようにすぐに顔を逸らしたが、バレバレだ。
(・・・・・・またか)
そうだ、以前にもこんな光景を見た。丁度一年前ごろだ。あの時と、まるで変わらないような光景だ。
「なんでてめえなんだよ」
「ああ?なんだとは何だ、市民が市役所来ちゃ悪いってのか」
「んなこと言ってねえだろ」
グスッ、と金髪がハナをすする。
「別に・・・・・・うれしいよ、ようこそ市役所へ」
まぶたをこすりながら、金髪は唇をとがらせている。
ゾロはそのとなりへ座った。
金髪は一生懸命そっぽを向いて、ゾロに顔を見られまいとしている。
「なんかあったのかよ」
軽い既視感を覚えながら、問いかける。
一年前の今頃も、この男はこんなふうに、ここで泣いていた。そういえば。女にふられたとか言って。
じゃああれか。
またふられたのか。
気の毒なやつだ、と思ったのでなぐさめの言葉を探したが、無口な性質なので、何も思いつかない。
金髪はすぱすぱ落ち着き無く煙草をふかしていた。
そうかと思うと、突然わっと泣き出した。
そして「誰にも言うなよ」と前置きした。ゾロはすぐに頷いた。「誰かに言え」と言われたら面倒だと思うが、言うな、というのは何もしなくていいのでとても簡単だ。
「かわいそうなんだよー、あのな、ええと、てめえ、戸籍のこととかわかる?」
「わかんねえ」
「じゃあ、ええと・・・・・・そうだな、住民票とかだと簡単なことしか書いてねえんだが、パスポートを申請しようとするとな、細かいことまで書いてある書類が必要になるんだ」
「そうか」
「それをな・・・・・・とりにきたレディがいてな」
グスッ、と金髪はまたハナをすすった。
「そしたら、彼女、養子だったんだー、でもそのこと知らなかったんだー」
「そうか」
ゾロには特に感想はなかったので、ひとまず頷いた。
金髪は相手がのってないのに気付かず一人で盛り上がっていた。
「かわいそうに・・・・・・だって、今まで育ててくれてたご両親は先日亡くなったらしいんだよ、だから、ほんとのことがもう分からないんだって、誰にも聞けねえって。
しかも、そのパスポートな、新婚旅行のためにとりに来たんだぜ、親御さんが元気なうちに婚約者を見せることが出来て良かったって思ってたのに、急にこんなことになって、彼女動揺しててさァ!そんな話聞かされて、もうどうしていいか」
グスッ、グスッ、と金髪は自分とはなんの面識もなかった女の身の上話に同情して泣いている。
(誰だ、こいつにそんな話聞かせたの)
このアホが、そんな話聞かされたら、泣くに決まってる。
ゾロこそ彼と殆どろくに話したこともない。
それなのに、まるで自分は彼について何でも知っているかのように考えた。
「もうほんとかわいそうでさ・・・・・・すごく可愛い子なんだよ・・・・・・」
「そうか」
「ああ・・・・・・婚約者がいるんじゃ、どうにもならねえじゃねえか!」
「・・・・・・」
「もうほんと、すっげえ可愛かったのに」
結局ふられた話と大差ない落ちだった。
ゾロは、いたわりの気持ちでいっぱいになった。
この男は、アホすぎる。
「泣くな」
そう言って煙草をとりあげた。
何故そんなことをしたのか分からなかった。特になにも考えていなかった。
だが金髪は何故だか顔を赤くした。
「あの・・・・・・」
言い辛そうに、こちらを見ている。
ぽつりと、瞼に残っていた涙のしずくが瞬きの拍子に地べたに落ちた。
ゾロは何か他の話題を持ち出そうと思った。明るい話がいいと思ったが、無口なので、矢張りなにも思いつかない。
「てめえ、駅前のスタバに、よくいるだろ」
他に彼に関する話題がなかった。
「え、う、うん・・・・・・」
どうしてだろう。金髪はますます顔を赤くした。
「本とか読んでるだろ」
「うん・・・・・・」
「てめえのこと、いつも見る」
金髪は困ったように視線を泳がせている。
そして、突如思い切ったように、口を開いた。
「てめえさ、前から思ってたけどさ、ひょっとしてさ」
ゾロの手のなかで、とりあげられた煙草がまっすぐと一筋の煙をのぼらせる。
「あの、オレ、男相手とかそういうの無しなほうなんで、ちっとついてけねえと思ったんだけど・・・・・・でもそんな」
秋の柔らかな日差しが、黄色い髪の上に陽だまりを投げかけ、甘くとけるように彼の輪郭はぼやけていた。
「そんな真面目にてめえが言うんなら」
彼は慌てたようにズボンのポケットからなにかのレシートを取り出し、胸ポケットから取り出したボールペンで、数字を書き付けた。
どう見ても、携帯電話の番号だった。
「ここ、ここにかけるくらいなら、いい、今日はてめえの誕生日だしプレゼントみたいなもんだ」
押し付けるように、レシートを握らされて、ああそうか、と思い出した。
ゾロですら忘れていた。
金髪は忘れていなかった。一年前のことを。

立ち上がるとき、まるで不自然な仕草で金髪は背をかがめ、子供のように一瞬だけ唇をくっつけてきた。
そして、すりガラスのドアから建物のなかへ逃げていった。

ゾロは手の中に残された煙草と、もう片方の手の中のレシートをじっと見る。

あの男はいつでもあたふたしていて、何を言っているのか意味が分からない。
分からないのだが、でも多分。
ゾロは煙草を地べたに押し付けてもみ消した。
多分、近いうち、電話をしてみるかもしれない。
駅前のスタバで待ち合わせをして、てめえいっつも何言ってるか分かんねえよ、アホじゃねえのと言って、笑ったりするかもしれない。
そういうことはあるかもしれない、と思った。



06/11/11




超大慌てで書きました。
誤字とかあるかもヤバイ!
市役所サンジの続きです。