Pandora's treasure box
宝箱
サンジは何でもとっておく。
野菜クズや果物の皮を捨てない、なんていうのはコックとして当然のたしなみぐらいにして、果ては古くなったゾロのジジシャツとか、枯れてしまった植木の鉢とか、折れたホウキの柄とか、とにかくなんでも捨てずにとっておく。どこかの主婦なのか、と思うくらいの倹約精神に、他のクルーは感心したり、呆れたりだ。
サンジの凄いところは、単に何でもとっておく、というだけでは済まさないところだ。
彼は常に整理整頓を敢行する。
例えばゾロのジジシャツは、シャツ部分とボタン部分とにきちんと仕分けし、シャツ部分は適当な大きさに切って掃除用具置き場に置いておく。こうしておけば、必要な時がくれば、雑巾として利用されるだろう。
ボタンは現時点では使い道がないので、手持ちの箱に入れて仕舞う。彼がメリー号のコックになることを決意した時に、食器を入れて持ち込んだ木箱だ。
その箱自体も、今は使い道の無いものだ。何しろそこへ収まっていた食器類は現在食器棚に整理されている。
枯れてしまった植木の鉢は、中に入ったままの土を出し、きちんと洗って木箱へ仕舞う。土はナミのみかん畑に補充する。船上と言えど屋外にある畑の土は、風雨で多少流れてしまったりするのだ。
折れてしまったホウキは、先っぽのボサボサした藁のついた部分をいくつかの小さな束にして台所へ。
必要があればそのまま小さなホウキとしても使うし、焚き付けになることもある。
柄の部分は針金だけとって木箱へ。
針金は船の修繕などに使えるので、ウソップの道具箱へ勝手に放り込んでおく。
そんなこんなでサンジの持っている飾りッ気のない木箱には、今は使い道の無い不要品が整然とつまっている。
それをこの船の船長は
「サンジの宝箱」
と呼んでいる。
いつも皆に良いものを、とくにおいしいものを供してくれるサンジの管理する箱なので、「サンジの宝箱」と聞けば、大抵のクルーは非常に良いものを連想した。
中身はガラクタだと知っていても、魅力的な箱に思えた。
ところでサンジは恋人がいた。
同じ船に乗っているロロノア・ゾロという男だ。
女性を愛する心を人一倍強くもっているサンジは、この結果を少々残念に思っていた。
ロロノア・ゾロは非常にむさくるしい男で、おいしい料理にも、優しいエスコートにも、甘い香りのコロンにも、少しも興味が無い。
彼が興味を持つのは、強くなるとか、戦うとか、何かに打ち勝つとか、血なまぐさい物事だけだった。
「ゾロ、ハロウィンだ!」
キッチンで酒を飲んでいたら、突然扉が開け放たれ、悪童どもが飛び込んで来た。
「ハロウィンだ!」
夜更けの冷たい空気が船室に流れ込み、目が覚めるようだった。
悪童の親玉である船長が、けたたましく笑い、駆ける。
かぼちゃで作った面をして、頭には、サンジが大事にとっておいた空っぽの植木鉢を被っている。
「トリック・オア・トリート」
あまりにも有名なフレーズ。
小さな丸っこいトナカイは、ほうきの柄の先に鉄くずで作られた星のような装飾をし、シミがついて使えなくなったテーブルクロスで作った丈の長いガウンを纏っていた。
「お、どこのピノッキオだ。すげー仮装だな」
キッチンの奥から顔を出したサンジがウソップをからかった。
「アァ?!オレは素顔だぜ、おい、オレは素顔だぜ、おい!」
あははは、とお茶を飲みながら航海日誌をつけていたナミが、笑い出す。
「お菓子をあげなさいよ、サンジ君、トリックは頂けないわ」
「おおせのままに、ナミさん」
サンジの手には、既に甘い香りのする包みが用意されている。
中身は人参ケーキだ。
多少傷んだ人参を、削って混ぜて、昨日のうちに焼いておいてくれたのだ。
サンジは、ルフィに、チョッパーに、ウソップに、そしてナミへは恭しくケーキを渡し、最後にゾロの前へもケーキの入った包みを渡した。
