Re:
また。




夕方になって急に雨が降り出した。
久し振りに仕事が早上がりの日だったので、買い物でもして帰ろうかと思っていたが、傘も無いので取りやめにした。
秋の雨は冷たい。
随分葉の落ちてしまった桜の木の下に立ち、サンジはバスを待っていた。ここのバス停には屋根がない。本当に最悪だ。

なかなか来ないバスを待つサンジの上へぽたぽたと、桜の木の枝を伝った大粒の雨が降ってくる。
新品のニットの上着を着てきたことを後悔した。

ふいに、雨粒が落ちて来なくなった。
雨が止んだわけではない。
あたりは相変わらず冷たい雨降りで、足許の水たまりにはあとからあとから水紋がさざめいている。
自分のすぐ後ろに立ってる誰かが、傘を差しかけてくれているのだと気付いた。見たこともない男だった。
雨に濡れないのは有り難かったが、とてつもなく気まずかった。せめて何か話し掛けてくれればいいものを、男は無言でそっぽを向いている。
気を遣われているのがイヤで、す、と一歩前へ出て、傘から逃れた。
男も、ただ黙って一歩前へ進み、またサンジを傘に入れる。
横へ避けても、前へ避けても、ひっそりと傘は付き添って、サンジを雨から守る。見知らぬ男と相合傘。不気味だ。本当に有り難いけれど、本当に迷惑だった。
5分以上、そうやってバスを待ったが、相合傘に耐え切れずもういっそ歩くかと思い始めた頃、漸く通りの向こうからバスの大きな窓が見えてきた。内心ホッとした。
大きな車輪が減速しながら目の前へ止まり、車体に触れた桜の枝から、ばらばらと一息に雨が落ちてきた。
しっかりと明確な意図を持って、傘がサンジの上を覆った。
暫時けぶるほど強く、水滴は地べたを跳ね返った。

男はサンジのすぐあとから同じバスに乗ってきた。
時間帯が半端なせいか車内には乗客も疎らで、暖房がきいていなくて寒かった。
いつも通り、5つ目の停留場でサンジは降りた。
運賃を支払い、ステップを降りると、また雨だ。
アパートまではもう目と鼻の先なので、走ろうと思った。さっさと家に入って、シャワーでも浴びればいい。折角あの変な男に傘に入れてもらったのに、結局は濡れるんだな、と思うと滑稽だった。
バス停の前にはマンションが立ち並んでいる。
切り立ったまっすぐの壁の上から、まっすぐに雨が降ってくる。
走り出そうとしたサンジの上へ、また傘が差しかけられた。

「うち、どこだよ」

男が口を開いた。
「乗りかかった船っていうだろ、最後まで送らせろ」
親切にしてはぶっきらぼうな物言いだった。

男は名前をゾロと言って、ホモだった。
親切を装ってサンジを狙っていたわけなのだが、都会で一人暮らしを始めたばかりだったサンジは寂しさも手伝って、あっさりと落ちた。
それ以来、ゾロは殆ど同棲のような勢いでサンジのアパートに入り浸っている。
ゾロはサンジと同じ歳で、学生だった。昼間は大抵寝ているグウタラだ。
どうしてこんな男と付き合ってるんだろう、という疑問が日に三回はサンジの胸に去来する。

それから一年程が過ぎた。
折しも日付は心浮かれるような12月24日の今朝、サンジとゾロは大喧嘩をして、とうとうゾロが出ていった。
ちかちか瞬くネオンに彩られた街中を、雪混じりの冷たい雨が降る日だった。
しとしとと雨は朝から降り続き、サンジが帰宅する夜になってもまだ降っていた。
ちゃんと傘を持って出かけたのに、電車の中に忘れて来た。
駅前のバス停に立つと、一年前と変わらずどこにも屋根は無いし、やはり桜はすっかり葉を落としていて雨よけにもならなかった。
よくこれで苦情が来ないものだ、とサンジは苛々しながら屋根の無いバス停でバスを待った。駅前の停留所なのに、屋根すら無いなんて、相当間違ってる。

