土曜日と日曜日を除く週五日、ゾロは規則正しくその帽子店のレジに座っている。店内には風変わりな帽子や、平凡な帽子や、奇抜な帽子や、奇妙な帽子や、とにかく帽子ばかりが並んでいる。
ゾロ本人は別に帽子に興味はない。かぶったこともない。いつもジャージに毛くらいは生えたかという程度のだらしない服装をしているし、頭は短く刈ったそのままで手入れもされていない。だがまだ若いので、そんな風体でもそれなりに見えた。
 店は彼の父親が趣味で開いたような店で、大通りに面しているのに客足はいまいちだった。ゾロは接客なんか好きではないし商売にも興味がないので、仕事がないのを幸いと日がな一日ぼんやりしている。
 店が面している大通りの名前は「薄荷飴通り」と言った。その昔この通りのどこかに薄荷飴屋があったらしい。
今はもう閉店したというその店が、一体街のどの辺りにあったのか調べることは難しかった。薄荷飴通りは街を東西に横切る非常に長い道なので、この道沿いのどこかと言われたところで皆目見当が付かないのだ。薄荷飴屋もまさか街の西端と東端にまで、その名が知れ渡ることになるとは思わなかっただろう。しかし、こんな話もゾロにとっては興味のないことだ。彼は薄荷飴なんか欲しいと思ったこともない。
 ゾロが興味を持っているのは、これも同じく彼の父親が趣味で開いている剣道教室だ。毎週水曜日の夜と、土曜日と日曜日は、街外れにある道場で助手を務めている。
生徒はダイエット効果を期待する太ったおっさんだったり、イーストブルーかぶれのオタクっぽい若者だったり、または子供教室だったりなのだが、それはさておき講師である父親がとんでもなく強い。いつかあいつを倒してぎゃふんと言わせてやる、というのが目下のゾロの目標だ。ものぐさなゾロであるが、そのための努力なら惜しまない。
 もう一つ、ゾロが興味というか近頃気になって仕方ないことがある。
 毎朝同じ時刻に店の前を通過する自転車の男。だからどうというわけでもないが、何となく気になる。土日はゾロ自身店に来ていないので知らないが、少なくとも彼は木曜日を除く毎朝、判で押したように同じ時刻に同じ自転車で、この店の前を通る。東から西へ向かって太陽を背に猛スピードで自転車をこぐ彼の顔は良く見えない。ただ髪の色は金色らしく、天気の良い日はきらきら光っている。
 どうやら彼は、帽子屋のある方角から、ゾロの自宅の方角へ向かって通勤しているものらしい。つまりゾロとは全く逆方向に移動している。いつでも有り得ないくらいのスピードで暴走してるので、店先を横切る時なんか、ショーウインドウから一瞬の線にしか見えない。本当に有り得ない。
 ちなみに午後になると男は朝とは逆、西から東に向かって自転車をこいで再度店の前を横切るが、その時刻は朝とは違い、まちまちである。
多分、あの自転車の男は朝は出勤、午後は帰宅のためにこの店の前を通過するのだろう。出勤は毎日同じ時刻だが、帰宅は日々違う時刻になるような仕事なのだろう。そのくらいは予想出来る。



 その薄荷飴通りの暴走自転車男とゾロが、初めて会話を交わす機会を得たのは、ある晴れた日の午後だった。
 ヒマだったのでゾロはレジ台の裏に上手く隠れて腹筋をきたえていた。今日は千回腹筋するぞ、と気合いを入れていたのに、入り口の戸にくくりつけられたベルがカラカラ鳴って、何回まで数えたか忘れてしまった。
「クソッ」
 舌打ちしてゾロは起き上がる。
 今しがた入ってきたばかりの男と目が合った。
 レジ台から顔を出し、こんにちはごゆっくり、とおざなりに声を掛けた。
「クソ?クソっつったかてめえ今」
 低いのによく通る、不思議な声の持ち主だった。
「お客様に向かってクソはねえだろこのクソヤロウが」
 見るからに不機嫌そうに胸ポケットから煙草を取り出し、火を点け、ふう、と男は煙を吐き出した。
感じの悪い男だ。年の頃は三十代前半あたりか。
背は高くゾロと同じほどもあるが、シャツから覗く手首は細いし、身体も薄い。しかし華奢という印象は全く無い。髪は金髪で目は青い。奇妙なことに眉毛がグルグル巻いている。総じて言えば見目の良いほうだろうが、とにかく感じが悪い。人を馬鹿にしたような表情をしている。そのくせちょっと上をむいた唇がアホっぽい。
 目算で自分より十以上は年長であるだろうこの男への第一印象は、非常に悪かった。
「そっちこそ、店内で煙草吸ってんじゃねえよ」
「うるせェガキだな、どこで吸おうとオレの勝手だろう」
「商品に匂いが移るだろ。女とか、うるせえぞそういうの」
 ぐぐっ、と男は言葉に詰まり、険しく眉間に皴を寄せた。
「……そりゃ失礼」
 不機嫌な表情のまま男はつかつかと店内から出て行った。
 帰ったか。
 そう思ったが、一旦表へ出て煙草を地べたで揉み消すと、それをまたご丁寧に自分で拾い上げて指でつまみ、再び店に戻ってきた。
「おい、ゴミ箱に捨てとけこれ」
 吸殻を手渡されたゾロは、これまた不機嫌に受け取って、レジ下のゴミ箱に投げ込む。
 なんだこいつ、アホか。
 腹がたつので無視することにした。そっぽを向いてスポーツ雑誌でも読もうとする。剣道にしか興味がないので、ゾロが読むページは限られている。男はうろうろと店内を物色し始めた。無視だ、無視。
「おい」
 ぱらぱらとページをめくったあたりで声を掛けられた。
 無視してやった。
「おい!」
「……」
「おいって言ってるだろうがこのサボテン」
「…………」
「おいこの緑頭のサボテン野郎」



2007/04/20up  戻る