ゾロは何も言わなかった。いつまでもその包みは解かれない。
チョッパーが自分の分もかぼちゃの面が欲しいと言い出した。
サンジはかぼちゃは無いが、と奥から薄い黄色の瓜を取り出してきた。
「似たようなもんだろ、この皮はどうせ食えねえから、持ってっていいぞ」
「ほんとか?」
とトナカイが瞳を輝かせる。
「よーし、オレ様に任せろ」
ウソップが調子良く瓜の皮をくり抜いて、にやけて笑う、ジャックオランタンの顔を拵え始めた。
「あら、なかなか面白そうね」
ナミが席を立ち、輪に入った。
そしてハロウィンの由来についての薀蓄を披露している。
「ナミさんは知的だな〜」
と、サンジはいつものようにナミを誉めそやした。
ゾロは眉を顰め、なんだありゃ、と呟いた。
「てめえ、ハロウィンを知らねえのか」
サンジが呆れ顔で尋ねた。
「いや、知らねえ、なんだありゃ」
飲みかけのラムの瓶で、ゾロはウソップ工場付近に集まった仮装した面々を指す。
「まあどうせ、知らねえんだろうと思ってたよ」
「…………」
「ハロウィンて言うのはな」
そこで語を切って、サンジは暫し考えた。
死者の霊が帰ってくるとか、収穫を神に感謝する、と、この男に話すのは無駄だと思った。サンジは一年の生について神に祈るが、ゾロは祈るということをしないからだ。
そこで、こうとだけ答えた。
「仮装してヨソの家に行くと、お菓子がもらえる日だ。ガキの遊びだよ」
「へえ」
相変わらずケーキの包みを解きもせずに、ゾロはラムを飲み、頷いた。
「ガキの遊びか」
その時、どっとガキどもがわき立った。
ウソップが面を作り終えたのだ。
「おい、サンジ、なにか紐ねえか。ここんとこに結びたいんだが」
ウソップに言われて、はいはい、確かあったかね、とサンジはサンジの宝箱を開き、そこから美しい組紐を取り出してくる。
「さすがサンジの宝箱だぜ」
とウソップが言った。
「そうだろ」
サンジは得意げに腕を上げて見せた。
リンゴの皮で香り付けした紅茶を用意し、ナミをテーブルへ呼んだサンジは、ゾロの前にまだ先刻のケーキが置いたままになっているのを見つけ、それを冷蔵庫へ仕舞った。ゾロはケーキを取り上げられても、何も言わない。
明日の朝、朝食ができるまで待てないと騒ぐあの船長に寄越してやれば丁度良い。何も無駄にはならない。
冷蔵庫の扉を閉じて、ラウンジのテーブルへ戻ると、緑頭の剣士が空になった酒の瓶を空き瓶入れに放り込むところだった。
その後ろ姿を見ていたら、サンジは急に腹が立った。
これまで何てことはないと思っていたことが突然我慢出来なくなる、そういう理不尽な種類の怒りが胸を焼いて、いきなりゾロの後頭部を殴りつけてやった。
一発じゃ怒りはおさまらず、更にもう一発殴ったが、それでも少しも気は晴れず、ますます堪らない気分にさせられる、それだけだった。
「でッ、てめえ、クソコック!何しやがる!」
「うっせえ!死ね!どっか消えろ、クソ剣士!」
わけがわからないほど感情が昂ぶって、叫びながら泣き出してしまいそうだった。
「ゾロ!サンジ!」
ラウンジで黄色い瓜の面をチョッパーにかぶせていたウソップが、大声を張り上げ二人の名を呼んだ。
ゾロとサンジはぴったり動きを止め、ウソップのほうを振り返る。
「……ゾロ、てめえは、ハロウィンでもしやがれ!」
ウソップが言った。
「んだよ、それ」
ゾロが険悪に顔を顰める。
「いいんだよ、ほら、ゾロにはこのすばらしい面を貸してやろう」
そう言いながらウソップは自らの鼻の先をつまんで、面を取り外すようなジェスチャーをした。
ははは、ははは、とサンジが笑い出した。
「それ、素顔じゃなかったのかよ!ウソップ!外れるのか!」
「こんなハンサムがいるわけねーだろー、こりゃ、ハンサムキャプテンウソップ様のお面だ、勿論外れる」
「馬ッ鹿じゃないの、あんたたち!」
見ていたナミも高い声で笑った。
