red-pen teacher
赤ペン先生





客商売は自分にはむかない、とハナから理解していたゾロは、ある日大学のバイト募集の掲示板に貼り付けてあった「小論文採点」のバイトをすることに決めた。
内容は予備校の小論文の試験の採点で、ノルマも無いし、自宅でも学校でも、時間を気にせず出来るバイトなので気に入って申し込んだ。簡単な面接と試験があって、すぐに採用になった。
「じゃあこれだけ渡すので、採点してきてください」
と早速「仕事」を持って来られた。説明らしき説明もなかった。ただ採点の基準がプリントに書かれたものを一緒に手渡された。
こんな簡単でいいのかと心配になるくらいあっさりしたものだった。

その日からゾロは毎日数枚ずつ、高校生やら予備校生やらの書いた小論文を読んで、赤ペンで採点した。赤ペン先生っていうのが昔あったな、今もあんのかアレ、と思った。まさか自分が赤ペン先生になるなんて思わなかったが、案外楽しいものだ。
自宅で採点するとすぐに眠くなってなかなか進まないので、専ら授業中に内職として片付けることにした。
大学2年のゾロからすれば、ほんの1つ2つ年下に過ぎないはずなのに、高校生の作文を読むと随分ガキだと感じたりする。

ゾロの扱う小論の提出者は、主に専門学校を受験する生徒のようだ。
あまり作文が上手でない子が多かった。
これが難関校を受験するような生徒ならば、どこまで指導してやれたものか自信が無いが……根本的な日本語のミスがいくらでも見つかるので、ゾロのような素人でも充分に問題点を指摘してやることが出来た。ひょっとしたら難しそうな大学の模試はプロがやんのかも知んねえな、と漠然と考えた。
まあ、職場の形態にはそれほど興味はなかった。
ゾロにとってはバイト代が入りさえすれば、あとはなにも問題無いのだ。

この予備校では小論対策の講義があるらしく、それを受講する生徒はほぼ毎月、小論の模試を受けているようだ。あちこちに分校があるから、それだけでも結構な数になる。
始めのうちこそ「何枚でもいいよ、出来るだけでいいよ」と言ってくれてた事務員も、最近では「このくらいはやってよ」とやたらたくさんの答案を押し付けてくるようになった。
とんでもない。ラクだと思って始めたバイトなのに、これじゃ居眠りしてるヒマもない。

毎月巡ってくる作文用紙の束の中に、一人、気になる生徒がいる。
やたら字が汚く、小論の中身はアホ丸出しだ。
こいつの将来はどうなっちまうんだろう、と心配にもなるが、小論の脇の「進路希望」の欄には「調理師専門学校」と書いてある。ゾロは専門学校の受験についてなんか何も知らないが、調理師と作文の上手いヘタはあまり関係無いような気がするので、まあ平気だろうとも思う。
生徒の名前は「サンジ」と言う。今年高校3年生だ。
会ったこともないのに、ゾロの心の中ではもう「サンジ」と呼び捨てになっている。
サンジは例えば
「何故あなたがその進路を希望するのか400字以内で述べなさい」
というようなテーマに対して
「おれはコックになりたいです。料理がとく意だからです(25字)」
と小学生の将来の夢のような答えを返してくるしょうもない奴だ。
25字完結の上に「とくい」と漢字で書けていない。いいところが一つもない。
あまりのアホさ加減に、ゾロは指導欄へ述べるべきコメントに窮し、腕組をする。
さんざん悩んで、なんでこんなてこずらされてんだ、と終いにはムカついて、
「もっと理由を長く書いて下さい。コックになりたいと思うに至った子供の頃の思い出とか書いて下さい」
と、アホのような嘆願をしてしまった。ゾロのコメントのほうが、サンジの小論より、長い。
バイトが小論を採点すると、予備校の事務員に手渡しすることになるのだが、その際簡単に中身をチェックされる。
きちんと採点してあるか、字は雑でないか、怠けて好い加減なことを書いてないかなどを監視しているのだ。
どうせパラパラ適当にしかめくらないのだが、運悪くその時にかぎってサンジの小論が事務員の目にとまってしまった。
「…………」
じろり、と今時ありえないような黒ブチのめがねをしたババァが睨んでくる。
ゾロは目を逸らした。
ババァはもの凄く感じ悪く目を眇めていたが、そのうち黙って小論の束を奥へ持ち帰り、新しい模試の答案を持って来た。
(すげえ量だな……)
とゾロはうんざりしたが、バイトの立場では逆らえない。
仕方なくそれを持ち帰った。

