おいしい海水 sample
全てが揃えば大艦隊になる白ひげ海賊団も今は本船のみで移動している。
それでも大所帯のはずだが、夕飯時のせいか静かで、甲板には必要最低限の船員しかいなかった。
「うちの船は次の島まではログの通りに進むけど、そこから先はログとは少し違う指針をとるから」
おまえは運がいいよ、明日の朝目が覚めたら仲間んところに帰れるからな、とエースは弟の丸みを帯びた額を突付く。
「ログの通り以外の行き方もあんのか?何のために?」
「まあ、おれらにはおれらの都合が色々あるんだよ。おまえにゃ教えらんねえな」
「なんだよ、エースのケチ」
「ケチじゃねえの」
「ケチ!ケーチ!ケーチんぼ!」
「うるっせえ口だな!」
ルフィの顔をつまんで引っ張るが、ゴムなので効き目がない。むに、と好きなだけ伸びる。
「おれの部屋、口うるせェ奴のとなりなんだよ、大人しくしてろよ」
「口うるさい奴って?エースんとこのおっさんか」
「おっさんって何だよ。……オヤジじゃねえよ、一番隊の隊長だ」
「ああマルコな」
ルフィが腕を組んで頷く。何度かエースから話を聞いて、名前を覚えたのだ。
「覚えてんのかよ!ていうか、なんで知り合いみたいに呼ぶんだよ」
「いいじゃねえか別に。エースとマルコ、仲良しなんだな、隣の部屋だなんて」
目立たぬ船尾寄りから乗り込んだ一行は、こそこそと船室に続く通路を歩く。通路は静かで、ひと気がない。しかしここが一番の難所だ。エースの部屋まで誰にも見つからずに辿り着かねばならないのに、殆ど曲がり角もなくまっすぐな廊下が続いている。左右に扉があるのは一部船員に与えられた個室だ。大抵の船員は階下の大部屋を居室にしている。
「別に仲良しだから隣なんじゃねえよ、うちの隊は今まるごとマルコんとこに預けてて……」
エースは左右を見渡し、足音などしないか時折確認する。
「だからおれの部屋が無いんだ、今は。それで本船のマルコの部屋の隣を使うことにしてる」
「ふうん」
ルフィは分かったような分からないような声を出す。
「まあその辺はいいよどうでも。とにかく、大人しくしてろってことだ。マルコは侮れねえぞ。普段、ヨイヨイ言ってるばかりで人が良さそうだが、すんげえ抜け目ないんだ」
「そうなのか」
「ああ、聞き耳とか、すげえ」
エースは真剣に両手を耳に当てる身振りを交えて、「とても凄い」ということを強調する。
「耳だったら、うちのチョッパーもすげえぞ!超音波とか聞こえるし」
ルフィも負けずに両手を耳に当てて、対抗しようとする。
「聞こえねえよ!誰が言ったんだよそれ」
チョッパーが驚いて抗議する。
「図鑑に載ってた。犬とか、超音波も聞こえるって」
「犬じゃねえだろ!」
「えー」
不満そうにルフィが唇を尖らせる。
おまえんとこの船は面白いな、とエースは変な感心の仕方をし、通路の分かれ道に差し掛かると注意深く食堂に通じる階段の方角を窺った。人の話し声でざわめいているが、人影は見当たらない。ここさえ通り過ぎればあとは幹部の居室があるだけの静かな通路だ。用事がない限り、他の隊員は近寄らない。
「よし、誰も上がってこねえな」
ひとしきり階段側通路を確認し終えて顔を上げたエースは、自室の方角から歩いてくる大きな人影に気付いた。しまった、そちらから来る人間は居ないだろうと思って油断していた。鼻歌まで聞こえる。楽しそうで自信たっぷりの歩き方、巨体、いかつい面構えで、重たそうな鎧を普段から身につけている。そのくせ通路に置かれたバケツや掃除用具、ロープが散らかっていれば几帳面に片付けながら歩いてくる細やかさ、あれは三番隊のジョズだ。しまった、ジョズの部屋も同じ並びにある。通路で鉢合わせたとして何の不思議もなかった。
「ムッ」
ルフィがうめき声をあげる。
「ムーッ!ムーッ!」
ガタガタと騒々しい物音。チョッパーが「何するんだ」と叫ぶ。強く非難する声音だ。悲鳴のようでもあった。
090628発行、1105up