オータムピンク (前編)



まさか、ここまで田舎だとは思わなかった。
ちょっと写真だけ撮って来てくれないかな、記事は資料と電話だけで何とか書くけど、写真はね、写真はこっちで行かないとね、と編集長にかるーく言われて軽装備で来たが、最寄り駅からバスに乗ること一時間半。最寄のバス停留所から徒歩二時間。こんな場所がこの国にまだあったなんて驚きだ。
(てか、運転免許持ってる奴寄越せよ)
熊注意、と書いてある不穏な看板の横をてくてく歩きながら毒づいた。朝早く家を出たってのに、もう夕方近い。約束の午後4時までに辿り着かなくてはいけない。オレは少し歩調をはやめた。



ダムの底に半分以上が沈んでしまったというその村は大部分が傾斜地だ。
中でも、目指す寺は一際高いあたりにあった。
まっすぐな坂道を登りきり、ようやく寺の入り口にある柿の木の下まで辿り着いた。平地じゃまだ紅葉には早いが、ここでは既に赤く熟した柿が地に落ちて甘い香りをさせている。
立ち止まった途端に涼しい風を感じた。すっかり汗をかいていた。
ふうふう息を切らせていたら、
「あんたがカメラマンさんか」
「ああ、あんたが」
「あんたどこから来たの」
「カメラマンさんなんだってさ」
「カメラマンさん」
「獅子舞撮りに来たんだってよ、雑誌に載せるんだと」
「へえ、うちの獅子舞をね」
「カメラマンさんがね」
あっという間に寺の庭に集まっていた村人に囲まれる。
なんだこの、アットホームな雰囲気は。
小さな頃からマンション住まいのオレは、どうもこういう雰囲気が苦手だ。
「えーと・・・・・・こーしろーさんは居ますか」
引きつった笑顔を浮かべながら、連絡先になっていたこの寺の住職を探す。
「ああ、私ですよ」
庭先で餅つきの指導をしていたおっさんが、にこにこしながらこちらを向いた。
「あなたが、サンジさん」
「ハイ」
「まあ何もないところですが・・・・・・獅子舞は明日が本番ですけど、今日も日が沈んでから一度お堂の中でやりますよ、それも撮影して頂いて結構です。明日のほうが広いところでやるから、明日のほうがいいかも知れませんが・・・・・・」
「ありがとうございます、明日と今日と、念のため両方撮らせてもらいます」
「そうですか」
オレは重たい機材の入ったリュックを、ごとごと地面に下ろした。
それを見た住職は、庭先から集会所みたいになっている本堂の隣の建物の中に向かって声をかけた。
「おい、ゾロ、ゾロ、いないか」
「なんだ」
とんでもなく目立つ緑の頭が、ぬっと縁側から出てきた。黒っぽいジャージを着ているのでより一層、頭の緑が目立つ。
「こっちに来なさい」
「なんだよ、何か用事か」
ゾロと呼ばれた青年は、不機嫌そうに縁側に出ていた雪駄をつっかけ、こちらへ歩いてくる。餅つきの連中の背中にぶつかり、おう悪ィ、とその時だけは笑顔になって声をかけている。
「このひとがね、こないだ話した雑誌のカメラマンさん。君達の獅子舞の写真を撮りたいんだって」
「へえ」
「サンジさん、この子が獅子舞の先頭になる子。うちの息子でね、子供の頃から祭りに出てるから、何でもこの子に聞いたほうが私より詳しいくらいだ。・・・・・・ゾロ、案内してあげて。上の神社のほうと、あと、お堂のほうにも」
「・・・・・・いいぜ」
仏頂面のまま、ゾロは素直に返事した。
「よろしく」
こいつが案内役か、とオレは愛想良く挨拶してやった。
だがゾロは、ちらりとこちらに視線をくれただけで、返事もしない。そしてこちらを殆ど見もせずに、どんどん先に歩き出してしまう。すげェ無愛想だ。
そりゃ突然見も知らぬ余所者がやって来たら面食らうかも知れねえが、それにしたってその態度はどうだ。社交性のかけらもねえ。
けど、こいつに案内してもらわないことにゃ、仕事にならない。
「どーも、ごめんねえ、君いくつ」
へらりと作り笑いを張り付かせたまま、オレは奴の後を追ったのだった。



