レードルとコルト



サンジーノの邸宅には立派なキッチンがある。
彼はマフィアのドンでありながら、料理が趣味だからだ。
キッチンのシンクまわりはすっきりと片付いており、そこはドンの聖域であって誰も手を触れることが出来ない。アンダーボスのチョパリーニだって近付かせたことはない。ドンの掟は絶対なのだ。
シンクの上の壁には整然とパスタフォーク、レードル数種、そして拳銃が一丁ぶら下がっている。
鍋も用途に合わせて何種類もある。
邸宅全体も城のようかも知れないが、ここのキッチンはサンジーノにとって重要な城である。
プロ顔負けの腕をふるい、ルフィオーネファミリーのウソトゥーヤのキノコ嫌いをなおしたことは、サンジーノの養父ゼフが跡目を譲って引退したいと言い出した日に起こった闘争で流れた血と同じくらい鮮明に、この街のマフィア達の記憶に新しい。
広い清潔なキッチンで、彼は料理を楽しむ。
今日も対抗勢力であるゾロシアのところのナミモーレとロビータを呼んで昼食会をひらいた。美しい女性に給仕することが彼の喜びであるので、ずらりと配下が居並ぶ中、だらしのない笑顔で皿を並べた。
「ナミモーレさん、ロビータちゃん、ドルチェはいかが」
「あらありがとう」
「お願いするわ、それとコーヒーもね」
「ダコー」
せっせとウエイターのように立ち働くドンに、いかつい顔の部下たちは何も言わない。
マフィアは独自の掟を守って生きているが、サンジーノのファミリーにはいくつか特別に定められた厳しい掟があった。
沈黙の掟、血の掟は勿論あるが、その他に「ドンのキッチンを許可なく触ってはいけない掟」「レディは大切にする掟」「食いたい奴には食わせてやる掟」「あいさつは元気良くする掟」がある。
ファミリーの一員になるということは、その掟を遵守する義務があるということなので、ドン自らがそれを実践してレディ達にサービスするのを咎める者なんて居ないという理屈だ。
「ねえサンジーノ、カプチーノに絵を描ける?」
「ナミモーレさんなんて素敵なことを考えつくんだ!おもしろそうだね、出来ると思うよ。どんなのがいい」
「なんか楽しいやつ」
「楽しい?じゃあゾロシアの間抜け顔でも描くか」
「きゃー笑える。ぐっちゃぐっちゃに描いちゃってよ」
「あらあら、自分のとこのドンをそんなふうに言って・・・・・・いけない子ね」
「いーじゃん、あいつ最近はげてきたよね絶対。オールバックだからってバックしすぎだっての」
「まあ!」
ロビータが目を見開いて、それから肩を揺すって笑いだす。
こんな時間をサンジーノはとても好きだ。



