背中の目
Sightless eyes




この頃ゾロとセックスするようになった。
理由は分からない。
ある日酒を飲んでいたゾロがふいに近寄ってきて、背後からオレを抱いた。首の後ろに顔を埋められて、オレは声も出ないほど、あるいは変な声が出てしまいそうなほど、それだけで感じていた。
だってずっと好きだった。
出会いの強烈すぎる印象が焼き付いて離れない。あれを見た時、オレはすぐに
「ああいう男を好きになるのは不幸なことだろうな」
と考えた。
そんな考えが浮かんだのは、もしかしたら既に恋に落ちていたからかも知れない。
ゾロに好きだと告げるのは簡単なことだった。だがゾロから返事を貰うのは大変なことのように思えた。だから、期待はしていなかった。全ての物事が思い通りになると信じるほど子供ではない。出来ることだけをこなす。いつも、そんなふうだ。
ふいに近付いてきたゾロに、背後から耳朶を吸われて、オレはどうすることも出来なかった。
ただ全身を竦め、しゃがみこまないように膝に力を入れることだけが、出来ることの全てだった。そしてそれすらもすぐに難しくなった。
誰もいないキッチンで、随分長くそうやって耳や首筋だけを弄られていた。
とうとう床の上へ崩れこんだ後はもう何が何やら分からないような時間を過ごした。好きだと思う気持ちは皮膚の下でふくれあがり、はりさけてしまう、と何度も思った。駄目だ、駄目だ、とあえぐ声の合間に呟いて、どうにか心臓が破けてしまうのをふせいでいた。
キッチンの床の板の目を鮮明に覚えている。
ゾロが何度も、駄目だと言うたびごとのオレの口を塞いだ。
オレはずっとそれを、外に声が聞こえないように塞いだのだと思っていた。



以来、奴とのセックスは習慣になった。
勿論そんなに頻繁にしているわけじゃない。たまに、ふと目が合う。うまくは言えない。だが、ああそうなんだと感じる表情を、お互いに見つけることがある。そんな日は大抵そういうことになる。黙っていても、皆が寝静まったあと人の来ない場所、例えば格納庫やキッチンをうろつくと、ゾロが起きて待っているのに出会うことが出来る。
ゾロは何も言わない。オレも何も言わない。だから何も分からない。
あいつを見るとき、オレはどんな顔をしているのだろう。
どんな顔が、あいつを夜半まで眠りもせずに待たせているのだろう。