お堂、と呼ばれている本堂へ入ると、外見ほど内部は古くなかった。ところどころに祭礼で使うらしい小道具や飾り物が置いてあるほかはがらんとしていて、奥には一段高い床の間のような場所があり、きっちり扉の閉まった厨子が置かれて居る。くすんだ赤の絨毯がひかれているし、ストーブもある。
内心、夜になったら冷えるだろうな、と危ぶんでいたオレは少しだけほっとした。
「ここで、夜ちょっとだけやる」
「獅子舞を?」
「ああ」
ゾロはこちらを見もせずにお堂の隅っこへ行き、色とりどりの布や用途の分からない風呂敷の転がってるあたりをごそごそ探った。
そのうちに、布の合間から、何やら竜の頭のようなものを取り出した。
「これが、獅子頭」
「え」
「獅子ってか、鹿みてえなんだが」
ほら、となんでもないように、放って渡された。
金ぴかのウロコに覆われ、ぽっかりと暗い目をしている。これがここの獅子頭か。
その下へくっつけられた覆い布も、オレがイメージしていた唐草模様のアレじゃなくて、無地ながら緞帳のようにずっしりとして重たい。
青の単、金色の袴が無造作に辺りにたたまれている。これが装束か。どうやらオレが知っている獅子舞のイメージとは違うものらしい。
記事を書くライターは直接ここに来るわけではないので、文字資料だけで間違いなく書けるのか少々心配になった。恐らくはそこいらの研究書だの観光案内だのを継ぎ合わせて適当な文を作るんだろうが・・・・・・一応オレもあれこれとメモをとっておくことにした。本にして世に出すのだから、あんまりひどい間違いがあっては困る。
赤い絨毯の上は映りも悪く無さそうだったので、獅子頭を床に置き、オレは何枚か写真を撮った。ゾロは退屈そうに窓の外を見ている。
「待たせてごめんな、終わった」
「別に・・・・・・」
オレが立ち上がると、またとっとと緑頭は先にたって歩き出す。
今度はどこに行くつもりだろう。そのくらい言いやがれ。本当に生意気だ。
オレと同じくらいの背丈があるが、年齢も同じくらいだろうか。
それなのにあんなに礼儀がなってないってのは、どうなんだ。
(田舎もんめ)
ふん、と鼻をならしてやると、これまでちっともこっちを見なかったくせに、急に振りむいて、ムッとした顔しやがった。ざまあみろ。



そのあと寺の裏手にある神社や、坂の途中にある小さな滝を案内された。この滝で水垢離をとるんだそうだ。寒いのにご苦労なことだ。
寺が神社を管理してるってのもおかしな感じがするが、こんな田舎の村では、そういうことがしばしばある。オレは別に詳しくないし、興味もない。ただライターのためにメモだけとっておいた。
それから日が落ちてお堂に明かりがともるまでの間、オレはずっとゾロのあとにくっついてまわるはめになった。
好きでそうしてるわけじゃない。
ばあさんしかいないが、それでもヤロウどもと居るよりは是非奥様がたの台所仕事を手伝ってさしあげたかったのに、急にまわりが忙しそうになったもんだから、居場所がなかったのだ。何しろ寺は狭いのに、夕方になった途端、村中の人間やらその親戚やらが集まり出した。どこに座っていいかすら分からないオレは、せいぜい邪魔にならないよう右往左往する他なかった。
ゾロはあっちにこっちに歩き回る。
その後ろをオレはカメラ片手についてまわる。
ずっと一緒にいると段々に、ゾロは次にすべきことを把握していて、その段取りをとるために歩き回っていることが分かった。
どうやらこの仏頂面の青年は、若い衆のまとめ役でもあるらしい。
庭の隅に青竹をたてていたかと思うと、滝のまわりの草を踏み、ゴミを片付け、台所に行ったと思ったら大きな蒸篭を出して奥さんがたに手渡す。
そうやって日没まで散々歩きまわっていたかと思うと、ようやくお堂の横の集会所に戻った。
正直オレはへとへとだったので、真ん中に置かれたこたつに足をいれ、やれやれやっと座れる、と思った。
と、思ったら、またゾロが立ち上がり、からからと縁側の窓をあける。
「おい」
ゾロは外に向かって声をかける。
「おいウソップ、てめえ、杵出すならちゃんと歌え」
「やなこったー」
「恥ずかしいのか、照れんな」
「ばばばばばか言え!」
「おら、ルフィがまだ小っせえんだから、何でも教えてやれ、杵出す歌も教えろ」
「くそっ」
ははは、と窓の外に向かって笑う。その笑い顔は、見えない。でも楽しそうだ。
そんなふうに笑ったりもすんのか。
何だ何だ、何か楽しいことかよ、と好奇心がわいて近寄ろうとすると、くるりと振り向いて、こちらを見た。
その顔は、不思議なくらいの無表情だった。
すげえとっつきづらいヤロウだ。
別に写真だけ撮れりゃどうでもいいが、こいつと3日も二人きりで過ごしたらオレはきっとホームシックになるだろうよ、と思った。