「馬ッ鹿じゃないの、あんたたち!」
どんなものを取っておいても、ゾロには何も役に立たない。
捨てることにしか興味の無い男なのだ。
サンジはゾロが放置したケーキの包みを冷蔵庫から取り出して、ケーキ本体はゴムの船長の口へ押し込み、包装紙は「サンジの宝箱」へ仕舞った。
今となってはもう使い道の無いものだ。
使い道の無いものばかりがその箱へ詰まっているのだと思った。
がらくたを用立てることが出来るのは、がらくたと思わず用立ててくれる相手があってこそだ。
深夜の船上は静まり返っていた。
今夜の不寝番はゾロだった。見張り台からはどこまでも凪いだ海が見える。
天気は良かったし、敵は見えないし、眠たかった。
縄梯子を上る、軋みが聞こえてきた。
「おう、寝てなかったか」
「寝てねえよ」
あくびを噛み殺しながらゾロは答えた。今にも眠りそうだったなどとこの男に白状すれば、何を言われるか分かったものではない。
サンジの手には白いポットが握られていた。
先刻ナミに出していたのと同じ、リンゴの香りがするお茶だ。
サンジはゾロの隣りへ座り、カップに紅茶を注いで差し出した。ゾロはそれを受け取った。そして水平線のあたりを睨みながら、カップの白いフチを口へ運ぶ。
「寒ィな」
サンジは呟いた。
ゾロはちらりとサンジへ視線を移した。
「ヤんねえぞ」
「…………」
サンジがゾロを睨む。
無理矢理擦り寄り、ゾロの被っている毛布へ手を伸ばす。
「ヤんねえ!」
もう一度きっぱりとゾロが言った。
そうかよ、とサンジは中途半端な距離のまま、毛布の端へ爪ま先だけを潜り込ませた。
寒い、と言ったのは本当なのか、鼻の頭が赤い。
暫く無言のまま、サンジはその場に留まった。
俯いて、寒そうに肩をすくめている。それなのに、それ以上近づいてくることもない。離れることもない。まるで諦めの悪い子供のようだとゾロは思った。
溜め息は、二人同時だった。
「おい、あのな」
「……なんだよ」
幾分か低姿勢になったゾロの物言いに、サンジは視線をしっかりと据えたまま答えた。
「てめえ、ここんとこ、いつにも増して役に立ちたがってんだろ」
「…………」
「てめえ、いっつもそんなじゃねえか。何かあったのか何もねえのか知らねえが、そんなんじゃ、抱けねえんだよ、そんな理由じゃ……」
「…………」
「それでだ」
そこまででゾロは話を打ち切って、白いカップへ口をつけ、りんごの甘い香りの漂うお茶を、少々冷めたそのお茶を、最後まで飲む。ゾロはカップの取っ手を持ったりしない。ぞんざいにフチを鷲掴みにする。カップはその手の中で馬鹿に小さく見える。
見張り台の板目の隙間から、冷気が忍び込んでくる。
サンジが手に持ったままのポットからは、まだ甘い湯気が流れていた。
サンジはぎゅっとそのポットを握り締めた。
口許は大きく歪められ、俯いた頬は、朱に染まっていた。
ゾロはさも嫌そうに、目を眇めた。
「笑ってんなよ、てめえ」
「うっせ……」
言いながら、サンジはポットの底でゾロを殴った。
「バーカ」
バーカバーカ、ゾロのバーカ!
仕舞いにはポットを脇へ置いて、両手で滅茶苦茶に叩き始めた。
ははは、ははは、とサンジは笑った。
やがてゾロは毛布の中へサンジを抱き込み、暖めた。
白いカップと白いポットを、綺麗に洗うと、サンジはサンジの宝箱へ仕舞う。
宝物にしたからだ。
役に立たない箱じゃない。
役に立たないものの入った箱ではない。
皆様からご愛顧いただいている、大切な箱なのだ。
誰が何を捨てても、ゾロが何を捨てても、サンジはそれを取っておくし、大切に仕舞っておく。
いつか必要とされたときに、きっと、そこから取り出して、手渡してやろうと思う。
end
04/11/22
いい夫婦の日にアップとかしてみたかったのでした。
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