これでもかと高く張り巡らされた塀の向こうに、黒塗りの車が停まるのが見えた。
中から緑の頭の男が降りてくる。
ゾロシアだ。
窓から外を見張っていた部下が
「ドン」
と声を掛ける。
「なんだァ、せっかくひとが楽しい気分でいるときに」
ガン、ガン、と乱暴に門扉が蹴飛ばされる音が響いた。
「おいサンジーノ!うちのナミモーレとロビータが邪魔してんだろ」
ゾロシアは、マフィアのボスだというのに大した数の護衛も付けず、堂々とサンジーノの屋敷にやって来たようだ。それがかえってダンディに見えて面白くない。
「開けてやれ」
部下に指示しながらも、ムカつく。
今現在ファミリー同士は均衡を保ちうまくやってるはずだが、「あいつにいいカッコさせたくない」という理由でサンジーノはゾロシアにつっかかることが度々ある。
それでも、お互い若い。
もうひとつの勢力、ルフィオーネファミリーのドンも若い。若いということが幸いして、同じ街で3つの組織がさして深刻な争いもなく拮抗しあっている。奇跡のようなことだ。
「おいゾロシアてめえ、オレのスイートタイムを邪魔すんじゃねえよこのハゲ!」
サンジーノは窓を開け、庭先を歩いてくるゾロシアの頭上から怒鳴る。
「うっせえ、てめえ女に鼻の下のばしすぎだ、ナミモーレの奴ぁ、腹んなかで何考えてっか分かんねえ泥棒猫だぞ油断すんな」
「ちょっとゾロシア、聞き捨てならないわ!」
「そーだ、このハゲ!」
「ハゲてねえ!」
「とっとと上がってこい緑苔!」
「苔じゃねえ!」
ぎい、と鉄製の門扉はゾロシア達を中に通し終え、重い音をたてて閉じられる。
車の運転手になにやら門番が話しかけている。その片手は胸ポケットだ。ああ、何かあったら撃つ気だろう、どうせ何もないに決まってるが。
サンジーノは門番が運転手との会話を終了し、元通りの位置に戻るまで窓から覗いていた。
気安く窓から身を乗り出すドンの、そのまわりでは黒スーツの部下が矢張りスーツの胸ポケットに手を入れて、突っ立っている。
何かあったら撃つ気だ。
なんて感心な連中だろう。どうせ何もないはずなんだが。
そう思いながらサンジーノはテーブルまで戻ってきた。
愛しのお姫様達にコーヒーのおかわりをすすめないといけない。
ポットに手を掛けたところで、ドアの前が騒がしくなった。
「入れよ、ゾロシアだろ」
キッチンの近くにあるドアから、ゾロシアが顔を出した。
「おう、サンジーノ」
「呼ばれもしねえのに毎度来やがっててめえは。そっち行ってお嬢さんがたと一緒に座ってろ、カプチーノくらいは出してやる」
「ゾロシアの顔描いてね」
「あーい、おまかせあれー」
「ぐちゃぐちゃにね」
「元々ぐちゃぐちゃだよこいつのツラは!」
「あはは」
「てめえナミモーレ、そのうちぶっとばすぞ」
「なあによ、出来るもんならやってみなさいよ」
「あらあら」
広い部屋の中央に置かれたテーブルまで、サンジーノがカップを運んでくる。
シャツにエプロンだけのラフなスタイルながらその動きはあまりに隙がなく、一般人とは違うな、とすぐに気付かせる。
「おいてめえ、こないだの取引の話だが」
「何の話だって?」
「とぼけんな、てめえんとこで言い出したことだろ、あの、南地区の」
「ストップ」
ことん、とカップがテーブルに置かれた。
「んなつまんねえ話でお嬢さん方の優雅なひと時を邪魔すんじゃねえよ、場所移そうぜ」
「・・・・・・そりゃかまわねえが」
どうせナミモーレとロビータはオレんとこの部下だぞ、とゾロシアの目は呆れたように語ってる。
そうだ、どうせ筒抜けなんだ。
だがそんなことは考えたくない。
こんなに楽しい気分だったのに、良くない薬の取引の話題なんて。
コーヒー豆の香りと暴力の話題は少しも似合わない。
サンジーノは大抵はそう考えている。



隣は客間だが、しょっちゅうサンジーノが勝手に潜り込んで自室のように使うので生活感がある。きちんと片付けてはいるつもりだが、シーツがよれていたり、灰皿に吸殻が入っていたりする。
毎日自分の部屋に寝てると飽きるので、たまにこうやって外泊気分を楽しむのだ。非常にささやかな楽しみである。マフィアのボスに案外自由が少ないことを嘆くばかりだ。
サンジーノは元々前代の実子ではなかった。ひょっこりある日現れた養子だ。
どんないきさつでこんな物騒なお屋敷の子供になったのか、その経緯は物心つくまえの出来事だったので実は覚えていない。
何となくだが、養父の片足が義足なのは自分のせいだった気がする。それくらいしか分からない。
詳しい当時の状況を尋ねようとすれば養父ははぐらかしたし、ガキの知ったこっちゃねえとばかり言っていた。サンジーノのほうでも、もし聞いて後悔するようなすげえ話だったら困る、と思って追求しかねている。
曖昧な、靄の向こうに過去がある。
だがどんなに曖昧でもその過去は消えないし、養父の足はどんなにお互いがそれを忘れようとしたって、元通りになったりはしない。
跡目を継ぐことくらいしか、サンジーノには出来ることがなかった。必ずしも世襲の必要はないと分かっていても、他に養父の役に立つ方法を思いつかなかった。
そして、出来るだけのことを今している。