午後7時。
お堂に四人の若者が入った。住職が先導し、笛や太鼓の音あわせが始まる。
すげえ寒いのにお堂の戸が全て外され、庭に居る人間にも内部が見れるようになった。すると、それまで手伝いをしていた女性がいつの間にか一人も居なくなってたことに気付いた。
黙々と、部屋の片隅に置きっぱなしだった装束を着けはじめたゾロに、話しかけた。
「なあ、奥さんたちは全部帰っちゃったのか、すげえヤロウばっかの空間だな」
「ああ・・・・・・夜は、女は来ねェ」
「なんで」
「女は駄目だ、昔から」
「はァ?何でだよ、男尊女卑だ、そんなん」
「ちげえ」
それでなくともとっつき辛い男が、周囲の緊張感も相俟ってますます話しかけ辛い雰囲気をまとっていた。
「てめえら都会のやつらは、すぐそういうこと言う」
ぷい、とゾロは脇へよけ、何度か笛の手触りを確かめる。
ひい、ひい、と寂しげな音がした。
お堂の中央に獅子舞の装束をすっかりつけ終わった踊り手が輪になって集まる。
笛を持っているのはゾロだけだった。あとは首から小さな太鼓をぶらさげている。あれを鳴らすのか。
庭に居たなかのひとりが、鞨鼓を打った。
そちらへもカメラを向ける。フラッシュが、合図になったのか、それと同時に鋭く笛が鳴らされた。
軒先からぶらさげられたライトと、お堂の明かりが、複雑な陰影を作る。
踊り手の足元からは放射状に影が伸び、それが一同にぐるぐると回り出した。
オレの知ってる獅子舞のように二人一組で演じるのではなく、獅子の頭をつけた一人一人が激しく跳躍する、これまで見たことのない、荒々しい演目だった。
オレは一瞬で魅了され、シャッターを切るのをしばしば忘れてしまうほどだった。
太鼓の音、笛の音は夜闇をつんざくように響き、遠くの山々に吸い込まれていくようだった。
しゃり、しゃり、しゃり、と獅子頭につけられた無数のウロコが擦れあって震える。
時間にして15分にも満たない短いものではあったが、不思議な高揚を覚えた。



直会だ、と呼ばれてその場に居た全員で餅と菜っ葉だけの食事をとると、三々五々、集まった人たちは帰り始めた。酒だけはしこたま飲まされるので、皆足取りが覚束ない。
「どうですか、いい写真は撮れましたか」
袈裟を着たこーしろーさんがやってきて、話しかけてくれた。人間の会話なんて久しぶりだよ・・・・・・と思いながら、御礼を言った。
「凄いですね、こういうのと思ってなかったから」
「あはは、珍しいってよく言われますよ、でもこのへんの地域ではこういうのが普通なんです」
「そうですか、いい写真が撮れたと思います、多分」
「多分?」
「なんか、見とれてて」
あはは、と住職はまた笑った。
かっこいいでしょう、皆、と自慢げに言い、オレもそれには賛成だったので頷いた。
「昔はこのまま全員でお寺に泊まったんですが、今はそうもいきません。火の番があるのでゾロだけ残ります。ではまた明日」
「え?」
身支度を整え、自分だけ帰ろうとする住職にオレは内心あせった。
え、もしかして、オレもここに残るのか。
・・・・・・あの無口な男と二人きりでか?
そりゃ確かに、明日の朝とか、ここに居たほうが楽だけど。あといい写真も撮れるかも知れないけど。でもあいつと一晩二人きりって、一体何話せばいいんだよ。
振り向くと、完全に無言でゾロがこたつのまわりに座布団を敷き詰めだした。なんだよ。泊まる気まんまんかよ。そのなかにオレの分の座布団もあるのかよ。
ふと目が合うと、やっぱりゾロは果てしなく無表情で、ふい、と視線さえそらされてしまうのだった。
いいけどさ・・・・・・。別にさ。ホームシックになりそうだ。
深夜の凍てつく寒さをしのぐために、オレはすごすごとこたつに戻った。



06/11/18 続く。




すみません、続きました。