グランドラインを航海するにはログポースの指針に従わなくてはならない。
その島は、周囲の多くの島とログで引き合っていた。つまりこの周辺海域を通る大抵の船は、その島に辿り着いてしまうことになる。
それ故旅行者も多く観光で栄えている、グランドラインでは少し珍しい島だった。
島内には観光客の喜びそうな博物館や美術館がひしめきあっている。土産物屋もあるし名物もある。うちのゴム船長は大喜びだった。オレたちは陸で宿をとった。
適当に部屋割りを決めようとした時、ふとゾロと目が合った。
ああ、するのかな、と感じた。
「じゃあオレはクソ剣士とこっちにするわ」
ごく自然に部屋の鍵をウソップから受け取り、さっさと部屋に荷物を置いた。
ウソップはあっさりと「そうか、じゃオレとルフィとチョッパーでこっちな」と余った三人部屋の鍵を握って自分とルフィの二人分の荷物を運んでいった。ルフィはとっくにどこかに行ってしまった。ナミさんとロビンちゃんが同行したので心配ないはずだ。
ゾロは黙ってついてくる。
部屋に荷物だけ投げ出すと、すぐに隣の部屋に行ってしまった。ウソップと何か話があるらしい。
オレは街中を歩くことにした。
ログがたまるまで3日程必要なのだそうだ。買出しは明日するとして、市場を下見するつもりだった。
港のすぐ近くにある市場はきちんと屋根のついた大きな建物の中にあり、まるで倉庫のようなだだっ広い空間にひしめきあうようにたくさんの商品が並べられている。それぞれの店主は割り当てられた空間に、より多くの品物を並べようと、あれこれ工夫をこらしている。机を並べたり屋根から吊ったり段差を作って積み上げたり。色とりどりの野菜や、ハーブが売られている。紅茶やコーヒー、煙草、噛むと確か酒のように酔うものだったと思う木の根もあった。肉や魚は屋外で売られていた。
「ここっていつもこんなに活気があるの」
店主の一人に声を掛けた。
「ここじゃ毎日のことさ。旅行のひと?観光客でこんな市場で買い物するひとは珍しいね」
「観光じゃねえんだ、オレは船のコックでね、食料を仕入れたいんだ、なるべくたくさん、安くね」
少し笑って見せると、店主は機嫌良く、野菜はうちが一番サービスするよ、と言った。明日また来るから頼むよと適当に答えて、辺りを一周した。
人ごみに疲れ、建物の外に出ると、静かな通りへ足を踏み入れた。
少し散歩するのもいいかも知れない。
歴史のある街のようで、ところどころに石碑がある。旅行者を意識して、古い建物の前にはその概略を記した看板も立てられている。
荒削りの石畳は石英が含まれた石で作られていて、昼間の光を反射してまぶしいくらいだった。
しばらく歩くと、今日はいつゾロとするんだろう、と気になりだした。
もう部屋に戻っただろうか。
今まで一度も確認のための言葉を口にしたことはない。今すぐなのか夜になってからなのか分からないし、本当にするのかも分からない。
聞けばいいだけのことだ。
だがそれを口にする前に、言葉は喉に詰まってしまう。
言葉が喉に詰まると、呼吸すら苦しくなる。
だから近頃では、その言葉が腹から湧くのすら抑えるにようになった。
いいんだ、別に。
どうでも、どうせ、ゾロのことが好きだ。
体温の高いあの腹が、ぴったりと背中にくっつけられるのが好きだ。それだけでいい。
一体、その時のあいつはどんな顔をしているのだろう。
いつも背中から抱いてくるので見たことがない。
別に振り向くことを禁じられたわけでもないのに、見たいと思う気持ちと、見たくないと恐れる気持ちは、いつでも拮抗する。
そよそよと海風の吹く坂道をてくてく歩いた。上り坂に爪先を押される手ごたえが心地よい。下り坂の踵に力が入る感じも好きだ。だが真昼の陽光で段々に目が痛くなってきた。丁度その時、その建物が目に入った。
教会のようだった。
それなのに入り口には「美術館」の看板がある。
ベンガラの木造建築がどことなく懐かしい風情だったので、立ち寄ってみることにした。
鈴のついた木製の扉を押し開けると、矢張りそこは教会のようで、入ってすぐ右側が礼拝堂の入り口だった。中央のホールの突き当たりには階段があって二階へ続いている。そして左手に「美術館」の札。
戸口のところには黒いポストのような箱が置かれ
「寄付」
と白いペンキで書かれている。
美術館を見学したい奴はここでいくらか支払うものらしい。
箱の中を覗くと小銭ばかりが入っている。
ポケットから小銭を拾い出すと、その箱へ投げ入れ、入り口をくぐった。
中は薄暗かった。
全ての窓はカーテンで覆われている。
意外なことに多くの絵画や彫刻が、さして広くもない空間にひしめき合っていた。
こんな寂れた教会に、なんだってこんなにたくさんの美術品が置いてあるんだろう。
殆どの絵はガラスケースに入って並べられている。そのガラスケースのせいで、室内は雑然とし、ちょっとした迷路の様相を呈していた。
一番奥まったあたりに、見覚えのある絵が掛かっていた。
モディリアーニ。
特徴のある絵なので、あまり芸術なんかに興味のないオレでも思い出せた。
ウソップに「モディリアーニの絵のようだ」と言われたことがある。
おまえは後ろから見るとモディリアーニの絵みたいなんだ、と言われた。
あの絵のような後ろ姿を、オレはしているらしい。
絵の前には、ゾロとウソップが並んで立っていた。
あまりに唐突だったので、オレの足は竦み、声も出なかった。

「な、似てるだろ」
「ああ」

ウソップの言葉にゾロは頷いていた。

「そうだな、似てるかも知んねえ」

両足は、一歩も動かなかった。
いくらも離れていない距離で、オレはゾロの横顔を見た。
その絵を見る時の、あの男の顔を見た。
喉の奥が詰まって、全身がはりさけてしまうかと思った。
ガラスケースの迷路は白々と、僅かな明かりを反射して視力を
奪うようだった。
ひょろながい人物画だけが、あたたかい色彩でそこに居座っていた。



06/11/14




「モディリアーニの絵のような」のその後で、ウソップ出演、ゾロ視点かウソップ視点で、というリクでした。サンジ視点の話を先に思いついたのでひとまずアップします。ウソップ視点もすぐに書きます。ありがとうございました!