ゾロシアはこのサンジーノの私室のようなゲストルームに案内されるのが好きだった。
適度に狭くて居心地が良く、まるで普通の家の普通の部屋のようだ。落ち着いて話せる。それに、この部屋にしみついた煙草のにおいを嫌いではない。
サンジーノは物騒な話題をふっかけられると困ったような顔をする。まるで恥じるように、ひっそりと反社会的な行いについて話す。
その様子はマフィアのドンというよりは、懺悔しに教会に来た若者のようだ。
神父の座る小窓の向こうへ、ぼそぼそと自らの恥をそそぎこむような。
こんなアホがファミリーをおさめきれるもんかね、と思うこともあるのだが、ここの統率がよくとれてること一つを見ても、彼がボスとして無能であるとは言いがたい。
楽しそうにレードルを持つ手で、恥じるようにコルトをとるのだろうか、彼は。
いつか利害がぶつかりあう時が来たら、「ゾロシアを消せ」なんてそれっぽい言い方をしたりするのだろうか。とても想像出来ない。



サンジーノは何でもないように麻薬やら武器やら金について話すゾロシアを、ちらちら横目で見た。
わけもなくこの部屋に二人で座り、同年の男同士で親しく話す。
ただそれだけのこと、というように錯覚を覚える。
だからこの部屋にゾロシアを通すのが好きだ。
ついこの間、ゾロシアとキスをした。
それも今日みたいに、この部屋で二人で話してる時のことだった。
突然通りで銃声が響いた。そして怒号。
無防備なサンジーノは先刻と同じように窓を開け放して外を眺め、走り去る男と倒れる男を見た。道路に血が流れ広がっていったが、男は自力で起き上がった。
どうしたんだ、とサンジーノは叫んだりしない。倒れたのは自分のところの部下だったが、この窓から叫ぶような馬鹿なことはしない。ただここに居て、報告があがってくるのを待つだけだ。
黙って窓辺に佇んでいた彼のその形良い唇は、ほんの小さな声で
「大丈夫かな」
と呟いた。
それから視線を部屋に戻すと、サンジーノとゾロシアは目が合った。たったそれだけのことが引き金だった。
ゾロシアの手は大きい。
大きな手がサンジーノの耳の下に触れた。それから二人は身体をぴったり寄せ合って、唇を合わせた。
あたたかくて優しい唇だった。
すぐに無言で離れてしまったので、あれは夢だったんじゃないかと思うことがある。
だけど夢かも知れないと思ったところで過去の事実は存在するわけだし、それはゼフの片足が一生義足のままであるのと同じように、消えてしまうということがない。
ゼフの足が義足になりサンジーノがファミリーのドンになったように、ゾロシアとキスをした事実は、曖昧な、理由のわからない出来事であったとしても、いつか必ず何がしかの結末を残すだろう。
キッチンのレードルと並んだ拳銃のように、それが現実だけをサンジーノに見せるものであったとしても。



本当は知っている。
レディを大切にしろと言っても「大切にしたが寝返ったので始末した」と言われるかも知れないし、あいさつを省略するような出会いもある。
拳銃とレードルはいつでも消えない事実だが、サンジーノは最近拳銃とレードルとキスを同列に並べて眺めているので、以前にも増してうすらぼんやりしたドンになりつつある。



06/11/23




日付が変わってしまいました。ゾロサンでマフィアというご要望でした!