喧嘩の原因はささいなことだったと思う。
ゾロが食事のあとの食器をテーブルの上に置いたままにするとか、そんな感じのことだった。
ゾロは好き勝手な時刻に寝て、好き勝手な時刻に起きて、腹が減ればメシと言って、食い終われば旨かったとも言わず後片付けも手伝わず、気が向けばサンジを抱いて、そのまま眠る。
あまりにも自分勝手だと思う。
サンジは別に下宿先のおばちゃんでもなんでもない。
なんでゾロの面倒を見てやらなければいけないのだ。
「てめえ、オレのこと一体なんだと思ってやがる!」
怒鳴りつけたサンジへ向かって、ゾロは
「うっせェヤロウだな」
と言った。
そこからはもう怒涛の展開で、掴み合うわ殴り合うわ罵り合うわで、最終的にはゾロが部屋から出ていった。
「死ね!二度と来んな!」
憮然とした背中へ追い討ちをかけてやった。
ほんとに全く何なんだ。
最初はあっちのほうから無理矢理迫って来たくせに、「好き」でも「捨てないで」でもなく、ちゃっかり朝メシ食い終わったあとで出て行くとは。
騙されたのだ。
田舎から出てきて、一人ぼっちで、仕事も駆け出しで、雨も降ってて寂しかったから、うっかりあんなろくでなしに騙されてしまったのだ。
これからは気をつけよう。
あと、やっぱ男は駄目だ。キモい。

桜の枝の間から、雨はしとしと降ってくる。
バスはまだ来ない。
冷たく濡れたコートの表面を手で払い、腕を組んで少しでも縮こまろうとした。
ふいに、雨粒が遮られた。
ぽつ、ぽつ、ぽつと、定期的にリズムを刻むように鼻先へ落ちていたのに、今はもう、サンジの頭上には雨が降らない。
いつの間にか、ゾロがそこに立っていた。
一年前と同じように、素知らぬ顔でサンジを傘にいれている。
(本当に)
とサンジは思った。
(てめえの気の遣い方は、おかしんだよ、はいれとか、濡れるぜとか、何の一言もなく勝手に人を傘にいれて)
好きだとも嫌いだとも言わず、勝手にアパートに居着いて。

息の詰まるような時間が経過して、バスが到着した。

ゾロは押し黙ったまま、サンジの隣りの座席へ腰掛けた。
オレは怒っているんだぞ、という気配が彼から伝わってきて、可笑しい。
何だよ、元を正せば完璧てめえが悪いんじゃねえか。
ふん!とサンジが鼻を鳴らした。
ゾロが、むっと唇をへの字に曲げる。
バスが、5つ目の停留所に着く。

ここ一年、滅多に帰っていないけれど、ゾロにだって、ゾロの住んでるアパートがある。
でもそこへ帰るには、バスの終点まで行かなくてはならないのだと、今のサンジは知っている。

バスを降り、立ち並ぶマンションの前を通り過ぎ、信号のある角で左に折れて、アパートまでの道のりを急ぐ。
まっすぐに雨は落ちてくるが、傘が、しっかりとサンジを庇う。
本当は、昨日のうちにクリスマスのゴチソウの仕込みだって済ませてあるのだ。ゾロはイベントごとを好まないが酒を飲む口実なら喜ぶだろうと、冷蔵庫の中にはマリネだって作ってあるのだ。そして、仕事先のレストランからくすねてきた、上等のワインが、今、カバンの中に入っている。
帰って来てくれて良かった。
アパートまでの短い距離を歩きながら、差しかけられた傘の下、寒いし、腹も減ってるし、雨だし、今ならまた性懲りもなく、このロクでもないグウタラ男にひっかかってしまうだろう、とサンジは思った。



end


04/11/10
さー、どんどん行きます、ゾロ誕!
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