それから暫くして、またサンジの答案が巡ってきた。
今回のテーマは「理想の職業」で、前回とあまり代わり映えがしなかった。
そもそも小論の模試なんか、毎月受ける必要があるのかないのか、さっぱり判断がつかない。
今回サンジの寄越した作文用紙には
「私はコックになりたいです。子どものころからそう思いました。小さいときレストランに行った。がんばります。うちのジジイはコックです」
と書いてあった。
すげえ、と思った。こいつ本当に子供のころのこととか書いてきたよ。しかも意味が分からねえ。前後の脈絡が無い。
「ははは」
採点しながらゾロは思わず笑った。授業中の教室で。
教授が険しい顔でこっちを睨んでいた。
(やべえ……内職に気付いたか……?)
ゾロは咳払いして誤魔化した。

さて、何と指導したものか。
ゾロは思案する。
まだ採点してない小論は山のように残っている。
いつまでもサンジ一人にかまけているわけにはいかないので、とにかくさっさと指導欄を埋めてしまわなくてはいけない。
こういう、ひどい答案のときでも、まず何か一つくらいは誉めるように、バイトを始めたばかりのころ手渡されたマニュアルに書かれていた。
そこでゾロは
「私はコックになりたいです」

「私は」
の部分に傍線をひき、二重マルを付けた。そのすぐ脇へ小さな文字で
「自分のことを私と書くのは良いと思います。オレと書いてはいけません。」
とコメントした。
この部分は、本当に、前回のサンジには見られなかった大人ぶりだ。成長している。
そして指導欄には
「順番を考えましょう。問題提起、展開、結論、の順に述べるとうまくゆきます。また主題は一つに搾ると良いでしょう」
と書いた。
非常に基本的なコメントだ。
正直言って、全然サンジの作文の内容とは関係無さそうなコメントだったが、他に何も思いつかなかったのだ。

そして一ヶ月が経ち、ゾロはサンジの答案とまた出会った。
どうしてサンジの答案はゾロのところへばかりくるのだろう。他にいくらでもバイトは居るのに。何かそういう割り振りなのかもしれない。
ひょっとしたら自分はアホ担当なのか。
そう考えると気分は複雑だったが、今度は一体何を書いてくれんだ、という微妙な期待も無くはない。テーマを見ると、今回は漢文と小論が合わさった設問になっていた。最初に漢文の問題があって、その文中に傍線が引かれ、(1)と番号がふられている。
「何故(1)のような結末になったのか、あなたなりに理由を考えた上で、それに最も近いと思われるあなた自身の経験について述べなさい(800字以内)」
とあった。
これはもう駄目だな、とゾロは思った。
最初の漢文が読めなかったら、小論も書けない、という恐怖のあわせワザだ。
サンジの答案を開くと、そこには「ボイン」とマス目を無視して書かれており、おっぱいの絵も書かれていた。どうやら完全に回答を放棄していた。
おっぱいの絵を書いたら、無回答以上に不合格決定だろう、とゾロは思った。
指導欄に
「指定された文字数の8割くらいは書かなくてはいけません。最後まで諦めずに書きましょう」
とコメントし、それから少し考えて、おっぱいの絵のちくびのところに赤ペンで星を書いた。これをあの黒ブチメガネのババァが見たらどんなツラしやがるだろう、と思ったら笑いが止まらなかった。

学校帰りに、ゾロは書店に立ち寄った。
そして
『調理師になるには』
というタイトルの本を見つけ、調理師学校の募集内容をチェックした。
その本によれば、調理師学校などは大抵筆記試験を行わず、面接、小論、内申などで適性を見て合否を決定するのだそうだ。
見られるところが「調理師の適性」なのだとしたら、適性さえあれば、あのアホのサンジでも合格することが出来るかもしれない。
だが、あの小論で適性を証明して、合格することが出来るんだろうか。それに、あんな小論を書いて寄越すサンジがまともに面接に対応出来るような気もしない。
段々サンジのことが心配になってきた。

次にサンジの答案がまわってきたのは、またきっかり一ヵ月後。
既に9月も下旬にさしかかっていた。
今回のテーマは時事問題だった。
新聞の切り抜きが提示され、それについて自分の意見を述べよ、というものだった。
こんなの無理だろう、と思った。
サンジがニュースとか見ている様子なんか想像するのは難しいし、きっと興味も無いだろう。
答案の作文用紙には
「センセー、美人?作文嫌いです。赤ペン先生は何才?」
と書かれていた。
(女じゃねェよ……この妄想盛りめ)
ゾロはサンジの答案を一番後回しにした。
放課後、講義が全て終わってから近所のファミレスに移動し、そこでサンジの答案を広げた。
夕方になって答案を提出しなければならない時刻になったので、予備校の受け付けまで移動し、そこでまた事務員に少し待って貰いながら続きも書いた。
作文用紙を制限字数の8割まで使って、ゾロはサンジの夢を赤ペンで書いた。
サンジはコックになりたいと思っていて、それは祖父がレストランを経営しているのを子供のころから側で見ていて興味を持ったからで、苦労も多い仕事だけれど、お客さんの喜ぶ顔を見たいから、祖父と同じ仕事を目指すのだ、と締めくくった。
全部想像だし、とてもありきたりな内容だ。
作文用紙は真っ赤な文字で埋まった。
指導欄に、がんばれよ、と書いた。
こいつ大丈夫なのかよ、受かるといいなとゾロは思った。

10月に、またサンジの答案がまわってきた。
ちゃんと制限字数の8割以上を使い、拙いながらも自分の意見を述べてあった。
最後の一文だけが、小論のテーマと全く関係無かった。
アホか、模試なのに、こんなん、余計なこと書くんじゃねえよ、と思った。
「来月受験です。赤ペン先生へ」
と書いてあったのだ。

サンジはどんな奴なんだろう。
ゾロの頭のなかでは、ガキみたいな顔をしていて、素直で、言葉数が少ない。どんくさくて、大人しくて、料理が上手い。ジイさんの手伝いをする優しい奴だけど、要領が悪いから、誤解ばかりされてる。
それから、いつもにこにこしている。
来月受験、ということは、サンジの答案は、あの時のあれで最後だったわけか。
そう思うと多少の感慨も無くはなかった。
あいつはアホだが、悪い奴じゃねえ、と根拠も無しにゾロは思っている。

何度か夢の中に会ったこともない想像上のサンジが出てきた。
ゾロはサンジの顔なんか知らないのに、夢のなかではこいつがサンジだとちゃんと分かってる。
サンジは殆ど喋らない。
たまに口を開くと25字分くらいで話が終わってしまう。
全然会話の成り立たないサンジだが、ゾロは可愛いと思って、いつも夢の中ではサンジの味方をしてやる。
サンジは時々ボインの女だったりする。
ゾロはサンジを可愛い奴だと思ってはいるが、内心ではボインの女の答案でも採点してたほうが楽しいと思っているせいだろう。
美女でもアホの男でも、答案は答案に過ぎないのだが。

12月、いよいよ受験間近なので最終模試やら来年度からの新入学生用の模試やらが実施され、ゾロにも大量の採点がまわされた。
なんだこりゃ、終わんねえ、と険しい顔をしながら、予備校の事務室で採点の追い上げをする。既に授業中の内職だけでは片付かなくなっていた。他にも4、5人バイト仲間が居て、職場の性質上ろくすっぽ顔も名前も知らない仲間だが、まあこの時期ばかりは一緒に同じ机の上で仕事にセイを出した。
「なんだこりゃ」
中の一人が声をあげた。
どうやら彼はベテランらしく、4年生大学を受ける連中の模試を見ている。今まさに追い込みの受験生達なので、答案の数も質も、ゾロの任されてる仕事の比じゃない。
「赤ペン先生へ、だってさ」
なんだそりゃ、そこに書いてあんのか、赤ペン先生って、あれか、チャレンジか、赤ペンか、そうだよな、赤ペンだ、ははは。
すっかり仕事に飽き飽きしていたバイト連中は、一斉に顔を上げて彼の手の中の答案を覗き込む。
「へえ、良かったじゃん、こいつ、受かったの」
一人が声をあげた。
ゾロも、首を伸ばして、その答案を覗き見た。

赤ペン先生へ 受かったぜ! サンジ

「…………」
もう受験終わってんだろ、もぐりこんで模試受けたのかよ、アホか、オレの他に何人「赤ペン先生」が居ると思ってんだよ。
肩が凝ったので、大きく伸びをしながら、ゾロは席を立った。
すっかり集中力が途切れた。
一休みついでに缶コーヒーを買うことにした。
他のバイトの分も、黒ブチメガネのムカつく事務員の分も、おごってやろうと思った。
自然に口許が緩む。
あいつは、どこの学校に受かったんだ。
例えばゾロの通う大学の近所にも調理師学校はあるけれど……
まあ、どの学校だとしても、あいつは何とかやっていくだろう。
何しろ、底抜けにアホだが、悪い奴じゃない。
サンジはコックになりたいと思っていて、それは祖父がレストランを経営しているのを子供のころから側で見ていて興味を持ったからで、苦労も多い仕事だけれど、お客さんの喜ぶ顔を見たいから、祖父と同じ仕事を目指したいと考えたりする、そんな素直な奴なのだ。





その後、紆余曲折あってゾロはサンジとめぐり会い、それがまた想像とは全く違う口の達者な男で「紙に書くのは苦手なんだ、オレぁ」と悔しそうに言った顔とか、いつも喧嘩ばかりふっかけてくるムカつく態度とか、女にはでれでれするところや、本当に料理が上手かったところや、ひねくれてるのに素直なところや、心底アホだったところなんかを知ることになり、1年後の冬頃には、サンジがゾロの誕生日に処女をプレゼントしにアパートへ押しかけたのがきっかけで、二人はうっかりカップルになった。
今でもサンジはゾロの夢に時々出てきて、その夢の中ではごくたまに、25字以内で拙く喋ったりする可愛いサンジになることもある。





end
04/11/30
05/10月 続編を本にしました。詳細